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http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMEPG90.HTM
「志野原生ホームページ」より
鵜飼俊男註  

京大出で 民間企業に就職し、四国の高専教授を1997年に退官した人。(多分昭和8年生まれ。)


"週一程度に書いている雑記帳です。500編は越したでしょうか。生活、旅、娯楽、歴史、民俗、教育、芸術、理工学、文学、社会、政治から国際問題まで思いつくままに何でも話題にしています。'94年頃から始めています。"

鵜飼俊男推薦の文
●禁じられた遊び
(財)千葉市文化振興財団とはどういう存在なのか知らないが、そこが映像文化等振興事業の第1回優秀映画鑑賞会を先月末に主催した。抽選に当たった人の都合で、我が家に無料の鑑賞券が回ってきた。映画は「禁じられた遊び」である。
封切当時この映画は、頑是ない幼女が戦争に巻き込まれて行く姿がまだ戦後を残していた我が国の人々に強烈にアピールして、名画の名を恣にした。だが、もうストーリーは頭から抜けていた。見たのは学生時代の、今から40年は昔のことである。出だしで、両親の死体の脇から幼女が立ち上がるシーンと、終わりでその子が誰かを捜して駆け出すシーンぐらいしか記憶になかった。
二次大戦の始めそうパリから遠くない田舎道は疎開の都会人の群でいっぱいだった。この子の両親は若く瀟洒な自動車に乗っていたから、上流階級人という設定なのであろう。間断なくドイツの軍用機がやってきてこの人の群を攻撃する。走り出した子犬を追っかけてこの子が橋を渡ろうとした時、戦闘機が機銃掃射を始める。我が子を横抱きにして両親は即死する。子犬にも当たって、ぴくぴく尻尾を揺するだけである。この子は子犬を抱いたまま呆然としている。これがで出だしであった。
お仕舞いは、孤児院行きとなった幼女が、修道女のちょっとした隙に、父母の死後親切にしてくれた土地の子と同じ名を誰かが呼ぶ声を聞き、思い出したのかその名を連呼しつつ雑踏の中に走り込んで行くシーンであった。あまり思い違いもなく2カットも憶えていたのだから矢っ張り名画だったのだろう。
今度見て印象的だったのは、そこに見た1940年頃のフランス農家の生活である。数人の家族である。馬に蹴られて重傷の長男がいる。医者は徴用で不在のため素人療法が行われる。なんと下剤を飲ませようと云うのである。下腹を蹴られているからである。狭い土造りの家に住んでいる。長男のベッドは個室の中ではない。夫婦の部屋もドアがあってないような姿である。親子の断絶などありそうもない。親は腕白をののしり叩く。牧場の管理などへまをすると拳固が飛ぶ。娘は親同士は敵のような隣家の脱走兵といい仲である。司祭は村のもめ事全体の中心である。懺悔を聞いて仲の悪い隣家との仲裁、恋人の取り持ち、何でも相談に乗る。幼い子供すら懺悔と称して秘密を打ち明けるのだから、カトリック教の浸透は完璧である。
私が思ったのは昔の日本である。木造の農家とお寺に和尚をこの映画に当てはめても全く違和感のない時代が日本にもあった。封建的とか旧癖だとか男女不平等とか差別的とか色んな呼び方で西洋の理想と置き換えるために捨てた日本の精神文化に、「禁じられた遊び」の色んなシーンが対応するのである。今のフランスの農村はどんなだかは知らない。こんな風ではないかもしれん。しかし基本の良さは持ち続けているのではないか。我々は用心深く捨てるべきであったし、用心深く置き換えるべきであったと思う。自分で自分の過去を叩くのに狂奔した当時のマスコミ界教育界の責任を問う。
('98/10/03)


●志麻と小百合
岩下志麻と吉永小百合は、少し年は取ったが、我が国を代表する女優であることには変わりがない。お二人とも美女の典型である。志麻を弥生顔と云い、小百合を縄文顔という。出席者一同、考古学が美女の分類に役立つとはちょっとも思わなかったろう。この面白い話は国立科学博物館人類研究部の馬場先生が11/28の千葉中博講座でなさったものである。馬場先生は東大の医学部の先生だったという。
弥生顔の特徴とは頬骨が出っ張っている、丸い顔、歯も口元も大きいといったところ。志麻に良く当てはまっている。縄文顔の特徴とは長方形の顔、濃い一直線の眉に二重瞼、歯は小型で口元が引き締まって見えるなど。なるほど小百合そっくりである。そのほかいろいろ云ったが、確かめられぬものもある。たとえば腋臭に体毛など。我が家の山の神はこの分類で行くと明らかに弥生顔である。しかし私は縄文で、子供も縄文である。
縄文と弥生は3:7ぐらいで混血しているという。人の顔は不思議な形質を持っている。近年旧ソ連の崩壊で独立を達成してから映像による紹介が多くなった、中央アジアの人々の顔は、その土地で次々と起こっては消えた諸民族の混血の歴史そのものを示す。トルコ系に、スラブ系それにモンゴル系である。特にモンゴル系は他と区別しやすいから、その顔を見ると中央アジアが民族の坩堝であると実感する。何となくモンゴル系というのではないので、顔を伝える遺伝はまとめてごっそりと行く性質を持っているようだ。だから志麻と小百合が3:7でいると云うことである。そこが知りたかったので、先生に質問したが、も一つ要を得なかった。質問が悪かったのだろう。
一時彫りの深さから白人系と騒がれ、ヨーロッパの民族主義者を刺激したアイヌ民族は縄文系の名残だそうで、白人系などと騒がれた理由は、世界的に見てこの特徴を持つ系統が普通だからだそうである。のっぺり型はモンゴル以北の北方アジア系だそうだが、こちらの方は世界的に珍しいそうである。南方アジア人が北方に移動し、氷河時代の寒気に耐えた結果そんな姿になったという。
極寒の土地では眉も髭も凍るし、皮下脂肪の厚さが生命の維持に必須である。なるべく表面積を少なくするためにはのっぺり顔にならざるを得ないではないかというのだが、さて皆さんは信じられますか。その北方系が南下し朝鮮半島を経て日本に侵入した。これが弥生人で、縄文人は日本の中央部から駆逐される。何故3:7かというと弥生人が殺戮を繰り返したわけではなく、どうやら孤立状態が長かった縄文人は大陸から持ち込まれた病原菌に弱かったためというのが真相らしいという。
大昔の話はおおらかに聞ける。「正しい歴史認識」がないと始まらないと云う哲学を通すなら、大陸側は原住民側にはっきり謝罪の気持ちを表明せねばならぬところだが、私は一向に江主席にそんな要求をする気にはなれない。
('98/12/07)

●二十世紀をどう見るか
これは新しく文芸春秋社が新書版を出す方針になって、最初に出版した10冊のうちの1冊の題名で、著者は野田宣雄先生である。今日本では本が売れないと言う。特に若者が読まないと言う。大学生の勉強時間が学校の授業を入れても週26時間あまりという。晴耕雨読の私でもそれぐらいはやっているだろうに。読まない民族に明日はない。そんなご時世の決心である。私は文春の新書出版を好ましく感じた。そして買ったのがこの1冊である。他の9冊は趣味的というか興味本位というかまあ満ち足りた人の読む本だと思うが、この本だけは鋭く未来を睨んだ警世の、格違いの内容である。
私は巻末に挙がっている参考文献を1冊も読んだことがない。類書も眺めたことがない。せいぜい新聞雑誌の断片的な記事を時折読んで将来を不安に思っている程度である。だから私には書評を書くほどの力は無い。よって以下は長年生きたものとしての読後感である。何と言っても関心は日本の将来にある。だから以下それを話題の中心にする。
歴史は繰り返すとよく言われる。二十世紀初頭は帝国の時代であった。それがいったんは解体したが、また再び違った格好で、頭をもたげようとしている。最後の章は中華帝国と日本という表題になっている。アジアでは中国というまとまりが覇権国になり、日本は周辺の夷に成り下がろうという。これが杞憂であればよいのだがと言うのが結論である。
今現在の民族の趨勢は帝国化どころかその反対を行く。多民族国家の国内紛糾を見ると人々の心のよりどころの最大が民族単位であることはよく分かる。中近東のクルド族、旧ユーゴスラビアのアルバニア族、回教徒、クロアチア人、カナダのフランス語圏の人々、漢人の侵攻以来なりを潜めてはいるが中国のチベット族ほか、大ブリテン内のアイルランド人やスコットランド人、イタリアの南北対立等はいずれも帰属意識の小単位化である。
国家意識のもう一方の危機は経済のグローバリゼーションからやってきた。科学技術の進歩は、資本主義の国際化自由化指向を加速し、早急なマネーゲームのグローバリゼーションをもたらした。今までの国民国家の枠組が少なくともこと金融に関する限り曖昧になり、追々と民族の意識にも影響し出す。過去の中華帝国は、20世紀初頭のその他の帝国と同じく、領土内の諸民族の大まかな統治と徴税をするシステムで、決して今日の国民個人にまで及ぶ統治ではなかった。国民国家の境界線がこのようにボーダーレスになって行くと、なし崩しに中心民族たる中国の辺境民に日本が位置付けされるようになる。帝国の再来には、かって歴史的に存在した事実とその求心力になる中心民族の存在が必要である。中欧ではそれがドイツ民族である。なし崩しは日本では、沖縄が国際自由貿易都市になるとか、地方分権により半独立化した九州、四国、中国、関西など州制に近い政治システムを指向するところから始まる。
強烈に民族国家を意識してきた世代が老齢化し、国際化自由化を第一と学んだ世代が台頭してくる。領土、民族、社会が完全に同一で、今まではまことに効率の良い発達を遂げることの出来た我が国ではあるが、この国際化という意味では、全くの未経験者である。かっての中国人はユダヤ人以上にユダヤ的であったと書かれている。国家の庇護など全く期待せずに自立的に展開する訓練の出来た中国人が、これからのアジアを牛耳ることになると言う。彼らの目には国境はなく、日本を含め周辺は中国の辺境という意識に含まれた領域という。辺境とは元来は中国であるが中国政府の手が未だ行き届かないと言う地帯である。
華僑が経済を支配する東南アジアを意識した予想だと思う。しかし今回のアジア危機に対する反省から短期金融資本の投機的流動には政治の枠が填められるのは時間の問題である。マルクスの言う景気の循環がケインズ流の施策で回避できるようになった過去の経緯を考えると、今回噴出した新しい資本主義の欠陥もいずれは癒されて、安定成長の道を見つけるに違いない。順調に発展すれば中国は世界一のGNP国にいずれはなるだろうが、そのとき我々が、辺境民に落伍しているとは思いたくない。だが、野田先生のお説は傾聴に値すると思った。
('98/11/18)
●母への挽歌
年末だったか年始だったか新聞広告に大きく「おしん」のビデオ発売が載っていた。「おしん」は母の世代への挽歌ですと昔その作家が云ったことを思い出す。「おしん」と比べてどうか分からないが、私の母も苦学した。下女並の扱いを受けながら親類から女学校に通ったと時折話してくれた。背に負った赤子の小便が着物を通して移ってくる冬の辛さを話したのを覚えている。
母が歴史に名高い一族の子孫であることは亡くなってから新聞記事で知った。切支丹禁令でルソンに追放された武将の末縁である。その一族の会に従兄弟が繋がっているので確かめられた。生前には父の家柄との比較をはばかってか一度も口にしなかった。幼い頃に母の「母家」に連れられた記憶がある。広い庭の大きな茅葺きの家で、おばあさんが長屋門の一室を隠居部屋にしていたのを思い出す。そこには鎧甲他各種の兵具が残っていたと聞く。だが、分家の母は早くに父を失い、家の生活は貧しかったらしい。
園部女学校を訪ねたことがある。母の母校である。今は京都府立園部高等学校である。学校のホームページを見ると女学校であったのは大正のごく短い期間だけだったらしい。すぐ中学校に変わっている。明治後年の生まれであった母の年齢から考えるとその期間がぴったり合っている。位置は変わらず小高く盛り上がった城跡に建っている。誰もが小学校だけで終える時代に子守をしながら通ったのだからよほどの向学心があったのだろう。仏教徒であったはずの母が何故時折賛美歌を口にするのかよく分からなかった。その疑問があって園部の町を彷徨いたが、とりわけ目立つ古い教会大きな教会など無い。尋ねようと思いながら果たさずに終わった私の幼い頃からの疑問である。切支丹禁令にまつわる家の歴史から来ていたのかも知れぬと今は思っている。
「おしん」の少女期を好演した小林綾子は立命大を出てから演劇界に復帰した。京都の学校を選んだのはちょっとしたニュースだったらしく、新聞に出ていたのを思い出す。復帰後は脇役特に時代劇の脇役で時折お目に掛かる。一般に云う美人ではないから脇役の方が合っているのかも知れない。現代劇でもそうだが、全く素人芝居とどれほど違うのかと思うほどひどいTV時代劇(例えば年初めの12チャンネルの12時間ドラマ「赤穂浪士」など)の中で彼女はまあまあましな演技をする(最近では「剣客商売」で見た)。使う方も子役時代のイメージを利用したいのか、蔭のある辛抱する女の役割が多いようだ。まあ生き残るであろう。
自分の住まいから最大何kmの外まで出たのだろうと思う。旅らしい旅は新婚旅行だけだったようだ。和歌山だったらしい。断片的だが懐かしそうに時折その話をした。しかし足早に歩く父に追いつくのがやっとだったという話で、観光の余裕など無かったらしい。私の任地、新居にはついに一度も顔を見せなかった。全くの明治の女をやり通した母に挽歌を捧げる。
('99/01/06)
●曾野綾子のセクハラ論
毎日新聞に「時代の嵐」というコラムがある。曾野綾子さんがそこに書いたセクハラの記事は読ませる内容だった。私には、スケベ男に女が現場でキリッとした姿勢・凛とした姿勢を示せば、裁判沙汰などダラダラと双方が名誉・体力・資金・時間を浪費したあげく結局は曖昧に終わる解決法を取らなくても済むし、セクハラ自体がその場で停まり、彼および周辺の男どものセクハラにブレーキが掛かるという論旨のように思えた。男女関係は、暴力沙汰まで行ったのならともかく、大抵はその場でハッキリさせなければ水掛け論になる。お説ごもっともと思って読み終えた。
二昔前は隙を作った女が悪いとなったが、今は仕掛けた男が悪いとなる。ご時世である。選挙宣伝カー中の行為を女子大生に訴えられた横山ノック知事は、まさに絶好の標的になってしまった。何しろ水掛けだから好きなように煽り立てることが出来る。ノックが全く弁明しなかったのは一つの卓見である。マスコミとセクハラと言うものの性質をよくわきまえた行動で、政治家としてなかなかの出来と思わせた。彼は、昔風に云うなら、新聞ゴロと人権ゴロを賠償金1200?万円で口封じに掛けたのである。ノックから見れば、大阪府が自治体として禁治産者扱いになりかねない危機に瀕しているのに、100年戦争のセクハラ問題などに関わっておれないと云うことであろう。
曾野綾子さんのセクハラ論はこのノック事件に触発された評論であろう。彼女にノック訴訟の弁護団が抗議文を送ったという記事が出た。ノック訴訟はけりが付いたからもう曾野さんの見解が女子大生に不利に働くことはない。だったら抗議ではなく自前の文化論として世に訴えればよい。ただ彼らの文化論が一流新聞に価値ある論文として取り上げられるかどうかは別問題である。
彼らはついでに政府の司法制度改革審議会委員を辞めろと要求している。ふやけた世の中ほど事件が増えその事件がまた次の事件を増殖させるから、弱い方もシャンとすべきところはシャンとしましょうと言う呼びかけが人権屋のカンに障ったらしい。シャンとされると一番困るのは仕事が減る弁護士さんだから。司法制度はジャンジャン訴訟が増えダラダラと金と時間をつぎ込まねば収まらぬように作らねば彼らの得にはならない。これは半分は冗談で書いたのだが、健全な社会とは弱い方がただただ強い方にやられ放題になって、後になってあれはけしからんと次々訴える社会ではないのは本当だ。
司法制度改革審議会は日本の将来を見越して大所高所から司法の方向を審議する会であろう。今年の司法試験では合格者数が昨年の2割以上増加した。今後も増加の一方だろう。世界の弁護士の70数パーセントは西欧人が占めるそうだ。彼らは訴訟社会に住み、オープンルールで公正な論争と決着を目指す。わが国の訴訟社会化は必然という判断だから司法資格者増員は当然の処置だ。しかし員数増加を含めた司法制度改革自身の進み具合はまだまだのろい。わが国法曹界に改革への自律能力があるのなら外部審議など不要なのだが、その他の社会と類を違わず、いつまで経っても司法屋のための司法で国民のための司法に進まなかった。だから審議会なのである。長い広い目で日本文化を透徹してみることの出来る人材が委員に必要だ。だが選ばれた委員の大半は法曹界の人で、文化人とか自由人でそれと社会が認める人物は曾野さんぐらいである。2年の予定で始まったばかりなのに、セクハラへの口出しが自分らと違う言い方だとして、もう司法屋の一翼が下ろしに掛かっている。原子力制度は原子力屋にと言うのと同じで、セコい連中である。
パンティが見えそうな短いスカートの女子高生が群を作って通る。いい加減扇情的である。昔は玄人と蔑まれた商売女だって公衆の面前では今ほど露出はしなかった。守る方が守る姿勢を見せないと、朴念仁でない男どもはうっかりと手を出すこともあろう。守る姿勢を見せよと云った人に対するパッシングぶりには鼻白む思いである。過度な正義の味方づらは逆効果ですよ、人権屋さん。
('99/11/24)
以上推薦文
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以降鵜飼俊男が興味を持った文

パソコンの部

●Yahoo検索
ときたまであるが見知らぬ人からE-メールを貰う。大抵は私のホームページへのコメントである。私のホームページは随筆風に書いた雑文が仕上がり順に雑然と並び、今その数は340、7Mバイトを越えている。偶然だけだったら見知らぬ人(私)の癖のある文章など一々読めたものではない。不思議なのでYahooがどこまでやるのかテストしてみた。予め申し上げておくが、私はYahoo! JAPANに登録も自薦もしていない。
ホームページ・サイトアドレス最後の文字shigasでは駄目である。1-2件引っ掛かるが私のは出てこない。/~shigas/やその改良型を入れてもさっぱり出てこない。shigasはタイトルでもある。だからタイトル検索でも無効のようだ。本文のshinoharaも同じである。だが題名の「「四百三十五人」の「旅行券」」は有効だった。「」内が打ち込んだキーワードである。勢いづいてペンネームの「志野原」「生」を入れたら出てきた。どれもタイトルの「shigas home page表紙」のURLで出てくる。
続いていくつかホームページ内深くにリンク形式で掲載してある雑文の題名でキーワード検索をやった。「曾太郎、青児」「「国際金融」の「現場」」、「「志麻」と「小百合」」、「「小学校」の「英語」」などいずれも成功であった。「志麻と小百合」では何回やっても出なかったからどうも短い単語のand検索が良いらしい。しかし単語として1バイト系のローマ字やアラビア数字を混ぜるとヒットしなくなる。出てくる題名のURLは親ディレクトリーの「shigas home page表紙」のそれで、各々が直接その題のリンクサイト名により表示されるわけではない。
Yahoo!JAPANのホームページには検索されるのはURL、タイトルおよびコメントとなっていた。コメントとは、50字内に要約されたそのホームページの内容説明だそうである。引き出した私のそれには表紙記載の文を頭から50字分填め込んである。ホームページ内のリンクサイトの.htm or .htmlも一つ一つ検索されるものらしい。どうやら判ってきた。
朝、昼、晩と同じ様な検索を何日か繰り返した。朝食前の空いているであろう時間帯で大体上記の結果である。昼飯時はもっともインターネットが混む時間帯である。会社の社員たちが私用に使うからだそうだ。そんなときは何を検索してもうまくいかない。私のホームページなど出てきたためしがない。検索エンジンは他にもあろうが一番ポピュラーで収録数が多いのはこのYahooだろう。だから他も推して計るべし。とすると私の話を見つけて下さった方は、よほどのマニアで深夜早朝を厭わずに検索されたのであろう。忙しい人々に読んで頂くには一つ一つの文をカテゴリ分類し自ら推薦するようにしなければならぬ。
そこまでは判ったが、さて積み重なった雑文を今更登録する気にはなれない。やっぱり従来どうりそっと置いておこう。題名が命のようだからそれには一段と注意を払おう。近頃はメールマガジンなる新手のマスコミ手段が出来て、登録者に自動配信する電子新聞を発行するという。でも昭和一桁生まれには烏滸がましい方法のようだ。見に来て下さる方にご覧頂くので結構。
('99/09/22)
●検索エンジン比較


Yahoo検索の腕が上がったのでその他のエンジンをtryする気になった。その他とはinfoseek、goo、lycos、excite、fresheye、NTT DIRECTORYである。以下Yahooとの対比で特徴を書き並べてみよう。
infoseekの長所はURLあるいはタイトルに含まれるshigasで引き出せ、「志麻と小百合」で引くとそのファイルまでの全アドレスが表示されることである。まず「志麻」で引きついで「小百合」とのand検索に絞ると確実である。だが「志麻」X「小百合」でいきなりやると出たりでなかったりになった。gooではshigasがOK、「志麻と小百合」も出てくるが、親ディレクトリーまでの表示である。
lycosはshigasが有効で、更に日本語の本文中の単語を入れるとどんどん検索数が減少する。一番使い勝手がよい。志麻も小百合も思いどうりに検索されわたしには合っているようだ。全アドレスが示されるのも良い。渥美清が出てきたので雑音かと思いそのページを開くと共演者リストに2人が出ていた。随分深くまで検索しているものだ。お陰で岩下志麻が渥美清と共演した「寅さん」でない映画があることを知った。exciteはちょっと急には扱えないエンジンである。shigasでは目次に当たるwelcome.htmではなく同じディレクトリーに置いてあるファイルのいくつかを例示するだけである。「志麻」X「小百合」には掛からない。更に条件を絞ったら最後にサンデー毎日の本年4月27日号が出てきた。私の話は千葉県立中央博物館で行われた講演を基礎にしているが、同じ話を記事にしたもののようだった。演者はこの話をあちこちでばら撒いているようだった。
fresheyeでは全く掛かってこなかった。shigasもだめだし、志野原も四百三十五人も皆駄目だった。このエンジンは検索対象を1ヶ月内に更新したホームページに限定していると云うから、それに相当するはずの「細雪」X「雪国」でもやってみたがさっぱり現れなかった。時間帯のせいだろうか。最後はNTT DIRECTORYである。このエンジンも私関係の検索にはさっぱり反応しなかった。おそらく登録対象になっていないのであろう。
Yahooが全てではないと思って始めたチェックであった。Yahoo以外はさほど念入りにトライしたわけでは無いが、はやりの格付けを行うと、lycosがAAA級、infoseekがAA級、YahooとgooはA級でexciteはB級、残りはC級である。勿論目的によって変化するからいつもこんな順序であるとは限らない。しかしそれでもlycosが、全く初めての私の検索に対し、一番豊富にサイトをリストアップし、更に絞り込みもリーズナブルであったのは印象的だった。検索出来るホームページ数が一番多いのもlycos(鵜飼俊男註2008年現在1990年代後半から2000年前後に人気のあったポータルサイトの一つ。全文検索型サーチエンジンを中心に各種コンテンツ・サービスで形成された。

 カーネギー・メロン大学の検索プロジェクトを商業化する形でLycos社が設立され、1994年8月にサービスを開始した。同社は2000年5月にスペインの通信事業者Terra Networks社に買収され、Terra Lycosとなった。

 日本では米Lycos社の他、住商情報システム、IIJ、米Lycosの大株主(当時)のCMGI社に出資している住友商事が出資して、1998年4月にライコスジャパン株式会社が設立された。同年10月より「Lycos Japan」として本格的に日本語によるサービスを開始。その後、ライコスジャパンは2002年12月に楽天に買収され、2003年9月に同社傘下のインフォシークと統合された)
だそうである。今後検索エンジンをお考えになる方に推奨できると思った。
('99/09/27)
●パソコン補強
心に余裕が出来たので、パソコンPC9821V166の補強を行う。まずRAMメモリーに64MBを増強し合計96MBにした。ハードディスクを外して、その下にあるソケットにボードを2枚填め込む作業であったが、ハードディスク増強のときに比べると簡単であった。ハードディスクを元通りとして完了。このパソコンの増強用マニュアルは分かり易く書かれている。一太郎の画面操作は結構早くなったようだ。次ぎにDr.Mouseと言うJustsystemの新しいソフトをセットアップした。このソフトはマウスの示すポイントの意味を、内蔵の英和和英あるいは国語辞典を使って自動的に教えてくれるツールである。やってみるとなかなか便利である。消費税前のコストはメモリーが17,600円、Dr.Mouseが5,880円だった。
千葉市にパソコン関係の量販店が次々にオープンしたのは3-4年前だった。この機会にと思ってあちこち歩いてみた。成績が上がっているだろうと思われるのは、駅前のヨドバシカメラである。場所もいいが、商売上手である。店員はどちらかというと事務的で不親切な方だが、遊ばずによく働く。近頃あちこちの百貨店でもやりだしたポイント制の千葉での元祖である。支払った現金の10%をポイントと称して次回の買い物の時に使ってよいことにしている。百貨店ならあれこれ買うから、ポイントが有ろうが無かろうがいつかは使うからとポイントの残高なんか気にしないが、電気関係は大抵大物で滅多に来ないから、この10%があるとついそこに行ってしまう。実際の価格を比較するとそんなにヨドバシが安いわけではない。
次々の技術革新で、新しい道具が出てくる。最近立ち上がりかけたデジタルビデオシステムにDVDと言うのがある。12cmのディスク1枚に映画が1本楽に収まるというのだからすごい。ヨドバシの2階にソフトのコーナーを作ったと宣伝しているので覗いてみた。外国映画がずらっと並んでいる。それは予想どうりだった。私は国産ものに何が並ぶかに関心があった。最新のメディアDVDを持つ層は所得も知識もあまり低くては利用できないだろう。ある意味では日本の先端を行くエリートである彼らは日本文化の何にまず興味を持つか。
「男はつらいよ」シリーズが並んでいた。これはまああり得る範囲に入っている。ガッカリさせられたのは、アダルトビデオもののオンパレードだったことである。バーチャルセックスが最も関心深い日本文化なのか。包装には露出過度の女の写真が一杯である。陳列台には日本映画の3倍ぐらいの面積を占めている。それらをよそと違って同じコーナーに並べている。これも驚きだった。アダルトものを売る店はここだけではないが、同じコーナーに置く店を見たのはここが初めてである。一億総懺悔で自由だ自由だと云っている間に、日本を人品の卑しさを競う社会に変えてしまった。性風俗に対する自律性を回復せねばならぬ。
('99/03/25)

●一太郎8 vs. 9
一太郎の発売元から案内が来たので、その中の一つ花子との抱き合わせパックを買った。花子はver.2以来である。あまり使う当てはないが、持っていても損ではない程度の気持ちである。
一太郎8にはホームページの簡易作成ソフトが付いていた。それがたいそう、今でも、活躍してくれているので、まあ買って損はしなかったと思っている。今度の一太郎9からはこの作成ツールが消えてしまった。無くてもHTML関係のメニューはあちこちにあるから代用の手はなんぼでも工夫できるのであろうが、ホームページ作りのマニアでもないので新しい手を勉強するのは億劫である。結局一度は消した一太郎8を再度立ち上げて昔流でホームページを作っている。
改ページのアイコンが一太郎9に無くなった。これは私が愛用していた目印である。でもこれはツールボックスの登録を追加することで使えるようになった。少なくとも最初の標準登録ツールは以前と同じの方がよい。新規の、画面最下段に現れる文字のツールボックスはまだ使っていないが、役に立つのかしらね。E-mail用にShurikenと言う新しいソフトが付いてきた。一つ前のFullBandは確かに立ち上がりが遅いので改造が必要とは思っていたが、そのもう一つ前のJustMailとも違う新しいソフトにしたのは何故か。困るのはメールアドレスで、その内に方法が見つかるのかもしれないが、Shurikenに古いアドレス帳を移すのが難儀である。結局昔のFullBandで過ごしている。全部で200何十MBを費やして一太郎9を仕込んだが、どんなメリットが出てくるかまだ定かではない。
少し一太郎9にも慣れたかなという段階に入って追っかけるようにVoice一太郎9というソフトの案内をもらった。声で文字入力をし、声でパソコンを動かす夢のソフトだという。ただかなりパソコンに対する要求が高いので、どうするか迷ってしまう。CPU MMX-Pentium200以上、メモリ64MB以上となると私のパソコンでは改造が必要である。全部入れたら数万円になるだろう。今度のVoiceパックは一太郎9が条件のようだから、どうも一太郎8に比べての一番大きな長所はこのVoice型への移行の可能性にあるらしい。
一太郎はver.3頃からずっと付き合っている日本語ワープロソフトである。DOS時代にはたくさんあった日本語ワープロソフトは、Windows時代に入ってから次第に淘汰されて、いまは新参のWordとこの二つになったと言ってよいのだろう。ソフト市場はゲーム用を除けば金額では輸入100に対し輸出は1にもならないと言う。せめて日本語ぐらいは国産ソフトを愛用してアメリカの席巻を防ぐ砦にせねばと言う気持ちもある。最近は一太郎はWordに押されに押されているという。私に関しては実は逆で、たぶん慣れの問題だったと思うが、一時使いかけていたWordを今は放棄している。一太郎君には内心がんばってほしいのである。
('98/10/28)
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以降鵜飼俊男が興味を持った文

パソコン以外の部

●世紀末・若者を見る目
年末になった。世紀末でもある。そのためかいつもより長い目で見た将来展望が新聞に載る。良い傾向である。現役を離れたものにとって一番の関心事は将来を託する若者の動向である。毎日新聞からこれと目に付いた記事をひらって見た。
まず12/24の「記者の目」に載った「小学校の英語教育」反対論。ホームページのどこかで述べたように私も反対である。言葉は意思伝達の道具だ。ネイティブそっくりな発音や言い回しが出来るようになったからと言って中身のない人間では無視・軽視されるだけである。その中身は国語で構築される。「ゆとり」と称して学習内容を3割も減らす方針と聞く。その上英語を持ち込もうというのだから呆れた話である。自由社会とは創造性の競争場である。中身の詰まった人間を一人でも多く創る手段の画策を、この社会は待ち望んでいる。
次の日の「99年教育界は」という記事。教師にも学生にも信じがたい性に関する不祥事が続出した。社会から規範たるべく期待されている人々のあまりのふしだらに愕然となる。昔は金で性を買う実質は公娼と言えるシステムがあって、どうにも堪らぬ時は授業をさぼって先斗町に走ったという先輩豪傑の逸話を聞いたことがあった。今は赤線地帯はないが男女の関係は昔の人から見れば信じられぬほどに自由である。いくらでも性の処理法はあるだろう。社会から後指を指される行為は厳格に避けたのが昔のエリートであった。今の彼らには何が破廉恥なのかその境界線が自分自身にだけは甘すぎるのではないか。徳で導けなくなった今日では厳罰で見せしめにするのもやむを得ないと思う。
日曜日12/26の「時代の風」は「テレビ画面と化す教壇」という題の養老先生のお話だった。授業中私語が絶えず平然と教室に出入りする学生がいる、だが質問の一つも飛んでこない。私にも記憶のある風景である。私はこんな学生に毎回ではなくても注意を与えた。だが記事からはこの先生は至って傍観者風であるように見える。熱意を込めて教室のあるべき姿を学生に話しかけているのだろうか。当今学生気質の解析をしてみせるのは良いが、どんな風に指導してきたか、しようとしているかには何も触れていない。今先生方は迷いに迷っている。「時代の風」を委託されるほどの人は主張を掲げて欲しい。
今週の「争点論点」は警察再生というテーマでの対談であった。警察側は元大阪府警本部長の四方氏で新聞側は論説委員である。四方氏の主張は、不祥事の根本原因は倫理観の喪失にあり、それは社会全体の風潮で警察だけのことではない、対策は上層部を占めるキャリアの選別だというものであった。昭和40年代を境に、無道徳無原則無責任の風潮が強まった。戦後教育に一因があるという。
私はもはや既成の事実になった倫理観の欠如を第三者機関で監査する以外にモラルを保持する手はないように思う。これは警察に限らずあらゆる組織体に共通の方向である。恥とか人の目を大切にした過去の道徳社会から、人を見れば泥棒と思えと言う不道徳社会への転換を認識しようと云うのだから寂しい話だが、ある意味ではこれでやっと世界並になったと言える。今まで我々は立派すぎたのである。論説委員の立石氏が云う情報公開もその流れの中の一石である。警察再生は臨床的にはむしろ中高年層の問題だが、いずれ今の若者が背負う問題だからここに引用した。
('99/12/28)

●地球法廷:教育を問う
NHK地球法廷プロジェクト事務局から番組感想を求められた。送った拙文を以下に紹介する。
BS1「地球法廷:教育を問う 第1部 自由か規制か(1/8) 第2部 エリートか平等か(1/9)」をビデオ収録し繰り返し見た。なかなかの中身であった。以下はお誘いに応じて書いた感想文です。先に自己紹介しますが、小生は少し以前まで高専教授であった。ただし、教授歴より企業研究者歴の方がはるかに長かった。教えられる立場はとっくの昔に卒業したが、教える立場と教育成果を実社会に役立てる立場を経験したから、多少は現実的な判断を持てるのではないかと思って書きました。
関連番組だからと思いまず見たのが1/8教育テレビでの河合隼雄・吉本ばなな第1回対談である。その内容を河合先生が翌日の毎日新聞朝刊の随筆「三年寝姫」にきっちり紹介なさった。吉本さんの父が娘に向き合った姿勢と娘が受け止めた姿勢が、雨戸論争を中心に出てくる。父は娘が高校では居眠りばかりしていても気にも留めないようだったが、家庭では論争の連続である。そのなかに、河合先生が激賞するこだわりの論争として、「雨戸を夜閉めるか明けるか」という話が出てくる。埒の明かないテーマで延々と議論して何が得られるか。簡単に折れて早く寝るのも良し、明くる日新たな理論武装で立ち向かうも良しで、なるほどうまく車輪が回れば高級教育だと思った。自由にさせても放任しない姿勢がよく出ていた。
私もこの親御さんとは同じ世代である。応援団と空手、何とか云うボランティア活動など好き勝手に高校生活を送り、浪人してやっとこさ受かったたった一つの大学に喜々として通った私の息子は自由な家庭と思っていたか、放任家庭と思っていたか一度聞いてみたい。だが親の私は自由の家庭を意識していた。あの時代の親は、過去の短所である息の詰まる躾と干渉からは自由にさせたいと思いながらも、過去の長所はきっちり受け継いでいた。
「地球法廷」は様々なカメラアングルから、私にとって未知の教育現場の映像を届けてくれた。日本の現状に関してはまだしも見聞の機会があるが、外国に関しては全くない。テレビの威力を今更に認識した。「考える素材」としての投書の取り上げ方も公平だった。新聞雑誌などの活字記事だと、反対意見が併記されていても、見出し次第で一方偏重の主張押しつけになる。それに記者編集委員などのフィルターを何度か通っている。地球法廷のようなテレビ番組を見ていると、それが感覚的にストレートに判るのである。テレビがなかった頃に比べると、我々は活字に素朴単純に「扇動」されなくなったと感じている。
蛇足に付け加えると、テレビのニュース番組に登場する現地レポーターの「結語」は全部が全部ではないが大抵は嫌みである。世間知らずの「おぼっちゃま」「おじょうちゃま」が、狭い正義感から公器を使ってヒステリックに事件を論評していると感じるときがある。地球法廷の現場映像にはそんな論評はなかった。予めよく練られたせいもあろう、だが基本姿勢が根本にある。私たちはテレビから正確な情報が欲しいのであって、若造の解説などは無用なのである。
外国の動向は注意を引いた。戦後の奇跡の復興、先進国入りという成功で、日本の教育は、各国が明言するしないに関わらず、一つの世界標準に成りつつあると思った。我々は学力水準高い新社会人を送り出す効率高い制度を作り上げ運営している。新しい教育方向は「ゆとり」「個性」「自主性」であったか、賛成意見には肯ける内容もある。番組でもデンマークの例が示された。農業立国ならではだと思う。将来の極度の売り手市場化は目に見えており、技術進歩はなだらかで製品生命は長く途切れない。だが、1億の人口を養うのに技術立国以外を考えられない日本が、先進国であり続けたいなら、嫌でもこの世界標準を維持せざるを得ない。
今回の地球法廷では取り上げられなかった移民は実質はもう既に始まっている。一昨日12日に報道された国連経済人口局の発表では、日本は現状維持に年60万人の移民を受け入れる必要があると云う。映像に見たような中国韓国のハングリーな猛烈学習移民に「ゆとり」国民が自由競争で太刀打ちできるのか。「ゆとり」対策に現実に示されたプランは何か世間知らずの甘いお話に見える。移民があっても自由競争ではない、国民優先だというかも知れない。日本文化ベースの競争というハンディが外国人にあるし、「ゆとり」もゼロを意味するものではない。しかし、これも甘い認識である。
何かにつけ保守的な老人層がどう反応するか。昔なら子孫の立場の擁護に移民絶対反対だったろう。だが、忠で、孝で、優で、相和し、相信じあえと謳う教育勅語が作る、彼らが貧しくても孤独にならず支えて貰える世界ではなくなった。阪神大震災で仮設住宅の老人が引き取られてもすぐ元に戻る時代である。今は頼りの年金が危なくなるぐらいならと消極的賛成に回るだろう。「ゆとり」なんて云っていると危ないのである。
日本文化の移ろいを象徴するのが少年法だと思う。そんな視点は地球法廷の中では目立たなかったが、江沢民主席に限らず、歴史認識は大切である。ベネディクト夫人の「菊と刀」は対日戦遂行と占領政策のための日本文化研究著作集であるが、全くの異文化ぶりに当惑しどうしだったと述べている。そんな時代から洋魂洋才に近くなった今日までに、学生が2年後の後輩の考え方が理解できないと嘆くような激烈な変化を遂げた。少年法は1949年施行だから、法律の思想骨格が出来たのは闇市に戦災孤児がうろついていた戦後間もない時期である。非行少年は、家建物は燃えたり破壊されたりしてはいたが、思想的にはその頃類い希な道徳社会と言われた日本に生れ育った。訓戒保護観察の教育刑は効果に対する十分な背景があったと言える。しかしその道徳社会は年毎にタガが緩み、道徳が犯罪を抑制できる時代ではなくなった。宗教に抑止力のあったアメリカでも、今や少年でも大人なみの刑罰の時代に移り変わろうとしている。新しい抑止力を刑罰に依存するのは時代の流れである。蛇足であるが、類似の鈍い時代対応の一つに裁判官定員数がある。過去の道徳社会ではこの人数で十分対応できたのであろうが、今は欧米に似た思想の社会である。しかるに欧米の平均の数分の1程度の人数でしかなく、あらゆる弊害が目に立つ。私は地球法廷の次のテーマとして司法制度のあり方を取り上げて欲しいと思う。
私の高校時代は日本全体がまだハングリーだった。さすがに3年生になってからは大学入試の戦術的勉強に転換したが、2年生までは好奇心と知的興味の赴くままだった。まだパソコンどころかテレビもない時代で電波少年の専らの対象はラジオだった。初歩のラジオという雑誌に、トランジスターが発明された記事を見た記憶が残っている。そんな形のあるものの他に学問にも惹かれた。微分積分は10人ほどの特別学級で、後で知ったが、大学の教科書を使って勉強した。物理も特別学級だったかどうか定かではないが、今になって調べると吉田卯三郎著の旧制高校の教科書を参考書にしていた。
とにかく学問の先がどうなっているのかを知りたかった。だが、私がフランスのエリート教室の知能指数130以上の条件を満たしていると思ったら大間違いである。そこそこの頭だったろうが、大学に進み社会に出て私は私を上回る頭を幾つも見た。古いが「好きこそものの上手なれ」が基本であった。国は敗れたのだから国の遅れを取り返すために、少しでも早く先端に出なければと云う気持ちも強かった。帰属集団への忠誠心も動機として大切である。取り敢えず偏差値に応じて無理のないところに入ったが、さて目標もないし何をしたらよいのか判らない。こんな現代の生徒や学生の悩みは正直私の理解の外にある。教室では生気のない目で虚ろに聞いている、質問もない。そのくせ私語が多い。親には反発するくせに親の暖かな懐から、幾つになっても時には中年になっても独立しようとしない。親はペットを飼うように自身の寂しさを紛らわす道具にしようとする。彼らに対する良薬は世界的視野からの未来に対する現実的警告である。
人は幼い時代ほど動物に近い。親ですら子供の吠え叫び見境無く振るう暴力に怯えざるを得ない場合がある。親なら1対1だが、学校は先生1人に40人50人と生徒がいるのだから、放任家庭の子弟が多いと収拾がつかない学級破壊は当然出てくる。1人いると同じ心情でも普通なら収まっている子供まで群がって行動するからたまらない。個性を伸ばすのと放任するのとは全く異なるが、家庭の躾から見れば紙一重の差でもある。決してゼロにはならないし、その子の周辺の抑止力もこれから今以上に強くなるあてはない。
学級あたりの学童数を目が届き世話が焼ける範囲までに減らす以外に手はあるまい。欧米の試行錯誤は、経験的に、それが25人という数字であることを示す。それから体格が先生を越え始める年代からは半義務教育化することである。学級を壊し周囲の学童に脅威を与え自身は教育に意義を認めぬ生徒には、彼らが価値を認める世間という広義の教室に転換させるようにするのである。教員には体格優れた男子を多く採用すべきである。女子でも柔道ぐらいはやった人が良い。昔は男は剣道柔道、女は長刀が必修だった。それに戻ることである。出てこなかったが、霊長類研究所の先生なら学級のボスの条件を的確に指摘してくれよう。教室は修羅場である。体力に劣るひ弱な言葉だけの平和主義者では、弱年者の教室の運営は務まらない。
最後に番組時間について。90分/部は少々長い。私らの年層はこれでも良いが、堪え性の劣る現代の若年層は半分ぐらいでチャンネルを回したのではないかと危惧する。学生に生の講義を受け持ったことのある人ならお分かり頂けると思う。
(2000/01/14)
●永平寺
風の盆見物の帰り道で永平寺を訪ねる。二度目である。寺院に来て宗教の雰囲気を感じるのは久しぶり。修業僧が案内に立つ。案内も修業の一つという。帽子を取れと注意を受けるもの数名。和室で仏のいる部屋が続くのに帽子を被ったままでいるやつが結構居たのである。この手の連中は他人の家を訪問しても帽子を取らぬのだろうか。
修業僧の数200人、外人も僧服で修業している。僧堂には僧たちが集まり、読経の最中であった。山門は最も古いと云っても250年前の建立である。座主と言うのか法主というのか管長なのか知らないが曹洞宗大本山を治める御一人以外は、修業に入る前と出るときの二回しかこの山門をくぐることは出来ないと云う。門から出るなと注意されているのに、記念写真ならよかろうとでも思ったのか、ちょろちょろ門を出るのが居て、ふたたび案内僧が注意する。二度同じ言葉を聞くのは不愉快であった。
雪かきの写真があり、瓦の痛みが激しいので寄付を募ると出ていた。応分の寄付を行う。丁寧に合唱されたので幾分どぎまぎしながら礼を返す。そういえば近頃は会釈程度の礼しかしたことがない。お返しに2-3の印刷物を渡された。その中に教典集があった。般若心経は四国八十八ヶ所を巡礼したときにあちこちで参拝客が唱えるのを聞いたが、この教典集にも入っていた。色即是空・空即是色の有名な言葉の入ったお経である。真言宗にも曹洞宗にも共通のお経と云うことはその他の宗派でも広く唱えられる教典なのか。
長いバス旅行であった。あなた任せの旅もいいものである。正味8時間ぐらいは走っていた。文字通り姦しい一団が居てうんざりしたが、その一団も自身を自覚していたようで、別れ際に迷惑を掛けたと一人一人に挨拶をして帰っていった。不思議なもので、挨拶されると気持ちも和らいで許してしまう。ごめんなさいが云えぬ人が増えている。寸足らずの言葉でやり過ごす失語族も増えているそうだ。うっかり謝るとそれを言質に賠償させられるケースもあるが、相手の立場に配慮した多めの発言は、大抵はリップサービスと判っていても、穏やかな雰囲気を保つのに有効である。
('98/09/16)

●敗戦記念日
私は53年前の8月15日を集団疎開先の京都府の北端に近いお寺で迎えた。国民学校6年生(鵜飼俊男の感想 多分昭和8年生まれ。)であった。だんだんその頃の記憶が風化して行くので、もう書いた部分もあるが、まとめて書き留めておく気持ちになった。
天皇の敗戦を告げるラジオ放送はお寺で聞かされたと思う。だが、雑音と難しい言葉の羅列でさっぱり意味が取れなかったようだ。真意は周囲の大人からすぐに伝わった。死ななくて済むと思った。幼年学校も少年飛行兵も特攻隊もすうっと遠のいたのが判った。爆弾三銃士に志願しなくても良くなった、玉砕もなくなった、本土決戦も行われないのだろう。舞鶴軍港爆撃帰りの敵艦載機のハンティングに狙われることもなくなるだろう。命を失うとはどういう意味かと真剣に何度も子供なりに考えた時代だった。
それから集団疎開児童の引き揚げが始まる。村の大人たちが送別会を開いてくれたのを思い出す。何十年かしたらきっと一度帰っておいでと云った村人がいた。私たちは戦後ではなくなった中年になってから同窓会を一度だけその村で開くことになる。夏休みに入っていたからだろう、国民学校地元生徒たちとのお別れ会はなかった。クラス単位の会もなかった。私たちは家に帰れるというので有頂天になっていたから、村の学友との別れを深くは気にとめていなかったと思う。
敗戦までに集団脱走と言って、お寺の疎開児童が集団を作って我が家を目指して脱走する事件が時折起こっていた。3(4?)年生から6年生が寺で合宿しているのだが、いかに厳しく軍国思想で陛下のために死ぬ赤子(せきし)となれと洗脳されていても、ことに低学年生は親が恋しいのは当たり前である。私の寺からは脱走は起こらなかったが、小さい子が夜に忍び泣くのを時折耳にしていた。同じ学校から来て別の寺に疎開した連中はやってのけた。同年輩の親類の子もやったそうだから、記事にはされなかったが、集団脱走が頻発していたことは間違いない。
ひもじい時代だったから食い物の記憶は割と残っている。漁村でもあったから、魚が食えたのは良かった。一度浜に小形の鯨が漂着したときはその珍味にありつけた。村の人たちは食料の分配について鷹揚だった。京都市内では昼弁当を持ってこれない生徒がたくさんいたのに疎開先ではその覚えがない。それでも飢えているから、手に入るものは何でも食った。藤の実にはえらい目にあった。寺の大きな藤の木に実が生ったので、村人に教えられてそれを炒って食ったのである。少しで止めれば良かったのに大量に食ったものだから全員腹を下し大騒ぎであった。川の土手に食糧増産のために学校が大豆を植えたときは村人は嫌がった。堤防決壊に繋がるからと云った。
椿の花には蜜があった。朝露が溶かし出した密を蜂やアブの昆虫より早く行って吸ってしまうのである。養蚕の盛んな地方だった。桑の実が果物代わりになった時期があった。蜂や蚕のさなぎはうまいからと村の子は云うのだが、ひもじくてもこれには手が出なかった。
親の訪問日があって交替で親がやってくると、必ず何かのおこぼれが貰えた。土産は全員に公平分配と云うことになっていたらしい。しかし我が子にはこっそりと特別の土産を母親は必ずと言って良いほど用意し手渡していた。私には期待に反し何もなかった。父が来たのである。後で聞くと母はその日のためにずいぶん用意したらしいが、父は私個人には何も渡さなかったのである。
村の生徒たちの村意識は相当なものだった。よそ者という意識で見られていたと思う。我々は「とかいのけら」と総称された。都会の子供らという意味である。学校の成績は少なくとも私のクラスでは、個人疎開できた連中も含めてその「とかいのけら」が上の方を独占していた。先生のおぼえは良かった。クラスの中でいじめられる事はなかったが、学校には高等部があり、その連中にはそこそこにやられた。でも特別我々「とかいのけら」だけがつつかれていたようではなかった。軍国時代の上下は厳しかったのである。半年弱の集団疎開だったが、最後まで村に友達は出来なかった。無理に友を作らなくても疎開児童だけで一つのグループが出来ているから、それほど必要としなかったからかも知れない。お家を訪ねた記憶もない。一度、私の担任でない若い女先生が、下宿に呼んで部屋まで上げてくれたのが唯一の訪問記憶である。
疎開の女児にはいろいろ教わった。お遊戯である。羅漢さん、おじゃみ、綾取り、縄跳び。歌もあった。未だに意味が分からぬ歌に、「ドーレドンガラガッチャホーイツラッパノツーイツイ・・・・」というのがある。確か5年生ぐらいから男女を別クラスにするほど区別の激しい時代だったから、そのころ女児と遊んだ経験は貴重といえるものだったろう。後の私の人生に決してマイナスには作用していないように思う。
敗戦の日、軍港を目指して軍艦2隻が沖を通るのが見えた。爆撃避難で入り江に入っていた船はそのままだった。あのころ陸軍の小部隊が学校の講堂に寝泊まりしていたが、演習のためだったのか、兵舎を焼失したためだったか。
('98/08/22)



学級崩壊
教育現場がどんどん私たちの常識の外に出ていく。この間まで教官だったのにどうしてといつも思う。NHKの学級崩壊のレポートを見て将来を考えた。
堺市のある小学校の映像である。4年生。授業中に次から次ぎに手洗いに生徒が立って行く。待っていては授業はちょっとも進まない。だが待たざるを得ない。先生の声が通らないほどの雑談。漫画を読んでいる。教科書の開くページを指定しても誰もと言って良いほどページを繰ろうとはしない。給食時間。食物を机の前に投げ捨てる少年が入る。先生が注意すれば余計にやる。キレたと言うのか発作というのか。
次は1年生。ともかくてんでばらばら。遊園地のようである。先生の方を向いている子なんかごく少数派。理由もないのに弱いものに暴力を突然振るう。お勉強中にである。一人の先生ではどうにもならず補助のボランティア先生が付く。何とか授業は始まるが、補助の先生は手洗いに行く子、泣く子たちの保育担当である。最後は抱っこする。それを羨ましがる正常な生徒までが抱っこして貰える条件造りを始める。これが学級崩壊例だそうだ。
珍しくもないのだという。12学級に1学級はこんな事件を抱えているという。先生は学校に出たくない症状群に陥り長期休養になる。我々の小学校時代と比べてなんという変わり様だろう。我々の頃はクラスの生徒数はもっと多かったのに先生の指導を無視する生徒など見たことがなかった。
だが、私が教官を辞める頃も学生の集中力のなさは常に問題だった。幼さと無邪気さを差し引けば学級崩壊に近い線は高等教育にも顔を出していた。授業中の雑談、漫画、居眠り、ゲームなど一々目くじら立てていたら、ちょっとも授業は進まなかった。実は私も高等教育時代はそう模範的ではなかった。試験を突破すればいいじゃないか主義で過ごした。だからあまり学生に授業態度を要求しなかった。試験結果を要求した。かなり厳しくやった。制度上も単位不足が重なると退学が待っていた。
元に戻って先ず1年生。厳しさが少しもない。保育園又は幼稚園と小学校の差をちょっとも飲み込ませていない。先生が授業中に生徒を実際におんぶし抱っこするなんて信じられぬ光景だ。女先生ばかりでは絶対にいかん。女先生が母親の甘さ一杯に学級を運営している。小学校と保育園が違うんだと理解させるには1年生には全員男先生でなければならん。男先生もいい加減甘いから、それぐらいで丁度ではないか。職員室であるいは学級でめそめそするなんて教師の資格がない。
次ぎに4年生。映像は男先生だった。なぜ男を見せないの。口だけにせずもっと相手に通じる表現をしたら。胸倉つかんでも良い。バンとそいつの机をたたいても良い。腕を引っ張っても良い。一番いいのは真剣にそいつをひっぱ叩くことである。真剣な怒りは相手に通じる。親に全てを負んぶしながら大人を舐めきったような態度は今改めないと大変なマイナスになる。('98/06/25)

●橋本内閣退陣に思う


参議院選挙で敗退したので橋本内閣が退陣するという。敗退と言っても、自民党の得票率は最大だったし、単独過半数でなかったのは選挙前と同じだから、そんな必要はないようにも見える。誰に変わってもやっぱり自民主流の内閣で、今の自民幹部を見ると、そこから、舐めきった外国が急に襟を正して日本を見直す内閣が出来るなどとは思えない。より悪くなると云う危惧さえ抱く。
橋本内閣の失敗は経済の読み違えにあった。しかしそれも万国共通である。いったい世界の政権の中で今日のアジア危機日本の不景気を予測して警告した人がおったのか。人間誰しもかも知れないが、皆過去の経済周期の経験で、今に上げ潮になると信じ切っていたのではないか。
人民元切り下げ('94年価値は2/3へ)当時円高基調であり、次の年に瞬間風速で80円を切る時期があった。だからアジア各国通貨が相対的に高くなって危機を迎える最初のきっかけは人民元の切り下げなのである。円安が騒がれ出してアジアとの相乗効果が心配され出したのは最近である。だから、今になって日本の経済再起に関する、アメリカと口裏を合わた中国の大国的指導発言は、片腹痛しである。
日本の今の政治環境ではたとえ橋本さんに先見の明があり将来予測に対して手を打とうとしても、周りが許すかきわめて疑問である。防衛庁長官が沖縄県政に衆愚政治呼ばわりしたので問題になったが、金融システム改革に関してもその通りであったろう。住専に税金をつぎ込むだけで、どれほどの「正論」が新聞他のマスコミで幅を利かせたことだろう。経済は刻々進む。待ったなしの化け物である。議論を尽くして、それも衆愚相手の議論なのだが、議論がまとまった頃はもう回復不能の重傷に陥っているのではないか。議会の議員さんは大した専門家ではない。1銭2銭の使い方それも利益誘導に血道を上げる人たちが多い議論で回復の好機をどんどん逃がして行くようで腹立たしい。議会は大まかな方向付け以外は行政に口を出さず、優秀な官僚に手腕を発揮させるべきである。専門知識も薄い議員が大臣をやるなどはもう止さねばならぬ。
次の総裁が誰であれ、持てる手腕を十分に発揮できる体制をその人に与えたいものだ。天下国家より大事な別物を抱えている小粒議員の意向に左右されないで、真の専門家を大臣に据え、せめて記者会見ぐらいは大臣一人で乗りこなせるようにして欲しい。リーダーシップが発揮できる人がいないというなら、国家のシステムとして可能になるように作り替えたい。首相公選制と行政の独立である。
どの國でも首相は大抵はその國の超一流大学出身である。橋本さん、小渕さん、梶山さん、小泉さんはそういえる人たちだろうか。記者会見の答弁ぐらいにしか素顔が見えないが、どうもそんな実力を思わせてはくれない。これは選別の機能が十分に有効かどうかに対する端的な疑問である。そうでなければ我が国の政治は悲劇的システムの下にあることとなる。
私は低位安定論者である。経済レベルは欧米よりは一歩手前でよいではないか。私の現役最後の時代は世界一の経済大国であったが、それ相当の実力もあった。今はそんな実力は消えて、また欧米に水を空けられているように見える。再び彼らに互して競争できるまで今の現役世代は努力し苦しんで欲しい。昔の惰性でいつまでもアジアそれから世界の牽引車ぶるのは止めて、実力相応に地道に健全財政体制で臨め。実力を無くしているのに一流ぶってアメリカさんの要求する大盤振る舞いなど、昔のままの経済を夢見ると、諸外国は喜ぶが、我々は破産する。現在の経済が正常状態である。
('98/07/23)
●プライド・運命の瞬間


第二次大戦の日本側の戦争犯罪を裁く目的で開かれた東京裁判を、真っ正面に見据えた映画が公開された。東条英機が絞首刑になって今年が丁度半世紀というから良い企画である。見に行きたいと思いながら行けず、行けるようになったら終わっていた。だが、この映画に対する中国の反響を聞いて、逆に中国を考え直す機会を与えてくれた。
中国の反応として伝えられた話は駐日大使のアナウンスその他の公人のものである。日本人は正しい歴史認識が必要だ。東条の見解など伝える映画を製作公開すべきでない。まあこんなつもりで云っている。裁判の判決文がいわゆる正史で、敗者の歯ぎしりなど取り上げるのは、百害あって一利なしと言っているように思う。映画は連合国側と東条の激しいやりとりに、当時の身動きならぬ日本を浮かび上がらせたというから一方的な東条思想の宣伝映画ではないし、第一そんな映画なら誰も見に来ない。中国の公人たちの言い方は、ただただ連合国側の判断を恐れ入って聞けと云う「ご指導」のたぐいで、民主制が根付いていない国家とあらためて認識する。
次から次へ中国人の大量密入国が発覚する。密入国組織で船底に隠れてやってくるもの、偽装結婚、残留孤児子弟偽装者など。尖閣列島には中国人が領有権を主張して上陸を繰り返す。東シナ海での資源保護を無視した異常な乱獲と日本漁船韓国漁船の排除。近頃急に多くなった外国人の犯罪に占める中国人の割合は大きい。戦前からの中華街と中国人に抱いていた親しい印象が、警戒すべき覇権国国民としての印象に変わりつつある。映画への「ご指導」よりもこんな犯罪や紛争の種まきへの「ご指導」を公人たちによろしくお願いしたい。
この「ご指導」問題には毎日新聞の社説(6/24)にちょっとだけ触れていた。多様な意見が自由に話せる日本の社会を、しっかり理解して欲しいと云った柔らかな不快感の表現であった。映画の内容に踏み込んだのが京大学生新聞(6/20)であった。東京裁判の判決が勝者の敗者に対する一方的な処罰で、公正とは言い難いと一刀両断にしているのではないが、破れた日本側の再評価が無価値ではないことを云っている。勝者側にこの機運が生まれる頃に真の友好の道が開けると思う。中国公人の発言はその道のりがまだまだ遠いことを自覚させた。
('98/06/25)
京都1200年


もう20年も前に岩波書店からデビッド・マコーレイの土木建築史絵本シリーズの訳本が出版され評判になった。「都市−ローマ人はどのように都市をつくったか−」「ピラミッド−巨大な王墓建設の謎を解く−」「カテドラル−最も美しい大聖堂のできあがるまで−」「キャスル−古城の秘められた歴史をさぐる−」が私の書棚に残っている。小学高学年から中学あたりが対象であったが、大人が見ても楽しい絵本であった。その時代の最高の土木建築技術を詳細に分かり易く絵解きしてくれる本であった。
我が国にも壮大な都市計画、寺社建築、城郭造成がある。その技術史絵本は草思社からぼつぼつと出版されている。岩波の出版が始まってしばらくしてから草思社のシリーズ本が始まった。「江戸の町(上)−巨大都市の誕生−」「江戸の町(下)−巨大都市の発展−」「法隆寺−世界最古の木造建築−」「大坂城−天下一の名城−」。私が今までに購入したのはこの4冊である。江戸の町(上)(下)は碁盤の目型でもなく、西欧の放射線型でもない日本独特の都市計画として認識を新たにさせられた。
表題の本は上下2冊よりなり、それぞれに「平安京から町衆の都市へ」「世界の歴史都市へ」という副題が付いている。著者の2人の内の西川幸治氏は岩波の「都市」の訳者でもある。京大工学部建築学科時代からの著名人で、京都という都市を語るには最適の先生である。マコーレイの本はイラストまで自分で画いているが、草思社の本では穂積和夫と言う方がシリーズを通して画いている。この人も建築畑の人で適任である。
近年は立派な博物館が方々に建設され、その中に建造物や都市景観を示す大きな模型が並んでいる。例えば国立歴史民族博物館には、思いつくままに列挙すると、羅生門から貴族の生活、中世の町並みと人々、念仏踊りやら桂女、それから社寺建築のいくつかと京都とその近郊の歴史を目で確かめられるようにいろいろ工夫されている。最近NHK-TVで知った話だが、当時の屏風絵図例えば洛中洛外図を立体的に示すCG技術が出来たそうで、屏風で見るより遙かに現実味のある姿に製作当時を見ることが出来るようになった。然し場面の数では本にかなわない。本のイラストは上下合わせて100枚を越えるであろう。歴史が目に見える理解しやすい姿に変わって行く。歴史も多分その他の学問もDOS型からWindows型に変わろうとしている。
小さいときから千本丸太町の交差点を少し入ったところに大極殿跡の石碑があることを知っていた。羅生門跡の石碑は黒沢明の映画の後で知った。平安京の痕跡はどれも地下に眠っていて地上では見えない。ただ一つ東寺だけは、たびたび戦火を潜りながらそのたびごとに修復再建され建設当時の姿を伝えている。朝廷の庇護、官の庇護、権力者の庇護など幸運に恵まれたとも言えるだろうが、とにかくよくぞ生き残って法隆寺、正倉院に匹敵する平安の形見を伝えたものである。幸運もあったが、終局は先祖の厚い信仰の賜である。京都の歴史もそれ以前の歴史も信仰抜きには語れないことを再認識させられた。
京都千二百年と言っても権威と権力が一体であった本当の都は、せいぜい最初の400年だけである。あと700年は権力が権威を脅かす受難の時代だった。権力が関東に移り、経済の中心は大阪になり、かろうじて朝廷に代表される権威だけが残っていた。しかしそれでも都だったのである。世界に例のない歴史展開である。今世界は共存に悩んでいる。共存よりも差別浄化覇権に繋がる民族主義的行動が受け入れられ血を流し合う。京都千二百年が一つの共存共生の見本にはならないのかと折に触れ思う。
('99/04/13)
●Windows World Expo/Tokyo99


全般に外資系の元気が目立つ。大きくブース面積を取っている。従来型の展示品が多かったが、前回見た'97年には出ていなかったハードやソフトも結構あった。
CTIとか云う技術。Computer Telephony Integrationの省略だそうだ。UNISISとNECの説明会を聞く。後者の話は分かりよかった。NTTが始めたナンバーディスプレイサービスをうまく使っている。電話が掛かるとその番号の過去の記録が同時に検索され、直ちに本題に入れる準備が出来るようにしたもの。担当者不在でもその人にデータごと直送できるし、たとえパートタイマーやアルバイトでもデータ付きだからちょっとは進んだ会話になろうというシステムである。ナンバーディスプレイ方式は進んだやり方だろうが、例えば旅行会社に電話すると、こっちの電話番号を云えばすぐ用件に入れる仕組みもこのCTIなんだろう。
旅行づいているせいか旅関係のお道具にはどうしても目が移る。エプソンのLocatio(ロカチオ)という道具。カーナビと同じGPS衛星利用の位置決定機構を持ったハンディな装置で、携帯かPHSの機能によりネットワークを使って電子メールから地図のダウンロードサービスまである、おまけにデジカメでもあるというとんでもない品物である。山行きに連れていったら、中高年に流行の遭難など無くなってしまいそうである。
東京23区、名古屋市、大阪市だけのProAtlas2000というCD-ROMを1000円で買った。このExpoだけの特売品のようだ。今持っている道路地図の補助に十分役だちそうだ。MapFanIVというソフトもあった。CD-ROM5枚組で12800円を同じ会場の安売り屋が9千円弱ぐらいで売っていた。駅すぱあとはヴァル研究所だが、同様主旨のソフトをJTBが出したようだった。
前々回のExpoでは日立のMPEGカメラにひどく惹かれたが、今回それがMPEG-4動画カメラになって復活した。ただし日立ではなく、東芝とシャープである。東芝のはLibrettoff1100といい、インターネットに繋いであれもこれもやろうという複合型。シャープのは単能型カメラで、私のデジカメ同様スマートメディアに記録させるしくみである。MPEG-4形式では圧縮度が高いのか取捨選択がうまいのか、同じメモリー量でMPEGの10倍からの情報が取れる。だからインターネットでやりとりするにはもってこいである。私の今のホームページにある動画は11秒でメモリーを800KB弱を食っている。ダウンロードに時間が掛かるし、サーバーのホームページ用メモリー10MB中の800は痛い。
その他目に付いた道具はCD-R/RWなる装置。-Rは一回きり、-RWは何回でも繰り返し記録できる。フロッピーは出始めから-RWだったが、CDは原理的に困難だったように思う。進歩したものである。ソフトの実演はいろいろやっていた。昔と違ったのはゲームソフトの展示が増えたことである。フォルクスワーゲンが、発売予定という新しいカブト虫型自動車の本物の前で、走行のシミュレーションソフトの実演をやっていたが、どんな意図で出しているのかよく理解できなかった。
('99/07/04)
原発とシャープペンシル


筆箱に古びたシャープペンシルがある。直径0.5mmの芯が出るダブルノックタイプで、購入してからもう20数年は経つ。太芯しかなかったシャープペンシルに革命をもたらした国産品である。1000円程度だったと記憶する。その後芯は更に細くなり0.2mmが出回っている。もう錆びて商標も判別できなくなったが、このシャープペンシルが未だに購入当時と同じように機能するのである。私の日本の技術に対する信頼感の源泉の一つである。ちょっと技術内容がかけ離れているが、私の原発への第一感としての信頼もその延長にある。だが、信頼は信仰とは違う。個々に技術検証が必要なことは云うまでもない。東電の見学会に参加したのはそんな意味もあった。
広野火力発電所でガイドに聞いた。中央制御室で質問はないかと問うたからである。「「東電全体の負荷変動は前日に予想が出され各発電所に計画が回ってくる。それに基づいて各瞬間の発電量を制御している。」という説明だったが、負荷は予定通り行かないだろうし、まして刻々の変化はat randomでしょう。発電機に敏捷な負荷追従性能があるとは思えないがどんな風に対処するのでしょう。」ガイドさんは「わからんので」と言って制御室のエンジニアと相談しているようだった。要は「入り枡」発電をしていると言うことだったが、予想よりプラスの場合とマイナスの場合に分けて明晰に説明した。私は「わからん」を「わからん」と云った態度と、相談後の要を得た説明に大いに感心した。
エネルギー館のシアターでロボットの演技を見た。「何故が大事」とアインシュタインが強調した。良い台詞を聞かせてくれると思った。1F中央に樹木の模型がありその幹に立体テレビが付いている。早速何故を感じて問うた。「あれはホログラフィーか」、ついでに「あの木は何の木のつもりか」。答えは?だった。
福島第2発電所に行く。運転要員の大卒割合を聞いたときガイドさんが大卒であると知った。原発はベース供給力で恒量発電である。前日を思い出して「安全性から云っても設備投資から云っても恒量発電は当然と思うが、やろうと思えば原発自身の負荷追従は結構早いのではありませんか。」この質問には来客の中から返事が来た。「やれないんだよ」、問い返すと「ジルカロイ被覆管を傷つけてしまう(?)」。この答えをくれた方は現役時代に電線関係の会社から原発に出入りしていた人だった。私は「やれないのでは無くやらないのだ」と云ったが、肝心の問題へのお答は頂けなかった。
昼食時にたまたま添乗してくれた千葉営業所の方々と席が一緒だった。経済性の話になったので「広野火力は東京までの送電ロスを考えたら立地条件として良いとは思えない。東京湾内が不可能でも千葉外房や茨城に建設できる場所があったのではないか。」と聞いてみた。岩盤、湾港など話題になったがも一つ理解できなかった。ちょっと混乱して送電ロスの高圧線の割合は意外と小さいのかなとも思ったがはっきりしなかった。出来上がってしまったらマクロの問題は忘れ去られるものではある。
翌朝掛かり付けのお医者にちょっと質問してみた。「原発を見学に行ったら「携帯電話禁止、但しPHSはOK」と書いてあった。病院には確かに携帯禁止と書いてあるがPHSには触れてない。本当はPHSはOKなんでしょう。」お返事は要を得なかった。来週別のお医者と会うから同じ質問をしてみよう。(後日東電営業所の方から原発のPHSは特製の、市販品よりなお微弱な電波でよい電話ですと連絡を頂いた。)私はPHS派である。だからそのメリットを集めている。今度の小旅行でも感じたが、あまり人が知らないメリットを一つだけ披瀝しておこう。それは旅行日数に強いことである。消費電力が携帯の1/3強だから、バッテリーが上がるなんて心配を旅行中にしなくてもよいと言うことである。バッテリーはだんだんへたって来るが、買いたてならまあ20日ぐらいの長期出張に耐えられる。携帯では1週間でアップアップだ。
東電見学会の目的は原発の必要性と安全性の理解だが、それだけに凝り固まられると面白くない。とっくに第2段階に達している人間もいる。アンケートに私は「怖いのは情報開示のない中国原発」と書いた。あちらも山のように問題を続発しているはずだがいつも中国はハオハオ、それより歴史認識と澄ましている。東電さん、風穴を開けて下さい。
('99/08/25)



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