









「私は こう生きた」をグーグルで検索。
http://www.wind-design.com/wwjd/hope/
自殺方法を考える前に読んでください。生きる希望はここにあります。
「私たちは何処から来たのか?
私たちは何者か?
私たちは何処にいくのか?」
画家ゴーギャンが描いたある絵の「題名」です。
みな、この題名の答えを探しています。
あなたは答えを持っていますか?
http://homepage3.nifty.com/ishii2004/page019.html
「生きる意味が分からない」という、あなたへ
私は生きる意味がわかりません。下手だけど飽きないのはバスケットだけで、好きなこと
が特にありません。頻繁に遊ぶ親友もいません。周りからは普通の人に見えると思いま
す。彼氏はいたりいなかったり。面白い人だと言われることもありますが、私の中では満
たされません。死ぬことも面倒くさいです。
私はこんな自分自身が恐くて、これから生きていく自信がありません。生きる意味を探
して今までたくさん本を読みましたが、なぜ人は生きるのでしょうか。命はなぜ重いので
しょうか? (福岡県 大学生女子 19歳)
この投書を読んだ時、私には以前、講義を受講していた一人の女子学生のレポートが思い
浮かびました。それは彼女もあなたと同じように「生きる意味がわからない」という疑問を持って
いたからです。そして「死にたいと思い、手首を切ったこともある」という状況にいたようです。
彼女も「なぜ死ぬことが良くないか、なぜ人は生きるのか、誰に聞こうとも、納得できる答えを
言ってくれる人なんていなかった」ようです。それでも彼女は、授業の課題レポートをきっかけ
に、生命のありがたさ、尊さに気づいたと、次のように述べています。
「生命のありがたさ、尊さに気づかせてくれたのが、スーパーISOの実践でし
た。実践の内容を理解するために、教科書を読み、他の学生さんが書いたレ
ポートを読むにしたがって、生きること、命の大切さについて少しずつ分かって
きました。・・・悩んでいる私を見て母が、私が生まれてきたときのことを話して
くれました。初めて聞いた誕生のエピソードと母の、“親より先に死んではならな
い”という言葉が心にやきつき涙が止まりませんでした。私を必要としてくれてい
る人の存在に気づきました。そして辛いことがたくさんあっても頑張って生きて
いこうと決心しました。実践を終えた今、私はなぜあのときそんなにも死にたい
と思っていたのかと不思議です。そして生きていて良かったと思います。」(D女3年)
そこで「生きる意味が分からない」というあなたへ、いくつかの提案があります。
私は人生は学びのプロセスだと考えています。何を学ぶかというと、「生きるとは愛すること」
です。そこで、まず初めに、あなたも彼女のように、"愛あふれる私"になることを宣言して、2ヶ
月間だけでもスーパーISOを実践してみていただけないでしょうか。 私のホームページ(石井
薫のホームページ)から、学生による家庭版(社会版・地球版・宇宙版)の各スーパーISOのレ
ポートをダウンロードして読むことができます。これを読めば、実践しやすいと思います。 《生
きる意味》は、本を読んでも、知識として知るだけで、本当には分からないと思います。それぞ
れが自分の日々の生活のなかで、体験して初めて分かることだと思います。つまり、《生きる意
味》は、教えられるものというよりも、自分で学びとらなければならないものだと思うからです。
鵜飼の主張
生きるのは何のため
先祖が「生きよう」と願った生物で、その遺伝子が私たちの体内で「活動」し私たちをそそのかすため。
生きなくてもいいが、 生きられる
チャンスは少ないから生きたが得。
けれども、地球の一員として節度を守り、速やかに「死」を選び、交代することが大切である。
「私はこう生きた」をタイトルにするHPはグーグルで検索するかぎり
まだ 認識されていない。
私のHPが 認識されると「第1号」になるかも。日本人は「我が道を行く」勇気がないから「こう 生きたい」「こう生きれば幸せになれる」「誰が こう 生きよと 言っている」式。
そんな文は読むのは、カクカソウヨウ。
私のマイカー38年
1 スズキフロンテ 10LC

■主要諸元
●エンジン型式:空冷・2サイクル・3気筒
●総排気量:356cc
●最高出力:25ps/5000rpm
●車両重量:420kg
●発売当時価格:37.7万円(スーパーデラックス)
1967年にデビューしたフロンテ360 LC10は、これまでのスズキの軽自動車、スズライトとは全く正反対のコンセプトをもって登場しました。エンジンはリアにマウントされ、後輪を駆動するRR方式を採用し、スタイルも当時「ダルマ」などと呼ばれた、丸みを帯びたユニークなもので、当時のトレンドだったコークボトルラインと呼ばれる複雑な面構成でした。室内スペースも十分で、フロントは足元を広げ、リアはエンジンルームぎりぎりまでシートを下げ、4人の乗車定員を確保しました。
2 スズキフロンテ 71W

1971年5月 フロンテ71W追加発売(空冷車と併売)。フロンテ71のボディはそのままに、新しい水冷エンジンを搭載したモデル。形式名はLC10W型。グレードは当初GL-W、GT-W、GT-RWの3機種。GT-RWの「R」は、ラジアルタイヤ(135SR10サイズ)標準装備の意味。エンジンは新開発の水冷2ストローク3気筒を搭載。冷却には独自の「デュアル・ラジエター方式」を採用。GL-Wは34馬力、GT-W系は37馬力となる。室内には温水による新しいヒーターシステムが完備され、エンジン性能向上に伴い、各部が強化された。動力性能は当時の軽4輪車の中では抜きん出ており、GT-Wの走行性能は「1500ccの乗用車とほぼ互角」と言われた。
3 suzukiアルト 初代(SS30V型・1979年-1984年、SS40V型・1981年-1984年)

製造期間 1979-1984年
最高出力 28ps/5500rpm (T5B)
28ps/6000rpm (F5A)
最大トルク 5.3kg-m/3000rpm (T5B)
4.2kg-m/3500rpm (F5A)
変速機 4MT/2AT
駆動方式 FF/4WD
全長 3,195mm
全幅 1,395mm
全高 1,335 - 1,350mm
最低地上高
ホイールベース 2,150mm
車両重量 540 - 560kg
最大積載量 200/100kg
燃料タンク容量
燃費
姉妹車/スズキ・フロンテ
1979年5月
フロンテのライトバンとして発売[1]。型式は「H-SS30V」。
当時の税制で税負担の軽かった「商用車」としながら乗用車として用いられることを想定し、大衆ユーザー層の軽便な交通手段需要に適応させた、簡素で極めて廉価な「乗用バン」として当初から開発された。「軽ボンネットバン」と呼ばれる「節税型軽乗用車」ジャンルを創成したモデルである。当初はモノ(単一)グレードで展開されていた。
前輪駆動方式を採用した2ボックススタイルで車内容積はそれなりに広く、当時としてはそこそこ近代的な外観であった反面、機構的には従来モデルの旧型エンジン(T5A)から設計を流用した2ストロークエンジン(T5B)、リアサスペンションには廉価で軽量・コンパクトだが旧式な固定軸のリーフ式サスペンションを採用するなど、低コストに徹していた。排気ガス規制が緩い商用車であるため、コストやトルクの面で有利な2ストロークエンジンの採用が容易であった[2]。後部座席は商用車としての規制(荷台スペースを後部座席のスペースと同等以上にしないといけない)から折り畳み式のごく小型なものであり、実用上は子供の乗車程度が限度であった。
当時軽ボンネットバンを含む商用車は物品税が無税で、15%を上回る高税率の物品税を課されていた乗用車よりも、税制上有利であった。スズキではそれを逆手にとって「軽乗用車としての軽商用車(軽ボンネットバン)」という位置付けにし、ターゲットも従来の商業関係者ではなく、セカンドカーとして主に買い物や子どもの送り迎えなどに使う主婦層を狙った。スズキでは開発に先立つ市場リサーチで当時「軽自動車の基本乗車人数は1?2人」というデータを得てもいた。軽バンは法的には商用車であるから後部座席の居住性は良くないが、フロントシート2座席分は普通の軽乗用車並みの居住性が確保されるので、大方の軽乗用車ユーザーの使用環境なら問題は生じないと看破したのである。結果として正しい判断であった。
発売当時、日本の中古車市場では40万円から50万円程度の中古車の売れ行きが良好であったことから、そのクラスの需要層を狙い、45万円程度の廉価な新車を提供することを目標に開発が進められた。このためコストダウンを最優先に、安全上問題ない範囲で製造原価見直しが徹底追求された。ダッシュボードパネルは樹脂一体成形、ドアなどの内張りでも省けるものは省略して鉄板塗装、フロアマットは廉価だが必要機能は満たせるゴム製、バンパーも廉価で済むグレー塗装のスチール製、助手席側ドアの鍵穴は過剰装備として省略、ウィンドウウォッシャーも電動モーターを全く使用しない手押しポンプ式にするなど、それまでのデラックス化した軽乗用車とはまったく正反対の、機能性に徹した低コスト車開発が計られたのである。
その結果、当初目標であった45万円は達成できなかったものの、自動車業界初となる全国統一車両本体価格「47万円」という、1979年当時の新車の軽自動車としては驚異的な低価格が実現された。発表されると市場に衝撃を与え、ほどなく大量のバックオーダーを抱える人気車種となった。「アルト」の成功を受け、他の軽自動車メーカーも追随して同様のコンセプトの軽商用車を発売し、「セカンドカー」需要を開拓した。
4スズキ・アルト 3代目(CA11S/11V/21S/21V型/CR22S型・1988年-1994年)

製造期間 1988-1994年
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
全長 3,195mm (CA11S/11V)
3,295mm (CA21S/21V)
全幅 1,395mm
全高 1,400mm
ホイールベース 2,335mm
車両重量 660kg
車台共有車 マツダ・キャロル
スズキ・セルボモード
スズキ・ワゴンR
回転ドライバーズシートがセールスポイントだった先代のアルトは、ホイールベースが他社のモデルと比較して短く、室内空間で一歩見劣りしていた。そうした問題を踏まえて、3代目のアルトはホイールベースを一気に伸ばし、当時の軽自動車の中で一番長くすると共に、モデルバリエーションに従来のレジーナなどに加えて、国産車初の両側スライドドアを持つ「スライドスリム」を回転ドライバーズシートと併せて新たに加えた。エンジンは先に3代目セルボに搭載されたF5B型(3気筒SOHC12バルブ)を一部のグレードに採用し、それ以外はSOHC、DOHC、ターボに関わらず全てF5A型(バン、ワークスを含む)を採用。
1988年9月
フルモデルチェンジ。両側スライドドアのグレードも設定したが、狭い場所での乗降が楽な反面、電動式ではなかったため、「ドアが重い」と女性オーナーからクレームが多く、またスカートを履いた女性はドアを開けてシートを回転させて降りる際に、スカートの中が見えてしまう[5]という意見もあり、この世代のアルトの中では特徴的なモデルであったにも関わらず、ヒット作とはならなかった。このモデルからは2代目以降のマツダ・キャロルのベースモデルにも採用された。
1989年4月
消費税施行に伴い、物品税が廃止されると、ボンネットバンのメリットが薄れたためアルトにも5ナンバー車を設定し、フロンテはアルトに統合される形で生産終了となった。これによって従来のモデルの大半が5ナンバーに切り替わり、5ドアバンを廃止する代わりに5ドアセダンを4車種設定する等、セダン重視のラインナップとなる。
5 スズキアルト 4代目(HA11S/11V型・1994年-1998年)

製造期間 1994-1998年
乗車定員 4人
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
全長 3,295mm
全幅 1,395mm
全高 1,400 - 1,405mm
ホイールベース 2,335mm
1994年11月
フルモデルチェンジ。特に3ドア車はデザイン的に先代からのキープコンセプトでホイールベースを含むボディサイズは先代から据え置かれたが、「レジーナ」や「スライドスリム」などのバリエーションはなくなり、3ドアと5ドアの標準モデル、そしてスポーツモデルの「ワークス」のみとなる。先代はベスト・アルトのコンセプト通り大ヒット作となったが、コスト削減のためか4代目は身内であるワゴンRの影響によってやや影の薄れたモデルとなってしまった。フルモデルチェンジで「ワークス」の上級グレードの「RS/Z」のエンジンは新開発のオールアルミ製3気筒DOHC12バルブインタークーラーターボのK6A型660ccエンジンを搭載し、ECUが16ビットへ変更。最高出力64ps/6500rpm、最大トルク10.5kg-m/3500rpmを発生。
6スズキ・アルト 5代目(HA12S/22S/23S型・1998年-2004年、HA12V/23V型・1998年-2005年)

製造期間 1998-2004年
変速機 4MT/5MT/4AT/3AT/CVT
駆動方式 FF/4WD
全長 3,395mm
全幅 1,475mm
全高 1,440 - 1,455mm
ホイールベース 2,360mm
車台共有車 スズキ・ワゴンR
スズキ・MRワゴン
スズキ・アルトラパン
1998年10月7日
軽自動車規格改正と共にフルモデルチェンジ。この型からマツダへキャロルとしてボディパーツも大半が共通となるOEM供給を開始。最上級グレードの「エポP2」はオートエアコン、後席分割シート、シートベルトアジャスターを装備した。また、「Sc」にはDOHCリーンバーンエンジン搭載車(電子制御スロットル搭載)を設定し、10・15モード測定値で29km/Lの低燃費を実現。スポーツ仕様の「ワークス」はエンジンに可変バルブ機構・ドライブ・バイ・ワイヤを採用し軽自動車としては究極とも言える高性能化を図った。