歴史における三世代(奈良時代)

江戸時代の有名な川柳に「売家と唐様に書く三代目」というのがあります。一代目が苦労して始めた商売を二代目が発展させ三代目が潰してしまう。唐様に「売家」と書いてある貼紙に三代目の趣味と教養が偲ばれるというお話です。
歴史上の政権にも同じようなことが言えるのではないかと思います。政権の第一世代が建設した新体制を第二世代が発展させますが、第三世代が潰してしまう。そんな傾向があるように思います。
今回は奈良時代の歴史を検証してみたいと思います。

第一世代(673〜697) 建設期

天武天皇( ? 〜686)在位(673〜686)天智天皇の弟
天智天皇が亡くなった翌年に、出家していた弟の大海人皇子(天武天皇)が吉野から伊勢経由で蜂起し近江朝を襲い政権を奪取します。壬申の乱です。天智天皇時代の重臣たちは粛清され一掃されています。そして、天武天皇は大臣をおかずに親政をおこなったようです。
天武天皇は飛鳥浄御原令の詔をだし、八色の姓を定めるなどして律令体制の基礎をつくりました。
なお、天武天皇は天智天皇の娘を多く娶っています。鸕野讃良皇女(天武天皇の皇后、後の持統天皇)、大田皇女、大江皇女、新田部皇女の4人です。また、天武天皇は息子の草壁皇子に天智天皇の娘の阿閇皇女(後の元明天皇)を正妃として迎えています。その他の息子にも天智天皇の娘と結婚させています。高市皇子には御名部皇女、大津皇子には山辺皇女を娶らせています。
年表
 672壬申の乱
 673飛鳥浄御原で即位
 680薬師寺建立
 681飛鳥浄御原令の詔
 683富本銭
 684八色の姓
 685冠位四十八階
主要人物
 鸕野讃良皇女(645〜702)天武天皇の皇后、後の持統天皇
持統天皇(645〜702)称制(686〜690)天武天皇の皇后
持統天皇(645〜702)在位(690〜697)天武天皇の皇后
天武天皇を支えてきた持統天皇は、その遺志を継ぎ律令体制の確立に貢献しました。
天武天皇が亡くなると持統天皇はすぐに即位せず息子の草壁皇子に皇位を継がせるべく努力しています。大津皇子が謀反の疑いで処刑されたのは持統天皇の意向だといわれています。しかし、期待した草壁皇子が亡くなると、今度はその息子の軽皇子(後の文武天皇)に期待をかけ自ら即位し持統天皇となりました。そして、高市皇子が亡くなると持統天皇は軽皇子に譲位しました。
年表
 686大津皇子の謀反
 689飛鳥浄御原令制定
 694藤原京
主要人物
 草壁皇子(662〜689)天武・持統天皇の子
 大津皇子(663〜686)天武・大田皇女の子
 軽皇子 (683〜707)草壁皇子の子、後の文武天皇
 高市皇子(654〜696)太政大臣、天武天皇の長子
第二世代(697〜724)発展期
文武天皇(683〜707)在位(697〜707)草壁皇子の子
文武天皇は両親に続き律令制度の確立を目指し、初めての本格的な法制度である大宝律令を完成させています。
この時代に、娘を天皇に嫁がせた藤原不比等が台頭してきます。
年表
 701大宝律令
主要人物
 持統上皇 (645〜702)
 藤原不比等(659〜720)皇夫人藤原宮子の父、中臣鎌足の子
元明天皇(661〜721)在位(707〜715)草壁皇子妃
病弱な文武天皇が亡くなると後を継いだのは母親の元明天皇(天智天皇の娘の阿閇皇女)でした。文武天皇の息子の首皇子への中継ぎとしての即位です。そして反対勢力の長親王が亡くなると自分の娘で独身の氷高内親王を更なる中継ぎとして即位させています。
この時代には和同開珎が発行され、本格的な奈良の都・平城京に遷都しています。
年表
 708和同開珎
 710平城京遷都
 712古事記
 713風土記
主要人物
 長親王  ( ? 〜715)天武天皇の子
 首皇子  (701〜756)文武天皇の子、後の聖武天皇
 氷高内親王(680〜748)草壁皇子の娘、後の元正天皇
 石上麻呂 (640〜717)左大臣
 藤原不比等(659〜720)右大臣
元正天皇(680〜748)在位(715〜724)草壁皇子の娘
元明天皇の後の元正天皇は無事に中継ぎを勤め、首皇子が成長すると譲位しています。
年表
 720日本書紀
 723三世一身法
主要人物
 元明上皇 (661〜721)
 首皇子  (701〜756)文武天皇の子、後の聖武天皇
第三世代(724〜749)爛熟期
聖武天皇(701〜756)在位(724〜749)文武天皇の子
待望の聖武天皇が即位しました。奈良時代の大事業である大仏の建立に尽力した天皇です。平城京に天平文化が華開いた時代でした。
皇后には藤原不比等の娘・光明子がなり、皇太子には娘の阿部内親王(後の孝謙天皇)がなっています。この二人が残りの奈良時代を担うことになります。
この時代には、いくつかの波乱が起きています。有力な王族であった長屋王が謀反の疑いで自殺に追い込まれました。藤原氏一族の陰謀と言われています。また、藤原広嗣が左遷されたことへの不満から九州で反乱を起こしましたが平定されています。
年表
 724多賀城築城
 729長屋王の変
 730悲田院、施薬院
 740藤原広嗣の乱
 741国分寺、国分尼寺
主要人物
 長屋王   (684〜729)左大臣、天武天皇の孫
 光明子   (701〜760)聖武天皇の皇后、藤原不比等の娘
 橘諸兄   (684〜757)左大臣
 藤原武智麻呂(680〜737)右大臣、藤原不比等の子
 阿部内親王 (718〜770)皇太子、聖武天皇の娘、孝謙天皇
 藤原広嗣  ( ? 〜740)藤原不比等の孫
第四世代(749〜770)混乱期
孝謙天皇(718〜770)在位(749〜758)聖武天皇の娘
孝謙天皇が即位しましたが、皇太后・光明子が自身の家政機関である紫微中台を通して実権を握っていました。また、その紫微中台の長官を藤原仲麻呂が勤めています。
この時代に、道祖王が皇太子を解任され、大炊王が皇太子にされています。この件に関連して、藤原仲麻呂の横暴に反発した橘奈良麻呂の謀反が明らかになり関係者が処罰されました。この事件の後、孝謙天皇は淳仁天皇に譲位しています。
年表
 749紫微中台
 752東大寺大仏
 754鑑真来日
 756正倉院
 757道祖王廃太子
 757橘奈良麻呂の乱
主要人物
 光明子  (701〜760)孝謙天皇の母、藤原不比等の娘
 藤原仲麻呂(706〜764)紫微内相、恵美押勝、藤原不比等の孫
 橘諸兄  (684〜757)左大臣
 藤原豊成 (704〜766)右大臣、藤原不比等の孫
 道祖王  ( ? 〜757)皇太子、天武天皇の孫
 大炊王  (733〜765)皇太子、天武天皇の孫、後の淳仁天皇
 橘奈良麻呂(721〜757)橘諸兄の子
淳仁天皇(733〜765)在位(758〜764)天武天皇の孫
淳仁天皇の代になると藤原仲麻呂は恵美押勝と名前を変え太政大臣となり政権を支配しました。
この頃、病気になった孝謙上皇を看病したことで道鏡が台頭してきます。これに危機感を持った恵美押勝は軍事力で道鏡を排除しようとしますが、恵美押勝の軍は敗北し、恵美押勝も戦死しています。
その後、やはり道鏡の登用に反対していた淳仁天皇は廃帝とされ淡路に流されてしまいました。
年表
 759万葉集
 764恵美押勝の乱
 764淳仁天皇廃帝
主要人物
 孝謙上皇 (718〜770)孝謙天皇、後の称徳天皇
 恵美押勝 (706〜764)太政大臣、藤原仲麻呂、藤原不比等の孫
 藤原豊成 (704〜766)右大臣、藤原不比等の孫
 道鏡   (700〜772)
称徳天皇(718〜770)在位(764〜770)聖武天皇の娘、重祚
淳仁天皇を廃帝とした孝謙上皇は、称徳天皇として再び即位します。
称徳天皇の寵臣の道鏡は宇佐八幡宮の神託を得て天皇位を目指しますが、改めて和気清麻呂が派遣され神託を確認して道鏡の天皇位は否定されました。この後、称徳天皇は和気清麻呂を左遷し大隈国に配流しています。また、称徳天皇が亡くなると道鏡は下野国に下向させられました。
称徳天皇の崩御後は直系の後継がなく、天智天皇の孫にあたる白壁王が光仁天皇として即位することになりました。天武天皇の血筋が絶えてしまったことになります。そして、光仁天皇の息子の桓武天皇により平安京が開かれることになります。
年表
 765僧道鏡太政大臣禅師
 765墾田永年私財法
 769宇佐八幡宮神託事件
 770称徳天皇崩御
 770光仁天皇即位
 770道鏡流罪
主要人物
 道鏡   (700〜772)
 藤原永手 (714〜771)左大臣、藤原不比等の孫、藤原北家
 吉備真備 (695〜775)右大臣
 和気清麻呂(733〜799)
 白壁王  (709〜781)天智天皇の孫、後の光仁天皇

