解離性障害と霊感

解離性障害は多重人格や健忘、離人症などに代表される精神障害です。
多重人格(解離性同一性障害)
まったく別の人格が交代して現れる現象です。別の人格がしたことを本人(本来の人格)が覚えていないこともよくあります。
健忘(解離性健忘)
何か衝撃的なことが起きると、その前後の記憶がなくなってしまうことがあります。また、日常的に「知らないうちに違うところにいる」、「買った記憶のない物を持っている」などの症状を起こす人もいます。
離人症(解離性離人性障害)
自分が離れたところから自分自身を見ているような感覚を持つ現象です。たとえば後ろから自分自身の行為を見ているようなこともあります。
その他の症状
解離性障害では、その他にも多様な症状を現すことがあります。これらは霊的な現象と非常によく似た症状を示しているように思えます。

気配過敏症
たとえば、カーテンの向こうに誰かいるような気がしたり、部屋の隅に人影があって、それがすっといなくなったり、漠然と何処からか見られているような気がしたりします。
幻視
実際にはいないはずの人を見たり、霊のようなものを見たりします。また、隣の部屋ことも見えるように分かったりもします。
幻聴
いないはず人が話しかけてきたり、おしゃべりをしたりします。頭の中から声がして対話するようです。
体外離脱
自分の意識を飛ばしてしまうことができる人がいたりします。自分の体を斜め後ろ上方から見下ろしていたりします。
また、突然気絶した自分自身を上方から見ていたり、そのまま場所を移動して戻ってきたりします。いわゆる幽体離脱です。
遁走
突然、家庭や職場からいなくなり放浪したりすることがあります。この時、記憶をなくしていたりすることもあります。また、本人が混乱していて、別の自分を装うこともあるようです。
解離性障害の原因
解離性障害は、幼児期の性的外傷、虐待、育児放棄などによって起きることが多いとされています。つまり、安心して居られる場所がなかったケースです。
家族内では、両親の不仲や離婚、親からの虐待、母親との一時的な分離体験、親のアルコール症などが原因になるようです。家族外では、学校での持続的ないじめや交通事故なども原因になります。
また、幼少時からおとなしく自己主張をしない子、自分を抑えて聞き分けがいい子が解離性障害を発症することも多いようです。

霊感
霊感の強い人や霊能者の経験する現象は解離性障害の症状と良く似ています。

霊の気配
自称霊感の強い人などは、霊の気配が分かるなどと主張します。そこに霊が居るとか、そこが霊の通り道だとか、今、霊が通ったとか言うことがあります。
これは解離性障害の気配過敏症の一種であるとも理解できます。
憑依
宗教関係では、神が降りてきて様々な託宣などを述べることもあるかもしれません。あるいは、最近は少なくなってきているかもしれませんが、江戸時代以降、高度成長が始まる比較的最近まで「狐つき」はよくある現象だったようです。
これらも解離性障害の人格交代(多重人格)の一種と考えることもできそうです。
幽体離脱
超常現象として、あるいは臨死体験として幽体離脱が報告されることがあります。寝ている自分の姿を上方から見ていた、また、窓から外へ出て空中を移動して行ったことのない場所の風景を見てきたなどの経験が語られることがあります。
解離性障害の患者も同じような体験を語ることがあるようです。中には日常的に自分の意識を飛ばして叱れている自分を上方から眺めていたというような事例もあるようです。
霊視
霊能者と呼ばれる人たちは、守護霊を見ることができると主張したりします。あるいは、あなたには悪い霊が憑いているとして、お祓いのようなことをする宗教家がいたりします。
これらの霊能者に、本当に霊が見えるのかどうか分かりませんが、解離性障害でも幻視の現象があります。幼い子供が、架空の存在である友達と会話したり遊んだりすることもあるようです。また、霊を見たことがあると訴える解離性障害の患者もいるようです。

霊能者
世の中には多くの「霊能者」がいるとは思いますが、伝記などで、その生い立ちなどを含めて詳細に報告されている人は案外少ないのですが、実例として「宜保愛子」と「出口なお」の2人を紹介したいと思います。

宜保愛子(1932−2003)
宜保愛子は80年代から90年代にテレビに出演するなどして活躍した霊能力者です。その人の守護霊を見て霊視したり、心霊スポットに出向いてそこに居る霊を見たりする霊能力者のスタイルを確立した人だと思います。
宜保愛子は、オカルト的なおどろおどろしさや宗教家にありがちな高圧的な感じのない普通のやさしい主婦といった物腰で、本物ではないかと思わせる雰囲気を持った人でした。
宜保愛子は2003年に胃がんのため亡くなっています。71歳でした。

生い立ち
宜保愛子は1932年(昭和7年)に神奈川県で生まれています。本人の証言によると「父は大変がんこな人で、何か言うと、母や私達をどなっていました。」とあります。母や子供たちは父親に怯えながら暮らしていたのかもしれません。
宜保愛子には9歳年上の兄と2歳年下の弟がいましたが、兄は昭和19年に戦死、弟は昭和20年に交通事故で死亡しています。他に姉と妹がいるようです。
失明
宜保愛子は3歳の時、弟の持っていた火箸が左目に落ちて失明しています。しかし、この視力の少なくなった左目で霊の姿を見ることができるようになったそうです。
霊能力
宜保愛子が霊能力を自覚し始めたのは小学校1年生のころだったそうです。
例えば、亡くなったはずの級友の声が聞こえたり、そのゲタの声が聞こえたりするような幻聴を経験しています。
また、入水自殺のポチャンという音が聞こえ、川へ行くと水死体を発見することがよくあったそうです。そして、その死者が家族への伝言を頼んできたこともあるそうです。
その他に、事件を予知することもあったようです。近所の火事や心中事件を予言しています。
「ある家を見て『この家はいつか燃えちゃうんだ』と思い、数日後、現実にその家が火事になった。」
「『お父さん、あのおばちゃん、もうじきおじちゃんと一緒に死んじゃうよ。』と言ったら、一ヶ月もたたないうちに二人は心中した。」
自閉児
宜保愛子は普段は無口で自閉症気味の子供だったようですが、小学校5年生の時に見過ごせない級友の不正行為を必死の思いで告発した事件をきっかけに自閉的な学校生活にピリオドを打ち、性格も明るくなったようです。
この時は、普段しゃべらない子が発言したので、まわりに驚かれたそうです。
死後の世界
宜保愛子は、13歳のころ夢に現れる弟によって死後の世界を知ったそうです。
霊能力の消滅と復活
宜保愛子は、21歳の時に病気で死にかけてから霊能力がなくなったそうです。
その後、結婚し長女・長男・次男の3人の子供を産んでいます。 そして、この3人の子供を育てていて、一番下の子が幼稚園に入園したころに霊能力が復活したそうです。
霊の見え方
宜保愛子によると守護霊は次のよう見えるそうです。
霊は相談者の右また左の肩のやや後ろ立ちます。普通の人と大きさは変わりませんが、やや薄めに見えます。
霊はその人をじっと見つめているのが常です。その表情を見て、幸か不幸かわかります。
海で事故を起こす恐れのある人は、霊のそばに青々とした海が広がり、その絵が広がったと同時に、霊の表情が急に暗くなり、首を振って教えてくれます。
仕事などがうまくいく方法を教えるときは、具体的に数字などを目の前に浮かべてくれます。質問には、うなずいたりして教えてくれます。
なお、霊視をすると大変疲れるそうです。
幽体離脱
宜保愛子は、幽体離脱は大人になってから数回経験したことがあると言っています。
それは、寝ている間の夢を見るような体験ですが、目が覚めた後の体はへとへとに疲れており、翌日の仕事に支障をもたらすほどだったそうです。
また、後で、幽体離脱で訪れた場所へ行ってみると、幽体離脱で見たとおりだったそうです。

出口なお(1837−1918)
出口なおは大本教(おおもときょう)の開祖です。大本教は出口なおの娘婿の出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)によって全国的な有力教団へと発展しましたが、戦前に政府による弾圧によって壊滅状態になりました。なお、大本教は正式には宗教法人「大本」といい、戦後に復興され現在も活動しています。

生い立ち
出口なお(旧姓は桐村)は天保7年12月16日(1837年1月22日)に福知山で誕生しました。
父親は、藩の御用を努め名字帯刀を許されていたという有力な大工の家系を継ぎましたが、出口なおが生まれたころには家は没落し、かなり困窮していたようです。父親は放蕩者だったようです。家族は祖母、両親、兄、妹の5人でした。
父親は出口なおが9歳の時に亡くなっています。そのため、生活はますます困窮したようです。
奉公
出口なおは10歳の時に奉公に出ています。孝行娘として評判だったらしく12歳の時に藩主から表彰されています。その後、16歳になって奉公をやめて自宅に戻っています。
予知能力
出口なおは、6、7歳のころから日常的なささいな予言をして的中していたそうです。
遁走
また、奉公していたころ、3日くらい姿を隠し、夕方にぼんやり帰ってきたことがあったようです。事情を聞かれると、山の中で修行してきたと答えたそうです。
結婚
17歳になった出口なおは綾部に住む叔母の出口ゆりの養女となります。しかし、半年後に実家に戻っています。その後、養母の出口ゆりが井戸に身を投げて亡くなりますが、その翌年に出口なおは出口家へ戻り、大工職人の政五郎と結婚します。
夫の政五郎は、仕事に熱心ではなく、酒を飲み歩くような人だったそうです。そのため、出口家は傾き、次第に困窮していったようです。
結婚した出口なおは日々の生活に苦労しながらも3男5女を産み育てています。夫の政五郎は明治20年(1887)に病死しています。
帰神
明治25年(1892)、57歳の出口なおに帰神(憑依)がおこり始めます。艮の金神(うしとらのこんじん)という神が降りて来ました。
無学な出口なおですが、神がかりになり独特の書体のひらがなで「お筆先」と呼ばれる文書を書き始めます。その文書の内容は「大本出現の由来と使命、神と人の関係、日本民族の使命、人類への予言・警告」などだったそうです。
そして、出口なおが祈願すると病気が治ったため信者が出始めてきます。さらに、日清戦争を予言したので評判が高まります。その後、出口なおの教えは、宗教として整備され大本教として発展していきます。
大本教の開祖となった出口なおは、大正7年(1918)に81歳で亡くなっています。
宗教弾圧
大本教を宗教として確立して行ったのは、出口なおの5女の婿養子となった出口王仁三郎です。王仁三郎によって大本教は全国レベルの教団に発展しますが、その王仁三郎の言動などに危険性を感じた政府によって徹底的に弾圧され、大本教は壊滅状態になります。
第一次大本事件 大正10年(1921)
不敬罪、新聞紙法違反で出口王仁三郎が検挙され懲役5年の判決が出されますが、大正天皇の崩御の恩赦で免訴となっています。この時には、神殿は取りこわしにあい、開祖の出口なおの墓も壊され縮小改築されています。
第二次大本事件 昭和10年(1935)
この時は幹部が一斉に逮捕され、当局は組織の解散、建造物の強制破却を決めました。聖地はダイナマイトやハンマーで徹底的に破壊され 開祖の墓も壊され共同墓地の片隅に移されています。聖地は鉄条網が張りめぐらされ立ち入り禁止になりました。
出口王仁三郎らは治安維持法違反、不敬罪、出版法違反、新聞紙法違反で起訴され、第1審では王仁三郎は無期懲役、他の幹部は懲役2年〜15年の判決が出されました。しかし、最終的には終戦をむかえて大赦令が出されて青天白日の身となっています。

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参考文献
「解離性障害」柴山雅俊 ちくま新書
「解離性障害のことがよくわかる本」柴山雅俊 講談社
「霊能者として生まれて生きて」宜保愛子 講談社文庫
「大本教祖伝 出口なお・出口王仁三郎の生涯」伊藤栄蔵 天声社
「日本「霊能者」列伝」別冊宝島編集部編 宝島SUGOI文庫

2012.10.18 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp