李朝末期の朝鮮3
朝鮮の貨幣制度
当時の朝鮮には貨幣制度はありませんでした。金貨や銀貨がなかったのです。あったのは葉銭と呼ばれる四角の穴の開いた銅貨だけです。定期市などでは物々交換が多かったのかもしれません。
金貨、銀貨
「商業の発達に大きな障害になっているものの一つに不完全な貨幣制度がある。金貨や銀貨は存在しない。」(朝鮮事情)
「これらの金属をインゴットにして売ることは、多くの細かい規則によって禁止されている。例えば、中国の銀を朝鮮のものと同じ棒状に鋳造して売ってもいけない。必ずや見破られ、棒状の銀は没収されたうえ、その商人は重い罰金を取られ、おそらく笞刑に処せられるだろう。」(朝鮮事情)
銅銭
「合法的に流通している唯一の通貨は銅銭である。その小さな銅貨には亜鉛か鉛が混じっており、その価値はおよそ2あるいは2.5サンチームである。それは真ん中に穴が開いており、一定の数を集めて紐で通すことから、通貨を示すのに極東の見聞録でよく使われる通銭あるいは半通銭という表現が生まれたのである。」(朝鮮事情)
「相当量の支払いをするためには、一群の担ぎ人夫が必要となる。というのは、百両あるいは百通銭(約200フラン)は一人分の荷物になるからである。」(朝鮮事情)
「受け入れられる唯一の貨幣は葉銭だけであった。当時、3、200葉銭が名目上1ドルであった。この硬貨はその数百を一束にして藁紐(わらひも)で縛る。その計数と運搬、そしてその不携帯は大変な厄介事であった。百円つまり十ポンドを葉銭で運ぶには、男の人6人か驢馬(ろば)1頭が必要であった。」(朝鮮奥地紀行)
物々交換
「北部地方では、この貨幣すら流通していない。そこでは、すべての物がある慣習に基づいて交換されている。かつては穀物が貨幣の代わりをしたようで、それは今なお現在の言葉のなかで、小麦を市に売りに行くことを「買に行く」と言い、それを買いに行くのを「売りに行く」と言っていることでも分かる。」(朝鮮事情)
朝鮮の産業
朝鮮では自給自足が原則で専門の職人は少なかったようです。そのため手工業も未発達な状態に留まっていました。
科学的な知識
「朝鮮人は科学研究の分野においてほとんど進歩の跡を見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では数世紀のあいだ有用な技術はまったく進歩していない。」(朝鮮事情)
自給自足
「この立ち遅れの主な原因の一つに、人々がすべての手工業を各自の家で賄わなければならず、必需品を自分の手で作らねばならないという現実がある。農民たちは、収穫によってその必要を充たす。そして、冬の間、彼らは織工、染物師、大工、仕立屋、石工などを次々に務める。また、自家製の米酒、油、焼酎を作る。婦人や娘たちは、麻や綿を紡ぎ、蚕を育てることができれば絹糸まで紡ぐ。そして生地の粗い布を織るが、この布は非常に強くて日常の必要を十分に満たしている。」(朝鮮事情)
「朝鮮の衣服が野暮ったいのは、この国にいわゆる職人が少ないからではなく、むしろ、誰でもがみな職人であるからです。女たちが、各々の家で糸を紡ぎ、布を織り、服を作っており、この仕事を特別のこととしていないので、誰もそれに上達しないのです。他の技術においても、事情はほとんど同じです。従がって、朝鮮人はあらゆることで非常に遅れをとっており、今日なお進歩のあとの見られるものはなく、ノアの洪水の翌日にあらゆる技術と手工業が再開されたあの日に比べても進歩していないのです。」(朝鮮事情)
「(農民は)自分の手で衣服、藁沓(わらぐつ)、木靴、籠(かご)、笊(ざる)、箒(ほうき)、綱、紐、茣蓙(ござ)、そして必要な農具を作る。まさかの場合には、自分の家の壁、家屋、棟木などの修理さえする。ひと言にして言えば、彼らは自給自足しているのである。」(朝鮮事情)
職人
「特殊な道具を使い、その道具を使用するのに徒弟期間が必要な職業にのみ特別な職人がいる。しかし、この場合でも一つの定まった仕事場だけで働く職人はまれである。普通、彼らは雇い主の所まで道具をかついで行き、そこでの仕事が終われば、また別の仕事を探す。設備が必要なはずの者でさえ、一定の場所に留まることがない。」(朝鮮事情)
陶工と鍛冶屋
「例えば陶工は、木と粘土が自分の好みに合う所に居を定め、そこに小屋と窯を作り、近隣の人のために雑器やかなり堅い土壺、時には大きな容器を作ったりするが、薪(まき)がなくなれば、また他の所へ稼ぎ場所を変える。鍛冶屋も同じ行動様式で、採鉱が非常に困難になると、そこを離れて行く。」(朝鮮事情)
「北朝鮮全域で唯一の製陶工場が端川の南西45露里(約45Km)に所在する。土器はここから各地に出荷されている。品質は恐ろしく不良であるものの、その産出量が膨大である事実は、この貧しい国における需要ならびに嗜好を如実に物語る。」(朝鮮旅行記)
刃物
「朝鮮人は、一級品の包丁、剣、短刀を、たくさん中国に輸出していると主張している。しかし、宣教師たちは、この断言の確かさを十分に確かめる機会を持たなかった。朝鮮人はまた、かなり丈夫に見える火縄銃も作る。」(朝鮮事情)
銅製品
「この国には非常に質の良い銅があるにもかかわらず、彼らが使うすべてのものは、日本から運んできたものである。彼らは容器や鍋を作るために銅と亜鉛を混ぜるが、この合金はなかなか錆びにくい。」(朝鮮事情)
「現存する限られた製造業のうちでは各家庭に必ず見出され、陶器よりも好まれている銅食器の製作を挙げねばならない。この食器の形は極めて素朴で飾り気がなく変化にも乏しい。その仕上げ自体もかなり粗雑である。」(朝鮮旅行記)
石鹸石
「石鹸石製の小箱は端川でのみ製作され、ここから全国に出荷されて、かなりの高値で売られている。」(朝鮮旅行記)
宝石や装飾品
「宝石や装飾品それに奢侈品は、すべて中国からもたらされる。朝鮮では、それらを加工することができない。」(朝鮮事情)
絹と木綿
「国産の絹は、かなり品質が悪く量も多くありません。」(朝鮮事情)
「ヨーロッパの木綿生地が中国人によって輸入され、朝鮮で販売され始めましたが、しかし値段が高いうえに耐久性がないので、その使用は限定されています。」(朝鮮事情)
紙
「しかし、朝鮮人が中国人よりも優る産業が一つある。それは紙の製作である。彼らは楮(こうぞ)の皮で、中国のものよりかなり厚くて強い紙を作る。それは、さながら麻布のようで破れにくく、その用途は無限に広い。それを使って、帽子、袋、蝋燭(ろうそく)の芯、靴紐などが作られる。油紙は値段も安いし、我々の防水布の便利な代用品となり、傘や防水外套(がいとう)を作るのに適している。戸や窓には、ガラスではなく、この油紙を桟の上に糊付けする。」(朝鮮事情)
「朝鮮の紙の強さと耐久力は非常に貴重なものである。粗悪な紙は、古びたぼろ切れや故紙で作られる。上等なものは楮(こうぞ)の類の梶の木で作られる。紙は中国に相当輸出されている朝鮮製品の一つである。」(朝鮮奥地紀行)
油紙
「製造業は取るに足らない。最上の産物は楮(こうぞ)で作られた数種の品質の紙である。その中に油紙がある。見かけは上等な子牛革のようである。その油紙の上にいる男の人を、紙の四隅をもって持ち上げられるほど丈夫である。」(朝鮮奥地紀行)
「厚さが約6分の1インチ(4ミリ)のある油紙は、絨毯(じゅうたん)か敷物の代わりに床に糊で張られる。油紙は水で洗えるし、乾拭きするととても艶が出る。」(朝鮮奥地紀行)
朝鮮人参
「朝鮮人参(Panax Ginseng)は、その名のように万能薬(Panacea)を意味している。誰でも極東での日々を多くの朝鮮人参とその薬効に関する話を聞かないで過ごすことはできない。私たちイギリス人が評価するイギリス薬局方の薬で、中国人に評価されている朝鮮人参に匹敵できる物は一つもない。それは、強壮剤、解熱剤、健胃剤であり、まさに不老長寿の薬である。朝鮮人参は、余裕がある中国人の大多数の人に、中国の酒に入れて発作的にもしくは定期的に摂取されている。朝鮮人参は、朝鮮が輸出するもっとも価値のある商品に、朝鮮の歳入の一大源泉になっている。」(朝鮮奥地紀行)
輸出品
「主として豆、魚肥、牛皮、朝鮮人参、紙、米と海草で成り立っている朝鮮の輸出品のなかで、清国と日本以外に市場を見出せそうな物は一品もない。しかし、朝鮮は米に関する限り日本の穀倉になる途上にある。」(朝鮮奥地紀行)
朝鮮の鉱業
朝鮮で金の採掘を始めたのは開国してからのようです。それ以前には鉱業は事実上なかったのかもしれません。
鉱山
「金は王国の各地において非常に豊富に産するが、労働者の監視が難しいという懸念から、また隣国の欲望を刺激しないためにも、金銀ともその採掘は厳禁とされている。青銅製品が日本から輸入されているにもかかわらず、朝鮮には鉛鉱山も銅山もふんだんにある。鉄に関して言えば、一山が丸々鉄でできた山々があり、大量に降る雨が極めて大量に鉄を洗い流すので、後は地表から取り上げるだけである。」(朝鮮旅行記)
「銅は海岸部の多くの箇所で採掘されているが、いずれも道路からは遠く隔たっている。ところで、朝鮮の日常生活ではたいそう普及している銅食器が元山から12露里(約12Km)のイエンドゥンゴリ村で製造されている。鉄鉱石は吉州の町の一地方に産し品質は良好だが、その精錬技術は極めて低い。農具はかかる鉄で拵える。銀鉱は海岸部の多くの場所で知られている。最良の銀山は端山の町の近くにあるとされている。大理石も、やはりさまざまな色の石の産地が知られているが、石の切り出しは行われていない。水晶の豊かな産地が端川の町の近くにある。」(朝鮮旅行記)
金鉱
「わが国(ロシア)至近の幾つかの採金場では、およそ800人の中国人自由民が朝鮮政府の許可なしに働いていた。政府は長いことかかる不法行為をいかにして止めさせるべきか頭を悩ませていた。」(朝鮮旅行記)
「彼らの露天掘りの現場は穴と称することが可能だろうが、穴の深さは約4.5サージェン(約9m)。穴は底部ほど広くなっていて、そこから石や砂金が網で釣り上げられると、特任の選鉱手の待つ小川へ選鉱のために運ばれる。これはましな鉱山と言われるが、朝鮮人労働者の受け取る賃金はわずかで、元山にて日本人へ金を売りさばく役人たちの懐に全てが入ってしまう。」(朝鮮旅行記)
「金の装飾品は朝鮮では滅多に見られない。金はほとんど芸術に使われるという。金貨は存在しない。それでも税関報告に示されているように、主に日本に輸出された金粉の量は相当なものである。たぶんその金属を含有していると思われる(金洗いがその証拠である)鉱脈は今までのところ、まだ触れられてはいない。鉱夫が政府に支払う手数料は地方によって違う。政府の認証なしでの金採掘は、法によって最も厳しい刑罰のもとに禁止されている。」(朝鮮奥地紀行)
朝鮮の芸術文化
李朝時代には芸術文化といわれるようなものはほとんどなかったようです。庶民が貧乏なため娯楽を楽しむような余裕もなかったのかもしれません。
ただし、娼婦を兼ねた妓生(キーセン)の歌と踊りの評価は高かったようです。もちろん彼女たちは上流階級の娯楽の対象でした。
演劇
「いわゆる演劇というものは朝鮮にはない。我々の戯曲と最も似ているものは、ある話について、ただ一人で続けさまにあらゆる役柄を演じる語り物である。例えば、彼らの語りのなかに、守礼(役人)や笞(むち)打たれる男、妻と喧嘩している夫などが出てくるときは、彼らは守礼の荘重で厳粛な音声をまね、笞打たれる人のなげきと叫び、夫の怒鳴る声、妻の金切り声、こちらの笑い声、そちらのおかしな身振り、また、ある人の驚いた様子など、すべてのことをあらゆる種類の愛嬌と洒落、諧謔(かいぎゃく)、風刺で味付けして一人で次々まねる。」(朝鮮事情)
「彼らは、朋輩同士の集まりや一族の祝祭に招かれる。また科挙合格者や新任の官吏の公式訪問には必ず従う。すると、訪問先のそれぞれの家では、お祝儀をくれる。男だけがこのような旅芸人を生業とする。」(朝鮮事情)
美術
「美術は皆無である。」(朝鮮奥地紀行)
「ソウルには美術の対象となるものが何もなく、古代の遺物は甚だ少ない。公衆用の庭園もなく、行幸の稀有(けう)な一件を除けば見世物もない。劇場もない。ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。ソウルには古い時代の廃墟もなく、図書館もなく、文学もない。しまいには、他には見出せないほどの宗教的無関心から、ソウルは寺院なしの状態で放置されている。」(朝鮮奥地紀行)
出版
「今日では、もう誰も新しく本を書かなくなった。子供や婦女子のための、いくつかの小説、詩集、歴史書などが出版物のすべてである。」(朝鮮事情)
玩具
「数人の行商人が通り過ぎた。煙草、生活必需品と子供たちの玩具を売っていった。その玩具は粗製であった。美的な感じが死んだように見える田舎でのみ人を惹きつけられるものであった。平壌やその他の都市に、主に大人の生活を図解しているけばけばしい色に塗られた玩具の専門店がある。車輪の上に居る猿、子犬や虎の玩具もある。すべて少年用である。ヨーロッパの制服を着た兵士の玩具が、最近の軍事的熱狂のさなかに出現してきた。少年たちは、高官の駕籠や赤い房を付けた日傘と縁飾りしたつば付き帽子の描写によって、役人生活を楽しみに待つようにとても幼い時から教えられているのである。少女は比較的に重要視されていない。特に少女に適した玩具は多くない。」(朝鮮奥地紀行)
妓生(キーセン)
「あらゆる都市には、楽団と女子の歌手団がいる。特にソウルには、いっぱいいる。優雅な服装に身をつつんだ歌手たちは、守礼(役人)や高官が設けた宴会の席で、お客たちに興を添えるために、歌と踊りを披露する。彼女たちの出身は、郡衙(郡の役所)の官婢か貧しさのために身を持ち崩した女性たちである。そして、みんな音楽家と売笑婦の仕事を兼ねているのだが、その舞踊には下品なところが全くないといわれている。」(朝鮮事情)
「平壌は妓生の歌い踊る娘たちの美と才能で昔から有名である。妓生は多くの点で日本の芸者に似ている。しかし、正確に言うと妓生はたいてい政府に所属し国庫によって扶養されている。ソウルでの私の二回のうちの最初の滞在当時、約70人の妓生が王宮付きであった。彼女らは公認の楽団員が関係している同じ政府部局の統制の下にあった。」(朝鮮奥地紀行)
「妓生は幼時から他の朝鮮女性に欠けている才芸を仕込まれる。いろんな楽器を演奏する、歌う、踊る、読む、朗吟する、書く、さらに手芸のような各種の才芸がその魅力を確実なものにしている。彼女らの宿命は上流階級の男たちが時を快く過ごせるようにするのにあるから、この才芸教育の全てが極めて重要である。」(朝鮮奥地紀行)
「ところで、その訓練と隔離されない地位によって妓生は、令名高い階級の外に置かれている。日本では芸者がしばしば貴人や政治家の妻にさえなるけれども、朝鮮の男たちは一人として妓生をそのような地位に高める夢を見ようともしていない。」(朝鮮奥地紀行)
朝鮮の宗教
朝鮮では儒教が国民的な宗教とされていますが、儒教は道徳的な教え以上のものではなく、宗教とはいえないものです。しかも、朝鮮での儒教は上位者や年長者への礼節のみが強調されており、日本人が思い浮かべる論語の世界とは少し違っているような気がします。また、仏教は李朝では禁止されており、辺鄙な山奥で細々と生き残っていたようです。
朝鮮でもっとも盛んな宗教的な行為は、祖先崇拝の儀式と悪魔祓いと占いのシャーマニズムです。つまり、原始的な宗教ともいえる呪術や占いを行う巫女(巫堂)が最も信奉されています。
宗教
「国民的宗教はない。儒教は公的な祭礼であり、孔子の教えが朝鮮の道義になっている。かつて強力であったが三世紀前に廃止された仏教には、主として主要幹線道路から程遠い山岳地方で出会える。精霊崇拝、一種のシャーマニズムがこの王国の至る所に普及していて、教育を受けていない大衆や全ての階級の女性たちを完全に捉えている。」(朝鮮奥地紀行)
「朝鮮における宗教といえば、ほとんど祖先崇拝のみである。」(朝鮮事情)
儒教
「多くの人々にとって儒教とは、先祖崇拝、君主の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五倫から成り立っている。それに、ほとんどの者が天と混同している上帝についての比較的漠然とした観念がある。学識のある者にとっては、以上の他に孔子や偉人崇拝、中国の経書の尊重、そして最後に社稷(しゃしょく)と国の守護神に対する公の崇拝が付け加わる。」(朝鮮事情)
「朝鮮人は孔子の教えを信奉しているが、これはついぞ思想的な宗教であった試しはなく、あえて彼らを偶像崇拝者と称し得るまでに歪曲されている。寺院にもまた街頭でも、善神や悪神、また賢明な神や腹黒い神などといった神々の像が所狭しと立ち並んでいる。この装飾過多にもかかわらず、朝鮮人は宗教的と言うにはほど遠く、もし彼らが時折何らかの宗教的儀式を執り行うとしても、それは宗教的心情によるというより、むしろ気晴らしとしてなのである。」(朝鮮旅行記)
無信仰
「誰もが神位の前にひれ伏し供物をそなえるが、しかしまじめに御利益があると信じているわけではない。彼らは、超越的な力と霊魂の存在について漠然とした観念を持ってはいるが、しかし深く気にかけているわけではない。」(朝鮮事情)
「朝鮮人は、実際上は無神論者であるのだが、しかし逆に不可避的な結果として、最も迷信深い人々である。」(朝鮮事情)
「河東の町の住居群の間に、崩れかけた古い建物がある。かつては祈祷所だったこの建物は瓦葺きで、漆喰(しっくい)で内装が施してある。はがれ落ちた漆喰の上には、大きな顎鬚(朝鮮では極めて稀である)を蓄え長い長衣を着た人物像の痕跡が見て取れた。中央にある一種の小戸棚には、木片に大きな漢字で記された碑銘が添えてあった。小戸棚は施錠してある。我々に随行した朝鮮人たちは、自らの寺に全く敬意を払わず、その中でタバコをふかし、唾を吐き散らし、壁面に残された像に対して何の説明も加えられなかった。」(朝鮮旅行記)
仏教
「公認の宗教以外に前述した仏教があるが、今日ではまったく衰退してしまった。現王朝以前は、朝鮮では仏陀が僧侶とともに非常な尊敬を受けていた。大寺院が建てられたのは、すべてその当時のことであり、そのうちのいくつかは今なお現存している。」(朝鮮事情)
「ほとんどの寺院には、廃墟だけが残っている。普通それらの寺院は山中の人影のない所に位置し、しばしば驚くほど素晴らしい風光に恵まれている。」(朝鮮事情)
「(公州)そこには6名の仏僧が守るあまり大きくないお堂がある。僧侶は我々の要請に応えて勤行(ごんぎょう)を行ってくれたが、そのためにはまず縫い取りのある赤い絹の布切れに黄・緑・暗赤色の3本のリボンが付いたものを背にまとった。次いで革紐の輪に吊り下げた鈴と角の小片を手に取り、銅の碗を赤色の木の削り掛けと共に仏像の前に置いた後に、時たま鈴を鳴らしながら唄うように祈祷を始めた。祈祷は長くは続かなかった。その僧侶はいきなりひざまずくと恭しく拝跪して祈りを終えた。」(朝鮮旅行記)
「かつて仏僧たちは、国家から一寺当たり10万ケシを受領していたが、今は俸給が廃止されて、一部は農業で一部は布施で生計を立てている。」(朝鮮旅行記)
僧侶
「朝鮮の僧侶は完全に軽蔑されていて、僻地の僧院に民衆から全く隔絶して暮らしている。宗教に冷淡な朝鮮人も困難に出会うと極端に迷信深くなり、ただかかる状態の時にだけ僧職の人に支援を求めるが、その場合でも僧侶を宗教界の代表者というより、むしろ占い師と見るのである。」(朝鮮旅行記)
「僧侶たちはひどく無知で迷信的である。彼ら自身の宗教的な信条の歴史や教養は大多数の者にとってただの文字であり、絶え間ない繰り返しが功徳になる祈祷式文の趣旨についてもほとんど何も知らないでいる。僧侶のある者は漢語を知っている。その漢語の知識が朝鮮では教育を意味している。仏陀賛美は梵語もしくはチベット語の慣用句をぶつぶつ唱えるか、大声で詠唱することで成り立っている。その意味については考えない。僧侶の大多数の者に関する私の印象は、その宗教的な演技は無意味であり、少数の者を除いて信心はない。朝鮮人は、僧侶ははなはだしい不品行をしでかすものと一般にみなしている。」(朝鮮奥地紀行)
「ごく少数の高僧を除いてすべての僧侶は頭陀(ずだ)袋と物乞鉢を手にして、でこぼこした泥まみれの、あるいはほこりだらけの朝鮮の道路を毎年徒歩旅行し、下品で汚い宿に泊まり、彼らの剃髪や信条を軽蔑している者に対して生存するために乞食し、さらに国の最下層民からも見下した口調でものを言われなくてはならないことが、記憶されねばなるまい。」(朝鮮奥地紀行)
金剛山の僧院
「この高原の最初の印象は大規模な材木置き場であるということであった。」(朝鮮奥地紀行)
「40人の大工が鋸(のこぎり)を挽き、設計図を画き、槌(つち)を打っていた。4、50人の労働者が荒々しい詠唱の音楽に合わせて丸太を引っ張っていた。托鉢僧の精力的な努力が頼りにされていた。その結果、大伽藍がほとんど再建に等しい修理を受けていた。」(朝鮮奥地紀行)
「その大伽藍は、中国仏教の建築様式を改作した型の立派な古い建物である。高さ48フィートのどっしりした長方形の瓦屋根と、翼壁や豊かに彩色された木彫りの密集体を保護している深い庇(ひさし)がある。高い網状の屋根は、内部でどっしりと配列されている。精巧に彫刻され豊かに彩られた梁によって支えられている。窓として役立ち、ほの暗い宗教的な明るさにしている戸の板は、黄金色でもって豊かに装飾された大胆な雷文細工である。」(朝鮮奥地紀行)
「現にある寺院の屋根は、直径3フィートの一本の木で出来ている柱数本によって支えられている。板をはめてある天井は、多様な彩と黄金色の入り組んだ図案で飾られている。」(朝鮮奥地紀行)
「四賢堂には、無心もしくは瞑想している様々な姿勢をした仏陀三尊と、中国刺繍の黄金と絹で驚くほど立派に細工してある仏陀とその弟子たちの絵画が一幅いれてある。僧侶たちは14世紀の遺物で、付き添いを連れている16体の羅漢であると主張していた。」(朝鮮奥地紀行)
「これらの寺院での仏教によってもたらされた一般的な文化と歓待、気配り、穏やかな立ち居振る舞いは、私が朝鮮のどこか他所で見てきた孔子のいわゆる追随者たちの傲慢(ごうまん)、横柄、無礼、自惚れなどと非常に鮮明な対照を成している。」(朝鮮奥地紀行)
釈王寺
「隙間を通して、人をうっとりさせる爽快な深くて青い夏空が、松や樅(もみ)そして異国風の榊(さかき)や欅(けやき)が生い茂っている壮大な峡谷の暗がりが、時たま一瞥された。楓(かえで)やその他の落葉樹の柔らかい緑色と大きな苔むした丸石の間で轟いている奔流からの泡沫の閃きが輝いていた。」(朝鮮奥地紀行)
「でこぼこした所に立ち並んでいる寺院、仏閣の建物が現れてきた。それらは風変りな絵のような美しさで、山峡の斜面にしがみついていた。」(朝鮮奥地紀行)
「彼と僧侶たちは、大きな客間で、蜂蜜水で私たちをもてなした。しかし同時に客人名簿を取り出して「どれだけ支払うつもりか」と尋ね、その金額を正式に記録した。馬夫に「こいつら泥棒になってしまったな」といわせたほど馬夫から巻き上げたここの坊主どもの貪欲な遣り方は、金剛山の彼らの同業者の友好的な手厚いもてなしとは好対照をなしている。」(朝鮮奥地紀行)
「仏閣の内部はみすぼらしくて汚い。天井の塗装は、はげ落ちている。床や祭壇さえも庫裡(くり)用に乾かしてある香草の積み重ねの下に隠されている。」(朝鮮奥地紀行)
「五百羅漢は高さ1フィート足らずの石像である。ちりまみれの仏閣の周りに幾段にも配列されている。おのおの絹の頭巾をかぶっている。多少とも洒落た様子で頭の片側にかぶるか、あるいは眉の上に垂らしている。その容貌や表情の変化に富んでいるのには驚くべきものがある。東洋のすべての民族意識がみんな表現されている。似たような顔や姿勢は二つとない。展示全体が高い序列のものではないが、天才ぶりを明らかに示している。」(朝鮮奥地紀行)
朝鮮のシャーマン
朝鮮人にもっとも信頼されているのは、原始的な宗教者ともいえる呪術師、妖術師たちです。
判数と巫堂
「今、シャーマンには二つの主要な階級、判数(パンス)と巫堂(ムダン)がある。判数は盲目の妖術師である。盲目の息子を持つ親は幸せ者である。確実に良い暮らしができ年老いても扶養されるからである。昔、判数はこの王国のたいへんな著名人であった。しかしその社会的な地位は現王朝の間に低下させられた。しかしながら現治世では、その有力者が宮殿で特に大行王后(閔妃)と共に多くの悪事を重ねた。ソウルの判数の同業組合の主要な役職者は政府公認の参判(官職)と承旨(官職)の称号を持っている。」(朝鮮奥地紀行)
「巫堂は、魔術と超自然的な呼びかけを行っているある人にほんの少し教育される必要があり、ごく少数の儀式を経て高くて重要な地位と見なされている公職に就く。」(朝鮮奥地紀行)
「人々は、あらゆる迷信の道具を持っている巫女(巫堂)あるいは魔術師を呼んで、それぞれの暮らし向きに合った華やかさで、疫病神を追い払うための盛大な儀式を行う。」(朝鮮事情)
「この仕事で成功を博し名を高めているのは盲人である。彼らの多くは幼いころからその仕事に従事し、同じく病弱で苦しんでいる子供たちにその奥義を伝授する。」(朝鮮事情)
儀式
「彼らが招かれるのは、未来を予言したり、秘密のものを発見したり、推測を引き出すためであったりするが、悪魔を追い払うためであることがもっとも多い。その場合には、多くの人が集まるのが望ましいとされている。多く集まれば、その儀式はそれだけ早く効果をあげるというのだ。彼らは、初めは重苦しいゆっくりした口ぶりで、様々な決まり文句を単調に述べるが、それから少しずつ調子を高め、単調な太鼓の音を伴奏に、杖で床や瓶や銅鑼(どら)を次第に速く叩く。すると、やがて彼らは一種の狂乱状態に陥る。彼らの詠唱のリズムは、段々と速くなって、ついにはわめき声や怒号のような恐ろしい騒ぎが起きる。」(朝鮮事情)
「(金海にて)夕刻に町の汚い通りを通りかかった折、私は太鼓の音と人の唸り声を耳にした。それは一人の女シャーマンで、ある朝鮮人が息子の病気の原因を知るために呼んだものであった。あまり大きくない中庭に一人の中年女性が、ご飯、前菜、ウォトカを並べた小卓の脇に、手太鼓を両手に抱えて地べたに座り込んでおり、彼女は太鼓を打ち鳴らしながら、ほとんど同じ文句を一本調子に繰り返していた。これは誰の所為で男の子が病気になったかを教えてくれるよう、悪霊に呼びかける呪文であった。彼女の近くには一本の木の枝が地面に突き刺してあった。およそ10分間、立て続けに太鼓を打ち鳴らした後、女シャーマンはその枝を抜き取り「さあ、誰のせいか教えてくれ」と呟きながら、枝を水平に捧げ持って回転を始めた。木の枝は自らが傾くことによって、罪科のある者を教えるはずであったが、無駄だった。用意した前菜は精霊が受け取らなかったから、改めて作り直さねばならぬ、ということになった。そのためには少なくとも、あと一時間半は必要だったので、我々は待つのは止めにした。」(朝鮮旅行記)
「巫堂(ムダン)または女の悪魔祓いの祈祷師がまる一日雇われ、悪意を持った鬼神を追い出そうとして病人を苦しめていた。その過程は絶え間ない太鼓叩きと、大きなシンバルの騒々しい震える音で伴奏されていた。」(朝鮮奥地紀行)
「鬼神は数千万億で数えられる。鬼神の偏在は神の遍在の邪悪な偽物であるとよく言われてきた。唯一のものと思われているこの信念で、朝鮮人は苦労性による懸念が永続している状態に置かれており、漠然とした恐怖に取り巻かれている。朝鮮人は「この世で不安の時を過ごしている」と言われているのは真実であろう。」(朝鮮奥地紀行)
村の鬼神祭
朝鮮にも村祭りのようなものがあるようです。ただし、村の豊作を祈るのではなく、個人の吉凶を占っています。共同体意識のなさは朝鮮人の特徴かもしれません。
「村の鬼神祭は、日本の神道の祭とある点で似ている。祭日には、鮮やかな彩りの垂れ下がりでいっぱい飾られた売店が鬼神の近くに建てられる。巫堂の音楽が伴奏され、踊りとそして豊かで風変りな身振りが演じられる。供え物が精霊に捧げられる。大衆は鬼神が巫堂(ムダン)を通して人の姿になりコンスナタと呼ばれる託宣を発すると信じている。人々は調理されていない米を入れた鉢を持って来て鬼神に供え、この先三年間の自分の将来を明かしてくれるよう嘆願する。
この祭りでのありふれた試みは、鉢の中にある非常に薄くて白い紙筒を燃やすことである。その上端に巫堂が火を点ける。巫堂はそれが燃えている時まじないを唱える。その火が鉢の縁に届いた時、もし占い判断で未来が不吉なものならば、その紙は鉢の中で燃え尽きる。もし吉ならば、その紙は上がり風に揺れ続けるというのである。」(朝鮮奥地紀行)
風水
日本では一種の占いとして知られていますが、朝鮮では埋葬地を選ぶのに風水が必須なようです。
「(国王の死に際して)最も高名な風水学者たちがかき集められ、埋葬に適した場所が選ばれる。」(朝鮮事情)
「龍の気に入る位置に先祖の墓碑が据えられれば龍の恩寵を得ることができると考えられている。その場所を探し当てること、これが龍脈探しである。」(朝鮮事情)
「埋葬地の選択は、あらゆる朝鮮人にとって重大な仕事である。上流階級の人々にとっては、それは主要な関心事であるといえよう。彼らは、一族の運命と一門の繁栄がその選択にかかっているものと信じ、恵みある土地を見つけるためには、何物をも惜しまない。」(朝鮮事情)
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2014.12.28 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp