
ブラザー・サン・シスター・ムーン










ウイキペディアより
『ブラザー・サン シスター・ムーン』(Brother Sun Sister Moon 伊語:Fratello sole, sorella luna)は1972年のイタ
リア・イギリスの合作映画。
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/FratelloSoleSorellaLuna.htm
1182年にイタリアのアッシジに生まれたフランチェスコは”もう一人のキリスト”と称されるほどキリストの教えを生涯
忠実に守り続けた人で、28歳の時、ローマ教皇に許されて11人の有志とともにフランチェスコ修道会を設立、南ヨーロッ
パやアフリカでも伝道したと伝えられています。晩年は盲目となり、1226年40代半ばで他界したということです。
その若きフランチェスコの青春を「ロミオとジュリエット」(’68年)のフランコ・ゼフレッリが描いた本作は、イタリ
アの美しい自然を背景に稀に見る人間賛歌を謳い上げています。
13世紀のイタリア、アッシジの裕福な織物商人の息子フランチェスコ(グラハム・フォークナー)は、十字軍の遠征か
ら傷つき半死半生で帰国した。
父が出征するフランチェスコに誇らしく賛辞を贈っている。母も頼もしい息子に
「美しいわね戦争って、素晴らしき騎士たち!」 と称える。
アッシジの司教は 「行け!アッシジの子よ、神とともに!」 と見送った。
そうして若者たちは十字軍に参加していったのだった。だが、フランチェスコは命からがら傷ついて帰ってきた。果たし
てあの戦いは何であったのか・・・。
goo映画
一二○○年イタリア中世の都市アシシを舞台に、フランチェスコ会の創立者、聖フランチェスコの生い立ちから一二○九
〜十年、ローマでインノケンティウス三世に認められるまでの半生を描く。原題は、彼が神の創生物を讃美するときよく
使った言葉である。
イタリアのアシシに住む商人ピエトロ(L・モンタギュー)とピカ(V・コルテゼ)の間の一人息子として生まれたフランチェ
スコ(G・フォークナー)は陽気でいたずらだった。彼には四人の遊び仲間がいた。見習い修道士で勉学と宗教に打ち込むシ
ルベストロ(M・フィースト)、セックスヘの興味一辺倒のジオコンド(N・ウイラット)、理想に燃える騎士、ベルナルド(L
・ロウソン)、法学生のパオロ(K・クランハム)だった。十八歳のとき、アシシとペルジアの間に戦争が起こり、四人の仲
間と、グィード司教(J・シォープ)の祝福をうけて戦場におもむいた。だが、凄惨な戦いに敗れ、熱病におかされて帰って
くると何週間もベッドに横たわり、生死の間をさまよった。ある朝、窓辺の小鳥の声に眼を覚ました。無心に手をさしの
べながら近づき、屋根の上にでた彼は、小鳥のあとについて手をはばたかせた。まるで大空へ飛びたつかのようだった。
その向うには、野や山が開けていた。フランチェスコに自分でも気づかないほどの大きな変化が起きていた。ある日、果
樹園で休んでいた彼に、美しい娘クレア(J・ボウカー)が近づいてきた。「あなたは気が変という噂よ。小鳥のように歌い
、蝶を追い花を見ているから。でも私には、狂っていたのは戦争にいく前だと思えるわ」。彼は自然の中で生きものの素
晴らしさを悟った。次第に彼の眼は自分の周りの人間を見つめだした。働く者、老いた者、病いに苦しむ者教会の中には
富める人々が、外には貧しいながら懸命に祈る人人がいた。あまりにも大きなへだたり、神はこれを許すのだろうか。彼
は「NO!」と叫ばずにはいられなかった。家に帰ったフランチェスコは店にある高価な布を窓から投げだした。激怒した父
親は彼をひきずり、領事(A・チェリ)の裁きをこうたが、何もならず、フランチェスコは着ている服を脱ぎ、両親に返した
。「もうあなたの息子ではない。
人間に大切なのは富ではなく心です。これからはキリストのように乞食になります」。
裸になり城門をでた彼は、太陽に向って両腕を広げながら野に向った。雪が降り、真っ白におおわれた野に一人、フラン
チェスコはサン・ダミアノ教会建設をめざしていた。十字軍の英雄として帰ってきたベルナルドは、その勇気ある姿に強
く打たれ、彼に協力を申しでた。また昔の親友たちも次々と加わっていった。髪を切ったクレアも参加し、貧しいが素朴
な人々が集まるようになった。だが司教の陰謀によってサン・ダミアノ教会は焼かれ、仲間の一人が殺されるに及んで、
フランチェスコは自ら問うのだった。私のしたことが間違いだったのか?。彼は仲間たちとローマ法廷に請願にいくことに
した。やっとのことでローマ法王(A・ギネス)に謁見が許され、キリスト教の腐敗を説いた。法王はいたく心を動かされ、
彼に膝まづいた。貧しい人々から聖人と呼ばれたフランチェスコは故郷に帰った。彼にはやはりここが一番よかった。鳥
が歌い、小川がささやいていた。彼は兄なる太陽や姉なる月のように安らかで鳥やけだもののように幸せだった。
http://plaza.rakuten.co.jp/ekatocato/4005
フランチェスコはイタリアで最も人気のある聖人の一人で、「第二のキリスト」とまで言われる聖人です。ゼフィレッリ
はこの映画を清貧の聖者フランチェスコの伝記ドラマである以上に、真摯な青春映画として映像化し、宗教的な深遠さを
もった、純粋で心に染み入るような深みのある映画にしあげています。自然を愛し、鳥や動物に親しみ、その無限の優し
さに生きる事の意味を見出す。その思想が単なるメッセージとしてではなく、人間の優しさ、自然の優しさとして画面に
純粋な実を結んでいます。心が洗われるような映画というのは滅多にない現代にも通ずる平和的な本当にナチュラルで、
もっとシンプルな、清く貧しく美しい日常的な生活に根ざした愛の思想を謳い上げていると思います。私には映像美もさ
ることながら、精神性の高さにおいても、最良質の作品でありました。私にはある意味”バイブル”のような映画であり
ました。こういう映画と出会うために自分は生きている。そう思わせてくれた稀有な映画でした。
13世紀初頭のイタリアでは、人々と教会の間には、大きな隔たりがありました。聖書を読み解く学問だけが発達し、一般
の市民には難しく成りすぎたのです。そんな時代に登場し、急速に広まったのがフランチェスコ率いる托鉢修道会でした
。イエスとその使徒にならって清貧主義に徹し、修道院・修道士の財産所有を禁じ、一所に定住せず、労働と喜捨のみに
よる生活を主張した。フランチェスコが唱える、清貧、純潔、服従の教えは判りやすく、多くの人に受け入れられたので
す。小鳥にも神の愛を説いたと伝えられ、様々な伝説が生まれた。フランテェスコの没後、 アッシジには聖フランチェス
コ大聖堂が建立され、13世紀末に大画家ジオットが、 その壁に聖人の生涯をテーマに28点のフレスコ画を描いている。
聖フランチェスコの映画といえば、この「ブラザー・サン シスター・ムーン」以外にロベルト・ロッセリーニの「神
の道化師、フランチェスコ」、リリアーナ・カヴァーニの「フランチェスコ」が有名ですが、当時の時代背景の中でのこ
の映画で知った聖フランチェスコの存在は私を大きく突き動かすものがありました。
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを、
太陽を兄と慕い、月を姉と慈しむ、それ以外は何も持たない。
今の時代に響く言葉だなと思う。
フラワーチルドレン発祥の地、アメリカのサンフランシスコは聖フランチェスコ(フランシスコ)の名から付けられてい
ます。この映画で聖フランチェスコの生き方、清貧に殉ずるその姿に感銘を受けた私にはサンフランシスコのヘイト・ア シュベリィを中心に世界的に飛火したヒッピームーブメントの事とどうしてもダブリます。ピッピーはその多くが、裕福
な白人中産階級の出で、インデアン文化とインド文化を安易に結びつけドラッグとロックとをことさら愛し、コミューン
を最高の社会と位置付けた生活にはマリファナが平和の象徴とされた。お題目のように「愛や平和」をかかげ、既成の社
会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった。しかしながらヒッピー・ムーブメントの現実離れのユートピア的思想
はフランチェスコの「清貧の思想」とは似て非なるものだろうが.....。
フランチェスコは熱にうなされ寝込んだ。その合間に様々な回想が脳裏を駆け巡る。
女の子を追いかけるフランチェスコ。近所のクララ(ジュディ・バウカー)だった。クララが水辺で「ブラザー!」と呼
ぶとどこからか現れた人々。それは顔や手足が爛れた皮膚病患者だった。
フランチェスコが驚愕するとクララが振り向き、
「そうよ」 と微笑む。フランチェスコは「見たくない!追い出してくれ!」と絶叫する。
小鳥のさえずりで目を覚ましたフランチェスコは、窓辺の小鳥を追って屋根の上に誘われ出て行く。近所の窓が開き「何
をしてる?」 と人々が見守る。
地上では父と母が見上げて 「フランチェスコ!」 と大声で叫んでいる。
小鳥を手に包んだフランチェスコはそっとくちづけした。小鳥が空に羽ばたいていく。屋根の先端に立ち両手を広げるフ
ランチェスコ。
父親はフランチェスコに織物や宝飾品の山を見せて自慢げに話した。
「戦争も悪くないぞ。最初は軍隊の御用商人で稼ぎ、戦後は兵隊の戦利品を買い、次は奪われた連中が残った物を売りに
来た。ただ同然の値でだ。貴族たちがひざまづいて家宝を売っていった。これはほんの手始めだ」
だがフランチェスコには興味も湧かず触手も動かない。地下で働く父の使用人たちがいる。彼らは貧しく汚れていた。財
産家の息子を見る彼らの目は何を語るのか。そんな一人の老人の手をとるフランチェスコの目に涙が浮かぶ。
「職人どもを散歩に連れ出したって!」 と父は怒った。「一日中日向ぼっこだ、働きもせず・・・あの馬鹿はそれを嬉
しそうに見てた!私の息子とは思えない」
「あなたは愚かで下品なお金だけしか頭にないケダモノよ!」 と母親は父親をなじり息子の味方をした。「彼は求めて
いるのよ、必死に・・・」
ある日、窓から次々と織物を投げ捨てるフランチェスコの姿があった。
「物は心の重荷だ、すべて投げ捨てろ!」 地上では落ちてくる織物に群がる人たちが殺到した。
父は激怒し、フランチェスコを殴りつけた。
「一緒に喜びを!私たちの宝は天国にあります!地上の富は無価値です。捨てろ、皆で捨てるのだ!」 フランチェスコ
は尚も叫びつづけた。
父にはフランチェスコのやることがとても正気の沙汰とは思えない。
「お裁きをしてもらおう!今すぐに」 父は息子を教会の広場まで引きずっていった。
騒ぎに食事を中断された司教は迷惑そうに出てきた。「何事か・・・」
「こいつは、私の財産をどうでもいい奴等に投げ与えたのです!」 と父。
するとフランチェスコは司教に訴えた。
「鳥のように生きたい・・・自分の魂を取り戻したいのです。私は生きたい、野の暮らし、丘に行き、木に登り河に泳ぐ
・・・この足で大地を確かめたいのです。私は貧者になりたい。キリストも貧者でしたし、その使徒も・・・その自由が
欲しい。・・・もう息子ではない・・・肉からは肉しか生まれず、霊は霊からのみ生まれるのです」
司教は唖然とした。父と母は声を失っている。
フランチェスコは衣服を脱ぎ捨てると、
「・・・もう父も子もない・・・家を捨て兄弟を捨て、父を捨て、母を捨て、子を捨て、畑を捨て、天なる父を求める者
は次の世で100倍も報われる・・・」
裸になったフランチェスコは教会の広場からゆっくりと出て行った。人々は天を仰ぐ。
司教は何も言えず声を押し殺していた。『・・・自分よりも上だ・・・』
フランチェスコは平原にある今や廃墟と化しているサン・ダミアノ教会の再建に着手した。雪のアッシジの中、裸足のフ
ランチェスコは一人、石を積み壁を固めていく。
十字軍の遠征から帰国したベルナルド(リー・ローソン)は、そんなフランチェスコの姿に共感し教会の再建に加わった
。友人たちがやって来た。フランチェスコたちを非難するものもいたが、仲間は徐々に増えていった。
ある日、町の少女クララも駆けつけた。
「愛されるより愛したいのです!私に喜びを!」 クララは言った。フランチェスコは喜んで迎えた。クララは剃髪し仲
間に加わった。
やがて再建されたサン・ダミアノ教会には多くの人々がやって来るようになった。それぞれ供物を手にしている。そして
フランチェスコと共に謳う。その代わりに町の教会は人もまばらになってしまった。
滝の落ちる水辺で信者たちが憩っていた。ここでは皮膚病の患者も癒されるのだ。その時、
「教会が!大変!」 クララが叫び駆けつけた。町の司教が手を回しサン・ダミアノ教会に火を点けたのだ。抵抗した信
者が一人殺されていた。
「何故だ?どうして、こんなに人が人を憎むのか!・・・私のしたことが間違いだったのか?・・・」 フランチェスコ
は苦悩し、「誰かに教えを・・・そうだ、あの方なら!」 フランチェスコの考えたあの方とはローマ教皇のことであっ
た。
ローマ教皇に謁見するというフランチェスコに反対したのは友人のパオロ(ケネス・クランハム)である。パオロは前か
らフランチェスコの行為に批判的だった。
「君を異端者として火刑にしたくないのだ」 パオロはやむなく自分の書いた原稿を読むならとの条件でフランチェスコ
にローマ教皇に謁見の手続きをした。
それは教皇の権威が最高であることを認める形ばかりの文面であった。
裸足のフランチェスコたちがローマへ出向いた。厳かな教会の最上段に教皇インノケンティウス3世(アレック・ギネス
)が座っていた。
「何か言うことがあれば言うが良い、許すぞ」 教皇は言った。
フランチェスコはパオロの書いた原稿を読み始めたが、すぐに止めた。そして教皇に向かって言う。
「・・・何故です?・・・空の鳥は種を撒かず刈らず取り入れることもしない・・・だが神が養いたまう・・・あなた方
の誰がいくら想い患っても寿命が延びますか?何故、富を思うのです?野の百合を見なさい、労せず紡ぐこともしない・
・・ソロモンの栄華も及ばぬその美しさ・・・信仰の薄い人たちよ、何を食べ何を飲み何を着るかと思い悩む・・・それ
は異邦人が求めることです・・・何より神の国と正義を求めなさい、そうすればその他もおのずと与えられる!」 フラ
ンチェスコは両手を上げて叫んでいるのだった。
「何だ!我々に説教か!けしからん!」 教皇の側近たちは怒り出した。
「宝を地に積むのは無益です、富は天に積みなさい、そこには虫もサビもなく、盗賊もいない・・・宝を捨て心に生きる
のです」 フランチェスコは尚も続けた。パオロはその様子を絶望の表情で見つめている。
教皇の顔がこわばっている。側近が口々に叫んだ。「衛兵を呼べ!」 「不敬だ!」 「つまみ出せ!」
フランチェスコたちは兵に引っ立てられ外へ。パオロは追いかけた。「僕も仲間です」 パオロはフランチェスコの教皇
を前に自論を述べた勇気に圧倒され打たれたのであった。
「あの男を呼び戻せ!今すぐここに」 しばらく沈黙していた教皇インノケンティウス3世は目を開けると言った。
呼び戻されたフランチェスコたちがひざまづくと、教皇はゆっくりと階段を降りた。
「何が望みか?」 教皇がフランチェスコに言った。
「・・・ある日、気が付いたのです。ヒバリのような無欲が真の幸福の元ではないのかと・・・我々を造られた神への感
謝を謳って暮らせば・・・そのことで教えを頂きに来たのです・・・」 とフランチェスコが答えると、
「そなたたちは野の鳥に神の声を聞くことができる。その上何を?・・・聖職についた頃、私も皆と同じ気持ちだった・
・・だが、時とともに熱意も薄れ教会政治の業務に忙殺される身となった。私たちは富や権力の厚い殻を被っている・・
・そなたたちの貧しさの前に私は恥じる・・・フランチェスコ・・・キリストの御名において皆に真理を説きなさい、そ
して限りなく信徒が増え栄えることを私は祈る・・・」
教皇のこの言葉だけでもその場にいた人々には奇跡に近いものだったが、その後に起きた出来事は更に我が目を疑う出来
事であった。
何と、教皇はそのまま身をかがめ、乞食のようなフランチェスコの薄汚れた泥まみれの足にくちづけしたのである。
フランチェスコたちは教会を後にした。やがて聖人に列せられフランチェスコ修道会を設立することになる若きフランチ
ェスコの顔は輝いていた。
♪♪ブラザー・サン シスタームーン、その声はめったに私には届かない・・・自分の悩みだけに心を奪われて、兄弟で
ある風よ、姉妹である空の精よ、私の目を開いておくれ・・・清く正しい心の目を・・・私を包む栄光が目に映るように
・・・神に与えられた命、私にも神は宿る、その愛がいま、この胸に蘇える・・・ブラザー・サン シスタームーン・・
・♪♪
http://plaza.rakuten.co.jp/ekatocato/4005
冒頭、一介の裕福な少女でありながらクリトゥーノの泉でハンセン氏病の患者たちに食べ物をくばる心優しいクレアを、 フランチェスコが木立の陰から覗き見るシーンや、雨の中、フランチェスコにパンを差し出すシーンなど、当時16歳の
ジュディ・バウカーには内から輝くような美しさがあり、後にシスターになり神に仕えるという象徴的な存在感を見せて
います。
彼女はほとんどこれ1本ぐらいにしか映画出演していませんが本当はもっと多数の映画に出演して欲しかったのですが、この映画に出演してくれたことを感謝しなければなりません。
1960年代の初め頃から、米国を中心にそれまでにない若者の生活態様が目立ってきた。彼らは長髪に髭、ジーンズという 独自のファッション、独自の色彩感覚(いわゆるサイケデリック)、独自の音楽(ロック)、独自の価値観を持ち、定職
を待たず、自由に生きることを目指した。彼らヒッピーたちが、道行く人たちに花を配って反戦を呼び掛けていたことか ら、フラワーチルドレンという呼び名が付いた。洗いざらしのデニムに小花プリント、パッチワークやカットアウト、刺
しゅうといったロマンチックでガーリッシュな感覚がプラスされたスタイル。民族、国家、法律、道徳といった既成の価
値観からの脱却であり、彼らはそれを“解放”と呼んだ。いわゆる“カウンター・カルチャー”(対抗文化)の誕生であ
る。彼らの標榜する自由な生き方は、紛争と武力誇示に明け暮れる世界情勢に対して、“愛と平和”をスローガンにした 反戦運動ともつながっていく。確かにベトナム戦争の激化で、いつ自分が、友人が、恋人が徴兵されるか分からない、そ
の恐怖心から逃れるために「現実逃避」した者もいただろう、本気で「反戦平和」を願って運動していた者もいただろう 。やがてその動きは世界中に広まり、日本でもフーテン族などの若者文化が生まれた。
http://homepage2.nifty.com/kiriko/movies/brother_sun_sister_moon.htm
伊=英 1972年 121分
監督 フランコ・ゼフィレッリ
脚本 スーゾ・チェッキ・ダミーコ ケネス・ロス リナ・ウェルトミューラー フランコ・ゼフィレッリ
撮影 エンニオ・グァルニエリ
音楽 ドノヴァン リズ・オルトラーニ
出演 グレアム・フォークナー ジュディ・バウカー リー・ローソン アレック・ギネス ヴァレンティナ・コルテー
ゼ ケネス・グレアム イラ・フルステンベルク アドルフォ・チェリ ピーター・ファース
フランシスコ会の創設者として知られるカトリック修道士、アッシジのフランチェスコを描いた青春映画。
裕福な商人の家に生まれたフランチェスコは戦争で心身ともに傷ついて故郷に帰ってくると、人変わりしたように財産 を貧者に投げ出して出奔、朽ち果てた教会を修繕して清貧の生活を始める。その姿に共感した人々は彼の教会に集まるが
、それを快く思わないアッシジの教会の妨害を受ける。フランチェスコは同志と共にローマに赴き、教皇に自身の信仰を認めてもらう。
僕はキリスト教徒ではないから、フランチェスコが父の築いた財産を貧者に分け与えるのは独善のように見えるし、富 を否定しながら富める者から喜捨を求めるのは偽善のようにも見える。
それにもかかわらず、この映画は圧倒的に美しく、心に触れる映画だ。例えば、雀の声で目覚めたフランチェスコが、その雀を追って高い屋根の上を伝って捕まえ、その頭に接吻をする場面がある。小鳥の声に神の声を聞いたフランチェス
コが信仰に目覚めるという重要な意味を持つ場面だが、ありふれた小さな雀を通して、万物の母たる偉大な自然を感じ、それに対するフランチェスコの畏怖と憧憬までが画面に満ちており、傷ついた魂の救済と解放をこれほどまでに美しく描
いたものは他にない。僕はこの場面を映画の中に顕された奇跡と呼びたい。ここには単にキリスト教というだけではなく 、自然への讃歌が込められており、だから、キリスト者でない僕でも感動するのだ。
この自然讃歌は他のどの場面でも描かれる。フランチェスコの思想自体が太陽・月・風・水・火・空気・大地を「兄弟
姉妹」として主への賛美に参加させ(そこから「ブラザー・サン シスター・ムーンという題名が取られたと思われる」
、西洋人としては珍しいほど自然と一体化したものをもっているので当たり前といえば当たり前だが、とにかく自然の描 写が素晴らしい。フランチェスコが草原を歩きながら朽ち果てた教会を見つける場面も、野を覆う赤い花や動物たちの描
写が圧巻である。
美しいといえば、クララに扮したジュディー・バウカーの美しさも特筆である。かっちりした美貌ではなく、少しポッ
チャリした愛嬌のある顔立ちであり、かつ非常に清楚な雰囲気を持っている。フランチェスコにパンを渡す場面もそうだ が、何と言っても出家する場面で、鋏を持ったフランチェスコに髪を束ねて差し出す際の仕草と輝く金髪の神々しいまでの輝きは圧倒的だ。
題材的には宗教映画ないしは伝記映画だが、基本的には青春映画として描かれている。だから、フランチェスコが説教 をする場面はあるにはあるが、映画全体として説教臭さはあまりない。そして、このフランチェスコの青春は、当時の世界情勢や若者文化と密接に関連している。これが製作された1972年には、まだベトナム戦争は終わっていなかったし、フ
ラワームーブメントやヒッピー思想も下火にはなっただろうがまだ残っていただろう。戦争で心身ともに傷ついた末に社 会からドロップアウトして自然に回帰するというフランチェスコの姿は、そのまま当時の若者の姿と重なるのではないだろうか。そうした現代的な視点から描かれているから、彼の生き方を共感を持って見ることができるのだ。
ゼフィレッリ監督の風景や人物の描写は非常に瑞々しく優しいタッチに溢れている。レプラ患者や庶民の悲惨な生活、宗教界の腐敗や教皇庁の欺瞞など、いくらでもリアルで汚く描こうと思えばできたのだろうが、そうしたことをオブラー
トに包みながらあくまでフランチェスコたちの姿とその精神の清らかさを美しく描く姿勢はとても好感を覚える。同じイ
タリアの監督でも、パゾリーニだったらこうはならない。また、フランチェスコの教会と既成の教会のカットバックなど
をはじめとても分かりやすく丁寧な演出ぶりだ。セリフを少なくした映画詩的な作りもこの映画の精神性の高さに繋がっていると思う。
とにかく、「心が洗われる」という表現が最も相応しい珠玉の一編である。
ジュディ・ボウカー
ファッション雑誌にのっていた写真をひと目見て、その内部から輝くような美しさにうたれた
ゼフィレッリ監督は、すぐに彼女に面接した。
だが より幅広い可能性を求めて2年間、公募を行い、1000人以上の応募者の中から
再び選び出されたのが当時16歳だったジュディであった。
1954年4月6日、イギリス生まれ
http://search.varietyjapan.com/moviedb/cinema_12402.html
イタリアのアシシに住む商人ピエトロ(L・モンタギュー)とピカ(V・コルテゼ)の間の一人息子として生まれたフラ
ンチェスコ(G・フォークナー)は陽気でいたずらだった。彼には四人の遊び仲間がいた。見習い修道士で勉学と宗教に 打ち込むシルベストロ(M・フィースト)、セックスヘの興味一辺倒のジオコンド(N・ウイラット)、理想に燃える騎
士、ベルナルド(L・ロウソン)、法学生のパオロ(K・クランハム)だった。十八歳のとき、アシシとペルジアの間に 戦争が起こり、四人の仲間と、グィード司教(J・シォープ)の祝福をうけて戦場におもむいた。だが、凄惨な戦いに敗
れ、熱病におかされて帰ってくると何週間もベッドに横たわり、生死の間をさまよった。ある朝、窓辺の小鳥の声に眼を 覚ました。無心に手をさしのべながら近づき、屋根の上にでた彼は、小鳥のあとについて手をはばたかせた。まるで大空
へ飛びたつかのようだった。その向うには、野や山が開けていた。フランチェスコに自分でも気づかないほどの大きな変 化が起きていた。ある日、果樹園で休んでいた彼に、美しい娘クレア(J・ボウカー)が近づいてきた。「あなたは気が
変という噂よ。小鳥のように歌い、蝶を追い花を見ているから。でも私には、狂っていたのは戦争にいく前だと思えるわ 」。彼は自然の中で生きものの素晴らしさを悟った。次第に彼の眼は自分の周りの人間を見つめだした。働く者、老いた
者、病いに苦しむ者……教会の中には富める人々が、外には貧しいながら懸命に祈る人人がいた。あまりにも大きなへだ たり、神はこれを許すのだろうか。彼は「NO!」と叫ばずにはいられなかった。家に帰ったフランチェスコは店にある
高価な布を窓から投げだした。激怒した父親は彼をひきずり、領事(A・チェリ)の裁きをこうたが、何もならず、フラ ンチェスコは着ている服を脱ぎ、両親に返した。「もうあなたの息子ではない。人間に大切なのは富ではなく心です。こ
れからはキリストのように乞食になります」。裸になり城門をでた彼は、太陽に向って両腕を広げながら野に向った。雪 >が降り、真っ白におおわれた野に一人、フランチェスコはサン・ダミアノ教会建設をめざしていた。十字軍の英雄として
帰ってきたベルナルドは、その勇気ある姿に強く打たれ、彼に協力を申しでた。また昔の親友たちも次々と加わっていっ た。髪を切ったクレアも参加し、貧しいが素朴な人々が集まるようになった。だが司教の陰謀によってサン・ダミアノ教
会は焼かれ、仲間の一人が殺されるに及んで、フランチェスコは自ら問うのだった。私のしたことが間違いだったのか? 。彼は仲間たちとローマ法廷に請願にいくことにした。やっとのことでローマ法王(A・ギネス)に謁見が許され、キリ
スト教の腐敗を説いた。法王はいたく心を動かされ、彼に膝まづいた。貧しい人々から聖人と呼ばれたフランチェスコは 故郷に帰った。彼にはやはりここが一番よかった。鳥が歌い、小川がささやいていた。彼は兄なる太陽や姉なる月のよう
に安らかで鳥やけだもののように幸せだった。
同じ監督とは!
オリビヤの「ロメオとジュリエット」

どさくさにまぎれた愛の誓い。これが16歳と14歳の愛。この数時間後二人は、ベランダで語り合い夜を明かす。ふたりは敵味方の重臣のひとりっこ同士。命の保障は無い。「今夜性交しよう」と約束する。











