










告発のとき

YAHOO映画
2004年、ハンクの元に息子のマイクが軍から姿を消したと連絡が入る。イラクから戻ったマイクが基地へ戻らないというのだ。ハンクも引退した元軍人だった。息子の行動に疑問を持ったハンクは基地のある町へと向かう。帰国している同じ隊の仲間たちに聞いても、皆マイクの行方を知らなかった。やがてマイクの焼死体が発見されたという連絡が入る。ハンクは地元警察の女刑事エミリーの協力を得て、事件の真相を探ろうとするが…。
初監督作品『クラッシュ』でアカデミー作品賞を受賞したポール・ハギスだが、その前年には『ミリオンダラー・ベイビー』で脚本賞を受賞している実力派。その後も『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』などの脚本を書き上げている。本作は、息子を失った父親が真実を探っていくというミステリー仕立てだが、他のハギス作品同様に派手さを廃した重厚な人間ドラマになっている。物語がラストに近づいた時、我々はこの物語が単なる謎解きではなく、重々しいテーマを含んだものであることを知るのだ。そしてそれは主人公ハンクの、今までの価値観をくつがえす結末であることも。父親ハンクを演じるトミー・リー・ジョーンズの演技がすばらしい。
投稿感想
表向きは、陸軍に所属する息子が戦地から帰国した直後に行方不明となり、惨殺死体となって発見されたのを聞いた元陸軍軍曹の父ハンクと、事件の担当区域である地元の気鋭女刑事エミリーが事件の真相を突き止めていくミステリー仕立ての内容となっている。軍で培ってきた様々な経験値を得たハンクが、わずかな手掛かりをも見出し、交通課から刑事課へと配属出来た程に実力のあるエミリーが、自身の立場を活用し、事件の真相を暴くという互いの目的を達成する為に妥協し合いながら事件を紐解いていくストーリー展開は、思わぬ方向に二転三転しながら突き進んでいくので見応えはあるものの、ミステリーならではの謎を解き明かした時の爽快感も無ければ、サスペンスめいたスリル感を味わえる事も無いまま、方向性は定まっているものの、焦点が漠然としたまま淡々と描かれた地味な内容に仕上がっていて盛り上がりに欠けていた。それでも、飽く事も無いまま、最後まで目を離さずにはいられなかったのは、理路整然とした丁寧かつ、緻密な人物描写と、今作の鍵となる息子の壊れた携帯電話に残された動画に、息子が送ってきた写真の数々を効果的に使った演出…そして、原題ともなっている聖書のダビデ物語…エラの谷に現れたゴリアテ(巨人)にダビデ(少年)が無謀と思える戦いに挑み勝利を掴む"In
The Valley of Elah(直訳:エラの谷に入る)"を用いて見事に描き上げた比喩的表現によって、人間ドラマとしての魅力も兼ね備えていたからです。まず人物描写については、靴磨きに服の手入れ、シーツ直しなどの規則正しい生活に、傷口に合わせてティッシュを小さく切り貼りしてみせる仕草から見て取れる程に、元軍人であるハンクの行動は実に律儀。ハンク演じるトミー・リー・ジョーンズ自身の持ち味も相俟った昔気質な雰囲気そのままの古きを愛し、新しきを否定する頑固者であるが故に、エミリーとの衝突も絶えないけれど、発見現場から誰も気付かぬ証拠を見付け、的確な意見を述べ、次々に明らかとなる事件の真実と真っ直ぐ向き合っていく…例え、それが自らの信念を覆す出来事であったとしても。その頑ななまでの実直さが、彼に真実を乗り越えていけるだけの"強さ"を持っているのだという事を如実に表現していて良かったです。そして、交通課から刑事課への異例の出世…そして、女であるが故に、どんなに業績を上げて実力の高さを示したとしても、同僚からは蔑まれ、軍警察からは階級下の刑事として取り付く島もなくあしらわれ、肩身の狭い思いをしていたエミリー。だが、凄惨な事件に直面し、ハンクとの出会いを通じて、自身の中に眠っていた反骨精神を呼び起こし、ハンクと同じく息子を持つ親の立場として、事件の真相を必ず突き詰めなくてはいけないと真に思い、必死で足掻く心境が上手く表現されていると思いました。