逃避行

 
 あたしと葵は同じ施設で育った。
 児童養護施設「ぽんぽこタヌキの家」
 小学生も半ば、事故で両親を亡くして頼れる親戚もなく施設へ来た。
 葵は赤ん坊のころからいて何でも病院の前に捨てられてたとか。

「みかんの箱に入れられたんだぜ」と地味に重い事を本人は笑いながら話していた。

 余談だが私はみかんよりリンゴの方が好きだ。
 桃兎(とうと) 葵という男はとりあえずバカだった。
 
 ある夏、皆でプールにいった時のことだ。
 クラスメートを見つけた葵はいたずらしてやろうと近づいていき後ろから思いっきり海パンを降ろした……思ってた子とは全然違う会ったこともない中学生で思いっきり殴られた。
 雨宿りにの為よその家の犬小屋に入り込んだ……当然噛まれた。
 友達と自転車で競走し勢い余って肥溜めにダイブした……3日くらい誰も寄らなかった。
 とまあ、お分かりの通りバカだ。こいつのエピソードを語っていけば本が出版できそうだ。
 ちなみに「桃兎」とは園長の名字。一応園長の養子ということになっている。
 さて、いつも友人に囲まれてにぎやかな葵に対し私はと言うと人付き合いが苦手でとりあえず勉強ばかりしていた。

「みなもちゃんは葵君と違って優等生よね」とか「みなもちゃんの爪の垢を煎じて飲ませたいわ」とか。よく比較されていた。

 別に私は優等生なんじゃなくて人が苦手なだけ。
 最初はただのバカ、単細胞、別種の生き物といったイメージだけだけど彼はいつも笑顔で輝いていた。
 いつの間にか惹かれていき、中学から付き合い始めいつの間にか一番そばにいる大切な存在、私の世界そのものになっていた。
 高校を卒業すると私は看護学校へ、葵は施設を出て日雇いの仕事とかを転々としながら一人暮らしをしていた。
 ただ、基本的に生活力が無い男だから時々部屋へ行って色々世話を焼いたり二人でどこかへ行ったりしていた。

「てかさ、あんたいい加減免許取りなって。デートのたび毎回あたしが運転してさぁ。ふつう逆でしょ」

 私の愚痴に助手席の葵はうんざりといった様子で嘆息する。

「いやなぁ、だけどあの試験ってのがどうも難しくて」

「いや、ちょっと頑張ればだいたい1回から2回くらいで受かるよ?」

「甘いな、なも。俺と常人を同じに見てたら火傷するぞ?」

 情けないことを偉そうに…
 まあ、何十回も試験に落ちたあげく替え玉受験をして捕まったって人もいるくらいだし確かに例外はいるのだろう。
 ていうかそう思うと彼がその例外になりそうだと本気で思えるようになってきた…

「で、どこ行く?」

「うーん、どうしような」

 腕を組み考える葵。
 こういう時は私がさっさと答えを出すに限る。

「じゃあさ、海にでも行こうよ。ほら、昔よく行ったじゃない」

「海か。よし、夏だしそれがいいな」

「よーし、それじゃあ行きますか。スイカ割とかしたら楽しそうだよね」

 私は意気揚々とハンドルを切った。



 県道を走らせながらあたしは身震いをする。
 ちょっと冷房が強いな。
 横の葵を見るとしっかり毛布をかぶって眠っている。
 
「寒いなら冷房切ってもいいぞ。窓開けたらいい風が来そうだし」

 何だ起きてたのか。

「うーん、別にいいよ。生暖かい風だとテンション下がるしさ」

 そう言いながら葵を見ると葵の右頬に傷が出来ているのに気付いた。
 血は出てないがはっきりとわかる。

「あれ?あんたそんなとこに怪我とかあった?」

 出かける時は無かった気がするけど…

「え?あれ、本当だ。何時の間にだろ」

「もう、そそっかしいんだから」

私は車を止めて鞄から絆創膏を取り出すと葵の怪我を覆う。

「あんまり怪我ばっかするなら病院連れてくよ?」

「はは、お前が務めてる病院だけは簡便な」

 どういう意味だよ。

「てかあんた臭いんだけど。昨日風呂入ったの?」

「どうかな。よく覚えてないな」

 こいつ……!!
 私は途中でホームセンターを見つけるとそこへ滑り込んだ。

「何か買うの?」

「消臭剤買ってくんのよ。それとあと色々。冷房付けとくから待ってて」

「はいよ」

 葵を一人残し、私は店へと入っていく。




 ホームセンターで買い物かごに目当ての商品を色々入れて行く。
 水分補給用のお茶と、切れてたから日焼け止め、消臭剤、消臭剤、ついでに車の消臭剤
 と…
 軽く合計金額を計算しているとクスクスと女の子の笑い声が聞こえる。
 振り向くとそこに「彼女」は居た。
 背丈は140cmくらいの可愛らしい少女だった。
 年は14歳くらいだろうか?妙に儚く、触れば砕けてしまうガラスみたいな印象を受ける。
 何故か片側の襟が無い薄いピンク色の上着を着ており、髪は肩まで、ややパーマがかかっていた。

「あなた、面白いカタチだね」

「え?」

「見たくないものは見えないよね。診たくないものが見える世界なんていらない、ありえないよね。うん、それでいいんじゃないかな。とってもいいと思うよ。」

 少女は近づいてくるとニコリと微笑む。

「いったい何を…」

 瞬間、後ろで何かが倒れる音がして反射的に振り向いた。
 子どもが棚の商品を大量に落としてしまい母親と思しき女性が慌てて拾っていた。
 何だ、と再度少女の方を見ると…

「え?」

 少女の姿は消えていた。




「何かさ、今変な子に会ったよ」

 車に戻り消臭剤を振りまきながら葵に話す。

「変な子?」

「何か、ワケわかんないことばっか言って急に消えちゃってさ」

「何それ幽霊?」

「足はついてたよ……多分」

 そんな風に話していると突然、見知らぬ男が車のフロントガラスを叩き出した。

「おいあんた、何やってんだ!!?」

「!!?」

 背が高くがたいもいい若い男だった。
 何やら喚き、どうも車から下りろと叫んでいる。
 軟派?あるいは難癖つけられる?
 何にせよ車を降りるのはダメな気がした。
 いや、降りちゃいけない。
 私は「その理由」を知ってる……そんな気がした。

「何かやべぇ。逃げようぜ、なも。車早く出して」

「言われなくても出すわよ!!」

 アクセルを踏み込み猛スピードで男を振り切って走りだす。
 バックミラーで見ると男が携帯電話を取り出してどこかに電話をしている。

「もう……限界かな」

 ふと、そんな言葉が口をついて出た。
 あれ、でも何が「限界」なんだろう?
 知ってる気がする。
 でも、何なのかわからない。
 理解を頭が否定している。
 理解しては、いけないんだ。


 車が走り去った後の駐車場。
 少女が両手を後ろ手に組んで立っていた。

「理解なんかしなくていいよ。ただ見たい物だけ見ればいいんだよ」




 車を走らせながら考える。
 何でこんなに頭が痛いんだろう。

「今のさ、何だったんだろうね。私、怖かったよ」

「うん」

「やっぱ新手の強引なナンパとかかな?」

「うん…」

「いざとなったらさ、葵は私を守ってくれるよね?」

「う……ん……」

 葵の反応が乏しい。
 ぐったりしてるし、何だか顔も青白い。
 全く、こいつは昔からもやしっ子なんだから……
 ……
 そんなわけはない。
 葵はアウトドア派の健康系男子だ。
 青白いのは……
 青白いのは………
 遠くからけたたましいサイレンが近づいてくる。
 私たちを追って来てる……

「ねえ、葵」

「…………………」

「何か言ってよ」

 わかってる。
 本当は何も言ってくれない。
 何も、返してくれない……



 そうだった。
 最近忙しくて、メールもあんま見れなくて。
 ふと見たら送られてからだいぶたったメールに風邪っぽくて動けないって
 慌てて部屋に行ったんだ。
 郵便物がすごくたまってた。
 部屋に入ったら……
 布団の中に彼は居た。
 天井をただただ眺めて微動だにしない葵。
 話しかけても返事がない。
 嫌なにおいが漂っていた。
 動かない。
 息をしない。
 そんな、馬鹿な
 こんなことがあるわけない。
 こんな馬鹿な事があるわけない。
 救急車?
 警察?
 どうしたらいい!?
 何でこんなことになった!?
 私のせいだ。
 私にとって一番大切な世界なのに私が駄目にしてしまった。
 あたしはその場にへたり込んでた。
 何時間も
 何時間も……

「お、なも来てたのか。ここんところくに食ってないんだけどさ。何か作ってくれない?」

 唐突に葵の声が聞こえた。
 私の視界には横たわったままこちらを見てはにかむ葵が映った。

「たっく…」

 そうだ
 あれは夢だったんだ
 悪い夢。
 そんなバカなことがあるわけない。
 彼に粥を作って食べさせてあげて

「ねえねえ、ドライブ行こうよ」

「お、いいね。最近デートしてないしな」

 彼は私を否定しない。
 私がしたいことをさせてくれる。私がしたいと思う事は彼もしたい。
 勝手にいなくなんかならない…



「そうだよね、葵。葵はここにいるよね」

 でも、助手席に座るのは目がくぼみ肌もカサカサになったぐったりとした。
 ぐったりとした……
 死体だった…………



 パトカーに囲まれ停車する車を遠くからあの少女が見ていた。

「そっか。受け入れちゃったんだね。残念だな。あなたの物語はここで終わりだね」

 寂しそうに呟くと少女は周囲の背景に溶け込むように消えていった。