K-PRESSより
童謡コンクール入賞記事(読売新聞)

ギターをポイントしてーん

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     ★プロローグ★  高田文豪と紅小町 出会いについて〔1989年5月〕
高田文豪は自らのバンド【高田文豪とBunBun狂和国】を率いてライヴ活動を、する傍ら、自主制作映画のサークル【EightyParty】に所属して音楽担当をしていた。ある日この【EightyParty】が映画の『主題歌女性シンガー』を募集してオーディションを開催したところ、その中に紅小町ユカ(無論本名ではない)が応募してきていた。この時、女性シンガーに選ばれたのは他の女の子だったが、高田文豪の不純な誘いにより、紅小町ユカは高田文豪の音楽製作の助手を務める事と、あいなったのであーる。これが、まず出会いね!  以下、【高田文豪と紅小町】の結成から現在に至るまでを年表に、まとめてみまちたーん〜よ!

 高田文豪と紅小町の歴史年表

1989年8月6日
ハッピープラザLiveIn高塔山

【高田文豪とBunBun狂和国】のライヴに紅小町ユカ初参加
【高田文豪とBunBun狂和国】で出演予定だったこの日のライヴにベーシストの国分寺ホフマンが出演出来なくなったため急きょ紅小町ユカが、その穴埋めにバンドに参加する事に‥この時の練習期間は、わずか半月足らずであった。
この日の【高田文豪とBunBun狂和国】のメンバー
    高田文豪〔アコーデオン・ヴォーカル〕
    紅小町ユカ〔シンセ・ベース・ヴォーカル〕
    大山 道之進〔ドラムス〕
1989年8月19日
門司港 港まつり本舞台[夜の部
1989年8月20日
門司港 港まつり本舞台[昼の部]
【高田文豪と紅小町】結成
港まつりのライヴでは、ドラムスの大山 道之進が出演しなかった為、急きょドラムマシンにすべて打ち込みライヴを‥【高田文豪と紅小町】の原型が、ここで出来上がるのであるが、この時出演者のクレジットは『高田文豪のおちゃらけミュージカル』であった。(我々はユニットである。名前は、まだ、ない)
1989年9月15日
J.J.TICでライヴ
1989年9月29日
J.J.TICでライヴ

【高田文豪と紅小町】のユニット名で出演
J.J.TICでのライヴで初めて【高田文豪と紅小町】のユニット名をつける。利口者の高田文豪は、すでに『紅小町ユカ』と言う芸名だけは考えていた。この時期のライヴは、『10円オペラっショー』と銘うったライヴ全編がひとつのストーリー性をもったものを、やっていた。
1990年3月25日 J.J.TIC LIVE
1990年5月13日
J.J.TICでライヴ
【高田文豪とBunBun狂和国】で出演
『おちゃらか夢の宝船』と銘うったロックバンド形式のライヴ、この時期、期間限定で行われた。
この日の【高田文豪とBunBun狂和国】のメンバー
     国分寺ホフマン(ベースギター・ヴォーカル)J.J.TICでのライヴ
     紅小町ユカ(キーボード・ヴォーカル)
     高田文豪(リードギター・ヴォーカル)
1990年5月27日
門司港 港まつり 駅前ステージ(2ステージ)
門司港 港まつり本舞台
この日の一日で3ステージに及ぶキョーレツなライヴは【高田文豪とBunBun狂和国】(2ステージ)【高田文豪と紅小町】(1ステージ)という内容でして‥ハイ…駅前ステージから本舞台への移動は門司港駅のリヤカーを借りて楽器を積み込んで走ったのでした。
1990年12月9日
黒崎プリンスホテル 三菱自動車イベント(2ステージ)
この日のライヴは、野外の小雨降る中で、猿回しの芸人とブッキング!
1991年2月17日
J.J.TIC LIVEフェスタVol.1
この時期から『10円オペラっショー』全編はせず、次回作の『万華夫人の亡霊』の中に取り入れる曲を何曲か試験的に演奏(生ギターを使ってボサノヴァやスパニッシュ風等など)
1991年5月26日
門司港 港まつり本舞台
またまたライヴの後半から雨が降り出して、オーディエンスの皆々様、雨宿りに大移動する中、演奏していました。
1991年7月28日
LIVE『万華夫人の亡霊』In NAIMA
【高田文豪と紅小町】With【万華鏡】で公演
当時『10円オペラっショー』の次作として《ホラーコミックミュージカルもどき》を考えていた高田文豪はタイトルを『なすび夫人の亡霊』に、するつもりだったが【万華鏡】とのコラボレーションを予定していたので【万華鏡】のイメージを高田文豪流音楽で料理しようとタイトルを【万華夫人の亡霊】として45分に及ぶ作品に仕上げたのであった。
1991年7月30日
LIVE『万華夫人の亡霊』In GHANOS
With【万華鏡】で公演
NAIMAと同じく【万華鏡】の樹里氏とのライヴで、この日は突然お店の中で飲んでいる、お客様にビラを配っての予告なきライヴ!異様な熱狂ぶりでした。
1991年8月23日
King’s Market In グリーンビレッヂ(福岡)
高田文豪と紅小町】単独で『万華夫人の亡霊』全編を演奏したライヴ、MCほとんど無しのドラマティックな45分なのだよ。
1991年8月25日
下関馬関まつり(2ステージ)
一般の露店に友人たちが出店していたので景気づけにライヴを。『万華夫人の亡霊』の中から6曲程度をセレクトして昼夜、2ステージ(とは言っても、あき木箱で作った舞台の上で…)演奏しました。以外にも見物人が、とりまいてくれて、ちょっとウレシー混雑ぶりでしたよ。
1991年8月27日
施設“フレンド社”慰問LIVE
“サマーコンサート”と名付けられた障害者施設でのライヴで、これまた『万華夫人の亡霊』全編を披露しました。他の出演は【モノマネキトー珍】【女子大生ダンス倶楽部】のファンキーダンス、そしてEightyPartyイメージシンガー、華美夜レンちゃんのライヴ(高田文豪が大半の曲を提供している。伴奏のカラオケテープも高田文豪の演奏によるもの)
1991年9月1日
黒崎デビューLive With【万華鏡】で公演
“ミステリアス・ケイトVS万華鏡”と銘打ったギグで万華鏡とミステリアス・ケイトそれぞれ2部構成になっていて万華鏡1部は【二つの声】の演奏で2部において『万華夫人の亡霊』全編を演奏。そして“人喰い鬼の詩”ではミステリアス・ケイトが全身タイツで“やまんば”を好演、思わずお調子者の高田文豪も踊ってバトルっちゃいましたよっ
1991年10月20日
下関 DREAMハートフェスタ出演
海峡夢広場での野外ステージでのライヴ・イベントで、かなり大勢のオーディエンスを前に演奏しました。
1992年1月15日
成人式ステージ In 門司文化ホール
まさか式典などで演奏するなどと思ってなかったのですが、それに因んだ曲などは、もちろん演らずコミックホラーの世界でした。他の出演は津軽三味線の藤永優輝氏と華美夜レンちゃんだす。
1992年7月5日
※【高田文豪と紅小町】結婚!
3年間の、お付き合いの末、結婚!披露宴でライヴ、BGMも、ほとんど高田文豪氏の素晴らしい音楽をつかいましたのよ。
1992年8月15日
黒崎マルケサス LIVE
納涼!?の意を込めて特別にコミックホラーライヴ
(いつもの!)
1992年11月2日
起業祭 LIVEWith【万華鏡】で公演
お祭り露天でのライヴを久々にWith【万華鏡】で。異様な熱気でしたです。アンコール曲は『大江戸破廉恥男』
1992年12月28日
西鉄グランドホテルで雑誌『ガリヤ』PartyLIVEWith【万華鏡】で公演
パーティのオープニングセレモニーとして広い場内を不気味に動き回る【万華鏡】!!あんまり、こっち来ないでェー
1993年7月2日
FM福岡『スーパーレディオクラッシュ』で第六位
なんでもテープベストテンと称するコーナーに『ミセスピンクの濡れた唇』のテープを送ったら最高位第六位になりました(三週間)。リクエストしてくだすった利口者のリスナーの方々どーも有難うございました。
1993年8月9日
KBCドォーモ『駅からはじまるオーディション』第二次審査 In『 照和』
この時期はライヴ産休中でしたので、妊娠中の紅小町ユカさんは体をいたわる為オーディションの順番を一番にしてもらいまいた。この時の演奏曲は『便所の100ワット』
1994年3月某日
オムニバスCD『だいこうかい』
完成記念パーティー
オムニバスCD『だいこうかい』に参加しました。レコーディングした曲は『媚薬のワルツ』
1994年3月30日
※【高田文豪と紅小町】に女児誕生!
名前は、音那(ねな)と名付けました。親が音楽をやってるからといって、その様な名前‥と、お思いのご父兄の方も、おらっしゃると思いますが…全くその通りでございまして‥しかしながら、この名前“ねな”と読んでくれる人は少なくて“おとな”ちゃん!?などと呼ばれます。“こども”なのに…
1994年8月6日
フォークビレッヂ LIVE
子供も無事授かり、そろそろライヴでも‥って頃にオープンしたフォークビレッヂ。とってもアットホームなお店で、ラフに(いつものコスチュームなしで!)プレイしました。
1994年8月11日
KBCドォーモ取材に来る
ある日突然KBCから電話ありましてTVの取材をしたいってんで喜んで、お受けしました。スタッフの方たちとインタビューは、荒木 美穂さんが、やってくれました。TVで見るよりも色白で、垢抜けた人だナァー…うん
1994年8月17日
KBCドォーモ出演オンエア
私どもの、おうちで生演奏しました『媚薬のワルツ』とインタビューがTVで流れました。カメラの前で、あれやらこれやら喋ったども、ほとんどカットされちょりましたですたい。でも、ありがてえこってす。
1994年11月19日
フォークビレッヂ
スペシャルコンサート
いくつかバンドや弾き語りの方々の出演の中に加えてもらいました。高田文豪と紅小町】を紹介される時に「ウチでは初めて電子楽器を使うバンドです」と言われたのが印象的でした。この時のライヴから『エドエディーズ・ハレハレ・ラグタイムバンド』と『ガラスの指輪』をレパートリーに加えたのら。
1994年12月17日
某病院慰問 X`マスPartyLIVE
この日のライヴでは院長先生の、お知り合いの方がドラムで参加して下さいました。ライヴの後半から飛び入りなさいましたので、その場その場で打ち合わせしながら「では次の曲は二拍子で…」ってな調子で‥たのしかったっす。
1994年12月17日
PAM X`マス コンサート
in スミックスホール
PAM主催のX`マス コンサートで、紅小町ユカさんは、純白のドレスというイデタチで、高田文豪は、いつものイッチョウラ
1995年2月10日
春一番コンサート
in スミックスホール
フォークビレッヂ主催のレギュラー陣総出演のコンサートで若手からベテランまで多彩な顔ぶれでおこなわれた。出演は【アーデルハイド】に、歌う果物屋さん【山形公規】【田村孝之】ら。
1995年3月21日
ミステリアス・ケイト『スチャラカ・ワンマンショー』
高田文豪がライヴを始めた頃よりのお知り合いのミステリアスさんの10周年記念ショーにゲスト出演しました。
この日、紅小町さんは真っ赤なドレスというイデタチで高田文豪はいつものイッチョラ
1996年2月18日
※【高田文豪と紅小町】に男児誕生!
名前は弥夢(みゆ)くん、音楽の神様ミューにあやかって名付けました。予定日より早く産まれ、占星術で言うところの大地のサイン(文豪)、水のサイン(紅小町)、火のサイン(音那)、風のサイン(弥夢)の四大要素がそろい無敵の家族誕生!!これでビンゴ!!
1996年9月22日
福岡警固公園イベントLIVE
警固公園に、おいてフリーマーケット会場での野外ライヴで二歳になる娘、音那が、まだ小さいので演奏中そばを、ウロウロしててアタッチメントを蹴飛ばして突然、楽器の音色が変わるなんちゅうアクシデントもあるにはあった。うん
1996年11月3日
童謡コンクール表彰式
【第九回童謡まつりINあかいけ】で高田文豪・作の『かあさんと一番星』が優秀賞に…賞金や上野焼、ぽんかんまで頂き「文豪カンゲキ!」と言う感じでした。詳細はエピソードのコーナーにて。唄の試聴もできますねん。
1996年12月8日
第18回ドリームコンテスト
2次オーディション
高田文豪、この頃、足を捻挫してまして湿布した足をひきずりながらオーディション受けたとよ。
1997年1月11日
歯科医師会PartyLive
福岡シーホーク
高田文豪この日風邪菌のためにお腹下痢ピー状態であった。シーホークへ向かう道中も何度もトイレへ駆け込む始末で、現場に到着してからもライヴの直前までハバカリへ…でライヴ終わると同時にハバカリへ…みなさんも風邪には気をつけましょう。この日初めて『かあさんと一番星』を生演奏しました。
1997年2月9日
第18回ドリームコンテスト
本選
エントリー曲『墓場のモモイロ魔女』で審査員特別賞を頂きまして【高田文豪と紅小町】名義の賞はこれが初めてだったので二人で大喜びでした。因みにこの日の出演の中でバンド名が漢字だったのはわたしたちだけ…どーでもよかですが
1997年2月13日
童謡コンクール新聞に載る
切り抜きを右側に記載していまっす
1997年4月26日
雑誌K-Pressに掲載
切り抜きを右側に記載していまっす
1997年5月3日
博多どんたく
KEGO-BEAT ON THE STREET出演
警固公園の特設ステージで行われた通称“警固天”に出演。後日このライヴはラヂオRKBでオンエアされまして私共のインタビューなども流れましたとよ。
1997年5月24日
フォークビレッジにてライヴ
『高田文豪と紅小町の
音楽百貨店』を行う
【高田文豪と紅小町】の集大成的ライヴで、あらゆるジャンルの音楽を詰め込んだと言った意味で『高田文豪と紅小町の音楽百貨店』というタイトルにしました。一部と二部に分けたこのライヴ、一部では今までライヴでやってなかったような曲、娘の音那や息子の弥夢に作ったインストゥルメンタルナンバー(『ちょこまか音那ちゃん』と『弥夢くんのブルース』)や紅小町ユカの休職中に習ったフルートをフューチャーした曲『ザイザイの海のおさかな』(この曲は高田文豪がともだちのサッカーマンの誕生日にプレゼントしたもの)二部では『万華夫人の亡霊』の中からのホラー編で構成しました。この日のライヴでは娘の音那(当時三歳)も参加してカスタネットなどたたきました。(この時の芸名【音那小町】)
1997年8月21日
施設“フレンド社”慰問LIVE
この日は、高田文豪が司会をしてのサマーコンサートで、自らのライヴに加えてともだちの【ピーピーズ】というバンド(名付け親は高田文豪)の演奏に高田文豪が一曲飛び入り参加、じつは、このバンドのレパートリーに高田文豪作の『ダバダバダScat In Rag』が、あったのれす。
1997年10月25日
上野焼祭り ライヴ
田川の上野焼の窯のそばに作られた特設ステージでのライヴでバンド【ハイリミッツ】の『つるぼー』くんも出演してました。娘の音那も参加予定でしたが、出演前に眠ってしまっちゃいましたよ。
1998年9月6日
イベント『おひさま定食』
アートやフリーマーケットなど高炉台公園においてのイベントで、ライヴでは竹を細工して作られたユニークなステージで演奏しました。娘の音那四歳もタンブリンで参加。この時のライヴショットはエピソードのコーナーに掲載しています。
1999年3月27日
【高田文豪】With【万華鏡】
『不思議な夜シリーズ』
     第一弾
And【高田文豪と紅小町】
      ライヴ
 In『バードマンハウス』
アルバム『うやまのもり』の中の『ミュアー博士の魔的な研究』という曲(11分以上もある大作)を万華鏡とのコラボレーションとして完成させたライヴ。演奏の方は高田文豪のみで『うやまのもり』で作った演奏テイクのヴォーカルとギターパートのみのトラックをぬいたテープを使ってヴォーカルとギターパートのみ生演奏という、えせバンドサウンドで行った。『ミュアー博士の魔的な研究』のヴァージョン1を最初に演奏し、間にやはり『うやまのもり』の中の『ネルマー湖の妖精』を高田文豪のギターと紅小町ユカのフルートによるインストゥルメンタルヴァージョンで、そして 『ミュアー博士の魔的な研究』のヴァージョン2をデジャヴの様に演奏するといった演目でござった。
また同日【高田文豪と紅小町】のミニライヴも披露。娘、音那と息子、弥夢(3歳)も参加
1999年12月26日
結婚披露宴でライヴ
宗像某所において友人の依頼により 結婚披露宴でライヴしました。娘、音那も参加して演奏しました。すごく素敵な控え室を用意して頂いてとても楽しく過ごしました。関係者の皆様ありがとうございました。
2000年8月20日
門司港レトロ
ベイサイドエモーション2
久かたぶりの野外ライヴでして、私共野外ライヴは大変好きで天候に左右されるなどという事もありますが、なんといっても無差別にいろんな人に自分たちをアッピールできるってんで、はりきっちゃいますなー
この日の写真はベイサイドエモーション2のホームページより御覧いただけます。ココをクリックしてくだせえ。
2001年3月24日
フォークヴィレッジにて
ライヴ
新装開店したフォークヴィレッジで『便所の100ワットライヴ』と題したライヴをやりました。この日の出演は、こちらもご夫婦のデュオの【ハードロックカフェ】(NHKの熱血オヤジバトルに出演された)と【アーデルハイド】のヨーゼフさんがソロでやりました。

2001年5月3日
JJ.TICにてライヴ
福岡は大宰府のログハウスで造られた、今は無き幻のライヴハウス山のふもとにあってとても気持ちよくライヴできました。ブッキングは津軽三味線の【藤永優希】氏
サイケデリック音楽室アルバム紹介
作詞コーナー紅小町のちょっとおしゃべりエピソード