2004.12.19、野田のエアロックドリームエアショーが最後のエアショーとなってしまいました。写真は、そのときのローパスです。まさか、これが最後のエアショーになるとは・・・

日本人で初めてプロのエアショーパフォーマーになった、岩崎貴弘さんが、
4月21日11時20分頃、訓練中の事故で他界しました。

写真は、静浜で撮ってもらった写真です。


個人的な話では、僕が飛行機に興味をここまで持ったのは、ロック岩崎さん
の影響が大きいです。そして、今年の夏休みに、アメリカに行ってライセンス
を取ってこようと考えたのも、このロック岩崎さんの影響がかなりあります
なんだかロックさんが亡くなったと聞いて、いまだに信じられず、そして
すごく悲しいです。本当に、ロックさんが僕に与えた影響は大きいものでした。


僕なりにエアロック、岩崎さんについてまとめてみました。
個人的にまとめたものであり、文章も僕の主観的なものがあるので
内容に関しては保証するものではないことを断っておきます。

まずは、エアロック、岩崎貴弘さんの年表のようなものから

1951年 群馬生まれ
1972年 初飛行
1995年 自衛隊退官
      ショーンタッカーに弟子入りし、本格的に訓練
1996年 エアショーライセンス取得
      エアロック発足 ピッツ購入
2002年 岩国でノブとフォーション
2003年 ノブが本業の医師との両立困難のため引退
2004年 サニーとフォーメーション
2005年4月21日 岩崎貴弘さん、訓練中の事故で亡くなる。


岩崎さんは飛ぶことが好きで、自衛隊では、40を過ぎるとデスクワークが
中心になることから、退官して、エアショーパイロットを目指しました。
アメリカでは知らない人がいないというぐらいのエアショー界での有名人
ショーン・タッカーに弟子入りをして、アクロを本格的に学びました。
日本では、まだマイナーな世界ということもあり、始めのころはスポンサー
もつかず、非常に苦労していましたが、段々有名になり、7年程度ソロで
活動していました。そして、2番機のパイロットを募集し、訓練し、日本
ではほとんど目にすることがない、フォーメーションアクロを実現。
ノブが引退してしまったが、サニーが新たにパイロットとして加わり
2004年からフォーメーションを再開しました。2005年からは、新たな技
なども開発、そして2番機のサニーが2年目になるということで、前の年
よりもレベルアップした演技を見せるべく、訓練中であった中の事故でした。
この事故は、航空機のファンの間に、かなりのショックを与え、皆が口を
そろえて、あの人がありえないということを言っていました。そして、まだまだ
志半ばだったということも、非常に残念でならないという事も話していました。


岩崎貴弘さんが日本のエアショーの世界を切り開いていったことは言うまでも
ないです。本当に残念なことでした。


言葉では現すことが出来ないぐらいの悲しさです。心からご冥福をお祈りします。


ロック岩崎さんが言っていた、子どもに夢を与える!!という、夢を与えて
もらった山ちゃんです。本当にありがとうございました。


最後に、何枚か写真を何枚か・・・



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