歴史における三世代(平安時代)

江戸時代の有名な川柳に「売家と唐様に書く三代目」というのがあります。一代目が苦労して始めた商売を二代目が発展させ三代目が潰してしまう。唐様に「売家」と書いてある貼紙に三代目の趣味と教養が偲ばれるというお話です。
歴史上の政権にも同じようなことが言えるのではないかと思います。政権の第一世代が建設した新体制を第二世代が発展させますが、第三世代が潰してしまう。そんな傾向があるように思います。
今回は平安時代の歴史を検証してみたいと思います。ただし、平安時代は約400年続いていますので六期に分けてみました。

平安時代 第一期 天皇親政(770〜858)

第一世代(770〜806) 建設期

平安時代第一期は平安京を建設した桓武天皇を事実上の第一世代として設定しています。
光仁天皇(709〜781)在位(770〜781)天智天皇の孫
前代の称徳天皇が亡くなると天武天皇系の皇統はなくなり、天智天皇の孫である光仁天皇が即位しました。天皇は、すぐに、問題を起こした道鏡の追放をおこなっています。
密告により、呪詛があったとして皇后・井上内親王と皇太子・他戸親王を追放する事件が起きました。背景には藤原良継ら藤原氏の陰謀があったとも言われています。なお、祟りを恐れたのか、後に井上内親王の墓を改葬しています。
年表
 770道鏡流罪
 772井上内親王と他戸親王を追放
 777井上内親王を改葬
主要人物
 藤原永手 (714〜771)左大臣
 藤原良継 (716〜777)内臣
 井上内親王(717〜775)皇后(廃皇)、聖武天皇の娘
 他戸親王 (761〜775)皇太子(廃太子)
 高野新笠 ( ? 〜790)夫人、桓武天皇の母
 施基皇子 ( ? 〜716)天智天皇の子、光仁天皇の父
桓武天皇(737〜806)在位(781〜806)光仁天皇の子
天皇は即位すると長岡京に遷都しましたが、間もなく平安京を建設し移っています。皇太子・早良親王が藤原種継暗殺事件に関与したとして流罪となり憤死しましたが、その怨霊の祟りを恐れて遷都したとも言われています。早良親王は鎮魂のため祟道天皇と追号されています。
桓武天皇は平安京の建設とともに蝦夷地の平定もおこなっています。
年表
 784長岡京
 785早良親王配流
 788延暦寺創建
 794平安京
 797坂上田村麻呂征夷大将軍
 800早良親王を崇道天皇と追号
 805最澄帰朝
主要人物
 早良親王 (750〜785)皇太子(廃太子)、光仁天皇の子
 藤原乙牟漏(760〜790)皇后、平城・嵯峨天皇の母、藤原良継の娘
 藤原旅子 ( ? 〜 ? )夫人、淳和天皇の母
第二世代(806〜833)継承期
平城天皇(774〜824)在位(806〜809)桓武天皇の子
平城天皇の在位は4年と短く、病気のため弟の嵯峨天皇に譲位しています。
年表
 806空海帰朝
 807伊予親王の変
主要人物
 藤原内麻呂(756〜812)右大臣
嵯峨天皇(809〜842)在位(809〜823)桓武天皇の子
病気の治った平城上皇は平城京に戻り嵯峨天皇と対立します。平城上皇の寵愛をうけた藤原薬子と藤原仲成は、平城上皇の復権を狙い挙兵しますが坂上田村麻呂に制圧されています。
嵯峨天皇には子女が多くおり、財政上の理由から彼らの臣籍降下を行っています。この子孫は嵯峨源氏と呼ばれています。また、桓武天皇の子孫も、この頃に臣籍降下して桓武平氏となったようです。
この時代に藤原冬嗣の子・良房は嵯峨天皇の皇女・源潔姫を正夫人に迎えています。異例のことでした。藤原良房・源潔姫の娘の藤原明子は後に文徳天皇の女御となり清和天皇を産んでいます。
年表
 810薬子の乱
 812検非違使設置
 820弘仁格式施行
主要人物
 平城上皇 (809〜824)
 藤原冬嗣 (775〜826)右大臣、藤原内麻呂の子
 源 潔姫 (810〜856)嵯峨天皇皇女、藤原良房正夫人
 藤原薬子 ( ? 〜810)女官(尚侍)
 藤原仲成 (774〜810)藤原薬子の兄
 橘嘉智子 (786〜850)皇后、仁明天皇の母、橘奈良麻呂の孫
淳和天皇(786〜840)在位(823〜833)桓武天皇の子
淳和天皇は上総・常陸・上野三国を親王任国とし皇室財政の健全化に努めています。
年表
 826上総・常陸・上野三国を親王任国とする
主要人物
 嵯峨上皇 (809〜842)
 藤原冬嗣 (775〜826)左大臣、藤原内麻呂の子
 正子内親王(810〜879)皇后、恒貞親王の母、嵯峨天皇の皇女
第三世代(833〜850)混乱期
仁明天皇(810〜850)在位(833〜850)嵯峨天皇の子
実力者の嵯峨上皇が亡くなると承和の変が起きました。藤原良房による恒貞親王派の排除だと言われています。この変の後、藤原良房の妹の藤原順子(仁明天皇女御)の息子である道康親王(後の文徳天皇)が皇太子になっています。 次第に藤原良房が台頭し始め、政権への影響を強めています。
年表
 842承和の変、恒貞親王廃太子
主要人物
 嵯峨上皇 (809〜842)
 淳和上皇 (786〜840)
 藤原良房 (804〜872)右大臣、藤原冬嗣の子
 藤原順子 (809〜871)女御、文徳天皇の母、藤原冬嗣の子
 恒貞親王 (825〜884)皇太子(廃太子)、淳和天皇の子
第四世代(850〜858)移行期
文徳天皇(827〜858)在位(850〜858)仁明天皇の子
文徳天皇は第一皇子の惟喬親王を皇太子にしたかったようですが、藤原良房に遠慮して幼い惟仁親王(藤原良房の孫、後の清和天皇)を皇太子にしています。
文徳天皇は32歳で、突然の病で亡くなっていますが藤原良房の暗殺という説もあります。
主要人物
 藤原良房 (804〜872)太政大臣、藤原冬嗣の子
 藤原明子 (829〜900)女御、清和天皇の母、藤原良房の娘
 惟喬親王 (844〜897)第一皇子、母は紀静子

平安時代 第二期 摂関政治@(858〜930)

藤原氏による摂関政治の時代です。以下の世代は天皇ではなく藤原氏で区分しています。

第一世代(858〜876)建設期(藤原良房)
清和天皇(850〜880)在位(858〜876)文徳天皇の子

清和天皇は9歳で即位しました。実際の政務は外祖父の藤原良房が執っていました。応天門の放火事件では結果的に藤原良房の権勢を強めることになったようです。
天皇は27歳で息子に譲位し出家しています。なお、清和天皇は清和源氏の祖です。
年表
 866応天門の変
 873臣籍降下(清和源氏)
主要人物
 藤原良房 (804〜872)摂政、藤原冬嗣の子
 藤原長良 (802〜856)藤原冬嗣の子、藤原高子の父
 藤原高子 (842〜910)女御、陽成天皇の母、藤原長良の娘
 源 信  (810〜869)左大臣、嵯峨天皇の子
 藤原基経 (836〜891)右大臣、藤原長良の子
第二世代(876〜897)発展期〜後退期(藤原基経)
陽成天皇(868〜949)在位(876〜884)清和天皇の子
陽成天皇は8歳で即位し16歳で譲位しています。暴君であったため藤原基経によって譲位させられたと言われています。ただし、天皇は81歳まで長生きしたようです。
主要人物
 藤原基経 (836〜891)摂政、太政大臣、藤原長良の子
光孝天皇(830〜887)在位(884〜887)仁明天皇の子
陽成天皇には適当な後継ぎがなく、55歳の光孝天皇がかつぎ出されています。藤原基経による選択だと言われています。
主要人物
 藤原基経 (836〜891)関白太政大臣
 藤原沢子 ( ? 〜 ? )光孝天皇の母、藤原総継の子
宇多天皇(867〜931)在位(887〜897)光孝天皇の子
光孝天皇が亡くなると息子の宇多天皇が即位しています。宇多天皇は関白・藤原基経との確執があったようです。藤原基経が亡くなると摂関を置かずに天皇親政を行っています。(寛平の治)。天皇側の反攻です。
年表
 888仁和寺建立
 891寛平の治
 894遣唐使廃止
主要人物
 藤原基経 (836〜891)関白太政大臣
 源 能有 (845〜897)右大臣
 藤原胤子 ( ? 〜896)女御、醍醐天皇の母、藤原冬嗣曾孫
第三世代(897〜930)混乱期(藤原時平)
醍醐天皇(885〜930)在位(897〜930)宇多天皇の子
宇多上皇と醍醐天皇は菅原道真を登用し藤原氏とのバランスを取りました。この天皇親政の時代は「延喜の治」と呼ばれています。
しかし、菅原道真が藤原時平によって左遷され大宰府で亡くなります。そして、その後間もなく菅原道真左遷の張本人の藤原時平も亡くなってしまいます。 この頃、落雷による被害が多く発生し、疫病が流行したため菅原道真の祟りと恐れられました。
藤原時平の亡き後は藤原忠平が台頭してきます。
年表
 901菅原道真左遷
主要人物
 宇多上皇 (867〜931)
 藤原時平 (871〜909)左大臣、藤原基経の子
 菅原道真 (845〜903)右大臣
 藤原忠平 (880〜949)左大臣、藤原基経の子
 藤原穏子 (885〜954)中宮、朱雀・村上天皇の母、藤原基経の娘

平安時代 第三期 摂関政治A(930〜1011)

第一世代(930〜946) 復興期(藤原忠平)
朱雀天皇(923〜952)在位(930〜946)醍醐天皇の子

醍醐天皇が亡くなると息子の朱雀天皇が8歳で即位しました。摂政は藤原忠平です。40年来途絶えていた摂関政治が戻ってきました。
平将門の乱と藤原純友の乱(承平・天慶の乱)が起こり、政治的には波乱のあった時代でした。
年表
 935平将門の乱
 939藤原純友の乱
主要人物
 藤原忠平 (880〜949)摂政、太政大臣、藤原基経の子
第二世代(946〜969)発展期(藤原実頼、藤原師輔)
村上天皇(926〜967)在位(946〜967)醍醐天皇の子
村上天皇が即位して間もなく、関白の藤原忠平が亡くなり、その後は天皇親政の時代となりました(天暦の治)。しかし、実権は藤原実頼、藤原師輔にあったとも言われています。
主要人物
 藤原忠平 (880〜949)関白、藤原基経の子
 藤原実頼 (900〜970)左大臣、藤原忠平の子
 藤原師輔 (909〜960)左大臣、藤原忠平の子
冷泉天皇(950〜1011)在位(967〜969)村上天皇の子
冷泉天皇が即位して間もなく起きた「安和の変」で藤原氏の反対勢力であった源高明が排除されると、藤原氏の基盤が強固になっていきます。
病弱な天皇は即位して間もなく弟の円融天皇に譲位しています。
年表
 969安和の変
主要人物
 藤原実頼 (900〜970)関白、藤原忠平の子
 源 高明 (914〜983)左大臣、安和の変で失脚
 藤原師尹 (920〜969)左大臣、藤原忠平の子
 藤原懐子 (945〜975)女御、花山天皇の母、藤原伊尹の娘
 藤原超子 (954〜982)女御、三条天皇の母、藤原兼家の娘
第三世代(969〜986)混乱期(藤原伊尹、藤原兼通、藤原兼家)
円融天皇(959〜991)在位(969〜984)村上天皇の子
円融天皇は11歳で即位しました。摂政は藤原伊尹です。この時代には藤原家の内部対立があったようです。藤原兼通と藤原兼家の兄弟の争いです。
主要人物
 藤原伊尹 (924〜 972)摂政、太政大臣、藤原師輔の子
 藤原兼通 (925〜 977)関白太政大臣、藤原師輔の子
 藤原兼家 (929〜 990)右大臣、藤原師輔の子
 藤原頼忠 (924〜 989)関白太政大臣、藤原実頼の子
 藤原詮子 (962〜1002)女御、一条天皇の母、藤原兼家の娘
花山天皇(968〜1008)在位(984〜986)冷泉天皇の子
花山天皇は17歳で即位しましたが、2年ほどで出家し譲位しています。藤原兼家に騙されたとも言われています。
主要人物
 藤原頼忠 (924〜 989)関白太政大臣、藤原実頼の子
 藤原兼家 (929〜 990)右大臣、藤原師輔の子
第四世代(986〜1011)後退期(藤原兼家、藤原道隆、藤原道兼)
一条天皇(980〜1011)在位(986〜1011)円融天皇の子
一条天皇は7歳で即位しています。摂政、関白を勤めた藤原兼家、藤原道隆、藤原道兼が相次いで亡くなったため、天皇の25年の治世の後半は摂政・関白を置かない政治を行っています。
この時代には文化・文芸が盛んになりました。皇后・藤原定子サロンでは清少納言、中宮・藤原彰子サロンでは紫式部が活躍した時代です。
主要人物
 藤原兼家 (929〜 990)摂政、太政大臣、藤原師輔の子
 藤原道隆 (953〜 995)摂政、太政大臣、藤原兼家の子
 藤原道兼 (961〜 995)関白、藤原兼家の子
 藤原道長 (966〜1028)左大臣、藤原兼家の子
 藤原定子 (977〜1001)皇后、藤原道隆の娘
 藤原彰子 (988〜1074)中宮、後一条・後朱雀天皇の母、
               藤原道長の娘

