蒔絵万年筆について

(株)パイロットコーポレーションは並木製作所と呼ばれた頃から、蒔絵万年筆の制作に力を入れて来た。現在、東京都中央区京橋にある本社ビル2階のミュージーアム「PEN STAION」で、大正7年(1918)作の初の純国産万年筆や数々の蒔絵万年筆を公開している。


蒔絵万年筆の数々


蒔絵人間国宝で文化勲章受章者の故松田権六氏の写真が架かる(ミュージアムに松田氏の作品はないようだったが・・・)
パイロットはのちに人間国宝となる松田氏を蒔絵課長として招聘したという。

1925年 株式会社並木製作所(現・株式会社パイロット)入社
1927年 株式会社並木製作所を退職し、顧問となる。東京美術学校助教授となる。

(初の就職)私は上野の美術学校を卒業したが、就職することがきらいで、ほうぼうの就職口をみな断っていた。・・・(中略)・・・大正十四年(一九二五)ごろ、大村西崖、六角紫水両教授から、外国向けの仕事だから君を推薦した、と就職をすすめられた。・・・(中略)・・・とにかく、いっぺんその会社に行ってみようと顔を出したのだが、ちょうど、会社の大塚新工場の起工式の日だった。それに出席すると、常務取締役の並木良輔という人が従業員や会社関係の人たちを前にしてこんな大演説を始めた。・・・(中略)・・・この並木良輔の演説には大いに共鳴をおぼえ、おもしろそうな会社と思って入社を決意したのであった。・・・(中略)・・・当時は世界中の万年筆が金属製のほかは、ほとんど赤軸、黒軸のエボナイトであった。エボナイトは硫黄とゴムの化合物であるが、時間が経つと赤も黒も艶が失せて色まで変るのが欠点である。そこでこの欠点を補うため会社側では漆に目をつけた。しかし、ただの黒無地だけでは輸出にならない。これに日本特有の蒔絵をすることを考え、美術学校へ相談にきた結果、私が推薦されることになったわけである(松田権六著「うるしの話」(岩波文庫)より抜粋)。

蒔絵コンパクト「紅白梅」(1948年寺井直次制作、写真をクリックすると大きくなります。)

この当時パイロットは既に蒔絵制作を行っており、
各蒔絵師から依頼があれば、部財供給はされていたようである。

蒔絵万年筆「荒磯」(1990年寺井直次制作、写真をクリックすると大きくなります)

蒔絵万年筆「鈴蘭」・・・・・蒔絵人間国宝だった故田口善国氏(松田権六氏に蒔絵を学ぶ)が1992年に制作した(写真をクリックすると大きくなります)。

大正7年(1918)作の初の純国産万年筆