12月19日
ミツカン酢=中埜酢『酢の里』見学記
10月3日に、ミツカングループ「国盛・酒の文化館」を見学して、とてもよかった。そこで今日はその兄貴分の、ミツカン酢博物館「酢の里」を見学した。
あるHPより抜粋
「中埜家のご長男は株式会社ミツカン中埜酢を統括しているが、国盛=中埜酒造は三男昌美氏 が社長を務める。因みに次男の方も近くで中埜総合印刷を経営している名門一家である。」
1)江戸時代から醸造の街としていて繁栄していた半田市。JR武豊線半田駅前の半田運河界隈が創業時から続く中埜酢の本拠地である。
酒造業を営んでいた中野又左衛門(初代)は、酒造りの過程で発生する酒粕を原料にした『粕酢』の醸造に成功した。1804年〔文化元年),分家独立して『ミツカン』を創業した。
現当主は8代目又左エ門和英氏。
2)又左衛門の『粕酢』は飴色の深い色合いと芳ばしい風味から、江戸で人気を博し始めてい
た『にぎりずし』に良く合うと、江戸の人々に大変好まれ、やがて全国へ広がっていった。
3)ミツカン酢本社や、『酢の里』近辺に立ち並ぶ黒塀の酢蔵や酒蔵から、半田運河を経て江戸へと運ばれた当時の様子を窺い知ることが出来る。
4)創業以来今年は丁度200年の節目を迎える。この間、設備及び品質の改良に取り組み(瓶詰めライン化、丸型から四角型発酵槽化等)、ただひたすら純正食品運動を心がけ、『100%醸造酢』のみ製造してきた。
5)現在では、健康食品や納豆まで含めて、家庭用:250種、業務用:400種の商品を、国内のみならず、世界に向けて送り出している。
6)半田運河沿いの『酢の里』近辺は、古い倉庫や黒塀に電柱電線もない風景から、昔は良く時代劇映画の舞台となったとか。
鵜飼俊男注「電線を川のそこに埋めたそうだ」半田一の風景美。
3.国盛『酒の文化館』
1)ミツカン『酢の里』から,北へ2〜300m行ったところに、銘酒『国盛』の中埜酒造『酒の文
化館』がある。
重厚な黒塗りの壁、格子の填った白い漆喰窓をもつ建物は、1972年まで約200年にわ
たって実際に酒造りが行われた酒蔵をそのまま生かしたもので、この建物自体が酒造史
の語り部とも言える。
『酒の文化館』は、日本固有の文化である『日本酒』の知識と理解を広めると共に、省力
化、機械化で酒造りに使われなくなった道具、伝統的な先人達の技などの貴重な文化遺
産の伝承を目的に、1986年に開設された。
知多半島は現在でも酒どころとして知られているが、かつては灘に次ぐ全国2番目の大
生産地であった。
それは流通手段であった海運の便に恵まれたことや、幕藩、特に尾張藩の積極的な奨
励策があったことによるものと思われる。
中埜家のご長男は株式会社ミツカン中埜酢を統括しているが、中埜酒造は三男昌美氏
が社長を務める。
因みに次男の方も近くで中埜印刷を経営している名門一家である。
2)かつて酒造りは『20蔵・500人体制』と言われたが、大変な設備、道具と人手を要して来
た。それら本物の道具を陳列し、酒造り工程を模った模型を見て、昔の人の知恵に大い
に感ずるものがある。
3)日本酒のグレードは大きく分けて、@大吟醸酒(精米歩合50%以下)、A吟醸酒(精米歩
合60%以下)、B本醸造酒(70%以下)、C普通酒(70%以上)に分けられる。
その上に更に各々、醸造アルコールを含まない純米だけの『純米』がつく種類が存在する
ことになる。
国盛の中埜酒造では、原料となるお米は主として、『山田錦』、『美山錦』、『五百万石』等
最高グレードの原料を使用して、銘酒を生産しているとのことである。























私の宝物。大正元年の、高額年収者名簿。もっとも、貧しいのでヤフーオークションに売りにだしている。
中埜左又衛門氏は五万五千円〜六万円。盛田久左衛門氏は7千円である。私のひいおじいさんは600円で100分の1である。

物で有名。明治天皇がこの中埜半六邸をおとずれた。(大演習




博物館にぶっつけで行き、予約申し込みをした。ロビーの掲示物の写真を撮った。












先の見学グループがスライドを見終わって、ホールに来たので、そこに私も加わって工場見学。この景観が半田一であることは多くの人が認める。しかし美しさの秘訣は「電柱が無いこと。川に埋めたから」とは、言われるまで気付かなかった。欧米では地面に埋めているそうだ。



工場は実際に稼動している。そのうちの幾部屋が、展示室になっている。階段で一,2箇所電動昇降椅子があった。
この床下に、酢の材料が厚み2mで、蓄えられているそうだ。
酢は酒から作られる。酒を作った残りもの=サカガスから作れば、実用的調味料。味を良くしようと米から作ると高価だそうだ。酒と同じ行程で、かつそれよりも酢にする行程が多くなるから。

ミツカンのカンは何だろう?輪が環(カン)と呼ばれているような気がするわ【輪・▽環】
大辞林でも 「わ」 を検索する
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1 曲げて円形にしたもの。また、円い輪郭。環(かん)。「鳥が―を描いて飛ぶ」「指―」「花―」
2 軸について回転し、車を進めるための円形の具。車輪。「荷車の―が外れる」
3 桶(おけ)などのたが。「桶の―がゆるむ」
4 人のつながりを1に見立てていう語。「友情の―を広げる」
5 紋所の名。円形を図案化したもの。
皇太子夫妻が、工場見学。それがきっかけで、一般公開することになったそうだ。





























江戸時代は、今の3倍ぐらいの大きさ(おにぎりぐらいか)3つで一食だそう。つくりだめして、移動販売。店を構えている寿司屋はすくなかったらしい。炎天を持ち運ぶのに腐らないよう酢を利かせた。酢に2種類あって、粕で作ったのは実用品。米から作ったのは高級品。
。














左に見えるのが電動昇降椅子のよう。生まれて始めて見た。優しい心遣い。
















博物館中庭。竹の中庭を広いガラス窓から見る。本社にもあった記憶がある。
工場見学が終わり、団体と別れ、スライド映写室に案内された。
スライド、上映後質問の時間があり、酢を使った製品を振舞われた。おいしかった。





























楽しい1時間だった。女性3めいと、男性1名と話をしたが、皆紳士淑女で爽やかだった。
もしこのHPの読者諸氏が半田で半日過ごすのなら、この二つの私設博物館「酢の里」と「国盛・酒の文化館」を見学されることをお勧めする。
www.monodukuri-net.com/new/ 3rd/hakubutsukan/sunosato/sunosato.html - 14k より

ミツカン旧本社
ここは一時期「東海銀行半田支店」が入居していた。東海銀行の前身
また、以前半田市が歴史資料館として、また図書館として、中埜又左エ門氏本宅の敷地内にある2階建て洋館を借りていた。多分次の文章の中埜銀行は、中埜酢店=ミツカン酢がたてたのだ、そしてこの建物は中埜銀行本店だったのだろう。
「中埜銀行は、1901年(明治34年)に設立され、 1938年(昭和13年)に伊藤銀行と合併しています。 その後、伊藤銀行は、1941年(昭和16年)に愛知銀行、名古屋銀と合併して東海銀行となり、 2002年(平成14年)に三和銀行と合併してUFJ銀行になりました。」
www.city.handa.aichi.jp/kankoukyoukai/ miru/sunosato/index.shtml - 7kより
所在地/半田市中村町2-6
開館時間/9:00〜16:00(12:00〜13:00は休憩時間)土日祝日は15:30まで
休館日/毎月第3日曜日・年末・年始
入館料/無料 ※電話予約が必要
最寄り駅/JR武豊線「半田」駅下車、東へ徒歩5分
お問合せ先
博物館「酢の里」 電話 0569-24-5111(酢の里直通)