歴史における三世代(織豊時代)

江戸時代の有名な川柳に「売家と唐様に書く三代目」というのがあります。一代目が苦労して始めた商売を二代目が発展させ三代目が潰してしまう。唐様に「売家」と書いてある貼紙に三代目の趣味と教養が偲ばれるというお話です。
歴史上の政権にも同じようなことが言えるのではないかと思います。政権の第一世代が建設した新体制を第二世代が発展させますが、第三世代が潰してしまう。そんな傾向があるように思います。
今回は織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康の権力の変遷を見てみたいと思います。 三者は、血縁関係はないし同じ政権を引き継いだわけではありませんが、織田と豊臣の家系の行く末を見てみたいと思います。
また、織豊時代〜江戸時代の朝廷についても追ってみました。前期、中期、後期と分けましたが、朝廷の思想の変遷が興味深い結果となっています。

織田信長(1534〜1582)政権(1575〜1582)

桶狭間の戦い以降、東海地方の地盤を固めた織田信長は室町幕府の将軍として足利義昭を奉じて上洛します。そして、京都を中心に天下を平定して行きます。
織田信長と将軍足利義昭は対立しますが、信長は姉川の戦いで浅井・朝倉を倒し、さらに信長に反抗する宗教勢力も排除して、最後には将軍足利義昭を追放しています。
そして、長篠の戦いで武田勝頼を破って、織田信長の天下は定まります。織田信長は征夷大将軍に匹敵すると言われる右近衛大将に就任しています。 その後、織田信長は中国・四国方面の攻略を始めますが、その最中に本能寺の変で明智光秀に攻められ長男信忠とともに亡くなってしまいます。
年表
 1560桶狭間の戦い
 1568織田信長上洛
 1568足利義昭将軍就任
 1570姉川の戦い
 1571比叡山焼き討ち
 1573足利義昭追放
 1573武田信玄死去
 1575長篠の戦い
 1575織田信長、右近衛大将
 1576安土城建設
 1577安土楽市
 1578上杉謙信死去
 1582本能寺の変
主要人物
 今川義元(1519〜1560)戦国大名
 織田信忠(1557〜1582)織田信長の長男
 足利義昭(1537〜1597)室町幕府将軍
 武田信玄(1521〜1573)戦国大名
 上杉謙信(1530〜1578)戦国大名
 武田勝頼(1546〜1582)武田信玄の子
 明智光秀(1526〜1582)織田信長家臣
豊臣秀吉(1537〜1598)政権(1585〜1598)
本能寺の変が起きると、備中高松城をせめていた羽柴秀吉は直ぐにとって返し山崎の戦いで明智光秀を倒します。
織田家の後継問題で、織田信孝(信長三男)を推す柴田勝家と織田信忠(信長長男)の子である三法師(織田秀信)を推す羽柴秀吉は対立しますが、明智光秀を討った功労者の秀吉の意見が通ります。秀吉は幼い三法師(織田秀信)の後見人として権力をふるいます。
織田家の後継問題で対立した柴田勝家は織田信孝(信長三男)、滝川一益と連携し羽柴秀吉と戦います。しかし、賤ヶ岳で柴田勝家は羽柴秀吉に負けてしまいます。この戦いの後、羽柴秀吉にたきつれられた織田信雄(信長次男)は織田信孝(信長三男)を攻めています。追い詰められた織田信孝(信長三男)は自害を迫られ切腹しています。
その後に羽柴秀吉と対立したのは織田信雄(信長次男)と徳川家康です。織田信雄(信長次男)と徳川家康の連合軍は小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉側に勝利します。しかし、その後に本拠地の北伊勢を攻められた織田信雄(信長次男)は羽柴秀吉と単独講和を結びます。この講和で戦う理由を失った徳川家康は兵を引かざるを得ませんでした。
結局、織田信雄(信長次男)と徳川家康は羽柴秀吉に屈服することになってしまいます。秀吉の政治力の勝利です。織田信雄(信長次男)は秀吉に臣従することになりますが、その後は、大坂冬の陣の頃には徳川方に転身しています。また、徳川家康は容易に秀吉に臣従しませんでしたが、最終的には秀吉に従い、関東へ国替えを行っています。
対抗勢力を押さえ込んだ羽柴秀吉は関白太政大臣に就任し豊臣姓を賜りました。
秀吉は甥の秀次に関白の座を譲りますが、息子の秀頼が生まれて間もなく甥の秀次は謀反を理由に切腹を命ぜられます。
秀吉は朝鮮攻略の慶長の役の最中に病没します。秀吉は五大老に遺言書を残し、彼らから血判つきの起請文を得て、後のことを頼んで亡くなっています。しかし、秀吉の願いは空しく、この後の政局は秀吉の遺児である秀頼側と、それに対抗する徳川家康側とに二極化します。
年表
 1582山崎の戦い
 1582山城検地
 1583大坂城建設
 1583賤ヶ岳の戦い
 1584小牧・長久手の戦い
 1585豊臣秀吉、関白
 1586豊臣秀吉、太政大臣
 1588刀狩
 1591豊臣秀次、関白
 1592文禄の役
 1594太閤検地
 1595豊臣秀次、切腹
 1597慶長の役
 1598豊臣秀吉死去
主要人物
 織田信雄(1558〜1630)織田信長の次男
 織田信孝(1558〜1583)織田信長の三男
 織田秀信(1580〜1605)織田信長の孫、織田信忠の長男
 柴田勝家( ?  〜1583)織田信長家臣
 滝川一益(1525〜1586)織田信長家臣
 豊臣秀次(1568〜1595)豊臣秀吉の甥、養子
 豊臣秀頼(1593〜1615)豊臣秀吉の次男
徳川家康(1543〜1616)政権(1603〜1616)
慶長の役での戦術をめぐって石田三成らの吏遼派と現地で戦った武功派の対立があり、石田三成襲撃事件が起こります。この対立が後の関ヶ原の合戦に、そのまま持ち込まれることになります。
徳川家康は豊臣秀頼の名において上杉討伐軍を起こすと、石田三成はすかさず挙兵し、関ヶ原で東西両軍の決戦となりました。結果は徳川家康の東軍の大勝利となりました。
天下を取った徳川家康は征夷大将軍になり徳川幕府を開きますが、まもなく息子の徳川秀忠に将軍の座を譲りました。徳川家による将軍世襲への道筋をつけたのです。そして、みずからは大御所として実権を持ちました。
それでも豊臣家は存在しており徳川家にとっては脅威になりかねません。そこで徳川家康は些細なことを理由に大坂城を攻め豊臣家を滅ぼしてしまいます。豊臣秀頼と母親の淀殿は自害して果てています。また、秀頼の幼い息子の国松も捕らえられ斬首されました。家康は徹底して豊臣方を殲滅しました。
なお、三法師と呼ばれた織田信長の孫である織田秀信は関ヶ原で西軍につき、岐阜城に篭城しますが敗北。その後、出家して高野山に入り亡くなったと言われています。織田信長の嫡流は絶えましたが、その他の子孫は江戸時代に大名や旗本になり続いた家系もあります。
年表
 1599石田三成襲撃事件
 1600関ヶ原の戦い
 1603徳川家康、征夷大将軍
 1605徳川秀忠、征夷大将軍
 1614大坂冬の陣
 1615大坂夏の陣
 1616徳川家康死去
主要人物
 石田三成(1560〜1600)豊臣秀吉家臣
 豊臣秀頼(1593〜1615)豊臣秀吉の次男
 国松  (1608〜1615)豊臣秀頼の子
 淀殿  (1567〜1615)豊臣秀頼の母
 千姫  (1597〜1666)豊臣秀頼の正室、徳川秀忠の娘
 徳川秀忠(1579〜1632)徳川家康の三男
 織田秀信(1580〜1605)織田信長の孫、織田信忠の長男

織豊時代〜江戸時代の朝廷

前期(1557〜1663) 武家政権との軋轢
第一世代
正親町天皇 (1517〜1593)在位(1557〜1586)後奈良天皇の子

正親町天皇は積極的に戦国大名の調停などにも関与したようです。織田信長は天皇の綸旨を得て上洛を果たしています。ただし、天皇は織田信長のいいなりにはならず、信長が譲位を要求しても拒否し続けました。天皇が譲位したのは秀吉の時代になってからです。
年表
 1568足利義栄、征夷大将軍
 1568織田信長上洛
 1568足利義昭、征夷大将軍
 1573将軍足利義昭追放
 1582本能寺の変
 1585豊臣秀吉、関白
第二世代
後陽成天皇 (1571〜1817)在位(1586〜1611)正親町天皇の孫
後陽成天皇は、父の誠仁親王が早く亡くなったため、正親町天皇の後を継ぎました。天皇は徳川家康と対立したために譲位したと言われています。
年表
 1592文禄の役
 1597慶長の役
 1598豊臣秀吉死去
 1600関ヶ原の戦い
 1603徳川家康、将軍
 1605徳川秀忠、将軍
第三世代
後水尾天皇 (1596〜1680)在位(1611〜1629)後陽成天皇の子
後水尾天皇は徳川秀忠の娘の和子を中宮(皇后)としています。また、禁中並公家諸法度により朝廷も幕府によって制限を受けるようになりました。
天皇は幕府との軋轢のため譲位したと言われています。譲位後は明正天皇、後光明天皇、後西天皇、霊元天皇の4代に渡って院政を続けたようです。
年表
 1614大坂冬の陣
 1615大坂夏の陣
 1615禁中並公家諸法度
 1616徳川家康死去
 1623徳川家光、将軍
第四世代
明正天皇  (1623〜1696)在位(1629〜1643)後水尾天皇の子
後水尾天皇には皇子がいなかったため、女性である明正天皇が即位しました。母は第二代将軍の徳川秀忠の娘の和子(東福門院)です。もちろん天皇は独身を通しました。
後光明天皇 (1633〜1654)在位(1643〜1654)後水尾天皇の子
後光明天皇は11歳で即位しました。天皇は22歳で痘瘡のため崩御しています。
年表
 1651徳川家綱、将軍
後西天皇  (1637〜1685)在位(1654〜1663)後水尾天皇の子
後西天皇は次の霊元天皇の中継ぎとして即位したようです。

中期(1663〜1747) 幕府との良好な関係
第一世代
霊元天皇  (1654〜1732)在位(1663〜1687)後水尾天皇の子

霊元天皇は七歳で即位しました。息子の東山天皇に譲位後は上皇として院政をしきました。霊元上皇は長く廃絶していた大嘗会を復活させたと言われています。
年表
 1680徳川綱吉、将軍
第二世代
東山天皇  (1675〜1709)在位(1687〜1709)霊元天皇の子
東山天皇は12歳で即位し、35歳で亡くなりましたが、その治世の間は父の霊元上皇が院政をしいていました。この時代は徳川綱吉が皇室を敬ったので朝廷と幕府の関係は良好だったとのことです。
第三世代
中御門天皇 (1701〜1737)在位(1709〜1735)東山天皇の子
中御門天皇は9歳で即位しています。祖父の霊元上皇が院政をしいていたようです。この時代も朝廷と幕府の関係は良好だったようです。
年表
 1709徳川家宣、将軍
 1713徳川家継、将軍
 1716徳川吉宗、将軍
 1716享保の改革
第四世代
桜町天皇  (1720〜1750)在位(1735〜1747)中御門天皇の子
桜町天皇は父の中御門天皇の代に廃絶されていた大嘗会を復活させるなど儀式の再興をおこなったようです。
年表
 1745徳川家重、将軍

後期(1747〜1866) 尊王思想の復活
第一世代
桃園天皇  (1741〜1762)在位(1747〜1762)桜町天皇の子

桃園天皇は側近から神道の進講を受けましたが、その内容が問題だとして中心人物の公家二十数人が処分を受けました(宝暦事件)。皇室の衰退を挽回し幕府の専横を抑えるべきだとの学説が進講されたようです。天皇は22歳で崩御しました。
年表
 1758宝暦事件
 1759徳川家治、将軍
後桜町天皇 (1740〜1813)在位(1762〜1770)桜町天皇の子
次代の後桃園天皇が幼かったため、中継ぎとして即位したのは桃園天皇の姉である後桜町天皇です。明正天皇以来の女帝です。また、最後の女帝でもあります。天皇は独身を通しました。
第二世代
後桃園天皇 (1758〜1779)在位(1770〜1779)桃園天皇の子
後桃園天皇は12歳で即位しましたが、父と同様に22歳で崩御しました。
光格天皇  (1771〜1840)在位(1779〜1817)東山天皇の子孫
後桃園天皇に後継がなかったため光格天皇が即位しました。天皇は父宮に太上天皇の称号を贈ろうとしましたが、幕府はこれに反対し、関係した公家が幕府によって処分されています(尊号一件)。この事件で尊王思想の普及が助長されたとも言われています。
年表
 1786徳川家斉、将軍
 1787寛政の改革
 1792尊号一件
第三世代
仁孝天皇  (1800〜1846)在位(1817〜1846)光格天皇の子
仁孝天皇が即位しましたが、光格上皇が院政をしいていたようです。天皇は、しきたりや儀式の復興に関心を持ち、公家の子弟の教育機関を創設しました。現在の学習院大学は、この学習所を受け継いだとも言われています。
年表
 1836徳川家慶、将軍
 1841天保の改革
第四世代
孝明天皇  (1831〜1866)在位(1846〜1866)仁孝天皇の子
孝明天皇が即位した幕末には尊王思想が広がって来ます。こうした風潮のなかで孝明天皇は自分の意向を通そうとしました。外国人が嫌いな天皇は開国を許さず、幕府に攘夷をあくまで要求しました。そのため、日本国内は攘夷か開国かで混乱が続きます。
孝明天皇は痘瘡で崩御しましたが、その後を明治天皇が継ぎ新しい時代が始まります。
年表
 1853ペリー来航
 1853徳川家定、将軍
 1854日米和親条約
 1858徳川家茂、将軍
 1858日米修好通商条約
 1866徳川慶喜、将軍

歴史における三世代(江戸時代)
歴史における三世代(明治〜現代)
歴史における三世代(神武天皇〜武烈天皇)
歴史における三世代(継体天皇〜天智天皇)
歴史における三世代(奈良時代)
歴史における三世代(平安時代)
歴史における三世代(鎌倉時代)
歴史における三世代(室町時代)

TopPageに戻る

参考文献
「本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意」藤本正行 洋泉社歴史新書
「謎とき本能寺の変」藤田達生 講談社現代新書
「信長と十字架」立花京子 集英社新書
「絵で知る日本史 姉川合戦図屏風」集英社
「絵で知る日本史 洛中洛外図屏風」集英社
「絵で知る日本史 長篠合戦図屏風」集英社
「絵で知る日本史 山崎合戦図屏風」集英社
「絵で知る日本史 賤ヶ岳合戦図屏風」集英社
「絵で知る日本史 小牧長久手合戦図屏風」集英社
「絵で知る日本史 名護屋城図屏風・朝鮮軍陣図屏風」集英社
「絵で知る日本史 関ヶ原合戦図屏風[津軽屏風]」集英社
「絵で知る日本史 関ヶ原合戦図屏風[関ヶ原町本]」集英社
「絵で知る日本史 豊国祭礼図屏風」集英社
「絵で知る日本史 大坂冬の陣図屏風」集英社
「絵で知る日本史 大坂夏の陣図屏風」集英社
「別冊歴史読本 歴代天皇・皇后総覧」新人物往来社
「日本史小事典」坂本太郎 山川出版社

2011.5.30 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp