Go to the Top

徒然日記


 ここでは、日常でふと思ったことや、愚痴、さらにはバカ話をつらつらと書き連ねていきたいと思います。
 ただの日記的なものといえばそうですし、単に思いついたことというだけのものなんで、気楽に読み流してもらえれば幸いです。


01/02/'06

 「雑誌(ムック本)の謎」

 私の大好きなレーベルは何と言っても、黒猫骸というハンドルネームの由来にもなったBLACK CAT BONESのアルバムのレーベルであるNovaレーベルである。
 このNovaレーベルを特集してくれたものとして、CDジャーナル別冊『ストレンジ・デイズ』2001年4月号がある。
 もちろん、私が胸を躍らせて購入したのはいうまでもない。
 そして、じっくり読んで、気になった点がいくつかあった。それらをざっと列挙すると以下のとおりである。

1. ジャケット画像がシリーズ20枚のうち、16枚しかカラー頁に掲載されていない。すなわち、Jan Dukes De Grey / Sorcerers、Alan Skidmore Quintet / Once Upon A Time、Peter collins / Peter Collins First Album、Patricia cahill / Summer's Daughterの4枚がジャケット画像が解説頁には掲載されているものの、カラー頁には紹介されていないこと。
2. レーベルの盤の紹介でありながら、個人的な感想にとどまり、しかもけなしているというこのレーベルが好きな者にとっては屈辱的な解説が平然となされていたこと。例:AARDVARKについてのW氏の文章:「古くさい音だなぁ。高価なプレミアに見合うとは思えない。」
3. 私は自分のNovaのページにも書いたとおり、Patricia Cahill / Summer daughterがなぜNovaレーベルに含まれるとされているのか、ずっと疑問に思っており、その理由がNovaレーベルの当該盤およびジャケを一度も目にしたことがないことであったが、解説ページにはNovaレーベルのジャケット画像が白黒で掲載されていたこと。

 これら3点について、1.は、いずれムック本に収録されるときには全部掲載されるだろうと信じていた。2.については、このようなことを書くのであれば、最初からこのレビューを引受けない方がよいと思う。もちろん何が何でも持ち上げて欲しいというわけではない。単に特徴やアーティストについての情報などをふまえた楽曲の解説を読みたいのである。だが、著名なこういった分野の実力者であるW氏の文章が改変されることはありえないだろうから、これは我慢せざるを得ないのだろうと思った。そして3.については、どうも解説頁の他のジャケットの白黒画像に比べて、Patricia Cahillのものだけが、どうも画像がボケており、いかにもパソコン上の小さなjpgファイルを加工したように思えて仕方がなかったため、日頃懇意にして頂いており、同誌にもレギュラー執筆されている藤崎氏のサイトにてその点につき訊ねてみた。が、おそらくちゃんとジャケを撮影して載せたんだと思うが詳細はよく判らないとのことであった。

 特に3.については、以下の画像を参照して頂きたい。

 どうだろう?掲載ページをそのままスキャンして各画像を切り取り、一切画質には手を加えていないので、全く同一条件下での比較であるが、左下のPatricia Cahillだけがかなりボケているのがお判り頂けるだろうか?

 さて、こういった感想を抱いていたのだが、その後、このNovaレーベルの特集は、ストレンジ・デイズ・コンパイル・シリーズの『LABEL BOOK 1』に所収されることになったため、またもやかすかな期待を胸に、いそいそと購入した。

 が。

 何も変わっていなかった。ある程度予想はできていたが、時間的な経過・間隔が空いていただけに、少しは改善されているのではないかと期待した自分が情けなく思えた。

 が。

 よくよく見ると、1点だけ変化があった。
 それは、上記3.の疑問についてであった。

 それは、上記画像の左下にあるNovaのマークが消えているのである。しかも初出号ではボケていた画像がかなり鮮明になり、他のジャケの画像と全く同じような画質になっていたのである。

 上掲の画像と比較してみてほしい。如何に明瞭な画質に変更されたかが一目瞭然かと思う。

 しつこいようだが、あえて二つを並べてみよう。

 これはもう画像を修正したというよりも、明らかに全くの別画像であると見ることができるだろう。

 この点について当該ムック本では、何の言及も行われてはいない。
 しかし、右画像にしたことの解説がないことの当否はともかくとして、右画像ということであれば、私がNovaのページで言及しているように、なぜこのアルバムがNovaシリーズに列挙されているのかについて、何らかの説明があって然るべきではないだろうか。一体前のNovaのロゴクレジットの入っていた画像は何だったのだろう? ひょっとして勝手にNovaロゴをどこからか持ってきてパソコン上で貼り付けた画像だったんだろうか?とさえ勘ぐりたくなっても仕方がないだろう。
 まさか私のネット上での質問が契機となって、このような画像のすり替えが行われたとは思いたくないし、また、そうであるなしに関係なく、このようなムック本ならびにレーベル研究のような体裁をとる出版物・特集を公刊する出版社は、もっと責任を持って情報開示を行うべきではないのかと、ちょっと悲しくなった。

