歴史における三世代(江戸時代)

江戸時代の有名な川柳に「売家と唐様に書く三代目」というのがあります。一代目が苦労して始めた商売を二代目が発展させ三代目が潰してしまう。唐様に「売家」と書いてある貼紙に三代目の趣味と教養が偲ばれるというお話です。
歴史上の政権にも同じようなことが言えるのではないかと思います。政権の第一世代が建設した新体制を第二世代が発展させますが、第三世代が潰してしまう。そんな傾向があるように思います。それを、江戸時代を例にとって検証してみたいと思います。
一世代は約30年と考えてよいと思いますので、江戸時代の約270年は9世代に渡ります。でも、よく見ると、いくつかに分けてもよいのではないかと思います。例えば、第八代将軍の吉宗は中興の祖として知られています。傾きかけた江戸幕府を立て直していますので、吉宗は新生徳川幕府の第一代目と考えてみたいと思います。また、幕末の頃は徳川幕府の独裁政権が成り立たなくなっています。そんなことを考えて三期に分けて江戸時代を見てみたいと思います。

江戸時代前期(1603〜1716)

第一世代(1603〜1623) 建設期

初代将軍 徳川家康(1542〜1616) 治世(1603〜1605)
江戸幕府を開き、幕藩制度を作り、法制度の整備を行いました。しかし、将軍職は、すぐに息子の秀忠に譲り、その後も大御所として政治にかかわっています。
第二代将軍 徳川秀忠(1579〜1632) 治世(1605〜1623)
秀忠は初代・家康の息子なので、その点では第二世代ですが、家康が直ぐに将軍職を譲ったので事実上の第一世代だと思います。
秀忠は大名の改易・転封をすすめ幕府による支配体制を確立しています。この頃から外国貿易の制限を行っています。秀忠もまた、将軍職を辞した後も大御所として君臨しています。
第二世代(1623〜1680) 継承発展期
第三代将軍 徳川家光(1604〜1651) 治世(1623〜1651)
家光は秀忠の息子です。この時代に参勤交代や鎖国制度が固まり江戸幕府の体制が整っています。徳川幕府の長子相続制度も家光の頃に固まったようです。また、新田開発も行われ経済的にも発展した時期です。
第四代将軍 徳川家綱(1641〜1680) 治世(1651〜1680)
家綱は家光の長男ですが、11歳で将軍に就任しています。それに病弱だったようなので、政務は幕閣任せだったようです。家綱自身は第三世代ですが、実務を執った閣僚を見ると第二世代と言ってよいかと思います。
この時代の主要人物
保科正之(1611〜1673)叔父
酒井忠清(1624〜1684)大老
第三世代(1680〜1709) 爛熟期
第五代将軍 徳川綱吉(1646〜1709) 治世(1680〜1709)
綱吉は家綱の弟です。綱吉は三代目らしく儒学や能に熱中した将軍で、政務はやはり幕閣に任せていました。綱吉は悪名高い「生類憐れみの令」を実施したことで犬公方とも言われています。
この時代は大坂と江戸の交易が活発になり三井越後屋や材木商・奈良屋茂左衛門のような大商人が台頭しました。バブルとも言える好景気の時期で元禄文化が花開いた時期です。近松文左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉、尾形光琳などは、この時代の人です。
好景気な時代で、農業よりも商業の時代だと思います。この頃が江戸の文化のひとつのピークとなりました。
この時代の主要人物
堀田正俊(1634〜1684)大老
柳沢吉保(1658〜1714)側用人
荻原重秀(1658〜1713)勘定奉行(貨幣改鋳を実施)
第四世代(1709〜1716) 沈静期(移行期)
第六代将軍 徳川家宣(1662〜1712) 治世(1709〜1713)
家宣は綱吉の甥なので第四世代なのですが、実務を執った閣僚を考えると第三世代だと考えることもできます。家宣は将軍就任後三年で死去しています。
この時代は前政権に対する反動的な政治が行われました。もちろん「生類憐れみの令」は廃止されましたが、その他にデフレ政策が実施され、農業を勧め商業を抑制する政策が執られました。新井白石は柳沢吉保などの商業中心の政策が嫌いだったようです。
この時代の主要人物
間部詮房(1666〜1720)側用人
新井白石(1657〜1725)将軍側近
第七代将軍 徳川家継(1709〜1716) 治世(1713〜1716)
家宣の子ですが、4歳で将軍を継承しましたが夭折しています。

江戸時代後期(1716〜1853)

第一世代(1716〜1745) 再興期

第八代将軍 徳川吉宗(1684〜1751) 治世(1716〜1745)
第七代・家継までは第二代・秀忠の子孫が将軍を努めてきましたが後継者が絶えてしまいました。新将軍は御三家の紀伊家から起用されています。徳川吉宗です。王朝が変わったと言ってよいのかもしれません。
吉宗は閣僚の大幅入れ替えを行い「享保の改革」で財政再建を行いました。これにより吉宗は徳川幕府中興の祖と呼ばれています。享保の改革では、新田開発を行い、適地適産を進めました。米の増産とともに米価の安定にもこだわり米将軍ともいわれています。また、世の中の乱れを正すため「御定書百箇条」のような法令整備を行っています。その他には、流通網を整理し物価安定をはかるため問屋株仲間を公認し、さらに物価問題の解決のために貨幣改鋳を実施しています。
この時代の主要人物
水野忠之(1669〜1731)老中
大岡忠相(1677〜1752)南町奉行(貨幣改鋳)
第二世代(1745〜1786) 経済発展期
第九代将軍 徳川家重(1711〜1761) 治世(1745〜1759)
家重は吉宗の子です。虚弱体質で脳性麻痺があったようです。脳性麻痺がありましたが知能は優秀だったとの説もあります。側用人の大岡忠光を通して幕政を行っています。
この時代の主要人物
大岡忠光(1709〜1760)側用人
第十代将軍 徳川家治(1837〜1786) 治世(1759〜1786)
家治は家重の子です。吉宗から三代目にあたりますが実際の政務は側用人の田沼意次に任せていたようですので、田沼意次の年代を考慮して第二世代に入れてあります。
賄賂などで評判の悪い田沼意次ですが、経済発展に貢献した人のようです。当時は絹織物の輸入が多く貿易赤字だったのですが、俵物と呼ばれた乾燥アワビやナマコを増産・輸出し貿易赤字の解消に貢献しています。また、流通に税をかける間接税を導入し幕府の財政改善にも努力しています。米以外の産業や商業を重視した政策を実施した人です。
この時期の有名人に、浮世絵の鈴木春信や文人の大田南畝がいます。また平賀源内もこの頃の人です。
この時代の主要人物
田沼意次(1719〜1788)側用人、老中
第三世代(1786〜1836) 爛熟期
第十一代将軍 徳川家斉(1773〜1841) 治世(1786〜1836)
家斉は吉宗の曾孫で、御三卿の一橋家の出身です。政務よりも子作りに励んだ将軍で、57人の子持ちです。
この時代に老中の松平定信は「寛政の改革」(1787〜1793)を実行します。松平定信は田沼意次の政策が嫌いだったようです。天明の飢饉(1782〜1788)のせいもあったと思いますが、復古主義的な緊縮財政を実施しています。
松平定信の失脚後、元禄時代と並び称される文化文政の町民文化が興隆します。十返舎一九、山東京伝、上田秋成などは、この頃の人です。ただし、幕府の財政は更に悪化していきます。
この時代の主要人物
松平定信(1759〜1829)老中
松平信明(1763〜1817)老中
水野忠成(1763〜1834)老中
第四世代(1836〜1853) 混乱期
第十二代将軍 徳川家慶(1793〜1853) 治世(1836〜1853)
家慶は家斉の子です。45歳で将軍に就任しました。政務は、やはり閣僚任せだったようです。
前半には老中・水野忠邦による過酷な「天保の改革」(1837〜1843)が実施されました。緊縮政策で奢侈を禁止し、「蛮社の獄」と呼ばれる言論統制も実施されましたが、厳しすぎたためか、成果を得ないまま、水野忠邦は失脚しています。
その後は、厳しい政策は元に戻されています。水野忠邦によって物価高騰の原因とされ解散させられていた株仲間(流通の同業者組合)も北町奉行の遠山景元によって再興されています。
この頃には、外国船の来航が増え開国への圧力が高まり、混乱の幕末の時代になっていきます。外国人嫌いの孝明天皇が開国を許可しないため幕府は苦境におちいり当事者能力を失っていきます。
この時代の主要人物
水野忠邦(1764〜1851)老中
鳥居耀蔵(1796〜1873)南町奉行
阿部正弘(1819〜1857)老中
遠山景元(1793〜1855)北町奉行

移行期(1846〜1868)

孝明天皇(1831〜1866) 在位(1846〜1866)
明治天皇(1852〜1912) 在位(1867〜1912)
従来の天皇は、実権はなく幕府にとって単なる飾り物でしたが、孝明天皇は自分の意向を通そうとしました。外国人が嫌いな天皇は開国を許さず攘夷をあくまで要求しました。そのため、攘夷か開国かで混乱が続きます。
1853年にペリーが来航し、幕府は翌年に日米和親条約を結びます。1858年井伊直弼は勅許(天皇の許可)を得ずに日米修好通商条約を締結しますが、幕府側の攘夷論者の水戸の徳川斉昭は、これに抗議したため無断登城の罪で謹慎を命じられます。また、幕府を通さずに密勅(戊午の密勅)を受け取ったとして蟄居を命じられます(安政の大獄)。これに対し水戸藩浪士は井伊直弼を暗殺してしまいました(桜田門外の変)。
1863年天皇の攘夷の命令を受け長州藩は外国船に砲撃をおこないましたが反撃にあい敗北してしまいます(下関戦争)。また、同じ頃、生麦事件の賠償などをめぐって薩英戦争が起きましたが薩摩藩の敗北に終わっています。
1863年攘夷派の長州藩は、公武合体派の会津藩と薩摩藩によって京都追われますが、巻き返しをはかって「禁門の変」を起こします。長州藩によるクーデターですが、長州は敗北してしまいます。この後、幕府による長州征伐が行われますが、結果は成功ともいえず、幕府の力の衰えを露呈することになりました。
幕府は公武合体で幕府政権の延命をはかりますが、結局、1867年に大政奉還を行い、江戸幕府は終了することになりました。そして、幕府に代わり諸侯会議が開催されそうになります。諸侯会議は大名による合議制度ですが、これでは従来の幕藩政治とあまり変わらないことになります。(この頃には、薩長も開国論に転じていた?)そのため、1868年に薩摩藩などは京都御所を占拠し「王政復古の大号令」を発します。薩摩藩によるクーデターです。
御所を追われた徳川慶喜と会津藩は大坂城に引き上げますが、慶喜の再上洛を機に旧幕府軍は京都に向けて進行します。これを阻止する薩長軍と鳥羽伏見で戦いを起こします(鳥羽伏見の戦い)。この戦いは、装備にも勝り「錦の御旗」を掲げた薩長軍の勝利に終ります。その後は、戊辰戦争を経て明治の新体制に移行することになります。
この時代の主要人物
堀田正睦(1810〜1864)老中
徳川斉昭(1800〜1869)水戸藩主
井伊直弼(1815〜1860)大老
松平慶永(1828〜1890)福井藩主
島津久光(1817〜1887)薩摩藩
西郷隆盛(1828〜1877)薩摩藩
木戸孝允(1833〜1877)長州藩
岩倉具視(1825〜1883)公家
勝海舟 (1823〜1899)幕臣

参考
第十三代将軍 徳川家定(1824〜1858) 治世(1853〜1858) 家慶の子
第十四代将軍 徳川家茂(1846〜1866) 治世(1858〜1866) 紀伊家出身
第十五代将軍 徳川慶喜(1837〜1913) 治世(1866〜1867) 水戸家出身

歴史における三世代(明治〜現代)
歴史における三世代(神武天皇〜武烈天皇)
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歴史における三世代(奈良時代)
歴史における三世代(平安時代)
歴史における三世代(鎌倉時代)
歴史における三世代(南北朝・室町時代)
歴史における三世代(織豊時代)

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参考文献
「一目でわかる江戸時代」竹内誠監修、市川寛明編 小学館
「徳川将軍家十五代のカルテ」篠田達明 新潮新書
「江戸のお金の物語」鈴木浩三 日経プレミアシリーズ
「将軍と側用人の政治」大石慎三郎 講談社現代新書
「江戸文化評判記」中野三敏 中公新書
「公方様の話」三田村鳶魚著、朝倉治彦編 中公文庫
「孝明天皇と「一会桑」 −幕末維新の新視点」家近良樹 文春新書
「鳥羽伏見の戦い」野口武彦 中公新書
「徳川家が見た幕末維新」徳川宗英 文春新書
「昔夢会筆記」大久保利謙 東洋文庫
「日本史小事典」坂本太郎 山川出版社

2011.4.8 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp