武家屋敷 寺島蔵人邸跡(金沢市大手町10番3号)
寺島蔵人(くらんど)(1777〜1837)は、禄高450石の中級武士として加賀藩に仕え、改作奉行、大坂借財仕法主付など主に農政、財政方面の実務を歴任した。
文政7年(1824)12代藩主前田斉広(なりなが)が有能な藩士を抜擢し、教諭方という藩政改革のための親政機関を設置すると蔵人もその一員に加えられたが、その年斉広の急死により教諭方も解散した。
蔵人は手腕家であると同時に生来、思いやり深く正義感の強い人であったため、斉広死去後の藩の重臣の政治に納得がいかず、これと対立し、文政8年役儀指除(やくぎさしのぞき)、天保8年(1837)能登島流刑となり、その年ここで波乱に満ちた生涯を閉じた。
蔵人は画人としても知られ、王梁元(おうりょうげん)、応養(おうよう)と号し、秀作を多数残している。
寺島邸の建築年代は、蔵人の祖父にあたる五郎兵衛恵叙(ごろべいまさつぐ)が安永6年(1777)現在地に邸地を拝領し、邸宅を新築したという記録により、18世紀後半の中頃と考えられる。
江戸時代には南側小路に長家門があったが現在は失われ、家屋も一部縮小改築されているが、現存する家屋、土蔵、土塀は中級武家屋敷の旧態をよく伝えており、家屋に隣接する庭園とともに昭和49年金沢市指定史跡となり保存されている。
庭園は庭内中ほどの池、蔵人が造らせたという三重九輪の塔を中心に広がる池泉回遊式庭園である。
この池は水がなく、これに因み蔵人はその書斎を「乾泉亭(けんせんてい)」と名付け、浦上玉堂が「乾泉」の扁額を遺している。春のドウダンツツジの開花(4月末〜5月上旬)、秋の紅葉が特に素晴らしい。

ドウダンツツジの紅葉






竹石図(ちくせきず)

蒔絵若松文吸物椀
色絵紅白萩図角皿(左)、螺鈿竜文香合(右)
大きな写真をご覧になりたい方はブログを参照下さい。
ホームへ