平安時代 第四期 摂関政治B(1011〜1086)

第一世代(1011〜1036) 復興期〜全盛期(藤原道長)
三条天皇(976〜1017)在位(1011〜1016)冷泉天皇の子

一条天皇が亡くなると冷泉天皇の子である三条天皇が36歳で即位しました。政権は藤原道長によって運営されています。
主要人物
 藤原道長 (966〜1028)左大臣、藤原兼家の子
 藤原妍子 (994〜1027)中宮、禎子内親王の母、藤原道長の娘
後一条天皇(1008〜1036)在位(1016〜1036)一条天皇の子
後一条天皇は8歳で即位しています。政権は藤原道長と、その子の藤原頼通によって運営されています。藤原氏の全盛期です。
なお、この時代に関東で平忠常の乱が起きていますが、源頼信によって平定されています。これにより清和源氏が東国で勢力を伸ばしたようです。
年表
 1028平忠常の乱
主要人物
 藤原道長 (966〜1028)摂政、太政大臣、藤原兼家の子
 藤原頼通 (992〜1074)摂政、関白、藤原道長の子
 藤原威子(1000〜1036)中宮、藤原道長の子
 源 頼信 (968〜1048)源氏の武将
第二世代(1036〜1072) 継承期(藤原頼通、藤原教通)
後朱雀天皇(1009〜1045)在位(1036〜1045)一条天皇の子
後一条天皇の後は弟の後朱雀天皇が即位しました。政権は関白・藤原頼通が担当し藤原氏の全盛期が続いています。
主要人物
 藤原頼通 ( 992〜1074)関白、藤原道長の子
 藤原嬉子 (1007〜1025)中宮、後冷泉天皇の母、藤原道長の娘
 禎子内親王(1013〜1094)皇后、後三条天皇の母、藤原道長の孫
後冷泉天皇(1025〜1068)在位(1045〜1068)後朱雀天皇の子
後朱雀天皇が亡くなると息子の後冷泉天皇が21歳で即位しました。政権は相変わらず藤原頼通が執っています。
この時代には末法思想が拡がり、東北で前九年の役が起きています。
年表
 1051前九年の役
主要人物
 藤原頼通 ( 992〜1074)関白、藤原道長の子
 藤原教通 ( 996〜1075)左大臣、藤原道長の子
 源 頼義 ( 988〜1075)源頼信の子、前九年の役に参加
後三条天皇(1034〜1073)在位(1068〜1072)後朱雀天皇の子
後冷泉天皇の後には、後三条天皇が34歳で即位しましたが、病気のため4年ほどで退位しています。
なお、関白の藤原教通は天皇との外戚関係はありませんでした。この後も藤原道長の直系の子孫が摂政、関白を継ぎますが、天皇との血縁関係は次第になくなっていきます。同時に権力もなくなっていきます。
主要人物
 藤原教通 ( 996〜1075)関白、藤原道長の子
 藤原茂子 (  ? 〜1062)女御、白河天皇の母、藤原公成の娘
第三世代(1072〜1086) 後退期(藤原教通、藤原師実)
白河天皇(1053〜1129)在位(1072〜1086)後三条天皇の子
白河天皇は、藤原氏の実力者である藤原頼道、藤原教通が亡くなると積極的に政務に関わります。この後、息子の堀河天皇に譲位すると上皇として院政を実施しました。
年表
 1083後三年の役
主要人物
 藤原教通 ( 996〜1075)関白、藤原道長の子
 藤原師実 (1042〜1101)関白、藤原頼通の子
 源 顕房 (1037〜1094)右大臣
 藤原賢子 (1057〜1084)皇后、堀河天皇の母、源顕房の娘

平安時代 第五期 院政(1086〜1165)

第一世代(1086〜1123) 復興期(白河上皇)
堀河天皇(1079〜1107)在位(1086〜1107)白河天皇の子

堀河天皇は8歳で即位し摂政には藤原師実が就きましたが、実権は白河上皇が握っていました。
この代になって後三年の役が終息しました。この戦いで源氏の東国での基盤が固まったと言われています。
主要人物
 白河上皇 (1053〜1129)院政
 藤原師実 (1042〜1101)摂政、関白、藤原頼通の子
 藤原師通 (1062〜1099)関白、藤原師実の子
 藤原忠実 (1078〜1162)関白、藤原師実の子
 藤原苡子 (1076〜1103)女御、鳥羽天皇の母、藤原実季の子
 源 義家 (1039〜1106)源頼義の子、後三年の役の勝利者
鳥羽天皇(1103〜1156)在位(1107〜1123)堀河天皇の子
堀河天皇が亡くなると息子の鳥羽天皇が4歳で即位しています。この時代も白河上皇の院政が続いています。
主要人物
 白河上皇 (1053〜1129)院政
 藤原忠実 (1078〜1162)摂政、関白、藤原師実の子
 藤原忠通 (1097〜1164)関白、藤原忠実の子
 藤原璋子 (1101〜1145)皇后、崇徳・後白河天皇の母、
                藤原公実の娘
 藤原得子 (1117〜1160)皇后、近衛天皇の母、藤原長実の娘
第二世代(1123〜1141) 継承期(鳥羽上皇)
崇徳天皇(1119〜1164)在位(1123〜1141)鳥羽天皇の子
鳥羽天皇は息子で5歳の崇徳天皇に譲位しました。白河上皇の意向だと言われています。
白河上皇が亡くなると鳥羽上皇がその後を継ぎ院政を行っています。
主要人物
 白河上皇 (1053〜1129)院政
 鳥羽上皇 (1103〜1156)院政
 藤原忠通 (1097〜1164)摂政、関白、藤原忠実の子
近衛天皇(1139〜1155)在位(1141〜1155)鳥羽天皇の子
崇徳天皇も、わずか3歳の近衛天皇に譲位しています。鳥羽上皇が寵愛する藤原得子(美福門院)の息子の近衛天皇を即位させたのだと言われています。もちろん、政務は鳥羽上皇が執っていました。
主要人物
 鳥羽上皇 (1103〜1156)院政
 藤原忠通 (1097〜1164)摂政、関白、藤原忠実の子
 藤原頼長 (1120〜1156)左大臣、藤原忠実の子
第三世代(1155〜1165) 動乱期(崇徳上皇、後白河上皇)
後白河天皇(1127〜1192)在位(1155〜1158)鳥羽天皇の子
近衛天皇が17歳で亡くなると後を継いだのは後白河天皇でした。この皇位継承に不満を持った崇徳上皇は蜂起し保元の乱を起こしますが、後白河天皇側に破れ流罪となっています。崇徳・後白河の兄弟の争いでした。
保元の乱では崇徳上皇側の藤原頼長が戦死、源為義が処刑、源為朝が流罪となりました。勝利した後白河天皇側の武将は平清盛、源義朝などです。
年表
 1156保元の乱
 1156崇徳上皇配流
主要人物
 崇徳上皇 (1119〜1164)院政
 藤原頼長 (1120〜1156)左大臣、藤原忠実の子
 藤原忠通 (1097〜1164)関白、藤原忠実の子
 信西   (1106〜1159)藤原道憲、後白河天皇の側近
 平 清盛 (1118〜1181)平氏の棟梁
 源 為義 (1096〜1156)源義家の養子
 源 義朝 (1123〜1160)源為義の子
 源 為朝 (1139〜1170)源為義の子
 藤原懿子 (1116〜1143)女御、二条天皇の母、藤原経実の娘
 平 滋子 (1142〜1176)女御、高倉天皇の母、平時信の娘
二条天皇(1143〜1165)在位(1158〜1165)後白河天皇の子
後白河天皇は息子の二条天皇に譲位し、上皇として君臨しました。
保元の乱の後、上皇の側近の信西と藤原信頼の対立により平治の乱が起きます。この乱で信西は殺されますが信西側の平清盛が勝利します。敗れた藤原信頼は処刑され、落ち延びた源義朝は暗殺されています。また、合戦に参加した源頼朝は伊豆に流罪となっています。
この乱の後、後白河上皇は力をつけた平氏との協調に苦労することになります。
年表
 1159平治の乱
主要人物
 後白河上皇(1127〜1192)院政
 藤原基実 (1143〜1166)関白、藤原忠通の子
 信西   (1106〜1159)藤原道憲、後白河上皇の側近
 藤原信頼 (1133〜1159)後白河上皇の側近
 平 清盛 (1118〜1181)平氏の棟梁
 源 義朝 (1123〜1160)源為義の子
 源 頼朝 (1147〜1199)源義朝の子

平安時代 第六期 武家政権移行期(1165〜1192)
六条天皇(1164〜1176)在位(1165〜1168)二条天皇の子

二条天皇は病気のため23歳で亡くなり息子の六条天皇に譲位しました。
しかし、六条天皇は2歳で即位、5歳で退位しています。
主要人物
 後白河上皇(1127〜1192)院政
 藤原基実 (1143〜1166)摂政、藤原忠通の子
 藤原基房 (1145〜1231)摂政、藤原忠通の子
 平 清盛 (1118〜1181)太政大臣
高倉天皇(1161〜1181)在位(1168〜1180)後白河天皇の子
六条天皇の後継は8歳の高倉天皇です。父は後白河天皇、母は平氏の平滋子です。この天皇の即位は平清盛の意向でしょうか?
この時期に、鹿ケ谷の政変で後白河上皇と平清盛の対立が表面化します。そして、治承三年の政変で、平清盛は武力で後白河院政を止めさせ安徳天皇を即位させています。
年表
 1177鹿ケ谷の政変
 1179治承三年の政変
主要人物
 後白河上皇(1127〜1192)院政
 藤原基房 (1145〜1231)摂政、関白、藤原忠通の子
 藤原基通 (1160〜1233)関白、藤原基実の子
 藤原師長 (1138〜1192)左大臣、藤原頼長の子
 平 清盛 (1118〜1181)太政大臣
 平 徳子 (1155〜1214)皇后、安徳天皇の母、平清盛の娘
 藤原殖子 (1157〜1228)后妃、後鳥羽天皇の母、藤原信隆の娘
安徳天皇(1178〜1185)在位(1180〜1185)高倉天皇の子
安徳天皇は3歳で即位しました。母は平清盛の娘・平徳子(建礼門院)です。
この頃、以仁王が平氏追討の令旨を出しています。源氏が挙兵し、源平の戦いになり、平氏は壇ノ浦の合戦で滅亡します。
年表
 1180源頼朝挙兵
 1185平家滅亡
主要人物
 高倉上皇 (1161〜1181)院政
 藤原基通 (1160〜1233)摂政、藤原基実の子
 以仁王  (1151〜1180)後白河天皇の子
 源 頼朝 (1147〜1199)源義朝の子、源氏の棟梁
後鳥羽天皇(1180〜1239)在位(1183〜1198)高倉天皇の子
源氏に追われ平氏が都落ちすると、後白河上皇の意向で後鳥羽天皇が即位します。しかし、この後は源氏による鎌倉幕府の天下となります。
年表
 1192鎌倉幕府
主要人物
 後白河上皇(1127〜1192)院政
 藤原基通 (1160〜1233)摂政、藤原基実の子
 藤原師家 (1172〜1238)摂政、藤原基房の子

歴史における三世代(江戸時代)
歴史における三世代(明治〜現代)
歴史における三世代(神武天皇〜武烈天皇)
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歴史における三世代(鎌倉時代)
歴史における三世代(南北朝・室町時代)
歴史における三世代(織豊時代)

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参考文献
「続日本紀」直木孝次郎他訳注 東洋文庫
「大鏡」松村博司校注 岩波文庫
「神皇正統記」岩佐正校注 岩波文庫
「別冊歴史読本 歴代天皇・皇后総覧」新人物往来社
「別冊歴史読本 日本歴史「古記録」総覧」新人物往来社
「藤原氏千年」朧谷寿 講談社現代新書
「絵で知る日本史 保元合戦図屏風」集英社
「絵で知る日本史 平治合戦図屏風」集英社
「絵で知る日本史 前九年合戦絵詞・後三年合戦絵詞」集英社
「絵で知る日本史 木曽義仲合戦図屏風」集英社
「日本史小事典」坂本太郎 山川出版社

2011.5.10 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp