地震と歴史の変化
過去の大地震は、歴史が大きく変化する時期や動乱の時代に発生していることが多いように見えます。そこで、日本の歴史と地震や火山噴火の関連を調べてみました。
なお、取り上げた地震は原則として死者が千人を超えるような大きな地震です。また、火山噴火については被害の多少にかかわらず、本格的な噴火を取り上げました。
飛鳥時代(592〜710)
この時代では、天武天皇の晩年に白鳳南海地震が発生し大きな被害がでたようです。
古代の大王(おおきみ)による支配が終わり、律令制度が整備され、大規模で本格的な都が建設されようとした時代です。
672年(天武元年) 壬申の乱
684年(天武13年)【白鳳南海地震】M8.25
南海・東海・西海地方で被害。家屋社寺の倒壊、人畜の死傷多数。
津波が来襲して土佐に被害。
686年(天武15年) 天武天皇薨去
690年(持統 4年) 持統天皇即位
694年(持統 8年) 藤原京
701年(大宝元年) 大宝律令
707年(慶雲 4年) 元明天皇即位
奈良時代(710〜794)
奈良時代の中頃に天平地震が起きています。死傷者数は不明ですが、かなりの大地震です。この頃には、藤原氏が力をつけてきており、藤原仲麻呂(恵美押勝)が紫微中台で権力を振るうことになります。
710年(和銅 3年) 平城京遷都
715年(霊亀元年)【遠江国地震】M6.5〜7.5
山崩れが天竜川を塞ぎ、数十日後決壊、民家170余区が水没。
死傷者数は不明。
715年(霊亀元年) 元正天皇即位
724年(神亀元年) 聖武天皇即位
729年(神亀 6年) 長屋王の変
740年(天平12年) 藤原広嗣の乱
745年(天平17年)【天平地震】M7.9
美濃で仏寺、堂塔、民家が多く倒壊。摂津で余震が20日間。
死傷者数は不明。
749年(天平勝宝元年) 孝謙天皇即位
749年(天平勝宝元年) 紫微中台創設
758年(天平宝字 2年) 淳仁天皇即位
764年(天平宝字 8年) 恵美押勝の乱
764年(天平宝字 8年) 称徳天皇重祚
770年(神護景雲 4年) 道鏡流罪
781年(天応元年) 桓武天皇即位
平安時代(794〜1185)
約400年の長きに渡る平安時代においては、初期の天皇親政、藤原氏による摂関政治、そして上皇による院政と、その政治体制は変化して行きます。こうした政治の変化のたびに富士山の噴火や大地震が起きています。
平安時代初期
桓武天皇が平安京に遷都するとまもなく富士山が噴火しています。
794年(延暦13年) 平安京遷都
800年(延暦19年)【富士山噴火】
降灰砂礫多量、足柄路は埋没。802年に箱根路が開かれました。
806年(延暦25年) 桓武天皇崩御
摂関政治時代
藤原氏による摂関政治が始まると、再び富士山が噴火し、三陸沖地震が発生しています。そして、しばらくして南海地震が起こり都でも大きな被害があったようです。
858年(天安 2年) 摂関政治始まる
864年(貞観 6年)【富士山噴火】
降砂礫多量。長尾山付近から溶岩流出(青木ケ原溶岩)。
溶岩は本栖湖に達し、「せのうみ」を精進湖、西湖に二分しました。
869年(貞観11年)【貞観三陸沖地震】M8.3
城郭、倉庫など崩れ落ち倒壊。津波が多賀城下を襲い溺死約千人。
887年(仁和 3年)【仁和南海地震】M8.0〜8.5
京都で民家、官舎の倒潰が多く圧死多数。
津波が沿岸を襲い溺死多数、特に摂津で津波の被害が大きいようです。
仁和南海地震(887年)の後、永長地震(1096年)までの約200年間は目立った大地震のない平安な時代になります。
院政時代
上皇による院政の時代が始まると間もなく、東海沖の永長地震と南海沖の康和地震が発生しています。そして、永長地震の直前には田楽踊りの大ブームが巻き起こっています。浮かれた時代だったのでしょうか、やけっぱちの気分だったのでしょうか。
1085年(応徳 2年)【三宅島噴火】
詳細不明
1086年(応徳 3年) 院政始まる
1096年(永長元年) 永長の大田楽
人々が熱狂的に田楽に踊り狂い洛中を興奮の渦に巻き込みました。
江戸末期の「ええじゃないか」にも匹敵する社会現象です。
1096年(永長元年)【永長地震】M8.0〜8.5
震源は東海沖。京都の諸寺に被害。津波が伊勢、駿河を襲いました。
1099年(康和元年)【康和地震】M8.0〜8.3
南海トラフを震源とする地震。興福寺、摂津天王寺で被害。
土佐で田千余町みな海に沈む。
平家時代
平安時代の末期に平家が台頭し、武家による政権支配が始まります。時代の大きな変化があったはずですが、この時期に大きな地震は起きませんでした。ただし、壇ノ浦で平家が滅んだ直後に、被害は大きくないのですが、京都近辺を揺らした文治地震が発生しています。
1154年(久寿元年)【三宅島噴火】
詳細不明
1156年(保元元年) 保元の乱
1159年(平治元年) 平治の乱
1177年(治承元年) 鹿ケ谷の陰謀
1179年(治承 3年) 治承三年の政変
1185年(元暦 2年) 壇ノ浦の戦い
1185年(文治元年)【文治地震】M7.4
近江、山城、大和で被害。京都白河辺で被害が大きい。
建物など被害はあったようですが、死傷者は少ないようです。
鎌倉時代(1185〜1333)
鎌倉時代には、鎌倉付近で大きな地震が起きており、かなりの被害が出たようです。
他の地ではなく政権のある鎌倉で大きな地震が頻発するは不思議です。地震は政権のある所で発生すのでしょうか。
この鎌倉時代では、中期に宮騒動・宝治合戦などがあった後に正嘉地震が発生しています。また、鎌倉幕府が滅亡する直前には永仁地震が鎌倉を襲っています。
1192年(建久 3年) 源頼朝、征夷大将軍
1221年(承久 3年) 承久の乱
1246年(寛元 4年) 名越光時の乱(宮騒動)
1247年(宝治元年) 三浦氏の乱(宝治合戦)
1257年(正嘉元年)【正嘉地震】M7.0〜7.5
「鎌倉の社寺完きものなく、山崩れ、家屋転倒し、築地ことごとく破損」
相当な大地震だと思いますが、死傷者の数は不明です。
1268年(文永 5年) 北条時宗、執権
1274年(文永11年) 文永の役(蒙古襲来)
1281年(弘安 4年) 弘安の役(蒙古襲来)
1285年(弘安 8年) 霜月騒動
1293年(正応 6年) 平禅門の乱
1293年(永仁元年)【永仁地震】M7.0
鎌倉強震。建長寺炎上、諸寺に被害。死者数千、あるいは2万3千余。
1331年(元弘元年) 元弘の乱
1332年(元弘 2年) 楠木正成、千早城で挙兵
1333年(元弘 3年) 鎌倉幕府滅亡
室町時代(1336〜1573)
室町時代は、初期は南北朝の戦いが続き、後期には戦国時代に入ります。この時代には南海トラフを震源とする正平地震と明応地震が起きています。
南北朝時代
南北朝を統一した足利義満が登場する少し前に南海トラフを震源とする正平地震が起きています。
なお、M8クラスの地震は康和地震(1099年)以来となり、260年ぶりです。
1336年(建武 3年) 湊川の戦
1338年(建武 5年) 足利尊氏、征夷大将軍
1358年(正平13年) 足利義詮、征夷大将軍
1361年(正平16年)【正平地震】M8.25〜8.5
南海トラフを震源とする地震。摂津、阿波、土佐に津波被害。
摂津四天王寺の金堂転倒、諸寺諸堂に被害。
1368年(応安元年) 足利義満、征夷大将軍
1392年(明徳 3年) 南北朝合一
戦国時代
