2000年の少年事件
2000年、17歳の少年による凶悪事件が多発し世間を驚かせました。
5月 1日 豊川市主婦殺害事件 (17歳(高3)少年の犯行)
5月 3日 佐賀バスジャック事件 (17歳(高校中退)少年の犯行)
6月21日 岡山金属バット殺傷事件 (17歳(高3)少年の犯行)
8月14日 大分一家6人殺傷事件 (15歳(高1)少年の犯行)
12月 4日 歌舞伎町ビデオ店爆破事件(17歳(高2)少年の犯行)
なぜ少年による凶悪犯罪が連続して起きたのでしょうか?これらの事件に関連はあるのでしょうか?共通する原因のようなものがあるのでしょうか?
豊川市主婦殺害事件
00年5月1日、愛知県豊川市で17歳(高3)の少年が通っていた高校の近くの住宅に侵入し、64歳の主婦の頭を金槌で殴り包丁で顔や首など約40ヶ所も刺して殺しました。翌日、少年は名古屋市内の交番に出頭し逮捕されました。少年は「人を殺してみたかった」と動機を語っています。
この事件について、家裁は少年をアスペルガー症候群と認定し医療少年院送致と決定しました。
家族と生い立ち
少年は、愛知県宝飯郡音羽町長沢(現在は豊川市長沢町)にある旧家で資産家という家に生まれました。祖父は教員、父親も中学の教員、母親は父親の大学後輩の女性でやはり教員という教員一家です。
両親は、少年の生後数ヶ月で離婚し、当初は母親が育てましたが、1歳半で父親とその両親である祖父母のもとに引き取られました。少年が祖父母に引き取られた当時は8人の大家族でした。幼い少年の面倒をみたのはおもに祖母と叔母です。少年は祖母をお母さんと呼び、叔母を姉ちゃんと呼んだそうです。そして事件当時は祖父母と父親、少年の4人家族です。
祖父と父親とは、仲は良くなかったようです。祖父は父親の生活面などで指図するが、息子の言い分には耳を貸さなかったそうです。祖父は自分の息子について厳しく育てたようですが、孫である少年に対しては優しかったと言われています。ただし、少年に対して勉強しろとうるさく言っていたとの話もあります。なお、父親は忙しく子育てには、あまり関与していないようでした。
なお、別れた母親によれば「後追い」をしない子供だったそうです。これは、アスペルガー症候群を思わせる行動のようです。
小学校
少年は子供のころから人の死に興味を持っていたようです。
「人間とはどういうものか」
「人間と他の生物の死とはどう異なるのか」
「人を殺すということはどういうことか」
「人の死をみてみたい」
父親によれば、授業参観で場にそぐわない発言をしたり、級友から笑われても無反応だったり、アスペルガー症候群を思わせる反応があったそうです。
中学校
中学時代に、少年は剣道部に入っていたそうです。
この頃の少年は、友人の母親によれば「中学まではうちに来て、よくテレビゲームで遊んでいた。礼儀正しいし、特別なところはなかった。」とのことです。
高校
少年は、豊川市の私立高校の特待生試験に合格しました。特別進学クラスの国公立理系クラスに在籍しています。
高校の先生によれば「模範生徒でした。欠席もほとんどなかった。超難関校が射程圏内だった。部活動もよくやっていた。」と高評価です。
少年は運動音痴でしたが、高校では軟式テニス部に打ち込んでいました。
性格
少年は几帳面で潔癖な性格でした。毎日、規則正しい生活を送っていたようです。毎朝6時過ぎに起きて、同じ電車に乗って通学。夜は10時過ぎには寝ていました。
少年の部屋はきちんと整理されており、家族が勝手に物を動かしたりすると「触っただろ」と怒ることもあったそうです。ポスターなどは貼られておらず、家宅捜査した捜査員は「なにもない部屋だなあ」とつぶやいたそうです。
精神鑑定
検察側の鑑定書では、「少年は分裂病質の人格障害か高度の分裂気質者で、行為障害や反社会性人格障害はない」とされました。
しかし、弁護側の要求により再鑑定を行い、少年はアスペルガー症候群と鑑定されました。
家裁の決定
家裁は少年をアスペルガー症候群と認定し医療少年院送致と決定しました。
アスペルガー症候群は、対人関係をうまく持てない自閉症のなかでも、知能や言語能力の障害がない高機能の一群のことを言います。症状の特徴の一つは、関心のあることに執拗なまでにこだわることです。一方で、共感性や想像力の欠如といった特徴を持っています。
人の顔の表情や声の調子などの対人的信号を読むことが難しく、喜んでいる、怒っている、悲しんでいるなど、人の感情や人の心の中で考えていることを想像することが難しい。その結果、周囲の人が共感しにくい言動や、自分勝手と思えるような言動を取ることがあります。
犯行動機
少年は犯行動機について次のように語っています。
「人が物理的にどのくらいで死ぬか知りたかった。また、人を殺したとき自分はどんな気持ちになるか知りたかった」
「社会的にいけないということや、家族に迷惑をかけることは考えたし、分かっていた。それとは違う次元で、自分には殺人を体験することが必要だった」
「本当に部活が終わったから代わりにやることを探そうとした」「やはり退屈だったからとしか言いようがない」
年配者を選んで襲ったことについては「若い未来のある人はいけないと思った」と言っています。
酒鬼薔薇聖斗
97年の神戸連続児童殺傷事件で犯人の少年(酒鬼薔薇聖斗)は、公園で女児を襲い殺傷しています。金槌で殴られた少女は死亡し、小刀で刺された少女は2週間の怪我で済んでいます。この少年は、事件の後に次のように書いています。「人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました」
神戸事件の少年と本件の少年には、似たような発想が感じられます。ただし、本件の少年には酒鬼薔薇聖斗のような反社会的な悪意のようなものが、あまり感じられません。しかし、少年は事件を起こせば警察に追われることは意識しており、逃走のための準備を行っています。
生育環境
祖父も父親も教師という、旧家の教師一家で少年は育ちました。教師が親の場合、規律優先で愛情の薄い家庭になりがちです。しかも、少年は1歳半で母親から引き離されています。こうした生育環境が、共感性が欠如した少年の性格に与えた影響もあるのかもしれません。
杜撰な犯行
少年は、理系を目指す優秀な生徒と言われていますが、犯行は計画的に見えて、実はかなり杜撰です。
・あらかじめ凶器の金槌や鎌そして着替えを用意。
逃走中に聴くためMDウォークマン、現金を用意。
・高校の制服で犯行におよんでいる。
・現場に血まみれになった鞄を置き去りにした。
その鞄には生徒手帳が入っていた。
・現場近くに制服を脱ぎ捨てていた。
・お金を脱ぎ捨てた制服のズボンに入れていた。
そのため逃走資金がなかった。
・何処に逃走してどうするかは何も決めていなかった。
・出頭理由は「寒くなって疲れた」
祖父
少年の祖父は孫の優秀さをマスコミに誇大に語っています。「国立大を目指すトップクラスの優等生で、スポーツでは母校をインターハイ出場に導いた。」 しかし、実際には、少年の進学した高校は特別難易度が高いわけではないし、所属する運動部では万年補欠でした。おそらく、祖父は孫に大きな期待をかけ、叱咤激励していたのだと思います。
しかし、少年は事件を起こすことで、結果的に祖父の期待を裏切っています。利口な少年は何も語っていませんが、実は少年は祖父からの支配から逃れるために事件を起こしたのかもしれません。そう考えれば、先の見通しのない杜撰な犯行の理由が分かるような気がします。少年が年配者を選んで襲ったのは、祖父への復讐の意味があるのかもしれません。
裁判では、アスペルガー症候群が原因とされましたが、少年の少し遅い反抗期が原因の犯罪ではないかと思います。
アスペルガー症候群
なお、アスペルガー症候群は先天性の障害で、これが原因で犯罪を起こす可能性は低いとされているようです。
参考:
反抗期論
佐賀バスジャック事件
00年5月3日、佐賀市の17歳少年が西鉄高速バスを乗っ取り、牛刀で乗客の68歳の女性を殺害。他の乗客5人にも重軽傷を負わせました。
少年は、事件の直前にネットの掲示板に「佐賀県佐賀市17歳 ネオむぎ茶 ヒヒヒヒヒ」という書き込みを残しています。
裁判で精神鑑定が行われていますが、佐賀家裁の決定要旨によれば、少年の精神状況を「解離性障害」「行為障害」とし、「精神分裂病(統合失調症)の前駆期である可能性も考えられる」としています。
結果として、家裁は少年を医療少年院送致と決定しました。
家族
父親は有名企業に勤めるサラリーマンで、母親は保健婦。2歳年下の妹がいます。
少年の教育などについては、おもに母親が決定しており、父親は、あまり口出しはしていないようです。
幼児期から小学校
佐賀家裁の決定要旨は次のように指摘しています。
「少年は運動能力が低く、日常的な動作にも不器用さが目立ち、しつけが時として少年にとって心理的負担となり、幼稚園・小学校では知力、体力で自分よりも優る同学年の子に囲まれ、多くの心的外傷経験を受けたと認められる。
少年には幼少時の記憶について、周囲の子が自分を避ける、自分は仲間外れにされたなどの具体的な疎外事実について「選択的健忘」が認められる。
少年は幼児期から「弱く、惨めな自分」というものを自分で意識することが自尊感情を深く傷つけ、その存在を危機に陥れることを直感的に感じるようになり、事実を受け入れることが出来ず、それを意識の外に解離または分裂するという心理機制を身につけるようになったと考えられる。」
母親の手記では、「園児たちと一緒に遊んでいることよりも、一人で虫取りなどをしていることのほうが多かった。いろいろな性格の園児が集まる幼稚園になかなか溶け込めていないように感じた。」と書いています。
近所の人は、「テニスで壁打ちをしたり、妹とローラースケートをしたりしているのをよく見かけた。ほかの子供のように友達と活発に遊び回るのとは違ったので、一人でいるのが好きなのだと思った。」と語っています。
家庭内暴力
母親の証言によれば、「中3の夏頃から、今までの性格が一変したかのように、勉強に対する意欲喪失、ことばの暴力、物を投げて壊したりの行為が始まり、さらには、それが家庭内暴力にまで及んでいきました。」
この家庭内暴力というのは、おもに妹に向かっていたようです。妹の制服を切り刻んだり、妹の賞状を破ったりしていました。また、飼っていた犬を蹴り上げたり、ハムスターの尾をつまんで振り回して死なせたりもしていたようです。少年には反抗期が始まっていました。
いじめ
少年は、高校受験目前の1月に同級生にからかわれた結果、校舎の非常階段の踊り場から2.5m下に飛び降り、第一腰椎圧迫骨折の重傷を負いました。
少年は、小学校、中学校といじめを受けていたようです。ただし、学校や教育委員会はいじめを認めていません。
高校受験と退学
高校入試は病室受験となりましたが、少年は無事合格しました。高校には1ヶ月位は登校したものの、体の不調を訴え、不登校となり、高1の3月末で退学しています。
インターネット
高校に入った8月末に、少年はパソコンを買ってもらっています。少年は、すぐにインターネットに夢中になりました。キャットキラー、ネオむぎ茶という名前で「2チャンネル」という掲示板に参加しています。少年は掲示板で攻撃的な挑発を繰り返しますが、生意気だとして他の参加者からは袋叩きにあっています。
妄想
立教大学町沢静夫教授(精神科医)によれば、「少年は小学5、6年のころから、(頭の中で)男の人の声が強くなった。高校を辞めたころがひどく、男の声が盛んに交信してきて、事件直前には、その交信相手と犯罪を起こすことで意見が一致した。」
中学校襲撃計画
事件の2ヶ月前、牛刀やサバイバルナイフ、バタフライナイフ、ハンマー、スタンガン、催涙スプレー、熊避けスプレーなどを準備し、自分が卒業した中学校の襲撃を計画しました。
計画に気付いた母親が、精神科医や警察の協力を得て、少年を医療保護入院させたため、襲撃は未遂に終わりました。精神病院へ強制的に入院させることについては、警察も病院も消極的で非協力的でしたが、母親が精神科医の町澤静夫氏の協力を得て、半ば強引に推し進めたようです。
この時、少年は警察庁長官宛に「我革命を実行す」という犯行予告を出していました。そこには「酒鬼薔薇聖斗」という名前や酒鬼薔薇が使っていたカギ十字に似たマークもあったそうです。少年は、自分と同い年の神戸連続児童殺傷事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗」を崇拝していたようです。
外出許可
入院させられた病院では、少年は「いい子」だったようです。そして自ら退院を請求しています。
入院後の4月26日と29日に、少年は外出を許可され、無難に過ごしたので、病院は5月3日に1泊2日の外泊を許可しました。この時に、少年はバスジャック事件を起こしました。
犯行声明
少年は何枚もの犯行声明を残していました。
「もう誰にもぼくの邪魔はさせない。僕が長い長い年月を掛けて練った大切な大切な計画を貴様らは台無しにした!!決して許すことはできない。いつ頃から立てた計画だと思う?11歳の時からですよ。6年3組の卒業写真で僕は立って睨み付けたように映っていたでしょう。全てはあの時から初まっている。これ以上、計画の遅延は許されない。本意ではないが…これで我人生を終わらせようと思う。それにしても許せない!!皆殺しにしてやる!!殺してやる!!楽に死ねると思わないことだ!!一人でも多くの人間を殺さねば!!それこそが我使命。(以下略)」
家裁の決定
00年9月29日、家裁は少年を医療少年院送致に決定しました。
佐賀家裁の決定要旨
「自我にひ弱な部分を持っていた少年は、猛勉強したり、時々感情を爆発させることによって挽回しようとしたが持続できず、成績の低下によって新たな劣等感に満ちた自我と向かい合うことになった。
このため、少年は肯定的な存在感と自尊感情を傷つける劣等感に満ちた自我との間を激しく行き来するうちに自らの殻に引きこもるようになり、生活の中で自分のありかたが分からないという状態に陥った。
少年は自室にこもってインターネットにふけり、殺人や死体などの残虐な画面を見て、実際にやってみたい、犯罪を実行しようという気持ちになった。さらに、引きこもり生活の中で頭の中に別の声が聞こえるようになり、最初は世間話の相手に過ぎなかった別の声が少年にとって「尊い存在」となり、「後ろ盾」と感じられるようになった。
声は次第に少年に犯罪実行を促すようになり、少年は将来の希望のないことを強く意識して一時は自殺を考えたが、そのうち中学校襲撃でもして社会の注目を集め英雄となって自己顕示欲を満足させて自己の存在感を確かめて死のうと考えるに至った。」
母親のしつけ
97年の神戸連続児童殺傷事件の少年(酒鬼薔薇聖斗)も、08年の秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大も母親からの虐待的なしつけ受けていました。この事件の少年も母親からの強いしつけの影響があったようです。佐賀家裁の決定要旨にも「しつけが時として少年にとって心理的負担となり」とあります。
なお、酒鬼薔薇聖斗、加藤智大とこの事件の少年は82年生まれの同い年です。
参考:
確信犯の生い立ち、
解離性障害と犯罪
岡山金属バット殺傷事件
00年6月21日、岡山の県立高校3年の17歳の少年が、野球部の後輩4人を金属バットで殴り重軽傷を負わせ、その後、自宅に戻り母親を殴り殺して逃走しました。
少年が、野球部内でいじめられていたのが直接的な事件の動機でした。なお、母親を殺した理由について、「母親が殺人者の親として生きていくことに、自分は耐えられない」と少年は述べています。
逃避行
少年は、自宅から20万円以上の現金を持ち出し、千枚にのぼるポケモンカード、携帯用ゲーム機、その攻略本などをリュックに詰め、東北の日本海側を自転車で北海道を目指して逃走しました。寝泊りは公園や橋脚の下で、食事はコンビニ弁当やパンでした。少年は、最終的には7月6日に秋田県内で保護されました。
少年は、高2の修学旅行の楽しい思い出がある北海道を目指して逃走したようです。
少年は「宗谷岬に着いたら、自首か自殺をしようと思った」と言っています。
家族
少年の家は、岡山県邑久郡長船町(現在は瀬戸内市)の農家です。父親(46)は運送会社にも勤務しており、母親(42)は近くの農園でパートをしていました。少年は一人っ子で、この一家は近所からは仲の良い家庭と見られていました。
野球
少年が野球を始めたのは小学校4年の時に地元の少年野球チームに入ってからです。レギュラーではなかったが、左翼など外野を守り、試合では代打で出場することもありました。母親も熱心で、近隣のチームとの練習試合では、毎回のように弁当を用意し付き添っていました。
中学時代も野球部に入っており、友人によると「まじめでおとなしい性格。練習も休んだことがなかった。」
高校は県立邑久高校の理系の進学コースに進み、高校でも野球部に入りました。7番レフト、打率1割9分4厘で、優秀な選手ではありませんでした。
いじめ
少年は野球部の練習中に下級生からボールをぶつけられたり、掛け声のまねをされたり、日ごろからからかいの対象でした。ズボンをずらされたりするなどの悪ふざけも受けていました。
この事件で重症を負った2年生部員は少年に柔道の技をかけるなど次第にいじめ行為をエスカレートさせていたようです。
野球部では、3年生は最後の夏の大会なので、頑張ろうという意味で丸刈りにしようということになったようです。しかし、少年は丸刈りには抵抗感があり、丸刈りにはしませんでした。そのため、後輩部員から丸刈りにしろと迫られて殴られています。
犯行当日は、補習授業に出ていて練習に遅れてきた少年が、2年生部員に「なぜえらそうに遅れてくるんだ」と言われたうえ、素手でひどく殴られました。そして、2年生部員が1年生に「丸刈りにしろ」と言ったその直後に、少年は犯行に及んだのです。
なぜか少年は丸刈りは嫌だったようです。
闇の狩人
少年は大学ノートに3ページに渡って「闇の狩人」と題する小説風の文章を書いていました。内容は主人公が就寝中の後輩の頭上に鉄棒を振り下ろして殺害する(成敗する)というものです。主人公は、まじめに見えるが平然と生き物を殺せる人物として描かれていたようです。まじめでおとなしい少年が持っていた闇の部分です。
また、逃走中に持っていた日記には事件前日の6月20日付けで「あす狩りを決行する」と書いていました。
母親
母親の友人によれば、「勉強、勉強という母親ではなかったが、習い事をたくさんさせたり、掃除やあいさつの仕方などしつけは厳しかった。」
少年は、同世代の少年のようなしゃれっ気はなく、普段の服装はすべて母親がスーパーで買い揃えたものでした。友人らは、少年のことを「典型的なマザコン」と口を揃えていました。
少年が殺人犯になることで、母親に迷惑がかかるので殺したと言っているようですが、一方で、少年は母親をうとましく感じていたようで、取調べでは「(母親が)自分の生活に干渉するのがいやだった」と供述しています。
少年は母親を殺害後、日記に「○○子を狩った」と記述しています。○○子は母親の名前です。
家裁の決定
家裁は、少年を特別少年院送致とする保護処分を決定しました。裁判官は少年について次のように評しています。
「知的能力は高いが情緒性が未発達で、円滑な対人関係を築く能力に乏しい、感情の表し方が不得手で、人格に問題性がある」、「少年の自己中心的な思考に起因している非行である。」
事件の回避
いじめが嫌なら野球部を辞めるという選択肢もあったはずですが、少年はそうはしませんでした。野球部を辞めることを母親に相談すれば、おそらく最後まで続けなさいと言われたことでしょう。
少年は野球部と母親の間で板挟みにあい、暴発したように見えます。母親のプレッシャーも事件の一つ原因ではないかと思います。少年は17歳になっていましたが、まだ母親離れをしていませんでした。母親の良い子でそのまま育ってきた少年の悲劇です。
参考:
反抗期論
大分一家6人殺傷事件
00年8月14日未明に大分県野津町で起きた一家6人殺傷事件。高校1年で15歳の少年がサバイバルナイフで一家6人に襲いかかり、祖母(66)と母親(41)、中2の長男(13)を刺殺。ほかに祖父(65)、高2の長女(16)、小5の次男(11)の3人に重症を負わせました。少年は被害者宅に外から油をかけ火をつけたが、燃えにくい機械用混合油だったため一部を焦がしただけで燃え広がりませんでした。また警察への通報を妨害するため電話線を切っていました。
犯行の動機は、少年がこの家の風呂を覗いたことなどを咎められ、このことが近所に広まるのを恐れたためとされています。
家裁の決定
12月26日、大分家裁は少年を小児期発症型で重症の行為障害であるとし、医療少年院送致と決定しました。
「少年の人格が年齢不相応に未熟であるため生じたが、このような人格が形成されたのは、家庭・養育環境が重大な影響を及ぼしている。」
「少年は家庭で十分な愛情を受けずに生育したため、他者から自分を受け入れてもらえるかどうか常に不安を感じ、非常に強い自己防衛的な構えのある人格を形成した。」
「適切な対人関係をつくる能力も育たず、悩みやストレスをだれにも相談できず、自己中心的で、他者への共感性が乏しく、感情をうまく制御できない幼児性を残し、年齢相応の発達を遂げないまま成長した。」
少年の家族
事件が起きた大分県大野郡野津町都原は、山間の23、4戸の集落です。近所付き合いが密接な集落で、少年の父と被害を受けた一家の祖父は釣り仲間です。
少年の家は農家で、会社勤めをする共働きの両親と5歳年上の兄がいます。
父親は廃棄物処理会社でダンプの運転手をしており、感情の起伏の激しい人だったようです。父親が少年を叱責する怒声が近所に響いていました。少年を体が浮くほど蹴り飛ばし怒りをぶつけることもあったそうです。父親は、水害で車が流されそうになってもパチンコ台を立たないなど、熱中すると廻りが見えなくなるタイプの人です。
母親は、少年の幼少時にはガソリンスタンドで働いていました。少年が中学入学のころからは、母親はタクシーの運転手として夜勤もこなしていました。少年が高校に入ったころには、母親はタクシーの配車係として事件が起こるまで、夕方4時から朝8時までの昼夜逆転したハードな勤務に就いていました。
5歳年上の兄は、高校を卒業してから近くの建設会社に通っていました。他に福祉施設に入所している祖母がいます。
幼少期
少年が3歳の時に、ガソリンスタンドで働いていた母親が駆け落ち騒動を起こしますが、間もなく母親は戻り一家の暮らしが再開されています。
少年の幼少期に両親は家に不在がちで、少年は近所の店で一人でインスタントラーメンを買って帰るようなこともよくあったようです。
小学校
小学校は、複式学級で少年の同級生は12人です。少年は小学3年のころから、自分の思い通りにならないと急に何もいわず教室を出て行ったり、野球をしていてとんでもないところにボールを投げてしまうなどの行動がありました。また、興奮してパニックになり、教師が抱きしめて落ち着かせたこともあったそうです。
少年は、小学校時代から新聞配達の仕事をしており、これは犯行時まで続いていました。
中学校
少年はバスケットボール部に入っていました。勉強はさほど得意ではありませんでした。少年は、自分より弱い同級生をブレーキがかからないような熾烈な言い方でいじめたこともありました。
高校
高校は第一志望ではありませんでしたが、地元の野津高校普通科に進学しています。 少年は軟式野球部に入りますが、4月中には退部しています。
少年は、髪を染め、ピアスをして不良グループに追従したこともありましたが、グループには入りきらず、相談できる仲間もいませんでした。
少年は、6月には保護者を通じて学校を辞めたいと伝えてきています。6月25日から一週間続けて学校を欠席したため、担任教師が少年の家を4度訪問。最後の訪問となった7月20日になって「もう少し頑張ってみる」という言葉を引き出し、そのまま夏休みに入っています。一学期の欠席日数は16日に及びました。
少年が遊ぶ相手は年下の子ばかりで、それ以外は自分の部屋に引きこもっていることが多かったようです。少年は、近所では「少し幼稚だが、寡黙でおとなしい少年」で通っていたそうです。
下着盗難事件
少年が高校を欠席がちになるのと期を同じくして、集落では女性の下着が盗まれる事件が相次ぎました。年頃の娘がいる2軒の家で被害がありました。これらは幼少のころから少年がよく出入りしたなじみのある家でした。
