永堵お勧めフラッシュ(;´゚Д゚`)
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永堵博雅のぼやき( ̄ー ̄)y―∫
第19回「天籟」
“天籟”(てんらい)という言葉は、雑誌の「わしズム」VOL.10からそのまま失敬した(w。意味は、“天然に発する響き”“物が風に当たって鳴る音”である。私の実家は風が強く、夜ベランダから星を見ながらこの音を聴いて育った。この音を思い出すたびに郷愁にかられるのだ。
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平成16年5月22日、拉致被害者の家族5人が日本に“帰国”した。しかし、残りの8人(+α)の消息は依然不明である。北朝鮮は残りの拉致家族の再調査を約束したが、よく考えなくても奇異な話である。対日工作に利用する為に自分達が拉致した家族のことを知らないはずが無いからだ。こういうものを外交カードに使う北朝鮮も北朝鮮だが、それに応える日本政府(小泉首相)も日本政府だ。拉致議連の方々が憤慨するのも無理はない。
平成15年9月17日、この奇怪な“動き”はこの時から始まった。今まで北朝鮮との太いパイプを持っていた野中広務氏がまったくもって蚊帳の外だった(しかも引退してしまった)。また、拉致問題について日本は今まで散々苦い思いをさせられたのに、小泉首相は自信満々な態度で臨めたことだ。これが失敗すれば、自分の政権基盤がゆらぐはずなのに…(余談だが、小泉首相を北朝鮮につなげた人物は文明子という在米韓国人のジャーナリストである。この人物は、他の親北朝鮮の人間と「友好の義士團の船」を北朝鮮に派遣するという計画を立てていた。金丸信といい野中広務といい、“北”にコンタクトできる人間にはろくでもない奴等ばかりである)。
さらに、2000年の南北朝会談以降、韓国の北朝鮮に対する態度が180度変わったことも気になるところだ(今現在の韓国の小学校では、日本と韓国の拉致事件のことは教えられていないという)。また、この会議の直後にロシアのウラジミール・プーチンが訪問している(この時、金正日総書記自らが出迎えただけでなく、周りにいたねえちゃんたちがロシアの国旗を振っていた。一方、金大中の時はピンクのボンボンらしきものをふっていたのだ。あれを観たとき、“北”は“南”を結構愚弄していたのではないかと私は思った)。
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これら一連の奇怪な動きには、実はロシアが大きく関わっているらしい。この日朝会談の前、2002年8月23日にロシアのウラジオストックでロシア・北朝鮮の会談が行われ、シベリア鉄道と北朝鮮の東海線の連結が合意された。実は、この鉄道連結によって、ロシアはソ連崩壊後の衰退激しいウラジオストックを中心とする極東地域を活性化させようとする政策を実現することができるのだ。つまり、シベリア鉄道を北朝鮮を通って釜山までつなげると(釜山はヨーロッパとつながるアジア最大のコンテナ基地であるため)、ロシアにとって流通を飛躍的に発展させることができるのだ。加えて、この露朝首脳会議の場でプーチン大統領は、金正日総書記から経済特区のインフラ整備資金の相談を受けたとき、「日本との国交正常化で、日本から多額の資金が得られるだろう」とアドバイスしたという。
また一週間後の8月30日、分断されていた京義線を韓国ソウルまでつなぐことが決まり、9月18日には工事が着工された。さらにその2日後には、中国国境にある北朝鮮の新義州を香港と同じような経済特区と北朝鮮が発表した。京義線は新義州を通って中国とつながっているため、ソウル、平壌、新義州、中国と交通網は大きく拡大する。
だがしかし、この計画は日本の拉致被害者の騒ぎと竜川の列車爆破事故で大きく頓挫することとなる。特に拉致事件に関しては日本だけでなく、門戸開放を目指していた北朝鮮の態度をも硬化させてしまったのである。
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北朝鮮の対日破壊工作が叫ばれている昨今ではあるが、もうすでに北朝鮮は内外共々ぼろぼろであり、日本に対して何らかの圧力をかけられる状態には無いと私は考える(大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫の教育係、李恩恵が田口八重子さんであることは周知のとおりである。彼女を死亡扱いしてるのは、彼女が生存していてあの事件が金正日総書記の指示であることを隠す為である。そんなことを外に言われたら、北朝鮮はテロ支援国家であるとアピールすることになり、日本からの資金が絶たれるからだ。これは、家族会事務局次長 増元照明さんが平成16年6月12日の北朝鮮拉致問題講演会「奪還」のときにおっしゃられていた。北朝鮮は“守り”の姿勢しかとれない状態にある。先日、小泉首相が朝鮮総連20回大会で祝辞を述べたが、これも北の“守り”の苦肉の策である)。拉致事件の全面解決は当然のことであるが、どうやらこの奇怪な事態はそれを遥かに上回る大問題の一部でしかないようだ。この時代の転換の“風”は、日本国民の心にどう“響く”のか。
2004.06.26up
第18回「デューイ教育学」
多忙なスケジュールが続き、かなり期間が空いてしまいました。ところで、私にはある話題を書こうとして書けなかったものがある。それは成人式についてのものだ(かなり時期はずれになってしまったが)。実は去年これに関して“ぼやき”を書いたのだが、うちのパソコンがウィルスに感染してその電子文書がぶっ飛んでしまったのだった。というか、のちのち考えるとあまりいい内容ではなかったので、それはそれでいいかと開き直っている。てことで、成人式にみるモラルの崩壊(タイトル時点でちょっとずれている感じがするが)について語ろうと思う。
いつからか、成人式における新成人の暴走がマスコミで取り沙汰されるようになってしまった。毎年懲りもせず、成人式を強行する行政の気持ちは私には理解できない。私は平成12年に成人式に出席したが(だいたいこの時期から、暴走成人が沸いて出てくるようになる。私の成人式にも馬鹿みたいに大声をだしていたのが一匹いた)、目的は同じ中学の仲間に会うことの方が大きかった。この際だから新成人中心で同窓会やった方がいいんじゃないの?と、のちのち感じるようになった。
しかし、こうなったもともとの原因は教育の崩壊ではなかったのか。長年の戦後教育を経て今の姿(リベラリズムの蔓延→地域社会の崩壊→家族の崩壊→…)があるのではないだろうか。そしてその元凶となった“思想”のひとつに、デューイ教育学と呼ばれるものがある。
デューイ教育学とは、端的にいえば道徳教育の否定と自己決定の方法である。子供たちに善悪のについては全く教えず、自ら考えさせるというものである。それにより、教師(または親)が善悪の価値観を教えるという責任を放棄したのだ。子供たちは自ら考えるのではなく、もっぱらマスコミの影響を強く受けるようになり、傀儡と化してしまったのである(ちなみに私の9年間の中で、道徳という授業を受けたのは数える程しかなかった。下らない学級活動の時間に潰されたのだ。それでなくとも、“道徳”の授業に使われるテキストは、中身の薄いものだったような気がする)。
道徳教育が行われなくなった背景の一つに、「価値相対主義」がある。これは、善悪の価値は個人の好みの問題であり、普遍的価値は存在しないという考え方である(アメリカはこの考えの教育であったため、教育現場が一時期とんでもないことになった)。しかし、この普遍的価値なるものは存在する。それらは尊敬、責任、信頼、正直、公正、寛容、勤勉、節制、気配り、正義、勇気、奉仕、犠牲などである。これらの“価値”は、社会的存在としての人間の本性にかなうもので、普遍性をもっていると考えられる(デューイ教育学とは正反対のものが人間には備わっていると仮定するならば、デューイ教育学自体、人間を“飼いならす”ものでしかないように感じる。このような思想が蔓延しているから、“性悪説”なるものが自然と生まれてくるのだと私は思う)。
今(あるいは永遠に)重要とされる問題は、“社会的存在としての人間の本性”を青少年時代のうちに、個人の中でどう形成、昇華させていくかである。そのための道徳教育である。道徳教育は、道徳的意識とともに、善悪を識別する道徳的感情と直観力及び意志力を養う役割をもつ。加えて、人間のもつ感性に訴えながら、意識下(無意識)の世界に働きかけて、生活と体験の中で道徳心を育成していくこと、よい行動習慣の形成を通して、意志力を訓練することが求められる。
て、ぜんぜん成人式の話してねぇということに気づく(悲)。とにかく、これらの道徳教育のプロセスを組まずにだらだらと惰性できた結果が昨今の新成人を生み出したのだ。本来こんな小難しい話をせずとも、かつての日本にはこれらを遂行できるだけの礎があったのだ。それらが、リベラリズム=リバティー、リベレーション(自由、解放)という(旧ルーマニアのチャウセスク風にいう)外国の不良分子によって、ゆっくりと長い年月をかけて破壊されたのだ(この礎の一つの教育勅語は、これらに対する防護壁としての存在のような感じさえする。“西洋から学んでも、決して彼らに飼いならされてはならない”という先人達の意気込みを垣間見ることができる)。否が応でも成人式を実行する各自治体は、文部科学省のツケを払わされているのである。成人式の警備強化などは応急処置にすぎない。そんなものはとりあえずいい。教育自体の抜本的な改革をして欲しいものだ。
最後に、ある格言のHPの、ゲーテの意味深な格言を載せておく。
・義務の重荷から我々を解放する事のできるのは、良心的な実行のみである。
―「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」―
・青年は教えられることよりも、刺激されることを欲するものである。
―「詩と真実」―
・ただわれわれの曖昧で散漫な教育が、人間を不確かなものにする。
―「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」―
2004.02.02up
第17回「アンチテロリズム」
今更ながらですが、あけましておめでとうございます。いろいろと取り込んでおりましてまた日が開いてしまいました。年末年始はプライベートなことで暫くウトゥになっていましたが、皆様はいかがでしたでしょうか。
そんな時であっても、今年の正月三箇日は実家周辺にある本屋で「諸君!」と「文藝春秋」を立ち読みしていたのであった。また更に読破しなければならない本が(と自分で思い込んでいるだけですが)ある為、頭がおかしくなりそうだ。
その立ち読みした「諸君!」(平成16年2月号)の中で、中西輝政先生の記事のある一文が気になった。それは“まさに、あのイタリアでさえ、「大義」に殉じる覚悟を固め、国家としての名誉を懸けて困難な仕事に取り組んでいるのである。”というものだ。今までにイタリアがこれらの凶事に対し出兵したのかは分からないが、今日のイタリアのイラク派兵の意気込みは凄まじいものがあるように見える。この意気込みには、イタリアがかつての対テロの苦い経験があるからだろうかと私は思った。
1978年、当時の前首相であったアルド・モロ氏が、ボディガードと警官に護衛され車で移動中に襲撃され誘拐された。誘拐したのは左翼系過激派組織“赤い旅団”であった。目的は、組織のリーダー、レナ−ル・クルチオ他13名のメンバーの釈放であった。しかし、イタリア政府はこれを拒否(これが執ってしかるべき行動であろう。よど号ハイジャックのときのどこぞのT・Fとは大違いである)。そして、イタリア警察の威信をかけた捜査の甲斐なく、モロ氏は暗殺された。その後イタリアでは、この苦い経験から特殊部隊を組織したといわれている(実は時を同じくして、よど号ハイジャック事件の経験から日本にも特殊部隊が組織されるようになる。それがSATである。ここに微妙な面白さがある)。
日本もようやくイラクへの派兵の準備が整った。世論の配慮もあろうが、それにしても時間がかかりすぎた。これに関わることも「諸君!」にちょっと掲載されているのだが、このような事態になった場合、“超法規的措置”ということで早急に対処できるらしい。よど号にできてなぜ今回できないのか(という理由は何となくわかるが)。今後もよく検討が必要と思われる。
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話が変わるが、私のぼやきも一周年を迎えた。このコラムのファンを分かっているだけで2名程いる。彼らのためにも、何とか頑張って参りますので、これからもご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
2004.01.13up
第16回「ラディカル」
平成15年11月17日放送のTVタックルで、政治評論家の三宅久之氏が気になることを発言した。それはジェンダーフリーについてのことである。彼は番組で、雛壇が階級闘争の象徴だとかで、幼稚園のひな祭りが中止になったとかの話をしていたのだ。それに対し、番組に出演していた民主党の若手議員は“そんなことないだろう”とか云ってまともに取り合わなかった。現場を知らないでよく野党第一党の議員を自負出来るなぁと呆れてしまった。
ここで急に話が変わるが、私の周りではジェンダーフリー問題が流行っている。男女共同参画という大義名分だけが先行し、その実はただの(というには余りにも極悪な)プロパガンダであるということは、この実情を知るものは誰しも感じることである。私はこの手の問題にはずぶの素人であるので、まずは資料集めから始めた。都内有数のデカイ本屋へ直行。女性問題とかいうコーナーにモリモリあったのでいくつか選んで立ち読み。すると、結構若い女性がこの手の本を探しに来ることに気づく。大学のレポートを書く為の資料探しに来た女学生達の一人が発した言葉が気になった。
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「ジェンダーフリー・ジェンダーフリーって盛んに先生が言ってたけど何なの?」
「なんか、男女差別問題の何かじゃないの。」
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隣に居た私はジェンダーについて小一時間くらいその人たちに語りたかったが、出来なかった(というより、女性がすっごい苦手というのもある)。
一般人のジェンダーフリーの認知度はその程度なのだ。そのデカイ本屋で探した本のなかに「フェミニズムの名著50」というのがあった。そのなかで著者の一人、江原由美子氏がはじめのところで、ジェンダーフリーは社会主義からきていると明記している。しかも、(私のみるところ)その根本は変わっていない(むしろ、悪化している感じがする)。男女共同参画と称したこの手のプロパガンダは、物凄い勢いで日本の行政、地域社会、教育に入り込んでいる。抜け目が無い。彼らの目的は明らかに家族の破壊、個々の“孤立化”にある。このような思想をもち、これだけの大規模なことが出来る団体は限られるが(あえて云う必要もないだろう)。
この手の思想を、最初に世界的に布教する先導に立ったのが、アレクサンドラ・コロンタイ(1872〜1952)という女性であった。この女性の経歴はすばらしいものだ。結婚歴8回、(ソビエトの)国家保護人民委員歴2回。内1回目は福祉大臣を兼任。1914年、危険な革命主義者としてヨーロッパ三国から追放処分を受け、ドイツ社会主義の煽動者となる。またこの人は、〜駐在大使とか〜駐在公使という肩書きで各国に“潜伏”し、その国の社会主義者を煽動したとされる。その際に、現在のジェンダーフリー思想の原型、ラディカル・フェミニズム(過激な、または革命的な女性解放思想の意。ちなみにフェミニストという意味は本来は「男女同権主義者」である。「女に甘い男」という意味は和製英語。ソフトなイメージを日本人に刷り込む為の策略のような感じがしてならない)を持ち込んだ。またさらに彼女はアメリカを遊説して歩いた(実際何をしたかは上記と同じ)。驚くことに、これらは冷戦が始まる以前のことである。この頃にすでに現在の日本と同じようなことが起こっていたのだ(彼女のこれらの奇行は、アメリカの議会にも問題として上がってきており、だれの差し金かも十分承知していた。にもかかわらず、ソ連と同盟を組み、日独伊と戦争をしたのだ)。
アメリカはレーガノミクス以降、改善の方向に向かいつつあるようだが、未だに離婚率が世界一であることは見逃せないところだ。これは私の推測だが、先の社会主義運動家がこの国に根を下ろしたことと関係があるようだ(この危険な思想の信奉団体はかつて、「平和と自由のための世界連盟」と名乗っていた。以後、彼女と同じ路線という事実を隠蔽するためたびたび名称を変更し、現在では「全米女性有権者同盟」、「妊娠中絶全国連盟」などと名乗っている)。
日本の行政もようやくジェンダーフリーの危険性に気づき始めたようだ。男女平等は重要であるが、ジェンダーフリーなんて概念はいらない。気兼ねも譲歩も必要ない。根を下ろす前に、このような“ラディカルな思想”は根絶やしにせねばならないと私は感じる。
2003.11.30up
第15回「プライド」
平成15年10月25日、私は東京ウィメンズプラザにいた。ここの施設は男女共同参画の推進を図るための施設であり、それらを推進するためのビデオ等を作成しているらしい。
今回私がここに足を運んだのは男女共同参画について調べるとかではない(この施設のことは、のちにHPで調べて分かったことである)。この日にそこである講演があった。それは“秘められた東條家の戦後史”というものだった。パネリストは、東條英機閣下(以下、東條閣下)のお孫さんに当たる東條由布子先生(以下、東條先生)である。実は今回訪れた理由の一つに、GHQが日本の占領政策でどのような悪辣極まりないことをしたか、その参考資料を尋ねる事があった。実際にその体験、調査してきた人なら何か知っているのではと思ったからだ。
この講演は、「プライド」という映画の話を中心に行われた。まず東條先生からメディアについて一言コメントがあった。NYタイムズの極左記者“クリスト”氏が先生のインタビューをしたのだが、彼は忠実に先生のおっしゃられたことを記事にしてくれた(歪曲して報道した筑紫Tについても御指摘があった)。左翼メディアでもしっかり仕事してくれることをまず先におっしゃられた。この映画の試写会には勿論先生もいらしていた。会場外の左翼の“潰し”活動。先生ご自身にも左翼がべったりと張っていたらしい。しかし、この映画はアメリカでも反響が凄かったことを知った(私は確かCMで1〜2回ぐらいしか見ていなかったので、本編は観たことが無かった。たいていこのようなものは歪曲している映画が多いからという思い込みで、ちょっと避けていたというのもあったからだ)。先生曰く、これは東條閣下を描いた初めての映画だったという。ただ(というか案の定というか)、歪曲している部分、勘違いしやすい部分があったので、東條先生から注釈が入った。以下に示す。
一、配役について。東條閣下の妻、東條かつ子さんを演じたのはいしだあゆみさんであるが、実際の東條かつ子さんはふくよかな女性で、“〜小町”と呼ばれていた(〜のところは聞き逃しました。スミマセン)。よって体格が違う(ちなみに、東條英機閣下の役を演じた津川雅彦さんは似ていたと、本人談)。加えて、かつ子さんはもっと上品な言葉を使っていた。映画に登場していた“東條かつ子”さんの言葉遣いは違う。
二、東條閣下は予め医師に心臓の位置を聞き、そこに墨で丸印を書いていた。拳銃で自殺する時に心臓を一撃で打ち抜けるようにする為である。そしてそれが消えないように、消えかかったら上からまた書くようにしていた(戦争を開戦した時から、全ての戦争責任を負う覚悟があったことが伺える)。そして、それを書き足せることが出来たのは彼の母親と妻だけであったが、映画では娘に書かせている。そんなことは東條閣下は絶対にさせていなかった。
三、極東軍事裁判の罪状認否で、東條閣下以下全員が無罪を主張するシーンがある。それには、無罪と主張する訳があった。もしその場で有罪と云ってしまった場合、そこで裁判は終わり、刑の宣告のみとなってしまうからである(ちなみに、23人の“被告人”は全て無罪を主張することに反対した)。
四、被告弁護人による反証の前に、弁護士からある事をお願いされていた。それは、天皇陛下の御命令に背いて戦争を始めたと云ってほしいというものだ。映画では、それを聞いた東條閣下が悶絶するのだが、これも事実とは違う。実際は、「私が自殺未遂してまで生きているのは、その一点(昭和天皇の戦争責任の回避)にある。」とおっしゃられたのだ。
間違い及び勘違いしやすい部分は以上のとおり。それ以外はかなり忠実に再現されているらしい。日本側の弁護士をしたブレイクニーリさんの言葉、
「国際法において戦争自体は合法です。戦争での殺人は無罪ではない。真珠湾でのキッド提督の死が殺人罪になるのなら、我々も広島に原爆を投下した者を告発できる。投下を計画した参謀もその国の元首も告発できる。」
裁判ではこれが異議ありとされ、これ以降の発言が中断された上、この言葉の日本語の翻訳が中断されたのだ。その部分も忠実に再現されている。実際に日本側の弁護に廻ったアメリカ人弁護士は、国家反逆罪に等しかった。しかし、彼らはしっかりと日本の弁護に尽力されたのだった。その他にも、パール判事の証言やそれが却下されたこともこの映画ではちゃんとある。
さらに東條先生から補足として、東條閣下は自決する前に日本政府と約束を交わしていた。それは、日本の警察に逮捕されることである。それ以外(GHQを指す)の者が逮捕しに来たときは、黒丸の部分に拳銃の弾を打ち込んで自殺する事も約束した。そして、昭和20年9月11日、GHQが彼の身柄を拘束しようと用賀の彼の家に押しかけたとき、自殺を図った。しかしその弾はわずかにそれ、その場で輸血手術が行われた。それは身体中の血液をほとんど入れ替えるほどのものだった。アメリカは、東條閣下を公の場で徹底的に打ちのめし、米国の威厳を守ろうとしたかったのだ。
東條先生曰く、それ以降(正確には昭和20年12月)GHQは33に渡る報道管制を敷いた(それは小学校の学級新聞に至るまで)。さらに、太平洋史のラジオ放送を行い、徹底した反日史観を植え付けられた。それから数年経ち、朝鮮戦争で北進を強く推し、大統領と対立して解任されたマッカーサーが「あの戦争は自衛戦争だった。」と発言したのだ。その“自衛戦争”ということが、今日まで争点となっているのである。以後、50年以上も歴史観の崩壊は続くこととなる。また、戦争で犠牲になった日本兵たちは戦犯として、昭和28年まで遺族に恩給が支給されていなかったのだ。またその年の8月に野党が戦死者を法務死と認めるまで、彼らは戦犯という扱いであった(ここで誤解してはいけないのが、戦犯とされているのは明らかにおかしいと言い出したのが野党であったことだ)。
その徹底的な日本文化の破壊政策とも言えるGHQ占領下の日本にあって、靖国神社も破壊されようとしていた。しかし、マッカーサーは破壊するか否かをキリスト教神父、ビッテルに助言を求めることにした。そして彼はこう答えた。
「いかなる国家も、その国家の為に死んだ人々に対し、敬意を払う権利と義務があります。戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理です。もし靖国神社を焼却廃棄するのであれば、それは占領軍の犯罪行為です。
国家神道が問題なら制度そのものであり、靖国神社には責任がありません。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教など、いかなる宗教であろうと、国家のために死んだものは、その霊を祀ることは大切です。」
また、東條先生の夫についても教えてくださった。彼女の夫はNHKの仕事をしていて、昭和50年彼女が「日本の戦争犯罪反対運動」をしていて、夫はそれを必ずテレビで取り上げてくれるだろうと思っていた。しかし、実際に大々的に放映されたのは、フィリピン、インドの従軍慰安婦問題だった。そのことについて夫に抗議したところ、“おもしろみがない”ということでそっちを取り上げなかったという答えだった。彼女はそのことに対し、かなり憤慨されたという。
最後には、家族のことについても触れられていたが、ここではくどくど述べない。文春文庫から出版されている先生の著書“祖父東條英機「一切語るなかれ」”を読まれたし。
そして最後に、東條閣下ゆかりの品々を見せて頂いた。巣鴨プリズンで最後の一服タバコと手製のパイプ、獄中で日記や供述書、手紙を書かれたときに使用された鉛筆。直筆の手紙等。
一通り終わった後に名刺交換ついでに、先に述べたGHQの占領政策に関する文献のことについて尋ねた。そしたらなんと、先生がお持ちになられていた本を私にくれたのだ。これには私はえらい感動してしまった。それと同時に、託されたものはこの本だけではないことをビシビシ感じてしまったのである。
この“ぼやき”を執筆するにあたり、映画“プライド”をビデオショップで借りて何度も見直した。国際法を遵守して、欧米列強からアジア民族を解放する為に尽力された日本人の末路がこれかと思うと、私は怒りを覚え、呟いた。
「プライド(誇り)をもって戦い散っていった英霊の思いを土足で踏みにじるか。」
あるシンポジウムで、東中野修道教授も“我々の先人達が殺人鬼扱いされることが腹立たしい。”と怒りを露にされた。彼と同じ気持ちになっていた。しかし、アメリカは常に民主主義の為に戦っていると思い込んでいる、良識あるアメリカ国民との対立だけはしたくないとも思った。
2003.11.04up
第14回「自分について」
気が付けばこのコーナーの更新が1ヶ月止まってしまっていた。いかんと思いつつも結局だらだらと時は過ぎてしまった。ちょっと反省しております。
先日、つくる会品川区部長、たんたんめんさん、西村塾の方々と飲んだ席で、「永堵くんのコラムは日常的なことが少ない。」というご指摘(かるくお叱り)を受けた。云われていれば、確かにそうである。この仕事を請け負ってから安請け合いしたと思われたく無い一心で、結構必死で(半ば現実離れしたようなキチガイコラムを)書いていたような感じがあった。でもいざ書くことを探すとなるとなかなか見つからない。う〜ん、プライベートは地味な自分に意気消沈。というわけで(?)、今回は私がこのつくる会入会一周年記念ということで語りたいと思う。
このつくる会に入会したのは成り行きとは思えない偶然が合い重なっているような気がする。一応、生まれたときから産経を見て育ったが、特に高校まではそういう意識はなかった。毎週月曜の朝、登校途中で寄ったコンビニでジャンプを読み、家に帰ればゲームしながら音楽を聴く。休日はゲーセンにたむろする。反面、現代社会の反日左翼教育にはキレまくっていた、といったような日々を過ごしていた。そんなこともあって、大学3年くらいには、浦和市(現さいたま市)で開催された「南京事件を考えるシンポジウム」(パネリスト:藤岡信勝先生、東中野修道先生他)なるものにも出るなど、少しずつ自分の中の “保守の血”が覚醒し始めるようになる。さらに、私の出身大学はフジサンケイグループ(日本工業新聞といったほうが近いか)の大学のようであった為、図書館に産経新聞が置いてあった。もしかしたら、私は保守に魅入られているのかもしれないと云ってみる。そして、現在品川にてつくる会のメンバーとして執筆(ぼやきのみですが)や講演会、イベントに参加したりしている(そして何気にフジテレビクラブの会員だったりする)。
それにしてもこの一年で、かなりいい経験をさせて頂いた。つくる会歴史文化塾他、数々の講演会の参加。旧正田邸も生で見ることが出来た(半壊状態であったが…)。日本の国政について語る機会もできた。まさかことをするとは、10年前には予想もしていなかった。でもそれなりに楽しめているので良いのだが…。
2003.09.23up
第13回「統率の外道」
日本の夏…、靖国の夏…。
こう云ったのは私である(爆)。ついにこの季節がやって来た。それより、ちょっと気になったことが一つ。フジテレビ系列で放送された「踊る大捜査線」の主人公、青島刑事の持っているお守りは何と靖国神社のお守りなのだ。流石はフジサンケイグループだなあとちょっと思ってしまった。
それにしても、毎年毎年、マスコミの“煽り”に輪をかけるように騒ぎ出す一部反日プロパガンダには頭にくる。ああいう輩は英霊の言乃葉を見ないで先入観だけでものを云っているとしか思えない(もしそれらを観てもこのようなことをしているようであれば、彼等は人間ではないと云わざるを得ないと私は思う)。靖国神社は、国難に殉じた英霊を奉るだけの場所ではない。彼等の人生観や生き様、歴史を直視することで、国とは平和とは何か、果ては家族とは、親友とは、隣人とは、人としてどうあるべきかを学び取る場所なのだ。
話は変わるが、私は人生に迷いを感じた時には靖国を訪れる。何故かは知らないが、そこにいると癒される気分になるからだ。それでも、私は毎年8月15日に靖国神社を参拝する。というのも、彼等英霊の壮絶な生き様に感銘したからだ。
私が最初に靖国神社を訪れたのは平成13年の8月。そのとき私は就職活動中で、たまたまあの近くまで来ていた。「あ!これが靖国神社か。」と思いつつかる〜い気持ちで中に入っていった。そこでたまたま開催されていた写真展(“かく戦えり。近代日本。”だったと思う)のある写真に絶句した。それは特攻隊員の写真である(真中の隊員は子犬を抱いている)。その写真の特攻隊員は、今の若者のような毒々しさは全くなく、私には中学一年に見えた。輝くものをもっているようだった。それを見た瞬間、何か心が締め付けられるような切ない気持ちになってしまった(ちなみにその写真は靖国には展示されていない。産経新聞から出版されている正論8月増刊号「靖国と日本人の心」の47ページに載っている)。そして彼等を戦場に借り出し、自殺行為をさせた張本人が一体どういう人間なのかということに興味が向いたのである。
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彼の名は大西瀧治郎。だいぶ前に私のぼやきでちょっと触れた彼である。昭和14年、彼は中国戦線で司令官として活躍していた。しばしば爆撃機に搭乗し出撃した。部下が諌めると、「指揮官は部下に号令するときは、部下とともにあって、共に死地へ飛び込まねばならない。」と喝破した。彼が搭乗する機は常に編隊の後ろ隅、通称三角点機と呼ばれるもっとも危険な位置にいた。
あまりの危険さに、ある大佐が彼を制して出撃したことがある。この大佐の乗った三角点機は撃墜された。報告を受けた彼は平然と言い放った。
「武人の死は平素から十分覚悟されているはずである。」
数日後、追悼式が催された。いつものとおり憮然とした態度で式へ望んだ。しかし彼の読む弔辞は、次第に途切れ途切れとなり、何時しか涙声となり、最後は言葉が出なくなった。
彼は弔辞に代えて西郷隆盛の言葉を口ずさんだ。
おいも行く、わかとんばらのあと追いて。
昭和18年12月、空母「千代田」艦長城大佐は進言した。
「もはや通常の戦法では敵艦を沈めることは出来ない。体当たり攻撃を目的とする特別攻撃隊を編成し私を指揮官にしてもらいたい。」
大西はそんな酷いことが出来るかと一蹴した。だが当時の海軍内ではこのような「特攻思想」が蔓延しており戦局の悪化とともに特攻への思いは強くなった。
昭和19年10月17日、敗戦色濃い中、大西は第一航空艦隊司令長官に任命された。しかし、かつて1600機以上を擁していた第一航空艦隊はすでに壊滅していた。残機は100機、戦闘機は30機に過ぎなかった。
そして着任2日目、米軍のレイテ反攻が開始された。絶え間なく届く友軍からの支援要請、大西は苦渋の決断を強いられた。現存戦力による最大の戦果をあげる・・・彼は最後まで合理的だった。
昭和19年10月20日朝、大西は特攻隊員達を集め訓示した。豪胆で知られていた彼が話の間中、体が小刻みにふるえ、顔面が蒼白で引きつっていたという。
訓示では、
「日本はまさに危機である。この危機を救いうるものは、大臣でも軍令部総長でも、自分のような地位の低い司令官でもない。したがって、自分は一億国民にかわって、みなにこの犠牲をお願いし、みなの成功を祈る。みなはすでに神であるから、世俗的な欲望はないだろう。が、もしあるとすれば、それは自分の体当たりが成功したかどうか、であろう。みなは永い眠りにつくのであるから、それを知ることはできないだろう。我々もその結果をみなに知らせることはできない。自分はみなの努力を最期までみとどけて、上聞に達するようにしよう。この点については、みな安心してくれ」
と言った。大西は涙ぐんで、「しっかり頼む」と言って訓示を終わった。大西中将はパイロットの一人一人と握手して彼らの武運を祈った。大西は米軍が特攻対策を講じ、その戦果が急激に落ちてからも特攻をやめなかった。しかし、大西自身「特攻を命ずる者は自分も死んでいる」と言って、生ある者としての振る舞いを禁じているが如くだったという。
昭和20年5月、大西は軍令部次長として内地に帰還した。官舎に独居して妻とは一緒に住まなかった。
それを聞いた者が「週に一度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」と勧めた。大西は「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだ。俺と握手していったのが614人もいるんだよ」と答えた。大西の目には涙がいっぱい溜まっていたという。
神風特別攻撃隊の命名者である猪口中佐は大西中将のこんな苦渋に満ちた呟きを聞いている。
「なあ、先任参謀・・特攻なんてものは統率の外道だよ…。」
大西の最期は壮絶なものであった。官舎で腹を十文字に切り裂き、頚動脈と胸を刺して自害したものの、まだ息があった。友人の児玉誉志夫らがかけつけた時は腸がとびだしており苦悶の表情を浮かべていた。だが大西は医者を呼ぶことも、介錯をも拒んだ。
「これでいいんだ。送り出した部下との約束が果たせる・・・」
そして苦しみの中、笑みを浮かべながら絶命した。
…これが、「愚将、暴将、陸の大牟田、海の大西」と卑下された、大西瀧治郎の真実である。加えて、彼の遺書も以下に記す。
特攻隊の英霊に曰す。善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。
次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り、自重忍苦するの戒とならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失うなかれ。諸子は国の宝なり。平時に処し、猶を克く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ。
彼はどのような状況に於いても理知的であり、また同時に感受性の強い人物でもあったことが分かる。
彼は、部下に“自殺の方法を教えた”責任を一人で抱え込んだ。辛くてしょうがなかったのであろう。
それ故に、それに値するだけの惨たらしく、辛い死を選んだのだ。
A級戦犯だの政教分離だの言うのは構わない。しかし彼等の生き様は、いかなるプロパガンダであろうとも否定することは許されない。私はその事実を知ったとき、「靖国に参拝せねば…。」と自然に思うようになったのだ。まさしく、良心に訴えかける歴史的事実である。それでもなお、彼等を卑下するようなことがあるならば、そいつらは良心がかけらも無いと云わざるを得ない。
そして私は、今年も靖国神社に参拝する。有給とって…。
2003.08.11up
第12回「”三光”作戦の真実」
私の朝は、通勤電車の中で産経新聞を読むことから始まる。今の勤め先がちょっと距離があるわりには下りの電車を乗り継ぐので、電車がガラガラで余裕で新聞が読めるのだ。しかし今回の話題はそんなことではない。平成15年6月26日付けの産経をいつものように読んでいたら、気になる投稿があったのでそれを紹介(コピペのようなものだが)する。これは元第27師団参謀部付のNさんからの“三光”作戦に関する投稿だ。
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「私が所属した第27師団が昭和17年に中国・華北の冀東地区で行った無住地帯の設定を、中国は三光政策(焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くす)と非難し、悪意を持って反日教育に利用している。日本では「三光作戦」の表現が高校の歴史教科書で使われているが、いかに歴史的事実と異なっているかについて述べたい。
万里の長城の両側地帯は、中共軍の重要根拠地になっていた。満州国では治安不良地区の住民を移住させる集団村落の建設が行われていたが、北支軍には三戒(焼かず、犯さず、殺さず)があり、元の家屋の焼却・撤去はこれに抵触するため、冀東地区では行われていなかった。
同地区では十七年九月、幅四キロメートル、長さ約百キロメートルの無住地帯を設定することになった。地帯内の住民に対して農作物を買い上げて生活を補償した上で、二十日以内に家財道具を持って各自で移住させた。以後この地帯内での出入りを禁止し、一時通過には軍の許可証を必要とした。
この方面の責任者で中共側に禁固二十年の刑を受けた歩兵団長、鈴木啓久少将の撫順管理所での「筆供自述」などは三光作戦の根拠として論文などに引用されている。だが、移住戸数などが過大に記されるなどが過大に記されるなど事実と異なる。
また治安地区では、敵の侵入を防ぐため監視塔付設の遮断壕を構築し、村落の自治・自衛の隣保制度を強化。その際、非協力の一村落を焼き、村民を殺す不祥事が発生した。しかし、歩兵団長が責任者の大尉を叱責、処罰を師団長に上申するなど適切に処理されている。この事件が偶発的な出来事であり、中国側の非難するような意図的な政策でなかったことは明らかだ。
また、遮断壕の構築状況を師団長らが視察された際、私も同乗した。鈴木少将の本では、この視察に同乗したと書かれているが事実に反する。
空の視察では、日本企業が現地に開拓した広大な水田を見ることができた。利益を国・現地民・企業で分け合う「三分の一主義」事業も展開されていた。それだけに三光作戦の誤った認識が正されることを願う。」
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これが“三光”作戦の実態であると思われる。このような一部の愚かな日本人の蛮行が日本の統治時代のすべてかのような宣伝をするのが反日の連中の常套手段なのである。当時は戦争の状態にあるから、当然戦闘による死者も出る。そんな屍の写真を見せて“日本軍による虐殺だ”とぬかしてしまう。それどころか、馬賊により殺された人々の写真を某N市の記念館に展示する始末。自国の愛国心を養うために仮想敵国を勝手につくられてしまっては、やられた方はたまったものではない。
この元ネタを投稿されたNさんは80歳ぐらいの方である。ということは、10年後ぐらいには彼らのような生き証人は殆ど亡くなられている可能性が大である。そうなればさっきのような反日プロパガンダに好き放題いわれてしまい、永遠に侵略国家日本の呪縛から解放されなくなってしまう。彼等のような“有識者”が存在しているうちに、誤解を解かなければならない。まさしく今決起しなければならないのだ。
2003.06.29up
第11回「”全体主義”の形成」
いろいろプライベートなことがありまして、更新が止まってしまいました。どうやら私の第10回のぼやきがいろいろ論議を巻き起こしているようで、ちょこっとビビってます(先日たんたんめんさんに書くと約束したので…)。そこで今回は、私自身の見解で回答させて頂きます(もとネタはたんたんめんさんの独り言を参照)。
ある種のカリスマ性をもった独裁者が悪であろうとも、それに気づかず民衆が追随してしまい、いつの間にか全体主義国家が形成されてしまう。これは西部邁先生のおっしゃられていた「衆愚国家」に感じが似ている。しかし、単に民衆を“衆愚”とくくるのはどうかと私は思う。
人間は、閉塞された封建社会や生活の困窮を感じると、現体制を打破してくれる救世主を無意識のうちに求める。これは人間の性のようなものである。そこに奇抜な発想、容姿、しぐさ、思想をもった人間が表に出てくると、面白いことに全てを賭けたくなってくる。これが悪用されたのが社会主義(ナチスドイツ)、共産主義(ソビエト)であった。しかし、それが大きな間違いであったことに民衆が気づき始めたときには、必ずまた体制を崩そうという波が起こる。だが、ここまでは独裁主義者にとっては大方予想のつくことであったと思われる。よって言論の弾圧を行う組織を編成する必要がでてくるのである。それが、“秘密警察”(ゲシュタポ、KGB)である(またこれらは、大々的なプロパガンダ、即ち宣伝活動を展開していたものと思われる。尤も最初の頃は“羊の皮をかぶった狼”であることは云うまでも無いが)。民衆は“奴隷として生きる”か“反抗して死ぬか”の2つの選択しかなく、前者を選ばざるを得ないのである。人々は、日々の生活に目を向けさせて、他のことに目を向けさせないようにされる。
しかし、もしそれが事実だとしたら、それを敢行させるために莫大な資金と綿密な計画が必要になる。さらに、一番私が理解できないことは、他の人間を虐げてまで暴利を得ようとする“憎悪”はどこからくるのかということだ。また、チャウセスク政権崩壊→東西ドイツ統一→ソ連崩壊までの急激な変化が何故起こったのかも不可解だ。残念ながら、私はそこまでは洞察することができない(否、自分の見解が間違っているのかも…)。中途半端ではあるが、以上が私の導き出した答えである。
だがここでまた一つ疑問が湧きあがった。以上のものは恐怖政治と一体となることで、絶対的な指導者を“演じる”ことができるのだ。では、これ以前の王朝なり王国なりはどのように形成されていったのか。侵略を繰り返し、それを誇示するような建物を建てることで人々を従えてきた欧州貴族は分かる。しかし、日本の皇族はどのようにして日本民族を従えたのか。私が思うに、それは徳による善政を施すこと、つまり“和の精神”によるものと考える。歴代の天皇陛下が書かれた書物は、国民を自分の家族同然のように見立てた毒気のないものが多い(特に教育勅語は素晴らしいと思った)。さらに謎なのは、それに素直に従った我々日本民族である。中国の歴代王朝は、困窮や飢饉の余りに“食人”を認めざるを得なかった(規制しようという動きはあったが…)。だがそういった話はここ日本(の歴史)では全く聞かない。え〜っと、まあ深く考えるのは止しましょう。日本の祖先の実はどうあれ、氷河期の頃に大陸から獲物を追って来たという、偏向した戦後歴史教育の説は否定できたということだけ明らかになっただけで良いと思われ(ああ、また中途半端で終わってしまった。ウトゥだ…)。
2003.06.09up
第10回「戦争と人間社会」
米英軍の攻撃により、いとも簡単にイラクは陥落してしまった。イラクを落としたのも束の間、今度はシリアの大量破壊兵器にまでチャチを入れ始めた。「まったくよくやるよ…。」と私は呆れてしまった。にしても、今回のイラク攻撃に関しては"保守"の間でも、賛成派と反対派に分かれた。産経はイラク攻撃に賛成の立場をとり、国連をボロクソに叩きまくっている。元来、単調なオピニオンを嫌悪してきた私にとっては、産経の主張にはさすがに耳タコでうんざりだった(余談だが、先日正論を聞く会なるものがあった。産経の某社員曰く、「朝日がイラク戦争に反対したから、朝日の逆をやれば正しい。」などと言っていた。いくらアメリカのイラク攻撃が"正当"であろうとも"オピニオン紙"を自負する新聞がこの程度では先が思いやられると感じた)。とここで、私に一つの疑問が浮かんだ。「人はなぜ戦争をするのか。」
話はそれるが、哺乳類にはもともと小さな"争い"は存在する。サルの場合、群れ以外のサル(一度群れをはぐれたサルも含む)に群れのサル全員で攻撃をする。猫に関しても、1対1の争いをして傷つけあう。しかしそれらは傷つけあうことがあっても、決して殺しあうことはない。"種の保存の法則"は自然の理としてDNAに刻まれているのだ。しかし、人間は平気で殺し合いをしてしまう。フセインの次男ウダイのように人の血を見るのが好きだとか、中国人による通州事件、食人のような事実も確かに存在する。これらは、根底的な文化や周りの環境などにより生み出されてしまうと考えられる。
荀子の「性悪説」では、「人間の本性は悪だから、礼法によって道徳を保持し社会秩序を維持すべきである。」とある。人間の理性と欲望は相反するものでなく、欲望を満たす為に理性を働かせる。なので道徳(人間の良識)と法によって、社会秩序を維持しなければならないと私は解釈した。ところで、西部邁先生がかつて(もしかしたら持論かもしれないが)次のようなことをおっしゃられていた。
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「自衛隊が憲法に違反しているのではなく、憲法が自衛隊に違反しているのだ。」
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この発言に殆どの人間が笑っていたが(最初自分もそうだった)、つまり人間が生まれ育った場所を愛し守りたいと思う(郷土愛)のは自然のことであり、それを法で歪曲することは間違っているのだとおっしゃりたかったのであろう。
教育を通じて一般社会の常識と道徳心を養わせ、さらに法をつくることによって間違いを正すようにする。それによって健全な人間社会が形成されるのだ。これは自然に生み出されたものである。
これらを含めて言いたいことは、これらのプロセスを悪用し、一部の人間の私利私欲の為に生み出された社会共産主義、全体主義は間違いであるということである。これらの思想により国民は利用され搾取される、いわば"将棋の駒"以下の存在になってしまった。これらをはっきりと理解している人間(特に政治家)は、この世界に何人いるだろうか。この間違いに気づかなければ戦争はこの世からなくならないのである。
2003.04.30up
第9回「歴史・文化塾レポ2」
暫く更新がとまっておりまして申し訳ございません。旅にでておりました。
ということで(?)、先日、歴史文化塾に行ってきた。今回で、10回に渡り行われてきた歴史文化塾が最終回を迎えた。講演の最後には、全10回の講演に出席された方々の皆勤賞の授与式が行われた。私が「つくる会」に入会したのは去年の9月。そしてこの歴史文化塾が始まったのが同年4月。「もっと早くこの会に入会していれば…」と後悔していた(決して皆勤賞のことではない)。
今回講演して頂いた方々は、おなじみの藤岡信勝先生と田中英道先生だった。
まず最初は藤岡先生。小学校で実際使われた教材を題材にした、分かりやすくかつ核心をついた講演をされた。古代→中世→近世→第二次大戦後という、戦後教育が作り出した“時代の節目”を否定されていた。藤岡先生によれば(もっともこの試案は、自由史観研究員の小学校教師、斎藤武夫さんのものだが)、以下の五つに分かれるという。
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国家以前(民族文化の基層形成)…縄文時代
中華文明との出会いと古代国家建設…弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・奈良時代
中華文明と距離を置いた日本の自己形成…平安時代・鎌倉時代・室町時代・戦国時代・江戸時代
西洋文明との出会いと近代国家建設…幕末から明治時代
世界の中の日本の自己形成…大正時代・昭和時代・平成時代
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先に述べた時代の節目は、階級闘争を意識したもので、上記のような日本文化の変化の過程を捕らえたものとは異なることが分かる。また余談だが、維新改革を行ったのは一番位の高い武士であることが最後の質問で出た。この“抜本的改革”に一番に反対すべきはずの武士が、新しい時代をつくるために旧体制を打破しようと立ち上がった。その点をご指摘された。
そして次に、あるクラスタを使ってちょっとした授業が始まった。それは家系図で、自分と親、祖父、曽祖父の欄があり、それを埋めろというものだ(ちなみに私は両親と、父方の祖父と祖母の名前しか書けなかった)。話によると、実際小学校でやってみて7代くらい前まで書けた児童がいたとか。そこで、藤岡先生がご指摘された。自分(2の0乗)がいると、自分の親は2人(2の1乗)。その両親は2人×2(2の2乗)。3代先は8人(2の3乗)となる。これでお分かりだろう。こうやって計算していくと、今の日本の人口より多くなってしまうのだ。つまり、赤の他人同士と思われていた人が、実際は先祖が同じで血のつながりがあるということが分かるのだ。しかも、この中で一人でも欠けていたら、自分は生まれてこなかったということも分かる。ご先祖様を大切にする心を芽生えさせる為にはかなりいい資料であると感じた。
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三番目資料は、日本国の宗教を仏教にするか否かの両方の意見(蘇我氏と物部氏の口語訳資料である)。仏教派の蘇我さんの意見は、今でいう(死語かもしれないが)ミーハーなものである。文化の進んだ国は仏教を信じ、政治を行っていることをあげ、理想とパワーがあることを言っていた。仏教と共に進んだ文化が入ってきていることを指摘し、対して日本の神様は定義があいまいで理想が低いことを上げていた。
一方の物部さんの意見は、神武天皇さまは、天照大神の祖先であることを指摘し、この神様たちをまつることはすなわち天皇をまつることであると述べている。そして、それを止めてしまうことは神様の祟りをくらい、この国を滅ぼしてしまうことになると結論づけている。また日本の神様は森にも川にも、山にも海にもいらっしゃって、日本人の心のふるさとであると、日本の森羅万象についても触れている。さらに、豪族たちの間で争いが起こり、戦争で国がバラバラになってしまうことを懸念されている。物部さんは日本の伝統文化を保持する保守派であることがみてとれる(ちなみに私は物部派です)。
変わって今度は、スライドでこんな文がでてきた。
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日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。
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これは、高句麗に侵略されることを懸念した日本が、中国に対し送ったものである。これを見た中国側が激怒したのは何故かという問題が出された。これにはいろいろな意見が出された。恙なきの字が虫の名前だからとか、日出る処(日本)と日没する処(中国)という風な表現、はたまた、天子(皇帝の意)というのが日本と中国で同じだったことになどが出た。答えは最後の天子であった。先生の話では、日本の王朝のことを天皇としたのは、中国の皇帝と差別化するためだった為だという。
最後の資料は(実はこの後に2つ問題があったが、時間の関係で省略された)、“もし主君(主人)の命令が間違ったもの、自分の信念と照らし合わせて納得いかないものであったらどうしますか?”という問題に対し、以下の二つの選択肢が用意されていた。
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1)主人の命令であるので、どんなに納得いかないものであっても自分を抑えて、言う通りに行動すべきである。それが忠義を守るということであり、武士として大切なことだ。
2)たとえ主人の命令でも、間違っている命令に無批判に従っていては結局主人や藩のためにならない。主人の間違ったところを正しく直すことこそ、忠義を守ったことになる。
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
これらのどちらが武士として「忠義」を守ること、正しいこととされたのでしょうか、という問題。ここでは選択肢が2つだが、実際は4つ選択肢があった。
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1.どこまでも従う
2.とこまでも諫言する
3.幕府に言いつける
4.監獄に送る
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諫言とは、主君に意見をして諌める、正しく直すことをさす。これは「葉隠」という書に、「さて気になはざることは、いつ迄もいつ迄も訴訟すべし」(どうしても自分の信念に照らしあわせて納得のいかない命令であったなら、主君に向かってどこまでも「諫言」して考え直すように求めるべきである)と明記してある。実は、主君が下の人間の諫言を聞かなければ、幽閉されることは合法であった。そして出所するときに仕返ししないように誓約書を書かされるといったことが定められていた。「主君の御心入を直し、御国家を固め申すが大忠節」(主君の間違った心がまえを正しく直し、藩をしっかりと建設するように努力することこそ大忠節(忠義)というものだ)と記してあるのだ。このことは新渡戸稲造の「武士道」にも別の言葉で書かれている。また、上杉鷹山の「伝国の詞」にも次のようにある。
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一、国家(米沢藩と上杉家)は先祖から子孫へ伝えていくものであって、藩主の私有物ではない。
一、人民は国家に属するものであって、藩主の私有物ではない。
一、国家と人民のための藩主であって、藩主のための国家と人民ではない。
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近代国家を形成する為には、過去の身分を捨てなければならない。その覚悟で、維新志士たちは旧体制を打破するため命を懸けたのである。
また最後の質問でこんなエピソードがでた。高杉晋作をバックアップしたのは農民であるとされているが、実はその農民たちは先代が毛利家の家臣だったのだ。彼らは何百万石をもっていた大名であったが、徳川幕府により殆どを没収された。明治維新はただの階級闘争ではないことが改めて分かった。
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後半は、田中英道先生の講演。まず最初に、今日の日本史は断片的な歴史、年号だけの歴史であることをご指摘。また、最近の十代の意識調査で、四十四パーセントの若者が、もし日本で戦争があったら逃げると答えたこと、六十五パーセントが日本人であることを誇りに思っているものの、七十五パーセントが未来が暗いと言っていることもご指摘された。日本人が何を誇っていいのか、何を守るべきなのか、戦後教育が具体的な歴史観を教えてこず、ただ日本喪失感しか与えてこなかった結果であると言われた。
そして話は本題に入る。まず最初に、順徳天皇が書き記した書(名前は忘れた)の中に天皇が天皇であるための指針が書かれたという。まず天皇がすべきことは、学問・音楽と和歌であるという。そして、天皇が学問することは国民が学問せよということであり、それによりモチベーションを高めよというのが当時(から)あった。田中先生はこれを、「大学が民衆化されている。」と表現した。和歌は日本の常識として存在し、また浮世絵などの大衆文化が江戸時代に開花した。私はこれらの大衆文化や寺子屋など、民衆が輝いていた時代が江戸時代だと思った。日本人の教養、一般風俗、文化が一体となり、文明開化にシフトするためのシステムが形成されていたような感じがする。少し話がずれたが、“大学”を通して、様々な階級の人間が勉強している、それが日本の文化である、そう田中先生はおっしゃりたかったのかもしれないと思った。また、人間の豊かさを見出すのが“学問”であり、人間の使命であるとも言われていた。それが、戦後日本から(否、偏向教育によって)消え去られていったのである。
最後に、いつものようにスライドによる日本の芸術の説明が始まった。前回の歴史・文化塾のものもあったが、主に浮世絵を中心としたものだった。写楽の表情豊かな絵は確かに面白いように見えた。対して油絵(誰の作品かは分からなかったが)の方は、人間の表情が無い。田中先生はそこをご指摘された。
先に述べたが、今回で歴史・文化塾は最終回を迎えた。しかし、また更にこの講演が7月ぐらいにやる予定らしいので、興味のある方は是非参加していただきたい。お勧めです。
2003.04.09up
第8回「日本語の謎」
先日、私のパソコンがぶっ潰れた。“品川名簿”やK区部長から頂いた資料などが全て消えた。何とかたんたんめんさんのお力を借りて、名簿をGetできたものの、ショックで暫くフリーズしてました(汗)。
そんな中でも、次の“ぼやき”のネタだけはいろいろと考えてました。その中で、ふと思い出したことがありましたので、ご紹介します。
先日ある集まりがあった時のこと、私の知り合いの人がこんなことを云っていた。その内容とは、日本語の言語の周波数が他の言語より群を抜いて低いということだ。日本語の起源は今現在でも明らかになっていない(詳しくは国民の歴史を見て頂きたい)。しかし、これが“森羅万象”の考え方にマッチした驚くべき点があったのだ。それは、日本語の言語の周波数と川のせせらぎや小鳥の囀りのそれが、同じ周波数音域にあるということである。これにより、日本人は普段聞き慣れている音域の音(=“自然の音”)に美や安らぎを感じるのである(ちなみに、欧米人の言語の周波数は高い。日本人が英語のヒヤリングが苦手な原因にこれがある。人間は、聞きなれていない音域の音を脳で“雑音”と処理されてしまうのである。逆もまた然りで、鳥の鳴き声がうるさいと、ある米国人が訴訟を起こしたエピソードもあるぐらいだ)。もしこれが、これらを意図して作られたものであるなら、我々日本人の祖先はかなりの高度な知識を有していたことになる。
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また、日本には神代文字(かみよもじ)という独自の言語が存在していた(詳しくはここ)。これはまさに、日本には独自の文明があったことを意味しているのではないだろうか。とここで一つの疑問が残る。独自の言語を持っていたにもかかわらず、何故我々の祖先は漢字を選んだのだろうか。それに関してはこのような一説がある。
“日本はかつて中国に侵略された”。
日本を侵略した中国はその時に神代文字を禁止した。その後日本は反乱を起こし、見事に独立を勝ち取ったというものだ。しかし、神代文字はほぼ壊滅しており、滅ぼした張本人の司馬遷も他界していた。時の天皇(ここは記憶が曖昧で定かではないが)は、この国難を古事記に記したという説である。
このように、いかに日本の文化の礎が高度でかつ素晴らしいものであるかが分かる。そして、日本語の歴史ひとつとっても、ここまで語る事ができてしまう(う〜んディープ♪)。
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他にいろいろなウラ情報が盛りだくさんあるが、確証が無いものが殆どである。今回のは特に、タイトル通りの“ぼやき”程度に収めておく。
2003.02.24up
第7回「歴史・文化塾レポ1」
2月8日、この日「第9回 歴史・文化塾」が開催された。だが、私はいきなりの遅刻。休憩時間に久しぶりにお逢いした主催者のAさんに、「今日は遅かったねぇ。」とかる〜くお叱りを受けてしまった。重々反省m(_ _)m。今回のパネリストは、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫先生と、東北大学大学院教授のご存知田中英道先生だった。最初に講演されたのは伊藤先生。この方は以前に、憲法改正のシンポジウムで講演されていて、私も足を運んだことがあったが、今回もそれに絡んだ戦後日本の歴史についてご講演された。その中で特に印象的だったのが、駄作“日本憲法”制定に対して命を張って抗議した人達の話だった。皇室御用係の佐々木惣一先生と、美濃部達吉先生だ。
佐々木惣一先生は、憲法の知識がかなりあり、憲法改訂案をつくった人であった。この人は第一に、戦後の国民統合の国家体制はいかにあるべきかを考え、今のリベラリストのような“個人の自由“なるものよりも、公益(=国家)を優先的に考えていた。また、占領政策の目的が、日本国の弱体化であることを見抜いていた人物であった。それゆえ、占領軍の与えた憲法案に真っ向から反対した。当時貴族院議員であった佐々木先生は、死刑に処されても賛成するわけにはいかないと考え、堂々の反対論の大演説をやってのけた。私はそれを聞いた時、大西瀧治郎の物語を聞いた時以来のショックを受けた。国の将来を憂い、自分を犠牲にしてまで戦うその“愛”に感動した。
もう一人の美濃部達吉先生も、国家の統一性を保持することを考えた人物であった。それには君主制の確保であると説き、これなくしては統一国家としての日本の存在は恐らく失われてしまうのにほかならないと考えた。それであるので、日本憲法の民主主義化は、日本国民が最高権力者でなく、専ら君主に属するとした。しかし、それでは国民の総意を無視した一部軍閥や官僚の進言に依るものになるので、国民の意思が政治に反映し、君主がその意思に従うものであると考えなければならないと考えたのだ。私は闇雲な自由思想が嫌いで、民主主義という概念自体に嫌悪感を憶えていたので、非常に日本らしい合理的なこの考えに只々納得してしまった。上の者も下の者も一致団結していく“助け合いの精神”、これこそが日本文化の美徳である。これを十分理解していた日本人の一人が美濃部先生だったのだと私は感じた。
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さて話は変わって、第二部は田中英道先生の講演だった。江戸の文化について持論を語って頂いた。室町時代以降、仏教に対する信仰心が薄れていった。優れた仏像が鎌倉時代でほぼ終焉するも、大衆風俗(浮世絵、花鳥風月など)が台頭してきた時代、すなわち江戸時代の日本文化形成が始まったことをおっしゃられていた。
この頃の文化のキーワードは“無神論化”と“批判の始まり”である。無神論化により、物質的な美が好まれるようになり、それに対する批評、批判が形成されたと、田中先生は考えた。私が思うに、この批評、批判なるものが競争を生み、より徳の高い文化形成を生み出したと考えた。多分、日本の文化や日本人の教養がこの頃に生れ、日本文化の全盛期を迎えたのではないかと私は感じた。
また先生は、日本文化は一枚岩になっているが、それを楽しむという特性をもっているとも云われていた。日本文化=芸術と考え、画一化された都市形成の中で、どう独自の文化の色を出していくか、天皇陛下も含めて、先祖、先代が築き上げてきた文化を守る義務があることもおっしゃられていた。日本の芸術を通して、日本文化をどう世界に発信するかということについても熱く語ってくださった。
第9回 歴史・文化塾はなかなか面白かった。また、この講演に藤岡信勝先生も聴きにいらしていた。とりあえず、すれ違い際に「こんにちは」と挨拶した。そういえば、第10回 歴史・文化塾で藤岡先生が講演してくださるようなので、「また行こう」と私は決めた。
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またまた話は変わって、「金日成は〜」の方は暫くの間、考えさせてください。本の内容そのままパクったような感じになってしまったので…Σ( ̄□ ̄|||
2003.02.09up
第6回「ジェンフリより以前」
みなさんは「ハレンチ学園」なるものをご存知だろうか。テレビ放映(いや、漫画の連載か)が始まったときには、私はまだ生れてなかったが、あれによって学校でスカートめくりが流行ったと聞いた。とここで一つの疑問が湧いた。あの“スカートめくり”なるものは一体何だったのだろうか。落ち着いて考えて頂きたい。女性の恥部(下着か)を公衆の面前に晒して、一体何が楽しいのかと、誰しもが考えると思う。健全な教育現場である学校を汚すどころか、勉学でなくクソの役にも立たない色情の方にエネルギーを向けさせる蛮行に過ぎない。これを危機的と思ったのか、政府が性描写の激しいアニメに対して規制しようとする動きはあったことはあった(確か国会で審議されたとか。そのアニメはマイッチングまち子先生だと思った)。しかし、今現在ではマスコミの表現の自由とかの問題で止めようが無くなっているらしい。そうなってくると、小さい頃から性教育を施すという極めて安直で阿呆な手段にでてくる。そもそも近年まれに見る“性の暴走”は、その大部分がマスコミの責任なのである。
話は変わるが、私の実体験をもとに見解を述べよう。私は幼少の頃からそういうものの興味はあった(一般論かただ私が助平かは別として)。よく戦隊モノに出てくるヒロインはミニスカートを履いたねえちゃんで、それが何かしら頭の中に残っている。そして私が年頃になると、女性にたいする趣向にそれの影響が強いということに気づいた(幼少の記憶が無意識的におもてに出てきているのだ)。幼少の頃に受けた衝撃はそれ程までに影響力があるのだろう。しかし全員が私のように、幼少の頃の影響が強いのなら、おちおち子供を街に連れて行けなくなるし、戦隊もののテレビ番組も見せられなくなってしまう(最近の若い子達は露出の激しい服ばかりだから)。“ここまで性の開放が激しくなってしまったら、そういう知識を若いうちから身に付ける必要がある”。多分ジェンダーフリー推進派の見解はこうなのだろう。その教育が、教員の性器を学童に触らせるとかに繋がるのだから呆れてモノも云えない。
これとは別にもう一つ。最近の大人にも責任があると思う。買春まがいのことをしたり、職場でセクハラしたり、倫理観が全く無いような連中も結構いる。商業主義に溺れ、エロスを前面にだしたかのような変態番組、記事(2ちゃん風に云うと“デムパ”)を垂れ流しにしているマスコミもまた同罪である。これこそが男女差別という“虚構の現実”を生み出した諸悪の根源なのだ。男女共同参画なるものもこれによって生れたのだと私は思う。
地上で最後に残された“差別”は男女差別だと、高校の頃の左翼教師が云っていた。だから、性の区別を出来るだけ無くそうとする動き(=ジェンダーフリー)が出てきた。しかし、その実情は日本の文化の破壊だった。先に述べた“スカートめくり症候群”も、これの前哨戦だったのだと私は思う。
ここで話はずれますが、このページの上あたりに“【永堵オススメフラッシュ】大和心とポーランド魂 [NewVersion]......感動だゴラァ”というリンクがありますので、良かったら観て行ってください(たんたんめんさんの細かい配慮に、改めて感謝)。
2003.01.28.up
第5回「DBZの不思議」
先日、たんたんめんさん他品川区部の方々と新年会を開催した。これからの品川区部の方針+雑談等で盛り上がった。小林よしのりさんのちょこっと出たとき、ふとある漫画(以下アニメ)が私の頭の中にうかんだ。
そのアニメとは、ドラゴンボールZである。これは平成元年4月26日から平成8年1月31日までフジテレビ系列で放送されたアニメである(西村真悟VS小林よしのりで、小林よしのりさんがちょっと触れたアニメ)。暴力シーンが大半を占めるアニメなのだが、このストーリー自体がビミョ〜なのに気づき、改めて「すげー!」と私は思った。
簡単に説明すると、主人公孫悟空が、実は戦闘民族サイヤ人であることが分かり、いつの間にやら宇宙征服を狙う悪い宇宙人と闘っていくというストーリーである。「これがここのサイトと何が関係するのか?」という疑問が沸いてきそうだが、それはさておき、注目すべきは、主な登場人物の相関関係である。
戦闘民族サイヤ人は、満月をみると大猿に変身し、本能のおもむくままに暴れまくる。その下品な風貌から、悪い宇宙人たちは“下等生物”や“サル”と云って卑下する。しかし、サイヤ人にはもう一つの変身パターンがある。それは、大猿とは対照的に金髪に蒼い目になり、理知的な闘い方になることである。“スーパーサイヤ人”と呼ばれる彼らに、悪い宇宙人は一掃されるのだ。これは正に20世紀の世界史を揶揄したかのようなストーリーではないだろうかと私は思った。ここで、もっと簡単にびみょ〜にリンクした登場人物を以下に整理してしめす。
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サイヤ人(主に惑星ベジータ生まれ地球育ちの孫悟空)…日本人
悪い宇宙人(フリーザ等)…西洋列強
迫害される宇宙人(ナメック星人、ヤードラット星人他)…植民地支配に敵対する人々
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ここに示す固有名詞は見て頂いた方々に調べていただくとして、如何だろう。しかもこれだけでは無い。サイヤ人の王子ベジータは、悪い宇宙人に侵略(半ば迫害)され、復讐の機会を伺い反旗を翻すが、結局返り討ちにあい、満身創痍の状態で涙ながらに孫悟空にやっつけるようにお願いする。その民族の誇りの強さに孫悟空は感銘を受け、スーパーサイヤ人になって敵を潰すストーリーもある。また、ベジータが敵を倒すため自らが爆弾となるなど(結局敵を倒せなかったところまで特攻そっくり)、何か日本人(でなくとも)に響くものがあるような気がする。
これは正に国粋主義的国民的アニメと云っても過言ではないだろう(私の青春そのものでもありますが…)。DVDが発売されるが、毎週月曜に(フジ系で)再放送もされているので、興味の沸いた方は是非観ていただきたい。最後にファンの人、私の説明が、語弊を招きかねない端的な表現だったことを深くお詫び申し上げます。
2003.01.19up
第4回「イラク戦争の最中」
あけましておめでとうございます。年末年始、どのように過ごされましたでしょうか。私はほんっとうにすることなくて、街でブラブラしたり国際政治の本ばかり読みまくったりしてた大馬鹿者です。暇を潰すのが大変でした。
前回紹介しました「金日成は四人いた」は、まだ読みきってません。近いうちに読破して紹介したいと思います(ホントすんません)。
私も先ほど述べたように実家で何をするでもなく過ごしていた。その実家で、ある本を見つけた。私が大学時代に読んでいた本だ。久しぶりにめくってみると、衝撃的なものを見てしまった(というより、以前から気になってたのでどっかで紹介しようと思っていたものだ)。
それは1991年の湾岸戦争のこと(状況からして湾岸戦争時と思われる)。アメリカはその時、巡航ミサイル40発をイラクのバグダットとバスラへ向け発射した。核兵器工場と対空砲施設を攻撃する為だ。しかしそのうちの一発がこともあろうに、アル・ラシードホテル僅か数メートルのところに“命中”。フロントにいた女性が死亡するという事件(?)が起こった。のちにアメリカが「イラクの対空射撃でコースを外れた」と発表したが、高性能なアメリカの巡航ミサイルが対空攻撃ごときでコースを外れるとは私は思わない。
アル・ラシードホテルといえば、イラクが各国首脳と会談するとき使われる場所である。その事件当時も、イスラム各国による首脳会談が進行中であった。これらを考えると、アメリカはこのことを知らないはずはないと考えるのが自然だろう。
国連の後ろ盾はあるにしても、米英がイラク潰しに躍起になってるのは一目瞭然である。イラクのような独裁国家を擁護する気は更々ないが、湾岸戦争でフセインを生け捕りに出来なかったのが相当悔しいのか、米英は少々ヒステリックになりすぎているような気がする。先に述べた“誤爆”も、それが如実に表れている。下手すれば、全アラブ諸国を反米にしかねない蛮行である。まぁ、他国の防衛戦略には微塵も興味がないが。。
2003.01.08up
第3回「朝鮮戦争の水面下で」
今、私のなかのマイブームは朝鮮である。ある種のバイブルと化しつつある2ちゃんねる(掲示板)。そのニュース極東版の中に愉快犯がおり、彼らが作ったフラッシュと呼ばれる動画を見ている内に、なぜか朝鮮の歴史に興味をもってしまったのである。
それにしても、朝鮮(特に韓国)の日本バッシングは凄まじすぎるといわざるを得ない(尤も、韓国の場合は一部の過激なプロパガンダなのだが)。日本統治時代、一等国民(日本人と同じ扱い。ちなみに台灣は二等国民)として、ものすごい投資をしてきたにもかかわらずだ。この違いは何なんだと自分で探求してみたりした。
朝鮮戦争直後、朝鮮半島は二つの勢力に分断された。ソ連、中国が支援した北朝鮮と国連(アメリカ?)が支援した韓国。この二つの勢力のトップ(国家元首というと語弊があるのでこういう表現になったが)がそれぞれ、金日成と李承晩である。
北の金日成という男は、実はソ連のスパイだったという説がある。パルチザン部隊を率いて日本軍と闘った金日成は満州軍に殺害されたとされる。そして、ソ連が勢力拡大のため北朝鮮という国家を作るために、“金日成”という英雄が作り出されたというものだ(本名は金聖柱。この情報が確かかどうかは不明。参考書、成甲書房「金日成は四人いた」を購入したので、追って報告する)。普通に考えても、あれだけの独裁国家が何者かの支援なしに樹立できるはずがない。
一方の南の李承晩は、青年時代から独立運動に参加していた。しかも、渡米し太平洋戦争時(1941年〜1945年)ハワイで独立運動を継続していたという経歴をもつ。この頃のハワイといえば、真珠湾攻撃でかなりの反日気運が高まっていた時期。案の定というべきか、彼がアメリカの支援をうけ大統領となったとき徹底して日本敵視の政策を行ったのだ(その一つに李承晩ラインがある。問題の竹島はこのラインの北側に位置している)。これはただの偶然というべきなのか。私にはこれが、米国の極東アジアの破壊工作のように見えるのだが、考えすぎだろうか。にしてもこの李承晩という男は、アイリス・チャンと同レベルの阿呆にすぎないのだ。
朝鮮半島情勢は、米国、ソ連の利権争いの水面下で行われた、対日破壊工作の一環ではないかと捕らえることが出来る。
2002.12.24.up
第2回「御指摘」
先日たんたんめんさん経由で、私のぼやきに対するご指摘を受けまして、やはり浅はかな知識で書くものではないなぁと感じた。絶対兵器関係に詳しい人から指摘受けるだろうなと予測はしたんだが。う〜ん、ディープ(?)。
ご指摘のありました“PAC−3”なるものは…、知りませんでした(汗)。パトリオットにグレードが3つあること自体しりませんでした。パトリオットには、PAC−1,PAC−2,PAC−3の3タイプがあるらしいです。ちなみに、PAC−2というのもの(旧式)が日本に配備されつつあるらしいが、PAC−3に関しては、米軍で配備が開始されたばかりで、日本には未だ配備されず。しかも、それをもってしてもかなり早い段階で補足しないと迎撃できないとのこと(全てご指摘いただいた方々からの投稿内容を引用)。全くもってこれ自体人任せ。反省m(_ _)m。
2002.12.18up
第1回「国防」
先日、日本橋公会堂で「西村慎吾VS小林よしのり」の講演会があった。タイトルどうりの具体的な対談というのはなかった(もしかしたらあったのかもしれないが。というのも、私は途中道に迷い茅場町近辺を迷走していたのだ。時間厳守というのは社会人の義務なのに…。この場を借りて、関係者の方に深くお詫び申し上げます)。
講演会の内容は反米的な内容だったのが印象にのこっている。私自身も余り米国指示ではないので、共感は持てる部分もあった。たしかにアメリカ頼みの防衛構想は、自分自身も限界にきていると感じた。結局、国防はその国の政府、国民の義務なのだ。特に日本国周辺は、予断を許さない状態である。北朝鮮のテポドン、更に中国には先ごろ開発に成功した東風31号(射程8000kmのICBM)の存在もある。対して日本は、パトリオットミサイルが配備されている第1〜第6の高射群(それぞれ横田、春日、千歳、岐阜、那覇、三沢)が存在する。しかし、現時点の技術力でもミサイルの迎撃はかなり難しいとされているので、50年近く前に開発されたパトリオットミサイルが意味をなすのかという疑問が残る(しかも、実践配備が平成9(1997)年。第二次朝鮮戦争勃発の危機があったのは平成6(1994)年というから驚きだ。遅すぎるっちゅーねん!)。こんなことで日本の国体の堅持ができるのか。できねーよ!
少し話はとんだが、講演会で確か西村先生はこんなようなことを言っていた。
「いくら最新の兵器があっても、最終的に国を護るのは国民士気だ。」
うーん、たしかにそうかもしれない。国難を乗り切るには国民の団結力しかないのだ。納得。しかし、平和ボケした日本人にそんなことが出来るのか。否、やるしかない。
……自衛隊に体験入隊するか( ´Д` )。。
2002.12.14.up
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