三輪王朝の神話2

古代の天皇名
神話時代の天皇には国名である「倭」を冠した長い名前が付けられていることが多くあります。これは天皇をたたえるため尊称のようです。
 神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと) 神武天皇
 大倭日子鉏友命(おほやまとひこすきとものみこと) 懿徳天皇
 大倭帯日子國押人命(おほやまとたらしひこくにおしのみこと) 孝安天皇
 大倭根子日子賦斗邇命(おほやまとねこひこふとにのみこと) 孝霊天皇
 大倭根子日子國玖琉命(おほやまとねこひこくにくるのみこと) 孝元天皇
 若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおほびびのみこと) 開化天皇
これらの天皇名では、倭の前に神、大、若が付けられているのが特徴です。
(参考)
初期の天皇でも倭が付かない名称の天皇もいます。
 神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと) 綏靖天皇
 師木津日子玉手見命(しきつひこたまでみのみこと) 安寧天皇
 御真津日子訶惠志泥命(みまつひこかゑしねのみこと) 孝昭天皇
なお、日本書記では名前の表記方法が違っています。「倭」を「日本」に換え、その他の字も違っていますが、基本的に読みは同じです。でも何故か孝安天皇に「大」が付いていません。
 神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと) 神武天皇
 神渟名川耳尊(かむぬなかはみみのみこと) 綏靖天皇
 磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまでみのみこと) 安寧天皇
 大日本彦耜友尊(おほやまとひこすきとものみこと) 懿徳天皇
 観松彦香殖稲尊(みまつひこかゑしねのみこと) 孝昭天皇
 日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしのみこと) 孝安天皇
 大日本根子彦太瓊尊(おほやまとねこひこふとにのみこと) 孝霊天皇
 大日本根子彦国牽尊(おほやまとねこひこくにくるのみこと) 孝元天皇
 稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおほひひのみこと) 開化天皇

天皇に準ずる名前
この神話の時代に天皇以外でも「倭」を冠した長い名前を持った人たちがいます。古事記と日本書記では名前が違っていますので、両方を並べてみます。
古事記
 意富夜麻登玖邇阿礼比賣命(おほやまとくにあれひめのみこと)
 夜麻登登母母曾毘賣命(やまととももそびめのみこと)
 倭飛羽矢若屋比賣(やまととびはやわかやひめ)
 (注.若屋比賣に命(みこと)は付きません。)
日本書記
 倭国香媛(やまとのくにかひめ)
 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
 倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)
 (注.国香媛に命(みこと)は付きません。)
この3人にはまるで天皇のような尊称が付けられています。尊崇されるべき特別な人たちだったのでしょうか。実は3人は親娘です。中心にいる百襲媛は三輪山の神話に登場し箸墓古墳の被葬者とされており、邪馬台国の卑弥呼に擬されています。
倭国香媛
倭国香媛は古事記では意富夜麻登玖邇阿礼比賣命と表記されています。分かりやすい漢字表現に置き換えてみると大倭国阿礼(あれ)姫命です。まるで国を造ったかのような名前に見えます。
倭国香媛は安寧天皇の孫で、孝霊天皇妃として百襲姫、稚屋姫と吉備津彦を産んでいます。
倭迹迹日百襲姫命
百襲姫は崇神紀の三輪山伝説に登場する巫女的な存在で箸墓古墳に葬られたとされています。そのため、百襲姫は魏志倭人伝の邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)に擬せられています。そして、この三輪山伝説で殺された百襲姫が太陽信仰の天照大神の神話の基になったと私は考えています。  (参考)三輪王朝の神話
倭迹迹稚屋姫命
百襲姫の妹の稚屋姫も不思議な名前を持っています。古事記では倭飛羽矢若屋比賣と表記されています。飛羽矢(とびはや)とは何を意味するのでしょうか、飛速(とびはや)でしょうか。何か超能力を持っていそうな名前です。百襲姫が亡くなった後、その後を継ぐなり何らかの働きをしたことを想像させられます。稚屋姫は、邪馬台国の卑弥呼の後継者である台与(とよ)だったのかもしれません。
太陽信仰
母親の国香媛についても娘の稚屋姫についても、何の話も伝わってはいません。しかし、この親娘には尊称が付けられ尊崇されているように見えます。
おそらく、この3人によって皇室の太陽信仰、天照大神の信仰が確立されたのではないでしょうか。だからこそ、この3人は特別な存在となっているのです。
(付記)
崇神紀七年八月条に倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさぢはらまくはしひめ)が現れます。目妙姫は他の2人と共に「大田田根子命を以て、大物主大神を祭る主とし・・・」という夢を見ています。この目妙姫も倭の名を冠した長い名前を持った巫女的な人物ですが、これは百襲姫の別称であるというのが一般的な見解のようです。なお、この倭迹速神浅茅原目妙姫は古事記には現れないようです。

夜麻登から倭へ
古事記では、国香媛と百襲姫については、次のような表記をしています。
 意富夜麻登玖邇阿礼比賣命(おほやまとくにあれひめのみこと)
 夜麻登登母母曾毘賣命(やまとももそびめのみこと)
なぜ古事記では2人について倭(やまと)ではなく夜麻登(やまと)と表記したのでしょうか。これには何か意味があるのでしょうか?
国香媛と百襲姫によって夜麻登が倭になったのかもしれません。つまり、夜麻登は国として統一される以前の三輪山の麓の地域の名前で、国として統一され祭祀が確立してから倭になったと考えることもできます。もちろん、これは単なる想像の域を超えませんが、万葉仮名の夜麻登が古い倭(やまと)の表記だったのかもしれません。
なお、古事記は公式の文書です。夜麻登と書いたのは単なる書き間違いではないはずです。

吉備津彦と須佐之男命
孝霊天皇と倭国香媛の息子に吉備津彦がいます。比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりびこのみこと)、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと)という名前も伝わっていますが、一般には大吉備津日子命(おほきびつひこのみこと)あるいは吉備津彦命(きびつひこのみこと)の名が知られています。
この大吉備津日子命は異母弟の若建吉備津日子命と協力して「針間(播磨)を道の口として吉備國を言向け和したまひき」と古事記(孝霊記)に記されています。
日本書記では、武埴安彦命の反乱を大彦命と制圧し、吉備国と山陽道を平定し、武渟川別命と協力して出雲振根を誅殺したとされています。
姉の百襲姫が大和で太陽信仰を確立し、弟の吉備津彦が吉備国に下り平定しています。この構図は高天原の天照大神と出雲に天下った須佐之男命(素戔男尊)の関係に似ていないでしょうか?出雲神話の須佐之男命(素戔男尊)は吉備津彦が基になっているのかもしれません。

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参考文献
「古事記」倉野憲司校注 岩波文庫
「日本書紀」日本古典文学大系 岩波書店

2014.02.21 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp