1917年 7月4日 フュリアウス
1920年 4月 イーグル●
1924年 2月18日 ハーミズ●
1928年 5月 5日 カレイジアウス●
1930年 3月10日 グロリアウス●
1938年11月16日 アークロイアル●
1940年 5月25日 イッラストゥリアウス
1940年11月24日 フォーミダブル
1941年 5月15日 ヴィクトリアウス
1941年10月10日 インドミタブル
1943年 3月12日 ユニコーン(航空機補修艦)
1944年 5月 3日 インデファティガブル
1944年 8月28日 インプラカブル
1944年12月16日 コロッサス
1945年 1月15日 ヴェンジェンス
1945年 1月17日 ヴェネラブル
1945年 2月 8日 パイオネア(航空機修理艦)
1945年 4月 2日 グロリィ
1945年 8月 8日 オーセアン
1945年10月19日 パーセアス(航空機修理艦)
1946年 2月 9日 セシアス
1946年 3月14日 ウォリアー
1946年 5月 9日 トゥライアンフ
1944年11月進水 マグニフィシエント
1945年 2月進水 マジェスティク
1945年 2月進水 パワーフル
1946年建造中止 リヴァイアサン
1945年 9月進水 ハーキュレス
1949年 テッリブル
フュリアウス
22,450t
29.5ノット
36機
イーグル
22,790t
20ノット
21機
ハーミズ
10,950t
25ノット
12機
コウレイジェアウス級
22,350t
29.5ノット
48機
アークロイアル
22,000t
30.8ノット
72機
イッラストゥリアウス級
23,000t
30ノット
36機
インドミタブル
23,000t
30ノット
55機
インデファティガブル級
23,450t
32ノット
72機
コロッサス級
13,190t
25ノット
48機
マジェスティク級
14,224t
24.5ノット
34機
イーグル
舷側に15.2センチ砲を装備したため、大型艦にもかかわらず搭載機数をほとんど増加できなかった。
ハーミズ
アイランドが巨大過ぎて不安定になりがちな本艦は、搭載燃料の配分には細心の注意を要し、バランスをとるため左舷側バルジの一部に常に海水を充填していた。
イッラストゥリアウス
1941年1月10日、合計6発の爆弾が次々と命中した。
その中の何発かはエレベータを突き破って格納庫に落下し、その他の何発かは厚さ7.6センチの装甲を突き破って下の士官食堂で爆発した。
一説には、装甲のおかげで500キロ徹甲弾の貫通はなかったともいう。
Ju87の爆撃は、このほかに艦橋スレスレに命中したものもあれば、すでに開いていた前部エレベータの破孔に続けて落下したものもあった。
「イッラストゥリアウス」は艦全体から火災が発生し、無力に旋回して爆撃から逃れようとしていた。
Ju87に続いて、今度はJu88が襲いかかった。
Ju88は、急降下ではなく緩降下をしつつ1000キロ爆弾を投下する。
命中率こそ悪いものの、1000キロ爆弾1発の破壊力はかなりの効果があり、そのうちの1発が厚さ7.6センチの飛行甲板を突き破り、下の格納庫甲板の上、3メートルあたりで炸裂、格納庫内の13機が瞬時に破壊された。
直撃弾のほか多数の至近弾もあり、水線下にも浸水が発生して「イッラストゥリアウス」はとうとう傾きだした。
しかし、機関に損害はなかったので、まだ17ノットの速力を出すことができ、10日の夜にマルタ島に到着した。
この報告を受けたドイツ空軍の元帥ゲーリングは、いかなる犠牲を払っても「イッラストゥリアウス」に止めを刺すことを厳命した。
1月16日には、44機のJu87がマルタ島を空襲し、またもや「イッラストゥリアウス」の後部エレベータに500キロ爆弾をたたきつけた。
19日にもJu87が42機ほど飛来して空襲を行い、「イッラストゥリアウス」は2発の至近弾を受け、左舷スクリューに損害をこうむった。
イギリス海軍は、「イッラストゥリアウス」をマルタ島からアレキサンドリアに向かわせることにした。
「イッラストゥリアウス」は、1月25日夜、アレキサンドリアに入港した。
これらドイツ空軍の攻撃によって、もし「イッラストゥリアウス」が沈没していたならば、イギリス海軍の艦隊型空母群にとっては大きな損失となり、その後の地中海の戦いにも大きな影響を及ぼしていたはずである。