夜間無人になる離れの子供部屋にあった女子中学生の下着が十枚ほど刃物で切り裂かれて置き捨てられていました。事件の被害者宅でも、繰り返し女性下着が消えています。すぐ前の道路周辺に盗難物が撒かれていることもありました。
8月初めに被害者宅への侵入路にしていた風呂場付近で、少年は家の主人に見つかり、あわてて乗っていた脚立を置き去りにして逃走しています。放置した脚立は後日に取り返して川に捨てています。この風呂場での「覗き」の件は、少年の親に告げられていました。これが、事件のきっかけになったようです。
重症の行為障害
少年は、家裁によって「小児期発症型で重症の行為障害」と認定されています。平たく言えば「小さいころからの悪ガキ」であると家裁が認めたということです。
おそらく、こうした性格は一生直ることはないと思います。少年は、感情の起伏の激しい父親、駆け落ちしてしまう母親による、波乱万丈の夫婦関係の家庭環境で育っています。そのために、少年の荒れた精神状態が築かれており、これを修復するのは難しいと思います。
「三菱銀行猟銃強盗人質事件(1979年)」の梅川昭美は15歳で強盗殺人事件を起こし、30歳で銀行に押し入り篭城し4人を殺害する事件を起こしています。
本件の少年も、将来において大事件を起こすのではないかと心配です。
参考:
確信犯の生い立ち
歌舞伎町ビデオ店爆破事件
00年12月4日午後8時20分頃、新宿歌舞伎町のビデオ店に手製爆弾が投げ込まれ爆発しました。店内にいた人はすぐに逃げ出し、ケガ人はありませんでした。
その後、近くの交番に栃木県の県立高校2年の少年(17)が、自首してきました。散弾銃と実弾39発、直径約20センチの丸型爆発物を持っていたため、銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕されています。散弾銃と実弾は、祖父が狩猟用に使っていたものです。
少年は「人を壊したかった。誰でもよかった。場所はどこでもよかった」と供述しています。また、少年はビデオ店を爆破したあと、散弾銃で人を撃つつもりでしたが、人がいなかったので「もういいや。これでやめよう」と銃撃は取りやめ「疲れてどうでもよくなって、自首しようと思った」と語っています。
少年は動機について「毒物劇物の試験に失敗し、むしゃくしゃして人をやっつけてやろうと思った」と供述しています。
家族
少年の家は大規模なブドウ栽培農家であり、少年は跡継ぎとして大事に育てられていたようです。祖父母、両親、弟の6人家族です。
小学校
少年は小学生の頃から銃に興味を持っており、近所の子供たちとエアガンでサバイバルゲームに興じていました。
少年は、小学校の卒業アルバムに将来の夢として「テロリスト」と書いています。
中学校
少年は、中学に進学すると「爆弾製造」に熱中するようになり、友人に自慢していたようです。市販の花火をばらし、火薬を取り出して容器に詰めるという製造法の知識はインターネットで得ていたようです。中学3年の9月頃に、近所の山林で手製爆弾 の爆発実験を行い、学校側に注意されています。
少年は、中学時代には柔道部に所属し部長を務めていたようです。
高校
中学3年の時の進路相談で、少年は進学校へ行くことを勧められましたがこれを断り、県立の農業高校へ進学しています。近所の人は「親の希望をおもんばかって、あえて普通科には進まなかったようだ」と話しています。
少年は、高校入学直後に柔道部に体験入部したものの、2、3日で練習にこなくなったそうです。
少年は「中学時代の友人と離ればなれになり、高校に入ってからは友達ができなくて寂しい」と周囲にもらしていました。高校1年の秋、少年は友人に「この学校はレベルが低い。これじゃダメだ。もっとレベルをあげないといけない。」と語ったそうです。
少年は学年で1、2位を争う優秀な成績で、四年生大学の農学部への進学を希望していたし、学校の図書館から専門書もたくさん借りて読んでいたそうです。
少年は、00年10月に宮崎県で行われた「日本学校農業クラブ全国大会」の鑑定競技会に学校代表として出場しています。校内予選で成績がトップだったので選ばれ参加したのです。
資格試験
少年は高校1年の時に「危険物取扱責任者乙種四類」の資格試験に合格しています。就職に有利になると学校が奨励していた試験で、クラスでは彼がただ一人の合格者だったそうです。
2年になって「毒物劇物取扱者(一種)」の試験を受けましたが、少年の高校からは23人が受験し5人が合格したものの、少年は不合格に終わりました。なお、少年は、この試験の受講講習会の全日程7日のうち3日しか出席しなかったようです。
予兆
00年9月初めに、少年は同じ高校の生徒に「つまらない。人生を終わりにしたい。」とつぶやいたそうです。11月末には、友人に「だれかを殺したら、どこまで逃げられるのか」などと話していました。
家族の証言によれば、事件の直前から、自分の部屋に閉じこもるようになり、家族ともほとんど話をしなくなっています。少年は、自室の扉に目張りをしたうえで施錠し、鍵穴にセロハンを張り、誰かが入れば分かるようにまでしていました。少年の留守中などに家族が勝手に入ると激しく怒り、暴力を振ることもありました。
母親によれば、少年は事件を起こす3日前の「今月1日ごろからいらいらした様子だった」そうです。
12月2日、2学期の期末テストが始まりましたが、少年の答案用紙には空欄が目立ち、点数は半分に満たなかったようです。その日、少年は学校にあった私物をすべて持ち帰っています。
祖父の散弾銃と爆弾で武装して東京に向かったのは、その翌日の日曜日のことでした。
家裁の決定
少年は、精神鑑定の結果、精神疾患はなく責任能力もあるとして中等少年院送致の保護処分とされました。裁判官は少年について次のように指摘しています。
「少年は、自由な雰囲気の少ない家庭環境や内向的な性格から、欲求不満や葛藤をうまく処理できず、小学生のころからサバイバルゲームやアニメ、漫画の世界に逃避し、現実と十分に向き合ってこなかった。また、自殺願望や将来に対する絶望感を友人や教師に打ち明けても的確な助言が得られなかった。」
家庭環境
裁判官は少年の家庭について「自由な雰囲気の少ない家庭環境」と指摘しています。
少年は大規模なブドウ栽培農家の後継ぎとして、小さい頃から期待され教育されていたと思われます。その期待に答えるべく、少年は農業高校に進みますが、最初の年から進路を間違えたことに気付いたようです。
家庭内で誰がどのように厳しく教育していたのか不明ですが、子供の頃から銃や爆弾に興味を持っていたのは、少年の欲求不満の現れかもしれません。抑圧的な環境下で、破壊願望があったのだと思います。
親の勧める進路で挫折した時、普通は家庭内暴力などになるのですが、この少年の場合は爆破事件になってしまいました。少年は祖父の散弾銃を持ち出して事件を起こしています。無意識的かもしれませんが、少年はおそらく祖父への恨みを晴らすために事件を起こしたのだと思います。幼い頃から、家庭内で少年のしつけや教育を主に行ってきたのは、祖父だったのではないでしょうか。
少年は、小学生の時に「テロリスト」になりたいと書いたり、中学生の時には手製の爆弾製造を行うなど反社会的な性向があります。少年がこうした性格になった背景には、おそらく家族の不仲があります。家族内の理不尽な人間関係が、少年を犯罪へと向かわせたのだと思います。
参考:
反抗期論、
確信犯の生い立ち
2000年に連続して起きた少年による凶悪事件の原因は、それぞれ異なります。
「孫に過度の期待をかけ教育する祖父」、「理不尽な暴力を振るう父親」、「母親による過度のしつけ」などが、おもな原因として考えられます。厳格な祖父や暴力的な父親は古典的であり、おそらくは古くからあった問題だと思います。しかし、祖父母などのいない核家族では、母親の過度のしつけを原因とする少年事件が起きています。
現代の核家族で子供の教育を仕切るのは、たいてい母親になっています。母親の過度のしつけを原因とする少年犯罪は増えていくのでしょうか?