古墳の被葬者
古代に巨大な前方後円墳が多く築かれました。一部は宮内庁により天皇陵として治定されていますが、多くは被葬者が不明、あるいは曖昧なままです。また、宮内庁に天皇陵として治定された古墳についても研究者からは多くの異論も出されています。しかし、考古学者は確かな証拠がないので被葬者については断定を避ける傾向もあります。なぜか日本の古代の墓には墓碑銘などの文字情報がないのです。
そこで天皇陵と思われる巨大古墳や著名な古墳について、研究者の意見を参考にして、年代などを考慮して被葬者について推理してみました。
3世紀前半 纏向(箸中古墳群)
最初の巨大な前方後円墳が築かれたのは3世紀前半の奈良の纏向遺跡の近くです。当時の纏向には王宮が築かれ、倭国の中心として栄えていたようです。
ここには、箸墓以前に6基の大きな古墳が3世紀前半に造られています。類例のない大きな前方後円墳が築かれたのですから、被葬者は当時の大王クラスの人たちだと思われます。
この古墳群の多くの古墳は土盛りだけのようですが、比較的に新しいと思われるホケノ山古墳は土盛りの表面に葺石が施してあったようです。また、ホケノ山古墳だけが、他の古墳から離れて箸墓古墳の近くに築かれています。
古墳名称 時期 全長 被葬者(推定)
纏向石塚古墳 3世紀前半 96m 孝霊天皇
纏向矢塚古墳 3世紀前半 96m 細媛命
纏向勝山古墳 3世紀前半 115m 孝元天皇
東田大塚古墳 3世紀前半 120m 欝色謎命
ホケノ山古墳 3世紀中頃 80m 開化天皇
被葬者
被葬者として考えられるのは、この当時の天皇や皇后です。おそらく孝霊、孝元、開化の3代の天皇は間違いなく入っていると思います。
孝霊天皇 第7代天皇
孝元天皇 第8代天皇
開化天皇 第9代天皇
細媛命(ほそひめのみこと) 孝霊天皇の皇后
欝色謎命(うつしこめのみこと) 孝元天皇の皇后
箸中古墳群内に3世紀中頃過ぎに築かれた箸墓古墳の被葬者は、卑弥呼にも擬せられる倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめ)が有力だと考えられています。この百襲媛の縁者も上記古墳の被葬者として考えることもできます。倭国香媛(やまとくにかひめ)は百襲媛の母親です。また、倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめ)は百襲媛の妹です。
倭国香媛 孝霊天皇の皇妃、倭迹迹日百襲媛命の母親
倭迹迹稚屋姫命 孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲媛命の妹
3世紀中〜4世紀中 大和の大王墳
纏向の地に都が築かれ、事実上の最初の天皇と云われる崇神天皇が現れ、全長200mを超える巨大な前方後円墳が造られるようになりました。
古墳名称 時期 全長 被葬者(推定) 宮内庁治定
箸墓古墳 3世紀中過 280m ○倭迹迹日百襲媛命 同左
黒塚古墳 3世紀後半 130m 大彦命
中山大塚古墳 3世紀後半 130m 伊香色謎命
西殿塚古墳 3世紀末 234m ○崇神天皇 手白香皇女
桜井茶臼山古墳 4世紀初頭 208m 彦坐王
東殿塚古墳 4世紀初頃 139m 御間城姫
行燈山古墳 4世紀前半 242m ○垂仁天皇 崇神天皇
メスリ山古墳 4世紀前半 250m 日本武尊
渋谷向山古墳 4世紀中過 310m ○景行天皇 景行天皇
○印は有力な説です。
箸墓古墳
最初の巨大古墳である箸墓古墳の被葬者は、日本書紀にもあるように倭迹迹日百襲媛命だと考えられています。
大王墳
崇神天皇陵については、箸墓古墳の次に築かれた巨大古墳の西殿塚古墳であると考える人が多いようです。そして、次代の垂仁天皇と景行天皇については纏向に近い巨大古墳の行燈山古墳と渋谷向山古墳が有力なようです。
準大王墳
纏向から少し離れた南方の鳥見山の麓に桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳があります。天皇陵と同等な巨大さを誇る古墳です。これらについては、天皇に負けない活躍をした彦坐王(日子坐王)と日本武尊を考えてみました。
彦坐王
彦坐王(ひこいますのみこ)は崇神天皇の異母弟で、多くの妃を各地から娶っており外交的に活躍した人のようです。また、彦坐王は後の多くの皇后の先祖となっています。娘の狭穂姫は垂仁天皇の皇后となり、孫の日葉酢媛(ひばすひめ)も垂仁天皇の皇后になっています。 さらに、仲哀天皇の皇后で神功皇后と呼ばれた息長帯比賣(おきながたらしひめ)も彦坐王の玄孫にあたります。
日本武尊
日本武尊(やまとたけるのみこと)は、いうまでもなく日本神話の英雄です。巨大古墳があっても不思議のない人物です。日本書紀には日本武尊陵が倭(やまと)の琴弾原(ことひきはら)にあると記されており、実際に御所市に日本武尊の琴弾原白鳥陵があります(日本武尊には伊勢、大和、河内の三ヶ所にその墓(白鳥陵)が伝えられています)。また、日本書紀の允恭天皇42年11月に新羅の弔使が琴引坂で耳成山と畝傍山を愛でたとの記事があります。琴引坂という地名が耳成山と畝傍山の近くにあったようです。メスリ山古墳も耳成山と畝傍山からそう遠くない場所にあります。日本武尊の墓は、現在の御所市の白鳥陵より巨大なメスリ山古墳の方が似つかわしいように思います。
黒塚古墳と中山大塚古墳
倭迹迹日百襲媛命の箸墓古墳と崇神天皇の西殿塚古墳の間の時期に、黒塚古墳と中山大塚古墳が築かれています。200m超の大王墳には見劣りしますが全長130mの立派な前方後円墳です。
被葬者としては、開化天皇の皇后である伊香色謎命(いかがしこめのみこと)が被葬者として妥当ではないでしょうか。また、崇神天皇の上の世代、崇神天皇の叔父にあたる大彦命(おおびこのみこと)や彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)も有力候補として考えることもできます。
東殿塚古墳
東殿塚古墳は、崇神天皇の西殿塚古墳の奥に寄り添うように築かれた140mほどの古墳です。この被葬者は時代的にも崇神天皇の皇后の御間城姫(みまきひめ)が良いように思います。御間城姫は垂仁天皇の母親でもあります。
その他の被葬者の候補としては、崇神天皇の子供である倭彦命(やまとひこのみこと)や豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)なども考えられます。
初期大和の古墳群
4世紀後半 佐紀の大王墳
4世紀の後半になると全長200m超の前方後円墳は奈良盆地の北方の佐紀の地に築かれるようになります。佐紀古墳群あるいは佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群と呼ばれています。
古墳名称 時期 全長 被葬者(推定) 宮内庁治定
五社神古墳 4世紀後半 276m 八坂入媛 神功皇后
宝来山古墳 4世紀後半 227m 成務天皇 垂仁天皇
佐紀陵山古墳 4世紀末 210m 神功皇后 日葉酢媛
佐紀石塚山古墳 4世紀末 220m 仲哀天皇 成務天皇
築かれた時代を考えると、これらの古墳に成務天皇、仲哀天皇、神功皇后が葬られているのは確実だと思いますが、古墳を特定できる決め手がないのが現実です。
仲哀天皇と神功皇后
佐紀陵山古墳と佐紀石塚山古墳は寄り添って造られています。そこで、仲哀天皇と神功皇后の夫婦に設定してみました。時代的にも合っていると思います。
景行皇后と成務天皇
成務天皇には皇后がおらず子女もほとんどいないという不思議な天皇です。そのため、五社神古墳や宝来山古墳に、成務天皇の皇后を設定することができません。五社神古墳には景行天皇の皇后である八坂入媛、宝来山古墳に成務天皇を考えてみました。なお、八坂入媛は成務天皇の母親でもあります。
5世紀前半 佐紀の大王墳
佐紀の古墳群には皇后の陵の伝承が多くあります。日葉酢媛(垂仁皇后)、神功皇后、磐之媛(仁徳皇后)などの陵があったとの伝承です。一方この時代の天皇陵は河内の古市古墳群や百舌鳥古墳群に造られています。そのため、この時代に佐紀古墳群に造られた大規模な古墳には皇后など女性の被葬者を考えるのが適当ではないでしょうか。
古墳名称 時期 全長 被葬者(推定) 宮内庁治定
市庭古墳 5世紀前半 250m 仲津媛 平城天皇
ヒシアゲ古墳 5世紀前半 218m 磐之媛 磐之媛
コナベ古墳 5世紀前半 204m 八田皇女
ウワナベ古墳 5世紀中頃 265m 草香幡梭皇女
仲津媛
仲津媛(なかつひめ)は応神天皇の皇后で、仁徳天皇の母親です。また、景行天皇の曾孫にあたります。
磐之媛
