確信犯の生い立ち

確信犯

世間を騒がせた大きな殺人事件を並べてみると、自分の利益にもならない衝動的とも思える事件と、自分の利益のため犯行を繰り返す確信犯的な事件があります。
衝動的な殺人事件
これらは、常識的には目的がよく分からず衝動的に行われたように思える事件です。そして、その多くは犯人の精神的障害が疑われる事件です。
 宮崎勤  連続幼女誘拐殺人事件(1988年)
 宅間守  大阪教育大学付属池田小学校事件(2001年)
 小林薫  奈良小1女児殺害事件(2004年)
 畠山鈴香 秋田連続児童殺害事件(2006年)
 三橋歌織 夫バラバラ殺人事件(2007年)
 武藤勇貴 渋谷区短大生死体切断事件(2007年)
 市橋達也 英国女性殺害事件(2007年)
 加藤智大 秋葉原無差別殺傷事件(2008年)
 金川真大 土浦無差別殺傷事件(2008年)
 山本竜太 中央大学教授刺殺事件(2009年)
確信犯的な殺人事件
これらの事件は比較的目的がはっきりしています。金か女です。
 大久保清 連続女性誘拐殺人事件(1971年)
 梅川昭美 三菱銀行猟銃強盗人質事件(1979年)
 林眞須美 和歌山毒物カレー事件(1998年)
 吉田純子 福岡四人組保険金連続殺人事件(2001年)
 木嶋佳苗 首都圏連続不審死事件(2009年)
保留
なお、次のような事件は良く分からないので保留とします。
 北九州監禁殺人事件(2002年)
 大牟田4人殺害事件(2004年)
その他に、時々発生する集団によるリンチ殺人事件、オーム真理教による殺人事件、連合赤軍のリンチ殺人事件なども特殊要因がありそうなので保留とします。

善悪の判断

確信犯には善悪の判断基準がないのでしょうか。平気で悪事を働く彼らの育ち方を考えてみましょう。
小学校低学年
小学校の低学年のころは先生や大人の価値観をそのまま受け入れる時期です。大人の言いつけは比較的素直に聞きます。良い事と悪い事を大人が身をもって教える時期です。
楽しいこと
子供は楽しいこと、面白いことが大好きです。そうしたことについては放っておいても夢中になります。しかし、我慢することや努力することは教えなければ身につきません。また、人のためになることや思いやりなどは実際に経験してみて、その良さが始めて分かることです。
自発性や達成感も経験してみなければ分からないことです。放っておいて身につくものではありません。自分なりにいろいろ試してみて、しつこくやり抜いて到達した達成感などは簡単に得られるものではありません。
甘やかし
小さい子供は一種の万能感を持っています。自分は何でもできると思っていて、自分のわがままを通そうとします。子供は放っておけば自己中心主義になると言ってよいかもしれません。
子供が何か困難に直面しても、すぐに親が助けてあげるようでは、何もできない、自分で努力しない子供になってしまいます。
時には「ダメなものはダメ!」といった親の毅然とした態度が必要です。
理不尽さ
一見厳しいしつけに見えても、理由も分からずに受ける暴力や虐待は、子供の善悪の判断基準を歪めさせます。
また、過度の甘やかしも同様な理不尽さを持っています。たとえば、悪いことしても怒られないし、良いことしても褒められないのですから。
こうした理不尽な世界では不良少年が生まれがちです。嘘をついて、その場を逃れるのが上手くなります。不良少年特有の世渡りの上手さが身につきます。
親の不和
親の不和があると、家庭は子供にとって安心できる場ではなくなります。低学年の子供にとっては精神的な不安定の原因となります。この時期の精神的な不安定さは、将来において統合失調症などの原因となり得ます。
また、両親のケンカは、模範となるべき親がいなくなることにもなります。親への不信感が増すと、子供への教育効果もなくなることになります。
小学校高学年
小学校の高学年になると、自分自身で考え判断できるようなり、独立心も芽生えてきます。また、その行動範囲も広がってきます。
家庭内で両親の不和などがあり、安心できる場でなくなると、外に出て過ごすことも多くなります。このことは、不良少年への仲間入りを促すことにもなります。
両親や大人への不信感は、不良少年誕生の最も大きな原因ではないでしょうか。
不良の特徴
泥棒を生業として犯罪を繰り返してきたその道のプロによると、不良たちには次のような特徴があるそうです。
 ・忍耐、辛抱ができない。我慢することができない。
 ・金銭感覚がない。あれば全部使ってしまう。
 ・怠け者、努力しない。
 ・都合の悪いことは隠して、都合の良いことを吹聴。
 ・嘘つき、見栄っ張り、プライドが高い。
 ・自己中心的、自分の利益中心。
 (「大泥棒」清水賢二著、東洋経済新報社)
これらは、ここで取り上げる確信犯たちの特徴そのものだと思います。

大久保清 連続女性誘拐殺人事件(1971年)

大久保清は、ナンパそして強姦を繰り返し、最終的に8人の若い女性を殺し、その遺体を埋めています。
生い立ち
大久保清は1935年1月17日に群馬県高崎市八幡町(当時は碓氷郡八幡村)で生まれています。
父の善次郎は国鉄職員でしたが、国鉄をクビになった後は自営業をしていたようです。この父親は女癖が悪く息子の嫁にまで手をだすような男で淋病もちです。食糧管理法違反(ヤミ米)と道交法違反で前科二犯だったようです。母のキヌはロシアとのハーフで、自己中心的で欲が深くて嘘をつく癖があったそうです。
大久保清は8人兄弟(三男五女)の三男で外国人のような顔立ちの男の子だったそうですが、男の末子として両親に溺愛されて育ったようです。大人になってからも親からは「ボクちゃん」と呼ばれていたようです。
大久保清の小学校の成績は悪く「努力することを嫌い、覚える力も薄弱」だったようです。また、卑猥な四文字語を連発するいたずらっ子だったそうです。
小学6年の時に4歳の女の子にいたずらをする性的な事件を起こしています。また、中学3年の時にも性的な非行を行っているようです。
中学卒業
中学卒業後は高校へ進学せずに自宅の農作業を手伝っていましたが、2年後に県立高崎商業高校の豊岡分校(定時制)に入学。しかし半年足らずで退学しています。
その後、上京して板橋区の電気店に住み込みますが、銭湯の女湯を覗き見して捕まり電気店をクビになっています。
そして、義兄の世話で神田の電機学校に通いますが、このころは吉原での女郎買いにはまっていたようです。
最初の商売
53年(18歳)に父に資金を出してもらい実家で「清光電機商会」を開業します。しかし、商売はうまく行かず、同業者の店で部品を万引きして捕まり、商売は止めてしまいます。
このころは角帽をかぶり法政大学生を名乗りナンパをしていたようです。
第一次犯行期(20歳)
55年7月、伊勢崎市の高校2年生を強姦し、懲役1年6ヶ月執行猶予3年の判決を受けています。
55年12月、碓氷郡松井田町の高校生を襲い強姦致傷罪で懲役2年の刑となりました。
前科と合わせて3年6ヶ月の服役ですが、59年12月に模範囚として仮釈放されています。
結婚と商売
60年4月、渡辺許司という偽名で学生運動の活動家を名乗り強姦未遂事件を起こしますが、示談が成立し不起訴処分になっています。
62年5月、嘘をついてナンパした7歳年下の佐藤節子と結婚します。27歳の時でした。しかし、結婚してもナンパは続いていたようです。
64年9月、父親の資金で牛乳販売店を開業しました。昼間は真面目に働いていたようですが、夜は相変わらずナンパにはげんでました。
ナンパのためにパブリカ、べレットなど車を次々と買い換えています。当時は、一般庶民はなかなか車を持てなかった時代です。
第二次犯行期(30歳)
65年6月、恐喝事件で懲役1年執行猶予4年の判決を受けました。
66年12月、高崎市の女子高校生を強姦。
67年2月、前橋市の女子短大生を暴行。2件合わせて懲役3年6ヶ月の刑でした。さらに恐喝事件の件も合わせて4年6ヶ月の服役です。
71年3月、仮釈放で出所。当局へは室内装飾品販売業の計画を提出しています。
第三次犯行期(36歳)
71年3月、出所した大久保清は父親の資金で商売用としてマツダ・ロータリークーペを購入しています。商売には似つかわしくないスポーツタイプの車です。もちろん、ナンパのためです。
このころは、自称・渡辺哉一(29)美大出身で中学校の美術教師を名乗り、ベレー帽にルバシカ(ロシア風の上着)姿でナンパしています。
妻に逃げられ、兄とも対立していたので自暴自棄になっていたかもしれませんが、商売を始めることもなく連日ナンパしていました。しかも、今度は素性がばれたり、女に脅されそうになったりすると相手を殺して遺体を埋めています。わずか2ヶ月の間に8人を殺害しています。
3月31日、多野郡新町の高校生・津川恵美子(17)
      免許証を見られ素性がばれたため殺害
4月 6日、唐沢富子(22)を自称していた大川美知子(17)
      警官の妻だと脅されたので殺害
4月15日、前橋市の県庁臨時職員・井川千寿子(19)
      素性がばれてしまい殺害
4月18日、伊勢崎市の高校生・川田静子(17)
      父親が警官だと脅されたので殺害
4月27日、前橋市の高校生・加藤晴美(16)
      父親が警官だと脅されたので殺害
5月 3日、伊勢崎市の電々公社職員・川合昭代(18)
      素性がばれたため殺害
5月 9日、藤岡市の松村恵子(21)
      強姦して騒がれたため殺害
5月10日、前橋市の家事手伝い・小橋孝子(21)
      素性がばれてしまい殺害
大久保清は、松村恵子の家族により編成された私設捜索隊により発見され5月13日に逮捕されています。警察に逮捕された後の大久保清は、てこずらせながらも遺体を埋めた場所を自供し、8人の遺体は発見、回収されています。
判決
73年2月死刑判決。大久保清は上告せず判決が確定。そして、76年1月に死刑が執行されました。

梅川昭美 三菱銀行猟銃強盗人質事件(1979年)

梅川昭美は、5千万を奪うため押し入った銀行で42時間篭城し、最後には射殺されました。この事件で梅川昭美は銀行員2名、警察官2名を散弾銃で射殺しています。
生い立ち
梅川昭美は1948年3月1日に広島県大竹市御幸町(旧小方村)で生まれました。父親は三菱化成工業(三菱レイヨン)大竹工場に勤務していましたが、梅川昭美が小学校に入るころに椎間板ヘルニアで休職。母親が炊事婦として家計を支えていました。
梅川昭美は、遅くなってできた一人っ子で両親に溺愛されたようです。小学校時代は目立たない普通の子供でしたが、カッとなりやすい性格だったとのことです。
小学5年の時に両親が別居。梅川昭美は当初の半年間は父親と実家の香川県の引田町で暮らしますが、その後は大竹市に戻り、母親と一緒に暮らしています。母親は甘やかして育てていたようですが、梅川昭美は文盲で無教養な母親を軽蔑するようになります。
中学に入ると梅川昭美は母親に暴力を振るうようになります。このころ喫煙や暴力行為で何度か補導されていますが、目立つほど問題児ではなかったとのことです。成績は中位で内向的な性格でした。
中学卒業
63年、海川昭美は広島工大付属工業高校に入学しますが、一学期で退学。窃盗などの非行を行っていたようです。
母親は父親とよりを戻し、梅川昭美を父親の住む香川県の引田町に連れて行きますが、梅川昭美は2、3日で大竹市に戻っています。
強盗殺人事件(15歳)
63年12月、梅川昭美は金欲しさに強盗殺人事件を起こして逮捕されています。
このころの梅川昭美は、身長162センチ、体重46キロの小柄でひ弱に見える少年でした。「ほかの奴らはぬくぬく暮らし、なんでオレだけが貧乏して苦しまないかん。泥棒はオレのせいではない。」と主張したそうです。
この時の広島家裁の鑑定によると、梅川昭美は「性格は内向的で、情緒が蓄積すると爆発する傾向があり、短気、我儘で、主観的判断に基いて短絡反応を示しやすい。また同情、あわれみ、良心などの高等感情に乏しい情性欠如性の精神病質者である。」と判断されています。
64年1月、梅川昭美は中等少年院(岡山少年院)に入所しますが、何か問題を起こしたらしく、5月には山口県の特別少年院新光学院に移送されています。
65年6月、梅川昭美は特別少年院を仮退院し、両親の住む香川県大川郡引田町へ行き、近くの印刷工場に勤めますが、すぐに工場は辞めて大阪へ出て行ったようです。
バーテンダー
大阪に出た梅川昭美はバーテンダーとして暮らしていたようです。73年ころには大阪のクラブのバーテンダー兼債権取立ての仕事をしていたようです。このころはクラブのホステスと同棲して暮らしていました。
78年(30歳)ころには大藪春彦のハードボイルド小説に夢中になり、散弾銃を入手しクレー射撃を行っています。
意外なことに梅川昭美は読書好きでフロイトやニーチェの著書も所有していました。また、健康マニアできれい好き、真面目で几帳面、一流好みで見栄っ張りだったようです。このころ、車を中古のマツダ・コスモに買い替えています。奇しくも大久保清がナンパに使ったのと同じ車種です。
そして、かつてのひ弱そうな少年は身長168センチ、体重68キロの引き締まった体つきになっています。
一流好みといっても、その底は浅いものだったようですが、それにしてもかつての非行を繰り返していた不良少年からは大きく変貌したと言ってよいかもしれません。
そして仕事はクラブ「鶴田」の経理部長として店の集金を担当していました。しかし、78年2月に勤めていたクラブが閉店し、梅川昭美は失職してしまいます。そして、自分で商売を始めますが、うまく行きませんでした。
銀行強盗(30歳)
梅川昭美は、「ここらで何か一発でかいことやらんとあかん」と言っていたようですが、79年1月26日14時30分、三菱銀行北畠支店に押し入り猟銃を3発威嚇射撃し5千万円を要求します。
梅川昭美は、猟銃で脅かせば、すぐに金を手に入れることができると考えていたようですが、行員の抵抗にあい、手間取る間に警察官が駆けつけたため、やむを得ず銀行に篭城することになってしまいました。
梅川昭美は、篭城の間に人質の銀行員に自分の借金の返済に回らせるという、妙な几帳面さを見せています。
結末
1月28日8時42分、警官隊が突入し、梅川昭美は射殺されます。この事件では梅川昭美の銃撃によって銀行員2名、警察官2名が死亡しています。
本人は、大藪春彦の小説など参考に事前に十分計画したつもりだったようですが、結果的には杜撰な犯行でした。
20代の梅川昭美は水商売とはいえ真面目に仕事をしています。犯罪を繰り返す他の確信犯たちとは違った印象もあります。30歳になって発作的とも言える大きな犯罪を行ったことを考えると、一種の精神的な障害があったのかもしれません。

林眞須美 和歌山毒物カレー事件(1998年)

林眞須美は、夏祭りのカレーに砒素を入れた事件で逮捕され死刑判決を受けましたが、それ以前に保険金詐欺を繰り返し、大金を手に入れています。
生い立ち
林眞須美は1961年7月22日に和歌山県の漁師町で生まれました。
父親は網元で、母親は第一生命の保険外交員をしていました。比較的裕福な家庭だったようです。
3人兄弟の末っ子で甘やかされて育ったようです。親戚の人の話では物言いのはっきりした賢い子だったそうです。同級生の話では、小学校のころは、目立たなかったようですが、ピアノを習っており、お嬢さんっぽいイメージもあったようです。
高校時代から男性関係が派手で、初体験の相手は元暴走族という噂もあります。
3人兄弟の上の兄が漁師を継ぎ、下の兄はシロアリ駆除業を行っています。
林眞須美は地元の高校を卒業後、近畿大学病院で看護実習生をしていました。
小学生のころの眞須美の育った家庭のようすなど詳しく知りたいのですが、残念ながらほとんど情報はありません。比較的裕福な家庭だったようですが、林眞須美が看護婦を目指していたということを考えても、そんなにお嬢様育ちという風でもなさそうです。
結婚生活
83年(22歳)のころ看護実習生の林眞須美は15歳年上のシロアリ駆除業の林健治と知り合い結婚しています。ナンパで知り合ったようです。
90年(29歳)からは日本生命の外交員をしていますが、自己中心的で感情的でまわりからは嫌われていたようですが、仕事の成績は良かったようです。
このころ、夫の林健治はシロアリ駆除の商売を止めており無職になっています。
95年(34歳)には和歌山市園部の自宅を購入しています。
96年に和歌山市郊外に高級リゾートマンションを6千万円で購入しています。
林眞須美は金使いの荒い人で、ブランド物の服、宝石、時計、車などを買いまくっていたようです。また、噂では普段から5千万円くらいの現金を置いてあるような家だったそうです。しかし、その一方でサラ金から借金をしていました。
保険金詐欺
林眞須美の贅沢で派手な生活は保険金詐欺で維持されていたようです。保険契約20億円で、手にした保険金が6億円と言われています。以下は、その主な件です。いずれも砒素中毒が疑われます。
Y氏(当時27歳)林健治の会社の元従業員
 85年11月死亡、急性腎不全の疑い。
 保険金2500万円の半額を林家が受領。
M氏(当時25歳)林健治の会社の元従業員
 87年2月発症、半身麻痺になる。
 保険金3000万円の全額を林家が受領。
林眞須美の夫(林健治)
 88年多発性神経炎で半身不随になる。
 保険金約2億円を受領。
林眞須美の実母(当時67歳)
 96年11月死亡、白血病の疑い。
 保険金1億4000万円を林家が受領。
林眞須美の夫(林健治)
 97年多発性神経炎で半身不随になる。
 保険金1億3000万円を受領。
毒物カレー事件
97年7月25日、和歌山市園部地区で行われた夏祭で提供されたカレーに砒素が混入され、4人が死亡しました。
林眞須美は98年10月に別件で逮捕され、12月にカレーに砒素を入れたとして再逮捕されました。しかし、林眞須美は完全黙秘を貫き、直接的な証拠はありませんでした。それでも、この件で林眞須美は02年に和歌山地裁で死刑判決となり、09年には死刑が確定しました。
なぜ、林眞須美は金にもならない毒物カレー事件を起こしたのか、よく分からない事件です。

吉田純子 福岡四人組保険金連続殺人事件(2001年)

吉田純子は、看護学校時代の仲間3人を共犯として、2人を殺して保険金を騙し取っています。
生い立ち
吉田純子は1959年に福岡県柳川市(旧山門郡三橋町)で生まれました。
父親は自衛官だったようですが、吉田純子が幼いころ除隊し自動車修理の仕事をしています。商売はうまくいかず貧しかったようです。そのため、母親が内職をしたり、家政婦として働いたりして家計を助けていたようです。兄弟としては、4歳年下の弟がいます。
吉田純子の小中学校時代は特に素行が悪かったわけではなかったようですが、子供のころから見栄を張る虚言癖があったようです。
弟は成績優秀で、スポーツマンで母親に可愛がられたようですが、姉の吉田純子は成績が悪く母親に怒られていたようです。母親は娘の吉田純子に厳しく、いたずらをすると容赦なく体罰を与えたようです。
父親は短気で気に入らないことがあると女房に当り散らしていたようです。一方、母親は子供たちに、稼ぎの少ない夫の愚痴をもらしていたようです。そのため、子供たちは父親にはなつかなかったようです。
看護学校
75年、吉田純子は私立佐賀女子高校衛生看護科に入学。一人で奨学金制度の書類をそろえて手続きをしたそうです。
78年、吉田純子は虚偽の妊娠カンパで金を集めるという詐欺行為をおこなっています。このため、2ヶ月の停学処分を受けています。
79年、吉田純子は聖マリア看護専門学校(現聖マリア学院短期大学)入学。ここで、後の共犯仲間となる池上和子、石井ヒト美、堤美由紀と出会っています。もちろん、リーダー格は吉田純子です。
結婚生活
81年、22歳の吉田純子は6歳年上の久留米市の自衛官の吉田浩次と結婚。夫婦は夫の実家で新婚生活を始めています。
このころ、夫婦で祖母の養子になるという妙なことをしています。祖母の資産を相続するための悪知恵です。
83年に長女が誕生。その後、87年に次女、89年に三女が誕生しています。
89年、30歳になった吉田純子は久留米市の高級住宅地である宮の陣にある賃貸マンションに引越ししています。
借金生活
90年、吉田純子は思惑通り祖母の土地を相続。この土地を担保に借金を重ねていきます。借金は一年の間に3000万円を超えていました。虚栄心の強い吉田純子の贅沢な生活のためだったようです。
92年、夫の吉田浩次は実家に帰り、夫婦の別居生活が始まります。そして、幼なじみでもある同僚看護婦の堤美由紀が、吉田純子一家と同居するようになります。実は吉田純子と堤美由紀は同性愛関係にありました。さらに、吉田純子は堤美由紀の給料をも管理するようになります。
詐欺事件
93年、同僚看護婦からの50万円の借金を踏み倒しています。さらに、94年にも100万円の借金を踏み倒しています。
94年、吉田純子は、架空のトラブルをデッチあげ、その解決ためとして同窓の看護婦の石井ヒト美から750万円を騙し取っています。
96年、吉田純子は、やはり架空のトラブルをデッチあげ、同窓の看護婦の池上和子から1100万円を騙し取っています。さらに、その後も池上和子から1年間で2800万円を巻き上げています。
96年、吉田純子は、久留米市の高級マンション「ムーンパレス野中」の506号室を購入し移っています。マンションのローンは別居中の夫に払わせています。
この新しいマンションで、吉田純子は贅沢三昧の生活をしています。
97年、吉田純子は、点滴ミスを理由に同僚看護婦から1000万円を詐取しています。
第一の殺人事件
98年、39歳になった吉田純子は贅沢な生活のために、さらに犯罪をエスカレートします。池上和子の夫の平田栄治さんを殺して保険金を騙し取る計画です。
犯行は吉田純子、池上和子、堤美由紀の3人で行われました。でも、保険金3450万円は全て吉田純子のものになっています。欲深い吉田純子は殺した平田栄治さんの会社からの義捐金と埋葬費の合計313万円も詐取、会社からの遺族年金月額15万円も騙し取っています。吉田純子は、殺した平田栄治さんの弟も騙して1000万円を巻き上げています。まさに天才的な詐欺師の本領発揮です。
第二の殺人事件
99年、吉田純子は、次に石井ヒト美の夫の久門剛さんを狙います。犯行は吉田純子、石井ヒト美、池上和子、堤美由紀の4人組で行われました。結果として吉田純子は保険金の3257万円を詐取しています。
そして、吉田純子は新しいマンション「ムーンパレスU」の903号室を購入。堤美由紀が405号室、石井ヒト美が306号室、池上和子が102号室をそれぞれ購入。ここに4人組が結集することになりました。なお、このころ吉田純子は古い方のマンションに実母を柳川市から呼び寄せ、住まわせています。
殺人未遂
00年、吉田純子ら4人組は、堤美由紀の母を襲い、殺すためにインシュリンを注射しますが未遂に終わってしまいます。
事件の発覚
01年、吉田純子は石井ヒト美の実家の土地を奪うことを画策します。
しかし、悩んだ石井ヒト美が伯父に連れられて久留米署に出頭し、強迫されていることを白状。さらには夫殺しも告白しています。
02年4月、吉田純子、堤美由紀、池上和子、石井ヒト美の4人組は逮捕されました。
拘置所
吉田純子は、拘置所内でも天才的な能力を発揮しています。配膳係を手なずけ石井ヒト美に手紙を届けて、さらに騙そうとしています。
しかし、その甲斐もなく吉田純子には死刑判決が下っています。

木嶋佳苗 首都圏連続不審死事件(2009年)

木嶋佳苗は、男を騙して金を貢がせ贅沢な生活を行っていました。その過程で、少なくとも3人の男性を練炭自殺に見せかけて殺しています。
詳細については「妄想のセレブ 木嶋佳苗」を読んでください。

ここで確信犯として取り上げた5人のうち、近年の3人はいずれも女性です。虚栄的で贅沢な生活を維持するために詐欺を繰り返しています。しかも、殺人のような凶悪な犯罪をおこなったのは、いずれも30代になってからでした。
3人の生い立ちは、それぞれ違います。また、性格もかなり違っているように見えますが、ふてぶてしさ、したたかさなどはよく似ています。

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参考文献
「大泥棒」清水賢二 東洋経済新報社
「連続殺人鬼 大久保清の犯罪」筑波昭 新潮OH!文庫
「破滅 梅川昭美の三十年」毎日新聞社会部編 幻冬舎アウトロー文庫
「林眞須美の謎」週刊文春 ネスコ
「黒い看護婦−福岡四人組保険金連続殺人−」森功 新潮文庫

2012.07.23 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp