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盲目の内相、スキャンダルで辞任

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【2004年12月27日】英国のブランケット内務相(57)が12月15日、元愛人の使用人に対するビザ発給で便宜を図った疑惑に絡み、辞任した。盲目という障害を乗り越えて閣僚のナンバー3にまで上り詰めた努力の人は、わずか数ヶ月の間に、スキャンダルにまみれて全てを失った。政権の要であった重鎮が去り、ブレア首相にも大きな打撃となったこの転落劇とは、どのようなものだったのだろうか。

 事の発端は、今年8月、ブランケット氏が右派系政治誌「スペクテーター」の発行人である既婚の米国人女性キンバリー・クインさん(44)と不倫関係にあることが、タブロイド紙で報じられたことだった。キンバリーさんは、カリフォルニア州の富裕家庭出身で、オックスフォード大学の学位も持つお嬢様。「スペクテーター」以前には、米系の大手出版社コンデ・ナスト出版の英国支社で働いていた。米国人銀行家と離婚後の2001年、コンデ・ナスト出版で当時「GQ」誌の発行人だったスティーブン・クイン氏(60)と再婚。スティーブンさんは、現在はファッション誌「Vogue」の発行人を務めており、2人は業界内では知られた大物カップルである。
 
 一方のブランケット氏は、イングランド北部サウスヨークシャー州の労働者階級家庭の出身。先天性の全盲で、4歳から寄宿制の特殊学校に入れられていた。地元シェフィールドの市議会を経て、1987年に国会議員初当選。1997年のブレア政権誕生と同時に教育・雇用相に任命され、英国初の盲目の大臣となった。2001年に内相に就任してからは、テロ対策や治安対策、移民問題などで厳しい対策を打ち出して敏腕を振るい、ブレア政権の大黒柱として活躍。労働者階級出身という出自と気取らない率直な話しぶりが人気で、また障害者でありながら閣僚にまで出世したことで、国民の尊敬も集めていた。私生活では、3人の息子をもうけた女性と1990年に離婚して以来、ずっと独身である。
 
▼不倫の間に2度妊娠
 ブランケット氏とキンバリーさんは、キンバリーさんの再婚直後の2001年8月に出会い、すぐ不倫関係が始まったが、タブロイド紙による暴露があった直前の今年夏、キンバリーさんから一方的に関係を終わらせていた。ブランケット氏はキンバリーさんに夢中で、関係を真剣に受け止めていたが、キンバリーさんにそうした気持ちはなく、同氏を「しつこくて迷惑」とさえ思うようになっていたらしい。キンバリーさんは、ブランケット氏と関係を持っていた間に男の子を生んでおり(現在2歳)、来年2月にはまた出産を控えている。いずれも自分の子供であると信じるブランケット氏は傷心のまま11月中旬、この2歳の子供に会う権利と、子供の養育に関わる権利を求めて法的手続きを開始。これが結局は、自らの失墜を招くことになった。
 
▼女性の「仕返し」で疑惑発覚
 子供の父がブランケット氏だと認めたくないキンバリーさんは、同氏の行動に怒り、マスコミ業界のコネも使って反撃を開始した。11月28日付「サンデー・テレグラフ」紙に、「キンバリーさんの子供のフィリピン人乳母が昨年、英国の永住ビザを申請した際、ブランケット氏が、早くビザが下りるよう便宜を図った」とのスクープが掲載されたのである。「サンデー・テレグラフ」の編集長はキンバリーさんの友人で、記事は、キンバリーさんが知人に出した電子メールのコピーを入手して判明した、と報道していた。記事はさらに、ブランケット氏について、●国会議員の配偶者用に与えられる列車乗車券をキンバリーさんに提供した ●極秘の治安情報をキンバリーさんに漏らした ●反資本主義団体がデモを行ったメーデーの日、キンバリーさんの自宅前に警備の警官を配置した ●キンバリーさんを自分の別宅に連れて行くのに政府が雇用している運転手を使った――などの疑惑も掲載した。
 
 ブランケット氏は、列車乗車券の提供は認めたが、ほかの疑惑はすべて否定した。ビザについては、乳母の永住権申請書が適切に記入されているかどうかを、自分の事務所のスタッフに読んでもらってチェックはしたが、それ以外は関与していないと主張。記事掲載直後、財務省の元幹部アラン・バッド氏に、この問題に関する調査を要請した。つまり内相としての立場から、自ら自分の疑惑について調べるよう依頼するはめになったのである。
 
