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怒りのメカニズム
怒りとは、自分への攻撃や自分のテリトリーへの侵害があった場合に生じる感情です。反撃のための生理的な反応だと思います。人間は、怒った後に、相手を罵ったり、場合によっては手を出したりする攻撃に移ります。
怒りの事例
波平とカツオ
アニメ「サザエさん」の一家の長である波平は、今では珍しいかもしれない古典的な父親です。息子のカツオをよく叱っています。叱るという行為は、冷静に行えば注意になりますが、感情的になれば怒るという行為になります。古いタイプの父親である波平の場合は、叱るというより怒ることの方が多いように見えます。 たとえばカツオが試験で悪い成績を取った場合、波平はカツオを怒るかもしれません。それは、日頃から勉強しろと言ってあるのにしないからです。言いつけを守らないというよりは、勉強するという約束を守らないからです。 約束あるいはルールを守らないというのは、相手への反抗になります。カツオが波平の権威あるいは人格への反抗(攻撃)をしたことになり、波平の怒りをかうことになります。 また、カツオが遊んでいて波平の大切にしていた盆栽か何かを壊したとします。この場合もカツオは波平に怒られると思いますが、カツオの不注意をとがめる意味もありますが別の面もあると思います。波平が大切にしている物は、波平という人の一部分ともいえます。そういう意味でカツオが波平の大切なものを壊したことは、波平への間接的な攻撃となります。 一方、カツオとサザエの関係では、悪い試験の結果はどうなるでしょうか。サザエは、カツオに対して怒ることはないと思います。サザエが悪い試験結果を見つけても「お父さんに言いつけるわよ」程度で済むのではないでしょうか。この問題に関してサザエは当事者ではないからです。サザエがカツオを怒るのは、イタズラなどで直接攻撃された場合だけと思います。 庭にゴミを投げ入れられたら 自分の家の庭にゴミを投げ入れられても、すぐに怒ることはないかもしれません。誰が何のためにした行為なのかが分からないと怒ることはないと思います。これが意図的な嫌がらせであると判明すれば、その犯人に対して怒ることになります。こうした嫌がらせは自分や家族に対する攻撃だからです。 歩行中に水を掛けられたら 道路を歩行中に水を掛けられた場合、被害の程度と掛けられた人の性格などによって反応は分かれると思います。 日頃から怒りっぽい人は、自分への攻撃であると判断し怒り出すかもしれません。しかし、こうしたトラブルは、たいていは意図的ではないので、水を掛けられても怒らずに済むことが多いと思います。水を掛けた人が謝らないなど、ひどい対応をしない限りは大きなトラブルにはならないはずです。 約束を破る 約束を破ったような場合、たいていは怒られます。忘れてしまった場合でも相手の存在を軽んずる行為ですから、一種の攻撃と取られて止むを得ないと思います。まして意図的に約束を破ったような場合は、なおさらです。怒られて当然の行為です。 このようなことは個人的な人間関係に限りません。たとえば、届くはずの荷物が届かないなどの場合にも、怒りの感情が発生してきます。待たされた側は、いらいらした気分になり、落ち着かなくなり怒りが発生します。 挨拶を無視された 挨拶を無視することは相手の存在を軽んずる行為です。しかも、目の前で行われる行為なので、意図的かどうかはすぐ分かります。相手に対する攻撃というよりは挑発行為と言うべきかも知れませんが、相手の怒りを招くことになります。 店員の態度が悪い 店員に無視された、馬鹿にされた、見下された。このような行為があった場合、当然、客は怒りだします。程度や回数によりますが、意図的な行為であることが見てとれた場合、たいての客は怒るはずです。客は店員により理不尽な攻撃をされたと感じます。 上司からの攻撃 上司に不当な評価をされた、必要以上に激しく叱責された、同僚の面前で馬鹿にされた。このような場合、上司からの攻撃ですから部下は怒りだして当然なのですが、その場は我慢するケースも出てきます。上司と部下との力関係、あるいは部下の性格によっては、部下が我慢することになります。しかし、理不尽な叱責が続くようであれば、部下の我慢も限界に達し、怒りが爆発することもあります。 もちろん、上司の叱責が正しいと思い反省する場合は怒りにはつながりません。上司の行為を理不尽な攻撃だとは捉えていないのですから。なお、叱責というのは一般には教育的な行為です。 隣人の騒音 隣人の騒音で迷惑を受けたような場合、何度も続くようであれば怒りへとつながります。他人への迷惑行為を続けることは、相手の存在を軽んずる行為ですから、怒られても当然です。 不作法 列への割り込みなどの迷惑な行為も、意図的であれば怒られることになります。割り込みなどの不作法な行為は、相手の権利の侵害であり、相手のテリトリーへの侵害行為ですから、怒られるのは当然です。
困った時、失敗した時
他人の面前で自分の能力不足があらわになった時、たとえば何かを失敗した時などに八つ当たりをすることがあります。これは、失敗の原因を転嫁し、誰かを攻撃することで自分の体面を保とうとする行為です。他人からの攻撃がないのに、怒りの感情が発生する特殊なケースです。
また、ウソがばれそうになった時、唐突に怒りだしたり攻撃的になったりすることもあります。これも崩れそうになった自分の体面を保とうとする行為だと思います。 仕事がうまく行かないような場合、自分の能力不足などを棚にあげて、誰かのせいにして怒りだすことがあります。また、受験に失敗した場合などでも、難しい学校を無理やり受けさせられたとして、親のせいにして怒りだすのも、同じようケースです。 こうした場面で怒りだすのは、あるべき自分の姿と現実の自分の姿の矛盾を解消しようとする行為です。他人のせいにすることで自分のプライドや体面を保とうとしています。 他人からの攻撃があった場合も、そこには緊張状態、危機的状況が発生します。そのときに発生した怒りの感情を解消するのが怒るという行為です。 怒るという行為は、精神的な矛盾状態を解消する役目を持っているようです。
イライラする場合
約束の時間になっても相手が現れないような場合、相手への怒りの感情が湧いてくることがあります。相手に何かあったのか心配しながら待っているような状態です。この時、精神的に非常に不安定になります。そのため、相手がようやく現れた時に怒りが爆発することがあります。おそらく精神的な不安状態(矛盾状態)の解消が、怒るという行為ではないでしょうか。
電車が突然止まってしまい状況が分からず放っておかれた場合、乗客は怒りだします。ところが、停車の理由や状況の説明を適宜行えば乗客の怒りを招くことは少ないようです。乗客の怒りは、状況が分からないという不安状態(矛盾状態)が招いていると思います。
社会的な義憤
年金、増税
間接的であれ自分にも関係する社会的な問題で怒ることがあります。たとえば将来に貰えそうもない年金の問題や、消費税の増税問題などです。 こうした問題では、自分の将来への不安という、精神的に不安定な一種の矛盾状態を抱えることになり、それを解消・軽減しようとするのが怒りではないかと思います。 原発の事故 原発の事故などでも、電力会社や政府の対応の悪さに怒っている人も多くいます。原発近隣の住民ならなおさらです。この場合の怒りも、精神的に不安な状態から発生しているように思います。 八ッ場ダム工事再開 八ッ場ダムの工事再開の問題でも、この2年間の無駄は何だったのかと、住民は怒っています。今までの自分たちの精神的に不安定な状態が、この怒りを引き起こしています。 国の原発対応 東大の児玉龍彦教授が、国会で政府の対応を激しく批判しました。やるべきことをやっていないという義憤です。自分の専門とする分野での、あるべき姿と現実のギャップ(矛盾)が児玉教授の怒りを誘発しています。もちろん、その背景には犠牲となっている原発周辺の住民への思いもこもっています。 民主党のマニフェスト違反 民主党のマニフェスト違反では、怒っている民主党支持者も多いと思います。このケースは、単純な約束違反だと思います。約束を守らないことが怒りを引き起こしています。マニフェストを信用して支持したのに、馬鹿にしているのかという感情だと思います。 問題を起こした企業 何か問題起こした企業が、謝り方が悪い、態度が悪いとして世間の怒りをかうことがあります。しかし、直接関係のない一般の人は、ひどいなと思うことはあっても、いちいち怒っている人は少ないのではないでしょうか。 実は、問題企業と対面しているマスコミの担当者が怒っているのではないかと思っています。目の前に出て来て平身低頭するかと思ったら、そうでもない場合、マスコミの担当者が怒っているのです。国民を代表している俺に対して何故謝らないのかという感情を感じます。
ナショナリズム
真珠湾攻撃
第二次世界大戦での日本による真珠湾攻撃は、卑怯な不意打ちだとしてアメリカ国民の怒りをかいました。まさか日本が突然攻撃して来るとは思っていなかったので狼狽したのだと思います。また、アメリカはこの攻撃でこっぴどくやられたので、体面を傷つけられました。そのため、よけいに怒りが大きくなったのだと思います。 似たようなことは、9.11のアメリカ同時多発テロ事件でも起こりました。超大国のアメリカが弱小のテロ組織に、こんな大きな被害を受けるとは誰も思っていなかったのです。 このような事件があると、徹底的に相手をやっつけないと攻撃されたアメリカ人の精神的な痛手(矛盾状態)は解消されません。 自国を大切に思う感情はナショナリズムという言葉で説明されることが多いのですが、実はこのような相手にたいする怒りが、その実体ではないでしょうか。 組織間の対立 国家に限らず組織間の対立でも、ナショナリズムのような感情を発生させることがあります。卑怯な相手に対する怒りをかきたて、勝利を得ようとするようなケースです。 怒りの感情は反撃のための大きな力になります。ただし、感情に任せた対立抗争の結果は、必ずしも良いとは言えないので注意が必要です。節度のあるライバル関係での競争が無難ではないでしょうか。
相手との力関係
怒りは相手との力関係があり、発生しないこともあります。感情的に怒りが発生し、怒るという反撃の行為に至るのは、自分と同等程度あるいは少し下から少し上の範囲の人が相手の場合が多いようです。
強い相手 たとえば、路上でヤクザとトラブルになったような場合、困惑や恐怖が先に立ち、相手が悪いケースでも怒りに達しないこともあると思います。教室で先生に恥をかかされたような場合も困惑してしまうかもしれません。会社で上司に罵倒された場合も、言い訳ができなく反撃できないこともあります。 反抗 相手が相当上位でも、地位に相応しい内容を持った人ではないと思った時は、怒りの感情がこみあげてくるかもしれません。もし、理不尽な攻撃が度重なる場合は意を決して反抗を試みるかもしれません。 子供 たとえば、小さな子供からいきなりイタズラなどの攻撃を受けても、すぐには怒りにはつながりません。理由を問いただし、諭してあげるような結果になると思います。 大人は教育的な配慮を持って子供に接するようなことが多いと思います。この場合は、怒るというより叱るという行為になります。「サザエさん」における波平とカツオのような親子関係の場合も同様です。 友人 友だちが不機嫌になったり、怒ったりしている場合も、理由を聞き話し合って和解するのが普通だと思います。ただし、こじれてしまった場合、互いの怒りを増幅しケンカにいたるかもしれません。 他人 やはり、トラブルなどで怒りに達することが多いのは、他人のケースだと思います。利害関係などない縁もない他人相手の場合に怒りに達することが多いのではないでしょうか。 上司と部下 自分の部下など下位からの攻撃があった場合、自分の地位というテリトリーへの侵害行為ですから、怒りにつながることが多いと思います。ただし、相手の主張に道理があれば、冷静に問題解決を図るかもしれません。 なお、上司と部下という関係であれば、教育的な配慮による叱るという行為が多いと思います。
怒りへのステップ
状況の判断ができないような突然の攻撃の場合、すぐ怒ることはないと思います。理由が分かり、心の整理がつくと怒りがこみあげてくるかもしれません。
たとえば、隣人とのトラブルなどでは、一度目は「何だろう」と思い、二度目で「またか」と思い、三度目で「許せない」となり怒りへと達することになります。
怒りやすい人
自分への自信によって怒る人と怒らない人がでてきます。器の小さい人は攻撃されたと感じやすいので怒りに達することが多く、器の大きい人は許す度量があり、あまり怒らない傾向があります。また、同じことかもしれませんが、感情的で怒りやすい人と、冷静で怒りにくい人がいます。仏教でいう悟りを開いた人は怒らないのかもしれません。
また、いつも不機嫌な人、怒りっぽい人もいます。病気などのせいで痛みや不快感がいつもあるのかもしれません。また、尊敬されてない人や不平不満のある人も怒りっぽいように見えます。
怒られにくい人と怒られやすい人
怒るという行為は攻撃あるいは反撃ですから、味方か敵かという精神的な区分も効いてきます。そのため、味方(仲間)と思われている人は怒られにくく、敵(仲間ではない)と思われている人は怒られやすいのだと思います。
怒られにくい人 たとえば優秀な人は怒られることが少ないように見えます。職場であれば上司に可愛がられている人は、その上司から怒られることは少ないはずです。また、優秀な生徒であれば、めったに先生に怒られません。この場合は「えこひいき」かもしれません。また、性格のいい人などは怒られにくい人だと思います。 怒られやすい人 一方で、怒られやすい人もいます。いつも失敗している人、注意を聞かない人、反省のない人、生意気な人などは怒られやすいようです。何度注意しても直らないので、上司などから反抗的だと捉えられがちになります。そのため、怒られやすい状況をつくっているように見えます。
怨恨
怒りまで達しない小さな精神的な不満が恨みだと思います。この恨みも長年に渡って蓄積すると怒りに達することもあります。
叱る
叱るという行為は、怒るという行為に似ています。違うのは、教育的な配慮と感情の有無です。教育的配慮をもって冷静に行うのが叱るという行為です。
しかし、叱っているうちに次第に冷静さを失って、ついには怒ってしまうこともよくあることかもしれません。
矛盾解消行為
まとめてみると、怒るという行為は精神的な矛盾(不安定)を解消する行為だと思います。
誰かから屈辱的な扱い(評価)を受けた時、本来あるべき自分の精神的な地位(評価)と現実に受けている待遇(評価)の間のギャップが怒りを生み、怒ることにより自分の本来の地位(評価)を回復しようとします。 人前で失敗をし、誰かに責任転嫁するため怒りつけるのも、自分の本来の精神的な地位や体面(評価)を回復する試みです。 不機嫌で怒りっぽい人は、自分が本来受けるべき評価(精神的な評価・待遇)を受けてないので不機嫌なのだと思います。 動物が自分のテリトリーを侵害されて怒るのも、相手が自分の強さを評価せずにテリトリーを侵犯してくるので怒っているのではないかと思います。動物も馬鹿にされたと思って怒っているのかもしれません。 2012.01.12 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp |