■名古屋城見学(櫓)(2018/8/10(金))
■名古屋城見学(櫓)(2018/8/10(金))

【はじめに】
 愛知県に住んでいても、名古屋城に見学(観光)に行こうなんて、思ったことがない。 名古屋城は確かに有名でも、本物の天守は戦災で焼け落ちている。 今ある天守は戦後に再建されたもので、見るべきものがあると思えないからだ。
 そんな名古屋城にも、江戸時代に建てられた櫓が残っているというのを、新聞記事で知った。 しかも、三つも残っていて、期間限定で特別公開されているという。 本物の江戸の建物が見られるのであれば、一度は行ってみたい。 こうして、ようやく重い腰を上げて、名古屋城に登城しようという気になった。
 今回のレポートでは、櫓見学を中心にして、名古屋城について考えたことなどを報告する。

【櫓見学】
 名古屋城に残る櫓は三つある。 本丸内に二つ。 外堀を守るものが一つである。 いずれも重要文化財に指定されている。
 いずれも江戸時代の建物ということで、現代風に非常口などはない。 そのため消防法の制限により、一度に入られる人数は各櫓で49人とのことである。 これは、スタッフの人数も含むため、見学者数はされに少ない。 どの櫓も三層構造で、三層目の人数は9人と、さらに絞られる。 今回の公開では、出入口や三層目への階段口で、厳密に人数管理を行っていた。
 平日の登城ながら込み具合がきになるところ。 今回は、10人前後の待ち行列で、予想の範囲内であった。 本丸の南西櫓は、待ちなしで入ることができた。

 行列に並んでいると、忍者装束で出てきたグループがあった。 刀のようなものも差していて、写真を撮りに来たコスプレ忍者のようである。 それぞれに満足そうに語り合っている。 こういう楽しみ方もあるのだなぁ。 少し派手目な衣装で、子供向けマンガや戦隊ものの忍者風情で、少し興ざめする。
 ヒジャブというスカーフのようなもので頭を覆ったイスラム系の女性の観光客を見かけた。 この人のほうがはるかにシックで控えめな印象で、はるかに忍者のように見える。

■本丸西南隅櫓
ws

 白い漆喰壁に二層目の上部と三層目に瓦屋根を載せる姿だ。 昔の蔵か土蔵のようでもある。
 石の階段を上っていくと唯一の入り口がある。 ここでスリッパに履き替えて見学する。
 外側は一間幅の廊下が取り囲む。 ところどころに窓が設けられ、三寸程度の白い部材(木材に漆喰を塗ったもののようだ)で縦格子が組まれる。 外からは絶対に入れないし、この意匠が城独特の雰囲気を醸し出す。
 廊下の内側には、分厚い引き戸を隔てて柱が林立する空間が広がる。 たぶん、ここに控えの兵が詰めたり、武器を置いたりしていたに違いない。 柱も八寸角のものばかりで、頑丈な造りである。 大胆に角取りされ、体をぶつけてもダメージは少なそうである。 引き戸の部材は、傷などがなく妙に新しい。 というのも、この櫓は石垣が崩れたときに壊れたらしく、大正時代に当時の木材を使って再建されたそうだ。
 二層目も基本的に同じつくりで、一間幅廊下が取り囲む。 天井が屋根に沿って斜めになっているのが違いである。
 三層目は一間幅ですぼまっていて、一、二層目に比べると少し狭い。 城の外側(南と西方向)に向かって窓が設けられ、周囲に目が届くようになっている。 築城当時なら監視に最適であり、太平の世ではよい展望台である。 高い建物が建つ都市の中にあって、格子越しに名古屋駅方面の高層ビル群を見ると、お城は高台に築城されたことを実感する。

●西南隅櫓の内部 ws-in2

●西南隅櫓三層目 ws-top

●物見台 ws-dai

●眺望 ws-see

【本丸西南隅櫓データ】
建立時期:慶長17年(1612)ごろ
規模:東西約12.0m、南北約13.5m、高さ約13.1m
構造:外観二重、内部三階

■本丸東南櫓
tunnel

 敷地から盛り上がったところにあるため、入り口までは階段をひと登りする。 暗い中にはいる。 キズ持ちの年季の入った木材で作られているので、本物の江戸時代の建物のようである。 階段の部材は中央部が大きくすり減り、長年にわたり多くの家臣が行き来したことを物語る。 資料によると、この櫓は慶長17年(1612)ごろに建てられたらしい。
 中の造りは西南隅櫓と同じである。 一層目、二層目は一間幅の廊下が取り囲み、その中を八寸柱が林立する。 二層目に屋根がつけられ、三層目は周囲一間分だけ小さくなる。 外観は二層に見えるが、実際は三層造りで、資料によるとこの形式の櫓は非常に珍しいらしい。
 三層目の窓から、二層目につけられた屋根や破風が見られる。 ここで使われる瓦には、菊の御門がついていた。 徳川家のお城なので、葵の御門ではないのか? と不思議に思う。 名古屋城は明治に名古屋離宮として宮内省管理となった時期があるらしく、説明板によるとこの時期の補修時に替えられた瓦ではないかとのことだ。 江戸時代から明治へ、権力の変遷の影響が、こんなところにも表れている。

●階段 es-stairs

●菊御門の瓦 es-kawara

【本丸東南隅櫓データ】
建立時期:慶長17年(1612)ごろ
規模:東西約11.6m、南北約13.6m、高さ約13.5m
構造:外観二重、内部三階

■西北隅櫓
wn

 外堀に面した三層の櫓である。 各層に屋根が設けられ、外観からも三層とわかる造りである。 大きさも破格で、現存する三層櫓の中で二番目の規模を誇る。 ちなみの、一番大きいのは熊本城の宇土櫓だそうだ。
 建築されたのは元和5年(1619)で、江戸時代初期である。 その規模からだろう、清州城からの移築と言われていたらしい。 そのため、江戸時代から清州櫓とも呼ばれていた。 しかし、昭和37年(1962)からの解体修理で、元和4年(1618)以降の建築であることが判明し、古材転用はあり得るが移築ではないことが確定したそうだ。
 ここの瓦は葵の御門がそのままついている。 本丸の櫓で菊御門の瓦がついていたのは、あえて交換されたのではないだろうか。
 中は確かに広く、大きく窓が設けられているため明るく開放的である。 周りを一間幅の廊下が囲む構造は変わらない。 廊下と内部の部屋の境界にある垂れ壁は漆喰(他は板張りだった)なので、櫓の明るさに影響を与えている。
 一番上の三層目に上がると、やはり眺めがいい。 有名なところでは、ホテル名古屋キャッスルが見渡せる。 人々の動きまで見えるので、町人の暮らしの息吹が感じられたのではないだろうか。
 中にはいくつか展示物がある。 石垣の地盤を支えるための胴木と、壁の構造説明の見本である。 胴木は、東門付近にあったもので、台風被害で石垣崩壊したところから掘り出したもののようだ。 部分的に朽ちており、それも崩壊の一因のようだ。 壁は、いわゆる土壁である。 細い丸の竹で縦横の格子を組み、ぽつぽつと縄で補強されたところに荒壁を仕上げる。 そこからさらに縄を取り交ぜて中塗りし、仕上げ塗りをしているようだ。

●西北隅櫓の内部 wn-in

●西北隅櫓三層目 ns-top

●胴木 wn-doki

●壁 wn-wall

●ホテル名古屋キャッスル wn-hotel

【西北隅櫓データ】
建立時期:元和5年(1619)ごろ
規模:東西約13.9m、南北約15.9m、高さ約16.3m
構造:外観三重、内部三階

【その他、名古屋城】
 ついでに、2018年に再建された本丸御殿、湯殿院、黒木書院を見てきた。

 木がふんだんに使われ、場所によっては白木の香りが漂っていた。 広い空間はもちろんのこと、高い天井や巨大な欄間など、何もかもが大きく、それだけでも圧倒される。 廊下の垂れ部分には幾何学的な意匠の飾りが施される。 これはいいにしても、日光東照宮を思わせるカラフル欄間があり、金箔ギラギラのふすまに囲まれた部屋など、豪華さを演出しかけが盛りだくさんだ。 わび、さびとは次元の異なる世界だ。 本当にこんな姿だったのだろうか? 本物が見たい。 二条城の二の丸御殿が、当時から残るものとのことなので、これを見学したいものだ。
 本丸御殿復元では、市民からの寄付も募ったようである。 金額次第なのだと思うが、建物内に寄付者の芳名板が置かれていた。 指さして、嬉しそうに自慢されるご婦人も見かけた。 寄付の褒賞として、このような制度もよいと思う。
●上洛殿上段の間天井 h-syoin

●欄間 h-ranma

●廊下上部の文様 h-roka


 湯殿書院は、上洛する将軍がお立ち寄りの際のお風呂として建てられた。 お風呂といっても、外で焚いた蒸気をすのこ状の床から噴き出す方式で、サウナのようなものだったらしい。 屋内に唐破風を持った小屋みたいなものがあり、その中で蒸気を浴びたらしい。 残念ながら、その中は非公開であった。 控えの間が二つくらいある。 一時の風呂のために、こんなものまで作るなんて、将軍の権力の大きさを示しているのだろう。
 黒木書院は松材で作られた書院である。 松は時を経て黒く焼けていくので、黒木の名が冠されている。 金ピカよりも、渋い豪華さを感じる。
 できて間もない再建黒木書院は、天井板が波打っていいた。 松は反りの扱いが難しいようである。

 名古屋城の見学にはめったに行かないが、城跡にある愛知県体育館でイベントがあると、出かけたりもする。 そんな時、巨石で組まれた石垣を見ると、権勢を誇ったことを偲ばせる。 この点では、江戸城、今の皇居にある城址を見てみたいものだ。
 また、今回、城内に入って感じたのは、その広場の大きさである。 正門から入ってすぐ、本丸を囲む内堀の外に、西の丸の大きな広場がある。 戦国の世であれば軍勢を統率するには、必要な広さなのだろう。 そして、太平の世に移った後では、権力の大きさを知らしめる装置の一つとして機能したのではないだろうか。
 京都御所や皇居前広場など、国内でも権力の中枢には広場がある。 海外でも、スペインのマドリッドにある王宮にも巨大な広場があったし、韓国の昌徳宮にも官位の標識のついた広場があった。 行ったことはないが、中国の北京には天安門広場がある。 古今東西、こういった広場が権力の大きさを示してきた。 そして、歴史の場面々々で、その役割を果たしてきた。

●櫓と西の丸広場 hiroba


【おわりに】
 名古屋城の櫓は素晴らしい。 お城の中ではわき役かもしれないが、江戸という時代の息づかいが感じられる貴重な宝物である。 名古屋城を見学する際も、この櫓を押さえておきたい。
 櫓以外にも、立派な石垣や広場があり、これらに尾張藩の権勢を感じることができる。
 観光戦略上、本丸御殿や天守の再建も必要であるが、所詮は偽物である。 偽物にかけるお金は抑えながら、本物の櫓を前面に押し出す戦略を推し進めてほしい。

note.
2018/8/23:初版

ref.
配布資料 (2018) 見学時にいただいたA4サイズ1枚×3の資料
 本文中で参照の場合は「資料」と記した。 また、各櫓のデータはこの資料による。

名古屋城公式Webサイト :報告内容の確認などに利用した。

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