▼「1年待て」の直後にビザ発給
 続いて12月1日付の「デーリー・メール」紙に、乳母の永住ビザ発給が早められたことを示唆する「証拠」が掲載された。乳母は2003年3月に永住ビザを申請した後、同年4月23日に内務省から「今回は、すぐにはビザ発給はできない。審査には最高1年かかる」との手紙を受け取っていたが、それにも関わらず、わずか19日後の5月12日には永住ビザが下りたとの通知を受領していたことを暴露したのだ。同紙は、乳母が4月に受け取った内務省の手紙と、永住ビザ発給の手紙の両方を写真で掲載。日付もはっきり分かり、手続きが早められた疑惑はますます深まった。これに対しブランケット氏側は、「乳母がビザ申請をしたのは、外国人の滞在ビザ更新に更新料金制度が導入される直前のことで、これに備えて内務省では、ビザ発給の迅速化を進めていた。だから乳母のケースも珍しくなかった」と反論した。

 さらにブランケット氏の受難は続いた。12月6日にはやはり「デーリー・メール」紙が、この直後に出版された同氏の伝記の一部を掲載したのだが、そこにはブランケット氏による、閣僚に対する辛らつな批判が書かれていたのだ。スティーブン・ポラードというジャーナリストによるこの伝記の中でブランケット氏は、自分の前任であるジャック・ストロー氏は「内務省をひどい混乱状態に陥れ」、自分の後任で教育相に就いたチャールズ・クラーク氏は「教育対策が手ぬるく」、ブレア首相は「歯向かわれるのが嫌い」、ブラウン財務相は「威張り散らしている」などと酷評していたのである。同書は実際にブランケット氏にインタビューして書かれたもので、これらは本人の口から出た言葉らしいのだが、ビザ疑惑で閣僚たちのサポートを何より必要としている時に、最悪のタイミングであった。プレスコット副首相はブランケット氏を「横柄」と非難、ブランケット氏は閣僚一人一人に謝罪の電話をかけることになった。

▼メールで「早く処理した」
 轟々の非難にさらされていたブランケット氏に12月14日、ビザ問題の調査を行っていたバッド氏から1本の電話があった。乳母のビザ発給について2003年4〜5月、ブランケット氏の事務所と移民局の間で電子メールとファックスのやり取りがあったことが判明したと告げられたのである。このやり取りとは、ブランケット氏がスタッフと共にチェックしたと主張していた申請書に関してではなく、乳母が内務省から受け取った、「発給審査に最高1年かかる」とする手紙に関してであった。そのやり取りの中で移民局が、「(乳母のビザ問題は)解決した。ひいきしたわけではないが、少し早く処理された」とする電子メールをブランケット氏の事務所に送っていたことが分かったのだという。ブランケット氏は翌15日、辞任を発表した。
 
▼受け取ったのは「1年待ち」レター
 何故、こうしたやり取りが行われるに至ったのだろうか? バッド氏の調査で判明したところによると、ブランケット氏が主張していた、乳母のビザ申請書をチェックしたという事実は、実はなかった。実際にブランケット氏が手にしたのは申請書ではなく、「1年待ち警告レター」の方だった。バッド氏の調査によると、ブランケット氏は2003年4月28日、このレターをキンバリーさんから渡され、恐らくオーバーナイトボックス(*)に入れた。翌29日、ブランケット氏は出張で地方に行っていたが、レターが入ったオーバーナイトボックスはブランケット氏の事務所に郵送あるいはクーリエで届けられた。同日、事務所のスタッフは、このレターを移民局にファックスで送信。その後、前述のように移民局とブランケット氏の事務所の間で何度かファックスとメールのやり取りがあり、移民局が同氏の事務所に「少し早く処理された」のメールを送った数日後、乳母にはビザが下りていたのだ。
 (*)閣僚や議員が書類やスピーチ原稿、通信文などを入れて持ち歩く赤いブリーフケース。
 
 それでは、これらのファックスやメールでのやり取りは、ブランケット氏の指示で行われたのか? ブランケット氏は、辞任直後のインタビューで、自分も事務所のスタッフも、乳母の「1年待ち警告レター」に対処したことは全く覚えていなかったと述べ、何かしらの指示を出した記憶もないと語った。だが、レターをオーバーナイトボックスに入れたためにビザ発給が早められたことは、「認識していなかった」としながらも認め、オーバーナイトボックスに入れた目的は、移民局でのビザ発給業務が遅延していることの例としてスタッフに示すためだったことを示唆した。

▼証拠隠滅の疑惑も
 ブランケット氏の「申請書をチェックしただけ」という証言が真実でないことが分かったために、今度は、事実を隠ぺいしようとしたのではないかという疑惑が持ち上がった。また、ブランケット氏の事務所が移民局に「1年待ち警告レター」をファックスした際のファックスカバーや、その後に移民局に送られたいくつかのファックスもすべて紛失されていることも分かり、証拠隠滅の疑いも出てきた。さらに野党保守党は、ブランケット氏一人ならともかく、スタッフ全員が乳母の件に対応したのを覚えていなかったことを、疑わしい「集団記憶喪失」と非難した。
 
▼関与は「分からない」と報告書
 バッド氏による調査の報告書は、辞任から約1週間後の12月21日にようやく発表された。報告書は、ビザ発給迅速化とブランケット氏を結びつける「一連の出来事」を確かめることはできたとしたものの、ファックスがなくなっていること、また同氏の事務所のスタッフのみならず移民局の職員までもが乳母の件について覚えていないことから、ブランケット氏が発給迅速化を自ら指示したかどうかは分からないとして、判断を保留した。報告書は、乳母の件が移民局に照会されたのは、(1)キンバリーさんの乳母を助けるため特別な援助を求めようとした (2)移民局の業務の劣悪さ(=ビザ発給業務が遅延していること)を表す一例として示そうとした――という2つの可能性が考えられるが、そのどちらかを選べるだけの直接的な証拠は見つからなかったとした。報告書はまた、調査の間、ブランケット氏や同氏の事務所のスタッフからは「最大限の」協力を得ることができたとして、ビザ発給を早めた証拠を隠滅したり、事実を隠そうとした証拠はないと結論づけた。

 また同時に行われていた、ブランケット氏がキンバリーさんに議員の配偶者用の列車乗車券を提供した件に関する調査も同日、調査結果を発表し、「明らかな議員規則違反」との結論を下した。ブランケット氏は、既にこの件については非を認め、列車の乗車券代179ポンドを返金していた。

  ブランケット氏の関与に関してあいまいな結論しか下さなかったバッド氏の報告書については、核心を突いていないとして失望の声が上がっており、保守党は、裁判官の主導で再調査を行うよう求めている。有能な政治家や役人たちがそろって記憶違いや失念をしていたというのは、言葉通り受け止めてよいのか。なぜブランケット氏は最初、「ビザ申請書をチェックした」と事実とは違うことを言ったのか、なぜファックスは紛失したのか、解けていない疑問は数多い。

▼「こんな仕打ちができるなんて」
 ブランケット氏は結局、30余年の政治家生活で築き上げてきたものを、1人の女性とその子供のために失ってしまったことになる。辞任声明では、「息子と離別しないと決心しなかったら、こんな問題が持ち上がることはなかっただろう」と子供への愛情から出た行動がキャリアの破滅につながったことに無念さをにじませた。またBBCとのインタビューでは、「誰かが、私だけでなく小さな子供に対してもこんな仕打ちをできるなんて、分かっていなかった」とキンバリーさんの「仕返し」を非難した。

 しかし、並外れて有能な政治家であり、ブレア首相の腹心であるため、ほとぼりが冷めた総選挙後あたりに、また閣僚に復帰するだろうとの見方は強い。本人も次期総選挙には再出馬する意向を明らかにしており、カムバックはそう遠くないと見られる。ちなみに出産を控えたキンバリーさんは、メディアの追っ手を逃れて今は雲隠れ状態である。現在の彼女の一番の心配は、大臣を辞めて時間的な余裕ができたブランケット氏が、子供に関する裁判に全精力を傾けてくるだろうということらしい。

参考サイト
*BBC
news.bbc.co.uk
*The Guardian/The Observer
guardian.co.uk
observer.guardian.co.uk
*The Times/Sunday Times
www.timesonline.co.uk
*The Daily Telegraph/Sunday Telegraph
www.telegraph.co.uk
Daily Mail
www.dailymail.co.uk
Last Update: 2005/01/02
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