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リビング・ウィル
ウィキペディア
リビング・ウィル(Living Will)は、生前の意思という意味の英語の音訳。
リビング・ウィルとは、生前に行われる尊厳死に対してであれば「尊厳死の権利を主張して、延命治療の打ち切りを希望する」などといった意思表示のこと。またそれを記録した「遺言書」などのこと。インフォームド・コンセントの浸透とともに、このような考え方も広まってきた。ほかに葬儀の方法や、臓器提供の可否などがリビング・ウィルの対象として論じられることが多い。
尊厳死を望む場合であれば死に直面した患者が、自らの意志で延命治療を拒み、死を迎えようとする考え方。その場合に「苦痛を取り除くことを目的とする安楽死に対して、無理な延命措置により患者の尊厳が損なわれるのを避ける」ことが尊厳死の目的である場合もある。
1994年に日本学術会議は、尊厳死容認のために、
医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること。
意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思を確認できない場合、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと。
延命医療中止は、担当医が行うこと。
以上の3つを条件としてあげている。
しかし、この内容に関しても、議論は続いている。1998年、宗教的理由から輸血拒否の意思を明らかにしていた「エホバの証人」のガン患者の意思に反して医師があえて輸血したという事案において、東京高裁が患者の同意を必要とし、これは「各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権に由来するもの」で、「いわゆる尊厳死を選択する自由」も認められるべきものと説いたことは、大きな反響を呼んだ。
http://saigawa-tune.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/iving-ill-a383.html
昔の仲間が救急車で搬送された病院で、「末期がん余命半年」と宣告された上、2週間以内に転院を申し渡された。どうしたらいいか?そんな相談があった。
病人を知っているだけに驚いた。
人間いつかは対面しなければならない「死」。「人に迷惑を掛けず。穏やかな締めくくり」「J(丈夫で)B(ボケずに)K(コロリンコ)」は中々難しい。延命処置をするかしないかは大きな問題である。
寝たきりでチューブに繋がれた時、問題になるのがリビング・ウイルだ。JBKでは何度か書き込んだことがあるので参考送信する。
尊厳死協会に入会しなくても下記の「尊厳死の宣言書」の作成年月日、署名押印して家族に渡しておけば、植物人間になって生かされることもないし、お世話になった医療関係者に迷惑を掛けたりすることはない。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180517.htm
東海大学安楽死事件で、横浜地裁が平成7年3月28日に示した「安楽死の要
件」があります。
1、死期が切迫。2、耐え難い苦痛。3、苦痛除去緩和の手段がない。4、本人の
意思表示。―の四点です。
◇ 前項の横浜地裁が提示した要件は厳格にすぎ、安楽死(不罰)の該当例を
過度に制限していると、私共は考えております。
1、死期が目前に迫っていなくとも、退院して生活(社会復帰・食排泄等の
動作)をする可能性が全くない場合は、安楽死を認定すべきです。
2、ガン等では耐え難い痛みが極めて多いのですが、病状によっては、昏睡
状態が延々と持続し、時々正常に(覚醒状態)に復帰するものの苦痛を訴える
場合があります。苦痛の範囲を余り厳密にすべきではありません。
3、ほかに苦痛除去の手段がない、というケースは非常に稀です。モルヒネ
・鎮痛剤・睡眠薬等の手法がかなり広範囲に存在します。苦痛に拘泥するのは
間違いです。
4、本人の意思表示は、取れない場合が非常に多いです。「本人」に限定す
ることは行きすぎです。
◇ 新しく提言したい「安楽死に該当する要件」を以下に提示します。
1、退院して生活(社会復帰・食排泄等の動作)をする可能性が、全くない
場合。(前項の1に対応)
2、苦痛を主たる要因としつつも「苦痛」に拘泥せず、全体的な(全身の病
状状況の)配慮を重視すべきです。(前項の2と3に対応)
3、本人や家族等の真意を重視します(前項の4対応)。具体的には、
A 本人の自筆署名による意思表示を最善(原則)とするも、
B 病状・切迫度合い(緊急の事故等)により、家族二人又は、
C 家族一人に加え親族・顧問弁護士等の親密な関係者二人の計三人
の自筆署名による意思表示を認めます。
4、担当医師一人だけの判断ではなく、当該病院・担当医と無関係な医師と
の合致した「安楽死容認」の判断を取り入れることを要件とすべきです。
◇ 安易に「安楽死」を容認すれば、犯罪に悪用される危険が増大します。し
かしながら、「安楽死」を容認しない場合、本人の苦痛・家族の負担増(金銭
上・精神的)・国家的な無駄な医療費の膨張問題が発生します。一定の厳格な
条件のもとに、安楽死(不罰)を、前向きに(積極的に)容認すべきでありま
す。
リビング・ウイル・Living Will)とは尊厳死の宣言書のことです
JBKとは深い関わり合いがあり、これまでに何回か取り上げておりますが、質問がありましたのでお答えします。
2回も余命宣告をされた私は、バアチャンと一緒に1990年、日本尊厳死協会(03−3818−6563)に入会し、この宣言書を常時携帯しております。今度お会いした時お見せしますね。
時々、「身内の者が医者に見放され、かなり危険な状態になった。病人に、万が一に備えリビング・ウイルを書かせたい。前に聞いたことがあるが、どうしたらよいか?」と言う相談を受けることがある。
一人の人間が死ぬと言うことは、その時期によっては遺産相続などにも影響し、簡単に口を挟めることではない。まして何本ものチューブで繋がれた病人に、本人の意思ならば別だが、第三者が介入してこれを書かせるのは問題。
私の考えではこれは病で倒れ重態になってから作成するものではなく、健康な時に作成しておくものだと考えている。
何も尊厳死協会に入会しなくても、下記の内容の文章に自筆で署名、押印、日付け、を書くだけでいい。そうしておくことでお世話になった医療関係者に迷惑を掛けることを防げる。植物状態のまま生かされ続ける心配もなくなる。一度装着したチューブを外すことは難しい。
安楽死か殺人かが法廷で問われる時、問題になるのは本人の生前の意思である。
お迎えはいつの日か必ずやって来る。これを機会にこのブログをコピーして自分のリビング・ウイルを造ってみてはいかが。家族などの立会人の署名も連記できればよりベター。
尊厳死とは
傷病により「不治かつ末期」になったとき、自分の意思で死に行く過程を伸ばすだけに過ぎない延命処置をやめてもらいたい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです。
尊厳死の宣言書
(リビング・ウイル・Living Will)
私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。
この宣言書は私の精神が健全な状態にあるときに書いたものであります。
従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文章を作成しない限り有効であります。
1 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診 断された場合は徒に死期を引き延ばすための延命処置は一切お断りいたします。
2 但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施してください。
そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても一向にかまいません。
3 私が数ヶ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持処置を取りやめてください。
以上、私の宣言による要望に忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従った行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。
年月日
署名
宗教 共産主義
ウイキペディアより
マルクス・レーニン主義(マルクス・レーニンしゅぎ)とは、マルクス主義の一つの潮流で、ボリシェビズム、ロシア・マルクス主義ともいう。レーニンの死後スターリンによって提唱された、〈ロシア革命の指導理念としてボリシェビキの指導者ウラジーミル・レーニンが案出したもの、またそれを一般化・普遍化した思想〉である。略してML主義とも表記する。
帝国主義論
資本主義は、資源と労働力と市場の確保のため、植民地争奪戦争を必然化するとする。
無神論
「宗教は民衆のアヘンである」とのマルクスの言葉を踏襲し、宗教の存在を否定する。階級社会が発生して以来、支配階級は、民衆の目を厳しい生活からそらさせるため、常に宗教を利用してきたからである、とする。実際に、ロシア革命以降、諸宗教の数多くの教会が破壊され、聖職者及び信徒が虐殺された。マルクス・レーニン主義者の、宗教に対する否定的な姿勢は、戦闘的である。これはスターリン時代にも受け継がれ、『戦闘的無神論者同盟』などが組織された。
戦略論
プロレタリア独裁
革命後、全ての生産手段が社会化される共産主義に至るまでの時期には、反革命勢力となるブルジョワジーが残存しており、革命勢力であるプロレタリアートは奪った権力を行使して、これを抑圧しなければならないとする。後にスターリンはマルクス・レーニン主義を定式化するにあたり、レーニンにおいては共産主義に至る前段階であったプロレタリアート独裁期を社会主義であるとした。
レーニンにとって「独裁」とは、「直接に暴力に立脚し、どんな法律にも拘束されることのない権力」のことであった。(実際にはエス・エル、メンシェビキその他の政党は、ソビエト体制化でもソビエトに参加していた。ところが反革命のテロ活動を行ったとして、レーニンはこれらの政党を禁止した。)そのため、レーニン直属のチェーカーなどの抑圧機関が無制限に国民の粛清を行った。チェーカーは1922年にGPUと改名して、スターリン時代も大規模な国民の粛清を行った。「目的は手段を正当化する」、というセルゲイ・ネチャーエフの影響が強い。
永続革命論
一国でプロレタリアートの政権が成立しても、目標を実現したことにはならず、目標は全世界で共産主義社会を実現することにあるとする世界革命論を発展させ、一国でのプロレタリアートの政権の成立はそれだけでは社会主義社会への移行には不十分で、特に後進国の場合プロレタリアートの政権の維持そのものために、他国での連続した革命が必須であり、それを可能にするためには最初からプロレタリアートが革命をリードする必要があり、また既に権力の奪取が成功した国では止むことのない改革が必要であるとした。レーニンは当初、二段階革命論を主張し、永続革命論を主張するトロツキーと対立していたが、帝政の崩壊後永続革命論の立場に転じ四月テーゼを発表した。一国社会主義を標榜するスターリンはマルクス・レーニン主義を定式化するときに永続革命論を無視したので、ソビエトでは継承発展されず、トロツキーの思想の系譜につながる人々やアントニオ・グラムシなど西欧のマルクス主義者が継承し、形を変えながらも発展させた。
帝国主義戦争の内乱への転化(革命的祖国敗北主義)
自国が帝国主義戦争を起こすに至ったら、労働者は自国の戦争での勝利のために闘うのではなく、戦争に乗じて階級闘争を激化させ現体制を打倒するために闘うべきだとした。レーニンはこのようにして第一次世界大戦時に革命を成功させ、ロシアを戦争から離脱させた。
前衛党論
レーニンは自らの党組織論をおおむね『何をなすべきか』(1902年)において記している。これは労働組合主義を「経済主義」と呼んで批判する論争的な著作である。
レーニンは革命の可能性について自然発生性のみならず目的意識性を重視した。そのうえで革命への目的意識は外部からプロレタリアートに注入できるとも考え、革命理論はプロレタリアートの外側から知識人から持ち込むものと考えた(この点まではカール・カウツキーと一致している)。加えて、それゆえに実際の党組織と労働者組織は峻別されるべきだと考えた。これらの運動論・党組織論は次のように実践された。
職業革命家の党
ドイツ社会民主党を範とするメンシェヴィキは、大衆に開かれた党を主張した。メンシェビキを率いるマルトフは、党の指導のもと、個人的に党活動に参加すべきであると考えていた。
しかし、「党員は党組織の一部を担う」べきだと主張しつづけていたレーニンは、大衆に開かれた党を官憲に開かれた党であるとした。そのうえで言論の自由のないロシアでは、革命党は職業革命家の党にならざるを得ないとした。のちに、これらの党専従活動家・党官僚がノーメンクラトゥーラと呼ばれる特権階級と化してしまうという皮肉が現出した。
民主集中制
もともとは「分派結成の自由」も含めた異論の表明は保障するが、少数は多数の「決定」に従わなければならない、とする組織原則。ボルシェビキは、17年革命以前は分派結成の自由を保障していた。革命後の内戦・帝国列強のロシア侵入に対する戦争の中で「指導部の指導力」を強める必要から、ロシア共産党は一時的な措置として「分派の結成」を禁止した。スターリンは、レーニンの死後、「党は討論クラブではない」として、「分派の禁止」を「民主集中制の原則」にまで高めた。以後、第二次大戦後も各国共産党は、「分派を禁止する一枚岩の組織原則としての民主集中制」を保持し続けた。それは党内討論よりも指導部による方針の上意下達を優先する、各国の共産党を例外なく蝕んだ「組織内官僚主義」の組織論的根拠となったと言えよう。(民主集中制の組織原則は党の方針について、全党的な議論をする、多数決によって決定された方針の正誤は、全党の実践を通じて検証するという組織原則である。民主集中制の組織原則を乱暴に破壊したのはスターリンであるとされる。スターリンはレーニン死後、指導部の90%余りの幹部を弾圧して独裁体制をつくりあげた。)
一国一前衛党論
レーニンは第三インターナショナル(コミンテルン)結成に際して、「支部承認」を求める組織に「社会民主主義からの訣別の証」として「(国名)共産党」と名乗ることを義務付けた。また、一国で複数の共産主義組織の加入申請があった場合はどれか一つ、もしくは組織の統一をさせたうえで支部承認した。しかし、初期のコミンテルンは「一国一支部」を原則としながらも、「コミンテルン支部以外の共産主義組織」を「イコール敵対者」と定義していたわけではない。このコミンテルンの原則を「統一した党は革命の司令部であり、司令部がいくつもあったら命令指揮系統が混乱する」とする「一国一前衛党論」として「原則」にまで高めたのはスターリンである。その結果、スターリン指導下のコミンテルンによる「一国一前衛党論」は、各国支部以外の共産主義組織に対して「反革命トロツキスト」(それは必ずしもトロツキー派の組織ではなくてもレッテルを貼って攻撃した)などと激しく攻撃する「セクト主義」の論理として機能していくことになる。コミンテルンに対抗して1938年に結成されたレフ・トロツキーの第四インターナショナルも「一国一支部の承認」を原則としているが、自派以外の共産主義組織の存在を認める「複数主義」の立場をとっている。
現実
党官僚の特権化
遅れたロシアでは執権すべきプロレタリアートは存在せず、プロレタリアートが発生するまでは党が民衆を指導しなければならないとした。が、レーニンが想定した「プロレタリアート」は発生せず、党官僚がそのまま革命前の貴族や地主、資本家にとって代わって社会のエリート、特権階級として定着してしまった。民衆が貧しい生活を強いられる一方で、党官僚は資本主義の富裕層のような生活を送ったので共産貴族などと呼ばれる。
管理社会
反革命の摘発・弾圧自体は、マルクス・レーニン主義に限ったものではない。フランス革命も絶対王政諸国から反革命戦争を挑まれ、国内において王党派・反革命派と思われる民衆を大量に処刑した(恐怖政治)。実際、レーニンはフランス革命を参考にして内戦の期間中革命法廷を設立し、反体制とみなした者を多数処刑している。
秘密警察(チェーカー)は、帝政ロシアのオフラーナを基にしているが、強制収容所はレーニン自身が提唱したものである。国民の生殺与奪を握ったチェーカーと強制収容所も、最初は資本主義国家群や反対者による反革命に対抗する目的で創設されたが、先進国・その他の資本主義国家群において社会主義革命が起こらないまま守勢に回るに及んで、管理社会と呼ばれる状況が出現し、ほどなくして史上最大の管理社会が誕生した。
思想への思い入れ、階級憎悪
マルクス主義者は、学説の一つに過ぎないマルクス主義を真理だと確信する傾向がある。しかも、プロレタリアートとブルジョアジーは和解できないとの立場から、ブルジョアジーや革命を阻害する勢力・人物に対して激しい憎悪を持つことになる。これが、国民の自由の弾圧へとつながった。
マルクス・レーニン主義者は現実を無視して理論を選ぶ、あるいは思想に対する激しい思い入れをもつ、との考えから、マルクス・レーニン主義を擬似宗教と呼ぶ者もいる。小田実は、マルクス・レーニン主義の体質は、カトリックに似ていると主張する。その中で「プロレタリアート=信徒、党=教会、書記長=ローマ教皇とそのまま置き換えられる」としている(ロシアはカトリックではなく正教会圏なので、ロシア正教会に準えられる場合もある)。レーニンの著書「プロレタリア独裁と背教者カウツキー」というタイトル自体が、マルクス・レーニン主義の宗教性を端的に物語っている。
http://1mile.iza.ne.jp/blog/entry/1013960/
資本主義だって宗教だ。
何の価値も無い紙切れを永遠の価値があるとあがめる拝金教だ。ありもしない話で(二酸化炭素温暖化等)で信者を恐怖の底に落とし込み、エコだ、メタボだ、禁煙だと信者を罪人にして銭をむしりとる(ただ働きをさせる)、時間(人生の)を奉仕させる。
エコと経済発展はまったく相反する。
欺瞞だらけの茶番劇を繰り返して、納税家畜を飼育する。
ソ連もロシアも同じだ。
中国だって同じだ、紫禁城が人民大会堂に代わっただけだ。
支配を受けていない縄文人は、自らが生きるために労働した時間は一日4時間程度と聞く。現代人は紙切れに騙されて一日何時間を奉仕しているのか。これだけ効率が良くなっている、一日の労働時間は縄文人のそれよりもっともっと短くてよいはずだ。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa198395.html
問い 共産主義が宗教を否定する理由について教えてください。
マルクスは”宗教はアヘンである”といったそうですね。
でも、かつてのソ連などの共産主義国にもキリスト教は
あったわけだし・・・。共産主義と宗教はどのような
関係にあるのでしょう?その辺り、詳しく知っている方、
教えてください。
答え@-----------
左派サイドから言うと、チェ・ゲバラは革命に一番必要なのは“愛”であると述べ、ラテンアメリカで最終的に革命が成功するのは、キリスト教徒が革命に参加する時だと言っています。
キリスト教サイドから言うと、貧困や社会正義と云った事に関心を持つ者にとって、経済問題と言うのは避けて通れない訳で、その中には資本主義の分析などの中でマルクス経済学的なアプローチをする者も多数います(もちろん彼らはマルクス主義そのものを肯定はしませんが)。
また聖書自体、出エジプト記などは解放の物語ですし、使徒言行録では信徒たちが私有財産を共同体に寄付し、共有している様子が描かれています。
ついでに言うと、バチカンは冷戦期にカストロを破門しましたが、その後和解していますし、チャベス大統領は敬虔なカトリックです。
A------------
実はマルクス本人の言葉はちょっとニュアンスが違います。マルクスは貧しい人々にとって宗教は痛み止めであり有効だ、と言うニュアンスで書いたのです。
マルクスはもちろんキリスト教圏であるドイツで育ち、主にイギリスで活動した人ですが(家系的には改宗ユダヤ人)、キリスト教自体をある程度評価し(弱者への愛など)、社会主義的であるとまで言っています。
ただ当時の教会は労働者に冷たく、共産主義者からは敵の片割れと思われてしまう状況が有り、教会側も左派への賛同者は少なかった為、対立を生むことになりました。
特にロシア革命期のロシア正教は帝政寄りだった為、仕方なかったのかも知れません。
とはいえ“アヘンだ”などと拡大解釈したのは毛沢東など後に続いた指導者たちであり、マルクスは宗教弾圧など考えてはいませんでした。無神論を元に理論を組み立てる事 = 宗教を弾圧するって事では無いですからね。
また左派と言ってもラテンアメリカなどのカトリック色の強い地域の左派は、往々にして教会と協力関係にあったりします(解放の神学など)。
それに実は“解放”と言う言葉自体は聖書由来のものですし、旧・新約聖書に登場する“神”は一貫して貧者、抑圧された人々の側に立って登場するので、キリスト教徒が左派になるのは、それほど内部に矛盾を抱えない事と思います。
B-----
旧ソ連でも、ロシア正教は生き残っていました。
しかし保護されていたわけでもなんでもなく、むしろ
よくぞ生き残ったと、私自身不思議さと、いくばくかの感動を覚えます。
原則(?)として、共産主義は宗教を圧迫・弾圧します。
なぜでしょうか。共産主義理論に基づく理由もありますが、
むしろ政治的側面が強いように思います。
共産主義の活動家たちは、原則として共産党の一党独裁を目指します。
そして彼らの独裁政治は国民の思想統制を目標としています。
既存の宗教もある意味思想ですので、共産主義による思想統制を目指す
勢力にとっては、宗教勢力は邪魔者以外の何者でもありません。
個別の例を挙げればいろいろありますが、中国の文化大革命で仏教や
儒教が弾圧されましたし、カンボジアでは多くの僧侶が犠牲となりま
した。
ソ連の場合詳しくは私もわかっていませんが、第二次世界大戦の独ソ戦
でスターリンがドイツと対抗するために他の勢力との団結を進めたため
キリスト教が根絶しないで生き残ったのかもしれません。
(推測も混じっています)
C-----------
共産主義が唯物論に立っているからなのですが、「共産主義はマルクスという唯物論者が構築した理論体系だから」と言い替えた方が良いと思います。
この回答からは当然以下のような疑問が生じるのですが…
・マルクスは唯心論(⇔唯物論)者ヘーゲルの影響を強く受けているのですが、にもかかわらず、なぜ唯物論をとったのか?
・唯物論から出発し共産主義にたどり着いたのか、あるいは共産主義という結論のために唯物論を利用したのか?
・唯心論に立つ共産主義は成立し得ないのか?
それから、フォイエルバッハの影響も強いでしょう。
この人は、「神は人間が作った」ということを言い出した人です。
人間が人としての理想像を抽出し、その概念を投影させたのが神である、
すなわち人が神という存在を考えたのだと主張しました。
それから、同時代人であるダーウィンの影響もあります。言うまでもなく
「進化論」を打ち出した人です。創造主という概念になじみの無い日本人
には違和感ないかと思いますが、人や動物を始め、世界は神が創ったと
信じていた当時のヨーロッパの人々には、強烈な内容でした。
後は少し前の時代の人かと思いますが、ニーチェですね。
ニーチェにより神を信じることは弱さの表れであり悪であるという概念が
できました。
フォイエルバッハにより、神は人の心が作りだした想像の産物ではないか
という哲学的な根拠ができました。
さらにダーウィンの進化論により、それまでキリスト教が主張してきた創造論
(世界は人も他の生物も含め、すべて神が創造した)を否定する、科学的
な根拠ができました。
これらの意見を全て総合した上で、共産主義では『宗教はアヘンである』と
いう主張に至っているのではないかと私は考えています。
〈問い〉 共産主義では宗教は不必要?
私は、宗教は不満からの逃げ道と考えています。それならば、共産主義によって不満が取り払われれば、宗教は不必要になるのではないでしょうか。共産主義はそもそも宗教否定主義と思っていただけに、そうではないということをこの欄(07年4月7日付)で知りショックを受け、あらためて質問させていただきました。(メールで、S生)
〈答え〉
宗教は原始社会に芽生え、人間が生活する自然条件や社会のあり方によってさまざまに変化してきました。資本主義社会では、一部の大企業と大資産家が優遇され、民衆の圧倒的多数はつねに生活の没落と破たん、人生の転落と破滅の危機感におそわれています。人間の老病死や、資本主義の目に見えない力への恐怖に、今日の宗教の存在理由の根源があります。これが宗教についての科学的社会主義の見方です。
ですから、宗教を否定するのではなく、弱肉強食の社会、非人間的労働や人間の尊厳をふみにじる社会保障などにたいして、宗教を必要としている人びとと連帯して、社会的反撃をもってこたえ、よりよい社会を実現するとりくみが必要となります。
宗教は人間の内心の問題、精神生活に根ざしていますから、政治的な対策つまり政策で「消滅」をはかっても実現できないことは、250年にわたる徳川幕府の厳格な禁教政策のもとでも隠れキリシタンが受け継がれてきたことをみても明らかです。
日本共産党がめざしている共産主義社会では、戦争はもちろん貧困や格差、投機や自然破壊などの資本主義的悪徳の社会的基盤は廃絶されます。宗教のめざした人間の幸福の多くが現実に実現する将来社会で、宗教がどのように存続しているかは今後の探求課題ですが、人間社会であるかぎり、病気や寿命、結婚や家庭などの人間関係、自分の才能についての希望と現実などの悩みがなくなるとは考えにくいことです。
共産主義社会でも人間の苦悩にたいする精神的活動として宗教が存在する場合、自由な人間関係の社会の自由な精神活動が保障されることはいうまでもありません。
宗教の社会的役割としては、現世の苦悩の解決を天上にゆだねて民衆の社会的自覚をはばんだり、政治権力とむすんで権力者の支配を助けたりしたこともあります。同時に、宗教が民衆の立場にたって社会進歩を推進した歴史があります。
20世紀には「神を信ずる者も信じない者も」共同してファシズムに立ち向かい、今では異なる信仰の宗教者が共同する平和運動が発展しています。
信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかることを綱領に明記する日本共産党は、オウムや統一協会などの反社会的集団にたいしては犯罪として対処することをもとめ、創価学会・公明党の政教一体にも反民主主義的な集団として批判しています。同時に、憲法第9条を守る運動をはじめ平和と民主主義のために宗教者との共同を重視しています。(平)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117832316
問い 何故、共産主義は宗教を否定するんでしょうか?
答え
@----------------
理由は二つあります。
労働者が資本家の搾取によってどれだけ苦しい生活を強いられても、宗教はそれを肯定し、宗教を信じることのみに救いがあるとし、苦しさを精神力で克服させようとしました。
これを共産主義者のマルクスは「宗教は精神のアヘンである」と表現し、宗教がある限りいつまでたっても労働者の苦しい生活は根本的に解決しないと考えたのです。
もう一点は、マルクスが生きていた時代の教会の腐敗っぷりにあります。
当時の教会は今と違って政治に大きな影響力をもっていました。
そのため教会にはつねに賄賂や利権が渦巻き、とても宗教が人間のために存在しているとは思えない状態だったのです。
マルクスはその事実に大きく失望し、もはや宗教には何の価値もないと判断したのです。
現在では思想の自由が宗教活動を保護していますし、ロシアや中国などの紛い物の社会主義国家ならともかく、日本のような基本的人権が尊重されている国であれば、たとえば共産主義国家に変革したとしても宗教を否定するような事はないと思います。
共産主義自体が宗教だから、他を排斥する。
共産主義の言う、偉大なる指導者に導かれた革命によって理想社会の共産主義社会になるというのは、
ユダヤ教・キリスト教の
1)救世主(メシア)=偉大なる指導者(前衛)
2)革命=最後の審判
3)至福千年王国(天国)=共産主義社会
という対比であり、共産主義は、ユダヤ教・キリスト教のパクリなんです。
まあ、ユダヤ教・キリスト教もゾロアスター教のパクリなんですから。
ユダヤ教・キリスト教を否定しておかないと、共産主義が底の浅いものだと、人民に気づかれてしまうから、宗教を禁ずるのです。
A----------------
共産主義は思想の統一が必要で、そのためには宗教が邪魔なんです。
そして、現実のものを認め、霊魂のような目に見えないものの存在を認めません。
しかしながら、死体に対しては執着があって、レーニンや毛沢東の遺体を保存したり、中国の文化大革命のときは死んだ犯罪者の墓をあばいて死体に鞭を打ったりしています。
この死体に執着する思想は未開文明の死体信仰によく似ていて、共産主義の宗教観は原始時代に逆行したとも考えられます。
B---------------------
社会の矛盾から来る苦しみを、社会の中で解決しようとせず、宗教的な救いによって解決するようでは、革命のエネルギーが高まらない、いつまでも本質的な解決に至らない・・・といったことが理由だと思いますが。
私見ですが、『共産主義もひとつの宗教だから』というのが当たっている気がしています。
『理想の実現に寄与している』と信じ、組織の歯車になったかのように活動し続けていて、その限りにおいては本人も充実感を味わえているが、客観的には労力や金銭を上層部に搾取され続けている様子は、新興宗教と共産主義がそっくりだ、と思わずには居られないポイントです。
宗教はほぼ必ず絶対的なもので、他の宗教を容認しながら成り立つわけにはいかない・・・この神様でも幸せになれるけれど、別の神様を信じても、まぁ同じようなものだ、などという宗教を強く信じるわけにはいかないですから、宗教が他の宗教に排他的であるのと同様に、共産主義も(他の)宗教に寛容ではいられないのだと思えるんですよね。
C--------------
共産主義は、
学問を、よそおった、エセ学問だからだ。
D-------------------
共産主義がそもそも一種の宗教だから、他の宗教を否定するのです。
皆さんの中には、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのだろう?
なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような
非人間的社会体制が生み出されたのだろう?と思われている方もおられると思う。
今回は、そのことに言及したい。
このことを明らかにするには、20世紀の世界に最大の影響を及ぼした共産主義思想とは何だったのか、人間とは何なのかまで踏み込まざるをえない。
したがって、限られた時間とスペースの中では書きつくすことは不可能に近い。が、できる限りのエネルギーと、持ちうる限りの知識、経験を費やしてチャレンジしてみようと
思う。
長いエントリーになるし、中には難解な言葉も出てくるので、途中で投げ出したくなる
かもしれないが、世界や人間を知るうえで必ず参考になると思うので、できれば読み
通してほしい。
なお、ここでは、社会主義という言葉は共産主義に通じると理解してもらいたい。なぜなら西欧では、社会主義というと、一般的に社会民主主義(社民主義)のことを指すからだ。
また、よくマルクス主義とも言われるが、それは、ドイツ人のカール・マルクスが共産主義思想の始祖であるためで、共産主義と同義である。
これから述べることは、少々むつかしいかも知れないが、高校のころの世界史を復習するつもりで読んでほしい。
歴史上、最初に社会主義革命を成功させたロシアのウジミール・レーニンによれば、
マルクス主義の基本的源泉はドイツの哲学、イギリスの経済学、フランスの社会主義の三つとされる。(「マルクス主義の三つの源泉」)
ただ、この捉え方は、「ステレオタイプすぎる」という批判も強く、実際のところ、マルクスが洞察した内容はもっと奥行きが深いと思う。
が、だからと言って、レーニンの捉え方が間違っているわけではない。
マルクスが、
@ゲオルク・ヘーゲルやルートヴィヒ・フォイエルバッハなどのドイツ観念論、
Aアダム・スミスやデヴィッド・リカード、ロバート・マルサスなどのイギリス古典学派
経済学、
Bサン・シモンやシャルル・フーリエ、ロバート・オーエンなどの、いわゆる「空想的社会主義」
を批判的に摂取し、「科学的社会主義」へと発展させたことは事実である。
「科学的社会主義」を具体的に言うと、「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」と「資本論」である。
「弁証法的唯物論」や「史的唯物論」などと言うと、文字を見ただけで「嫌になりそう」という声が聞こえてきそうなので、今回はそういうところまでは、できるだけ言及しないようにしたい。
ところで、レーニンの唱えた「マルクス主義の三つの源泉」が、なぜ「ステレオタイプ」と批判されるのか?
それは、マルクス自身及びマルクスが自らの思想をまとめ上げていった当時の時代
背景に対する考察が不足しているからである。
もっとも、マルクスが哲学者であり、経済学者であり、そして革命家であったのに対し、レーニンは純粋な革命家であったから、理解が単純化されたのは必然であったのかもしれない。
マルクスはユダヤ人である。マルクスが生きた1818年〜1883年のころは、まだゲットー(都市の中でユダヤ人が強制的に住まわされた居住区)が存在していた時代である。
特に、マルクスの祖国・ドイツでのユダヤ人差別はひどいものがあった。
そのような時代にあって、父はユダヤ教からキリスト教(プロテスタント)に改宗した。
職業は弁護士。母はオランダ生れのユダヤ人だが、父よりユダヤ性向が強く、日常生活ではイディッシュ語(ユダヤ語)を話していた。マルクス自身も6歳の時、プロテスタントとして洗礼を受けている。
マルクスの思想を理解する上で、彼の出自が被差別民族であったという事実は見逃せない。
また若かりし日には、啓蒙思想にも大きな影響を受けている。
啓蒙思想は、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているとの「肯定的命題」を立て、
世界に何らかの「根本法則」があり、それは「理性」によって認知可能であるとする考え方である。方法論としては自然科学的方法を重視した。
マルクスは高校生時代に、教師を通じて、フランスの啓蒙思想家・ジャン−ジャック・
ルソーが唱えた社会契約説の影響を受けた。ルソーの考えは、「社会や国家は自由で平等な諸個人の契約によって成立する。主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というものである。
この啓蒙思想は、フランス大革命にも大きな影響を与えた。
私は、
@この啓蒙思想の、あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界に何らかの「根本法則」が存在するという考え方、
A特に「主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というルソーの主張、
Bそしてキリスト教(ユダヤ教)の「唯一神信仰(神=真理は一つ)」と、
C出自が被差別民族(ユダヤ人)であるという潜在意識が、
マルクスの思想の「根っこ」にあると思っている。
マルクスにとって、というか、マルクスの生きた時代においては、ヨーロッパと北米が
「世界」であった。それ以外は、「未開の地」か「未知の地」であり、マルクスの「世界」には、アラブもインドも中国も存在しない。
ここでいう「アラブもインドも中国も存在しない」というのは、「知識」としてではなく、
「認識」としての意味である。
ヨーロッパ(英国)が清(中国)を最初に侵略した阿片戦争は1840年、ヨーロッパ諸国がアラブ(イスラム)世界の覇権をめぐって戦ったクリミア戦争が1853年。ムガール帝国
(インド)が完全に英国の植民地になったのは1858年。
マルクスが生きた時代を考えれば、アラブやインド及び中国は、マルクス的世界においては「外界の存在」にすぎず、アフリカや南米は「未開の地」であったと言ってもよい。
つまり、「白人」及び「キリスト教(ユダヤ教)文化圏」がマルクスの「世界」なのである。
その「世界」には既に、資本主義が高度に発展した国々が存在し、自由や平等、人権といった民主主義の基本的価値観が社会的土壌としてあった。
アメリカ独立革命やフランス大革命が起きたのは、マルクスが生まれるよりずっと前だった。
アメリカ独立革命(1775〜1783年)は、独立宣言で「全ての人間は平等に造られている」と謳い「(自然権としての)生命、自由、幸福を追求する権利」を掲げた。
フランス大革命も、人権宣言で「自由の保障・人民主権・法の下の平等」という近代
民主主義の基本的価値観を謳いあげた。
要するに、
@あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
Aキリスト教的「倫理観」が社会及び人々の規範になっている。
Bそして既に資本主義が高度に発展しており、
C自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している。
Dにもかかわらず、ユダヤ人は「自由、平等、人権」からは疎外されていた。
そういう世界で生まれた「科学に裏付けられたユートピア思想」がマルクス主義なのである。
そしてマルクス自身は、その世界においては被抑圧民族であるユダヤ人だった。
ここまで読んだだけで、なぜソ連が破綻したのか、なぜマルクスの思想(共産主義)から中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのかが、ある程度は解った方もいると思う。
もちろん、もっと様々な問題が「なぜ?」を解明するうえで存在する。
その様々な問題に言及する前に、ここで共産主義について簡単に説明しておこう。
以下は、カール・マルクスが定義した共産主義社会についての私なりのまとめである。
@共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
A搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
B人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
C「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
D「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。
以上の社会が共産主義社会であり、その理想社会を目指す思想が共産主義である。
ここで、共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展したものと書いた。
マルクスによれば、社会主義社会とは「各人はその能力に応じて働き、労働に応じて
与えられる」社会である。そして、社会主義社会において、生産力が最大限に発達しきった段階でようやく共産主義社会に到達する。
※(注)
ここにおける「労働」は、資本主義下における「労働」とは違う。
なお、社会主義社会の前段として、「労働者(プロレタリア)独裁社会」が不可避とされる。
なぜなら革命が成功しても、労働者階級(プロレタリアート)が司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐しない限り、常に資本家階級
(ブルジョアジー)による「反革命」の危険にさらされるからである。マルクスは、これを、1871年のパリ・コミューン(世界初の労働者階級による民主国家)の失敗から学んだと思われる。
資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐し、「労働者(プロレタリア)による独裁」が実現して初めて社会主義社会への扉が開かれる。
労働者(プロレタリア)独裁下では、資本家階級(ブルジョアジー)の駆逐と共に、生産手段の社会的共有と富の平等な(労働に応じた)分配が進められる。
そして、資本家階級(ブルジョアジー)がなくなり、生産手段の社会的共有と富の平等な(労働に応じた)分配が完全に実現したときから社会主義社会が始まる。
社会主義の初期段階では、まだ国家も貨幣も残存している。が、社会主義がさらに
発展すると、国家は死滅し貨幣も廃棄され、富も「各人はその能力に応じて働き、労働に応じて与えられる」社会から「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会になる。
これが、共産主義社会だが、なぜ、そんなことが可能になるのか?
私が学んだ範囲では、その「なぜ?」に対する確信的な答えは見出せなかった。
だから私は、次のように勝手に解釈した。
計画経済により供給と需要が均衡するので、資本主義のような好況−不況−恐慌という景気の極端な変動がなくなり、安定的な経済成長が可能になる。投資や資源の配分も効率的かつ効果的に行われるから、さらなる成長を促す。
つまり、効率的かつ効果的な投資と資源の配分が、安定した高い経済成長をもたらす。高い経済成長が新たな投資と資源を生み出し、その効率的かつ効果的な再配分が、
さらなる成長の基盤になる。
そういう「無限の成長サイクル」ができ上がる。
また、生産手段が社会的に共有されているので、働く主体(人間)が搾取されることもなく、抑圧からも解放される。失業の恐れもなくなり、働く主体(人間)の労働意欲も向上する。
したがって、「無限の成長サイクル」+「労働意欲の向上」が、相乗効果も伴なって
「生産能力の飛躍的拡大」を可能にする。
だから、やがて「必要に応じて与えられる」ような社会が実現する。
経済(下部構造)が政治や国家(上部構造)を決定するから、そういう理想社会(生産力が極限まで発展し、司法・立法・行政の三権と生産手段のすべてを人民が共有する
社会)になれば、上部構造としての国家は死滅する。
生産手段が社会的に共有され、かつ供給と需要が均衡しており、「各人は必要に応じて与えられる」から、価値交換の媒介としての貨幣(交換価値)も必要なくなる。
以上が私なりの勝手な解釈だった。
※(注)
「生産手段の社会的共有」は、資本主義社会において「私有財産の廃止」と理解されている場合が多い。が、これは、(悪意の込められた)誤解である。
「生産手段の社会的共有」とは、工場や土地などの「生産手段の私的所有廃止」が
その核心であり、個人的生活を営む上での必需品まで否定されるわけではない。
かつてマルクスの教えを信じていた私は、今は、このような考えを完全に否定するようになった。
それは、極めて単純な理由からである。
「必要に応じて与えられる社会」が可能であるためには、その社会が「無限に近い生産力を持っている」か、全ての人間が「必要限度をわきまえている」かの、いずれかが
必要である。
社会が「無限に近い生産力を持てるようになる」とは、現実の世界を踏まえれば考えられないし、また全ての人間が「必要限度=節度と中庸をわきまえる」ことができるとは
絶対に思わない。
もう、この時点で、マルクスが夢見た理想郷は、私にとっては科学とは無縁の「願望」としか思えないようになったのである。
私の50数年の人生経験から言えば、人間の原点は「欲望」である。その「欲望」をどこまでコントロールできるのかが「理性」である。
が、「理性」は人によって千差万別である。中には「理性とは無縁」と思える人間もたくさんいる。だから、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているなんて、とても信じられない。
「下部構造としての経済が人間意識までも決定する」「人間の社会的存在がその社会的意識を規定するのであって、その逆ではない」とマルクスは言う。
この捉え方はある面では正しいと思う。ただ、「現実の人間」を見れば、あまりにも一面的にすぎる。
※(注)
ここで言う「理性」とは、自己の内にある矛盾(葛藤)を止揚して、より高い次元へ至る
「具体的な思考能力」を意味する。
労働力を商品として資本家に売らなければ生きていけない社会から、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にし、人間に特有の活動的機能である労働に自由や生きがいを感じることのできる社会に変わったからといって、人間の本質というか、根源的な部分は変えようがない。
私は、そう思う。
マルクスは、弱冠26歳で書いた「経済学・哲学手稿」の中で、次のように書いている。
「疎外された労働は、人間から(1)自然を疎外し、(2)自己自身を、人間に特有の活動的機能を、人間の生命活動を、疎外することによって、それは人間から“類”を疎外する。疎外された労働は、(3)人間の“類的存在”を、すなわち自然をも人間の精神的な“類的能力”をも、人間にとって疎遠な本質として、人間の個人的生存の手段としてしまう。疎外された労働は、人間からそれ自身の身体を、同様に人間の外にある自然を、また人間の精神的本質を、要するに人間の人間的本質を疎外する」
これは、それなりに有名な一節である。が、ちょっと難解で、理解できない方も多いと
思う。私は次のように理解している。
人間は本来、社会的生き物である。個体としての存在ではなく、自分と同じ存在である他人との関わりの中での自分である。
つまり人間は“類的存在”なのである。
その“類”としての生活から、資本の下で賃労働に従事する人間は疎外されている。
賃労働によって、人間に特有の活動的機能である労働が、「個人の生存を維持する
手段」に貶められている。
本来の人間は、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にしており、社会的生き物=“類的存在”であろうとする。そこに自由や生きがいを感じるのであり、動物の生命活動が「生きることそのものである」のとは明らかに違う、と・・・・・・
が、私は思う。人間も動物であると。
まず「生きることそのもの」が「生命活動」の第一義的目的であり、それは本能の領域に存する。自分の「生命活動(生きること)」を意欲や意識の対象にできるのは、その第一義的目的が満たされた後の話である。
そして、世界中のすべての人々が、その第一義的目的を満たされる日は、未来永劫にわたってありえない。
人間は弱い。常に「欲望」に負けそうになる。「理性」だけでは対応できない。
ここにおける人間は、「下部構造としての経済が云々」や「人間の社会的存在が云々」では理解できない。もっと奥深い、「人間存在」そのものが抱える根源的な問題なのではないか。
だから強制的規範としての法律がある。倫理や道徳がある。宗教心も、倫理や道徳を涵養する上で欠かすことができない。
そもそも、「人間存在」を「科学できる」と思うことそのものが、大きな間違いなのである。
※(注)
ところで、マルクスは宗教を「アヘン(痛み止め)」として否定している。
ただマルクスの言いたいことは、宗教の全否定というより「(宗教は)痛み止めのアヘンだけを与えて病気の原因治療をしないのと同じだ」という意味であるから、宗教の持つネガティブな部分を射ているとも言える。
ここで、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのか?なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会
体制が生み出されたのか?という本題に入ろう。
私はマルクスの思想が、以下の条件の下で生まれたと前述した。
@あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
Aキリスト教的「倫理観」が社会を及び人々の規範になっている。
Bそして既に資本主義が高度に発展しており、
C自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している
と・・・・・・
マルクスは、資本主義そのものは社会の生産力が高まる時代と捉えている。
その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。
したがって、革命が起こる可能性があるのは、祖国ドイツか英国、あるいはフランスで
あると想定していた。
ところが、実際に革命が起きたのはロシアであった。
当時のロシアは、マルクスの思想が生まれた土壌とはあまりにも違いすぎた。
1861年に農奴解放令が出されたものの、農民の生活は一向に向上しなかった(ミールと呼ばれる、司法・行政権力を有した村落共同体の小作農に変わっただけ)。19世紀末に産業革命が起こったものの、ヨーロッパの大国の中では、資本主義はもっとも遅れていた。
政治体制も、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)支配が貫徹されており、自由、平等、人権という価値観からは、ほど遠い社会だった。
つまり、もっとも社会主義革命にふさわしくない国で革命が起きてしまった。これが不幸の序章になるのである。
ロシア革命では、マルクスが考えていた革命を指導する「前衛(共産主義者)」が、
「前衛党(共産党)」になってしまった。
このロシアの共産党はボリシェビキ(多数派という意味だが、実際は少数派だった)を
名乗り、労働者・農民を覚醒させるためには「前衛党(共産党)」による指導が必須と
考えた。
マルクスがイメージした「労働者(プロレタリア)独裁」はパリコミューンのイメージがあった。そして、ロシアでも同様に労働者や兵士を中心にしたソビエト(評議会)が地域ごとに組織され、これが司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、永続革命の推進母体になるはずであった。
が、民主主義的価値観とはほど遠い社会だったロシアでは、「前衛党(共産党)」が
司法・立法・行政の三権及び軍のすべてを独占し、ソビエト(評議会)は名のみの存在となり、「労働者(プロレタリア)独裁」は「共産党独裁」に変質した。
※(注)
「ソ連」とは、「ソビエト(評議会)によって構成された国家の連邦体」という意味である。
ロシア共産党は、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)から厳しい弾圧を受け、
革命後は、常に反革命派(白軍)やそれを支援する欧米列強(日本を含む)に脅かされた。
そこで、この党は、「下部組織は上部組織に従う」という「民主集中制」を組織原則にし、「鉄の規律」を保ち、社会のあらゆる部門に党委員会や党細胞を張り巡らせて社会を
統制していった。
この体制は、本来は「戦時体制」のはずであったが、ロシアの後進性と指導者に都合のよいシステムでもあったため、その後も継続されて行くことになる。
このようにして共産党による強権的支配体制が確立され、しかも共産党は、「下部組織は上部組織に従う」という組織原則によって貫かれたため、社会はもちろん「前衛(共産主義者)」の組織であるはずの共産党内でも自由な言論は完全に封殺された。
そのような中で、前近代的社会から一気に社会主義社会に導くために、強引な農業の集団化や重工業偏重の政策が推進された。
また、強引な政策を貫徹するためには、強力な指導力が必要とされたため、指導者
(ヨシフ・スターリン)は、その政敵(レフ・トロツキーやニコライ・ブハーリン)を追放し、
粛清した。また、党内の反対派もほとんどが強制収容所送りか処刑になった。
スターリンによる独裁は、彼の個性にもよるが、以上のようなロシア的特殊性も大きく
影響している。
共産党の政策により、ウクライナを中心に、農地の収用に反対する農民たちは数十万人単位で殺害された。反革命派(白軍など)だけではなく、元貴族や資本家、富農たちも同様の運命をたどった。中には、反革命派や資本家、富農に仕立て上げられて強制収容所送りや処刑になった者もたくさんいた。
そして残ったのは、マルクスがもっとも忌避した「スターリンの個人崇拝と神格化」及び数千万人とも言われる犠牲者たちである。
※(注)
ヨシフ・スターリンは、ロシア革命の指導者であったウジミール・レーニンの後継者で
ある。
初期のソ連は、1930年代に資本主義諸国を襲った大恐慌とは無縁であり、かなり高い経済成長を遂げた。
またノルマと呼ばれた計画生産数値の設定は、生産物の質より量が重視されたこの
時代では一定の効果があり、ソ連の鉱工業生産を大いに高めた。
このような、資本主義諸国の没落(大恐慌)とソ連の躍進を見て、ソ連型社会主義(スターリン主義)を礼讃する論調が世界的に数多く見られたのも事実である。
が、急速な工業化推進の原資は、農業から余剰を絞り出す形で行われたので、その分、農業部門が立ち遅れた。1933年には、そのツケが回って大飢饉が起きた。
ところがヴャチェスラフ・モロトフ書記は、ノルマ達成のために農民が次年度用に貯蔵
している種子までも取り上げるように地方幹部を叱責した。その結果、32年から33年にかけて500万人〜700万人とも言われる餓死者が発生したのである。
順調に見えた工業部門も、第2次大戦後、量と共に質が重視されるようになると、ノルマを重視する計画経済では質の問題を解決できなくなってくる。
また、重工業の偏重は軽工業の軽視をもたらし、サービス部門にはコスト意識やサービス精神がまったくなかった。そのため一般国民には劣悪な消費財と質の低いサービスしか提供されなかった。
共産党官僚は、ノルマの達成が立身出世や保身を左右するため、虚偽の数値や報告が横行した。そのために、党中央や政府は経済の実態を正確に把握できず、有効な
政策を実行することはおろか、その立案さえできなかった。
そういう体制の劣化・堕落が、1970年代以降になると、日用品や食料さえ事欠く事態を
もたらすのである。
ノルマ重視の経済は、自然環境も大きく破壊した。例えば、かつては世界第4位の面積を誇ったアラル海は、旧・ソ連による無計画な灌漑事業のため、面積が62%、水量が84%も減少、塩分濃度が6倍以上になるという完全なる「死の海」になった。
チェルノブイリ原発事故も、旧・ソ連の隠蔽体質のため、公表と対策が遅れ、結果として約16万人が移住を余儀なくされた。死者は9,000人(世界保健機関=WHO)とされるが、40,000人(ロシア科学アカデミー)という説もある。
また、情報統制社会であったため、情報工学は、軍需部門などの一部にしか導入されず、民生部門における「情報革命(IT革命)」はまったく進展しなかった。
このような数多くの問題点も、共産党官僚の強権支配と言論の封殺により批判される
ことがなく、したがって改革も常に後手に回った。
これに対し、資本主義諸国は、第2次大戦後は資本主義が抱える諸矛盾を解決する
ための社会政策や経済政策を次々に打ち出し、「弱肉強食社会」ではなく「福祉社会」を目指す動きを強める。
これは資本主義の「本丸」である米国も例外ではなかった。
また、「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」により、国際的自由貿易体制が
保証されたため市場が大きく拡大した。そして、市場の自由化と拡大に伴ない競争が激化し、量のみならず、質の向上とコストダウンが並行して求められた。
このような条件下で、第2次大戦後の資本主義諸国の経済は大きく発展し、社会も国民も豊かになったのである(もっとも恩恵を受けたのは日本であろう)。
IT革命も、各国の垣根が低くなり、人、モノ、カネの世界的流通が急速に活発化する中で一気に進んだ。
こうして、旧・ソ連と西側先進諸国との格差は、絶望的なまでに大きくなったのである。
確かに冷戦下における「軍拡競争」も旧・ソ連にとっては負担であったけれども、その
体制そのものが劣化・堕落し、完全に時代にそぐわなくなっていたことが旧・ソ連崩壊の最大の原因なのである。
ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、1980年代後半からペレストロイカ(改革・再構築の意味)によって、この時代にそぐわなくなった体制を立て直そうとしたが、皮肉にもそれは、ソ連型社会主義体制の崩壊を後押しする結果になってしまった。
それは、ペレストロイカの重要な核であったグラスノスチ(情報公開)が逆作用を呼び
起こしたからである。
グラスノスチにより、1930年代の大飢饉(餓死者500万人〜700万人)などの「不の
部分」が明るみに出されるようになった。また、困窮を極めていた民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部の豪華絢爛な暮らしぶり、その汚職体質なども暴かれ、
国民の反共産党感情を一気に高めたからである。