












戦火のかなた

http://homepage2.nifty.com/kanda-zatsugaku/031128/1128.htm
1946年(昭和21年)作品「戦火のかなた」は6つのオムニバス映画でプロの俳優さんでなく素人を使っている。ロ
ッセリーニのイタリアン、ネオリアリスモ映画の第2弾である。当時ラジオドラマ作家としてメディアの世界に入ったフ
ェデリコ・フェリーニは晩年後年の大監督である。「戦火のかなた」では脚本と助監督を務めている。1943年7月2
0日連合軍はシシリア島に上陸、同年9月ナポリを占領。そして1944年昭和19年6月4日遂にローマに連合軍は入
城、ムッソリーニは失脚した。
ドイツ軍は変わって占領管理していたがローマのバルチザン、フロレンツェ、異様な雰囲気でナチスの弾圧に遭う。戦闘
の非常識、残酷さ、それも単なる戦闘描写ではなく市民の目を通して描いた名作である。
●「ストロンボリ」のビデオを観る
イングリッド・バーグマンは「無防備都市」と「戦火の彼方に」を観て感激をし、ロッセリーニ監督にラブレターを書い
た。「もし英語の上手いスエーデン生まれの女優がご必要なら何時でも一緒に映画を作る用意がございます。」と。
ロッセリーニは直ちにバーグマンを迎える。バーグマンは夫と子供を捨て、同時にアメリカからも追放されてロッセリー
ニの元へ走った。バーグマンとロッセリーニ監督のコンビの作品は6作あるがいずれも不作である。
動乱


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第一部「海峡を渡る愛」昭和七年四月、仙台連隊。宮城啓介大尉が隊長をつとめる中隊の初年兵、溝口が脱走した。姉の
薫が貧しさから千円で芸者に売られようとしていたからだ。溝口は捜索隊の上司を殺してしまい、宮城は弁護を申し出る
が聞き入れられず、溝口は銃殺刑に処せられた。宮城は父に用立ててもらった千円を香典として渡す。当時、日本は厳し
い経済恐慌に包まれ、これを改革すべく、一部の海軍将校と陸軍士官候補生らが決起した。五・一五事件である。クーデ
ターは失敗に終り、陸軍内部の皇道派と統制派の対立を激化させた。この影響は仙台にいる宮城にまで及び、部下から脱
走兵を出した責任で朝鮮の国境守備隊へ転任を命じられる。そこは、朝鮮ゲリラへ軍需物資の横流しが平然と行なわれる
腐敗したところだ。官城は将校をねぎらう宴に招待され、そこで芸者になった薫と再会する。薫を責める宮城。数日後、
薫が自殺を図った。宮城は軍の不正を不問にすることで、薬を入手し薫の命を救う。その頃、国内では統制派によって戦
争準備が押し進められていた。第二部「雪降り止まず」昭和十年十月、東京。宮城は第一連隊に配属になり、薫と共に居
をかまえた。しかし、二人の間にはまだ男と女の関係はなかった。官城の家には多くの青年将校が訪れ、“建設か破壊か
"と熱っぽく語り合っていく。憲兵隊の島謙太郎はそんな宮城家の向いに往みこんで、四六時中、見張りを続けていた。
ある日、宮城は恩師であり皇道派の長老格でもある神崎中佐を薫と伴に訪れた。神崎の家庭の幸せを見て、薫は「私の体
は汚れているから抱けないんですか」と宮城につめよる。数日後、宮城が決行を決意していた軍務局長暗殺を神崎が単身
で陸軍省におもむき果してしまった。この事件は青年将校たちに“時、来る"の感を持たせ、昭和維新への機運いっきに
高まった。官城たちの行動に、心情的には同調しながらも、憲兵という職務から事を事前にふせごうと島は苦悩する。決
行の日が決まり、宮城は実家に帰り父に薫のことを頼むと、はじめて彼女を抱くのだった。決行の日が来た。時に昭和十
一年二月二十五日。夜半から降りはじめた雪は、男たちの熱い思いと、女たちの哀しい宿命をつつみこんで、止むことな
く降り続いていた。