笑いとは発見である

笑いとは

笑いとは発見です。この発想を思いついたのは、例えば失せ物を探していてなかなか見つからない。だが、ある日、思いもかけない場所で見つけた時、思わず笑ってしまいます。実は、このとき、笑いの重要なポイントがあります。なぜ、そこに置いたのかまったく思い出せない、分からない場合は、怪訝に思うだけで笑いはおきません。そう言えば、あの時、ここに置いたのだと一瞬にして了解された時、笑いがおきます。少し考えて了解した場合、喜びはしますが笑いまでは至りません。
 失せ物発見 − そこに置いた理由 − 思い出せない → ×笑い
 失せ物発見 − そこに置いた理由 − 一瞬で了解  → ◎笑い
 失せ物発見 − そこに置いた理由 − 考えて了解  → △笑い
落語や小咄で笑うのも、同じことが言えます。オチが一瞬で了解できた時は、笑いにつながります。少し考えて分かった場合は、なるほどと思いはするが笑えません。考えオチというやつですね。もちろん、そのオチが理解できない場合は、まったく笑えないことになります。
「発見」という表現をつかいましたが、見つける、分かる、了解する、というような意味です。

笑いのメカニズム

古典的な小咄があります。  「隣に囲いができたね」 「へぇー」 
この話は、たいていの人が知っているので笑ってもらえることは、まずないとは思いますが、もし知らない人がいたら笑ってもらえるかもしれません。この時の笑いは次のようなつながり完成した時に発生します。
 囲い → 「へぇー」 → 塀 → 囲い
頭の中で“つながり”を一瞬で発見できれば笑えるのです。普通の人が笑えないのは、すでに知っているので「発見」にならないからです。
中学生の時に聞いて印象に残っている小咄があります。
米国で列車の切符を買うのに、「to NewYork」と言ったら切符が2枚出てきた。言い方が悪いのかと思い「for NewYork」と言うと4枚出てきた。困って「えーっと」という8枚出てきた。
聞いている側は、toやforの前置詞の問題か、あるいは発音が、と頭をめぐらします。一方で、2、4という伏線がはってあります。そして、日本語の「えーっと」が8に結びつくことで、笑いとなります。
 「to」 − 「for」 − 「えーっと」
  2  −  4  −   8     ・・・ 発見
話ではなく映像での笑いもあります。謹厳実直そうな紳士が歩いていて、バナナの皮ですべって転ぶ。古典的な笑いですが、まじめな紳士の普段の態度の延長線上には、すべって転ぶようなしぐさは想像できません。ですから、それが起きた時、それを実際に見た時、笑いが起きます。あり得ない光景の「発見」です。
 まじめな紳士 → すべって転ぶ ・・・ 発見

落語のオチ

落語は、たぶん落とし話から来ているのだと思いますが、最後のオチ(サゲ)が肝心です。オチとは話の決着のことですので、結末がしっかりしていれば、笑えるオチでなくとも落語は成り立ちます。人情話と言われるような話は特に笑いもなく終わったりもするようです。でも、落語の大部分の話は笑えるオチで終わるようです。このオチには何種類もあり、分類もされているようですが、ここでは深入りはしません。
「愛宕山」という落語があります。
太鼓持ちの一八が旦那の投った小判欲しさに、傘を使って谷底へ飛び下りたものの、再び上へあがる事ができない。困りぬいた揚句、着衣を脱いでビリビリ引きさき、縄をなって端へ石を結び、これを投げかけて太い篠竹の先にからませ、一生懸命手先へたぐりよせて弓のごとくしなわせ、この弾力を利用して、以前の崕へ刎ね上がるという苦心惨澹の大冒険、聴いている方も、落語とは思いながら、手に汗をにぎるくらいですが、美ん事山の上へ飛び上がることが出来、一同は「ヤンヤヤンヤ、一八えらいな。小判はどうした」。言われて初めて気がついた一八が、「アッ、忘れてきた」と落とす。
「落語通談」野村無名庵(中公文庫)
この話では、途中から如何にして崖を上るか四苦八苦し、そちらに客の注意を引き付けておきます。一八が崖を上るのに成功すると客は話の決着が付いたように安心しますが、客の側も谷底に下りた目的が小判だったことを忘れています。そこで、客に最初の目的を「再発見」させることで笑いになります。また、同時に散々の苦労が無意味だったことをも「発見」し笑いを補強しています。
 谷底に下りた − 最初の目的:小判を拾う ・・・ 再発見
 谷底に下りた − 途中からの目的:戻ること
 谷底に下りた − 戻ることに成功 → 実は意味がなかった ・・・ 発見
落語というより昔の小咄ですが、
酔った武士がしゃっくりに悩みながら行くのを、橋の上に寝ていた乞食が、突然菰(こも)をはね退け立ち上がり、「親の仇ッ」と呼び止める。びっくりして振り返り、「仇と呼ばれる覚えはない。人違いするなッ」と叱りつける。乞食が声を落として、「旦那、しゃっくりが止まったら一文ください」
「落語通談」野村無名庵(中公文庫)
この話では、しゃっくりが伏線になっていますが、聞いている側は仇討ち話の行く末に興味が移ります。最後に、乞食がしゃっくりを止める商売を、聞いている側は、一瞬にして了解し「発見」します。同時に、この乞食は頭がいい、などの感想を思い浮かべますが、これはリアリティを強化するのに役立ちます。笑いにつなげるには、自然でリアリティがあることが必要です。無理やりのオチでは笑いは起こらないと思います。
 武士(しゃっくり) − 乞食  − 突然の仇討ち − しゃっくり止まる
 しゃっくり − しゃっくりを止める商売 ・・・ 発見
次は、おなじみの「時そば」です。少し長いですが引用します。
蕎麦屋が流してくるのを、物陰から声をかけて呼び止め、「看板が気に入ったな。矢と的が画いてあって、当り屋は縁起がいい、熱くして一つ頼むよ。お待ちどうさまと言って待たせないところが感心だね。箸も新しい割箸、心持ちがいいな。第一に入れ物が綺麗だ。食い物は器にあるからね。ウムうめえなあ汁の具合。オッちくわは本物だね。剛気だなあ。蕎麦は細打。アァ、うまかった。また明日も待っているよ。いくらだえ。十六文、安いなあ。それ小銭だからメノコに上げるよ。一ィ二ゥ三ィ四ゥ五ッ六ゥ……時に何どきだろうね」「八ツでございましょう」「アァそうかい、九ッ、十ゥ……」。巧みに相手を煙に巻いて、二文誤魔化してしまう。
これを与太郎が聞いていて、「うめえなあ。おれもやってみよう。」とよせばいいのに小銭を用意し、待っていると他の蕎麦屋が来る。真似をしていろいろ褒めるのだが、当り屋と違ってすべてがまずいので愚痴るおかし味。結局、「それいいか、一ィ二ゥ三ィ四ゥ五ッ六ゥ七ッ、今何どきだえ」「四ッでしょう」「ウーム五ッ六ッ……」とうとう三文損をする。
「落語通談」野村無名庵(中公文庫)
この話は、知っている人が多いと思いますが、それでも笑いをとれる話です。時間を聞いて逆に損をする仕掛けより、失敗して唸ってしまう与太郎の顔を思い浮かべて笑うのだと思います。このときの与太郎の困った顔を「発見」するのだと思います。
 与太郎 − 失敗 − 困った顔 ・・・ 発見
落語ではオチだけでなく、話の途中でも笑いをとります。クスグリと言うようです。当然のことを言って笑わせることもあります。
「女学校へ行ったら驚いたよ。生徒が皆女ばかりでさ」
「落語通談」野村無名庵(中公文庫)
このまま読んでも、まったく笑えませんが、話者が「女学校へ行ったら驚いたよ」で聞いている側に何か変わったことでもあったのかと、興味を引きつければ、逆に後段の当たり前の話が効いてきます。裏をかくようなテクニックで笑わすことが可能だと思います。
 女学校 − 驚いた − ? − 女ばかり ・・・ 再発見

小咄のオチ

落語は日本独特かもしれませんが、話が短くて笑わせる小咄は世界中にあります。小咄はパーティ好きな外国人の方がたくさん知っているのかもしれません。
困った男の子の話です。
「それで、女の子にどんなことするのかな?」
「公園に誘って、茂みの中に引きずり込むんだ。それから服を脱がせちゃうの……」
「ふむふむ、なんでまたそんなことをするのかな?」
「決まってるじゃん、パンツを脱がすためさ!」
「女の子のパンツを脱がしてどうするのかい?」
「パンツからゴムを引っこ抜いてさ、新しいパチンコをつくるのに決まってるじゃん」
「必笑小咄のテクニック」米原万理(集英社新書)
この場合は、話を一定方向に持って行き、オチでパンツのゴムの利用法を「発見」させています。特に伏線もなくストレートに行く小咄です。
 女の子 − パンツ − 脱がす → ?
         パンツ − ゴム  − パチンコ ・・・ 発見
無人島の話も外国のジョークにはよく出てきます。
無人島に流れ着いた三人の前に神が現れて各人に二つずつ望みを叶えてあげようと約束した。まず、アメリカ男が、
「故国に帰してくれ、それに一億ドルの現金を」
と願い出て、ただちにそれは実現された。次にフランス男が、
「故国に帰してくれ、それに飛び切りの美女を一ダース」
と願い出て、これもただちに実現された。最後にロシア男が、
「ウォトカを百万ダース、それに飲み仲間が欲しいな。そうだ、あの二人をここに呼び戻してくれ」
と願い出て、もちろん、ただちに実現された。
「必笑小咄のテクニック」米原万理(集英社新書)
三段階で話を展開するよくあるパターンです。最初の二つで話の流れを作り、三つ目で落とす方法です。この話では、三つ目で最初の二つをひっくり返す面白さがあります。また、ロシア男が故国に帰りたがらないのもポイントかもしれません。そして、呼び戻された二人のキョトンとした顔が想像できるから笑えるのだと思います。落語の「時蕎麦」と同様の面白さだと思います。
 アメリカ男 − 故国に帰る
 フランス男 − 故国に帰る
 ロシア男  − 二人を呼び戻す − 二人のキョトンとした顔 ・・・ 発見
少し変わった不思議な話です。
男が川を歩いて渡っていると、いきなり水中から手が出てきて男のキンタマを掴み、どこかから声が聞こえてきました。
「プラス二、それともマイナス二?」 
男は、あわてて、「プラス二」と答えました。
そのとたんに手は消えてしまいました。恐る恐る見てみるとキンタマが四つになっていました。
最寄の病院に駆け込み医者に相談すると、難しい手術になるので、もう一度川に行って、今度は「マイナス二」と答えたらどうか、と提案されます。
男は医者のアドバイスに従い、ふたたび川へ行きました。前と同様に水中から手が出てきてキンタマを掴み、どこからともなく声が聞こえてきました。
「プラス四、それともマイナス四?」
「必笑小咄のテクニック」米原万理(集英社新書)を編集
結局、キンタマは八かゼロになってしまいます。ここでも、困ってしまった男の顔を想像できるのが一番の面白さだと思います。
 プラス二 → 四つ → マイナス二 → 二つ?
              → プラス四/マイナス四 − 困ってしまった男 ・・・ 発見
各国の人を出して、最後の国の人を笑う小咄もよくあるパターンです。
会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はどうするだろうか?
アメリカ人は、男を射殺した。
ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。
フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
日本人? 彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。
「必笑小咄のテクニック」米原万理(集英社新書)
日本人が、やたら名刺を出したがることを知っている人に笑ってもらえるジョークです。いつも名刺を出してくる日本人を思い出して笑います。
 不倫現場 − 日本人 − 名刺を出す ・・・ 再発見
日本にも昔から小咄や面白い話はたくさんありました。
女が木へのぼるを見つけ、
「コリャ、首をくくることはならぬ」
と言えば、女とびおりて、
「どうぞ、お慈悲に見逃して下され」
と、ぴったり抱きつくと、番人ぐんにゃりとなり、
「そんなら早く、くくって帰れ」 
「にっぽん小咄大全」浜田義一郎編訳(ちくま文庫)
ナンセンスな面白さの話です。首をくくったら帰れるはずもありません。番人はこっそり見逃すことの常套句として「そんなら早く、くくって帰れ」と言っています。話の矛盾を発見して笑う話です。
 早く、くくって帰れ − くくったら帰れない ・・・ 発見
同じような話は他にもあります。
「毎晩橋の上から身投げがあるそうだが、なぜ気をつけぬ。今夜から十分気をつけろ」
と、両国の橋番が役所に呼びつけられて、小言を食う。その夜より蚤取りまなこで油断なく見張るところへ、曲者が来て、欄干をくぐるところをムズと組みつき、
「毎晩の身投げはおのれであろう」
「にっぽん小咄大全」浜田義一郎編訳(ちくま文庫)
間抜けな橋番も必死なのかもしれません。毎晩の身投げ(自殺)は無理であることに気づいて笑う話です。
 毎晩の身投げ − できない ・・・ 発見
次は、勘違いの話です。
娘、格子から顔を出し、小声で、
「松茸やさん」
松茸売り、この娘内証で買うのだろうと推量し、おなじく小声で、
「一ッ三十二文でござります」といえば、
「そなたも風邪を引いているの」 
「にっぽん小咄大全」浜田義一郎編訳(ちくま文庫)
小声で言うから内証だろうと思ったら、実は風邪ひきだったというオチです。
 小声 − 内証
 小声 − 風邪 ・・・ 発見
ケチの話もよくあります。
けちな親父、酒を買っておいたが、一度に飲むのは惜しいので、箸を酒の中に入れては、箸をなめる。その子が箸を持って、二タ箸つづけてなめると、親父、目をむき出して、
「なぜそのように大酒をのむ」 
「にっぽん小咄大全」浜田義一郎編訳(ちくま文庫)
「二タ箸」分の酒を「大酒」と大げさに表現するところが面白さです。聞いている側にとっても、このケチな親父にとっては大酒なのだと了解できるから笑いになります。
 「二タ箸の酒」 − 「大酒」 ・・・ 発見
次の話は、落語でも聞いたことのある話です。良くできた話です。
床の間の掛物を見て、
「モシあの画の上に書いてあるのは、なんでございます」と聞けば、亭主。
「あれは賛でございます」
またほかへ行って床を見ると、文字を書いた掛物、
「モシ、あの字は三でございますか」
「イヤあれは詩でござる」
またほかで掛物を見て、
「あれは四でございますか」といえば、
「イエ、沢庵和尚の語でござる」
さては一ッずつ違うものと思い、その後に掛物を見たとき、思い切って、
「モシ、あれは六でございますか」と言うと、
「イエ、これは質に取ったものでござる」
「にっぽん小咄大全」浜田義一郎編訳(ちくま文庫)
床の間の掛物の文字の種類の発音が、数字の順番に来て、最後は文字のことではないオチになる話です。
 賛 − 詩 − 語 → 質
 三 − 四 − 五 → 七 ・・・ 発見

動作による笑い

イタズラでなくとも、すべって転んだ人を見ると思わず笑ってしまいます。この場合の笑いの要素は予想・期待を超えた反応や展開を発見することにあります。
たとえば、次のような笑いを誘う例が考えられます。
 ・凍結した道路ですべって転ぶ
 ・パイを顔にぶつけられる
 ・寝ている人を大音響で起こす
いずれも、驚いた人の顔や動作が笑いの要素で、特に予想外の反応を発見することで爆笑となります。
誰かのものまねをして笑いをさそうこともあります。たとえば子供達が先生のマネをして笑いをとるような例です。対象である先生の動作の一部を誇張してまねることで、先生を彷彿とさせれば笑いになります。ここでは、先生の特徴ある部分を見ている側が「再発見」することで笑いとなります。たいていは、先生の欠点など良くない部分をバカにする形でマネるので、あまり褒められた行為ではないですが。

笑いの前提条件

同じようなものを見たり聞いたりしても、受ける側の気持ちの状況で、笑う程度が変わります。たとえば落語を聞きにいっても、最初に出てくる前座の時はあまり笑いません。芸が下手なだけではないように思います。聞く側が、まだ暖まっていないように思います。これが笑いはじめると、ちょっとしたことでも大笑いになります。場が盛り上がっている状態です。
「箸が転んでもおかしい年頃」という言い方もあります。これは、好奇心があり、何にでも反応する世代なのだと思います。歳を取ると経験も多いせいか、笑いに対する反応も鈍くなってくるように思います。

赤ん坊の笑い

赤ん坊の笑い方は、大人とは少し違った笑い方をします。大人はアハハと笑うのですが、赤ん坊はキャッキャ笑います。小さい子供の笑いも大人とは違い、どこか控えめな笑いのように見えます。楽しさの延長線上にある喜びを表現しているようです。そういう意味では大人の笑いとは質的に違う可能性があります。まだ、「発見」はできない精神のレベルにあるのでしょうか。
赤ん坊の笑いで、気になるものがあります。「いない、いない、ばぁ」です。飽きもせずに笑ってくれます。「いない、いない、ばぁ」は、目の前から消えた顔の「再発見」ですから、笑いの条件に当てはまっているようにも思えます。「高い、高い」でも飽きもせずに喜んで笑ってくれます。低い所を歩いている、這っている赤ん坊にとって「高い、高い」の経験は視覚的にも、身体的にも新鮮な「発見」なのかもしれません。

笑いは生理現象

「発見」とは、脳内で、あるもの(概念)と別のもの(概念)が結びつくことだと思います。「人」は「歩き」ます。「人」は「凍結した道路」で「すべり」ます。「人」は「転び」ます。これらは、あらかじめ知っている「概念」と「概念」の結びつきです。人が凍結した道路を歩いているのを見ると、すべって転ぶことを予期しています。ですから、単にすべって転んだ程度では、あまり笑いません。むしろ、怪我をしなかったかとか心配するかもしれません。でも、すべって転んだときにゴミ箱を蹴飛ばし、それをかぶってしまったら、大笑いです。「すべる」ことに「ゴミ箱」と「蹴飛ばす」、「かぶる」が結びついています。脳内で、これらの概念の「結びつき」が新たに発生します。脳内でシナプス結合なのか、何なのか知りませんが、何か起きているのだと思います。これが、笑いという生理的な反応を引き起こします。
人間以外の動物は笑うでしょうか?喜びを表現することはあります。馬が歯ぐきを出して笑いのような表情をつくることはあります。でも、笑いとは違うように思います。笑いは人間にしかできない高度な概念操作ではないかと思います。

アルキメデスは笑ったか?

浮力の原理(アルキメデスの法則)を発見したアルキメデスは、「見つけたぞ」と叫びながら裸で走りだしたという伝説が残っています。そうとう嬉しかったのですね。実は、この時、アルキメデスは笑ったのではないかと思います。
純金の王冠と金に混ぜ物した王冠は、同じ重さでも、体積が違います。体積によって浮力が異なります。重さの比較に、浮力が結びついて、見分け方を発見できました。
頭の中で、あれこれ考えていて、概念と概念が結びついたのです。これが、ある瞬間に思いついたとしたら、笑ったはずです。

発見は人類進歩の源泉

人類の歴史は、さまざまな事を発見し、さまざまな物を発明して、発展してきました。実は、発明は、発見のバリエーションです。たとえば、蒸気機関は、蒸気の力を発見し、それを動力として利用できる機構を発見することで、実現されました。電球は、細い抵抗体に電気を通すと、発熱し発光すること、真空中でその現象を持続できること、を発見することで実現できています。
何かを発見をすることは、笑いとまで行かなくとも、快感であり喜びです。人間の脳は、発見を喜びと感ずるようプログラムされています。これが、人類進歩の源泉だと思います。

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参考文献
「落語通談」野村無名庵(中公文庫)
「必笑小咄のテクニック」米原万理(集英社新書)
「世界の日本人ジョーク集」早坂隆(中公新書ラクレ)
「にっぽん小咄大全」浜田義一郎編訳(ちくま文庫)
「笑い」ベルグソン/林達夫(岩波文庫)

2011.1.28 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp