1月4日
テレビ番組で見たかっしゃの問題
●父の心の内
父は衣類をケチる。ぼろを着る。2年前に75歳で亡くなった母もそうだった。53歳の妹は「べつに新品の衣類がないわけではないのに、なぜ着ないんだろう?プレゼントしても しまいこんでいる」と、不満のようだ。でも私には、「当然だ」と思う。まだ父は、毎朝、ひげをそる。元気だ。ちっぱな心がけだ。運転もする80歳。耳が遠いせいか、人間との会話がほとんどない。補聴器もあまり、役立たない。そうなると、もう他人の思惑など、どうでもいい。「他人の思惑など、どうでもいい人間は、地金で生きる。私は地金で全ての人間は生きるべきだと思う。父は、体の弱い人間で、せい伸びして生きなければならなかった。栄養剤?を自分で皮下注射して10代を過ごした。けちな性格だが、衣類は商売上の必要からある程度出費していた。けれどここ数年客がない。そけで父は衣類をケチりはじめたのだ。
私はそれでいいと思う。父や母の10代は、貧しかった。日本全体が貧しく、農家は特にぼろを着ていた。私の10代も。肉食人種は別として、草食人種で、衣類に金を一番掛けるのは日本人ではないだろうか。掛けて楽しいか?何処まで掛けたら楽しいか?
「ハイフィデリテイを追求しても、生演奏には適いません。私はこれで充分です」と仕事場で手製の10センチスピーカーボックスから小さな音でクラシックを聞いていた看板やさん。それを聞いて、「すごく深い考えだ」と感服した。この山田音調工芸社の山田幸一さん(故人)は、ピアノの調律師兼看板屋で、クラシックファンで、なくなる前年だったか、「ウイーンフィルの生演奏だけを聞くためにヨーロッパにいって、とんぼ返りをして帰って来た」と私にいわれた。「もったいない、せっかく何十万円という運賃を使って行ったなら、ゆっくりあちこち見てくればいいのに」と私は思った。その後まもなく、入院手術し退院、がりがりに痩せて退院し、来店され「9死に1生を得ました」そして再入院して亡くなった。それを聞いて「ああ、念願をぎりぎりのところで、実現させたのだ」と、私は考え付いた。「死の予感。どうしても未練が残るという願望だけに的を絞った」と思った。
●感動の箱根駅伝、二日目 8区の難波主将は 無理して完走した涙の師弟走。
朝日新聞のHPより
亜大が初の総合優勝、駒大は5位に 箱根駅伝
第82回東京箱根間往復大学駅伝最終日は3日、神奈川・芦ノ湖〜東京・大手町間の復路5区間109.9キロで、関東の19大学とオープン参加の関東学連選抜が出場して行われ、亜大が11時間9分26秒で初の総合優勝を果たした。
亜大は復路6位スタートながら、じわじわと順位を上げ、9区の終盤でトップに。最終10区でも安定した走りでゴールのテープを切った。
2位は山梨学院大。3位は日大。往路優勝の順大は7区まで快調に差を広げ、独走態勢に入るかに見えたが、8区で体調不良と見られるブレーキで後退した。5連覇を目指した駒大は、8区で一度は首位を奪ったが、9区以降が振るわず5位に終わった。
鵜飼俊男の感想
往路優勝の順大は7区まで快調に差を広げ、独走態勢に入るかに見えたが、8区で体調不良と見られるブレーキで後退した。TVの解説者が「もしこれが(マラソンなどの)一人でする競技であったなら、走り続けるのをやめるでしょう。」といっていた。何人かに抜かれつつ走り続けてともかくたすきを9人目に渡した。4位にはなった。彼が8区を走り続けなければ棄権だか失格だかに成り、せっかくの往路優勝もどうなるか。このひとは去年も主将でこの区間を箸ってあまり振るわなかったらしい。「今年こそは」と思っただろう。今年も主将だ。命がなくなっても、這ってでも走りたかったろう。仲村監督が介添えというか、顔色等を見るためか、一緒に走る。限界と見たら難波主将を抱きとめるためだろう。涙の師弟走。
●生きることの価値は