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著者紹介

        (単行本の出版に挑戦中です。これは出版社に送ったものと同じ物で
        す。著者を理解していただくのに役立てば幸いです。)
         
         私は無学求道です。(坐禅ネーム)
         無学が意味するのは、坐禅をするのには、難しいといわれる禅に関
        する知識は要らないということです。
         そして信仰も必要ありません。
         仏教や禅についてほとんど何も知らない無学のままでサトリを求め
        求道としての坐禅ができます。
         坐禅は「ばかになる練習だ」とも言われるほどです。
         そのため坐禅の実践には頭を使って知的に理解しようとすることが
        邪魔になる場合があるとも言えます。
         
         また坐禅でのサトリの完成の後で、坐禅を人に伝えようと考え始めた
        とき、自分の無学さに気づきます。
         しかし「人のために役立ちたい」という求道心さえ強ければ、熱心な
        勉強で知識は増やせます。
         そのようにして能力の向上を心掛け、勉強しながら、「世のため人の
        ための行いをして」 求道者としての道を、歩くしかありません。
         
         実際のところは、私はそれほど大層には考えていません。
         たゆまぬ向上を心掛けてはいるものの、マイペースを守っています。
         これから命ある限り続けなければならないのが、私の宿命のようです。
         息切れすることなく、長続きできることが、まず第一だと考えています。

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             サトリと悟り(サトリは悟りを含む)
         
         私はこの小文でサトリという言葉を使います。これは昔から言われる
        「悟り」のときの心身の状態を指しています。したがって知的な作用
        と考えられている悟りはサトリの一面です。
         近代医学の発達により脳内覚醒剤や脳内麻薬があることが分かってき
        ました。このお陰でサトリの状態の説明がしやすくなりました。
         坐禅などの修行の結果として、それらが長期間にわたり一日中普段よ
        り多い目になるために、特殊な、心身の絶好調の状態を引き起こします。
        それをサトリということにします。サトリを現代感覚で捉え、説明す
        るためです。(新しい考え方には、新しい言葉が必要です。)
         サトリは頭脳の面では鋭い感覚、回転のよい頭、粘り根性、プラス思
        考、幸福感、感謝の心、忍耐心、悩むことがなくなる、ほか多くの効果
        を含んでいます。
         この素晴らしい頭脳の働きで、四苦(生きる、老いる、病気になる、
        死ぬ)の悩みを解決されたお釈迦さんが「悟り」だと宣言されました。
         また悟りで得る心が般若心です。この心を不思議な広く大きな心と言
        うお経にしたのが般若心経です。最もポピュラーなお経です。
         私からすると、「悟り」は宗教的ともいえる心にかたより、小さく限
        定されているように思います。サトリはもっと大きく広いものです。

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             突然、訪れた3回目のサトリ
         
         なぜ、今、何の行もしていない、こんなときに。
         そんな驚きとともに、2002年2月私にとって3回目の小悟を迎え
        ることになりました。(注 行はサトリを求めてする修行のことです。)
         仏教的な行を全くしていなかったのですが、小悟の前兆である症状が
        現れました。前の2回と同じ症状です。
        (前兆 金属音が聞こえると、まぶたの端に細い金色の光が見える症状)
         
         2回目のときも「あっ、またこれが来た」と驚きましたが、今回はさら
        に輪をかけて驚きました。
         このときなぜ小悟が来たのか分からずに、不思議な感じがしましたが、
        これが自分に与えられた、特別な運命だと感じました。
         そして、その後坐禅を再開して行を続けながらよく考えました。
         随分たって、やっとサトリが始まった原因が分かったのです。
         
              それはウォーキングの効果だったのです。
         1998年12月からウォーキングを始めていました。それには気分
        転換やストレスの解消、幸福感(いつも幸福な気分でいられること)を生
        み出す等の効果があるのに気づいていましたが、小悟が訪れたときは大
        変な驚きでした。
         それまでの2回のサトリはマイナス思考になりがちな性格をなんと
        かしようという個人的な必要に迫られ、坐禅や唱題行をしたときに、そ
        れぞれの行で神秘体験をしましたが、今回は本当に驚きました。
         サトリを求める行は何もしていなかったから。
        p65
         「ほんまに、びっくりしたなぁ、もう」それが実感でした。
         その点でウォーキングや山歩きのサトリへの効果を伝えるのも大事な
        仕事だと考えています。
         
             サトリきり、人のために役立てよう
         サトリの前兆に気づいたとき、その時はまだはっきりとは分からなかっ
        たのですが、短期間でサトレる自分の使命を感じ取ったのです。
         
             あわてて坐禅を再開しました
         サトリに成功できるのか、少し不安がありました。
         まず自分の年齢のことが気になりました。過去2回の行は若さで押し
        切ったという実感があり、行には体力がいると感じていたからです。
         もう一つの理由は前の行はやむにやまれぬ事情があってしたのですが、
        今回はウォーキングのお陰で幸福感が身につき、心はいつも前向きでプ
        ラス思考が十分できていたので、前の2回ほど行に対してむきだしの闘
        志と言えるほどの強い情熱を引き出して、それを維持し続けることが、
        できるかどうか、不安があったからです。
         
         それでも、10年以上の行のキャリアーのお陰で手元に一冊の坐禅の
        本もなしに、すんなり坐禅に入れました。
         そして、やっとの思いで11日目に小悟(宇宙との一体感)を得るこ
        とができました。

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         小悟から後は坐禅を伝えるための知識を得るために、本を読み、よい
        本や文章を探しながら勉強しました。
         その読書により行を進めるエネルギーをもらうこともでき、意欲的に
        行を進めることができました。
         
              新約聖書を読み始める
         
        サトリのときの広く大きな心を人に伝えるためには適当な言葉が必要
        です、
         なかなか難しいので、新約聖書を買って、言葉を探し始めました。
         私もそうですが、現在の日本人は、仏教のお経についてはほとんど知
        らないと思います。それでもキリスト教の「なんじの敵を愛しなさい>」
        等の言葉はだれでも知っています。そのような意味で新約聖書で適当な
        言葉を探そうと決めたのです。
         
             え、私が選ばれた人なの?
         小悟の後一月もたたない2002年3月会社の出張で宇都宮の方へ行
        くことがありました。
         帰りの東京から大阪までは、新幹線を使うことになりました。東京駅
        での発車待ちの時間に窓際のシートに坐り、その時までに半分くらいは
        読み進んでいた聖書を、よい言葉を探すように読んでいました。

        p67
         このとき奇跡的な出会いが訪れました。神様に出会ったのです。
         
         「ここに坐らせてもらってもいいですか。」と女の声がしました。
         顔をあげると、50才代かと思われる、制服に身を包んだシスターで
        した。私は「どうぞ」と言いながら、聖書をお見せしました。
         彼女は驚いた表情をしながら‘「新共同約ですね、私たちも使ってい
        ます。」と言いながら腰を下ろされました。
         しばらく話をして、私は失礼にも「あなたの敵を愛することができま
        すか。」とお聞きしました。
         彼女は正直な人でした。「できません。」と答えてくれました。
         そこで、そのころ他の人にも、そう言っていたように「今の私にはで
        きます。」とお伝えしました。そしてサトリの中にいることを話しまし
        た。
          (注 小悟のときは境地が浅いながらも最も幸福感も強く、最も利
             他的、愛他的であるといえます。)
         「今の不思議な心はサトリのお陰です。坐禅が生み出す奇跡です。」
        ともお話しして、行の効果の不思議さ、すばらしさを説明するように話し
        続けました。
         それに対して彼女は「本当に、そういうことがあるんですね。私たち
        も一日一時間半の祈りを義務付けられています。私は帰ってから、もう
        一度考え直したいと思います。」と言ってくれました。


        p68 それから彼女が降りた名古屋までの2時間あまり、聖書について、愛
        と慈悲について、サトリについて、ほとんどの人間は弱いものだという
        こと、弱い人間のために役立つには、等いろいろ話し合いました。
         彼女は名古屋が近づいたとき言いました。「あなたは既に神の家に住
        んでいられます。大変珍しいことです。あなたが選ばれた人だというこ
        とです。」と。
         彼女が2時間あまりの話しで私を鑑定した結論のように言いました。
         
        「いろいろ反対や、批判などあると思いますが。意思を強く持って、人
        々のために頑張ってください。」と言ってくれました。
         この忠告を大切にして生きて行きたいと思っています。
         
             シスターがくれた宿題

         この二人の長い話しの中で彼女は「私たちがよく読み、大切にしている
        言葉は、パウロのコリント信徒への手紙・13章・愛についてです。すば
        らしい愛の賛歌です。」と私がまだ読んでいないところに書いてある、
        その大切な言葉を教えてくれました。
         さっそく、その場で読んでみましたが、なかなか読み進めません。
         「言葉は分かりやすいのですが、難しいのです。」と言いながら、気
        を取り直しては何度も挑戦しましたが、やはりだめでした。
         私は自分の心境と比べながら読むようです。ただ字を読むだけという
        訳には行かないのです。
         ついに諦めました。「やはり難しくて読み進めません。」素直にパウロ
        の心境に完敗したことを告げました。

        p69
         すると彼女は優しくも「それを目標に坐禅をされたらいかがですか。」
        と言ってくれました。
         坐禅というのは、言葉を考えながらするものでもなく、目標と言われ
        てもと思いましたが、坐禅を頑張るしかないと心に刻み込みました。
         彼女はほほ笑みながら大変な宿題をくれたのです。
         
         彼女との奇跡的な出会いは私にとって、キリストやパウロに出会った
        ほどの効果がありました。
         彼女を通して、彼らに励まされたのかもしれません。
         弱い人々を思う心には国の違いも、宗教の違いも、信仰心のあるなし
        も全く関係ありません。
         
         キリストや彼の熱心な信者に「ぜひ頑張ってください。」と励まされ
        たのです。今もそう思っています。
         お互いの今後の努力を約束しあって、握手をしました。車外に出られ
        てからは窓の外を通り過ぎるときに’お互いに手を振って別れのあいさ
        つをしました。
         手を振って、おじぎをして、ほほ笑みながら神様は去って行きました。

        p70
         天台宗のお寺の住職に神秘体験を、お話ししたら
         
         今回の小悟の後の読書で29年前に見たあのすばらしい光を見る体験
        のことを「明けの明星を見る」神秘体験というのだと知りました。
         それまで、その神秘体験の名前さえ知らなかったのです。
         その後、近くの天台宗の住職にお会いして、今回も見るであろう29
        年前の「明けの明星を見る」神秘体験についてお話ししました。
         住職は私の説明を、じっと聞いてくれた後で「そうです。おっしゃる
        とおりです。」と言ってくれました。
         その言葉をお聞きした私の方が驚きました。今まで何人かの僧侶にお
        話ししても、神秘体験に関する知識がなくて、全く話が通じなかったの
        に、体験の説明を理解してもらえたことが不思議でした。
         「真言宗では弘法大師が、天台宗比叡山では18世慈恵が体験されて
        います。私が知っているのは、密教ではこのお二人です。」と教えてく
        れました。
         
          それでは、私も歴史上の人物と比べられるほどの人間なのか
         
         私は残念ながら違うのではないかと思っています。
         私の生まれもった貧弱な素質は、彼らに比べるべくもなく、またこの
        年までの社会人としての経験も何ら取り立てて価値のないものです。
         すべて彼らと比較にならないものです。

        p71
         ともかく本などには、ほとんど書かれていない、私の「明けの明星を
        見る」神秘体験の説明に住職の理解と同意を得たことで、自分の神秘体
        験の正しさを確信できました。
         そして何より行についての話し相手を得たことをうれしく思いました。
         
         その後度々お伺いさせていただき、話しをさせていただいています。
         随分励みになっています。行を支えてくれている大切なお一人です。
         
             坐禅で悟りを開いた人って、こんなに少ないの?
         
         正しい坐禅を人に伝えるための知識を増やす目的で、また行を進める
        エネルギーをもらうために、そして悟りについて話し合えるサトリを得
        た仲間を探すために、図書館でたくさん本を借りて読みました。
         やっと昭和の悟った人を4人見つけることができましたが、和歌山市
        民図書館、県民図書館の本では、他の人を見つけることができませんで
        した。
         もちろん悟った人すべてが本を書くとは限りません。
         専門道場で悟られた人は、伝統的な正しい指導で悟れたのだから、あ
        えて自分が付け加えることは、なにもないと思われているのかもしれな
        いからです。
         私の場合小悟がくるのが分かったときに、専門家の手を借りる事なく
        悟れる坐禅の方法を伝えるために、本を書くことを決めました。
         そして自分の坐禅に確信を得たときには、その坐禅を人に伝えたくな
        るものだと思います。
         人に伝えること、それが悟った者の使命でもあると考えています。
        (悟った人の心のうちから涌き出る使命感=天命です)

        p72 
             初めての大悟の体験
         
         坐禅を再開したときに、心配したことがウソのように、今回も前回同
        様、本を読み、情熱をかきたて、「明けの明星を見る」神秘体験へと驀
        進するように行を進めることができました。
         シスターに言ってもらったことや、必要なときに天台宗の住職とお会
        いできたことが、大いに行を支えてくれました。
         大きな使命感を呼び起こすことができ、強い意欲をよびおこせたから
        です。
         ついに2002年10月13日。待ちに待った大悟「心身脱落(解脱)
        の神秘体験」ができました。
         大悟は今回、初めて体験できました。初めて坐禅の行を完成できまし
        た。坐禅の再開以来わずか8ヶ月での行の完成です。
        (注 行を続け、後で分かったのですがこれも通過点に過ぎません。)
         
            「心身脱落」の神秘体験とは
         解脱と同じことですが、心身脱落の方が神秘体験のとき感じる感覚に 
        ぴったりの表現だと私は思います。
         私にはサトリを証明してくれる師匠はありませんが、常にそばに置
        いていた先に上げた昭和の悟った人たちの本を読んだりして、神秘体験
        だけではなく、自分の心境、境地を確かめることで確認しました。

        p73
         ≪ここまでサトリを神秘体験を中心に話を進めてきましたが、それぞ
        れの神秘体験はそれにふさわしい境地の大きな変化を実現するものです。
        禅宗では頓悟(とんご)といいます。
         一般的には心境の変化を「目からうろこが落ちる。」などと表現し
        て、悟ったなどと言いますが、本当のサトリはそんなに簡単にえられ
        るものでもなく、また小さな心境の変化でもありません。
         私は宗教的な大きな心境の変化があっても、神秘体験を伴わない場
        合は悟ったなどと、まぎらわしい表現をしてもらいたくないと考えて
        います。ほんとうにサトリを体験した者としての意見です。
         「サトリは神秘体験と心身の絶好調な状態です。」≫
         
         
            あのパウロに並んだぞ。 選ばれた人の仲間入り?
         
         そんなあるときシスターに戴いた宿題を思い出しました。
         もう一度、あのパウロの手紙を読んでみようと考えました。
         しかしまだ早いかもしれないと、少し気後れするところもありました
        が、その時の境地を確かめるために、読んでみることにしました。
         驚いたことに、今度は、すんなりと読めるではありませんか。
         7ヶ月前には何度挑戦してもはじき返されるようにして、なかなか読
        み進めなかったのに。この短期間の坐禅で心が練れたのか、あるいは大
        悟の効果なのか。
         私は大悟の効果に違いないと考えています。大悟により発生した脳内
        覚醒剤や麻薬によると考えています。
         
         ともかくパウロに並んだことにしました。

        p74
         13章・愛では「・・愛は忍耐強い、愛は情け深い、ねたまない、愛
        は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだ
        たず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、
        すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。・・」と本当の愛の偉
        大さを言い表しています。

        私がパウロほどの活躍ができるかどうかは、今後の精進にかかってい
        ます。
         私は彼より恵まれた時代に生きています。
         この現在の情報の収集と発信のしやすい恵まれた環境を十分生かし切
        ることができれば、大きな働きをすることが可能だとも考えています。
         身の程知らずの大変厚かましい考えではありますが、彼も人間です。
         私も大悟という味方を身につけた人間です。
         頑張ります。シスターとお約束したように。
         
         坐禅の神秘体験と同じように「光を見る」臨死体験をした人達がそろっ
        て言うように、「全人類に奉仕するために」。私も頑張ります。
         神から悟りを戴くとともに、私にしかできない仕事が与えられました。
        大悟によって、やっと選ばれた人の仲間入りがでたかもしれません。