磐之媛(いわのひめ)の陵は伝承の通りにヒシアゲ古墳にあててみました。磐之媛は葛城襲津彦の娘で仁徳天皇の皇后です。また、履中天皇、反正天皇、允恭天皇の母親になります。
八田皇女
八田皇女(やたのひめみこ)は磐之媛の後に仁徳天皇の皇后になりました。父親は応神天皇です。
草香幡梭皇女
草香幡梭皇女(くさかのはたびのひめみこ)は履中天皇の皇后です。応神天皇の娘です。
忍坂大中姫
允恭天皇の皇后である忍坂大中姫(おしさかおおなかつひめ)もこの時期の古墳の被葬者の候補として挙げられると思います。
佐紀古墳群
応神王朝の前方後円墳
応神天皇の時代は河内王朝とも呼ばれ河内地方に縁の深い王朝であり、河内の古市古墳群や百舌鳥古墳群に大規模な前方後円墳を築造しています。これらの大王墳を時代順に並べて歴代の天皇を当てはめてみました。なお、実在性の疑われる武烈天皇については該当しそうな確かな古墳がないので省略しました。
古墳名称 場所 時期 全長 被葬者(推定) 宮内庁治定
仲ツ山古墳 古市 5世紀前半286m 応神天皇 仲津媛陵
上石津ミサンザイ古墳 百舌鳥5世紀前半365m○仁徳天皇 履中天皇陵
室大墓古墳 御所市5世紀前半238m○葛城襲津彦
誉田御廟山古墳 古市 5世紀前半425m 履中天皇 応神天皇陵
大仙陵古墳 百舌鳥5世紀前中486m 反正天皇 仁徳天皇陵
市ノ山古墳 古市 5世紀後半227m 允恭天皇 允恭天皇陵
土師ニサンザイ古墳 百舌鳥5世紀後半288m 安康天皇
岡ミサンザイ古墳 古市 5世紀後半238m○雄略天皇 仲哀天皇陵
白髪山古墳 古市 5世紀末頃120m 清寧天皇 清寧天皇陵
狐井城山古墳 馬見 5世紀末頃140m○顕宗天皇
ボケ山古墳 古市 6世紀前半120m 仁賢天皇 仁賢天皇陵
○印は有力な説です。「馬見」は奈良の葛城地方の馬見古墳群のことです。
古市古墳群
百舌鳥古墳群
継体王朝の前方後円墳
継体天皇の時代になると古墳の規模が小さくなっています。それでも前方後円墳の末期には見瀬丸山古墳、河内大塚山古墳のような大規模な古墳が築かれています。なお、手白香皇女は仁賢天皇の皇女で継体天皇の皇后です。
古墳名称 場所 時期 全長 被葬者(推定) 宮内庁治定
今城塚古墳 三島野6世紀 190m○継体天皇
西山塚古墳 大和 6世紀 115m○手白香皇女
高屋城山古墳 古市 6世紀 120m○安閑天皇 安閑天皇陵
鳥屋ミサンザイ古墳 橿原市6世紀 138m○宣化天皇 宣化天皇陵
梅山古墳 明日香6世紀 140m 蘇我稲目 欽明天皇陵
見瀬丸山古墳 橿原市6世紀後半318m○欽明天皇
河内大塚山古墳 古市 6世紀後半335m 敏達天皇
○印は有力な説です。「三島野」は大阪府の三島野古墳群のことです。
その後の天皇陵など
飛鳥時代になると大王墳としての前方後円墳は造られなくなり、方墳などが築造されるようになります。そして、その後は天皇の墓は八角墳で造られるようになります。おそらく道教の影響です。また、造営場所も奈良県の明日香村や大阪府の太子町などが増えてきます。
古墳名称 場所 形式 被葬者(推定)
牧野古墳 馬見 円墳 ○忍坂彦人大兄皇子
春日向山古墳 太子町 方墳 用明天皇
赤坂天王山古墳 桜井市 方墳 ○崇峻天皇
石舞台古墳 明日香 不明 ○蘇我馬子
山田高塚古墳 太子町 方墳 ○推古天皇
忍阪段ノ塚古墳 桜井市 八角墳 ○舒明天皇
山田上ノ山古墳 太子町 円墳 孝徳天皇
牽牛子塚古墳 明日香 八角墳 ○斉明天皇
岩屋山古墳 明日香 方墳 斉明天皇
御廟野古墳 京都市 八角墳 ○天智天皇
野口王墓古墳 明日香 八角墳 ○天武天皇・持統天皇
中尾山古墳 明日香 八角墳 ○文武天皇
○印は有力な説です。
飛鳥・奈良時代の古墳
今城塚古墳と御廟野古墳
天武天皇はクーデターともいえる壬申の乱で新政権を樹立しています。その先代の天智天皇は継体天皇から始まる王朝の最後の天皇といえるかもしれません。その継体天皇と天智天皇の陵が大和の地から離れた場所(摂津北部と京都山科)に造られています。これには何か不思議な符合を感じます。
(参考)古墳の葺石
古墳というと樹木の茂った小山という印象がありますが、実は多くの古墳は葺石に覆われていたようです。被葬者の権威を見せることを意識して造られた、いわば古代のピラミッドのような存在だったようです。
現在、当時の姿に復元された古墳がいくつかあるようですが、下の地図は神戸の五色塚古墳です。
五色塚古墳