悟り by 無学求道

        分かりやすそうで、分かりにくい言葉『悟り』
                    

        私は今回の坐禅の行では20022月にサトリに入り、
       20051月に悟りきることでやっと悟りました。

         少しややっこしい言い方になりましたが、理由があります。
       サトリに入れば悟ったといっても良いのですが、坐禅をする
       人たちの間では悟りきれていないで、サトリにとらわれている
       ような間は悟り臭がすると批判されたりします。
        悟りきると悟り臭がなくなり、一人前の悟った人になれます。
       私は悟りに入って3年後の20051月に、やっと『悟った』と
       宣言しました。


       悟った人として『サトレば人生が楽しくなる』という
      ホームページを書いていますが、そこでは『サトリ』という
      『文字』を使っています。

       その理由は『悟り』という言葉が人々によく知られ、よく使われて
      いるために、現在の日本では仏教で使われる本来の意味とかけ離れた
      意味に理解されかねないからです。

       仏教では悟りは大変重要な言葉です。

       悟りを開いた人、つまり悟った人はブッダとよばれ仏であると
      されます。
       (悟りを開くことを成仏とか即身成仏という場合もあります)

       ついでに言わせていただくと、仏教というのは『仏が仏を生み出し
      育てる宗教だ』ということです。



       現在日本では悟りという言葉を、物事がよく分かったというときや
      仕事などのこつが分かったなどというときに使います。

       今までとちがって、新しい考え方や新しい方法を会得したときにも
      使われます。

       そのために仏教本来の『悟り』を思い違いすると言うことが起こって
      います。

       悟りの字が哲学の哲に似ているためか、考えることや知識に近い意味
      に捉えられ勝ちです。

       坐禅を志す人でさえ悟りを考え方の変化のみだと思いこんでいる節
      さえあるのです。



       坐禅で悟りを体験するとよく分かるのですが、考え方の変化の根本で
      ある頭の働きそのものが、急に、大きく変わります。

       その大きな変化を『悟りとは何か』に詳しく書いています。



       昔の悟られた人たちは『悟りは言うにいわれぬ』という言葉を残されて
      います。

       私が知っている現在の医学的な言葉、心理学的な言葉を使った『サトリ』
      が皆様が使っている『悟り』とはかけ離れてることを理解していただければ
      幸いです。

       『サトリ』について、よく分かったというほど悟っていただくには、坐禅や
      簡単な方法でサトリを体験しただくほかにない事を申し添え、あなたが坐禅に
      挑戦されることを期待したいと思います。

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