1月1日

本年もよろしくお願いします。
●良い言葉
今朝元旦、テレビ番組で「倒産企業主が、家族路頭に迷い当ても無く、車で旅館を転々としていた。山寺(立石寺。山形?)
(よそのHPの写真より)
に参拝し、そこに「どんなことがあっても、決してあきらめるな」と言う意味の文章が書いてあって、とても元気づけられました。」と言う。家族全員が不安の日々の中で安らいだひと時を過ごせたそうです。今は息子さんも、父親も働いてともかく生きていくには困らないとのこと。画面に映った文章はそのときのものとは断言できませんが「全てを失った人にも、未来がある」といったことが書いて有りました。日々は苦しく、くじけてしまっても、それまで精一杯やったのであれば、「終わり悪くてもそれなりに良し」です。人は幸いにして「人」として生まれ、様々な言行をして解体・解散(死=その人としての活動をやめて別の物体やエネルギイに姿を変える)をします。全てを失って、自殺するも良し、立ち上がるも良し。人はせっかくの命。悔いの無い生き方をしましょう。
●何十億の人間、一人一人が神仏です。
正月など、勝手に人間がつけたものです。世界中全てが正月と思っているわけでは有りません。だいじなのは1秒1秒を、味わい、納得のいく行き方、過ごし方をすることだと思います。これは「どんなことがあっても、決してあきらめるな」とか「全てを失った人にも、未来がある」にも共通するものがあります。不幸にして死刑に処せられることが決まり、処刑室に入る道々にも光の美しさ、息をしているありがたさを思うべきだと思います。例えてみれば修学旅行、乗り物から降りる最後の1秒まで楽しむべきでしょう。
喩え、何回も人生が仮に与えられているとしても(法然、親鸞の「浄土からの復活」思想)、私達はこの今の命を「自分自身の頭でかんがえ、話し、生きる」べきです。たとえ そのために貧しかろうと、知り合いが無かろうと、自分が望んだ道を行くべきです。旅行に例えれば「生きているうちに行ってみたいところがもし残っているなら、すぐ行きましょう。」「誰も同行者がいなくても、見たいものは、早く見ておきましょう。もしそれが貴方に、良い考えを授けてくれる場合、出来るだけ長くその考えとともに人生を過ごしたほうがいいと思うのです。今の日本人は異常です。(外国人のことは知りません)ある本に「日本民族は、何千年も前から、権力者から自分の考えで言行する事を禁じられてきた」と有りました。ぬかるみの中を土下座した民族。日本人は今も昔も「土下座」民族なのです。私も貴方も。私は、肩書きに惹かれます。権力にあこがれます。けれど、思索でかろうじて抑えています。
紅白歌合戦の、あの下手な話と歌はどうでしょう。戦後の荒れた時代の一事しのぎの憲法や紅白歌合戦は、本来まともなものでは有りません。「攻め込まれても抵抗しません」「男と女と歌で勝負しましょう」これを馬鹿馬鹿しいと思わない日本人は、異常です。仲間殺しをする生物は「猿と人間(サルの1種)」だけだと放送で言っていました。人間が異常なのかも。
石炭は太古に茂ったシダ植物の化石だそうです。石油はプランクトン?がある時代の岩石に影響を受けて変化したもの。使い尽くせばなくなるもの。鉄鉱石も太古の時代の物質の化合物で、もうその条件は揃わないそうです。私達はこれらの資源をやめるべきです。自分たちの子孫のために残しましょう。
私は言いたい。こう言う事を考えたり、いったりすることが、人生の目的そのものではないか?沖縄かどっかで戦争末期、「自分の後に続くものがあるのを信じる」と体当たり攻撃した青年があり、そのあとに4500人続いたそうです。人間はあっちこっちで原始の時代から、敬愛するものと、共に行動し殺されたのでしょう。「時にそういうこともある」。生きるとは何か?自分で考え、その考えにしたがって行動し発言する。喩え死を目前にしても。最後の一息まで、じぶんの考えを通そう。
正月も年中行事も人生の通過儀礼も、それは人間が勝手に決めたもので、どうでもいいのです。ただ動かせないのは生き物は有限だと言うこと。全てはそこから始まっています。宇宙は永遠で無限。圧縮膨脹を繰り返し、地球のような存在は無数に存在し、消えていったでしょうし、これからも現れるでしょう。でも、先ず私達はこの地球を守りましょう。
私は思います。神や仏とは、実は地球や太陽や心優しい人のことだと。だから私は自分を神、仏だと思います。私は死んだから「神だ仏だ」と思うのはおかしいと思います。死んだからといって人の値打ちが変るものではない。そう主張したい。何十億の人間、一人一人が神仏です。