石坂洋次郎氏の「青い山脈」「山のかなたに」にみる「宗教+教育+銭」=日本の新人生論
青い山脈の冒頭「敗戦2年目」の初夏の東北地方田舎の高校生六助君は幾つか?
「大学に進学したかったが高校を留年」とある。
図書館で学制を調べたが不明。武豊町立歴史資料館にあった。昭和21年は「19年施行」のものらしい。






この下の図が21年当時の「学制」だ。18歳で卒業すべきところを留年したから19歳。そして「女学校5年生の寺沢新子さんはいくつか?」
なんと不思議
19年学制で中学校も女学校も4年制に、1年削られてしまっていている。すると元教員石坂洋次郎氏の勉強不足か?4年生とすれば16さい、「ご飯は炊けるけど好きじゃないわ」の年齢だ。
どうでも言いとあなたは思うだろうけど、戦前.明治から敗戦直後昭和23年までの小説を読んでいて、学生の年齢が「○○校○学年」とだけあって、年齢が書いてないのがほとんど。当時の筆者や読者がわかっているからいいようなものの、何十年も後に読む人は一苦労だ。現に私は59歳で初めて「学制図」を入手出来た。
山のかなたに
ウエブページ読み歩きをした。
●映画1950年 池部良主演

鵜飼俊男の感想
青森県図書館のVTR。かりたいなあ。青森県民がうらやましい。愛知県図書館には無いかしら?
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作詞:西條八十、作曲:服部良一、唄:藤山一郎
1 山のかなたにあこがれて
旅の小鳥も飛んで行く
涙たたえたやさしの君よ
行こよ 緑の尾根越えて
2 月をかすめる雲のよう
古い嘆きは消えてゆく
山の青草素足で踏んで
愛の朝日に生きようよ
3 赤いキャンプの火を囲む
花の乙女の旅の歌
星が流れる白樺こえて
若い時代の朝が来る
4 山の彼方に鳴る鐘は
聖(きよ)い祈りのアベマリア
強く飛べ飛べ 心の翼
光る希望の花のせて
《蛇足》 昭和25年(1950)に公開された新東宝映画『山のかなたに』(千葉泰樹監督)の
主題歌。前年に発表されて大ヒットした『青い山脈』と同じく、西條八十・服部良一・藤山
一郎のコンビによる青春歌謡です。
歌としては、『青い山脈』に劣らない傑作といっていいでしょう。私は、どちらかという
と、こっちのほうが好きですね。
映画は石坂洋次郎の新聞小説を映画化したもので、「第二青い山脈」といった感じの作品
。予科練(海軍飛行予科練習生の略)帰りですさんだ生徒たちの暴力によって荒れた学校を
、物理教師(池部良)が一般の生徒たちと協力して立て直すといった物語。
これに美貌の洋裁教師(角梨枝子)やその生徒(若山セツ子)がからみます。ラブレター
事件が起こるのも、『青い山脈』と似ています。
10年後の昭和35年(1960)、東宝が同じ監督の手でリメークしましたが、暴力をふるうグ
ループは、予科練帰りではなく、普通の不良になっていました。
(二木紘三)
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山のかなたに
1950年、新東宝、石坂洋次郎原作、千葉泰樹監督作品。
第一部「林檎の頬」、第二部「魚の涙」の二編からなる。
助監督は井上梅次。
終戦2年目の夏、山に囲まれたとある町が舞台。(ロケ地は三島らしい)
不必要になった物品を展示して、それを欲しい人間が購入する「交換会会場」となっていた、ある学校の体育館に、一人の女性が訪ねてくる。
頭にはターバン、パンタロン姿のモダンガール風のその小粋な女性、井上美佐子(角梨枝子)は、学生風の男に家族が住む家を探していると言い出す。何でも、今借りている借家を追い出されそうになっているというのであった。
しかし、その学生風の青年は「フナ」というあだ名を持つ物理教師、上島健太郎(池部良)であった。
東大出の彼はいつもボーッとしていたが、その時も、窓から外の様子を見始める。
外では、予科練帰りの5年生が2人、下級生たちを並ばせて、「根性を入れてやる」と称して殴りつけていた。上島は、その様子を窓から唯眺めているだけ。
殴られた下級生たちは、「先生なんか案山子と同じ」と言い捨てて、その場を去る。
その一部始終を見ていた美佐子は、だらしない上島をなじって帰る。
帰宅した美佐子の家に、一人の青年が訪ねてくる。
彼女の父親である井上源一の軍隊時代の部下であった志村浩一(掘雄二)であった。
彼は、井上隊長から、娘を嫁にもらってくれといわれたのでやってきたと言い出すが、美佐子はあきれて跳ね返す。彼女は今、洋裁の先生として立派に独立していたからである。
ちょうど、その時、美佐子の家に習いに来ていた彼女の生徒、たけ子(若山セツ子)は、帰り道、かき氷を食べながら、美佐子の弟から慰められていた志村と再会する。
志村はその足で、今度は学校の先輩であった上島の下宿先を訪ねる。
そうした中、上島の同僚、山崎先生(田中春男)は、交換会で出会った美佐子を一目で好きになり、生徒である大助に彼女へのラブレターを託すのだが、間が悪い事に、そのラブレターは、予科練帰りの不良グループに奪われてしまう…。
石坂洋次郎ものらしい、戦後の理想主義に溢れた好編である。
予科練帰りですっかり荒んでしまった一部学生たちの暴力主義に、何とか有効な解決策はないかと悩む上島。
当時の学校は、小中合同であったのか、5年生というのは随分大人びて(17、8くらいに)見える。
鵜飼俊男の感想 昭和25年の映画で原作小説のまま昭和21年の出来事を描いているのであるから昭和19年〜23年の学制で女学校も中学校も4年までしかないはず。けれどもしかして、19年以前に戻っているのか。この映画に大介と同じ年齢の「たまこ」さん「女学校2年生」がもし登場すれば小中合同すなわち「小学校」などとまぎれないが・・・ このように学制がクルクル変わるから小説が書かれて後の世の読者は苦しむ。 またついでに言うと、言葉の意味を入れ替えるとこれも困る。「鳥肌がたった」を褒め言葉に用いてはいけない。10年前まではけなし言葉。多分鶏の毛をむしった安い肉を鳥肌と言ったのだと思う。この辺を頭に入れていないと狂ってしまう。 |
そのシリアスなテーマを、勝ち気な戦後女性の象徴のような美佐子や、おっとり青年の志村、愛らしい女の子たけ子などの楽しいキャラクターらによる愉快なエピソードが膨らませている。
特に、女性のくせにタバコを吸うような人間は嫌いだと、美佐子一家を貸家から追い出そうとしていた靴屋の頑固オヤジに詰め寄る、たけ子たち洋裁生徒たちの騒動に無理矢理同行させられたり、そんなたけ子にプロポーズしたいのだが勇気が出ず、結局、小学生の大助に手伝ってもらう志村の情けない姿がおかしい。
女心は良く分かるとばかり、赤白の手旗信号を使い、山でデート中の志村にアドバイスを与える大助のシーンが絶妙。
志村のプロポーズに戸惑いながら、自分なんかちっとも美人じゃありません…と拗ねてみせるたけ子の様子に、手旗信号にかぶされた解説文字では「彼女は嘘をいっている。日本中で、自分は原節子の次に美人だと思っている」…には大爆笑。
さらに、河原での、不良5年生と大勢の2年生による大乱闘のシーンは圧巻である。
この時の上島先生の行動が、今でも有効であるかどうかは疑問だが、戦争を経験した直後の日本人には、一つの理想の姿として、心に焼き付いた事は確かだろう。
●1960年東宝

宝田明
白川由美
柳川慶子
夏木陽介
星由里子
草笛光子
加東大介
久保賢
夏川静江
山下敬二郎
沢村貞子
1960年 東宝映画
監督 須川栄三
原作 石坂洋次郎
出演 宝田明/白川由美/夏木陽介/久保賢/夏川静江他
山中にある静かな町の高校。若い教師・健太郎は生徒と一緒にバスケットに興じていた。
洋裁塾を営む美佐子が一年生の大助と学校を通りかかると一年生が三年生にいじめられてい
た。健太郎に知らせが来て駆けつけた時にはいなかった。三年生には愚連隊まがいの10人く
らいの集団があって生徒いじめが常態化していた。何も対処しないのは「案山子だ」と美佐
子に命名された健太郎。かれは生徒の力で解決しようと考えていた‥‥。
石坂洋次郎の小説の再映画化とのこと。「青い山脈」と同系列の青春・学園映画です。学
校の愚連隊の上級生に立ち向かう1年生の集団、「女がスラックスをはきタバコを吸うのは
けしからん」という家主に立ち向かう洋裁塾の生徒たち。古いものへの挑戦を明るく描く原
作がそのまま映像化されています。
この映画を見たいと思った理由のひとつがロケ地。長野県の小諸市か滋賀県の彦根市くら
いではないか、と予想しました。
しかし、画面で見る限り会津若松ではないか、と思いました。そうすると、土地勘がなく
て、どこの場面か分からず残念でした。
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山と川に囲まれた美しい地方都市、だがここにも雑草ははびこる。健太郎の奉職する高校
では愚連隊気取りのマサ公、ケンちゃんを頭とする暴力上級生が乱暴を働いていた。生徒た
ちに人望のある健太郎も、彼らに対しては消極的だった。一年生井上大助の姉・美佐子はそ
の態度を非難し、案山子さんというニックネームを進呈した。健太郎は、この問題は生徒自
身で解決されるべきだと考え、その機が熟するのを待っていただけだ。その気持を知るのは
、健太郎の後輩で、昔グレたことのある高一だけ、彼は更生して美佐子の伯父の経営する農
場で働いていた。洋裁塾で美佐子の弟子をしているタケ子は、高一に参っていた。ある日、
大助は姉美佐子を恋する国語教師山崎から頼まれた恋文を連中に奪われた。翌朝、全校生徒
の並ぶ前でマサ公はその手紙を読み上げた。と、「その手紙を書いたのは俺だ」と健太郎が
進み出た。この事件で、美佐子は健太郎を見なおした。美佐子の下宿の主人弥助が立退きを
要求してきた。スラックスをはき、煙草をくわえた、近代的スタイルは、日本女性の面汚し
だというのだ。怒った美佐子の弟子たちは、タケ子をリーダーに弥助の許へ押しかけた。タ
ケ子の泣き声が効果を発揮し、弥助は遂に美佐子立退きの件を取消した。彼女らの壮挙を聞
いた一年生たちは、ぼくたちもと結束を固め、マサ公らと河原に対決した。数刻後、さすが
のマサ公らも屈伏した。--美佐子と健太郎、タケ子と志村の二組の新婚家庭もやがて誕生す
ることだろう。
鵜飼俊男の感想
「山のかなたに」の戦争批判がないようだ。魅力半減。昭和21年に設定したままの昭和25年の映画を見たい。
http://www.murakami21.com/i2001h20.5/sakekkorireno83.html
戦争が終わった頃
家田 昌典
(いえだ まさのり )
村上高校3期生
(旧制村上中学校 昭和20年4月から22年10月まで在籍)
のベルが鳴り終わるまで止まらない殴打の音でクラスの空気はこわばっていました。
国語のK先生がこともあろうに、小田さんに対して乱打の嵐を浴びせていたのです。
その頃あんちょこという便利な副教材が書店に並んでいて、これで質問に答えた大滝陸奥さん(故人、長岡の中学校教員)を笑ったというのが、原因だったようです。
終戦間もない頃とは言え、ヒステリックな制裁にクラス全体がいきり立ち、教室を出たK先生の後を追って、私達は職員室に飛び込みました。
翌日小田さんは両頬を腫らせて登校し、一言も語らなかったのです。
この事件は60年を過ぎた今でも誰も言葉にしていないでしょう。
私はそんな彼から「耐える」ということを教わりました。
昭和20年の9月になって、志願兵として陸海軍を目指して出陣した4、5年生(今の高1・高2)が軍服姿で復学してきました。
私のクラスにも海軍から高橋邦二さん(故人、村上市議会議員)、陸軍からは大浦啓一さん(元中学校長)が加わりました。
石坂洋次郎の「山のかなたに」を読まれた方は、思い出してみて下さい。全校あげて日の丸で送り出した上級生の扱いで打つ手を失くした先生方、ただ暴力の的とされた中学1・2年生の反抗の実話で構成されています。
村上にも全く同じ時代がありました。青森と村上の違いは、村上藩士の耐える精神だったと今になって納得しています。
国を護るの精神で進んで特別攻撃隊を志願し、17,8歳で故国のために死ぬ道を選んだ先輩達は、飛行機も、銃も、弾もない軍隊で朝晩殴り続けられて復員したのです。
やりきれない思いでいたことを中学1年生の私でも痛いくらい理解していたからでした。
藤基神社の境内で、本町学校の体育館で総員制裁の名で先輩達は体験してきた軍隊式の制裁を私達に復元した見せました。私達は「耐える」という美言で嵐の通過を待ったのです。
10月になって超低空のシコルスキー戦闘機が4機編隊で飛来し、瀬波浜に上陸したアメリカ兵が学校ヘジープで乗り付ける度に私達は壁板を剥がし、軍国主義の教科書を放り込むいじけた作業もまもなく終了しました。
青い山脈


