解離性障害と犯罪

解離性障害は多重人格や健忘、離人症などに代表される精神障害です。

多重人格(解離性同一性障害): まったく別の人格が交代して現れる現象です。別の人格がしたことを本人(本来の人格)が覚えていないこともよくあります。
健忘(解離性健忘): 何か衝撃的なことが起きると、その前後の記憶がなくなってしまうことがあります。また、日常的に「知らないうちに違うところにいる」、「買った記憶のない物を持っている」などの症状を起こす人もいます。
離人症(解離性離人性障害): 自分が離れたところから自分自身を見ているような感覚を持つ現象です。たとえば後ろから自分自身の行為を見ているようなこともあります。
解離性障害は、幼児期の性的外傷、虐待、育児放棄などによって起きることが多いとされています。つまり、安心して居られる場所がなかったケースです。
家族内では、両親の不仲や離婚、親からの虐待、母親との一時的な分離体験、親のアルコール症などが原因になるようです。家族外では、学校での持続的ないじめや交通事故なども原因になります。
また、幼少時からおとなしく自己主張をしない子、自分を抑えて聞き分けがいい子が解離性障害を発症することも多いようです。

解離性障害の事件

解離性障害については、一般の人の理解が進んでいるとは言いがたい状況にあると思います。そうした状況下で、犯人が解離性障害を発症していると思われる殺人事件も多く発生しています。
 宮崎勤    連続幼女誘拐殺人事件(1988年)
 酒鬼薔薇聖斗 神戸連続児童殺傷事件(1997年)
 11歳女児  佐世保同級生殺害事件(2004年)
 畠山鈴香   秋田連続児童殺害事件(2006年)
 三橋歌織   夫バラバラ殺人事件(2007年)
 武藤勇貴   渋谷区短大生死体切断事件(2007年)
これらの事件の捜査にあたる警察官や検察官は、犯人が解離性障害だと思っていませんから、犯人に事件当時のことを思い出させ、ストーリーを組み立てます。
しかし、犯人が多重人格や健忘の場合、事件前後については覚えてないことがあります。そのため、検察が無理やりにストーリーを組み立て、供述書を作っても裁判で綻びが露わになってしまいます。
また、解離性障害の人の場合、思いついたことを実行に移す傾向があり、時として脈絡のない不合理な行動を取ることもあります。これについても検察が一般常識に従い筋書きを作ると、後々裁判で破綻することがあります。おそらく、解離性障害の人は目的もなく、思いついた事を実行しています。
そうした解離性障害の事例を各事件を通して見てみたいと思います。

宮崎勤(26) 連続幼女誘拐殺人事件(1988年)

生い立ち
宮崎勤は1962年8月21日に五日市町(現あきるの市)で生まれています。
父親は印刷業で地元新聞を発行する名士です。両親は不仲だったようで、家族はバラバラで解離状態だったとも言われています。
宮崎勤には手の障害があり、手のひらを上に向ける動作ができなかったようです。両親は彼には冷たかったようですが、祖父には可愛がられて育ったようです。
なお、宮崎勤は小さいころから「はっと気づくと別の場所にいる」という解離性障害を思わせる体験をしているようです。
進学と就職
高校は都内の名門である明大中野高校に通っていました。高校卒業後は東京工芸大学短期大学部画像技術科に入学。
短大を卒業した後は小平市の印刷会社に勤務しましたが、仕事ぶりは熱心ではなく、転勤命令が出た機会に退職したようです。
退職後は家業を手伝うこともあったようですが、ほとんど引きこもり生活だったようです。
祖父の死
88年5月、宮崎勤の良き理解者であった祖父が死亡します。この時のことについて宮崎勤は次のように語っています。
「おじいさんが見えなくなっただけで、姿を隠しているんだと強く思った。」
「本当の両親は別のところにいるんだと、ぴーんとわかった。」
そして、このころから宮崎勤は異常行動や精神病理的現象を示し始めます。
12月8日には、父親の髪の毛を掴んで車のドアに何回か頭を打ち当てました。このため父親は病院に入院し手術しています。
事件
宮崎勤は祖父の死後の数ヶ月で、立て続けに幼女を誘拐し殺害しています。
88年8月22日、今野真理ちゃん(4歳、入間市)が行方不明。
宮崎勤は山林に連れ込み絞殺。殺害現場をビデオで撮影しています。
88年10月3日、吉沢正美ちゃん(7歳、飯能市)が行方不明。
宮崎勤は山林に連れ込み絞殺。
88年12月9日、難波絵梨香ちゃん(4歳、川越市)が行方不明。
12月15日に雑木林で全裸の状態で発見されました。
88年12月20日、難波絵梨香ちゃんの父親宛に葉書が届きます。そこには「絵梨香」、「かぜ」、「せき」、「のど」、「楽」、「死」という文字が貼られていました。
89年2月6日、今野真理ちゃんの自宅玄関前に遺骨の入ったダンボールが置かれていました。そこにはワープロで「真理」、「遺骨」、「焼」、「証明」、「鑑定」と打たれた紙とピンク色のショートパンツの写ったインスタント写真が入っていました。
しかし、この遺骨の歯についての鑑定では、真理ちゃんとは別人の物とする結果が出されました。
89年2月11日、朝日新聞に「今田勇子」からの犯行声明が届きました。そこには真理ちゃんの眠ったような写真も添付されていました。遺骨の鑑定結果に反論するために出された犯行声明です。
89年3月11日、朝日新聞と今野真理ちゃん宅に「今田勇子」の告白文が届きました。この日は今野真理ちゃんの告別式の日でした。
89年6月6日、野本綾子ちゃん(5歳、江東区)が行方不明。
6月11日に飯能市の宮沢湖霊園の公衆トイレで野本綾子ちゃん遺体が発見されました。首、両手、両足が切り取られた状態でした。
89年7月23日、八王子市で6歳の女児を脱がして写真を撮ろうとしていた宮崎勤が、追ってきた父親に捕まりました。
精神鑑定
宮崎勤の精神鑑定は2回行われています。
1回目の精神鑑定では、「精神分裂病を含む精神病状態になく、人格障害の範囲にあった」とされました。
2回目の精神鑑定では意見が分かれ、「多重人格障害」と「精神分裂病状態」の2つの結果が提出されています。
多重人格障害(解離性同一性障害)の鑑定は帝京大学・内沼幸雄教授と東京大学・関根義夫助教授によって出されています。
解離性障害
宮崎勤には、多様な解離性障害の症状が出ています。
離人
宮崎勤は店で一度に50〜60本のビデオテープを万引きしていますが、この時のことを次のよう語っています。
「もう一人の自分がのそりのそりと万引きしているのを、本人がどっきんどっきんしながら後ろから見ていた。この時には、懐かしいスリルを感じていた。」
健忘
「どこで入手したか分からないビデオテープが大量に車のトランクにあった。」
「値札の付いたテープが知らないうちに自分の部屋にずらりと並んでいた。」
瞬間移動
自分がはっと気づいた時に別の場所にいる。
祖父の幻視
どんな姿をして出て来るの?
「普段着、余所(よそ)行き、寝巻姿など、いろいろ。おじいさんが 決めている。」
大きさはどのくらい?
「小ぢんまりしている。9割くらい。だから不思議なの。」
幼女について
「出会った子は私と同じ意思、考え方を持っているから、私と違う考え方をしない。いつも私に味方する親切な脇役。そばに居るんだけと居ないみたい。」
ネズミ人間
宮崎勤は、幼女が泣き出すとネズミ人間が出てくると言っています。犯行時のことは、本人は覚えていないようです。犯行はネズミ人間がやったということらしいのです。
「長い髭を生やした顔は大人より大きく、身長もヌーッとして大人より大きい。手と足は人間と同じだが灰色をしている。何も喋ることなしにいきなり襲ってくる。10人くらいで取り囲むように出てくる。呼び出せる子供が呼び出すと、どこからともなく出てきて襲ってくる。」
死体のビデオ撮影
「昨日おかしな夢をみたけど、夢かな、本当かな、もし本当で生き返っていなかったら肉物体(死体)がそこにあるわけだから・・・・・・。肉物体を映像にするという考えが出て、新しい自分(分身)が動き出した。もう一人の自分(分身)は、のそりのそりというか、淡々とやっている。あれだけ冷静にやれるから不思議だなあ・・・・・・と。もう一人の自分(分身)が執着心を持っている。いつも、後ろ姿、たまに斜めとか横の姿が見える。」
祖父に捧げる
宮崎勤は祖父に捧げる奇妙な儀式を行っています。
「分身は祖父の物置にあった藁を出す。それで50センチ大の藁人形を作る。自分の部屋に戻って、遺体を撮影したビデオを本棚に立てて供えた。藁人形の周りに円形のロープを置く。宮崎勤の格好といえば、頭にロウソクを2本立てて鉢巻をし、火をつけ、体を前後に振りながら1、2分間、ロープの周囲を回った。「テープをおじいさんに送って甦らせる」ための儀式だったという。」
犯行声明文(今田勇子)
今田勇子からの犯行声明文について、宮崎勤本人は「あんなめんどっちいことしない」と否定しています。
宮崎勤の書いた上申書の文字は丸っこい字ですが、今田勇子の犯行声明文の文字はわざと角張った字で書いてあります。しかも、かなり長文です。
捜査本部が専門家に依頼して、この声明文の分析を行っています。性別:7対3で男、年齢:40歳前後、という結果になっていました。宮崎勤の別人格は見事に世間を騙せました。
M鑑定人に対する鑑定拒否文
精神鑑定のM鑑定人に対して、宮崎勤は鑑定拒否文を書いています。 ただし、後日、本人はこれを書いたことを覚えていないようです。普段の宮崎勤からはうかがえない冷静で鋭い文章を書いています。
あなたは<姿が一人>というのと<孤立している>というのとの意味の違いさえ知らない人間だ。あなたは何でも、姿が一人である人を見ると「その人は自分で、孤立していると思っているはずだ」としか思うことの出来ない哀れな、いや恐ろしく決めつけの強い人間だ。<姿が一人>というのと<孤立している>というのとの違いさえ知らぬ者が今まで医者でやってきただってえ!? 少しは恥を知った方がいい。
そんなんで人を診られるわけがない。鑑定の手伝いなどと決まったそうだが、自分から辞退される位の姿勢は見たいものだ。今まで何人も診てきたと聞くが、今まで「何人ひとを決めつけてきたか」を数えてみるがいい。
私はあなたを断る。
接見弁護士の印象
弁護士は宮崎勤について不可解、不思議な人物であるという印象を受けたと述べています。
1.とても無表情であったこと、機械的というか、冷たい印象を受けたこと。
2.悪いことをしたという意識がないということ。とりわけ、極刑になるという認識は持っていないように思った。
3.事実についてぽつぽつ語るが、話し方に主語がないこと。単語が短いこと、用語がわかりづらいところがある。事実関係については、人ごとのように話す。
4.祖父との関係などについて独特の世界、考え方があるという強い疑いを持った。
5.ビデオとの関係についても同様に独特の考えあるいは世界があるという強い疑いを持った。
多重人格
内沼幸雄鑑定人(帝京大学教授)によると、宮崎勤の内面には、次の4人の人格がいるようです。
 A:幼稚な部分と哲学的部分が混在した被告本人
 B:衝動的殺人者である子供
 C:冷静な人物
 D:犯行声明を書いた「今田勇子」
裁判中の宮崎勤
宮崎勤は自分の裁判中も他人事のように過ごしています。
裁判長から「あらためて言いたいことがありますか」と尋ねられて、「私の車とビデオテープなんですけど、全部返してほしい。免許のことも気になるので免許証を返してほしい。車に油をくれないと乗れなくなるので、車に油をやってほしい。」と答えています。
裁判中は無関心なようすで着席するとすぐペンを執って「絵描き」に熱中します。そして、裁判長に質問されると「あっ、聞いてなかった」 「ずっと何か書いてたでしょう」「あっ、絵かいてたから」と答えています。
拘置所への差し入れの書籍、雑誌には「ドラゴンクエスト」や「ゴジラ対キングギドラ」の他に「逸脱の精神史」とか「刑事弁護」といった本もありました。普段の宮崎勤が読みそうな本ではありません。
最高裁で死刑が確定した後も「何かの間違い」「無罪になる」「私が残忍だと勘違いされた」と淡々と答えています。
判決
06年1月17日、死刑が確定。08年6月17日、宮崎勤の死刑が執行されました。

少年A(14) 神戸連続児童殺傷事件(1997年)

生い立ち
少年は1982年7月7日生まれです。父親は重工業メーカーに勤務、母親は専業主婦です。少年は長男で1歳年下の次男、3歳年下の三男の3人兄弟で育ちました。
7歳までは2DKの社宅暮らしでしたが、その後は、2階建ての母方の祖母の家に引っ越しています。
幼少期
母親は厳しいしつけをする人だったようです。祖母にも「あんたは、子供たちをよく叱って厳しすぎる。そんなんやったらあかん。子供が萎縮してしまうわ」と言われていたようです。また、母親自身も「三男が生まれた頃は、少年Aが四歳、次男は三歳で寝不足な日も続いていたので、長男の少年Aには厳しく怒って注意していたかもしれません。」と述懐しています。少年が五歳のころ「足が痛い、痛い」と言うので病院に連れていくと医者に「長男さんをもっとかまってあげてください。おそらく精神的な面からくる症状でしょう。」と言われています。
幼時期のころの少年について母親は「いつもおとなしく、いつもフニャとして人の後に付いていく子でした。」、「性格も少し気が弱く、内向的でした。「取られたら、取り返しなさい」覇気を持ってもらいたいと思い、よくそう注意したものです。」と言っています。また、幼稚園時代にいじめられていたようですが、母親は事件後の報道で知りましたと説明しています。少年は長男らしい几帳面な性格だったようです。「変に几帳面なところがあって、服はきっちり着て、夏でも襟のあるカッターシャツをつけ、ソックスをはかないと気が済まない子でした。」
小学校低学年
少年の小学校での成績は良くなかったようです。「通知表は2ばかりでした。」と母親は言っています。少年は、塾には通ってなく、小学校2年から6年まで少林寺拳法を習っていたようです。小学校入学のころ、母方の実家に引っ越しており祖母が家族に加わります。厳しい母親とは違い、祖母は少年にやさしかったようです。
少年が小学校3年生のときの作文があります。
「まかいの大ま王」
お母さんは、やさしいときはあまりないけど、しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、あたまから二本のつのがはえてきて、ふとんたたきをもって、目をひからせて、空がくらくなって、かみなりがびびーっとおちる。そして、ひっさつわざの「百たたき」がでます。お母さんは、えんま大おうでも手が出せない、まかいの大ま王です。
少年が小学校3年生のときに少し異常なできごとが起きています。
「兄弟3人が、三つ巴で取っ組み合いの喧嘩をしているところに帰ってきた夫が、長男の少年に手を上げ、怒鳴りつけました。すると少年は、急に目を剥くというか変に虚ろな目になり、宙を指差して、「前の家の炊事場が見える、団地に帰りたい、帰りたい」とうわ言のように喋りました。その様子がとても普通ではなく、怯えたようにガタガタ震えだしました。」 この時、母親は少年を神経内科に連れていきましたが、「軽いノイローゼ」と診断されています。
小学校高学年
少年が小学校4年生のころ祖母が亡くなっています。母親は知らなかったそうですが、これを境に、少年の蛙やなめくじの解剖が始まったようです。
母親によると、少年は泣き虫で気の弱い子供でしたが、小学校高学年のころには、友達も多くなり、よく外に出て遊ぶようになっていたようです。
しかし、小学校6年生の時に、図工で赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつもさした不気味な作品を作って。少年は「粘土の固まりは人間の脳です」と説明しています。また、母親に問いただされ「ぼくの友達がいじめられとって、その子に仕返しをするために刃をつけたんや」と答えています。
さらに、小学校6年生の時に問題行動が現れてきます。後の被害者・土師淳くんは弟の三男の同級生ですが、少年が土師淳くんを殴る騒ぎを起こし学校から連絡を受けています。少年は、職員室で「あの子がちょっかいを出したからや」と説明したそうです。
また、翌月の春休みに友達と4人と万引きで補導されています。万引きした品物は温度計です。母親はもちろん知らなかったのですが、少年は温度計の水銀を集めて猫に飲ませて実験をしていたようです。
中学校
中学校に入学すると、部活として卓球部に入ります。しかし、少年の悪さはおさまりませんでした。
4月早々に、カッターナイフで小学生の自転車のタイヤをパンクさせ、学校から連絡がきます。「その小学生がAと友達に石を投げてきたので、その仕返しをした」とのことでした。
6月に少年が部活中にラケットで仲間を叩いたとして、学校から連絡を受けています。「そいつが僕の足をひっかけたから、仕返しをしたんや」が少年の言い訳でした。
次には、友達3人と同級生の女生徒の体育館用のシューズを燃やし、その子の鞄を男子トイレに隠すという事件を起こしています。本人は「自分のことはいいが、家族をバカにされたので頭にきてやった」と説明しています。
問題行動が多く、小学校3年生の時の異常なできごともあったので母親は、神経小児科に連れていきMRI検査も受けています。一歳半の時に頭を強打し5針も縫っていることもあり心配になったのです。結果は脳に異常はなし。IQも70で普通ですと言われています。ただし、「注意散漫・多動症」とも診断されました。後の審判時に「少年は、自分は周囲と違い、異常だと思い、落ちこんでいた」と母親は聞かされています。
中学2年生になっても、母親がよく学校に呼び出されています。このころ「学校から帰って来ると、少年は「しんどい、しんどい」としきりに漏らすようになりました。めっきり口数が減って、暗い表情になり、友達と外にもあまり出掛けなくなりました。」と母親は書いています。また、何があったか不明ですが、親子で次のような会話をしています。
「みんな、僕のこと怖がってるみたいやわ」
「あんた、何かしたん?」
「誰かが、僕のあることないこと言いふらしてるから、そのせいとちゃうか」
さらには、事件の「前兆」が現れます。家の軒下の空気孔から家のものではない家庭用斧が見つかったり、床下から猫の死体が出てきたりしています。また、少年の部屋からナイフが見つかり、何度か母親が取り上げています。11月にはレンタルビデオ店でホラービデオを万引きして警察に補導されましたが、このナイフも万引きしたものだったようです。
通り魔事件
中学2年生の3学期には少年は連続通り魔事件を起こしています。
97年2月10日、路上で2人の女児がハンマーで殴られ1人が重症。
97年3月16日、公園で小4の女児が金槌で殴られ脳挫傷で死亡。その直後に小3の女児が小刀で腹部を刺され2週間の怪我。
少年は犯行ノートに次のよう書いています。
H9・3・23愛する「バモイドオキ神」様へ
朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。新聞を読むと、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。容疑も障害から殺人、殺人未遂に変わりましたが、捕まる気配はありません。目撃された不審人物もぼくとかけ離れています。これというのも、すべてバモイドオキ神様のおかげです。これからもどうかぼくをお守りください。
児童相談所
中学3年生の5月に同級生を殴ったとして、親が呼び出されています。ナイフで脅したり、拳に時計を巻いて歯が折れるまで殴ったりしたそうです。このとき、少年は父親が何を聞いてもブルブル震えるばかりで様子がおかしかったようです。少年は猫を殺しているなどと、その友達に悪口を言いふらされて腹を立てての行動だったようです。
この暴力事件をきっかけに少年は不登校になり、母親と一緒に児童相談所に通うことになります。母親は少年に生きる気力がなく、投げやりになっているのが心配だったようです。
少年は「世の中、面白くない。生きていても、楽しいことなんか何もない。」と言っていたようです。児童相談所の性格テストで「掴み所がなく、分かりにくい」「防御がきつくて分かりにくい」と告げられています。
酒鬼薔薇聖斗
児童相談所に通っている時に、世の中を震撼させたあの事件を起こしています。
5月24日、弟の同級生の土師淳くん(小5)を近所の高台で殺害。
5月27日、土師淳くんの切断した頭部を中学校の正門前に置いています。
次に掲げるのは少年の書いた「挑戦状」です。
さあ、ゲームの始まりです
馬鹿な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOL KILLER (スペルの間違いは原文のまま)
学校殺死の酒鬼薔薇
精神鑑定
母親は否定していますが、精神鑑定書によると少年は幼児期に厳しいしつけ(虐待)を受けていたようです。
家庭における親密体験の乏しさを背景に、弟いじめと体罰との悪循環の下で「虐待者にして被虐退者」としての幼時を送り、“争う意思”すなわち攻撃性を中心に据えた、未熟、硬直的にして歪んだ社会的自己を発達させ、学童期において、狭隘で孤立した世界に閉じこもり、なまなましい空想に耽るようになった。
そして、精神鑑定書は事件に至る過程を説明しています。
思春期発来前後のある時点で、動物の嗜虐的殺害が性的興奮と結合し、これに続く一時期、殺人幻想の白昼夢にふけり、現実の殺人の遂行を宿命的に不可避であると思い込むようになった。この間、「空想上の遊び友達」、衝動の化身、守護神、あるいは「良心なき自分」が発生し、内的葛藤の代替物となったが、人格全体を覆う解離あるいは人格の全面的解体には至らなかった。また、独自の独我論的哲学が構築され、本件非行の合理化に貢献した。かくして衝動はついに内面の葛藤に打ち勝って自己貫徹し、一連の非行に及んだものである。
また、少年には異常な性癖、行動があったわけですが精神病ではないとされています。
普通の知能を有し、意識も清明である。精神病ではなく、それを疑わせる症状もない。責任能力はあった。
そして解離性障害の傾向や兆候も指摘されています。
非行時ならびに現在、離人症状、解離傾性が存在する。しかし、本件一連の非行は解離の機制に起因したものではなく、解離された人格によって実行されたものでもない。
鑑定書の中で空想上の友達を語り、その姿も描いていたようです。母親は手記で次のように書いています。
「エグリちゃん」と名付けた身長45センチぐらいの女の子。その絵は気持ち悪くなるようなグロテスクなものでした。頭から脳がはみ出て、目玉も飛び出している醜い顔で、エグリちゃんはお腹が空くと自分の腕を食べてしまうそうです。「ガルボス」という空想上の犬(絵はない)も友達で、「僕が暴力をふるうのは「ガルボス」の凶暴さのせい」と、話していました。
「酒鬼薔薇聖斗は自分の中にいて、彼の存在を心の中で感じられていました。だから、絵は描けません。でも、エグリちゃんは自分の外にいる友達なので、絵にすることができます。」
異常行動のきっかけ
宮崎勤は祖父が亡くなると、おかしくなり凶行を開始しました。少年Aの場合は祖母が亡くなってから、異常な行動が始まっています。
良き理解者、保護者がいる安心できる生活環境が失われたことが、精神の変調を招き事件につながったように見えます。

女児(11) 佐世保同級生殺害事件(2004年)

生い立ち
女児は1992年11月21日生まれのようです。
共働きの両親と祖母、高校生の姉の5人暮らしでした。父親は教育熱心であり、家にはパソコンが数台あったそうです。
女児は幼少期から泣いたり甘えたりすることが少なく手のかからない子として育てられたようです。女児が2歳のころ父親が長期間入院したため、母親も父親の面倒や仕事で忙しく女児の面倒を見られなかったようです。
小学校
女児は小学校4年生の時に地元のミニバスケットボールのチームに入っていましたが、学校の成績が下がったため、親に勉強がおろそかになるなら辞めなさいと言われ、6年になる直前に辞めています。そして、女児は6年生になってから中学受験のため塾に週3回通い始めています。
両親や周りの人たちの女児に対する印象は「おとなしく明るい子」、「イエス、ノーをはっきり言えない」というものでした。学校の調査によると女児の印象として、「まじめ」、「努力家」などの証言が多く、学習や係活動等において地道に頑張っていたことがうかがえます。
しかし、同級生たちによると「すぐ怒る。短気。」、「からかわれると、相手が男子でも殴ったりけったりしてくることがあった。」ということでした。
バトルロワイヤル
女児は「バトルロワイヤル」のようなホラーや殺人場面が出てくる小説をよく読んでいたようです。そして、「バトルロワイヤル」をまねた自作小説も自分のHP(ホームページ)に載せています。おそらく、空想好きな一面があったのです。
また、事件の少し前に、自分のHPに次のような書き込みをしています。不平不満がたまっていたことがうかがえます。
うぜークラス
つーか私のいるクラスうざったてー。
エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、
下品な愚民や
失礼でマナーを守っていない奴や
喧嘩売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るヘタレや
高慢でジコマンなデブスや
カマトト女しったか男、
ごく一部は良いコなんだけど大半が汚れすぎ。
寝言言ってんのか?って感じ。
顔洗えよ。
被害者との関係
女児と同級生である被害者の御手洗怜美さんは、「交換日記を行うほどの交友関係にあった。担任の手伝い等は必ず2人で行い、2人とも絵をかくこと、パソコンをすることなど、共通の点が多かった。」ようです。仲は良かったが親友同士というまではいかなかったという付き合いだったそうです。
事件
04年6月1日、女児は仲の良かった御手洗怜美さんをカッターナイフで首の右側を深く切りつけ殺害しました。この時のことを、女児は県警に次のように話したようです。
給食が始まる午後0時20分ごろ、「ちょっとおいで」と言って怜美さんを学習ルームに誘った。部屋に入ると、まず外から見えないように2人でカーテンを閉めた。そのあと、タオルのようなもので被害者に目隠ししようとした。でも、嫌がられたので椅子に座らせ、後ろから手で目隠しして切った。
女児は動機について次のように言っています。
5月末ごろ、怜美さんのHP(ホームページ)に自分のことを「ぶりっこ」「いいこぶっている」などと書き込まれた。やめてほしいとHP上で伝えたが、同じようなことを再び書かれ、この世からいなくなれと思った。
また、書き込みの数日前、女児は怜美さんを含む複数の友達とおんぶし合って遊んだ際、「重い、重い」とふざけ合ったことを、「自分の体重を言われたと思った。気にしていた。」とも話しています。なお、女児は小柄で太ってなどいなかったようです。
精神鑑定(要約)
女児は幼少期から泣いたり甘えたりすることがなく、一人で遊んだりテレビを見たりして過ごすことが多かった。両親はそれを「育てやすい」と誤解した。そのため、女児は自分の欲求や感情を受け止めてくれる人がいるという基本的な安心感や他人への愛情が希薄になった。両親の情緒的働きかけが十分でなく、女児には自分の感情を受け止めてくれる他者がいるという安心感が希薄である。
安心感や愛着を基盤とする対人関係や社会性、共感性の発達も未熟である。また、女児は情緒的な分化が進んでおらず、情動に乏しい。女児は愉快な感情は認知し、表現できるものの、その他の感情の認知・表現は困難で、とりわけ怒り、寂しさ、悲しさといった不快感情は未分化で適切に処理されないまま抑圧されていた。
女児は怒りを回避するときに空想に逃避する傾向や、強い怒りを急激に感じたときの行動を問われても記憶を想起できない場合があることなどからすると、時には短時間、女児の処理できない強い怒りの反応として生じる解離状態となって攻撃衝動の抑制も困難となるものと推測される。
以上に述べた女児の特性などは、いずれも重篤ではなく、何らかの障害と診断される程度には至らない。
女児は自らの行為を振り返り、内省する時間と機会を十分持った。その中で女児なりに努力する様子を見せたものの、現在も被害者の命を奪ったことの重大性や、その家族の悲しみを実感できないでいる。 女児が贖罪の意識を持ちがたい背景には、殺害行為に着手した直後に解離状態に陥ったことで、自分の行為に現実感がなく、実行行為の大半の記憶が欠損していること、処理しかねる強い情動には目を向けないようにして抑圧する対処が習慣化していることなども指摘されよう。(筆者にて要約)
少年審判
長崎家裁佐世保支部において審判が行われ、04年9月、女児は児童福祉法に基づく児童自立支援施設の国立きぬ川学院に移送されました。刑事責任が問われない14歳未満としては最も厳しい処分でした。
事件の原因
ミニバスケットボール部を辞めさせられたことで、熱中できる居場所をなくし、さらに塾に通わされたことでストレスが溜まっていたのかもしれません。
そして親しかった友人(被害者)とのネット上のトラブルが起きたことで、被害者への怒りを爆発させ、事件へのきっかけとなったようです。
加害者女児は事件の時に解離状態に陥ったようですが、自分の起こした結果の衝撃のせいだったのかもしれません。なお、事件以前の女児については空想的な傾向はあったようですが、解離的な症状は報告されていないようです。

畠山鈴香(33) 秋田連続児童殺害事件(2006年)

生い立ち
畠山鈴香は1973年2月2日に能代市で生まれています。 父親は砂利運搬会社を経営、社会的には成功者です。彼女には4歳下の弟がいました。
父親は母親の失敗をののしり殴るような人だったようです。その暴力は幼い畠山鈴香にも及び、彼女は不安な幼少期を過ごしたようです。この父親の暴力は彼女が高校を卒業して実家を離れるまで、次第にエスカレートしながら続いていました。
小学校
小1のころ、畠山鈴香は、担任教師の発言のせいで「心霊写真」と呼ばれていじめられていたようです。
小4のころには、学校では給食が食べられず、厳しい教師から無理やり食べさせられていました。時間が来ると両手に給食の残りを載せて全部食べるよう強制させられています。そして、服や机を汚すため「ばい菌」というあだ名をつけられ、いじめられていました。
また、いつごろかは不明ですが、学校から情緒不安定を理由に修学旅行への不参加を打診されたこともあったようです。
就職と結婚
91年、高校を卒業すると栃木県の温泉に就職しています。暴力を振るう父親から離れたかったようです。最初は仲居をしていましたが、後に収入の良いコンパニオンになっています。しかし、間もなく父に連れ戻され実家に帰っています。
秋田に戻ってからはウェイトレスやホステスなどをしていたようです。
94年、畠山鈴香は前夫と駆け落ちし、栃木に戻りコンパニオンをしていました。 その後、まもなく前夫と実家に戻り結婚しています。
97年、畠山鈴香は夫の浮気や借金などのため、離婚しています。そして、町営住宅に住みながら実家と行き来して生活していました。そして、このころ借金のため自己破産処理をしています。
03年、体調不良などを理由に精神科に通院。
04年、卵巣腫瘍の手術。ヘルパー2級の資格を取得。
05年、睡眠薬で自殺未遂。体の不調などが理由だったようです。
05年9月、父親が倒れ、畠山鈴香がその介護をせざるをえなくなりました。
事件
06年4月10日、畠山鈴香の娘の彩香さん(9歳)が水死体となって自宅から10キロ離れた川で発見されました。このとき、警察は当初は事故死と判断しています。
06年5月17日、畠山鈴香の近所に住み、彩香さんと遊び友達だった米山豪憲くん(7歳)が行方不明となり、翌日に同じ川で遺体となって発見されました。
06年6月4日、畠山鈴香は、豪憲くん殺害容疑で逮捕され、その後、彩香さん殺害容疑でも逮捕、起訴されています。
精神鑑定
畠山鈴香は娘の彩香さんが橋から落ちた時のことについては、よく覚えていないようです。そのため、精神鑑定では解離性健忘が認定されています。
彩香さんの事件について警察が事故死と発表すると、畠山鈴香は納得できず警察に再捜査を依頼し、情報を求めるビラを作成し配っています。さらに、「TVのちから」という番組に犯人を見つけてほしいと依頼しています。畠山鈴香には本当に記憶がなかったからだと思われます。もし自分が犯人なら事件ではなく事故死とされた方が良かったはずです。
性格と行動
畠山鈴香の生活態度は、あまり褒められたものではなく家はゴミ屋敷状態だったようです。体調のせいもあったかもしれませんが、食事を作るのも得意ではなく、毎日実家で夕食を食べるような生活だったようです。そして、何らかの障害があったのか性格的には他人の気持ちが理解できない人だったようです。そのため周りからは良くは思われていない人でした。
畠山鈴香は、事件当時には、おそらく衝動的、発作的に行動しています。思いつきを行動に移すような解離性障害にありがちな行動です。その行動に目的意識や合理的な考えはなかったように見えます。
なお、畠山鈴香に空想癖があったかどうかは不明ですが、意外と読書もしている人のようです。

三橋歌織(32) 夫バラバラ殺人事件(2007年)

生い立ち
三橋歌織は1974年7月29日、新潟市に生まれました。
父親、母親、弟の4人家族で育っています。父親は製本、印刷、事務用品と事務機器の販売の会社社長です。体育会系の人だったようです。
歌織は、幼いころから厳しい父親の体罰の下で育っています。父親は理由を説明することもなく殴るような「しつけ」を行っていたようです。
高校時代
歌織の高校時代は「品のいいお嬢さまキャラ」、「キャアキャアしない」冷めたタイプの人だったようです。プライドが高く、ブランド物好きでバブリーな感じの人というのが周りの人の評価です。
大学時代
94年、歌織は父親の意向で女子大(白百合)に一浪して入学しました。ようやく父親の拘束から自由になりました。高校時代とは違ってのびのびと自由に生きていたようです。
しかし、95年ころ父親の事業が傾き始めます。このためか、歌織は新宿で風俗関係のバイトをしていたようです。
就職
98年、歌織は大学を卒業。しかし、就職はうまくいかず、派遣社員として働き始めています。そして、給料だけでは生活できないため、風俗のバイトで知り合った会社社長の愛人となり、世田谷区野沢のマンションに住むようになりました。
結婚
02年の初めに、歌織は新潟の資産家の息子とお見合いし結納を交わしましたが結局破談しています。
02年の秋、歌織は夫となる祐輔さんと知り合い、同棲生活を始めています。当時、祐輔さんは法律事務所でバイトをしながら司法試験の勉強する身分で、収入は12万円程度だったそうです。なお、このころから祐輔さんから歌織へのDV(家庭内暴力)があったようです。
03年、歌織と祐輔さんは入籍しています。その後、二人は武蔵小山のマンションに引越しています。このころ、歌織は元愛人から嘘をついて30万円を借りています。
DV(家庭内暴力)と離婚
04年5月、歌織はDVが原因で離婚を決意し新潟の実家へ帰っています。父親は、泣いている歌織に対して「おまえが悪い」と怒鳴り続けていたようです。また、一方で父親は祐輔さんに対しては電話で「絶対に離婚させる」と言っていたようです。
しかし、結果的には、5日ほどで歌織は東京に戻っています。実家は居場所ではなかったようです。
05年1月、歌織は渋谷のデパートで洋服を万引きし、常習犯で書類送検されています。
このころ、祐輔さんはモルガン・スタンレー系列の会社に転職。キャリアアップしています。
05年2月、二人は恵比寿のマンションに転居しています。
05年6月、祐輔さんに激しく殴られた歌織は、病院から連絡を受けた目黒警察署に保護されています。この時、歌織は鼻骨骨折の重傷を受けています。この後、歌織はDV用のシェルターに送られ一時保護されています。
その後、歌織は祐輔さんを公証人役場に連れていき公正証書を作っています。今後暴力を振るったら離婚する、その際には慰謝料を3600万円払うことを明記したようです。
05年8月、祐輔さんの母親と義姉が上京し、歌織と離婚の話し合いをしています。 その後、歌織はDVの専門家という女性区議に相談しています。
05年9月、二人は渋谷区富ヶ谷のマンションに転居しました。
05年12月、歌織の両親が上京しホテル・オークラで祐輔さんと会い離婚の相談をしています。しかし、祐輔さんは離婚を拒否しています。
05年暮れにはカフェでアルバイトをしていたと歌織は証言しています。一応、離婚して自立することを考えていたようです。また、離婚後に住む家も探していたようですが、熱心ではなく本気ではなかったかもしれません。
06年3月、歌織は、祐輔さんの元同僚の目の前で壮絶な夫婦ケンカを繰り広げています。この時は祐輔さんの浮気疑惑が原因で、歌織が祐輔さんを自宅から無理やり追い出したようです。二人は互いに主導権を取り合おうとして激しく争っていたようです。
06年6月、歌織は高校時代の級友と新宿のデパートで遭遇しています。この友人は歌織が「キレイになったなぁー」と思ったそうです。
「洋服は上下、白だったと思います。下は白のパンツで、ドレッシーな服を品よくまとめて、シンプルにサラリと着こなしていました。眉毛はキレイなアーチラインで、メイクもちゃんとして、トータルバランスにセンスの良さを感じました。時計はシャネルのスポーツタイプで、アクセサリーも品がよくて、「いい生活してるな」と思いました。勝ち組、負け組で言ったら勝ちの方だなと」
また、「DVで苦しんでいるようには外見からは全然うかがえませんでした」とも言っています。
06年11月、歌織は母と叔母と恵比寿のウェスティン・ホテルで会い、離婚を進めるための相談をしています。
事件
06年11月、祐輔さんに結婚を約束する女性が出現しました。
12月9日、歌織はリビングにICレコーダを仕掛けて外出し、祐輔さんの浮気相手との電話の録音に成功します。
12月11日の夜、歌織は友人を呼び録音内容を聞かせています。
12月12日の午前4時、祐輔さんが帰宅。歌織は眠った祐輔さんの頭をワインボトルで何回も殴り殺害しました。
その後、歌織は遺体をノコギリで解体し、胴体を新宿の路上に、下半身は近所の民家の庭に捨て、頭部は町田市の公園に埋めています。
12月16日、ゴミ袋に入った胴体が新宿の路上で発見されました。
12月28日、渋谷区神山町の民家の庭で下半身が発見されました。
1月10日、事情聴取された歌織が犯行を認めています。
精神鑑定
裁判の精神鑑定で、祐輔さん殺害時の歌織は解離性障害(離人症性障害)だったと判断されています。
「被告は、祐輔さんの寝顔を見ていると、『等身大の裸の女性が、血を流している姿が見えた』と言っています。また、『助けて』という女性の声が聞こえる、自分の魂が抜け出し、自分を見ている気分になりました。」
また、この時に幻視・幻覚があったようです。
「祖母からもらった携帯ストラップのクリスマスツリーが大きく迫ってくる」
「彼が読んでいた(いやらしい)男性雑誌の表紙が大きく、ありありと見え、とても不愉快」
「祖母がインターホン越しに話しかけてくる」
「風船の中にいるみたいな人間ぐらいの大きさのキレイな女性。フィギュアみたいにスタイルが良くてキレイすぎる東洋人かアジア人の雰囲気」
「火の見櫓に登る八百屋お七」
判決
08年4月、東京地裁で懲役15年の実刑判決。弁護側は判決を不服として控訴しましたが、東京高裁では控訴棄却。弁護側は上告権を放棄したため、10年6月に刑が確定しました。
深層心理
三橋歌織は離婚を望んでおり、そのために積極的に行動しているように見えます。そして、離婚のための決定的な証拠とも言える電話の録音を手に入れた直後に祐輔さんを殺害しています。
歌織は表面的には離婚を望んでいますが、深層心理的には祐輔さんを失いたくなかったのだと思います。そのため、たびかさなるDVにもかかわらず逃げ出さず祐輔さんとの生活に戻っています。
祐輔さんとの離婚が決定的になった時、祐輔さんを失うことが分かった時、誰にも渡さないために歌織は祐輔さんを殺害したのではないかと思います。
不合理な行動と矛盾した思いは、解離性障害の患者の特徴ではないでしょうか。

武藤勇貴(21) 渋谷区短大生死体切断事件(2007年)

家族
武藤勇貴は1985年に渋谷区幡ヶ谷で生まれました。両親、兄、妹の5人家族で育っています。両親はともに歯科医で、武藤勇貴(当時21歳)は医大の歯学部を目指し3浪中でした。
被害者である妹の亜澄さん(当時20歳)は短大2年生で、同時に女優としてVシネマなどに出演していました。亜澄さんは自由奔放な性格で、両親に反発して家出するなど、家族とトラブルになることも多く、この当時は兄の武藤勇貴とは不仲だったようです。
事件
06年12月30日、武藤勇貴は、妹の亜澄さんと口論になり、亜澄さんに「私には夢があるけど、兄さんにはないね」となじられたため逆上し、亜澄さんの背後から木刀で殴り、タオルで首を絞め、浴槽内に顔を沈めさせ窒息死させています。
その後、浴室で包丁とノコギリを使って亜澄さんの遺体を15個に切断。髪をそり、両胸と下腹部を切り落とし、内臓はプラスチック容器に入れています。そして、切断した遺体をポリ袋に詰めて、クローゼットとキャビネットに保管していました。
12月31日、父親に「観賞用のサメが死んで異臭がすると思うけど、部屋には入らないで」と告げて、予備校の合宿に出かけました。
1月3日、帰省から戻った母親が異臭に気づき、切断遺体を発見し事件が発覚しました。
精神鑑定
「勇貴被告は生まれながらにアスペルガー障害に罹患していたが、高校卒業までは一般的な社会生活が著しく傷害されることはなく、社会性のでは軽度の発達障害というべき病態だった。」と判決は述べています。
そして、殺害時の心理状態については「勇貴被告は、殺害時もことの善しあしを見分ける能力は十分にあったが、亜澄さんから挑発的な言動を受けたことにより、怒りの感情を抱いた。しかし、怒りの感情を抑制する機能が弱体化していたため、内奥にある激しい攻撃性が突出し、亜澄さんを殺害した。」と述べています。
さらに、「殺害に及んだことが衝撃となって解離性同一性障害による解離状態が生じ、死体損壊時には、本来の人格とは異なる獰猛な人格状態になっていた可能性が非常に高い。」としています。
また、精神鑑定医は「勇貴被告には、犯行時の記憶がほとんどなく、犯行前後の記憶もない。解離性健忘が生じた場合、その前後の記憶がなくなるという逆行性健忘や前向きの健忘を伴うことがよくある。」とも述べています。
判決
08年5月、東京地裁は殺人罪で懲役7年の判決を下しました。死体損壊罪については、精神鑑定の結果を採用して無罪としました。
しかし、東京高裁では「死体損壊時にも責任能力はあった」として懲役12年とされています。
09年9月、最高裁が弁護側の上告を棄却して刑が確定しました。
事件の原因
この事件は、3浪中でストレスを抱えていた武藤勇貴が、妹の挑発的な言葉で逆上した結果の犯罪だったようです。ただし、本人は受験に対するプレッシャーは感じてなかったと証言しています。
なお、武藤勇貴については、一般的に解離性障害の原因となるような幼時の虐待などは報告されていません。そして、精神鑑定医は武藤勇貴の解離性障害はアスペルガー障害を基盤としていると報告しています。しかし、地裁の判決では「アスペルガー障害を基盤にして解離性障害を発症した症例に関する研究は十分になされていない」とも述べられています。
蛇足
三橋歌織と武藤勇貴の事件は同じ時期に起きています。しかも、事件の現場となった二人の自宅(富ヶ谷と幡ヶ谷)は2キロ程度の距離の近さにあります。
同じ時期に近所で同じようなバラバラ殺人事件、しかも解離性障害が指摘される殺人事件が起きたのは、偶然なのでしょうが不思議な気がします。

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参考文献
「解離性障害」柴山雅俊 ちくま新書
「解離性障害のことがよくわかる本」柴山雅俊 講談社
「殺人者はいかに誕生したか」長谷川博一 新潮社
「改訂版 宮崎勤 精神鑑定書」瀧野隆浩 講談社+α文庫
「幼女連続殺人事件を読む」都市のフォークロアの会編 JICC出版局
「「少年A」この子を生んで・・・・・・」「少年A」の父母 文春文庫
「「少年A」14歳の肖像」高山文彦 新潮文庫
「11歳の衝動 佐世保同級生殺害事件」朝日新聞西部本社編著 雲母書房
「セレブ・モンスター」橘由歩 河出書房新社
「日本凶悪犯罪大全」犯罪事件研究倶楽部 文庫ぎんが堂
 MSN産経ニュース・法廷ライブ

2012.09.23 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp