


無能の人

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無能の人(むのうのひと)は、日本の漫画。つげ義春によりCOMICばく(日本文芸社)の1985年6月号より「石を売る」「
無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」と続くシリーズ連作。
読切短編の多いつげ作品としては異例の連続シリーズとして知られるが、この作品を機につげは長い休筆期間に入る。主
人公の助川はつげ自身がモデルという指摘もある。1991年、竹中直人監督・主演で映画化された。
主人公の助川助三は、かつてはそれなりに名の知れた漫画家であった。だが近年は仕事も減り、たまに執筆の依頼が入っ
ても、自ら「芸術漫画家」を自称しているプライドがあるため、断り続けている貧乏な日々を送っている。妻のモモ子か
らは漫画を描けと時になじられるが、助川は全く描こうとはしない。そこで助川は漫画以外の新たな道を模索するが……
。
「石を売る」
助川は、その後中古カメラ業、古物商などの商売がことごとくはずれ、今は多摩川の川原で、拾った石を掘っ立て小屋に
並べ石を売る商売を始めた。美術品として愛好家に取引される石とは全く違う「川原の石」が売れるはずもなく、妻に愛
想を尽かされ、罵倒されながらも諦めきれずに今日も石を並べて思索にふける。
「無能の人」
古本業者の山井から、石の愛好家の専門誌を貰った助川は、石のオークションに自分の石を出品しようと主催者の「美石
狂会」の石山とその妻のたつ子を訪問する。採石した石を抱え、オークションに参加する。
「鳥師」
知人の鳥屋のおやじは、インコなどの人気のある外来種を嫌い、飼育の難しい和鳥のみを扱っている。 丹精して育てた
メジロだが、今は昔と違い誰も見向きもされない。 助川と同じく女房にも罵倒されながら、和鳥の愛好家が店に集まっ
てきていた過去の栄光が忘れられない。 そのおやじから助川は、昔店に鳥を売りに来ていた「鳥師」の話を聞く。
「探石行」
古本業者の山井に、思いがけなく助川の原画と欲しいと言う客があり、3万円の臨時収入が入る。 自分の仕事の採石を
兼ねて家族旅行に出かける。
「カメラを売る」
かつて、漫画に限界を感じた助川が、偶然立ち寄った骨董屋で見つけた壊れたカメラを修理したところ思わぬ高値で売る
事ができた。これに味を占めた助川はたまに来る漫画の依頼もそっちのけで妻の不安をよそに中古カメラの販売を始める
。
「蒸発」
いつも寝てばかりで無気力の古本屋山井から、彼の故郷の誇りだと言う井上井月(いのうえせいげつ)と言う隠れた俳人
の全集を借りる。 読み進んでいるうち、「乞食井月」と言われた俳人の一生と自分や山井の人生を重ねて行く。 一般に
あまり知られていなかった井月の半生や俳句を、詳しく紹介することになった漫画である。
映画 [編集]
竹中直人の映画初監督作品。上記の原作がモチーフとなっているが、つげの他の作品「退屈な部屋」「日の戯れ」などが
、助川夫妻の過去のエピソードとして使用されている。また予告編はおよそつげ作品とは思えない、「制作費××円」な
どのアメリカ大作映画の様な大袈裟な演出がなされている。ナレーションは竹中本人によるもので、最後に「僕、無能ー
!」と素っ頓狂に叫ぶのも特徴。映画内容は原作を忠実に再現することにこだわり、これにはつげ本人も相当驚いていた
。
また、ゴンチチによるテーマ曲(インストゥルメンタル)は、竹中による詞が後付けされ、当時発売されたガイド本『無
能の人のススメ』に掲載された。ビデオソフトの特典映像にはこの曲を竹中が歌うバージョンが収められている。
出演 [編集]
助川助三 竹中直人
妻・モモ子 風吹ジュン
息子・三助 三東康太郎
石山たつ子 山口美也子
石山石雲 マルセ太郎
山川軽石 神戸浩
鳥男 神代辰巳
古本屋・暗原 大杉漣
友情出演 井上陽水 他多数
goo映画HPより
多摩川で拾った石を売る助川助三。かつては漫画家として名をなしたこともあったが、時流に乗り遅れ、数々の商売に失
敗した結果、思いついたのが元手のかからない石を売るという商売だった。来年は小学校に入る一人息子の三助を連れて
妻・モモ子が団地を回るチラシ配りだけが一家の収入源である。ある日、石の愛好家の専門誌を読んだ助川は、素人でも
参加できる石のオークションが行われていることを知り、主催者の石山とその妻のたつ子と出会う。久しぶりにあった漫
画の依頼も断り、遠く山梨まで出掛けて採石した石を抱え、期待を胸に助川はオークションに参加するが、参加者は老人
ばかりで活気がない。いよいよ助川の石がセリにかけられるが期待に反して、石が売れなかったばかりか、余計な出費が
かさんでしまうのだった。それによって再び気まずくなる助川夫婦。助川は再びペンを取り、漫画を描き始めるが、どこ
も採用してくれず、彼は再び石屋を始め、繁盛させるために川を越えた競輪場の客をねらって自ら客を背負って渡し舟を
開業。モモ子はそんな彼に愛想を尽かしてしまうのだった。翌日、河原は競輪の開催日とあって賑わい、助川の前にたつ
子が現れ「店をたたんで二人で甲州で暮らさないか」と言う。助川はそれを振り切るかのように商売を続けるが、その時
、たつ子は他の客を押しのけて助川におぶさり、彼はそのまま川を渡った。好奇の目を向ける河原の人々。その中に今に
も泣きそうな顔をした三助の姿があった。そして、そんな助川を迎えにいく三助とモモ子。助川はふたりの手を取り、家
路へと向かうのだった。
yahoo映画投稿
ディスコのジュリアナ東京は91年にオープンしたと思う。そのような時代の中で、竹中直人の「無能の人」が封切られた。私は当時、映画館で鑑賞したが、確かに、たいへん目新しい映画のタッチが心にひっかかった。
しかし、つげ世界にしては軽いし、サブキャラは唐突だしで、真面目なんだか不真面目なんだか、奇妙な違和感を感じてしまい、本当を言えば、どこが面白いのかよく分からない映画だった
しかし、今、鑑賞すると、本作、大変面白いのだ。これには驚いた。
15年、20年前、というのは、なかなか中途半端な昔で、特にこの時代の邦画を再観賞すると、時代遅れ感が強いものだが、「無能の人」まったく古びていない。
ああ、そうかと思った。
竹中の「無能の人」は、15年以上も前の作品にもかかわらず、現在の邦画の流れを先取りしていたのだ。
石の鑑定大家、マルセ太郎の奇怪な芝居や、神戸浩の唐突なキレ方。山口美也子の微妙な気持ち悪さ。こういうサブキャラで間をはずしながら、ストーリーの本線自体は家族の愛情や男の孤独を真面目に描いていく。
悲惨に偏りがちな場面では、すっとゴンチチのウクレレで息を抜く。
このあたりの間は、まったく現代の脱力系映画の手法だ。
例えば「全然大丈夫」でもウクレレをうまく使用していたし、ストーリーも、漫画家として鬱屈した気分を隠しながら石を売る竹中と、ホラー博物館を目指しながら本屋を手伝う荒川良々とは、どこか似通う。
また、本作は絵コンテを、まずしっかり組んでから、カット割をしていく邦画の伝統芸をしっかり踏襲している。ライティングも繊細で美しい。これも今、ヒットする邦画の特色だろう。