それから、軍人だったハンクに長年連れ添い、大和撫子宜しく数歩下がって付き従い、息子二人の出征も潔く見送った気丈な母。想像を絶する姿で亡骸となっている最愛の息子を見た時に見せた、驚愕を露にした母の表情…そして、部屋から離れてから見せる泣き崩れる姿を映し出す事で、絶望感に打ち震える母の心情が、如実に伝わってくる演出は、哀しみが胸に響きました…。"動画"の使い方に至っては、本当に上手い演出だなと感心させられました。壊れた携帯電話に残された動画データをジャンク屋に復元してもらい、メールによって少しずつ送られてくるという演出は、いつ届くとも分からぬもどかしさと、真相を解き明かす鍵が隠されているかもしれないという期待感を煽っていく。なんとか音が聞き取れる程度のノイズ混じりで不鮮明な映像からは、凄惨だけども戦争では日常茶飯事の出来事や、仲間たちとの下らない会話の往来といった意味をなさない内容の数々が映し出されていった先で、事件の真相の奥に隠された事件の本質であり、今作で一番描きたかったであろう"戦争によって生まれた心の闇"が突如として浮き彫りとなる内容が映し出された時、あまりの衝撃と恐怖に思考が停止しました…。そして、最初は意味不明に思えていた原題"エラの谷"でしたが、物語の中盤でエミリーの息子デヴィッドと対面したハンクが、物語を読み聞かせる代わりに彼の名前に由来する"ダビデ物語"を語り聞かせる事で、暗闇を怖がっていたデヴッドの気持ちに勇気を与えると共に、"エラの谷"で暗喩しているのが、犯人と思わしき強大な体制との戦いを意味していたのだと思わせました…が、動画データから映し出される真実そのものが"巨人"だったのです。父と同じ道を歩みたいと自ら軍隊になる事を希望した正義感の強い息子が、戦争という大きな渦に巻き込まれた事で、理由もなく人を傷つけ甚振り、弄んでいたという事実。それは、かつての息子の姿からは考えられない非人道的な事であるけれど、そんな事をしてしまう程…しなければ精神が保てない程に常軌を逸した戦争という状況から生まれる"心の闇"が、描き出されているのです。それらの昂った感情は戦地から脱したからとぃって消え去る程に単純ではないくらいに心が蝕まれてしまうからこそ生まれた事件であり、耐え難く、信じがたい真実から目を逸らす事なく信念で立ち向かい、勇気を持って真っ向から向き合った父ハンクの姿を指し示したのが原題の意味だったワケです。これらの出来事を淡々と描き切る事で、手の施しようがない程に根深い参戦軍人の現状と、心の在り方いうものが如実に伝わってきました。そして、ラストシーンで描かれた救助信号を意味する逆向きの国旗が、アメリカという国の悲痛な叫び…今作で伝えたかった全ての想いを物語っていて涙が止まりませんでしたね…。
重厚な世界観に見合った役者陣の見事な演技が素晴らしかったです!まず、父ハンクを演じたトミー・リー・ジョーンズは、元軍人という役柄にピッタリの精悍さを湛えた鋭い眼差しと、頑固一徹な雰囲気を携えた硬い表情…そして、頑ななまでの力強い物言いと、それ故に時折発せられるユーモアさで絶妙なバランスを保った役柄を熱演していました!それにしても、彼自身の持ち味も相俟って、昔気質な雰囲気が存分に醸し出されているハンクが、最新技術(?)のPCを使いこなしているという設定には少々ビックリしました!でも、軍警察に勤めていたという設定ならば当然かな?次に、刑事エリミーを演じたシャーリーズ・セロンは、美しい容姿を持つが故に、理不尽な状況を覆そうと努力する反骨精神が露になった表情がよく似合う…似合うというよりも、役柄の心情が真に伝わってくる。そして、この役は、まさに彼女にとってハマり役でした!子を持つ母として、正義を守る刑事として、成すべき事をやり遂げる気丈な心持の役柄を、どこまでも真摯な力強い眼差しと、凄惨な現状に悲痛を露にした表情で好演していました!
鵜飼俊男の感想
素晴らしい感想文。今まで読んだ感想のなかの最優秀作。
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この映画の本質は、現在のアメリカが、いや世界が抱えている「矛盾」や「不条理」、そして「何を信じたら良いのか?」というのを提起しています。それは国家であり、個人でありいろいろな側面を持っていると言っていいでしょう。
主演のトミー・リー・ジョーンズは「2回観て欲しい」と語っています。観て意味が分かりました。最初は「国家」か「個人」どちらかの印象が強く残ります。多分2回目は逆の印象を持つ事になると思います。
「相棒 -劇場版-」と比較すると、明快ではありません。この映画はもっと深い部分で考えさせられる、映画だと思います。
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映画としては、いわゆる、PTSDを患ってしまった戦士の悲劇なんですが、戦地での”異常”な状況でおきてしまったこと、起きた後、人はどうやって日常にもどるか、戻れない人はどうなるか、をなんとはなく(ではなく、しっかり)教えてくれる内容でした。
最初、自分が想像した、結末は裏切られ、組織ではなく、個に原因はあったということだったんですが、それを trouble ではなく、accident
として扱う管理側の姿勢にも驚く部分より、実際、自分がそっち側ならそうしただろうなということも理解でき、その事実から、トミー・リー・ジョーンズふんする主役が、味わう空虚さというか、むなしさを私も味わえました。
このドラマも、アメリカの実情を細かく描いてますね。
市警察と軍の関係、不可解な配置展開や昇進、軍隊への忠誠と家族愛の狭間、そして、ゲーム化したと言われた戦闘機器(この言葉もおかしいですね)に使われる人間のむなしさ、PTSDとなった兵士をきちんとケアできない管理側。
日本でもいまは問題となっている、戦場からの帰還兵のクールダウン、諸問題がちょっとずつ垣間見ることができます。
ネタバレになるのでやめますが、最後もとてもむなしかったです。
偶然が引き起こすこととしては、「クラッシュ」のほうがなんか救いがあるかもしれないですが、この映画で思うのは、やっぱり「戦争は人間をだめにする」という思いでしょうか。
それから、エミリーの息子、ダビデのこと。
彼に主人公が話す御伽噺?が、もうひとつのキーワードなのかな。
世の中が思っていることが実は、発想の転換をすると、違ったことが見えてくる。
攻めあぐねていても、道具を使うが懐に入る勇気があれば、退治(解決)できるのかな。
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原題 "エラの谷で" は聖書のダビデのエピソードから引っぱって来たそうで, 日本人には縁遠いので痛し痒しだが, それでも
'告発' というニュアンスはピンと来ない。法廷物でも汚職警官物でもないし, あまりにも何となくなタイトルすぎる。ありふれたボキャブラリーを用いて,
それらしい語感でまとめてしまってはいけない作品なのだ。名作ではあるが, もっと引っかかりのある言葉を選ぶべきなのだ。例を挙げろ? そうだな,
自分なら "岸壁の母" になぞらえて『渓谷の父』・・ ダメ?
秋元康のヒット講座みたいになってしまったが, 事実, 問題作だ。自己批判するアメリカ映画というだけでなく, 退役軍人による国旗の逆さま掲揚。しかもショッキングな演出は何一つ使わず,
あくまで淡々と語られていくから, 向こう側にあるものの恐さがいっそう浮き彫りにされる。静かに進行する物語ということで唐突に 「エクソシスト」
を思い出した。後半の恐いシーンは別にして, あの映画の前半はすごく淡々としているのだ。いや待てよ, 演出だけでなく, どちらも '悪魔憑き'
を描いた物語と言えるではないか。すごい発見^ ^
そして退役軍人であり, 帰らぬ息子の父を演じるトミー・リー・ジョーンズが, もう説明しがたい良さなんだよな。ちょっとした表情の移ろいにもグッと引き込まれてしまう。やっぱり邦題は『渓谷の父』がいいな。。
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我々日本人は「イラクで血を流している人がいる」(アメリカ人であれイラク人であれ)という事実さえ忘れかけている有様だ。彼の地に自衛隊を送った国として、他人事ではないと受け止めねばならないだろう。
ハギス監督の精密な脚本は素晴らしい。父親は元軍人で、星条旗を重んじ、女性に敬意を表して娼婦に「マダム」と呼びかける、一昔前の規律正しい愛国的なアメリカ人だ。しかし、息子の死によって、戦争によってもたらされた異常性、自らの時代との距離感など、様々な歪み矛盾と直面することを強いられる。信じ愛していた息子の、バラバラ死体のみではなく、生前の残虐な悪行さえ受け止めねばならない。規律正しい息子の同僚と談笑した後に、彼らが犯人と知る…その告白の罪悪感のなさ。怖いほど異常性に満ちたストーリーが犯人探しのサスペンスの裏で極めて静かに語られる。…巧い。
原題は「エラの丘で」、暗喩に満ちたタイトルだ。イラク、いやむしろアメリカで繰り広げられる「ダビデとゴリアテの物語」は、巨人=巨悪に戦いを挑みヒロイックに勝つなどという神話的な英雄談が成立しない、リアルで悲惨な戦争映画にならざるを得ない。現代のダビデたちはPTSDに苦しんでいる。いや…戦争という「偽りの正義」に立ち向かう勇気ある映画もある意味、現代のダビデなのか。
『西部戦線異状なし』(せいぶせんせんいじょうなし、原題:Im Westen nichts Neues )


ウイキペディアより
エーリッヒ・マリア・レマルクの長編小説。1929年発表。
第一次世界大戦の西部戦線に投入されたドイツ軍志願兵、パウルが戦争の恐怖、苦悩、虚しさを味わい、戦死するまでの物語。題名は、パウルが戦死した1918年10月のある日の司令部報告「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」に由来している。
作品では、激しい戦闘、戦友の死、帰郷、負傷といった様々なエピソードを時系列が明確でない形で述べられている。その中で写実的な部分とパウルの内省の部分との対比が、パウルの苦しみの深さ、ひいては作者をはじめとするドイツの若者が負った苦しみの深さを際立たせている。一兵士の死が記録に残らず、大した問題にならないという結末。
1930年にアメリカでリュー・エアーズ主演、ルイス・マイルストン監督で映画化された。1930年第3回アカデミー賞作品賞、監督賞受賞。詳細は西部戦線異状なし
(映画)を参照。
反戦的と解釈できる内容のため、ドイツ第三帝国や大日本帝国では所有が制限された。
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西部戦線異状なし (映画)
All Quiet on the Western Front
監督 ルイス・マイルストン
製作 カール・レムリ・Jr
脚本 マックスウェル・アンダーソン
デル・アンドリュース
ジョージ・アボット
出演者 リュー・エアーズ
ウィリアム・ベイクウェル
ラッセル・グリーソン
音楽 デヴィッド・ブロークマン
撮影 アーサー・エディソン
編集 エドガー・アダムス
配給 ユニヴァーサル
公開 1930年4月21日(プレミア)
上映時間 136分
製作国 アメリカ
言語 英語
興行収入 120万ドル(当時)
ユニヴァーサル映画作品。第3回米国アカデミー賞最優秀作品賞、および最優秀監督賞を受賞した作品。アメリカ連邦議会図書館が1990年、アメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品でもある。
原作『西部戦線異状なし』は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ出身のエーリッヒ・マリア・レマルクが1929年に発表し、世界的な大ベストセラーになった反戦的な小説だが、現在でも戦争を描いた映画史上の名作として不動の地位にある。
戦争の過酷さをドイツ側から描く、アメリカ映画としては異色の作品である。当時としては最新の音響効果を駆使した戦争スペクタルだが、あくまでヒューマニズムに富んだ主題は今でも胸をうつ。
第一次世界大戦中、ドイツのある学校。生徒たちに愛国心を説く老いた教師。生徒たちも進んで入隊を志願する。ポール(リュー・エアーズ)はケンメリッヒ、気弱なベームと同じ部屋に配属された。新参兵をしごくのは、かつて町の郵便配達員だったメルスト曹長である。最初から泥沼になった地面を前進するといった訓練をさせられる。戦場に送られた彼らを古参兵カチンスキー(ルイ・ウォルハイム)は温かくいたわってくれた。仲間は次々と戦死していく。ポールは激戦中に自分の塹壕に入ってきた若いフランス兵を突き殺す羽目になる。そのフランス兵のポケットから彼の妻子の写真が落ち、ポールの胸は痛む。
負傷休暇をもらい故郷へ帰ったポールは、母校に立ち寄った。そこでは、相変わらず老教師が戦争を讃え、愛国心を説いている。ポールは教室で戦争の悲惨さを語ろうとするが、軍国主義の教師や生徒たちが期待したような功名談などしゃべれるわけもなく、彼らを失望させる。仲間と共に、知り合いになったフランス娘と楽しいひとときを過ごしたのもつかの間、カチンスキーが戦死した。長雨の後の晴れた日、戦場は珍しく静かだった。ハーモニカの音が聞こえ、一羽の蝶が飛んできた。塹壕からそっと手を出すポール。その瞬間、銃声一発。敵の弾丸がポールの若い命を吹き消した。
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第1次大戦がはじまってまもない、ドイツのある町。群衆の歓声に送られて、戦場へ向かう大部隊が進軍してゆく。学校の教室では、老教師が生徒に愛国心を説いていた。情熱に駆り立てられた若者たちは、ただちに出征を志願するが、前線は飢えと死の恐怖だけの毎日だった……。原作は、エリッヒ・マリア・レマルクが第1次大戦中の自らの体験をもとにして書いた同名の長大な記録小説。
製作年度: 1930年
監督: ルイス・マイルストン 上映時間: 100分
読者投稿
争映画というジャンルには2種類に大別できます。一つはいわゆる戦争スペクタクル。主に第二次世界大戦を描いた娯楽作です。ここでの悪役は専らドイツや日本。いわゆる勝利者こそ正義だという戦死者や残された家族から見るととんでもない作品群。そしてもう一つがいわゆる反戦映画。今日はその世界で初めて作られたといわれる反戦映画のレビューです。
今日のお題目は「西部戦線異状なし」です。
1930年度作品、もちろん第二次大戦前に作られた映画です。本作は第3回アカデミー作品賞の受賞作でもあります。
派手な爆撃シーンや戦闘シーンで観客を沸かせる戦争スペクタクル、「史上最大の作戦」、「トラ・トラ・トラ」に代表されるこのジャンル、もちろん嫌いではありません。素直に楽しめる。しかし、時折本作のような反戦映画を見ると、そんな自分に嫌悪感を感じます。
反戦映画として名高い「プライベート・ライアン」や、「ディアハンター」、「プラトーン」、「フルメタル・ジャケット」などのいわゆるベトナムもの。これら全ての反戦映画の原点ともいわれるこの映画、とても80年近く前の作品とは思えないほどの凄い映画です。
主人公は19歳から22歳くらいまでの若い少年兵たち。彼らは教師に愛国心を煽られ、入隊します。勝利こそが正義、祖国こそが全てと信じこまされていた少年たち。兵士の辛さなど露ほども知らず、教練に臨む。教官はついこの前まで郵便配達をしていた男。上官面して、自分の欲求不満の捌け口にしか新兵どもを見れない人間のクズです。泥水の中に顔をつけ、必死に訓練に耐える少年たち。いよいよ前線送りとなる前夜、憎き上官にお礼まいり(笑)。まだまだ少年らしい無邪気さが溢れている。
しかし、前線に送り込まれて彼らは、そのあまりの状況の酷さを痛感することになる。敵を大勢倒して、勲章をもらうなどど息巻いていたが、まずそれ以前に喰うものがない。空腹により、士気は下がるところに、爆撃や銃弾の嵐の中をかいくぐり、任務を遂行しなくてはならない。次々と斃れていく仲間たち。それも戦場で死ねる者はまだ幸せ。大半が野戦病院にて手や足を切断され、挙句に敗血症で死んでいく。
映画の主人公ポールは、仲間の死を経験することにより、自分たちの置かれている立場に疑問を感じ始めるのです。そこに、突然降って来た事件。やむなしとはいえ、ポールは敵のフランス兵を殺してしまう。フランス兵の持っていた彼の妻子の写真を見つけ、ポールは気が狂わんばかりに苦悶する。彼は写真の人影にただ謝ることしか出来ない。
川で水浴び中、ポールと仲間たちはフランス娘と知り合いになり、楽しい一時を過ごす。相手は自分たちが戦っている憎き敵の女性なのに。楽しい思いとは裏腹に、何故自分は戦わなくてはならないのか、そんな思いに打ちのめされるポール。
そして死神はポールの頭上にも舞い降りようとしていた。遂に腹に穴を開けられた彼は、必死に生き抜く。運よく回復し、ポールは故郷の町へ一時的に帰る。
命の尊さ、生きることの素晴らしさを身にしみて感じるポール。しかし学校では相変わらず、国の為に死ぬということが正しいと何も知らない若者たちを扇動しつづける。
実際の戦場は地獄だ、若者を死地に赴かせる学校は間違っていると、学生たちに訴えても、逆に非国民呼ばわりされる始末。酒場では大人たちがああだこうだと好き勝手なことを言い合っている。ポールの居場所はもう自分の生まれ故郷にはなくなっていた。
主人公たちは一応第一次世界大戦中のドイツ人の設定です。しかし何時の時代も何処でも戦争という愚かな行為は同じである、このことが本作の肝です。つまり本作は大人たちの都合により、戦争に駆り出されて散っていく全世界の若者を描いているのです。
大変古い映画であるため、映像はかなり乱れていますが、それでもリアルな爆撃シーンは今見てもすごい迫力。当然実写でしか撮影することがなかったこの時代、役者も撮影スタッフもまさに命懸けの撮影だったのではないでしょうか。
ラストの有名な蝶のシーン。非常に美しく儚いシーンです。
戦争とは醜いもの以外何物でもない。戦うことしか出来ない人間の愚かさをいやが上にも思い知らされる。
平和な世の中になって欲しい。この作品を見る度、痛切に感じます
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いわゆる「戦争映画」というものを好んで見る事はありません。たとえば、ベトナム人の監督が撮ったベトナム戦争の映画やイラク人の監督が撮ったイラク戦争の映画なら見たくなるかもしれませんが。昔は戦争映画というと、戦争のある局面での作戦などを賛美したものが少なくありませんでした。それがベトナム戦争以後、戦争映画といえば反戦映画という風に大きく傾向を変えてきました。しかし、ほとんどの反戦映画が訴えているのは「侵略した国家が自国民に負わせた傷」に対する追求であって、決して「侵略された側に負わせた傷」をあからさまにする事ではないのです。確かに、たとえばアメリカという巨大な国家に属していると、アジアの片隅の小さな国の小さな国民などは、見えていても見えない存在でしょう。その国民にシンパシーを寄せること自体が難しく、たとえ寄せることができたとしても映画としての商業的な部分での成功云々の問題になると製作者も腰が引けてしまうんだと思います。やはりアメリカ人に直接関わる問題からまず描きたいでしょうから。つまり、アメリカには「本物の反戦映画」を作る能力は無いのだと、結論するしかないと思うのです。
ただし、アメリカに直接関わらない問題であれば、彼らはかなり優れた反戦映画を
作る能力を持っているとは思います。ある意味、淋しい話ではありますが。
この映画は1930年(昭和5年)にアメリカで製作されました。第一次大戦時のドイツが舞台です。つまり、アメリカ人がドイツ人を演じたわけで、役者は英語で話しています。その辺の違和感はありますが、ただ原作はドイツ人によって書かれた物で、その原作を忠実に映画化している点が素晴らしい。現代に置き換えれば、日本人がアメリカ人を演じて、役者は日本語を話す、そんなイラク侵略戦争の映画とでもいえばお分かりいただけるかと(笑)
愛国心を叩き込まれたドイツの若者が戦地へと出兵していきます。そこで彼が見た現実。殺す必要のない敵兵を殺してしまったことに彼の心は痛み、戦争の大きな矛盾に気がつきます。心の葛藤の描き方が素晴らしいですね。タイトルの『西部戦線異状なし』の意味は、映画を見終えたとき分かります。
この映画は、ベトナム人が描くベトナム戦争とは違い、傾向としてはアメリカ人が描くベトナム戦争の反戦映画に近い作品だと思います。たとえば『7月4日に生まれて』などにね。ただひとつだけ大きく違うのは、「反戦」を訴える場面がないということなんです。淡々と戦時下の日常が描かれるだけです。その日常に秘められた狂気の部分を観客が拾い上げていく、その結果観客の心の中に「反戦」のニ文字が浮かんでくる、そんな映画です。主人公が手を延ばした先にいる蝶々が意味するものは・・・。
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兵士の目から見た第一次世界大戦を描いた、反戦映画の金字塔。
今年の11月9日は、ドイツにとって第一次世界大戦の休戦が宣言されてから90年に当ります。今年の3月12日には、第一次世界大戦に参加した元フランス軍兵士の最後の生き残りだったラザール・ポンティセリさんが、111歳で亡くなっていますので、もうこの戦争を知る人たちはほとんどいなくなってしまいました。しかし、映画は永遠に残ります。この映画は、すべての戦争を終わらせると言われた第一次世界大戦を克明に記録した作品です。
物語は、どこにでもありそうな学校の教室から始まります。このクラスの生徒たちは「英雄になれ、国家の大義名分のためには個人の野望など無意味」という教師の扇動にのって志願兵となります。喜び勇んで兵士になり、戦場に出てみたら、そこに待っていたのは降りやまぬ砲弾の雨とネズミだらけの不衛生な塹壕…英雄なんてどこにもいないいるのは、、ただ使い捨てられる兵隊がいるだけなのです。この塹壕と戦場の描写は、今見ても胸が痛みますし、砲弾が絶え間なく響く様子を聞いているだけでもそのおぞましさにゾッとさせられます。とにかく全てが衝撃的です。
もう一つ感銘を受けたのは兵士たちが戦争の原因を語るシーン。「いったいどうしてこの戦争は始まったんだ?」という根本的な疑問が提示されます。しかし、誰も答えることはできません。このシーンこそ、不毛で際限のない第一次世界大戦の本質を鋭くついていると私は思います。誰が原因となったわけでもなく、長い時間をかけて蒔かれた火種が噴出したからこそ、ここまで戦火は拡大したのでしょう。
なぜ、20世紀が戦争の時代となったのか?それを考える上でも第一次世界大戦を描いたこの映画は、欠かせない存在です。
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映画史上最初の反戦映画。
最初にして最高峰。すばらしい。
ただ、この映画は第二次世界大戦の勃発を
止めることができませんでした。
なぜでしょうか?
西部戦線はドイツ人に大きな心の傷を残しました。
映画の通り(それ以上に)、「異状な」戦場でした。
何百万人もの若者の命が無駄に失われたのです。
特に戦場帰りのドイツ人は喪失感に苦しみました。
ヒトラーもそのひとりです。
彼はショックのあまり一時的に失明したといいます。
重要なのは、彼がプロパガンダとして、
映画を積極的に利用した政治家だったということです。
従って、彼やナチスの高官はこの『西部戦線』を
観ているはずです。
(ヒトラーはチャップリンの『独裁者』も鑑賞しています)
彼らは「戦争の虚しさ」を誰よりも良く知っていた。
そのうえで戦争を望んだのです。
映画関係者はこの事実を深く受け止めるべきでしょう。
かつてヒトラーはこう言いました。
「我々が世界を滅ぼすか、世界が我々と共に滅びるかどちらかだ」
虚無感に襲われたものは救済よりも破滅を願う、典型でしょう。
そんな人に「虚しさ」を説いても無駄なことです。
学校がいくら「命の大切さ」を教えても、
いじめや自殺や少年犯罪がなくならないのと似ています。
いまや「反戦メッセージ」は商品化したきらいがあります。
映画以外でも様々なメディアで「反戦」が叫ばれていますが、
効果があるかどうかは疑問です。
戦争そのものより、ときとして戦争を願ってしまうような
人間の業の深さを、現代社会が「失ったもの」とは何なのかを、
直視するべきではないでしょうか?
goo映画
第一次大戦中の欧州が舞台で、学生だったが、志願して兵士になったドイツ青年達の物語。
まず、この映画の一つだけ気に入らない点。アメリカ映画のため、すべての兵士のセリフが英語というところ。。やはり違和感があった。私には、どちらも外国語だから細かい意味はわからないが、兵士が英語を話していることは解るので、アメリカ兵と勘違いしそうになる。
この点を除けば、とてもよい映画だった。77年前に作られた映画だが、戦争と言う状況における兵士の精神状態は、最近作られた戦争映画と比べてみても、少しも変わらないことが理解できた。
愛国主義者の教師に煽られて、意気揚々と戦場に向っていった彼ら青年達が、現実の戦争の悲惨さ、恐ろしさを前にして、自分達の考えが甘かったことを知らされるのだ。
だが、それを悟った時にはすでに戦場から逃れるすべはなく、次々と死んでいってしまう。最後に残った主人公も、一瞬の間、蝶々に心奪われたがために、敵の狙撃手の一弾に命を落とす。しかし、そのことは、敵味方いずれにしても、たった一人の青年の死に過ぎない。
この映画の中でも、兵士達が話し合っていたように、いったい誰のための戦争なんだ、なぜ、国のために死ななければならないのか、ということが、今もこの世界のどこかで戦っているどこかの国の兵士の疑問となっているに違いない。
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戦争なんてただの殺し合い
なんで見も知らぬ相手を殺さねばならない?
大義のため?
木を見て森を見ず?
木を見ない人間に森なんぞ理解できるものか。
――あの蝶は…カチンスキーだったのかしら