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財務相 ゴードン・ブラウン James Gordon Brown 生年月日 1951年2月20日 選挙区 スコットランド・ファイフ州ダンファームリン(Dunfermline East, Fife, Scotland) 出身地 スコットランド・ カーコーディ(Kirkcaldy, Scotland) |
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1997年のブレア政権から現在まで一貫して財務相を務めており、首相に次いで政府で2番目に重要な物と言われている。 ▼優秀な学生時代 スコットランドのグラスゴーに生まれる。父はスコットランド教会の牧師。公立のカーコーディ高校(Kirkcaldy High School)で学んだ後、わずか16歳で奨学生としてエジンバラ大学に入学、歴史を学ぶ。1級優等学位を得るなど学業で優秀だったのはもちろん、大学の名誉学長や左派系新聞「The Red Paper on Scotland」の編集長を務めるなど活躍していた。学生時代にはラグピーもプレーもしていたが、片目の視力を失って断念している。 ブレア首相と同じく1983年に国会議員に初当選。選挙区はグラスゴー近郊のファイフ州ダンファームリン。ブレア氏とは新米議員時代、下院の執務室を共有していたこともあり、労働党近代化の先鋒として共に戦う盟友であった。サッチャー〜メージャーと続いた保守党政権下、影の内閣で財務省主席担当大臣、貿易・産業相、財務相を歴任。次代の労働党を担うホープとみなされていたが、1994年に労働党のスミス党首が急死した後、後を継いだのはブレア氏だった。この時、ブレア氏とブラウン氏がロンドンのイズリントンにあるイタリア料理店「Granita」で話し合いを持ち、将来ブラウン氏に首相の座を譲る約束をする代わりにブレア氏が党首になるという密約を交わしたと言われているが、真偽のほどは定かではない。 ▼財務相としての功績 1997年5月の財務相就任直後、イングランド銀行に金利の決定権を与えるという大胆な政策を実行。第2次大戦以後の英国経済史上、最も大きな転換と言われたこの政策は、ビジネス界から歓呼の声で迎えられた。 以後、持続的経済成長と低失業率、低インフレ、低金利を維持し、英経済に活況をもたらしたと評価されている。英国は現在、過去200年間で最も長期にわたる継続した経済成長を謳歌しており、ブラウン氏の就任以降、インフレ率は平均2.5%程度にとどまっている。失業率は、2004年12月現在で4.7%と、1970年代半ば以来で最低を記録している。また、国民医療保険サービス(NHS)など公共サービスへの投資を大幅に拡大させたことでも評価は高い。 財政政策では、「一つの景気サイクルを通じて、政府借り入れは投資目的に限定する」という独自の規則「ゴールデン・ルール」を適用している。またユーロ導入に関しては、英国に導入の環境が整ったかどうかを判断するための基準「経済5条件」を確立、採用している。 一方で、ブラウン氏の経済政策に対しては、市場操作への依存度が高い、税控除などの制度が複雑すぎる、制度上は税金ではないが、政府に支払わなければならない事実上の税金(「stealth tax」などと呼ばれる)が多い、企業に対する規制を増やしすぎである、など批判もさまざまある。 ▼ブレア氏との対立 ブラウン氏のもとで、財務省はかつてないほど大幅な権限を持つようになり、国内財政に関する重要な決定にはブレア首相でさえも口を出せないほどだと言われている。首相とブラウン氏は以前から対立が伝えられているが、このようにブラウン氏の権限が強大過ぎることや、ユーロ参加で両者が立場を異にすること(ブラウン氏はユーロ懐疑派)のほか、首相職をめぐる争いがあるとされている。首相職への野望を抱き続けるブラウン氏が、前述の「密約」を守らず、一向に禅譲する気配を見せないブレア氏に憤りを感じている、というのは英マスコミの通説となっている。もともとブラウン氏は、根は左派の社会主義者で「オールド・レーバー」に属するため、労働党党首でありながら公共サービスにも市場経済のルールを持ち込むブレア氏とは合わないとも言われている。 しかし2004年10月にブレア首相が、前年6月に保健相を辞めて平議員に戻っていたアラン・ミルバーン氏を閣僚に引き戻し、それまでブラウン氏の役目であった総選挙選挙戦の指揮役を任せたことなどから、ブラウン氏の追い落としが始まったのではないかと噂されている。ミルバーン氏は忠実なブレア派の人物で、この人事により、それまでは誰もがブラウン氏が筆頭だと考えていた首相後継者候補に、突然ミルバーン氏の名も浮上することになった。 なお、私生活では、ずっと独身を通していたが、2000年8月、49歳でPR会社経営者のセーラ・マコーレーさんと結婚。2001年12月には女の子が誕生したが、生後10日で脳出血により死亡。その後2003年10月に男の子が誕生、ブラウン氏の父と同じジョン(John)と名付けられた。 著書に「Maxton: A Biography」「Where There is Greed」など。 |
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家族構成: 妻 セーラ(Sarah) 息子 ジョン(John) 2003年10月生まれ 実家の家族: 父 ジョン(John) 故人 母 エリザベス(Elizabeth) 故人 兄 ジョン(John) 弟 アンドリュー(Andrew) |
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| 年表 1951年2月20日 スコットランド・グラスゴーに生まれる 1967年 エジンバラ大学入学 1972年 エジンバラ大学で文学士号(MA)取得 1972〜75年 エジンバラ大学名誉学長 1976〜80年 エジンバラ大学およびグラスゴー・カレドニアン大学で講師 1980〜83年 地方局スコティッシュTVでジャーナリスト、エディターとして勤務 1982年 エジンバラ大学で博士号(PhD)取得 1983年 グラスゴー近郊のダンファームリンから国会議員に立候補、当選 1985年〜87年 影の内閣で貿易産業担当閣外相 1987〜89年 影の内閣で財務省主席担当大臣 1989〜92年 影の内閣で貿易・産業相 1992年 労働党の最高意志決定機関である全国執行委員会(NEC)にメンバー入り 1992〜97年 影の内閣で財務相 1997年〜現在 ブレア政権下で財務相 |
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