欠史八代の歴史

日本の古代の歴史書の古事記・日本書紀で、2代綏靖天皇から9代開化天皇までは、系譜のみで事跡などが記載されていないため欠史八代と呼ばれています。

  初代 神武天皇 九州から東征し大和で即位
  2代 綏靖天皇─┐
  3代 安寧天皇 │
  4代 懿徳天皇 │
  5代 孝昭天皇 │欠史八代
  6代 孝安天皇 │
  7代 孝霊天皇 │
  8代 孝元天皇 │
  9代 開化天皇─┘
 10代 崇神天皇 三輪山麓に王朝を築く
 11代 垂仁天皇 
 12代 景行天皇 日本武尊が東国と九州を平定
 13代 成務天皇 
 14代 仲哀天皇 

そのため、この欠史八代の天皇は実在しないとも言われ、歴史的には無視されがちです。古事記や日本書紀でも崇神天皇を御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)などとも呼んでおり、崇神天皇が実在する初代の天皇だと一般的に考えられています。
しかし、欠史八代は系譜だけとはいえ、そこにも多くの情報を読み取れます。后妃の出自や子孫の広がりなどから、当時の王権の範囲も見えてきます。もちろん、欠史八代には潤色や創作も大いに有り得ますが、それを覚悟で崇神王朝以前の姿を見てみたいと思います。

神武天皇
  │
綏靖天皇
  │
安寧天皇
  │
  ├───────────┬───────┐
  │            │       │
懿徳天皇        息石耳命    磯城津彦命
  │            │       │
  ├────┐     天豊津媛命     │
  │     │     (懿徳皇后)     │
孝昭天皇 多藝志比古命         和知都美命
  │                    │
  ├───────────┐       │
  │            │       │
孝安天皇        天足彦国押人命   │
  │            │       │
  ├────┐     押媛        │
  │     │     (孝安皇后)     │
孝霊天皇 大吉備諸進命         倭国香媛(孝霊后妃)
  │                    │
  ├────┬──────┬───────┤
  │     │      │       │
孝元天皇 日子刺肩別命 吉備津彦命     │
  │                   │
  ├────────┬────┐     │
  │         │    │     │
開化天皇     大毘古命 彦太忍信命 倭迹迹日百襲姫
  │         │    │
  ├────┐   │     │
  │     │   │    │
崇神天皇 彦坐王 御間城姫 建内宿禰
  │     │  (崇神皇后)
  │     ├─────┬──────┐
  │     │      │       │
垂仁天皇 狭穂姫命  丹波道主命  山代大筒木眞若王
  │  (垂仁皇后)   │      │
  │         日葉酢媛命    │
  │         (垂仁皇后)    │
景行天皇              迦邇米雷王
  │                  │
成務天皇               息長宿禰王
  │                  │
仲哀天皇              息長帯比賣命(仲哀皇后)

綏靖〜孝安天皇
歴代の天皇の后妃の出自を見ると当時の王権の範囲をうかがい知ることができます。綏靖天皇から孝安天皇の各天皇は皇后を王権が発祥したと思われる三輪山の近くの磯城縣や十市縣から娶っています。
綏靖天皇
綏靖天皇については、日本書紀では事代主神の娘の五十鈴依媛(いすずよりひめ)が皇后だとしていますが、古事記では師木(磯城)縣主の祖先の河俣毘賣(かわまたびめ)が后妃としています。また、日本書紀でも異説として磯城縣主の娘の川派媛(かわまたひめ)、春日縣主・大日諸の娘の糸織媛(いとりひめ)を挙げています。
なお、磯城(師木)縣は現在の奈良県磯城郡ではなく、もっと三輪山に近い場所かもしれません。崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみづがきのみや)は桜井市金屋にあったようです。
皇后
五十鈴依媛(事代主神の娘)  日本書紀(皇后)
河俣毘賣(師木縣主の祖)   古事記
川派媛(磯城縣主の娘)    日本書紀(一書云)
糸織媛(春日縣主・大日諸の娘)日本書紀(一書云)
安寧天皇
日本書紀では事代主神の孫の渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)を皇后としていますが、古事記では師木(磯城)縣主の波延(はえ)の娘で、綏靖天皇の皇后の河俣毘賣の姉の阿久斗比賣(あくつひめ)を后妃としています。
皇后
渟名底仲媛((事代主神の孫、鴨王の娘)    日本書紀(皇后)
阿久斗比賣(河俣毘賣の姉・師木縣主・波延の娘)古事記
川津媛(磯城縣主・葉江の娘)         日本書紀(一書云)
糸井媛(大間宿禰の娘)            日本書紀(一書云)
懿徳天皇
日本書紀では天皇の姪にあたる天豊津媛(あまとよつひめ)を皇后としていますが、古事記では賦登麻和訶比賣(ふとまわかひめ:太眞稚媛)またの名が飯日比賣(いいひひめ)を后妃としています。この飯日比賣も磯城縣主の縁者のようです。
なお、懿徳天皇の正式名称(和風諡号)は磯城津彦玉手看命(しきつひこたまてみのみこと)であり、磯城に所縁のあることが判ります。
皇后
天豊津媛(懿徳天皇の姪)        日本書紀(皇后)
賦登麻和訶比賣(飯日比賣)(師木縣主の祖)古事記
泉媛(磯城縣主・葉江の男弟猪手の娘)   日本書紀(一書云)
飯日媛(磯城縣主・太眞稚彦の娘)     日本書紀(一書云)
孝昭天皇
日本書紀は世襲足媛(よそたらしひめ)を皇后としています。古事記も余曾多本毘賣(よそたらしひめ)を后妃としています。
世襲足媛は尾張連の遠祖の瀛津世襲(おきつよそ)の妹とされています。瀛津世襲は、またの名を葛城彦であるとの伝承があるようです。葛城の地に縁のある人でしょうか?
また、磯城縣主の娘の渟名城津媛(ぬなきつひめ)が皇后だったとの説もあります。その他に倭国(やまとのくに)の豊秋狭太媛(とよあきさだひめ)の娘の大井媛(おおいひめ)が皇后であるとの説もあります。
なお、倭国(やまとのくに)とありますが、この当時の倭国は奈良県全体ではなく、三輪山に近い奈良盆地の東部あるいは南東部のことだと思います。(神武紀に倭国造(やまとのくにのみやつこ)と葛城国造(かつらぎのくにのみやつこ)が出てきます。奈良盆地の南西部が葛城国、南東部が倭国だったのかもしれません。)
その他では、孝昭天皇の息子の天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)は次代の皇后の押媛(おしひめ)の父親ですが、日本書紀では和珥(わに)臣などの先祖としています。一方、古事記では春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢飯高君、壹師君、近淡海國造の先祖であるとされています。
皇后
世襲足媛(尾張連の祖・瀛津世襲の妹)  日本書紀(皇后)
余曾多本毘賣(尾張連の祖・奧津余曾の妹)古事記
渟名城津媛(磯城縣主・葉江の娘)    日本書紀(一書云)
大井媛(倭国の豊秋狭太媛の娘)     日本書紀(一書云)
孝安天皇
日本書紀は孝安天皇の姪である押媛(おしひめ)を皇后としています。古事記も天皇の姪の忍鹿比賣(おしかひめ)を后妃としています。この二人は同一人物のようです。
日本書紀の異説では磯城縣主と十市縣主の娘が挙げられています。 十市縣の場所ですが、三輪山の東側、奈良の中央部に橿原市十市町という地名があり、十市御縣坐神社という神社もあるようです。
皇后
押媛(孝安天皇の姪)       日本書紀(皇后)
忍鹿比賣(孝安天皇の姪)     古事記
長媛(磯城縣主・葉江の娘)    日本書紀(一書云)
五十坂媛(十市縣主・五十坂彦の娘)日本書紀(一書云)

孝霊天皇
孝霊天皇の皇后の細媛(ほそひめ)は、日本書紀では磯城縣主の大目の娘としていますが、古事記では十市縣主の祖の大目の娘の細比賣(くはしひめ)としています。 孝霊天皇も先代までと同じように磯城縣あるいは十市縣から皇后を娶っています。
なお、孝霊天皇は皇后以外に二人または三人の后妃を娶っています。これは先代までの欠史八代の天皇と違っている点です。
それと、この天皇の漢風諡号である「孝霊」には「霊」の文字が使われています。後世に漢風諡号を作った人は、この時代が霊あるいは宗教の時代であると認識していたのだと思います。
倭国香媛
この孝霊天皇の時代では、皇后以上に重要な人物が后妃の倭国香媛(やまとくにかひめ)です。本名は絙某姉(はえいろね)ですが倭国香媛という尊称が付けられています。
古事記では意富夜麻登玖邇阿禮比賣(おほやまとくにあれひめ:大倭国阿礼姫)と呼ばれています。
この倭国香媛の娘が崇神天皇の時代に活躍する倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)です。倭迹迹日百襲姫は巫女として活躍しており、邪馬台国の卑弥呼であるとも言われています。
また、尊称の付いている母親の倭国香媛や妹の倭迹迹稚屋姫(やまとととわかやひめ)も霊的な能力があったのかもしれません。なお、古事記によれば倭国香媛は安寧天皇の子の磯城津彦命の孫になっています。
千千速比賣
古事記に、天皇は春日の千千速眞若比賣(ちちはやまわかひめ)を娶って千千速比賣(ちちはやひめ)を生んだとあります。
この名前は倭国香媛の娘の倭迹迹稚屋姫(古事記では倭飛羽矢若屋比賣:やまととびはやわかやひめ)を思い出させます。
千千速(ちちはや)に飛羽矢(とびはや)です。偶然ではないような気がします。千千速比賣にも霊的な能力があったのでしょうか。
吉備国
孝霊天皇の子の吉備津彦命(古事記:大吉備津日子命)と稚武彦命(古事記:若日子建吉備津日子命)の二人が吉備国を平定したとされています。なお、古事記によれば先代の孝安天皇の子に大吉備諸進命(おおきびもろすすのみこと)がいます。事跡が書いてないので不明ですが、この大吉備諸進命も吉備国に関連した人でしょうか?それとも、吉備津彦命の異説でしょうか?いずれにしろ、この時代には大和と吉備との何らかの関係があったことをうかがわせます。
皇后と后妃
細媛(磯城縣主・大目の娘)     日本書紀(皇后)
細比賣(十市縣主の祖・大目の娘) 古事記
春日千乳早山香媛        日本書紀(一書云)
春日の千千速眞若比賣      古事記
眞舌媛(十市縣主の祖の娘)    日本書紀(一書云)
倭国香媛(絙某姉)        日本書紀(后妃)
意富夜麻登玖邇阿禮比賣(蠅伊呂泥)古事記
絙某弟(倭国香媛の妹)      日本書紀(后妃)
蠅伊呂杼(阿禮比賣の妹)     古事記

孝元天皇
孝元天皇の皇后は、穗積臣の祖先の欝色雄命(うつしこをのみこと)の妹の欝色謎命(うつしこめのみこと)です。この穗積臣は三輪山麓の山辺郡の出身のようです。
そして、后妃の伊香色謎命(いかがしこめのみこと)については、日本書紀では物部氏の祖先の大綜麻杵(おほへそき)の娘とあります。
しかし、古事記では内色許賣命(うつしこめのみこと)は穗積臣等の祖先の内色許男命(うつしこをのみこと)の妹で、伊迦賀色許賣命(いかがしこめのみこと)は内色許男命の娘としています。内色許賣命と迦賀色許賣命と名前が似ているのは当然で古事記の記事の方が信用できそうです。
 日本書紀
  欝 色謎命(穗積臣の遠祖・欝色雄命の妹)
  伊香色謎命(物部氏の祖・大綜麻杵の娘)
 古事記
  内  色許賣命(穗積臣等の祖・内色許男命の妹)
  伊迦賀色許賣命(穗積臣等の祖・内色許男命の娘)
日本書紀が、ここで軍事を司る物部氏を持ち出したのは、このころの大和王権の軍事的な台頭を示唆するものでしょうか?
河内と葛城
孝元天皇は、河内の青玉繋(あおたまかけ)の娘の埴安媛(はにやすひめ)を娶って武埴安彦(たけはにやすひこ)を生んでいます。また、后妃の伊香色謎命が生んだ彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと:比古布都押之信命)は、尾張連等の祖・意富那毘(おほなび)の妹の葛城の高千那毘賣(たかちなびめ)を娶っています。このころに大和王権の勢力は葛城から河内へと進出したのかもしれません。 なお、武埴安彦は崇神朝に謀反を起こした人物です。

      伊香色謎命─┬─孝元天皇─┬─河内の埴安媛
            │      │
            │     武埴安彦
            │
葛城の高千那毘賣─┬─彦太忍信命─┬─山下影日賣
         │       │
        味師内宿禰   建内宿禰
建内宿禰
伊香色謎命が生んだ彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)は山下影日賣(やましたかげひめ)を娶っていますが、この山下影日賣が生んだのが建内宿禰です。建内宿禰の子供たちは、多くの氏族の祖先であるとされています。
建内宿禰が、これだけ多くの氏族の先祖を生んだことの信憑性には疑問があるかもしれませんが、建内宿禰は崇神天皇と同世代になります。建内宿禰は、大和王権を確立した崇神天皇の時代に活躍した人物なのかもしれません。
建内宿禰の子供たち
波多の八代宿禰:波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君の祖
許勢の小柄宿禰:許勢臣、雀部臣、輕部臣の祖
蘇賀の石河宿禰:蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等の祖
平群の都久宿禰:平群臣、佐和良臣、馬御樴連等の祖
木の角宿禰:木臣、都奴臣、坂本臣の祖
葛城の長江曾都毘古:玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等の祖
若子宿禰:江野財臣の祖
倭迹迹姫命
日本書紀では皇后の欝色謎命が倭迹迹姫命(やまとととひめ)を生んだとしています。名前が似ていることからも分かるように、これは孝霊天皇の皇女の倭迹迹日百襲姫のことのようです。倭迹迹日百襲姫の誕生についての異説を記載したものと考えられています。
確かに孝霊天皇の皇女が、崇神天皇の時代に活躍するのは世代的には少し無理があります。そのために生まれた異説かもしれません。
皇后と后妃
欝色謎命(穗積臣の遠祖・欝色雄命の妹)  日本書紀(皇后)
内色許賣命(穗積臣等の祖・内色許男命の妹)古事記
伊香色謎命(物部氏の祖・大綜麻杵の娘)  日本書紀(后妃)
伊迦賀色許賣命(内色許男命の娘)     古事記
埴安媛(河内の青玉繋の娘)        日本書紀(后妃)
波邇夜須毘賣(河内の青玉の娘)      古事記