応仁・文明の乱が始まると桜島が噴火し犠牲者が出ています。また、管領・細川政元の時代に南海トラフを震源とする明応地震が発生し多くの犠牲者が出ています。
1467年(応仁元年) 応仁・文明の乱始まる
1469年(文明元年)【三宅島噴火】
詳細不明
1471年(文明 3年)【桜島噴火】
黒神方面に溶岩流出、噴石、降灰。死者多数。
1477年(文明 9年) 応仁・文明の乱終息
1493年(明応 2年) 明応の政変:細川政元・日野富子のクーデター
1498年(明応 7年)【明応地震】M8.2〜8.4
南海トラフを震源とする地震。津波が紀伊から房総の海岸を襲った。
伊勢大湊で家屋流出1千戸、溺死5千。
伊勢志摩で溺死1万、静岡県志太郡で流死2万6千。
1507年(永正 4年) 永正の錯乱:細川政元暗殺
1535年(天文 4年)【三宅島噴火】
詳細不明
織豊時代(1573〜1603)
織田信長そして豊臣秀吉の登場により天下が統一されますが、豊臣秀吉の晩年には京都を大きな地震が襲っています。
1573年(天正元年) 足利義昭追放
1582年(天正 9年) 本能寺の変
1586年(天正13年) 豊臣秀吉、太政大臣
1586年(天正13年)【天正地震】M7.8
飛騨白川谷で大山崩れ、帰雲山城、民家300余戸埋没、死者多数。
飛騨、美濃、伊勢、近江など広域で被害、阿波でも地割れ。
1592年(文禄元年) 文禄の役(朝鮮出兵)
1596年(慶長元年)【慶長伏見地震】M7.5
京都では三条から伏見の間で被害が多い。
伏見城天守大破、石垣崩れて圧死約500。
諸寺・民家の倒潰も多く、死傷多数、堺で死者600余。
奈良、大坂、神戸でも被害が多かった。
1597年(慶長 2年) 慶長の役(朝鮮出兵)
1598年(慶長 3年) 豊臣秀吉死去
江戸時代(1603〜1868)
江戸時代には、節目ごとに大きな地震と火山噴火が何回か発生しました。家康存命の初期には慶長地震と三陸沖地震、百年後の綱吉の時代には元禄地震と宝永地震そして富士山噴火、側用人・田沼意次の時代には浅間山などの噴火、ペリー来航の幕末には安政の東海地震と南海地震が起きています。
江戸時代初期
徳川の時代になりましたが、まだ豊臣家は存続していました。この豊臣家の滅亡の頃の慶長年間に大きな地震が発生しています。
1603年(慶長 8年) 徳川家康、征夷大将軍
1605年(慶長 9年)【慶長地震】M7.9
津波が犬吠崎から九州までの太平洋岸に来襲。
八丈島で死者57、浜名湖近くの橋本で家流され死者多数。
紀伊西岸広村で1700戸中700戸流出。阿波宍喰で波高2丈死者1500余。
土佐甲ノ浦で死者350余、崎浜で死者50余、室戸岬付近で死者400余。
1605年(慶長10年) 徳川秀忠、将軍就任
1611年(慶長16年)【慶長会津地震】M6.9
会津若松城下とその付近で社寺、民家の被害が大きく、死者3700余。
山崩れが会津川、只見川を塞ぎ、南北60kmの間に多数の沼を作った。
1611年(慶長16年)【慶長三陸沖地震】M8.1
地震被害は軽く津波被害が大きかった。
伊達領内で死者1783、南部・津軽で人馬の死3千余。
1614年(慶長19年) 大坂冬の陣
1614年(慶長19年) 伊勢踊り流行
1615年(慶長20年) 大坂夏の陣、豊臣家滅亡
1616年(元和 2年) 徳川家康死去
江戸時代前期
豊臣家が滅び本当の徳川時代が始まりましたが、生類憐みの令で悪名高い徳川綱吉の時代には巨大地震が立て続けに起こり、富士山も噴火しています。この時代は元禄文化が花開いた時代でもあります。
1623年(元和 9年) 徳川家光、将軍就任
1640年(寛永17年)【北海道駒ヶ岳噴火】
山頂部が一部崩壊し海になだれ込み津波発生。700余名が溺死。
山体崩壊後も軽石・火山灰を激しく噴出。降灰、火砕流が発生。
1643年(寛永20年)【三宅島噴火】
溶岩は海中へ約1km流出。阿古村は全村焼失。
火山灰、焼石が多数降り、人家、畑を埋めた。
1651年(慶安 4年) 徳川家綱、将軍就任
1662年(寛文 2年)【寛文地震】M7.25〜7.6
畿内、東海、信濃で被害。
滋賀唐崎で田畑35町湖中に没し潰家1570、大溝で潰家1020余、死者37。
彦根で潰家1千、死者30余、榎村で死者300、所川村で死者260余。
京都で町屋倒壊1千、死者200余。諸所の城破損。
1663年(寛文 3年)【有珠山噴火】
付近の家屋は焼失または埋没し、死者5名。小有珠溶岩ドーム生成。
1677年(延宝 5年)【延宝三陸沖地震】M7.9
八戸、盛岡在に家屋破損などの被害。
三陸一帯に津波、宮古代官所管内で流出家屋35。
1677年(延宝 5年)【延宝房総沖地震】M8.0
延宝三陸沖地震の7ヶ月後に起きた地震です。
岩城から房総にかけて津波、小名浜などで死者、不明130余。
水戸領内で溺死36、房総で溺死246余、奥州岩沼領で死者123。
1680年(延宝 8年) 徳川綱吉、将軍就任
1684年(貞享元年)【伊豆大島噴火】
溶岩を北東海岸にまで流出。地震多発し、家屋倒壊。
山頂火口は、この時に現在のように大きな火口になった。
1694年(元禄 7年)【北海道駒ヶ岳噴火】
地震・火山雷を伴う噴火。軽石降下。火砕流発生。
1703年(元禄16年)【元禄地震】M7.9〜8.2
小田原で被害大きく城下は全滅、壊家8千以上死者2300以上。
川崎から小田原までほとんど全滅。江戸、鎌倉でも被害が大きかった。
津波が犬吠崎から下田の沿岸を襲い死者1千。
1707年(宝永 4年)【宝永地震】M8.6
被害は全体で死者2万、潰家6万、流出家2万。
震害は東海道、伊勢湾、紀伊半島で最もひどい。
津波が紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。
津波被害は土佐が最大。
1707年(宝永 4年)【富士山噴火】
今の宝永山で爆発し、黒煙、噴石、空振、降灰砂、雷。
その日のうちに江戸にも多量の降灰。川崎で厚さ5cm。
1709年(宝永 6年) 徳川家宣、将軍就任
1712年(正徳元年)【三宅島噴火】
溶岩が海中にまで流出。
泥水の噴出で多くの家屋が埋没し、牛馬が死亡した。
1713年(正徳 3年) 徳川家継、将軍就任
江戸時代中期
江戸幕府の中興の祖とも呼ばれる徳川吉宗が登場し改革が始まった時代です。この時代では賄賂政治で有名な側用人・田沼意次の頃に各地で火山噴火が起きています。特に浅間山の噴火では大きな被害が出ています。
1716年(享保元年) 徳川吉宗、将軍就任
1716年(享保元年) 享保の改革
1741年(寛保元年)【渡島大島噴火】
北海道の渡島大島で噴火。大津波が発生し死者1467名、流出家屋791棟。
1745年(延享 2年) 徳川家重、将軍就任
1751年(宝暦元年)【高田地震】M7.0〜7.4
越後の高田城で所々破損。鉢崎、糸魚川の間の谷で山崩れ多く圧死多数。
全体で死者1500以上。
1760年(宝暦10年) 徳川家治、将軍就任
1763年(宝暦13年)【三宅島噴火】
薄木に深い火口でき、水が溜る。
火山活動は1769年(明和6年)まで続いた。
1766年(明和 3年)【明和津軽地震】M7.25
弘前から津軽半島にかけて被害が大きかった。
弘前城破損、各地に地割れ。
津軽藩で潰家5千余、焼失200余、圧死約1千、焼死約300。
1767年(明和 4年) 側用人・田沼意次
1769年(明和 5年)【有珠山噴火】
明和火砕流、南東山麓民家焼失。小有珠溶岩ドーム生成?
1771年(明和 8年)【八重山地震】M7.4
震害はなかったようであるが、津波による被害が大きかった。
石垣島が特にひどく、全体で家屋流出2千余、溺死約1万2千。
1777年(安永 6年)【伊豆大島噴火】
多量の溶岩を流出し、先端は海中に達した。
1779年(安永 8年)【桜島噴火】
南岳南側中腹から黒煙をあげ爆発。
さらに北東側中腹からも噴火。死者150余名。
この噴火に伴う海底噴火または隆起により桜島北東海中に
9島の小島生成。その後消滅または接合して5島が残る。
1783年(天明 3年)【浅間山噴火】
江戸でも戸障子振動し、降灰あり。
関東中部で降灰のため昼も暗夜のようになる。
土石なだれが発生、川を塞ぎ次いで決壊、流域の村落を流失。
鬼押出の溶岩が北側斜面を流下。
死者1151名、流失家屋1061棟、焼失家屋51棟、倒壊家屋130余棟。
1786年(天明 6年) 田沼意次、失脚
江戸時代後期
寛政の改革や天保の改革が行われた時代です。この頃に雲仙岳の噴火により大きな被害が出ています。また、文化文政期(1804〜1829)は町人文化(化政文化)が栄えた時代です。
1787年(天明 7年) 徳川家斉、将軍就任
1787年(天明 7年) 寛政の改革 松平定信
1792年(寛政 4年)【雲仙岳噴火】
強い地震と同時に眉山が大崩壊を起し、有明海に流れ込み津波発生。
このため島原及び対岸の肥後・天草に被害、死者約15000名。
「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた。
1811年(文化 8年)【三宅島噴火】
山の北西山麓に2つの割れ目が生じた。
1822年(文政 5年)【有珠山噴火】
火砕流が発生し集落が全滅。死傷者多数。
1828年(文政11年)【三条地震】M6.9
越後の三条、見付、今町、与板などで被害。
家屋の全潰9808、焼失、1204、死者1443。
1835年(天保 6年)【三宅島噴火】
噴石、溶岩流、崩壊、地割れ。噴火の結果、阿古村で温泉湧出。
1837年(天保 8年) 徳川家慶、将軍就任
1837年(天保 8年) 天保の改革 水野忠邦
幕末
幕末になると、幕府は孝明天皇に振り回されるようになります。この時代では、ペリーの来航直後に巨大な東海地震と南海地震が連動して発生しています。
1846年(弘化 3年) 孝明天皇即位
1847年(弘化 4年)【善光寺地震】M7.4
松代領で潰家9550、死者2695、飯山領で潰家1977、死者586。
善光寺領で潰家9550、死者2486。
虚空蔵山が崩れ犀川をせき止め決壊して家屋流出810、流死100余。
1853年(嘉永 6年) 徳川家定、将軍就任
1853年(嘉永 6年) ペリー来航
1853年(嘉永 6年)【有珠山噴火】
噴火は数ヶ月続き、火砕流も発生。大有珠溶岩ドームが生成した。
1854年(安政元年)【伊賀上野地震】M7.25
伊賀上野付近で潰家2千余、死者約600、奈良で潰家700以上、死者約300。
1854年(安政元年)【安政東海地震】M8.4
被害は関東から近畿に及び、沼津から伊勢湾にかけての海岸がひどい。
津波が房総から土佐までの沿岸を襲い被害をさらに大きくした。
この地震による住宅の潰れ、焼失は約3万軒、死者は2〜3千人。
1854年(安政元年)【安政南海地震】M8.4
安政東海地震の翌日に発生。被害地域は中部から九州に及ぶ。
津波が大きく串本で15m、久礼で16m、種崎で11m。死者数千。
1856年(安政 3年)【北海道駒ヶ岳噴火】
東麓では降下軽石のため死者2名、負傷者多数、17家屋が焼失。
南東麓では火砕流に襲われ、死者19〜27名。
1858年(安政 5年) 徳川家茂、将軍就任
1858年(安政 5年) 日米修好条約
1860年(安政 7年) 桜田門外の変
1864年(元治元年) 禁門の変
1866年(慶応 2年) 徳川慶喜、将軍就任
1867年(慶応 2年) 明治天皇即位
1867年(慶応 3年) 大政奉還
1868年(慶応 3年) 王政復古の大号令
明治〜太平洋戦争(1868〜1945)
明治から太平洋戦争にかけては、戦争の時代であり激動の時代でしたが、それに合わせるかのように大きな地震が発生しています。
明治時代
日清戦争の前後に大きな地震が発生し、多くの犠牲者が出ています。
1874年(明治 7年)【三宅島噴火】
溶岩は北方に流れ、海に5000m2の新しい陸地をつくる。
人家45軒が溶岩に埋没。死者1名。
1888年(明治21年)【磐梯山噴火】
大規模な岩屑流を生じて山麓の村落を埋没し、死者461名。
家屋山林耕地の被害大きく、桧原湖、秋元湖などが生じた。
1891年(明治24年)【濃尾地震】M8.0
建物全壊14万余、半潰8万余、死者7273、山崩れ1万余。
根尾谷を通る大断層を生じ水鳥で上下6m、水平2mずれた
1894年(明治27年) 日清戦争
1896年(明治29年)【明治三陸沖地震】M8.2
津波が北海道から牡鹿半島にいたる海岸に襲来。
死者21959、家屋流出全半壊8〜9千、船の被害約7千。
波高は吉浜24.4m、綾里38.2m、田老14.6mなど。
1904年(明治36年) 日露戦争
1910年(明治42年) 韓国併合
1910年(明治43年)【有珠山噴火】
泥流で死者 1名。溶岩ドームである明治新山を生じた。
大正から昭和初期
第一次世界大戦の年には桜島噴火、そのしばらく後には関東大震災が発生しています。また、満州事変の後には三陸沖地震が発生しています。
1914年(大正 3年)【桜島噴火】
西側中腹と南東側中腹からも噴火。西方の溶岩は横山村に達した。
南東方の溶岩は脇、有村、瀬戸を埋没し、瀬戸海峡を閉塞。
地震、噴火による被害は村落埋没、全壊家屋120棟、農作物大被害等。
死者58名、負傷者112名。降灰は仙台に達した。
1914年(大正 3年) 第一次世界大戦
1923年(大正12年)【関東大震災】M7.9
震源は神奈川県西部で死者行方不明10万5千余。
住家全潰10万9千余、半潰10万2千余、焼失21万2千余。
関東沿岸に津波が襲来し、波高は熱海で12m、相浜で9.3mなど。
1926年(大正15年)【十勝岳噴火】
熱い岩屑なだれが積雪を溶かして大規模な泥流が発生。
上富良野・美瑛の2村が埋没。
死者・行方不明者144名、負傷者約200名、建物被害372棟、家畜被害68頭。
1927年(昭和 2年) 昭和金融恐慌
1927年(昭和 2年)【北丹後地震】M7.3
被害は丹後半島頸部が最も激しく、淡路、福井、岡山、米子、
徳島、三重、香川、大阪に及ぶ。
全体で死者2925、家屋全潰12584。
1929年(昭和 4年) 世界恐慌
1929年(昭和 4年)【北海道駒ケ岳噴火】
大噴火があり噴煙高度13900m。
火砕流流下、噴石、降下軽石、火砕流、火山ガスにより被害。
家屋の焼失、全半壊、埋没など1915余り。
山林耕地の被害多く、死者2名、負傷者4名、牛馬の死136頭。
1931年(昭和 6年) 満州事変
1933年(昭和 8年)【昭和三陸沖地震】M8.1
震害は少なかったが津波が太平洋岸を襲い三陸沿岸で被害甚大。
死者不明3064、家屋流出4034、倒潰1817、浸水4018。
波高は綾里湾で28.7mにも達した。
1933年(昭和 8年) 国際連盟脱退
1940年(昭和15年)【三宅島噴火】
溶岩は島下集落を覆って赤場暁に達した。
死者11名、負傷者20名、牛の被害35頭、全壊・焼失家屋24棟。
太平洋戦争
太平洋戦争の4年間には、比較的大きな地震が3回起きています。
1941年(昭和16年) 太平洋戦争
1943年(昭和18年)【鳥取地震】M7.2
鳥取市を中心に被害が大きく、死者1083、家屋全壊7485、半壊6158。
鹿野断層、吉岡断層を生じた。
1944年(昭和19年)【東南海地震】M7.9
静岡、愛知、三重などで死者不明1223。
住家全壊17599、半壊36520、流出3129。
津波の波高は熊野灘沿岸で6〜8m、遠州灘沿岸で1〜2m。
紀伊半島東岸で30〜40cm地盤が沈下した。
1945年(昭和20年)【有珠山噴火】
死者1名、負傷者1名、家屋破損、焼失、農作物に被害。
生成された溶岩ドームは昭和新山と命名された。
1945年(昭和20年)【三河地震】M6.8
地震の規模の割に被害が大きかった。特に幡豆郡に被害。
死者2306、住家全壊7221、半壊16555、非住家全壊9187。
深溝断層(延長9km、上下ずれ最大2m)を生じた。
1945年(昭和20年) 終戦
終戦〜現代(1945〜)
戦後直後には大きな地震がいくつか起きていますが、高度成長期は比較的平穏でした。
そして、阪神大震災や東日本大震災はバブル崩壊後に発生しています。
戦後復興期
終戦直後には動乱の名残か、桜島の噴火や大きな地震が起きています。
1946年(昭和21年) 日本国憲法
1946年(昭和21年)【桜島噴火】
南岳東斜面から溶岩を流し始め、黒神海岸、有村海岸に達した。
山林焼失、農作物に大被害、死者1名。
1946年(昭和21年)【南海地震】M8.0
被害は中部以西の各地に渡った。
死者1330、家屋全壊11591、半壊23487、流出1451、焼失2598。
津波が静岡県から九州にいたる海岸に来襲。
高知、三重、徳島沿岸で4〜6mに達した。
高知付近で田園15km2が海面下に没した。
1948年(昭和23年)【福井地震】M7.1
被害は福井平野およびその付近。
死者3769、家屋全壊36184、半壊11816、焼失3851。
南北に地割れの連続としての断層(延長25km)が生じた。
1950年(昭和25年) 朝鮮戦争
1956年(昭和26年) 国連加盟
高度成長期からバブル崩壊
高度成長期は平穏な時期が続きましたが、バブル景気の直前には伊豆大島の噴火が発生しました。バブル崩壊後には雲仙岳の噴火、そして阪神淡路大震災が起きています。
1960年(昭和35年) 日米安全保障条約改定
1962年(昭和37年)【三宅島噴火】
多数の火口から溶岩を海中にまで流出。噴石丘「三七山」生成。
被害は焼失家屋5棟のほか道路、山林、耕地など。
1964年(昭和39年) 東京オリンピック
1970年(昭和45年) 日本万国博覧会
1977年(昭和52年)【有珠山噴火】
噴煙高度は最高12000m。死者2名、行方不明者1名。
形成された潜在ドームは有珠新山と命名された。
1983年(昭和58年)【三宅島噴火】
溶岩流は主に3方向に流れ、南南西に流れたものは海中に達した。
西方に流れたものは住家を埋没し、海岸近くで止まった。
住宅の埋没・焼失約400棟。山林耕地等に被害。
1985年(昭和60年) プラザ合意、円高進行
1986年(昭和61年)【伊豆大島噴火】
山頂部から噴火し、溶岩流出。全島民1万人島外へ避難(約1ヶ月)。
1987年(昭和62年) リゾート開発、バブル景気
1989年(昭和64年) 昭和天皇崩御
1990年(平成 2年) 総量規制、不動産バブル崩壊
1991年(平成 3年)【雲仙岳噴火】
普賢岳の溶岩ドームが次第に成長し頻繁に火砕流発生。
火砕流災害により死者不明43人。
1993年(平成 5年) 細川連立内閣(非自民連立)
1994年(平成 6年) 村山連立内閣(自社さ連立)
1995年(平成 7年)【阪神淡路大震災】M7.3
木造家屋以外にも、鉄筋コンクリート造、鉄骨造などの建物も倒壊。
また、高速道路、新幹線を含む鉄道線路なども崩壊しました。
死者6434、不明3、負傷43792、住宅全壊104906、半壊144274。
1995年(平成 7年) 地下鉄サリン事件
1996年(平成 8年) 橋本連立内閣(自社さ連立)
1997年(平成 9年) 拓銀経営破綻
1997年(平成 9年) 山一證券自主廃業
2000年(平成12年)【有珠山噴火】
噴煙高度は3500m。複数の火口からは熱泥流が流下した。
2000年(平成12年)【三宅島噴火】
山頂部が陥没、2500年ぶりとなるカルデラを形成。全島避難。
低温の火砕流が海まで達し、雨による泥流が頻発した。
小泉構造改革から現在
小泉内閣でバブルの後始末がつき、構造改革が行われました。その後に民主党に政権が移りますが、その直後に東日本大震災が発生しています。
2001年(平成13年) 小泉構造改革
2002年(平成14年) 道路公団民営化
2005年(平成17年) 郵政民営化
2008年(平成20年) リーマンショック
2009年(平成21年) 鳩山内閣(民主党)
2010年(平成22年) 菅内閣(民主党)
2011年(平成23年)【東日本大震災】M9.0
死者16278、不明2994、負傷6179、住家全壊129198、半壊254238。
死者の90%以上が水死で被害の多くは巨大津波によるもの。
現地調査によれば津波は最大40m
2011年(平成23年) 野田内閣(民主党)
2012年(平成24年) 安倍内閣(自民党)
明治維新以降の大日本帝国は77年後の敗戦で終焉しています。太平洋戦争の敗戦で誕生した新生日本も約70年経過しました。
歴史的な大被害をもたらした阪神大震災や東日本大震災に襲われた今の時代は、大きな歴史の転換点に達しているようにも見えます。