 それでも、ストレンジ・デイズは大好きな雑誌だし、コンパイル・シリーズは全部買っているくらい愛読書でもあるので、愚痴はこのくらいにしておきたい。
 なら言うなって? だが、そうはいかない。だってNovaシリーズが最も大好きなレーベルなんだから。


01/01/'06

 「評論家? エッセイスト?の無責任さではすまされないのでは?」

 新年にあたって、さまざまなページをネットサーフィンしていてちょっと感じたことがあるので、愚痴かもしれないが、ここにそれを記しておきたい。

 「時代背景を考えると、1960年代前半までは家庭にステレオシステムの普及が進んでいなかったのでモノラルとステレオの両方を発売していたが、普及が進んだ1960年代後半には、モノラルは姿を消していくのである。
 モノラルのほうが音がいいのであれば、その後も継続して制作されたはずではないだろうか。」

 という記述をとある有名な御仁のHPで目にした。最近やたら雑誌等での露出が増え、さも音楽評論家のような論述がまま見受けられるかたである。
 しかし、これを何も知らない人がみたらどう思うだろうか。おそらくそのまま信じることだろう。だが、ここには大きな間違いがある。
 まず、60年代前半まではステレオが普及していなかったとするが、それはあくまでも米国の話である。英国の場合、米国と違い各家庭のサイズが小さいため、SP自体小型が主流で、ステレオはなかなか普及せず、ようやく普及したのは69年から70年初頭にかけてである。
 その証拠にとりわけロックの英原盤は69年まではレーベルにもよるが、モノラル盤がかなりの量で製造されている。

 量こそ減ってはいるが、私は74年製のモノラル盤用のインナーバッグを持っている。従って、英国ではモノラルシステム所有者のために、細々とではあるが、70年代に入ってからも、ものによってはモノラル盤が販売されていたようである。

 次にモノラルとステレオの音の良さに優劣をつけるのはナンセンスである。特にミックス違いがある盤にとっては何の意味もない。
 モノラルの場合広がりはないが、厚みがあり、他方、ステレオには広がりがあるが、厚みはモノラルには負ける。特にVoの存在の音象の定位に関してはモノラルにも十分優位がある。したがって、いずれかの優劣を決することは時代、収録された音楽に対する勝手な解釈であり、悪く言えば冒涜である。少なくとも「音楽」の愛好者であれば、このような感覚を抱かないはずである。音楽ではなく「音」の愛好者なら別だろうが。

 音がいいからステレオ盤が普及したわけではない。ステレオシステムを普及させるためにステレオ盤に切り換えたのである。特にこれは、ジャズファンにはピンと来ないかもしれないが、ロックファンには、あることを頭に思い描いてもらえば、すぐに解って頂けると思う。

 そう、サイケブームである。サイケデリック・サウンドを具体化する実験・前衛的手段としてステレオシステムは格好の材料だった。
ビートルズのサージェント、リボルバーでわざわざミックスを変えていること、ストーンズのベガーズも然り。またZEPの2ndアルバムのWhole lotta loveを聴けばこれまたよく解るように、左右のSPに断続的に音を振ることで、リスナーを中心に音が回転し、いわゆる酔っぱらったような疑似体験をすることができる。こういった聴取効果を狙うにはモノラルは不向きなのである。

 だからこそ、65〜7年あたりからこういったサイケデリックな実験的サウンドを体感できるシステムとして、ステレオが普及していったという理由も十分に存在するのであって、ステレオの方が音が良いからという理由では決してない。また、ステレオ機器の普及は当時の素直な企業戦略でもあった。CD登場の頃を思い起こしてほしい。みんなCDの方が音がいい、CDは音がデジタルで劣化せず、機器による差は生じないなどとまことしやかに言われていたが、実際にはどうであったか、ここで書くまでもないだろう。音がいいから普及したのではなく、業界側が先にアナログの生産を止めていき、CDに切り換えていったからこそ普及せざるを得なかっただけである。ステレオ盤もまた同様である。SP1台売れるよりペアで売れる方が利益になる。これは当たり前である。ましてや、当時の米国・英国の新聞・雑誌等の宣伝広告を見ればもっとそういったことが露骨に判明する。

 こういったことを当時の文献や資料に言及することなく、雑誌等に頻繁に登場する人物が、大衆の目にするところで、したり顔で論じることが、結果的にどれだけ一般に誤解と影響を与えるのか、もっと考えて発言して欲しい。

 ロック関連に知識がないのであれば、決して全ジャンル共通の話としてとらえられるような話として展開すべきではなく、単に「米国のJazzのレコードに関しては、〜〜であるように思う」といった論調にすべきであろう。

 ここ何号かのアナログ誌におけるさまざまな誤解を招く発言には目を疑うものが多すぎるように思う。読者がそれを見て、ああそうなのかと誤解することで市場に風説が流れたり、そうでないにしてもその読者に間違った知識に基づく購入から生じる損害をあたえることになることを、一体どれだけふまえた上で執筆しているのだろうか。確証がとれていない、あるいは一説にすぎないことであれば、そのことを一言ふれておくべきだと強く思う。
 特にオリジナル盤、サンプル盤などといった表現を使用する場合には、どのような定義づけをした上での発言なのかを明記すべきである。
 知識がなければ、サンプル盤と聞けば、市場に出る前の関係者に配布されたプロモ盤などと混同するおそれは大だろうし、プロモ盤とテストプレスなどとの違いについても、もっときちんと定義づけた上で発言すべきである。また、オリジナル盤と称するのであれば、ジャケット、インナーバッグ、インサートなどの情報についても、当然言及すべきだろう。なぜここまで厳格な批判を展開するかというと、上記の御仁は単なるコレクターではなく販売者であるからである。雑誌に登場し、それなりの評論めいた文を執筆し、しかもレコードショップの経営者として販売まで行っている者が書くことと、単に趣味としてマニアがHPに書くこととは意味が全く違う。また違わなければならない。もちろん紙幅の制限の問題はあるだろう。それは私自身も多少の原稿書きである以上、理解しているつもりではある。が、少なくとも、ショップのHP上では紙幅の制約はないのだから、そこではきちんと説明すべきであろう。見る限り、Jazzについてはさておき、Rockについてはあまりにもお粗末である。にも関わらず、全ジャンル共通の話のようにレコードにまつわる話を掲載している。だからこそ、ここまで強く糾弾するのである。

 仮に盤について言及するにしても、どのようなマトリクスだったのか、米盤であれば、それが東海岸製なのか、西海岸製なのか、英盤でもたとえばフィリップス系のプレスなのか、EMI系のプレスなのかなどの詳細、さらには盤質を明記した上で、音質を論じなければ、厳密な比較批評とはいえないはずである。たとえば、ディランのフリーホィーリンでも、1stプレスと考えられるマトリクスが両面1の英盤でも全く同じレーベルでありながらそのマトリクス表記には正確には2種類ある。カタログナンバーの後がCBS系のA1というパターンのものと、そうではなく1L▽1 =420 1というパターンのものである。したがって、1stプレスの音質がいいといっても、どちらの盤で聴き比べたのかによって、場合によっては音質の感じ方は異なって然るべきである。個人的には後者の方が低域が伸びているように感じている。

 私も、こうしてHPを立ち上げているのは、自分のデータベースという意味もさることながら、さまざまな情報の偏在を解消し、コレクターおよび愛聴家の間で色んな情報を共有し整理することで、疑問の解決や真実の追求を図れるのではないかと考えているからである。したがって、私自身も自分の書くことには絶対の自信をもって書いているわけではなく、それゆえ、情報を常に求めているわけである。この点は、今後も訪問者諸兄のご理解を賜りたく思っている。その点でも、たとえばレコードコレクトエラーズのBuzzybeeさんなどは、常に尊敬の念をもって接したい気持ちで一杯である。

 フリー・ライダーを嫌って1stプレスに関わるオープンな議論とかをしたくないと感じているコレクター諸氏も多いこととは思うが、社会全体での効率性(コスト軽減)を考えればこそ、そういったことをもっとオープンに語り合える空間を提供できたらとずっと思っている。
 アナログ盤の収集・愛聴がもっともっと開かれた趣味であって欲しい。色々知識を共有しあってコモン・センスに裏付けられた場であらためて音楽について和気藹々と語り合える、そんな状況になって欲しい。そう願うことは、勝手な妄想なのだろうか。


Go to the Top