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上橋泉先生講演:内容その1見出しは当サイト管理人によるものです■フェミニズムがマルクス主義の変装と言えるか?(録音できなかったのでレジュメより抜粋)一部にはそのような連中もいるが、大部分はファッション感覚でフェミニズムを唱えている。マルクス主義が流行のファッションだった頃、ソビエト・ロシアは高度に進化した社会だと思われていた。フェミニズムがマルクス主義の意図的な変装とは言えないが、進歩史観は全てファッションであるという点で両者は共通している(抜粋終わり。以下、録音したものを文章化しています)。■日本のフェミニズムはファッションだ結局彼女(フェミニスト)たちはファッションで男女共同参画を唱えていると思います。私は12月議会でこのことを挙げて、2名の市民ネットワークの皆さんが和服を着ているのをみてホッとしました、彼女たちも本当はそれほど思ってなくて、ファッションで男女共同参画を言っている、よくわかりました、私安心しました、と議会で言ってやろうと思います。え〜結局、要はフェミニズムを訴えることが格好いいんです。ソビエトが人類のあこがれの国でように言われた時代がありました。私たちの学生時代はそういう時代でしたね。ソビエトが歴史上最も進化した社会だと思われていた。そういうイメージでもってマルクス主義というものを主張していた若者がたくさんいるわけです。だからそれと同じ事と私は思います。林道義さんがいうように「革命分子が変装した」というほどの根の深いものでなく、ファッションで言っているだけのこと。だからあと5年10年すれば、彼女たちにとってのフェミニズムというものが「古い上着よ、さようなら」という時代が来ると思いますから、それほど心配されなくてもいいという気がいたします。■西洋コンプレックスがあるからフェミニズムが格好良くみえるなぜ、フェミニズムというのが今日格好いいファッションになるのかということですけれども、結局日本人の西洋に対するコンプレックスというものに深く関わっていると思います。皆さん、彼女たちフェミニストたちが言葉にいかに英語の言葉が多いか想起していただきたいと思います。ジェンダーフリー、リプロダクティブライツ・・・・山ほどあるでしょ。家庭内暴力をなぜドメスティックバイオレンスというんですか。ふんだんに英語の語彙を用いることによって自分でも悦に浸っているんだろうなと思うんですよね。まぁ、彼女たちは、私も幾度か議論をしたりして「アメリカという社会は皆さんが考えているような社会じゃないよ」ということをいうと、二口目にいうのは「私どもアメリカモデルをいいと決して思っていません。我々北欧モデルを目指してる」というんですね。じゃ「あんたたち北欧に住んだことあるのか」というとみんな住んでいないんだけどね。そういう幻想みたいなものがある。これは彼女たちだけでなく日本社会にある。■北欧が文化的にみえるのはバラエティ番組が成立しないから私は仕事でデンマークに行くことがあります、ときどき、1年か2年に1回はね。言われてみると、街を歩いててもなんとなく「文化が高い」という感じがするんだわ、これは。私みたいな国粋主義で育てられた人間でもそういう印象を持つんで「なぜそうかな」と考えて・・・テレビのチャンネルを見ました。日本の民放のバラエティみたいな番組がないんですよ。デンマーク語でやっている放送というのはほとんどNHK、公共放送みたいなものばっかりしかない。NHK、教育テレビみたいなものしかなくて、デンマーク語の芸能番組、バラエティ番組がない。じゃデンマークの人たちはバラエティ番組を見ないのかというと、見る。見るんだけどそれは全部英語。ハリウッドだとかイギリスの番組をBSみたいなもので持ってきて流してて・・・・これでわかった。人口が非常に少なすぎるために、デンマークの国内でデンマーク語のバラエティ番組のマーケットが成立しない。したがって公共放送みたいなものしかしない。これがわかった。考えてみると日本でもこれから少子化がどんどん進んでいくとスマップもなくなっちゃいますよ。だけどスマップは今中国で流行っているそうで、宮崎正弘さんがチベットに行ったらラサの若者もみんなキムタクのこと知ってるんだって。日本の娯楽番組は、アジア全体をターゲットにすれば生き残れるけども、日本が少子化してしまうと日本マーケットだけじゃ市場として成立しなくなる。まぁそんなこともあるのかな、という気がしたわけであります。■洋の東西によって男女関係が違うのかそこで、日本ではよく思われている、女性の地位、家庭内でも社会でも女性の地位が極めて低い、ということがステレオタイプとしてあります。日本人自身がそう思ってて、それが日本におけるフェミニズムの原動力にもなっておると。洋の東西が違うことによって男女関係がそこまで違うのかなということを考えてみたいと思います。■30年前の日本の民間企業は女性を冷遇していた確かに私が社会に出たのは30年ほど前になります。私が外務省にはいる前に2年ほどある民間企業に勤めていたんですけれども、当時の日本の民間企業というのは・・・・やっぱり問題ありましたよね。特に女性の場合ですと、女性には結婚退職制度というのがありましてね、いわゆる高校を出る・・・・しかも多くの日本の企業が四年制の大学卒の女性を採らなかった。女性の採用を全部短大卒、高校卒で男性の補助的な業務をやらせて、そして結婚すると退職して夫を支えなさい、とこういうことになっていました、ほとんどの日本の企業がね。皆さん、評論家の上坂冬子さんをご存じですね。保守系の論客です。彼女は確かトヨタ自動車に勤めていた。トヨタ自動車のなかで彼女は男性のサポート的な仕事をやらされていて、女性がいつまでも結婚しないで年かさがいっても会社に残っているということは非常に周囲の目が冷たくなって居づらくなって、彼女はトヨタ自動車をやめて自立して評論家活動をやったという。私が社会に出た頃ですかね、上坂冬子さんが評論活動をスタートされてそういうことを書いておられた記事を読んだことがある。上坂冬子さんのような保守的な女性でも、日本企業の当時の労務慣行というものに強い反発を覚えてらっしゃった。そういうものがありました。これは確かに問題だった。四年制の大学を出た女性には優秀な女性もいますから。当時女性がキャリアとして活躍しようと思ったら官庁に入るしかなかったわけです。■男女雇用機会均等法は必要、だが男女共同参画は問題ところが今は女性も総合職として入れるようになった。男女雇用機会均等法というのも日本社会に必要な法律として誕生したわけです。ただ今問題になっているのは、男女雇用機会均等法が成立しても必ずしも総合職を望まれない女性が増えてきている。フェミニストたちは「これはけしからん」と言って非難するけれども、それはしかたがないよ。女性が女性として結婚をし、出産をし子育てをし家庭を持つと、やはり総合職で生きるよりは専門職として生きたいと思われることについて、公権力が「あんたそれ間違いだよ、家庭よりも職業を大切にしてキャリアウーマンとして生きなさい」と役所は言えませんよ。だからフェミニズムは問題があるんですけれども。そういう優秀な女性に対して門戸を開くということは社会として必要なことだろうと思う。だから男女雇用機会均等法は必要な法律であったし、男女共同参画というのは今日いうような文化面で手足を伸ばすのではなしに、女性の雇用機会の均等を如何に実現していくかという議論は必要だろうと思います。■ナチスドイツ下、女性は家庭を守ったので軍需生産はさほど高くならなかった確かに女性の能力を活かすことによって伸びている企業もあります。よく言われるようにオリックスは女性を戦力としてここまで会社が成長してきたと言われるし。実はおもしろい議論があります。第二次大戦中にヒットラーの内閣にシュペイヤーという軍需大臣がいました。ヒットラーの内閣の中で唯一ナチス党員じゃなかった。彼は建築科の出身でヒットラーも若い頃建築家を目指したことがありましたので、ヒットラーに気に入られて軍需担当になったんですよね。第二次大戦がはじまってから、彼がある日ヒットラーに「女性を軍需の生産現場に動員しましょう。アメリカは男を戦場に送って、空白になった国内の生産現場にどんどん女性を入れて軍需生産が伸びていっている。このままではドイツは戦争に負けますよ」と進言したところ、ヒットラーは「ドイツの女性というのは家庭を守るのが美徳である」と却下した。彼はナチスの党員ではありませんでしたから、30年かなんかの有期刑で1970年代に出獄して、ヒットラーの内閣の内幕本をだした。それをみると、全体主義というのは生産性の高い社会に思われるけれども、軍需生産という点でいうと第一次大戦のそれにも及ばなかったということを彼は書いています。私がこの例を挙げたのは、女性の能力を活かすということは社会にとっても必要であるということでございます。■世界のほとんどの家庭がかかあ天下今日、企業において女性の戦力がどれだけ活用されているか、私もよく知りません。家庭の問題でみます。よく思われているように日本は家庭でも亭主関白で女性が子育てだとかを押しつけられているということをよく言われます。私も30歳を挟んで丸6年海外で生活してきましたので、何十、何百という家庭に出入りしましたので、その印象を申し上げますと、家庭についていうと男女関係は日本もアメリカも変わりません。世界のほとんどの家庭がかかあ天下です。どの家でも奥さんが威張って旦那さんの首根っこ掴んでいる。同時にどの国でも子育ては女性の仕事であり、自分の腹痛めて産んだ子が可愛くない母親いませんからね。どのお母さんも子煩悩ですよ。2歳、3歳の小さい子を抱えてお母さんが「私の人生、この子を除いてはありません」ってどの国の母親も言いますから。■日本のフェミニストは成功したキャリアウーマンの努力を知らない確かにアメリカではキャリアウーマンとして大きな働きをしている女性もいる。ヒューレットパッカードの会長とか連邦議員のヒラリークリントンとかいます。だた、そういう女性がいかにそこまでの地位になるまでに努力をしたかということが問題なんです。日本のフェミニストたちはヒューレットパッカードの会長があそこまでの地位に上りつめるためにどれくらいの努力をしたか知らない。「社会が道を開かないから日本の女性はあそこまで行かない」と二口目にはいう。日本のフェミニストは専業主婦ですよ、みんな。東大教授の大澤真理とかはいるけど、彼女に金魚のフンみたいについていって男女共同参画を言っている女性はみんな専業主婦。お父ちゃんがちゃんと会社で稼いできた金でゆうゆうと豊かな生活してながらね「自分が専業主婦として50の年を迎えてしまったのは社会が悪いからだ」と。「嘘つけ、オマエが努力しなかったからだ」と言ってやりたいんですけどね。■社会に不平不満を言っても何も解決しないアメリカも男女共同参画、20年30年経ってきてようやくこういうキャリアウーマンとして能力が高い人が出てくるようになったわけですね。おそらくアメリカでも理屈で男女共同参画を言っても一歩も問題は解決しない。やはり女性自らが努力し自らを磨く以外に、女性の社会的地位向上はない。やがてわかる日が日本もくると思います。今が一番過渡期で苦しい時代ですが、やがてそのうち日本でもこのような女性が出てくるようになれば、社会に不平不満を言っても何も解決しないとわかる日が来るだろうと私は楽観しておるわけであります。■「個人が自立している社会」など西洋にもない男女共同参画を主張している女性達が二口目に言う言葉がね、「個人の自立」個人個人、個人主義・・・ということを言います。日本人の西洋社会の理解の中で「西洋社会というのは個人主義社会である」とよく言われます。おもしろいのが、去年、一昨年か、森総理が「神の国」発言をしました。随分叩かれたときにね、自由党の小沢一郎という男がですね、社会党や共産党と一緒になって森総理の「神の国」発言を叩いた。そのときに小沢が言った言葉を私は覚えているんですが・・・「自立した個人による自立した社会」ということを小沢は言ったんです。これどういう意味ですか「自立した個人による自立した社会」。小沢は「西洋というのは個人が自立している、そういう個人主義の社会だ。日本はそうなっていない。遅れた社会だ。自立した個人が自立した社会をつくらなければ日本はよくならない」と小沢は言ったんだね。だから私は「小沢さんアンタ馬鹿だね」と。私は当時自由党員でしたけど離党したんですよ。そんな社会なんかありませんよ西洋行ったって。個人主義で人間が幸せになれると思っている人は西洋に行ったっていませんよ。同じ血の通った人間ですよ。母親から産まれ、父親の得てきた所得で日本人も育ってきたし西洋人も育ってきた。そんなに意識が変わるわけがない。■「自我を克服することが人間の本当の幸せ」と考えるのが西洋の正統思想よく言われる西洋社会の個人主義というものについて、日本のフェミニストたちは西洋思想史をもっと勉強してほしいと思う。西洋の哲学史については簡単にわかる本がある。NHK出版から4・5年前にでた「ソフィーの世界」・・・ノルウェーの高校の先生が書いた本で世界的なベストセラーになりました。これ一冊を読めば、古代ギリシャ哲学から今日のハイデッガーまで、西洋の哲学がわかりやすく書いてある。是非これ、皆さんが読むよりフェミニスト達が読んでほしいと思うんですよ。彼女たちは「西洋社会というのは個人主義社会で、個の確立ということが一貫した西洋社会文明の原理となっている」と思っているがぜんぜんそんなことありません。ぜんぜんそんなことありません。西洋の正統な思想は何かというと、この本では明言はしていないんですけど、西洋の思想史の中で二大巨頭というのはプラトンとカントです。プラトンの哲学とカントの哲学を融合したのが新カント主義というものですが、これが西洋の中でも紳士と言われる、良識人と言われる人たちの哲学です。で、どういう思想かというと、ハイデッガーもそうですが「個々の個人というものは肉体的には個人として存在しているようにみえるけど、人間の魂というのは大きなものの一部である、人間の本当の幸せというのは、個人を超越して自分がそういう大きな生命と一体である」つまり「個人というもの、自我というものを克服するのが人間の本当の幸せだ」と。西洋史のなかで登場する偉大な哲学者はほとんど述べています。■デカルトは異端であり中途半端、西洋でも歓迎されない思想唯一異端の、それに挑戦するような思想の端緒となったのがデカルトですね。デカルトというのは「認識する我」つまり自分が世界をみる・・・この建物もそうだし森羅万象全部そう。「宇宙には認識する我と認識される客体とがある」と。こういう単純な宇宙観を唱えました。簡単なことですけどデカルトの思想には根本的欠陥がある。私はAさんBさんを見る、Aさんは私を見る、Bさんも私を見る。じゃ、それぞれの認識する主体はどういう関係になっているですか? 答えられない。こんなの思想でもなんでもない。個人個人の人間がどういう関係になっているか説いていない、極めて中途半端な思想なんです。これが西洋の自我の思想として、一つの流れとして西洋の中にはあります。しかしながら、決してこれは西洋の中でも歓迎される思想ではありません。「西洋社会というのは個人主義社会であり個人が確立している」という認識を小沢一郎がしているんだったら、「あなたは国会議員を3年やめて3年間西洋社会に行ってください、そうすればよくわかります」と小沢一郎宛に手紙を書きました。 |
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