歴史における三世代(鎌倉時代)

江戸時代の有名な川柳に「売家と唐様に書く三代目」というのがあります。一代目が苦労して始めた商売を二代目が発展させ三代目が潰してしまう。唐様に「売家」と書いてある貼紙に三代目の趣味と教養が偲ばれるというお話です。
歴史上の政権にも同じようなことが言えるのではないかと思います。政権の第一世代が建設した新体制を第二世代が発展させますが、第三世代が潰してしまう。そんな傾向があるように思います。
今回は鎌倉時代の歴史を検証してみたいと思います。

鎌倉時代 前期(1192〜1268)

第一世代(1192〜1224)建設期(源頼朝、北条政子、北条義時)

源 頼朝(1147〜1199)将軍在位(1192〜1199)源義朝の子
源 頼家(1182〜1204)将軍在位(1202〜1203)源頼朝の子
源 実朝(1192〜1219)将軍在位(1203〜1219)源頼朝の子
北条時政(1138〜1215)執権在位(1203〜1205)北条政子の父
北条義時(1163〜1224)執権在位(1205〜1224)北条時政の子
源頼朝は平氏を滅ぼし、弟の義経を追放し、鎌倉に新政権を作りました。しかし、頼朝は征夷大将軍に就任して7年ほどで亡くなります。
頼朝の後を継いで第二代将軍になった頼家ですが病気のせいもあり将軍の地位を追われ、実朝が第三代将軍に就任します。若い頼家はまわりからの信頼はあまりなく実権は頼朝の妻の北条政子や執権の北条時政にあったようです。
しかし、北条時政も新将軍擁立の陰謀が発覚し、子供の北条政子や北条義時などによって追放されてしまいます。これ以降は北条政子と北条義時によって政権は運営されました。
第三代将軍の源実朝が甥の公暁によって暗殺された後、後鳥羽上皇らによって討幕の挙兵が行われますが、北条政子と北条義時の鎌倉幕府によって制圧され関与した三上皇は流罪となりました。この承久の乱により鎌倉幕府の執権政治は確立したようです。
年表
 1189源義経、衣川で自殺
 1189奥州藤原氏滅亡
 1190源頼朝、上京
 1191公文所を政所と改める
 1192源頼朝、征夷大将軍
 1201建仁の乱
 1202源頼家、征夷大将軍
 1203源実朝、征夷大将軍(11歳)
 1205北条時政失脚
 1213和田義盛挙兵
 1219源公暁、源実朝を暗殺
 1221承久の乱、三上皇流罪
主要人物
 北条政子 (1157〜1225)源頼朝の妻
 源 公暁 (1200〜1219)源頼家の子
 後鳥羽上皇(1180〜1239)隠岐に配流
 土御門上皇(1195〜1231)土佐に配流
 順徳上皇 (1197〜1242)佐渡に配流
第二世代(1224〜1242)継承期(北条泰時)
藤原頼経(1218〜1256)将軍在位(1226〜1244)公家
北条泰時(1183〜1242)執権在位(1224〜1242)北条義時の子
北条泰時が執権に就任して間もなく、実力者の北条義時、北条政子が相次いで亡くなりました。
北条泰時は鎌倉幕府の法律として御成敗式目を制定しています。これ以降、室町幕府においても長く効力をもった基本法典です。
年表
 1226藤原頼経、征夷大将軍
 1232御成敗式目
第三世代(1242〜1268)中継期(北条時頼)
藤原頼嗣(1239〜1256)将軍在位(1244〜1252)藤原頼経の子
宗尊親王(1242〜1274)将軍在位(1252〜1266)後嵯峨天皇の子
守邦親王(1301〜1333)将軍在位(1308〜1333)久明親王の子
北条経時(1224〜1246)執権在位(1242〜1246)北条泰時の孫
北条時頼(1227〜1263)執権在位(1246〜1256)北条泰時の孫
北条長時(1230〜1264)執権在位(1256〜1264)北条義時の孫
北条政村(1205〜1273)執権在位(1264〜1268)北条義時の子
執権の北条泰時が病気のため亡くなると、その子の北条時氏はすでに早世していたため、孫の北条経時、北条時頼が後を継ぎました。
北条時頼が執権に就任した頃に名越氏や三浦氏の乱が起きていますが、幕府によって平定されています。
時頼は執権職を北条長時に譲って出家しますが、実権は握っていたと言われています。北条長時の後を継ついだ北条政村は幼い北条時宗の中継ぎとして執権に就任したようです。
年表
 1246名越光時の乱(宮騒動)
 1247三浦氏の乱(宝治合戦)
 1252宗尊親王、征夷大将軍
 1253日蓮、日蓮宗を始める
 1253建長寺創建
 1261日蓮流罪
 1261親鸞没
主要人物
 名越光時 ( ?  〜 ?  )北条義時の孫、名越流北条氏
 三浦光村 (1205〜1247)幕府御家人

鎌倉時代 後期(1268〜1333)

第一世代(1268〜1284)興盛期(北条時宗)
惟康親王(1264〜1326)将軍在位(1266〜1289)宗尊親王の子
北条時宗(1251〜1284)執権在位(1268〜1284)北条時頼の子

北条時宗が若くして執権に就任した頃、蒙古からの国書が到来します。元寇の始まりです。しかし蒙古の2度の襲来も運よく撃退できました。
この蒙古襲来により鎌倉幕府の支配体制はより強固になったようです。また、この頃、名越氏の謀反が発覚し北条時宗によって討伐されています(二月騒動)。この事件で北条時宗の対抗勢力が一掃され、北条氏嫡流としての時宗の権力がより強化されたようです。
年表
 1268高麗国の使節、蒙古の国書を持って来訪
 1271蒙古の使者・趙良弼来訪
 1272二月騒動
 1273蒙古の使者・趙良弼帰国
 1274文永の役
 1276一遍、時宗を始める
 1279北条時宗、フビライの使者を殺害
 1281弘安の役
主要人物
 名越時章 (1215〜1272)北条義時の孫、名越流北条氏
 名越教時 (1235〜1272)北条義時の孫、名越流北条氏
第二世代(1284〜1311)継承期(北条貞時)
久明親王(1276〜1328)将軍在位(1289〜1308)後深草天皇の子
北条貞時(1272〜1311)執権在位(1284〜1301)北条時宗の子
北条師時(1275〜1311)執権在位(1301〜1311)北条時頼の孫
北条時宗が亡くなった後、その子の北条貞時が12歳で執権を継ぎました。
この時期にも幕府内の勢力争い(霜月騒動)がありました。これにより安達泰盛が滅ぼされ平頼綱が実権を握りました。しかし、その後に起きた平禅門の乱で平頼綱は執権の北条貞時によって滅ぼされています。
北条貞時は、息子の北条高時の成人までの中継ぎとして北条師時を執権に就けますが、師時は貞時とほぼ同時に亡くなってしまいます。
年表
 1285霜月騒動
 1293鎮西探題設置
 1293平禅門の乱
 1305北条宗方の乱
主要人物
 安達泰盛 (1231〜1285)御家人、北条時宗の舅・義兄
 平 頼綱 ( ?  〜1293)内管領
 北条宗方 (1278〜1305)北条時宗の甥
第三世代(1311〜1333)滅亡期(北条高時)
守邦親王(1301〜1333)将軍在位(1308〜1333)久明親王の子
北条宗宣(1259〜1312)執権在位(1311〜1312)北条時政の子孫
北条煕時(1279〜1315)執権在位(1312〜1315)北条政村の曾孫
北条基時(1286〜1333)執権在位(1315〜1316)北条義時の玄孫
北条高時(1303〜1333)執権在位(1316〜1326)北条貞時の子
北条貞顕(1278〜1333)執権在位(1326〜1326)北条義時の玄孫
北条守時(1295〜1333)執権在位(1326〜1333)北条長時の玄孫
北条貞時の息子の北条高時が13歳で執権に就くまでは、中継ぎの執権が就任しています。
北条高時が執権に就任した頃、朝廷では後醍醐天皇が就任し討幕への動きが起きてきます。1324年の討幕計画は事前に漏れてしまい失敗します(正中の変)。その後、1331年に後醍醐天皇は討幕を計画しますが、天皇は捕らえられ隠岐に流されます(元弘の乱)。それでも討幕の動きが止むことはなく、幕府方だった足利高氏が叛旗を翻すと鎌倉幕府は滅亡してしまいました。執権・北條氏には後醍醐天皇や足利高氏に対抗しうる指導者がいなかったのだと思います。
この後は、後醍醐天皇と足利高氏の争いが始まり、南北朝・室町幕府の時代へと移っていきます。
年表
 1324正中の変 日野資朝、佐渡へ流罪
 1331元弘の乱 護良親王、楠木正成ら挙兵
 1332後醍醐天皇、隠岐に配流
 1332楠木正成、千早城で挙兵
 1333足利高氏、幕府に反旗
 1333鎌倉幕府滅亡
主要人物
 後醍醐天皇(1288〜1339)建武新政の天皇
 護良親王 (1308〜1335)後醍醐天皇の皇子
 日野資朝 (1290〜1332)後醍醐天皇の側近
 楠木正成 ( ?  〜1336)河内国の武将
 新田義貞 (1301〜1338)上野国の武将
 足利高氏 (1305〜1358)室町幕府の初代将軍

参考:鎌倉時代の天皇

鎌倉時代前期

第一世代
後鳥羽天皇(1180〜1239)在位(1183〜1198)
承久の乱(1221)で隠岐に流罪。
第二世代
土御門天皇(1195〜1231)在位(1198〜1210)後鳥羽天皇の子
承久の乱(1221)でみずから望んで土佐に配流。
順徳天皇 (1197〜1242)在位(1210〜1221)後鳥羽天皇の子
承久の乱(1221)で佐渡に流罪。
第三世代
仲恭天皇 (1218〜1234)在位(1221〜1221)順徳天皇の子
承久の乱(1221)のため譲位させられました。
後堀河天皇(1212〜1234)在位(1221〜1232)後白河天皇の曾孫
10歳で即位し20歳で息子に譲位。
第四世代
四条天皇 (1231〜1242)在位(1232〜1242)後堀河天皇の子
2歳で即位、事故が原因で12歳のときに死去。
鎌倉時代後期(両統迭立)
第一世代
後嵯峨天皇(1220〜1272)在位(1242〜1246)土御門天皇の子
23歳で即位しましたが4年ほどで譲位、院政をしいたようです。
後嵯峨天皇の息子達の皇位継承をめぐる争いが持明院統(後深草流)と大覚寺統(亀山流)の対立の発端となりました。
第二世代
後深草天皇(1243〜1304)在位(1246〜1259)後嵯峨天皇の子
4歳で即位。26歳で父の後嵯峨上皇の命で弟に譲位。
亀山天皇 (1249〜1305)在位(1259〜1274)後嵯峨天皇の子
10歳で即位。25歳で息子に譲位。
第三世代
後宇多天皇(1267〜1324)在位(1274〜1287)亀山天皇の子
8歳で即位。亀山上皇の院政。大覚寺統(亀山流)。
伏見天皇 (1265〜1317)在位(1287〜1298)後深草天皇の子
幕府の裁定で持明院統(後深草流)の伏見天皇が即位。天皇親政。
第四世代
後伏見天皇(1288〜1336)在位(1298〜1301)伏見天皇の子
11歳で即位。伏見上皇の院政。3年で譲位。持明院統(後深草流)。
後二条天皇(1285〜1308)在位(1301〜1308)後宇多天皇の子
16歳で即位。大覚寺統(亀山流)。後宇多上皇の院政。病気で死去。
花園天皇 (1297〜1348)在位(1308〜1318)伏見天皇の子
12歳で即位。持明院統(後深草流)。伏見上皇、後伏見上皇の院政。
南北朝時代
第一世代
後醍醐天皇(1288〜1339)在位(1318〜1339)後宇多天皇の子
31歳で即位。大覚寺統(亀山流)。討幕の天皇。南朝方の天皇。
光厳天皇 (1313〜1364)在位(1331〜1333)後伏見天皇の子
幕府により後醍醐天皇が廃立され光厳天皇が即位。北朝側の天皇となりました。 持明院統(後深草流)。

歴史における三世代(江戸時代)
歴史における三世代(明治〜現代)
歴史における三世代(神武天皇〜武烈天皇)
歴史における三世代(継体天皇〜天智天皇)
歴史における三世代(奈良時代)
歴史における三世代(平安時代)
歴史における三世代(南北朝・室町時代)
歴史における三世代(織豊時代)

TopPageに戻る

参考文献
「吾妻鏡」龍粛訳注 岩波文庫
「神皇正統記」岩佐正校注 岩波文庫
「別冊歴史読本 歴代天皇・皇后総覧」新人物往来社
「別冊歴史読本 日本歴史「古記録」総覧」新人物往来社
「日本の歴史7 鎌倉幕府」石井進 中公文庫
「絵で知る日本史 蒙古襲来絵詞」集英社
「日本史小事典」坂本太郎 山川出版社

2011.5.17 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp