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首相 トニー・ブレア Anthony Charles Lynton Blair 生年月日 1953年5月6日 選挙区 ダーラム州セッジフィールド(Sedgefield, Durham) 出身 ダーラム州 |
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1997年5月から現在まで英国の首相。首相就任当時は絶大な人気を誇っていたが、最近はイラク戦などの影響で支持率が下降気味で、退任説もささやかれる。 ▼「古い」労働党を大改革 1994年に労働党党首に就任、「ニュー・レーバー(New Labour)」のスローガンのもと、自由主義経済の擁護や親EU路線、厳しい犯罪対策などにより、党の近代化・改革を進める。1995年には、産業の国有化を謳った労働党綱領第4条を修正した。こうしたブレア氏の改革は、「社会主義者と労働組合の政党」という労働党の古いイメージを払拭し、1997年の総選挙で同党に地滑り的大勝利をもたらしたが、一方で、労働党のコア支持層からは、党の基盤となっていた伝統的価値観を失わせたとの強い批判を浴びた。 1998年には歴史的な北アイルランド和平合意を達成させたほか、スコットランド議会およびウェールズ議会を設立、地方分権政策を進める。1999年、上院の世襲議員の大半から議員資格を剥奪し、上院の改革に着手。翌2000年には大ロンドン庁を設立、サッチャー元首相が廃止した大ロンドン議会に代わるもので、ロンドンの自治を復活させた。 ▼イラク戦と情報操作疑惑 2001年の総選挙では、公共サービスの改善を公約の中心に据え、またも圧倒的勝利をおさめる。米同時テロ以降は、対テロ対策で米国と協調路線をとる。2003年3月、国民はもちろんのこと、労働党議員や閣僚からも強い反対の声が上がる中、英国のイラク戦参戦を決める。終戦後、英政府が開戦前に発表したイラクの大量破壊兵器(WMD)に関する報告書で、イラクの脅威を誇張したとの疑惑がBBCで報道される。この件では、報道の情報源とされた科学者が、恐らく精神的に追い詰められたことが原因で自殺。しかしハットン卿による調査で政府は「シロ」と断定され、BBCでは会長と社長が辞職する騒ぎとなった。 内政では、医療や教育など公共サービスの改革に力を入れている。医療では現在、国民医療保険サービス(NHS)が運営する公立病院に、財政・経営面で自由裁量権を持ち、中央からの統制が少ない「基幹病院(foundation hospital)」の地位を与えるという政策を進めている。教育では、それまで無料であった大学授業料を、1998年の「教育・高等教育法」によって、年間1000ポンド(約20万円)まで徴収することを認めた。2004年1月には、これをさらに年間3000ポンド(約60万円)まで引き上げることを認める法案が、僅差ながら下院で可決された。 親EU派であり、欧州単一通貨ユーロへの加入にも賛成。これがユーロ懐疑派のブラウン財務相との確執のタネの一つであるとも言われている。2004年4月には、それまでの立場を一転させ、EU憲法批准の是非を問う国民投票を行うと発表。投票実施は恐らく、総選挙後の2006年になるとみられている。 ▼2度の治療で健康不安も 2003年10月、不整脈で治療を受け、約1年後の2004年10月にもまた、心拍異常で治療を受けた。イラク戦の根拠とした大量破壊兵器が見つからないことで「国民に嘘をついた」との非難が吹き荒れ、支持率が下がる中、2004年の春頃にはブレア退陣の憶測が高まる。しかし、2度目の治療の前夜に行われたBBCとのインタビューで、「3期目も全うし、4期目前に退陣する」との意思を明らかにした。これにより、首相職などをめぐって長年続いていると噂されるブラウン財務相との確執が改めて取り沙汰されることになった。なおブレア氏は2003年8月2日をもって、歴代の英首相の中で、継続在職期間が最も長い首相となった。 また、敬虔なキリスト教徒であることでも知られている。本人は英国国教会の信者であるが、妻のシェリーさんはカトリック。4人の子供たちもカトリックとして育てられている。 |
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家族構成: 妻 シェリー(Cherie) 1954年生まれ。勅選弁護士(QC)。仕事では旧姓ブース(Booth)を名乗る。父親は俳優のトニー・ブース。 長男 ユーアン(Euan) 1984年生まれ。ブリストル大学在学中。古代史専攻。 次男 ニコラス(Nicholas) 1985年生まれ。オックスフォード大学在学中。現代史専攻。 長女 キャサリン(Kathryn) 1988年生まれ。ロンドン西部のカトリック系公立中学校に通っているらしい。 三男 レオ(Leo) 2000年5月生まれ。 実家の家族: 父 レオ(Leo) 元法廷弁護士兼法学の講師 母 ヘイゼル(Hazel) 故人 兄 ウィリアム(William) 姉 セーラ(Sarah) |
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| 年表 1953年5月6日 スコットランド・エジンバラに生まれる 1955〜58年 オーストラリアに一時移住。帰国後、イングランド北東部ダーラム州に移る 1958〜61年 ウェスタン・ヒル予備学校(ダーラム州) 1961〜66年 コリスター校(ダーラム州) 1964年 父が心臓発作で倒れる、その後数年間、話ができない状態となる 1966〜71年 フェテス・カレッジ(エジンバラのパブリックスクール) 1971〜72年 ロンドンで過ごす 1972〜75年 オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジ 法律専攻 1975年 母が甲状腺がんで死亡。ロンドンに移り、労働党入党。弁護士として研修開始 1980年 法廷弁護士のシェリー・ブースと結婚 1982年 バッキンガムシャー州ビーコンズフィールドから補欠選挙に出馬、落選 1983年 ダーラム州セッジフィールドから総選挙に出馬、30歳にして国会議員に初当選 1988年 当時野党だった労働党で影のエネルギー相に就任 1989年 影の雇用相に就任 1992年 影の内相に就任 1994年 41歳で史上最年少の労働党党首に就任 1997年 労働党が総選挙に勝利、首相に就任 2001年 労働党が総選挙に勝利。二期目に突入 |
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