開化天皇
開化天皇は、違和感がありますが、義理の母の伊香色謎命(いかがしこめのみこと)を皇后としています。
和珥臣
また、開化天皇は大和朝廷の雄族である和珥(わに)臣の姥津媛(ははつひめ)を娶って彦坐王(ひこいますのみこ)を生んでいます。なお、和珥臣は日本書紀では孝昭天皇の子孫とされており、後に雄略・仁賢・継体の各天皇の后妃を輩出します。
丹波と山代
開化天皇は丹波の竹野媛(たけのひめ)を娶っています。また、古事記によれば、姥津媛の生んだ彦坐王は山代(やましろ)の荏名津比賣(えなつひめ)や沙本(さほ)の大闇見戸賣(おほくらみとめ)を娶っています。山代は山城国のことで京都府南部だと思われます。沙本は奈良県北部の佐保川流域あたりのようです。大和王権が丹波国、山城国へと広がったことを感じさせます。
皇后と后妃
伊香色謎命(庶母)              日本書紀(皇后)
伊迦賀色許賣命(庶母)            古事記
丹波竹野媛                 日本書紀(后妃)
竹野比賣(旦波の大縣主由碁理の女)      古事記
姥津媛(和珥臣の遠祖・姥津命)         日本書紀(后妃)
意祁都比賣命(丸邇臣の祖・日子國意祁都命の妹)古事記
鸇比賣(葛城の垂見宿禰の娘)         古事記

彦坐王
開化天皇の息子の彦坐王(ひこいますのみこ)は崇神天皇の義理の兄弟であり、同世代の人です。この彦坐王は多くの妃を各地から娶っています。その広がりは崇神王朝の発展を象徴しているように見えます。
 山代の荏名津比賣・・・山城国
 沙本の大闇見戸賣・・・奈良の北部
 息長水依比賣  ・・・近江の三上の天之御影神の娘
 袁祁都比賣命(母・意祁都比賣命の妹)
また、彦坐王は後の多くの后妃の先祖となっています。娘の狭穂姫(さほひめ)は垂仁天皇の皇后となり、孫の日葉酢媛(ひばすひめ)も垂仁天皇の皇后になっています。 さらに、仲哀天皇の皇后で、神功皇后と呼ばれた息長帯比賣命(おきながたらしひめ)も彦坐王の玄孫です。

 彦坐王─┬─沙本の大闇見戸賣
     │
     ├────┐
     │     │
    狭穂彦王 狭穂姫命(垂仁皇后)

 彦坐王─┬─息長水依比賣
     │
    丹波道主王─┬─丹波の河上の摩須郎女
          │
        日葉酢媛命(垂仁皇后)

 彦坐王─┬─袁祁都比賣命
     │
    山代の大筒木眞若王─┬─丹波の阿治佐波毘賣
              │
            迦邇米雷王─┬─高材比賣(丹波の遠津臣の娘)
                  │
       葛城の高額比賣─┬─息長宿禰王
               │
             息長帶比賣命(仲哀皇后:神功皇后)

世代の矛盾
欠史八代で懿徳天皇から開化天皇に至る系図と、磯城津彦命から倭迹迹日百襲姫に至る系図を比較すると世代が一致しません。孝安天皇と孝元天皇が余分に見えます。
この矛盾については、二通りの原因が考えられると思います。
一つ目は、孝安天皇や孝元天皇が架空の存在である。
二つ目は、孝昭天皇と孝安天皇、孝霊天皇と孝元天皇が親子ではなく、兄弟である。
どちらが正しいか分かりませんが、そういう風に補正して考えると矛盾はなくなると思います。

 懿徳天皇 磯城津彦命
  │    │
 孝昭天皇 和知都美命
  │    │
 孝安天皇  │
  │    │
 孝霊天皇 倭国香媛
  │    │
 孝元天皇  │
  │    │
 開化天皇 倭迹迹日百襲姫
  │
 崇神天皇


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参考文献
「古事記」倉野憲司校注 岩波文庫
「日本書紀」日本古典文学大系 岩波書店

2014.03.11 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp