日本語ポップスの黄金時代

日本語カバー曲の時代

60年代の前半に、米国などのヒット曲に日本語の歌詞を付けたカバー曲がヒットし、テレビでもよく流れていました。私が洋楽好きになったきっかけでもあります。坂本九の「ステキなタイミング」や飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」のように日本語の中に英語をまじえた訳詞が新鮮でした。 日本語的にも特に違和感もなく聞いていました。洋楽カバー曲の黄金時代だったと思います。
 代表的なヒット曲
 ザ・ピーナッツ 情熱の花
 坂本九     ステキなタイミング
 飯田久彦    ルイジアナ・ママ
 弘田三枝子   ヴァケィション
 中尾ミエ    可愛いベイビー
 田辺靖雄    ヘイ・ポーラ
 西田佐知子   コーヒールンバ
なお、この頃にはポップスとも歌謡曲とも言えない変わった曲もヒットしていました。この時代の気分を表しているのでしょうか、どこかポップな感じはあります。
 代表的なヒット曲
 平尾昌晃    星は何でも知っている
 平尾昌晃    ミヨちゃん (後にドリフターズがカバー)
 守屋浩     僕は泣いちっち
 ジェリー藤尾  遠くへ行きたい
 梓みちよ    こんにちは赤ちゃん

坂本九:スキヤキの奇跡

60年代前半の日本の洋楽シーンを担った一人が坂本九です。彼も最初は「ステキなタイミング」のようなカバー曲を歌っていましたが、その後、オリジナル曲を歌うようになります。最大のヒット曲は、もちろん「上を向いて歩こう」です。
坂本九はこの曲を少し変な日本語で歌っているように聞こえます。「うへぉむふぃてあーるこおぅおぅ・・・」どこか日本語らしくないこの歌い方、あるいは日本語で作られたとは思えない曲調が米国でも受けたのかも知れません。「SUKIYAKI」というタイトルで、世界中で大ヒットしました。 なお、このころの坂本九の他の曲、たとえば「見上げてごらん夜の星を」にも坂本九の独特の歌い方があります。「みはーげてごらん・・・」と歌っています。それでも、これらは至極まっとうな日本語の曲に聞こえます。違和感のある日本語の曲ではありません。でも、そのせいか「SUKIYAKI」以外の曲は外国ではヒットしませんでした。
 この頃の坂本九のヒット曲
 ステキなタイミング(カバー曲)
 上を向いて歩こう
 見上げてごらん夜の星を
 明日があるさ
 幸せなら手をたたこう

ザ・ピーナッツ:日本語ポップスの大スター

60年代の洋楽系の大スターがザ・ピーナッツです。「シャボン玉ホリデー」などのテレビ番組に出演し、ヒット曲も多くあります。
60年代前半のザ・ピーナッツの曲は日本人の作曲家による日本語の歌であるにもかかわらず、このころの洋楽的な良さ持ったポップソングでした。これらの名曲は、現在まで多くの人にカバーされています。
ザ・ピーナッツの魅力は、やはりハーモニーの良さと唄の上手さだと思います。あらためて聴いてみると、日本人にしては、思ったよりも太い声で歌っています。
 この頃のザ・ピーナッツの代表的ヒット曲
 情熱の花(カバー曲)
 ふりむかないで
 恋のバカンス
 ウナ・セラ・ディ東京
 恋のフーガ

日本語ポップス黄金時代の終焉

しかし、この日本語ポップスの幸福な黄金時代も数年で終わってしまいました。ベンチャーズやビートルズが日本でもヒットし始めるとポップソングの世界も変わり始めました。スパイダーズやブルーコメッツのようなバンドが現れて、その後のグループサウンズにつながる潮流となります。
やがて、坂本九やザ・ピーナッツにもヒット曲が出なくなり、日本語ポップスの黄金時代は終焉しました。
この後の洋楽は、オリジナルをそのまま聴くようになりました。洋楽を日本語のカバーで聴くのは、過渡期の現象だったのかも知れません。
また。この後も分野としてのポップソングは残りましたが、次第に日本語化が進んだせいか歌謡曲とあまり区別の付かない世界になってしまいました。

桑田佳祐:衝撃的な日本語ポップス

70年代の後半に突如現れた桑田佳祐(サザンオールスターズ)のデビュー曲の日本語の壊し方は衝撃的でした。でも、サウンド優先で、曲に合わせて怪しい日本語で歌うやり方は大成功でした。
日本語の歌詞に合わせて作られた曲は、どうしても日本風になります。日本のロックが何か妙に聞こえるのは、やはり日本語のせいだと思います。
桑田佳祐の名曲、特にバラードの名曲は落ち着いて聴けるオーソドックスなスタイルで作られているように思います。また、その歌い方は黒人音楽を意識しているようにも聞こえます。
なお、桑田佳祐はザ・ピーナッツや、その曲を作った宮川泰(ひろし)を好きなようです。ポップな感覚は、その影響も受けているのかも知れません。

(参考)
日劇ウェスタンカーニバルとロカビリー
50年代から60年代にかけて日本ではロックンロールではなくロカビリーが流行りました。ロカビリーはエルビス・プレスリーのサウンドと言ってもよいかと思います。ロックとカントリーミュージックのヒルビリーを合わせた造語のようです。
当時の日本では米国のカントリー(ウェスタン)ミュージックが人気であり、日本人のバンドが進駐軍キャンプなどで稼いでいました。彼らが最初に日本にエルビス・プレスリーを中心としたロックを導入したのです。そのため、日本では、ロックはカントリー寄りで理解されてしまいました。その結果、彼らの祭典はウェスタンカーニバルという名称で開催され続けることになったようです。日本のロックの不幸の始まりでした。
ベンチャーズとビートルズ
エレキギターによるベンチャーズのサウンドは日本中を席捲しました。信じられないかも知れませんが、ベンチャーズとビートルズの人気を比較すると、当時の日本ではベンチャーズの人気が圧倒的でした。
バンドを目指すエレキ小僧は、まずベンチャーズをコピーして、次にビートルズをコピーしたのです。まったく違和感もなく両者が共存していました。
ビートルズはチャック・ベリーやリトル・リチャードなどをコピーしてロックを始めていますが、日本のエレキ小僧はチャック・ベリーやリトル・リチャードのような黒人音楽を意識することなく、ロックを日本的にコピーしていったのです。日本のロックの更なる不幸でした。
米国と英国のロック
ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワートなどがいる英国の方が、米国より本格的なロック・ミュージシャンが多いような気がします。また、彼らの方がブルースなど黒人音楽を好きな人が多く、その影響を多く受けているように思います。
対照的に米国のロックの多くには、ボン・ジョビやヴァン・ヘイレンのように、カントリーミュージック的な軽さを感じます。
「SUKIYAKI」のカバー
SUKIYAKI(上を向いて歩こう)は黒人受けの良い曲のようです。米国の黒人のグループ、歌手によって何度かカバーされヒットしています。切ない感じが受けるのかも知れません。日本人が歌うより少し粘っこい歌い方をしているように思います。
1981 A TASTE OF HONEY :ボーカルが女性2人の男女4人のグループ
1994 4 P.M.(For Positive Music) :男性4人のコーラスグループ
1997 Mary J Blige :Queen of Hip Hop Soulと呼ばれる大物女性歌手
   「Evrything」というタイトルでカバーしています。

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2011.7.4 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp