








『コーラス』(Les Choristes)

ウイキペディアより
2004年のフランス映画。監督のクリストフ・バラティエが1944年のフランス映画『春の
凱歌』を原案に制作した作品である。
舞台は戦後間もない1949年頃。孤児や問題児を集めた寄宿舎、その名も「Fond De L'Etang(池の底)」。ある日一人の音
楽教師マチューが舎監としてやってくる。マチューは悪戯が酷く反抗的な生徒達と、厳しい規律とお仕置きを持って生徒
に対するラシャン校長や同僚の体育教師シャベールにとまどう日々が続くが、自分の経験を生かし音楽を教えることを思
いつき、生徒達に合唱を教え始める。そんなときマチューは、問題児として見られているモランジュが、奇跡のような「
天使の歌声」を持っていることに気が付くのだった。
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世界的指揮者のピエールは、母親の葬儀のために帰郷する。そんな彼に、古い友人のペピノが一冊の日記を手渡した…。
時は、1949年のフランス。問題児が集まる寄宿舎へ、新しい音楽教師マチューが赴任した。子供たちの酷いイタズラに迎
えられたマチューだが、何よりも、体罰で規律を保とうとする校長に疑問を持つ。子供たちの心を開くため、合唱団を結
成したマチューは、学校一の問題児、ピエールの美声に驚嘆する。やがて子供たちは、歌を通じて純粋な心を取り戻して
いくのだが…。
透き通る歌声が、音楽の素晴らしさ、生きることの美しさを教えてくれる映画が登場した。本作『コーラス』は、合唱を
愛する子供たちと音楽教師の絆を描き、本国フランスで大きな話題を呼んだ感動作。リヨンで設立されたサン・マルク少
年少女合唱団のサントラとともに、記録的ヒットとなった。合唱団から出演しているのは、ピエール少年を演じるジャン
=バティスト・モニエ。そのソプラノは「天使の歌声」と呼ばれ、劇中でも美しく響き渡るのだが、声のみならず、どこ
か憂いを秘めた表情もまた強い印象を残している。
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2004年3月にフランス国内で公開されると同時に、その普遍的なテーマ性とひたむきな子供たちの姿に圧倒的な支持が集
まり、瞬く間に「アメリ」の記録を抜きフランス映画史上空前のヒットを記録。公開15週で750万人を動員、フランス人の
7人に一人が観たというほど多くの人に愛され、感動を巻き起こした作品としてヨーロッパ中で異例の一大現象を巻き起こ
した映画「コーラス」がいよいよ今週いっぱいとなりました。
作品は、1949年フランスの片田舎の澄み切った木立の奥に「池の底」という貧しい親元を離れて寄宿学校で暮らす子供
たちの学校があったのです。そこに寄宿している子供たちは、親に会うことすら隔離された、名うての悪ガキたちでした
。
そんな学校にある日、フランスの国民的俳優ジェラール・ジュニョ演じる、落ちぶれた音楽家のマチューが音楽教師と
してここに赴任してきます。この学校の悪ガキぶりは、担任教師すら悪戯で大けがを負わせる酷さであったのです。その
ため怪我を負った担任の代用教員としてマチューは赴任したのでした。
こんな書き出しだと、なんだか「金八先生」を連想する人もいるかもしれません。
しかし、いたずらや反抗することでしか、親のない寂しさや、両親にあえない寂しさを紛らわすすべを知らない子供達
のこころを痛く掴んでいたマチューは、子供たちにコーラスを通じて、歌うことの歓びを根気強く教えていくのです。
中でもひときわ物静かな顔をしながらも心は冷たい悪魔のような子だと同僚の教師から忠告されていたピエールは天賦
の才能を発揮して、素晴らしいボーイソプラノを奏でるまでに至ります。ピエールは、卒業後もチャンスを掴み、世界的
な指揮者と羽ばたいていきます。
ピエール役を務めた13歳のジャン=バティスト・モニエは、実際にサンマルク合唱団のソリストなんです。その憂いを
秘めた歌声と本物の天使を思わせるルックスでフランス中を魅了して行ったのであります。
もうねぇ、このモニエくんのの歌声を聴くだけも涙が溢れそうになり、感動にうち震えます。間違いないですぞ!
そして、歌っているときの彼の瞳は澄み切っていて心が洗われるようにさえ思えますぞぉぉぉ!
凶暴性がある手がつけられない少年たちのこころの変化の描き方が中途半端だったりするのですが、そんな野暮な演技
云々よりもサン・マルク合唱団とソリストのジャン=バティスト・モニエの素晴しい歌声が雄弁にストーリーを物語って
くれますよ。
yahoo映画投稿
新任のマチュー先生は、熱血でもスーパーマンでもなく、落ちこぼれ教師を自認し、
新しい職場”池の底”も自分にふさわしい、と諦めの気持ちで赴任します。
赴任した夜は不安と恐怖で一杯の、平凡な教師なのです。
60人ほどの生徒たちの境遇は語られませんが、
問題児=社会の規範から外れる=規範を外れる理由がある=皆心の内に苦、悲、痛を抱えている―ということを感じさせ
ます。
寄宿舎での生活、教育は、その苦、悲、痛と共に向き合っていくことを目的にするのが本来だと思いますが、
ここ”池の底”でのやり方は、反省室に閉じ込めること、罰を与えることです。
子どもたちが何故そう行動するのか、には考え及ばず、
問題児を理解するなど、全く不可能というのが信念の校長と教師ばかり。
当然、そこには不信と憎しみ、怒り、絶望、退廃といった空気が満ちています。
初め、とまどっていたマチュー先生ですが、
一人一人の子どもと向き合うとき、
普通の人が、当たり前に感じるままに行動します。
人を傷付けたら、「反省室閉じ込め」の罰を科すのでなく、
傷ついた人がどれだけ痛く苦しいかを感じさせていくのです。
それは、即刻効果の出るやり方ではありませんが、
それこそ時間をかけて教えなければならない大切で当たり前のことなのです。
無表情に見える子どもたちの中に、実はいろいろな夢があることに彼は気付きます。
消防士、トラの調教師、気球乗り、スパイ、将軍、、、、、
一人の子どもが歌っているのを聞き、
彼は一度諦めた音楽をもう一度やってみようと思い立ちます。
子どもたちで合唱をさせるのです。
合唱隊、そしてこの映画のキーパーソンの一人のモランジュ、
その比類ない歌声、音楽の才能、彼の母への複雑な想い、、、、
もう一人のキーパーソン、ペピノの存在、、、
人間模様が実にうまく紡がれています。
マチュー先生は平凡な普通の人でした。
普通の人が当たり前に感じることを感じ、当たり前にすべきことを行動に移しました。
そのことがいかに難しく、尊いことなのか、
それに気付くのもまた難しいように思います。
派手な描写はありませんが、
優しさとは何か、教育とは何か、
人の心に沁み入るものは何か、また人の心を砕くものは何か、
それらのことをさりげなく見せてくれて、私のお気に入りになりました。
舞台は’49年で、世相は質素貧困そのものでしたが、
携帯やパソコンやゲームや、複雑なもろもろの物質、情報を一旦取りのけたら、
人の本質は今も案外変わらないのかもしれません。
マチュー先生にとって、ペピノは人生最大最高の贈り物だったことでしょう。
彼が学校を去るシーン、そしてラストのシーンを是非見てください。
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始まってすぐ、中学時代の理不尽な出来事が蘇ってきました。ある写生会の朝、「1年生のスケッチブックが盗まれた」と
、全校生徒が校庭に整列させられ、犯人が名乗り出るまで、どこにも行かせないと言われ、私たちは長い間、緊張したま
ま直立不動でした。そのうち、3年生の一人がクシャミをしてしまい、周りの生徒が笑った為、朝礼台の教師は激怒して、
クシャミをした男子生徒の顔を何度も殴り、1年生たちは、殴られた生徒を犯人だと思い込みました。今思えば、そういっ
た数々の光景は、生徒だった私たちよりも、あの学校に勤務していた、まともな心ある先生たちの方が胸を締め付けられ
ていたことでしょう。
この映画の舞台である寄宿学校、そこにも魅力的な先生が赴任してきます。罰を恐れてオドオドしている子供たちの目が
、彼らの悪戯に対するその先生の意外な反応で、少しずつ変わっていくのです。
子供が何か悪さをする時には、絶対に理由があります。叱る時にも褒める時にも、その子供のことをよく知って理解した
上でなくては意味がありません。職員に怪我をさせてしまった子供には、その看病をさせ、人を傷付けてしまった事実を
肌で感じさせる、それが本当の償いであって、何もしていないのに閉じ込められたり、盗んでいないのに殴り続けられた
り、そんな不当な罰を受けた子供が復讐心を抱くのは当然といえるでしょう。校長は、閉じ込めてしまった優等生には、
論文のご褒美だと言ってクッキーを与えていましたが、盗みを疑って心身共に傷付けた生徒にこそ、その気持ちの欠片で
もいいから示してもらいたかったです。
映像としては登場しませんが、教師の腕に10針の傷を負わせ、屋根から飛び降り自殺をした生徒の話が出てきます。その
教師は、自分の被害は腕まくりまでして見せても、その子がどうなったのかについては触れずに学校を去りました。煙草
を没収したくらいで、そこまでの大事件になるでしょうか。その後の色んなエピソードから推測すると、孤児だったその
生徒は、教師から性的虐待を受けていたのかもしれません。悪事がばれるととっさに嘘をつく子供たちの中、この「手に
負えない問題児」が真実を話したところで、誰が信じてくれるでしょう。その子に耳を傾け、守ってくれる者が一人でも
いたなら、少なくとも命を落とすことはなかった、そう考えると、映画のラストシーンがしみじみと心に染みてきます。
この学校で一番幼い生徒ペピノ君。テディベアを抱えて走ってくるこの愛らしい坊やを演じたのは、本作の語り手である
ピエール役のジャック・ペランさん(『ニュー・シネマ・パラダイス』のサルヴァトーレ役)の実の息子さんだそうです。
このペピノ君は、ナチ占領下で両親を亡くしているのに、校門で一人、父親が迎えに来るのを待ち続けています。大きい
子にも小さい子にも優しそうな子にも何かと苛められて暮らしています。その子供が高齢になって、先生の絵日記を持っ
てくるところから、この学校のお話が始まります。
絵もジョークも上手い音楽の先生。初日から「ハゲ」と呼ばれ、子供たちの悪戯には知恵とユーモアで、子供たちのこと
を考えてあげられない校長には皮肉で対抗していきます。どんな状況でも生徒や同僚を庇うので、校長には嫌われっぱな
しです。憧れの女性も現れました。そのはかない恋が終わった瞬間、彼女が座っていた椅子まで持っていかれた場面には
哀愁が漂っていました。
この先生の素敵な所は、それを装っているのか本気なのか分かりませんが、生徒たちの更生よりも音楽(コーラス)が意識
の中心にあることです。下品な歌を歌って叱られるのを期待していた生徒が「君はバリトン」と言われて、それを悪口だ
と勘違いしていたし、彼が閉じ込められることになった時、「僕の唯一のバリトンなのに…」と寂しそうに呟いた先生も
可笑しかったです。
歌う子供たち全員の目が真っ直にこの先生へ向けられる時、子供たちの心が楽しさに溢れ、始まったばかりの人生に光が
差し込んでいることに気付かされます。薄暗い教室や寝室の中、その強く明るい眼差しの一つ一つを見ていると、胸が詰
まってうるうるしてしまいます。特に、ちょっとしたお仕置きで、ソロから外されていたコーラスの主役ピエール君が、
それを許され、また歌える喜びと誇りを胸に、泣きそうな瞳で微笑みと感謝の意を浮かべて歌う最後の部分が感動的です
。
毎日、子供たちと寝食を共にした先生が、彼らの将来を案じ、彼らの為に作曲した夢と希望の歌。夜や大地、小さな凧が
空高く上がっていく歌など、訳が少しだけ綴られていましたが、もしフランス語が自分で理解できたら、この透き通った
歌声がもっと心に響いたことでしょう。この映画は私の宝物になりました。
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第二次大戦後のフランス。
ここは池の底・寄宿舎。
生徒は問題児ばかり、体罰大好きな校長、
「やられたらやり返せ」が教える側のモットーのメチャクチャな学校。
心に闇を持つ「天使の顔をした悪魔達」と呼ばれる生徒達に、
音楽と共に規律を教えようとする教師の奮闘を描いた感動の物語。
最初は反抗的だったクソガキどもが、コーラスを始めて少しずつ心を開いていく。
眠っていた優しい心を取り戻すその経過は、それぞれの子供達の表情でわかる。
生まれた時からの悪魔はいない。
環境やめぐり合わせが悪魔を作り、育てるんだと思った。
ただ1人だけ、救えなかった子供がそのいい例じゃないか。
今まで観た映画の中で、こんなに感動した映画ってなかった。
素晴らしいです。




