『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』 (Back to the Future Part II)



ウイキペディアより

1989年のアメリカ映画で、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の続編。3部作の2番目にあたる。SF映画。

シリーズの2作目と3作目は同時に製作され、6ヶ月間の間を空けて公開された。パート2は話が途中で終わってしまう物語であったため、一部の観客からは不満の声も上がったが、ロバート・ゼメキスはこの事について「ハン・ソロが解凍されるまで3年かかったことに比べたら、6ヶ月なんて大したことないよ」と述べていた。

出演者 マイケル・J・フォックス
クリストファー・ロイド
音楽 アラン・シルヴェストリ
撮影 ディーン・カンディ
配給 ユニバーサル映画
公開 1989年11月22日
1989年12月9日
上映時間 108分
製作国 アメリカ
言語 英語
制作費 $40,000,000
興行収入 $116,425,676
前作 バック・トゥ・ザ・フューチャー
次作 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3


あらすじ
マーティの未来の子供達に関するトラブルを解決するため、彼はエメット・ブラウン(通称・ドク)とガールフレンドのジェニファーと共に30年後(=2015年)の未来にタイムトラベルする。

2015年に着いたマーティはドクから自分の息子が警察に窃盗の容疑で捕まる新聞記事を見せられる。原因は息子がビフの孫グリフの言いなりになり、またこの事件がきっかけで将来結婚するマーティとジェニファーの家族崩壊を引き起こすことになることを知る。ドクの作戦でマーティは自分の息子本人に成りすまし、グリフからの命令を拒否するが逆上したグリフとその仲間に追いかけられてしまう。激しい逃亡劇の末、グリフ達は勢い余って裁判所に突っ込み留置所行きになった。

全てのトラブルは解決したと思われたが、マーティは骨董品屋で小遣い稼ぎのつもりで1950年〜2000年のスポーツ年鑑を買うがすぐにドクに見つかり、ゴミ箱に投棄される。それを見ていた悪人のビフ・タネン老人がゴミ箱から年鑑を回収。さらには隙を突いてタイムマシンのデロリアンを盗み取って1955年にタイムトラベルし、高校生時代のビフ本人に手渡す。

マーティたちは何も気づかずデロリアンで1985年に戻るが、年鑑によってビフはスポーツ賭博で大金持ちになり、ヒルバレーの治安は悪化、ドクは精神病院行きになり、マーティの父親のジョージは1973年にビフに射殺され、母親はビフと再婚させられるなど、二人にとって最悪の状況になっていた。

全ての原因があのスポーツ年鑑にあると気付いたマーティはビフから年鑑を手に入れた経緯を突き止め、ドクも問題解決の後更なるタイムトラベルの悪用を恐れタイムマシンの破壊を決断する。自分達の未来を取り戻すためビフが年鑑を手に入れた1955年へと旅立った。

1988年にPart 2を撮影した際に、ユニバーサル・スタジオ内の時計台広場を2015年のシーンのセットとして使用したにもかかわらず、セットをユニバーサル・スタジオ内見学ツアーの観客に隠すことをあえてしなかったため、見学ツアーの観客に対しては「Part 2では未来に行く」という事が公開前にネタバレしてしまっていた。
パート2のプロローグ(冒頭のシーン)は、再演である。よって、パート1のラストと若干の違いがある。(マーティのピックアップトラックのナンバーやマーティが腕時計をつけていない等)
ジェニファー役は、パート2以降、パート1のクローディア・ウェルズからエリザベス・シューに変わった。これは、クローディア・ウェルズの母親がガンと診断されたことで女優業を引退したため。しかし23年ぶりに2008年に映画「Still Waters Burn」に出演した。
パート1に出演していたジョージ役俳優のクリスピン・グローヴァーは、別の役柄(悪役等)に挑戦したいとのことから続編への出演を断ったため、パート2では(時空の歪みが生んだもう一つの1985年、通称1985年A(Alternate 1985)で)ジョージが死亡しているという設定にされた。ちなみに、2と続編の3ではジョージ役を背格好が酷似したジェフリー・ワイズマンが演じており、そのためか2015年のジョージ老人以外は顔が目立たない様に撮影されている(サングラスをかけ長めの髪)。2の1955年のシーンは一部1の映像を利用している(ジョージの顔がはっきり写っているシーン)。だが、この無断使用でクリスピンはゼメキスとスピルバーグを相手取り、訴訟を起こした。結局、示談の末クリスピンの勝訴という形で収拾している。
デロリアンの車内をよく見ると、1955年でタイマーとして使った目覚まし時計がそのまま置かれている。
ドクは若返りの手術を行っており、マーティが気付かないだろうとフェイスマスクをしていたが、これは前作の主な役が55年のドクであり、今回は85年のドクが主な役柄のため、特殊メイクの手間を省くためのものである。
2015年のマーティJr.の服装は、1985年のマーティの服装を未来風にアレンジしたデザインとなっている。
マーティJr.逮捕の記事を見ると「Martin McFly Junior」となっており、マーティの正式な名前が「マーティン・マクフライ」であることが分かる(「マーティ」は「マーティン」の愛称)。
2015年のシーンに出てくる未来の車に『ブレードランナー』のスピナーがある。
2015年に登場する未来の車はユニバーサルスタジオハリウッドのトラム(スタジオ見学)ツアーでも見ることができる。
マーティが2015年の未来で、『ジョーズ19』の3D映像に驚くシーンがあるが、このシーンには当初はゴジラの登場が予定されていた(二見書房刊『大怪獣ゴジラ99の謎』より)。監督はスティーブン・スピルバーグの実の息子であるマックス・スピルバーグということになっている。
2015年でマーティがスポーツ年鑑を買うアンティークショップのショーウインドウ内には、古ぼけたロジャー・ラビットのぬいぐるみが置かれている。これは映画『ロジャー・ラビット』が、本作と同じロバート・ゼメキス監督によるものであるという、一種の楽屋ネタである。
2015年のレトロ喫茶「Cafe 80's(カフェ80's('80年代))」でビデオゲームをしようとしている少年(画面手前)は6歳当時のイライジャ・ウッドである。また、そのビデオゲームは日本製の『ワイルドガンマン』であり、後に『メイド イン ワリオ』でプチゲームとしても収録されている。このゲームが2015年に置かれていたのは、1985年に同ゲームがNintendo Entertainment Systemで発売されたことからである。日本ではマイナーゲームの位置にある作品であるが、ダックハントや光線銃がNES本体に同梱されるバージョンがあるなど、アメリカではスーパースコープ同様日本より広い家屋が幸いし、スーパーマリオブラザーズに匹敵するほどの人気を誇った。また、ここで使用された楽曲は1983年にマイケル・ジャクソンが発表した『今夜はビート・イット』で、彼も喫茶店のシーンで登場している。
マーティのピンクのホバーボードはよく見るとマテルの製品であることが確認できる。
2015年のマーティの娘マーリーンは、マイケル・J・フォックスが女装をして演じている。
2015年のマクフライ一家が住む住宅街「ヒルデイル」の看板には、「The Address of Success(人生の成功者の住む所)」というキャッチコピーが併記されているが、「Success」の4文字目の「c」が「K」に、6文字目の「s」が「R」にそれぞれ赤のスプレーの上書きで変えられており、「The Address of Suckers(馬鹿共の住む所)」になっている。元々は高級住宅街であったヒルデイルが、2015年では犯罪多発地帯と化してしまっていることを証明している。
2015年のマクフライ家のシーンにレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーがマーティの悪友のニードルス(テレビ電話越しの相手)役で登場する。
そのニードルスとの会話の直後に画面に登場する2015年のマーティの上司の名前はイトウ・フジツウ(Fujitu, Ito)。イトウが名、フジツウが姓というトンチンカンな設定。マーティは彼に対して「フジツウサン、コンニチワー」と挨拶している。富士通はこれを喜んでか、1993年2月、新発売のホビー用の低価格帯PCに「FM TOWNS マーティー」との名を付け発売した。ちなみにこの上司には子供がいない設定である。
1985年Aのカジノ兼ホテルとなっている巨大ビル(ちなみに時計台の上に作っており、時計台の名残が垣間見える)「BIFF TANNEN'S PLEASURE PARADISE(ビフ・タネンの極楽天国)」に併設されている「BIFF TANNEN MUSEUM(ビフ・タネン博物館)」の入口で上映されているビデオの中で、続編・パート3に登場するビフの曽祖父「ビュフォード・“マッド・ドッグ”タネン」のことが逸早く紹介されている。
1985年Aの「HILL VALLEY(ヒルバレー)」の看板は、「HILL」の2文字目の「I」が「E」に黒のスプレーの上書きで変えられており、「HELL VALLEY(ヘル(地獄)バレー)」になっている。
1985年Aでビフが観賞している映画は、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』。作中で鉄板を防弾チョッキ代わりにするシーンは、パート3でマーティがビュフォード・タネンと決闘する際にパロディとして活かされている。音声は実際のものとは違い、新たに録音されたものが使われている。
この作品から常時装備されることとなるデロリアンの電力発生装置「ミスターフュージョン」だが、KRUPSというドイツの会社が製作したコーヒー豆挽き機をそのまま小道具として設置している。
前作に引き続き1955年のビフが乗っている愛車は、1946年型フォード(1941年式の改良型)。マーティとドクがデロリアンでビフを追跡する際に、「奴の車の上に降りて潰してやろう」と言ったマーティに対して「こっちが銀紙みたいに引き裂かれるぞ」とドクが難色を示したのは、ある意味柔軟な造りをしているデロリアン(強化プラスチックとステンレス)ではフォードの頑丈な車体に太刀打ちできないからというのが理由である。
またこの場面で、デロリアンが超低空飛行をし、マーティがホバーボードに乗りながら、デロリアンからビフの車に乗り移るシーンに於いて、デロリアンの下をよく見ると、車輪がついているのがわかる(つまりこのシーンのデロリアンは撮影用に改造されたもので自走できず、カメラアングルに入らない後方から別の車に押されて撮影しているものと思われる)。
1990年代にコスモ石油のCMで、本作のデロリアンと同じくタイヤが可変して飛行するタンクローリーがスタンドまでガソリンを運ぶという内容のCMが、短期間だったが放送されたことがある。この時期はTVで頻繁にBTTFシリーズが放送されていた時期なので、本作の影響である。
この映画はラストのPart 3の予告編までが本編である。ちなみに、予告編の映像にはPart 3に使用されなかったカットがいくつか存在している。ビデオ版はもちろんテレビ版の吹き替え音声も存在しているが、思い出の復刻版disc2では何故かテレビ版はカットされている。最後のpart3予告はテレビ放送では放送されることもあるが、次週は違う映画が放映されることも多い。放送当時は「来年をお楽しみに」というテロップ(翌年PART3を放送した為)が付いていた。最後のpart3予告はテレビ放送では放送されることもあるが、次週は違う映画が放映されることも多い。
またこのラストの予告編のタイトルバックが出ている時に日本で最初に発売されたビデオ.LD版には1990年公開という字幕が付いていたのだが、以降に発売されたビデオ.DVDには1990年公開という字幕はカットされている。


Goo映画より
あらすじ
85年の世界に戻ってきたマーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)は、未来の世界からドク・ブラウン(クリストファー・ロイド)の訪問をうけ、未来の自分の子供の身が危ないと知らされ、恋人のジェニファー(エリザベス・シュー)と共に、2015年の世界にやって来る。年老いたビフ・タンネン(トーマス・F・ウィルソン)の孫グリフ(トーマス・F・ウィルソン)にいじめられる息子のジュニア(マイケル・J・フォックス)を助け、悪の道に足を踏み入れることをとどまらせたマーティは、安心して85年の世界に戻ろうとするが、その間に、マーティがちょっとした悪戯心で手にしたスポーツ年鑑を、ビフが盗み過去の世界へ旅したことを誰も知らない。果たして戻ったマーティは、閑静な住宅地だったヒル・バレーがすっかり荒廃の地と化してしまっているのに愕然とする。おまけに父のジョージ(クリスピン・グローヴアー)は12年前に何者かによって殺され、未亡人となったロレイン(リー・トンプソン)は、何と今や全米一の大金持ちとなっているビフと再婚していた。どうやらビフは、55年のダンスパーティの日に、未来からやって来たビフからスポーツ年鑑を手渡され、これを基にスポーツ賭博で大もうけをしたらしい。時の流れをもとに戻そうと、マーティはドクと共に55年のあのダンス・パーティの日に戻る。そして大騒動の末にマーティはスポーツ年鑑を取り戻し、それを焼き捨てるが、85年の世界に戻ろうとしたその時あの稲妻が発生し、ドクを乗せたデロリアンはマーティを残し、どこかへと消えてしまう。そしてマーティは、あの時85年に帰る自分を見送ったドクを探し出し、助けを求めるのだった--。



『ガンジー』(Gandhi)




ウイキペディアより
1982年公開のイギリスとインドとの合作映画。製作会社はコロムビア映画で、監督はリチャード・アッテンボロー。脚本はジョン・ブライリー。第55回アカデミー賞 作品賞受賞作品。

公開 1982年12月10日
1983年4月
上映時間 188分
製作国 イギリス インド
言語 英語
制作費   2200万$
興行収入 5270万$

宗教家であり、「インド独立の父」として知られる マハトマ・ガンディーの青年時代から暗殺までを描いた歴史映画。初めて映画に出演したインド人の血を引くイギリス人俳優のベン・キングズレーが、極限までガンディーの外見と仕草を模倣し、アカデミー主演男優賞を初め、数多くの映画賞を受賞したことが大きな話題を呼んだ。また、動員したエキストラは30万人を超え、1つの映画作品に動員したエキストラの最多記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定された。


ストーリー
イギリスの植民地であり、有色人種に対する人種差別政策が行われていた1893年の南アフリカ。列車の一等車に乗っていたインド人の青年弁護士が、三等車に移るように白人の係員に指示されたものの、それを拒否したために列車から放り出された…。


スタッフ [編集]
監督・制作:リチャード・アッテンボロー
制作総指揮:マイケル・スタンレー・エヴァンス
脚本:ジョン・ブライリー
撮影:ビリー・ウィリアムズ/ロニー・テイラー
SFX:デヴィッド・ハサウェイ
音楽:ラヴィ・シャンカール
音楽/編曲:ジョージ・フェントン
美術:スチュアート・クレイグ

キャスト [編集]
マハトマ・ガンジー:ベン・キングズレー
マーガレット・バーク=ホワイト:キャンディス・バーゲン
アーウィン卿:ジョン・ギールグッド
ウォーカー:マーティン・シーン
ダイヤー将軍:エドワード・フォックス
ブルームフィールド判事:トレヴァー・ハワード
総督:ジョン・ミルズ

受賞・ノミネート [編集]
第55回アカデミー賞
受賞:作品賞/監督賞/主演男優賞/脚本賞/撮影賞/美術監督・装置賞/衣装デザイン賞/編集賞
ノミネート:作曲賞/メイクアップ賞/音響賞
第40回ゴールデン・グローブ賞 外国映画賞/監督賞/ドラマ部門男優賞/脚本賞/新人賞
第36回英国アカデミー賞
受賞:作品賞/監督賞/主演男優賞/助演女優賞/新人賞

Goo
あらすじ - ガンジー(1982)
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あらすじ
南アフリカ、1893年。皮膚の浅黒い一人の青年紳士が列車の一等車に乗っていたため放り出された。この人種差別に、青年は激しい怒りを覚えた。青年の名はモハンダス・K・ガンジー(ベン・キングズレー)。ロンドンで学んだ彼は、インド人商社の顧問弁護士として南アフリカのダーバンへ渡って来たのだ。彼はインド人移民に呼びかけて、身分証明カードを焼き拾てることを提唱する。そんな彼を支援するイギリス人牧師アンドリューズ(イアン・チャールソン)と、取材にあたる『ニューヨーク・タイムズ』の記者ウォーカー(マーティン・シーン)。ガンジーは暴力をいっさい用いずに闘うことを信条とし、“生涯禁欲"の誓いを立て、アシュラム(共同農園)を建設。彼の差別反対闘争にインド人労働者たちも次第に結束し始めた。1915年ボンベイに戻ったガンジーはインド国民から英雄として迎えられた。当時、インドの指導的立場にある人々は、イギリスからの独立を願っており、彼らの中には、後に首相となるネール(ロシャン・セス)もいた。ガンジーはイギリス支配下にある祖国をつぶさに見て歩き、チャンパランという寒村では、小作人の権利を守るため地主と闘い逮捕された。イギリスは言論、思想、集会の自由を抑圧した法律を第一次大戦後のインドに適用したため、ガンジーは1919年4月6日を全国民の祈りと断食の日とし、ストライキを呼びかけた。ガンジーは逮捕されたが、今や“マハトマ(偉大なる魂)"と呼ばれ、全国民の精神的支柱となった彼を裁判にかけることは不可能だった。だが、この騒動の際中に、イギリスのダイヤー将軍(エドワード・フォックス)率いる軍隊が、アムリツァールの公園で集会中の群衆に発砲し1516人の死傷者を出すという事件が起こった。2年後、ガンジーは、英国製の衣類を焼くように呼びかけるなどイギリスに抵抗するが、国民のイギリスに対する不満は、流血の暴動となって現われた。これを嘆いたガンジーは断食で無言の説得を行ない鎮静させる。その直後ガンジーはイギリスに対する非協力で逮捕され、6年の刑で投獄された。だが、判事のブルームフィールド(トレヴァー・ハワード)は、ガンジーに同情的だった。数年後、ガンジーは、イギリス人が独占していた製塩事業に対抗するため、民衆と共にダンディーの海岸へ向けて“塩の大行進"を決行。インド人による製塩所を設立したが、軌道に乗った頃にイギリス軍に取り上げられ、無抵抗の民衆は容赦なく殴打され、ガンジーは逮捕された。1931年、釈放されたガンジーはアーウィン卿(ジョン・ギールグッド)と交渉の結果、ロンドンの円卓会議に出席したが、独立は勝ち取れなかった。やがて第二次大戦が勃発。戦争に反対するガンジーは、アガーカーン宮殿に収容された。その彼を、『ライフ』の女性記者バーク=ホワイト(キャンディス・バーゲン)がカメラに撮り続けた。独立を目前にしたインドだったが、回教徒はヒンズー教徒と袂を分かち、1947年8月、アリ・ジンナー(A・パダムゼ)を指導者としてパキスタンを建国。そのため、国境を中心として両教徒の間で衝突が激化、内戦状態になった。これを悲しんだガンジーは、カルカッタで断食を行ない、民衆に武器を捨てさせることに成功した。1948年1月30日。マハトマ・ガンジーは、デリーで夕べの祈りをしている時、ヒンズー教極右派のヴィナヤク・N・ゴードセーによって暗殺された。時にガンジー78歳。葬儀には250万を越える人々が集まり、遺灰は聖なるガンジス川に流された。






YAhoo

インド独立運動の指導者“偉大なる魂”マハトマ・ガンジーの波瀾に満ちた生涯の映画化。物語は、ガンジーが商社の顧問弁護士をしていた若き時代から、インド人差別からの発起、様々な活動、そしてその死に至るまでの軌跡を壮大なスケールで追ってゆく。本作はガンジーを単に救国の聖人として賛美するだけではなく、祖国インドの大地を愛するが故に、また3億5千万の同胞を愛するが故に、支配者大英帝国の巨大な力に立ち向かっていった生身の姿を描く。

EICに経済的に支配された状況からの脱皮の物語。ガンジーが近代の経済の仕組みを理解していたのが、初めて知りました。

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映画「ガンジー」が製作されていた頃、アッテンポロー監督の元にはイギリスの一部の保守派や右翼から多くの圧力がかかったそうです。
もしアッテンポローに信念や勇気が無ければ、「ガンジー」は完成しなかったかもしれません。
この映画ではイギリスの過酷なインド植民地政策の実態が赤裸々に描かれています。
独立を求めるインド市民に対するイギリス軍による大量虐殺シーンも描写されています。
イギリス人のインド人に対する差別・偏見は、同じアジア人である私たち日本人にとっても衝撃的です。
この映画に対してイギリスの右派勢力が憤慨したのも、逆の意味で納得出来ます。
しかし「ガンジー」は決してイギリス人にとって”自虐的映画”ではありません。
人間にとって最も重要なのは”自らの過ちを認め真摯に反省する”そして”自分達と異なる価値観を尊重する”ことの二つだと思います。
その点で考えれば「ガンジー」はイギリス人にとって”誇るべき映画”と言えるのではないでしょうか?
全体主義国家の国策映画は「自分達は常に正しい、悪いのは敵だ!」というものばかりです。こんな映画は何回見ても全く感動しません。
しかし映画「ガンジー」は民主主義国家イギリスの真の誇りと素晴らしさを表していると思います。
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驚くのはガンジー役のベン・キングスレーがガンジーに似ていること。
撮影当時のロケ地ではガンジーが生き返ったと、参拝する人々が後を絶たなかったそうだ。

ガンジーといえば非暴力・不服従の思想だ。この思想を礎に数度の投獄にも拘らず強い意志で独立運動を進めた正に偉大なる魂(マハートマ)の人だ。
 自分には厳しい人だが、他者に対しては寛大でチャーミングな面があったように描かれているのが印象的だった。

独立の気運が高まるなか、ヒンドゥー教徒と回教徒の対立が顕在化する。
結局、インドとパキスタンの分離独立となったのはガンジーには残念でならなかっただろう。この映画でも落胆した表情のガンジーが描かれている。

宗教間の対立は、分離独立によって更に激化し、全土で暴動が起こると、彼は命がけの断食によって暴動を沈静化させる。

回教徒が断食で瀕死のガンジーの前に武器を置き、もう争わないことを誓う。

ヒンドゥー教徒の男がナンをガンジーに投げ、「俺は地獄に行くが、あなたは、生きろ」と叫ぶ。自分の家族・子供を回教徒に殺され、復讐に回教徒の子供を殺したのだと告白する。ガンジーは男に、「両親を殺された子供を拾って育てなさい。それも回教徒の子供を、回教徒として育てなさい」と言う。男は足元に跪き号泣する。

感動のシーンだ。


映画はヒンドゥー原理主義集団の一人により暗殺され、荼毘にふされた灰がガンジス河に流されるまでを描く。

最後に字幕に流れる言葉が心に響く

「私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんなときも、私はそれを思うのだ」

彼は真理の探求の為に、一生を捧げた人だという。何故生きるのか、真理と愛が勝利を収める瞬間を目にすることができたなら、それは幸せな一生であると思う。ここにその稀有な例があるのではないかと、この映画を観て思った。