A5版・263P・ハードカバー 定価 2000円(税込)

筑豊礦業家列傳1(明治大正篇)
『復刻・筑豊鉱業頭領傳』(明治35年 児玉音松著)










発行者 福 田 康 生
住所 福岡県宮若市宮田4582
TEL  0949−33−1843

目 次(登場人物)

飯田利吉氏、入江百太郎氏、岩永勝造氏、石橋宗右衛門氏、入江佐一郎氏、今永茂造氏、泉初太郎氏、芳賀庄十郎氏、花野儀兵氏、原田源次郎氏、原口谷五郎氏、林常吉氏、橋本石松氏、橋本竹次郎氏、半田重五郎氏、丹波新九郎氏、西辺伝蔵氏、常陸重平氏、大藪彦七氏、小野田忠次郎氏、渡辺宗七氏、渡辺鶴吉氏、故渡辺弥右衛門氏、渡辺重兵営衛氏、渡辺安太郎氏、和田勇七氏、和田清吉氏、貝島七太郎氏、角脇治作氏、金子卯太郎氏、川原磯吉氏、川原友吉氏、故河原三十氏、川原円蔵氏、寒竹井作氏、吉田喜右衛門氏、高村松之助氏、故高野与平氏、田中長吉氏、玉住和助氏、竹内杢三氏、田代文平氏、故田代喜六氏、丹文吉氏、坪根松五郎氏、土谷嘉太郎氏、鶴田太吉氏、垣成庄蔵氏、中田新平氏、長尾秀造氏、中村亀太郎氏、中村勘助氏、村上市松氏、故村上民平氏、瓜生治助氏、内田市二郎氏、植村八郎氏、則松卯右衛門氏、野見山勝蔵氏、久保田小十氏、故熊井直平氏、故久勢弥七氏、八尋仙太郎氏、早川百太郎氏、故山崎文蔵氏、山本秀太郎氏、安川平三郎氏、松尾角太郎氏、松田与市氏、松山磯吉氏、松山和市氏、前山佐吉氏、古川末十郎氏、船津信新吾氏、福田利吉氏、藤崎俊作氏、小石藤三郎氏、小石ナツ女、故小石喜作氏、故古賀喜作氏、小南秀之進氏、阿部八右衛門氏、佐々木三次郎氏、木本清太郎氏、岸川銀次郎氏、溝田与三吉氏、峰万太郎氏、峰俊一氏、光安惣平氏、故宮崎長三郎氏、故塩塚百太郎氏、故柴田伝蔵氏、白石勝太郎氏、白石伝太郎氏、白石喜助氏、篠原直七氏、篠原国太郎氏、島本喜一氏、下沢徳太郎氏、日高芳右衛門氏、久野助三郎氏、瀬戸崎半次郎氏、善明荒吉氏、安山清造氏、原口谷五郎氏、吉冨市五郎氏、松尾勝次郎氏

 特 別 欄(本県特別欄賓客中の諸名士)

瓜生長右衛門氏、谷角助氏、松岡陸平氏、山田義信氏、神谷清三氏、山本政右衛門氏、瓜生弥市氏、柴田誠一氏、故川原徳三氏、故林彦三氏、故和田新三氏、渡辺豊吉氏

  自  序

 一人事を創めて千百の人之が為め払衣食の方を得、一坑業を建てゝ方三四里の村落之が為めに殷賑す。 然たる男子が胸間方寸の裡に閃めきたる計画によりて千万斯年の久しき土中幾百尺の底に埋没したる石塊が文明世界に歓迎せられて直ちに黄白に化するに至つては人物の社会に於ける価直も亦甚だ偉ならずや。余は是等の事由を以て鉱業を尊重するものなり、坑主を謳歌する者なり、而して世の鉱業を尊重し、坑主を謳歌することの此の如く盛なる今日に至つては余は更に鉱業の為めには現在の山の神、坑主の為めには真成の侍大将たりし頭領其人の功労を追称し、其人となりを不朽に伝へんとの希望を起せり、而して此希望は端なく余を促がして此著を為すの已む可からざる次第とはなせり。
 余は元と文筆の人にあらず、而して其最も短処を振ふてまでも尚頭領諸人の伝紀を綴らんと擬するに至りし所以は抑も亦説なきにあらざるなり。蓋し世の坑主を伝するものは坑主全盛の今日とて材料を得ること難からずして亦其間に冥々の所得なきにあらず。頭領を伝せんと欲するものは其種子を集むるに易からずして之が出版費及び或る一種の人の猜疑を犯すと云ふ面倒を覚悟せざる可からず。而して余が彼れを撰ばずして是を取りし所以の者は余にして今日之を為さずんば他日或は此鉱業界の大功労者をして身草木と共に朽ちて其功名の長く湮滅せんことを恐れたればなり。
 余は此著の材料を拾収する為めに幾十百回五郡の地を跋捗せり其間には有名なりし亡頭領の墓を弔ひしこともありき。其遺族の今は見る影もなき茅屋に在るを訪ひたる事もありき。或は大勢力ありし頭領が老来不遇空しく槍夫として老死を待つ。或は必死の老病に罹かりて立ち昇ぼる薬炉の煙の心細く感ぜらるゝ等にも逢へり。而して多くの名頭領は昔時は有用多忙の身にして今日は無事閑散の人となりたるが多きを見ては、余は幾度か時勢の変遷に泣けり。而して余が比著の万已む可からざる事は唯血性男児の首肯する所なる可きことをも知了せり。其微カと不文とを顧みずして比挙に出でたるを嘲ける者の如きは余が問ふ所にあらざるなり。頭領伝の第一篇成る矣其之を成すまでに心血を注ぎ尽したる所は独り余自身の知るあるのみ、感慨縦横遂に茲に筆を執つて自序文を草し了はる。

   明治三十五年四月                児玉音松



  弁  言

一 普通頭領の字は棟梁に作くる。或は頭領を妥当と云ふものあり。要するに頭領の称たる地方に於て慣熟の語のみ、暫らく頭領会にて用ひ来りし字を其まゝに用る事とはなせり。

一 頭領は一坑一人、即ち大頭領なり。然れども其実際に於ては頭領と呼ばるゝもの一坑多数あり。要するに乾父と云ふが如きのみ且つ今日大納屋頭領たる者にして他日大頭領たり若しくは前年某大坑にて威名赫々たる大頭領たりしあり、或は名は大納屋頭領にして其実力一坑の重鎮たる者あり。故に頭領とは炭坑社会にて通用の語なりとす。頭領伝とは其通用語そのまゝのものと諒せらるべし。

一 其伝紀材料を捜索するに甚だ艱難を極めたるを以て往々其人の功績の一半をも尽くし得ざるものあり。或は事件錯綜して叙し難き為め、之を剔去せしあり、或は逸事の部に掲ぐるあり。看者幸に著者の苦心を察して之を恕せよ。

一 既に死亡せる頭領にて遺漏せるもの亦多々あらん。其遺族を尋ねて得ざるなど著者に取りては労せしも功なかりし者尠からず。是等は後篇に於て成るべく掲出の考なり。
一 炭坑の名称村名等往々疑はしきあり、頭領に就て之を問ふも、多く文字を解せざるを以て明答を得ず。已むを得ずして推測の字を用ゐたり。看者之を諒せられよ。縦令へば抽の木原を榎原と云ひ林ヶ谷を陣ヶ谷と、木浦岐を知宇良木と云ふの類是なり。

一 伝紀の序列上何れを先きにし何れを後にせん様もなし。故に伊呂波順を以て之を収むる事とはなせり。

一 頭領中既に坑主となりたる人少からず之が経歴を頭領伝中に収むるは頗る不当たり。然れども他の頭領等、奮発励精の模範ともなるを以て、成る丈け最近に坑主となりたる人数名を撰み別に之を記録せり。

一 曾て五郡頭領会の名誉職を帯びたる人数人あり此人々は著者之を少壮頭領と同列にするを憚りて特別席に署せり。

一 頭領の履歴を採拾するには人に知られぬ困難を喫したり。随て獲れば随つて書きたるを以て或は汽車中、或は来客応接中、或は深更灯下、或は百忙虫草稿を起こさぬまゝに済ましたる等によりて其文体自から一様ならず。読者之を尤むる事なくんば幸甚。

一 本書材料収集には二年の歳月を費せり。故に其伝紀も往々今年何歳と記したる者にて実は今年なちぬ昨年の年齢なるもあらん。力て訂正したれども粗漏あらんことを恐れて茲に特書す。間違ツても一年なり。看者恕し賜へかし。

一 本書の文章は一気に呵成せり。而して其傍訓を加ふるに及び成る丈解し易からん事を希へり。故に其振り仮名は極めて無理にして往々其字と殆ど没交渉の趣あり。此可笑しき所は即ち著者が尤も苦しみたる所なるを諒せられよ。

一 文体の一様ならざるが為めに人々の履歴に繁簡の均しからざるあり或人は多き炭坑の経歴を一筆に抹殺して却て細かに其人格を描かんとしたるあり。或る人は無闇に其渡り歩るきし各坑の経歴に力を入れたるあり。是又著者が筆を執りたる時の気分にて筆路の快渋両様の作用に多少の関係ありと雖著者としては又一片苦心の処なきにしもあらず。

一 二十歳年代の大納屋頭領もあれば七十以上の老頭領もあり、一地方に知られたる大頭領と松岡山田諸頭領との人格は固より同日の論にあらざるを知ると雖著者が真意は人物品評の上にあらずして其人の功業を後世に伝へんと欲するにあり。同じく豪傑と云ふ字を用ゆるにも其豪傑には又幾階級の在るが如く同一字句を以て讃したる詞にも其人の事功及び地位人品によりて器に大小あり。材に高下ある事は読者の看取するに任かせ著者は敢て褒貶抑揚の意を寄せず。

一 此著素と著者が遠賀郡頭領会に事務員たるの日に起こる。故に会員は私情に於て交友たり其交友の履歴を湮滅せしめじと勉むるは已む事を得ざるに出づ。其他郡の如きは著者の多忙なる、交遊に乏しき、探訪員を特派する資力に乏しき等種々の困難の為めに顧みて遠賀の詳かなるに若かず。是は他日機を得て続編を出版し之を補ふ可ければ幸ひに暫らく寛仮せられよ。

一 現存頭領社会の先輩なる渡辺弥右衛門氏は篤疾にして写真を採る能はず。遂に死去せられたるは尤も遺憾とする所なり(物故せし頭領中にては僅に川原三十氏の写真を得たるに過ぎず)。幾多名頭領の面影を後世に留めて以て其全盛を偲ばしむる事能はざるは著者の不本意にして又其人の不幸なりとす。

一 二年三年の短日月を以て甲坑より乙坑に遷転する者一々之を記録するとも何の興味かあらん然れども著者が本意は面白き伝紀を書くにあらずして、成る可く其人が鉱業に関係せる事歴を後世に残こさんとするに在り。是れ閑冗無味の文を綴りて辞せざる所以なり。故に其逸話には却て其人物の全貌を言行の一斑によりて窺ひ知る可き事を載せたる者多し。其中或は事業上の苦心談功名談及び当時の関係等面白くもなきものを録したるは今日に在ツては珍らしからぬ事も、ここ百年二百年の後には全く世に伝はらぬ事となるを惜むの情に出づ。

一 逸事談は他日面白き名を命して諸君に見参せしむ可し。著者は予言す。此逸事談は必ず本書を読むよりも興味多かる可きことを。何となれは、本書は勉めて頭領の功労を録したるを以て、閑冗の語多く、逸事は趣味ある一部を簡明に摘記したればなり。而して逸事には其人の真面目を露呈するの目的を以て其功名を説くと同時に其失錯をも録せり。著者は思ふ此著世に出ては著者は往々此悪戯漢を打ち懲せよとて屡炭坑諸豪傑の鉄拳を味はせらるゝ事を。

一 本書に組み入る可く原稿既に成りたる人にして之を後篇に廻はしたる向きも少からず是一は著者が薄資にして一時に大紙数の出版を為し能はざるが為めにして、又後篇の興味を添ゆる為め故さらに之を後廻はしにしたるもあり読者之を了せよ。

一 後篇に採録す可き人物の数は前編に譲らざる可し。肥前地方の名物男にも及ぼしたればなり。然れども其事歴は簡に失する者も亦少からず材料拾集に一層の困難あればなり。其人物の大略を摘記すれば左の如し。是れに洩れたるは固より多々ありと知る可し。

○姓名不祥

田代清右衛門氏(知古)、原孫四郎氏(香月)、渡辺茂三郎氏(新入)、角銅治郎七氏(川宮)、小石作平氏(鯰田)、村上林造氏(下錨)、佐々木寅吉氏(人見)、山田竹五郎氏(勢田)、白土和六氏(勢田)、白土宅右門氏(勢田)、長谷川武七氏(勢田)、田原卯三郎氏(有井)、三浦元右衛門氏(鹿毛馬)、大和源吉氏(有安)、梅野新平氏(鯰田)、同幸助氏(同)、金山源吉氏(香月)、香月勝蔵氏(香月)、高野芳右衛門氏(中間)、古島久治郎氏(中間)、久保田喜三太氏(不詳)、三好伴右衝門氏(浅川)、荒牧重蔵氏(戸切)、有田重右衛門氏(楠橋)、吹田仙右衛門氏(磯光)、入江利右衛門氏(四郎九)、入江休右衛門氏(四郎丸)、清水卯平氏(宮田)、木野源作氏(四郎丸)、鎌田太七氏(御徳)、松尾善次郎氏(御徳)、永富和六氏(御徳)、今水文右衛門氏(仝)、和田新七氏(下境)、橋本鶴吉氏(下境)、 田代勘市氏(下境)、高倉正右衛門氏(下境)、石倉竹吉氏(下境)、中谷源三氏(赤地)、福島和作氏(御徳)、長谷川直右衛門氏(御徳)、高橋助三郎氏(知古)、日高源十氏(下境)浦野儀七氏(金田)、万次郎氏(赤池)、藤田儀三郎氏(赤池)、太平氏(神崎)、谷卯三郎氏(糸田)、今藤新三郎氏(糸田)、清右衛門氏(宮床)、川波久助氏(宮尾)、伊藤丈平氏(宮尾)、神吉勘二氏(宮尾)、富永長右衛門氏(宮尾)、井上孫六氏(後藤寺)、吉田九蔵氏(後藤寺)、野上杢平氏(仝上)、中田与平氏(仝上)、有吉伝平氏(池尻)、八木利太郎氏(糒)、久世弥三郎氏(仝上)、萩原重平氏(夏吉)、大塚直作氏(勢田)、大和力松氏(有安)、福田用作氏(網分)、矢野市次郎氏(戸井)、正崎喜五郎氏(中間)、岡部万七氏(中間)、香月円八氏(香月)、藤崎友次郎氏(中間)、佐藤又之助氏(採銅所)、橋本国吉氏(池尻)、岡部仁吉氏(中間)、野中重蔵氏(飯塚)、飯埜善右衛門氏(直方)、野見山幸市郎氏(相田)、塚本治六氏(川津)、塚本太右衛門氏(川津)、野見山新四郎氏(勢田)、藤島秀市氏(目尾)、渡辺甚三氏(新入)、安藤助蔵氏(目尾)、松岡源七氏(鯰田)、丹波清七氏(佐与)、白土助八氏(仝上)、白土長右衛門氏(仝上)、田代藤五郎氏(仝上)、藤原藤七郎氏(弓削田)、山川新次郎氏(金田)、金子文右衛門氏(市津)、太市氏(赤池)、正三氏(松岡氏妻君ノ父)、上尾清四郎氏(前五郡頭領会長)、荒木辰造氏(ヤジガ浜)、池本和平氏(目下白井坑)、野中三太郎氏(目下上三緒坑務長)、松尾庄太郎氏(目下平常坑)、谷川久太郎氏(目下起業坑)、葛原三四郎氏(目下笹田)、角堂常三郎氏(峰地三坑)、日高政吉氏(目下新手洗)、中島万次郎氏(臼井坑)、久保田藤九郎氏(頃末)、清水卯平氏(宮田)、竹内和三郎氏(目下海軍坑)、太田万次郎氏(目下権現堂)、富永良平氏(御徳)、仝嘉助氏(仝上)、三好寛三郎氏(浅川)、安山庄太郎氏(大辻)、和田清吉氏(大隈)、松本伊八氏(仝上)、松瀬太市氏(仝上)、占部勘三郎氏(仝上)、本田善三郎氏(吉田)、松本卯太郎氏(目下宮ノ浦)、仰木広市氏(岩崎坑)、谷口弥市氏(第二深坂)、遠藤作太郎氏(目下金剛)、吉冨市五郎氏(目下金剛)、藤田金七氏(仝上)、北川徳市氏(仝上)、津村熊太郎氏(仝上)、長谷川頼太郎氏(不詳)、淵上弥五郎氏(不詳)、三宅要吉氏(目下埴生坑)、矢野信太郎氏(目下埴生坑取締)、渡辺与三吉氏(勢田)、坪田次三郎氏(目下長津坑)、佐藤良三郎氏(目下大辻坑)、田中竹二郎氏(目下第二深坂坑)、本田某氏(仝上)、中島某氏(仝上)、三宅折平氏(目下高松坑)、峰俊一氏(目下高松坑)、福田治助氏(目下小倉坑)、山本寿三氏(吉田)、三原辰次郎氏、三原森吉氏(小倉)、白土銀次郎氏(勢田)、石原金太郎氏(仝上)、山田輝吉氏(仝上)、加藤梅吉氏(目下大辻坑)、松岡房吉氏(上野)、早川太郎氏(池田) 其他数十名

肥前地方

浅氏頭領(島原)、大塚喜平氏(筑前宇美)、牛松氏頭領(島原)、新三氏頭領(島原)、盲目金氏(不詳)、鬼政八氏(島原)、長之助氏(豊後)、時次郎氏(柳川)、カ武力太郎氏(通称焼土力)、五島五郎氏、平島五郎氏、梅崎千代氏(目下沖縄)、尾上卯太郎氏(唐津)、大久保福太郎氏(筑前)、石井三作氏(平戸)、宰府長宰府熊氏(筑前)、長氏(島原)、長氏(通称ジャンコウ長、新入和蔵氏ノ兄弟分)、片萱新太郎氏(唐津)、熊ケ谷寅市氏(目下今福)、徳七氏(筑前芦屋)、目玉太助氏(唐津)、松野伊六氏(仝上)、嘉平氏(浜崎)、白古賀杢次郎氏(諌早)、江戸竹氏(長崎)、大吉氏(瀬ノ下)、小ミダレ氏(博多)、新吉氏(尾崎)、市八氏(江向ヒ)〔以上九名ハ大日明ヲ為ス〕  其地

賓 客

貝島太助氏、谷茂平氏、芳野五郎七氏(御徳)、芳野屋小平氏(仝上)、芳野屋吉次郎氏(仝上)、坂口善市氏(仝上)、森田又六氏

(仝上) 其他十数名

一 諸頭領の写真〔略〕は送附の約を為しつゝ其約を践まぬ人少からず数度の催促に倦み労れて終に後篇に廻はしたるも少からず、是実に著者が遺憾とする所なり、而して遠賀頭領の割合に多数なるは頭領会集合の席に写真師を聘したるに依る。
一 此著出版に就て著者が微力を扶助して大に尽くし呉れられたるは遠賀郡八幡町山本松造君同郡中間の仰木源太郎君なり。出版方法に関して尤も熱心に助勢せられたるは東京の青木襄君及町田平吉翁、此著の成功を喜ばるゝ諸君と共に之を謝せんと欲する者なり。