帰り道
お客様の大切なお荷物を運び終えた時は本当にほっとします。同時にまたある種の充足感を味あわせてもいただけます。
仕事が終わればそれまでの渋滞などもすっかり忘れ、帰り道は快い気持ちで走れます。
そんな時思いがけず美しい景色や、たまたま通りがかった神社仏閣を訊ね参拝するのも楽しみの一つです。最新の仕事から順に表示しています。
2015年12月5日
石田三成の陣より戦場をみおろして、歴史にもしはないけれど、小早川が裏切らなかったら日本の歴史は違っていたなと思う。

2015年12月5日
石田三成の陣は小高い山(笹尾山)の上にあった。

2015年12月5日
関ケ原の古戦場に寄る。石田三成の陣から戦場を見下ろすことができる。

2015年12月5日
小谷城跡。今は何もない山間にいくつも建物があった。ここで淀君と初とお江が生まれたのだ。

2015年12月5日
関ケ原に向かう途中、浅井長政の小谷城跡に寄る。

2015年12月5日
余呉湖の湖畔の句碑

2015年12月5日
余呉湖の無料駐車場の赤帽車。賤ヶ岳の戦いの大きな看板があった。

2015年12月5日
以前から寄ってみたかった余呉湖による。ワカサギ釣りをしている人がいた。

2015年12月5日
余呉湖を目指す、途中の敦賀湾。写真の左のほうに敦賀原発がある。

2015年12月5日
福井市の帰り、越前海岸に寄りたかったが、天候が荒れそうだったのでショートカットで敦賀湾へ。写真は道の駅「河野」(福井県南条郡南越前町大谷)より越前海岸方向を写す。

2014年10月24日
江東区永代までの納品が定期的にある。今日は秋空の下の永代橋を写してみた。

2014年10月18日。横浜市泉区の案山子を写す。
まだ泉区内には横浜市だというのに田んぼがあり、ここでは毎年案山子の品評会が行われる。



2014年10月16日。伊豆長岡行きの途中、西湘BPパーキングにて海を写す。
伊豆半島を望む。

2014年9月28日。大阪市内まで行きました。
淀川を渡って梅田近辺へ。


2014年9月25日。また福島県二本松市まで行きました。
実りの秋。まさに黄金の国ジパング。一部刈り入れも終わっていました。


2014年9月22日。福島県二本松市まで行きました。
実りの秋。まさに黄金の国ジパング。


要田駅。田舎の駅。



2014年9月12日。入間市寺竹という所まで行きました。
以前は関越の所沢で降りて下道を行った。とにかく混んで3時間以上かかったのが、圏央道海老名から青梅までつながったので1時間45分で行けるようになった。 高速代は多少高くなったが、距離が短縮、お客様にも運賃値下げになった。帰り、厚木PAでB1グルメを食べてみた。



今日は長野県駒ケ根のB級グルメのソースかつ丼(850円)を食べる。甘いソースがたまらない。子どもの頃食べた記憶があるような懐かしい味がした。

2014年9月8日。再々々々安城市まで行きました。
今回は午前9時安城市で引取りのため、家を3時前に出た。4時前に厚木インターを入って高速代を30%引きにするため。5時半に新東名遠州森町PAでトイレ休憩。 まだ売店も営業前の建物の一角を撮ってみた。


帰路、またまた私の好きな富士山を写す。曇っていたが運良く見えた。雲の感じが良かった。


2014年7月21日。再々安城市まで行きました。
今回は納品後引取りがありそのまますぐに発地に戻らねばならずどこにもよらず直帰。午前4時に家を出て5時大井松田出口辺から写した朝の富士山。

午前5時25分、新東名に入って右カーブから直線に入った辺り、やや後方右手に富士山が見える。

富士山の頂上に雲の帽子が乗っていた。

前2回気になっていたところに寄ってみたら、桜井城跡という所だった。帰路上にあって赤帽車をちょっと止めて写した。


さらに少し走るとこれも気になっていた古墳らしいものがある。これまた、ちょっと赤帽車を止めて登ってみた。



2014年7月18日。長野市稲葉まで行きました。帰路千曲川を見に行きました。
長野市南部と市街地間の犀川を越える、国道18号線に架かる長野大橋。

長野市と須坂市を分ける千曲川に架かる橋。手前が長野市、向こうが須坂市。

橋を渡ってすぐ左に折れて千曲川河原に行ってみた。桃やりんごの樹を見ながら少し行くと、河原にかなり広いスポーツ広場があった。

駐車場に赤帽車を止めて河原まで歩く。千曲川が悠々と流れていました。向こうに見える山は戸隠村方面の飯縄山(いいづなやま 飯綱山 1,917m)と近くのガソリンスタンドの若者に聞いた。

雲の中の飯縄山。戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山とともに、北信五岳のひとつに数えられる。

帰り道、上信越道上り横川SAで食事休憩。かなり雨脚が強かった。お土産に釜めしを買った。包装紙の絵が世界遺産になった富岡製糸場になっていた。



2014年7月15日。再び安城市まで行きました。
行き、新東名下り藤枝PAでのど飴を買おうとしたらファミリーマートは閉店していた。自動販売機のみ営業していた。ちなみに帰路、上り藤枝PAで食事休憩した際も(私は藤枝PAでよく食べる)うどん屋(丸亀うどん)とラーメン屋は閉店しており、 新店舗が営業していた。話を聞いたら7月6日から始めたので宜しくとの事だった。前より多少価格が高めになったが、バチ鮪丼美味しかった。(ひざ栗毛「藤枝宿駅」)。新東名開通時はSAもPAも非常ににぎわっていたが一過性のものだったのでしょうか?最近は上り浜松SAのメロンパンにも人だかりはないような気がする。

2014年7月7日。愛知県安城市まで行きました。帰路久しぶりに岡崎城に寄りました。
安城市へ納品途中、国道1号線からiPhone5で写した岡崎城の大手門。

帰路、国道1号線から入って裏の方から城に入る。

天文11年(1542)この城内のどこかで竹千代、後の徳川家康が生まれた。明治6年(1873)廃城令により廃城処分となり、天守以下の建物が撤去されたその後、昭和34年(1959)鉄筋コンクリート造りで天守が再建されたもの。2007年マンション建設に伴う発掘調査によって石垣が見つかり、日本国内で4番目の規模であることが判明したそうである。


芭蕉句碑。「木(こ)のもとに汁も鱠(なます)も左久良(さくら)かな」。元禄三年三月二日(1690)、伊賀上野の藤堂家藩士小川風麥亭で催された歌仙の発句。風麥の脇句は「明日来る人はくやしがる春」。岡崎城は桜の名所でもある。


この石段を多くの武士も歩いたかも知れない。。どんな思いで歩いたのだろうか。

2014年7月1日。徳島県那賀郡那賀町まで行きました。神戸・淡路・鳴門自動車道を走りました。ここは神戸側、第二神明道路・垂水ジャンクションです。
いよいよここから淡路島へ入ります。↓

明石海峡大橋。世界最長のつり橋。優美で美しい橋。広々していて走りやすいです。↓

淡路島に渡るとすぐに淡路SAがある。そこから今渡ってきた明石海峡大橋の全貌が見られる。↓

淡路島と四国徳島県の間に掛かる大鳴門橋を渡り、鳴門のICを出て、徳島市内。↓ 市内を通り抜けて目的地那賀町へ。

那賀町の納品を終えて、すぐ近くの四国八十八か所第二十一番札所、太龍寺に行くことにした。そこは八十八か所に二ケ所ある、ロープーウエイでお参りするお寺さんであった。
ロープーウエイ乗り場に行く少し手前、那賀川に掛かる赤い橋の上の赤帽車。

太龍寺ロープーウエイ。ドイツ製で22年前作られたという。100人乗れる大ゴンドラで、頂上目指すが、この時は私ひとりの貸切でした。

四国八十八か所第二十一番札所「舎心山太龍寺」。本堂には本尊虚空蔵菩薩がまつられ毎年1月12日には御開帳されるという。今の本堂は阿波藩主蜂須賀公の命により嘉永5年(1852)建立されたものだそうです。


次に行ったのは第二十二番札所「白水山平等寺」。赤帽車で太龍寺から15分位走ると山門前の駐車場に着く。

前の太龍寺に比べると、敷地的にはかなり小さい印象だが、心和むお寺さん。ご本尊は薬師如来。





何時か八十八か所全札所をお遍路したいと思っているので、図らずも今日2ヶ寺に来られたのは良かった。再た四国に来たら札所を巡りたいと思いつつ今日は帰路につく。鳴門ICから神戸淡路鳴門自動車道に乗り、すぐに大鳴門橋を渡る。

淡路島南PAから見た大鳴門橋。ここでお腹が減ったので、淡路島で取れた玉葱1個まるまるのせたカレーを食べる。玉葱が甘くて御飯と玉葱だけでも十分美味しく食べられると思った。

室津PAで少し仮眠して起きたら辺りはすっかり日が落ちていた。夕暮れの播磨灘を写した。

淡路SAについたころはすっかり夜になっていた。夜の明石海峡大橋。向こう側は須磨明石辺りの明かり。

浅間山・妙高山
2014年1月29日石川県能美市から小松市を回った。
浅間山は晴れていれば佐久インターを過ぎるころから右手に大きく(下り)見え始める。この日は良く晴れていて雪をかぶった浅間が良く見えた。

妙高山。黒姫野尻湖PAの標識が出る辺り?から妙高山が大きく前方に見えだす。上り妙高SAからも全体が見渡せるが、小さい。

冬の佐渡
2014年1月12日。佐渡ヶ島に渡った。
深夜佐渡汽船乗り場に到着。(ここまで来るのに関越道は大雪警報発令中。)新潟発朝6:00一番の便で両津港へ。所要時間2時間30分。軽トラック1台ドライバー1名の料金、往復割引で27,690円。



仕事はすぐ終わった。トキセンターの隣だったので、寄ってみたがあいにく臨時休園日だった。近くの田んぼを見ていたら土地の人がトキの巣がある方を教えてくれた。ほんの近くだったので行って、しばらく空を眺めていたら、軌跡が起こった。白にピンクがかった飛行する鳥。朱鷺が飛んでいった。残念ながら写真撮影は出来なかったが、間違いなく朱鷺であった。

トキセンター入口に止まる赤帽車


伊良湖岬
2013年12月5日。愛知県田原市までの仕事の帰り、伊良湖岬まで足をのばした。快晴の海は本当に気持ちが良かった。



新東名より見る富士山
2013年12月4日。豊川市御油まで行きました。帰路新東名から大きく富士山が良く見えたので写しました。新東名は開通以来何度も走っているのですが、富士山が見える明るい時間帯に走るのはめずらしく今日は良く晴れてもいたので楽しめました。東名からより新東名からの方が大分大きく近くで富士山を見ることができます。
上りは新清水JCT少し手前より富士山が見え始める。



石巻
2013年10月28日。石巻、女川に行きました。
再び石巻に行った。津波に流された住宅地はまだそのままで、尋ねる人々が献花したりお線香をあげる場所が整えられているのが余計痛々しい。復興はまだまだこれからの感じ。
向こうに見える工場は日本製紙の石巻工場。地震直後に全員避難したので亡くなった人はいなかったそうですが、たまたま休日を取っていた方で亡くなった人がいたという。手前の草ぼうぼうの空き地には住宅がびっしり立ち並んでいて、多くの方が犠牲になられた場所です。



道の反対側で海産物を売りながら団体で訪れる人たちに説明をしているおじさんがいる。その人の話では、地震後津波が襲うまでは充分時間が有ったのですぐに向こうに見えるちょっと小高い丘に避難した人は助かったという。 でも何かの理由で家に戻った人の中には亡くなってしまわれた人もいたという。本当にすぐそこの小高い場所が命が助かった人と亡くなった人を分けてしまったということでした。

女川
今回は女川まで行ってきました。震災後2年7ケ月余り過ぎてもまだ女川港には横倒しになったビルが二つありました。20年位前に女川原発に行ったときこの港を通って山の方へ行った記憶があります。あの時は随分活気のある漁港だと思ったのですが。



七十七銀行女川支店があった場所には花とお線香が今も供えられていました。七十七銀行女川支店の行員は支店の屋上に避難したものの、屋上を超える20メートル近くの巨大津波が襲い、12名が死亡・行方不明となった。ものの3分も歩けばもっと安全な高台があったのに、まさかあんな大きな津波が来るとは想定していなかったのでしょう、屋上に避難したが、ビルごと流されてしまいました。


女川「お魚いちば おかせい」
港を目の前にしておいしいお寿司や丼を食べられる「おかせい」というお店で特選女川丼を食べてみた。すごい量で私にはちょっと多すぎたが、とにかく新鮮でおいしい。

普通の女川丼でも十分堪能できる。

真ん中の若い人がおかせいの若社長。いろいろ苦労して再開したということです。

このお店には地元の人はもちろんの事、各地からいろんなお客さんが訪れるとのこと。この日も歌手の八神純子さんが食べに来ていました。左が八神さん

埼玉県吉見町行き
2013年5月8日。いつもそばを通り過ぎるだけで気になっていた吉見百穴に寄ってみました。古墳時代の人の見た景色を思いながら穴の中にも入ってみました。







下田駅前行き
2013年4月20日。よく行く下田駅前までの帰り道、白浜の「ホテル伊豆急」の辺りから見る下田の海。この日は曇り時々雨。多少どんよりしているが、いつみても伊豆の海は美しい。

向こうに見える白い建物は「ホテル伊豆急」。42年前21歳の夏、友達4人と来たことがある。あの頃は赤帽もなかったしコンビニもなかった。

夕映えの富士山
2013年11月21日。


少年野球
2013年4月18日。千葉市花見川区の東大グランドで少年野球の練習を見ました。



親も大変

関門橋
2013年4月6日。福岡県博多港まで行きました。関門橋を赤帽車で初めて渡りました(乗用車では過去何回も渡っていたのですが)。行きも帰りも雨が吹き付けていました。

向こうが九州門司。

帰路。古賀SA。ここで一休み、ちょっと仮眠しました。

再び走り出す。九州から本州へ。向こうが下関。また雨が降ってきた。


岩手県八幡平市行き
2012年12月18日。岩手県八幡平市に行きました。納品の工場の近くから岩手山を写しました。

東北道下り盛岡IC辺りから左手にきれいな岩手山が見えだしてきます。納品した先の近所からもっときれいに良く見えたのでちょっと感動しました。


北陸富山市行き
2012年12月5日。富山県富山市婦中町に行きました。
帰路、有磯海SAで休憩。芭蕉の句碑がありました。「早稲(わせ)の香や分け入る右は有磯海」(奥の細道)元禄二年(1689)7月14日作。加賀の国に入った時に作った句。早稲の香りただよう稲穂の道を分け入る様に進んでいく。かなたに初秋の海がきらきらと輝いて見える。

妙高SAからみた妙高山。

錦帯橋
2012年11月22日。広島県大竹市まで行った帰り岩国の錦帯橋まで足をのばしました。





吉川英治の小説「宮本武蔵」ではライバルの佐々木小次郎は岩国の 生まれで、錦帯橋一帯の柳とつばめを相手に独りで工夫し、「つばめ返し」の術を 編み出したとされています。小次郎のゆかりの地錦帯橋の際に、「巌流ゆかりの柳」があります。

京都・大阪・宝塚行き
2013年1月4日。お正月の商材関係不足分を京都駅、大阪梅田駅、宝塚駅のデパートに午前中配達という厳しい仕事。京都では9時半、隣の売り場の人に依頼。梅田駅は店内に入るのが一苦労なので、売り場の人に路上まで来てもらい、何とか宝塚に午前中に間に合ったのはホッとした。 途中京都で東寺(教王護国寺)の前を通ったので写す。


岐阜県中津川市行き
2012年12月20日。岐阜県中津川市まで行きました。途中中央自動車道から見える八ヶ岳を八ヶ岳PAから写しました。


中津川ICを出ると高い山が見えた。恵那山(2,191m)なのか御嶽山(3,067m)なのか今でもわかりません。写真に写せませんでした。今度行ったときはぜひ撮りたいと思います。 帰路神坂(みさか)PAでそばを食べる。美味しい蕎麦でした。2008年7月18日に「馬籠と湯舟の里」(スナックコーナー・ショッピングコーナー)が開店。

群馬県みなかみ町行き
2012年10月22日。みなかみ町まで納品の帰り、地元の人たちがよく入りに来る「山のいで湯」に行ってみました。結構他県のナンバーの乗用車も来ていました。なかなかいい湯で癒されました。 あまり他の人には言わないでと言われました。


越後湯沢行き
2012年9月6日。越後湯沢駅近くのホテルまでの納品。「トンネルを抜けると雪国だった」川端康成の小説「雪国」が思い起こされる現在の越後湯沢の駅。

帰路関越道を走っていたら夕焼けがあまりにすごいので土樽PAに止まり写す。越後湯沢の夕焼け。

夕焼けの中の赤帽車を写したかった。

夕焼け空はあっという間に暮れた。夕闇に包まれた関越トンネルに大型トラックが呑み込まれていく。約11kmのトンネルである。

伊豆下田行き
2012年8月3日。下田駅前まで行った帰りの下田近くの伊豆の海。真っ青な海がいい。

多分地元の小学生たちの入江内の遠泳が見える。今でも海辺の町ではこんなことしているんだなあとしばし眺めていた。

石巻行き
2012年7月27日。仙台市内の仕事の帰り石巻まで足をのばしました。
石巻市立門脇小学校。震災時津波と火災の被害を受けた校舎が廃墟のまま残っていました。









2011年大みそか紅白歌合戦で長渕 剛が歌った校庭の周りには向日葵が咲いていた。

まだあちこちに瓦礫の山や車の残骸が積まれていた。


湖西市新居関所跡
2012年7月4日。湖西市まで行きました。帰路、国指定の特別史跡、新居関所跡に寄ってみました。
1600年(慶長5年)徳川家康により創設され、1854年(嘉永7年)の地震で倒壊した後、1858年(安政5年)までに再建されたもの。日本で唯一現存する関所建物。


すぐ後ろを東海道新幹線が走っている。ローカル線も走っていて、江戸時代の関所とローカル線の鉄道と最新の新幹線が重なると面白い絵になる。

法隆寺・中宮寺
2011年9月12日。奈良市まで行きました。仕事の帰り、法隆寺に行ってみました。雲一つない快晴の下で一日過ごしました。

夢殿

中宮寺は尼寺。半跏思惟像の前に座ると時の流れが止まる。


伊賀芭蕉公園句碑
奈良の帰り道、名阪国道の途中伊賀で寄り道。芭蕉生誕地近くの芭蕉公園という処へ寄りました。
芭蕉句碑「蕎麦(そば)はまだ花でもてなす山路かな」(続猿蓑)元禄七年(1694)9月3日夜の作。伊勢の国から支孝が斗従を誘って伊賀上野赤坂の兄半左エ門の家(芭蕉生家)にいた芭蕉を訪ねた時、 新そばはまだできていないのでそばの花でもてなそうと詠った句。この句碑のある公園の周囲は正に伊賀の山路という感じ。

鎌倉鶴ケ丘八幡宮七五三風景
2011年11月13日。通りかかった鎌倉鶴ケ丘八幡宮で、七五三をお祝いする、幸せそうな家族を撮ることができました。

下関から関門橋を望む
2011年10月3日。山口国体関係の仕事で下関に行きました。
納品終了後すぐ近くの岸壁から関門橋を写してみました。


八ヶ岳山麓原村の雪景色
2011年2月21日。茅野市玉川まで行きました。帰路近くの原村の雪景色がきれいだったので写しました。

伊豆弓ヶ浜の海岸
2010年3月30日。南伊豆町までの引越しの帰りに近くの弓ヶ浜海岸に行ってみました。きれいな砂浜で夏は海水浴でにぎわう処です。遠くにかすんでいる島影は、伊豆七島の何という島でしょうか?

365日24時間!庶民のための庶民による運送
