煩悩の座敷へようこそ

ここからからあなたも世間の無常を悟りましょう!
ここからの部屋は煩悩に毒された下品下生の凡夫たる管理人の趣味と愚痴のページです。
心ゆくまで愛欲と煩悩に浸って下さい。

※解脱の境地(阿羅漢以上)達した方の入室はお断り致します。


2年前、帰国間際にヨセミテのトンネルビューにて

残念ながら今年は体調芳しくなくエルキャプは完登出来ず…
今年は春先から雪山は敗退…
フリーは成果なし…
ビッグウオールもヘロヘロで虚しく下降…

と非常にため息ついてしまうことが多い年のような気がします。
まあ人生調子いい時ばかりじゃないしね…

仕事がひと段落したらそろそろ冬の足音してくるし
気取り直してトレーニングにでも励むか!

と思いきや最近膝を故障したみたいでエラく痛い…
夏は高熱出してダウンするし何かヤバい病気拾ったか?



 


煩悩とは?
サンスクリットでKlesa、心身を乱し悩ませ正しい判断を妨げる心の働き。貪、嗔、癡の三毒が根源的なものであり、特にその中の癡、すなわち物事の正しい通りを知らないこと、十二縁起の無明に当る状態が最も根本的なものとされる。煩悩は自己中心の考え、それに基づく事物への執着から生ずる。この意味で十二縁起中の愛は時に煩悩の中で根本的なものとされる。
切一切有部は煩悩を知的な迷い(見感)と情緒的な迷い(思惑、修惑)とに分け貪、嗔、癡、慢、疑、見の六種の随煩悩を立てた(倶舎論は19種立てる)。如来蔵思想では煩悩とは本来清浄な心から偶発的に付着したものと説く。(客塵煩悩)。この煩悩を知恵によって断滅し衆生が本来持っている仏性を明らかにすること、すなわち煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求める<さとり>に他ならない。菩薩の四弘誓願に<煩悩無量誓願断>が立てられるのは煩悩を断ずることが大乗仏教の基本的思想であることを示す。一方人間は所詮煩悩から逃れられぬというところに観念し、そこに悟りを見出そうとする<煩悩即菩提>の考えが次第に大乗仏教で大きな思想的位置を占めるようになった。「見に光華を放ち心に栄躍を着るに煩悩悪業好まずして自らに集まる」(法華験 記、下102)「五大より貪欲、瞋恚等諸々の煩悩生ず」(今昔1-5)    以上岩波仏教辞典より抜粋

さて、我々凡夫は生を受けたときから業(カルマ)を重ね生きていく苦たる存在そのものなのです。 これを生、老 病、死、という現実的な四苦、愛別離苦、怨憎得苦、求不得苦という人間の心情的なものが原因たる四苦を全て合わせて四苦八苦と言います。(分かった?)つまり人間存在そのものが苦であるとゆーわけです。んでこれを総称して苦諦と言うわけです。さてこの苦を引き起こす原因が上記の煩悩ということになり全ての煩悩の根本を渇愛(tanha)と呼びます。渇愛とは死ぬような渇きに飢えた人がいくら水を飲んでもその渇きが癒されず水を求めるように人の欲望には切りがないということでこれら苦を引き起こす根拠を集諦と言います。

さてこのような苦たる原因の渇愛を滅した悟りの境地が涅槃となり、煩悩の火が打ち消されて迷いの根本が滅したことからこれを滅諦と言います。そしてこの滅諦に至るまでの悟りへの過程が正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定という八つの正しい修行方法でありこれらを実践することにより煩悩の原因たる渇愛を滅却することとされています。以上の道理は仏教が実践的な教義であるという思想の根本であり総称して四諦八正道と呼ばれています。(勉強になりました?)

    

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