奈良時代の藤原氏について

中臣鎌足は乙巳の変で蘇我入鹿を討つのに功労があったとされるが、疑問になってきました。中大兄皇子の側に付いているだけで具体的な行動が見えてきません。そして、天智天皇(中大兄皇子)の時代、中臣鎌足が亡くなる直前に内大臣に任じられ、大織冠を授けられたとなっていますが唐突で疑問を感じます。内大臣という職があったのかも疑問です。日本書紀の編纂に、当時の実力者である藤原不比等が関わったとすれば、彼による家系の潤色ではないかと思います。おそらく日本史に大きな足跡を残した藤原氏の事実上の祖は鎌足ではなく不比等だと思います。
不比等を一代目として奈良時代の藤原氏を見てみると、やはり三代目の藤原仲麻呂(恵美押勝)は調子に乗り過ぎたのかもしれません。また、三代目の藤原広嗣は乱を起こし死亡しています。でも、一番やりすぎたのは阿部内親王(孝謙・称徳天皇)だと思います。
しかし、藤原氏は滅びることはなく平安時代にさらに絶頂期を迎えます。
一代目
 藤原不比等 (659〜720)右大臣
二代目
 藤原武智麻呂(680〜737)右大臣
 藤原宮子  ( ? 〜754)文武天皇の夫人
 光明子   (701〜760)聖武天皇の皇后
三代目
 藤原広嗣  ( ? 〜740)藤原広嗣の乱で死亡
 藤原豊成  (704〜766)右大臣
 藤原仲麻呂 (706〜764)太政大臣、恵美押勝の乱で死亡
 藤原永手  (714〜771)左大臣
 阿部内親王 (718〜770)孝謙天皇、称徳天皇

歴史における三世代(江戸時代)
歴史における三世代(明治〜現代)
歴史における三世代(神武天皇〜武烈天皇)
歴史における三世代(継体天皇〜天智天皇)
歴史における三世代(平安時代)
歴史における三世代(鎌倉時代)
歴史における三世代(織豊時代)

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参考文献
「日本古典文学大系 日本書紀」坂本太郎他校注 岩波書店
「続日本紀」直木孝次郎他訳注 東洋文庫
「別冊歴史読本 歴代天皇・皇后総覧」新人物往来社
「飛鳥の都」吉川真司 岩波新書
「藤原氏千年」朧谷寿 講談社現代新書
「天智と持統」遠山美都男 講談社現代新書
「天平の三姉妹」遠山美都男 中公新書
「彷徨の王権 聖武天皇」遠山美都男 角川選書
「伊勢神宮の謎を解く」武澤秀一 ちくま新書
「日本史小事典」坂本太郎 山川出版社

2011.5.4 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp