7月31日(火)

47歳妻と携帯じゃないメールを。

この間の池田晶子の感想の話しから、
おれとしては口よりも文章の方が饒舌である事間違いないので、
改めてメールアドレスを教えてもらう。

正直。
肉筆で書きたいわ…

それくらい熱を込めて一通を書いているわけです。

これはきっと、わかって欲しいからだな。

そもそも。

何をわかって欲しいんだろうか。
何を求めてるんだろうか。

本当は違うのだ。
わかって欲しいのではなく、おれがわかりたいのだ。

実は昨日、夜中にメールが来た。この人から。
おれの部屋は携帯が圏外なので今日の朝気付いたんだけど(涙)

そこにはおれの知らなかった事が書いてあった。

今更書くまでもないけど、おれは間違いなく彼女のファンなのだ。
こんなキャラはそうそうおらんよ…
と思ってチラチラ見てきたのだ。

メールの内容は、
アイドルが実は背伸びしていた、
みたいなものだった。

わかりたいと思った。
もっとこのヒトを知りたいと。

おれは今まで自分の事を喋らなさ過ぎた。
自分の事をわかって欲しい、という気持ちが芽生えたのだ。

喋りたい事は幾らでもある。
もう、ホント、おばちゃんくらい喋っちゃうわ。

つか。
おばちゃんくらいて(涙)



7月30日(月)

多摩テックに一泊で行っていた。

なんでも、施設の中にロッジがあるらしく、
おまけに天然温泉まであるとのことなので、行ってきた。

昨日はまあ、日曜日だったからそれなりにヒトはいたけど、
それでも天気のせいか空いていた。
で、今日なんて平日だし雷と雨だし、ガラガラだったわ(苦笑)

ほんとにね、宿泊客だけで貸り切ってたと言い切っていいな、アレは。
午前中はすごい雨風で乗り物はなんにも動いてなかったけど。

なんかさ。

全部の乗り物が並ばないで乗れたんだけど、
気に入った乗り物なんかは終わったらまた乗る、
みたいな感じだったりするわけです。

それ以上の事はないんだけど、
なんか逆に有り難味がないっつうか…
そんな事言ったらキリないけど。

ロッジはチョー狭い2段ベッドの家なんだけど。
なんか、これが林間学校みたいな感じでちょっと面白い(苦笑)

アレね。
好きな子の話しとかしちゃいそうね(謎)

泊まって思ったんだけど。
人間て罪深いっつうか。

普段の生活ではどこ行ってもウォシュレットなので、
そうじゃないとすごい違和感(涙)

そんな生活になったのなんてここ何年の話しだっつうのに。

もうダメだわ…
一度知ったら戻れないわ(謎)



7月27日(金)

池田晶子にとどまらず、その他モロモロの言葉に
脳を犯され続けている日々だが(涙)

なんか。
言葉にアンテナがビンビン感じる。
いまのおれはチョー敏感だ。

アレだな。

たぶん、今見たら、
おれの脳みそはきっとサーモンピンクだな(謎)

しかも、つるっつるの(苦笑)

つか。
つるっつるて(涙)

ともかく。

 「私はまだ人生に何を期待できるか」
  から
 「人生は私に何を期待するか」
  への転換

だとか、

 「しる」事ではなく「わかる」事が大事だ

とか、あんまり引用ばかりなのもなんだけど、

 言葉なんてタダだし、誰でも使えるし、世の中は言葉だらけだし、
 なんでそんなものが価値なのだと、人は言うだろう。しかし、違う。
 言葉は交換価値なのではなくて、価値そのものなのだ。相対的な価値ではなくて、
 絶対的な価値なのだ。誰でも使えるタダのものだからこそ、言葉は人間の価値なのだ。
 安い言葉が安い人間を示すのは、誰もが直感している人の世の真実である。
 安い言葉は安い人間を示し、正しい言葉は正しい人間を示す。それなら、言葉とは、
 価値そのもの、その言葉を話すその人間の価値を、明々白々示すものではないか。

この最後の引用文。
池田晶子にはやられた…

何故もっと早くにこのヒトを知らなかったんだろう。
悔しいわ。

ちなみに。

池田晶子というヒトはインターネットを嫌悪していて、
そこで垂れ流される、安易な自己顕示欲による安い言葉
(ただ注目を浴びたいが為の)
を頗る嫌っていた。

だからこそ、覚悟を問うていたのだ。

まあ…
今日のところは聞かなかった振りをするわけだが。 ←おいおい



7月25日(水)

昨日から悩んだ挙句、
今日は休むことに。

昨日、会社の帰りに池田晶子の本を買い、
どうしても読みたかったので今日は休んだ。

まあ、仕事もそこそここなせてるし…
ユウマは学童だし。

で。

朝からネットカフェに行き、
5時間パックで読み始める。

行きつ戻りつしながら読んだせいか、思ったよりも頁が進まず、
4時間で1冊読み終わる。

やっと読んだわー
と思って携帯を見ると、
47歳妻に出した<休むよメール>の返事が。

メールを見ると、どうもユウマとどっか遊びに行くと思っている風だったので、
どうしようか考えた末にホントの事を。
何に関心がある、とか言う事は殆ど喋らないのでもしかしたら吃驚しているかもしれんよ…
と思ったら。

「今度感想を聞かせてください」
などと。

ベッドでな!
とは相変わらず言えず(涙) ←相変わらずて

で。
なんやかんやで5時間が経ち、今度は図書館へ。

そこで他の著作を一冊読む。

死ぬ事に対する恐怖感はない、
と書いていた人が死んでしまったのがなにか感慨深い。

結局。

考えろってことだ。

おれはいったいどうしたいのか。そもそも誰だ、おれって。
おれはこの肉体か。脳か。脳の中におれがいるのか。
それはアレか。ちっちゃいおれか。

やだ、ちょっと、そんな。

ちっちゃいおれはきっと可愛い…

どんだけ強引なんだ、今日のオチは(苦笑)



7月24日(火)

自分がやっていこうとしている事、
やりたいと思っている事にの整理がいまいちついていなかった。

それは、
<それでいいんだろうか?>
という思いがあって踏み込めないでいたからなんだけど。

今日。
ある出逢いがあった。

池田晶子という哲学者の書いた、
「『プロ』といえる人」という文章で、
あるブログに引用されてたものから更に引用なんだけど。

 〜〜〜以下引用〜〜

 その時、「プロ」なる言葉が、この世ではどのように使われているかを私は了解した。
つまり、その人がそれで食っているかどうか、たんにそれだけの
ことなのだと。
 しかし、世間の多くは、まさにそれが「プロ」の自負なのだと、肯定的に思っている。
自分はそれで食っているのだ、食っていくのだという覚悟、これを所有している者が、
プロフェッショナルなのだと、自他ともに称賛しているのである。
 しかし、「それで食う」ということにプロの覚悟があるのであれば、
それで食えなくなれば、その覚悟はどうなるか。
 当然、それで食うために、食えるような工夫をするだろう。売れるように策を練るだろう。
本当にしたいことではないが、売れなければ食えないから、売れるように世間に受けるような仕事を
フラフラとするようになるだろう。それなら、どうしてそんなものが覚悟なものか。
「食う」ということと、「覚悟」ということは、実は完全に無関係なのである。
いや逆に、食うことを無関係とするところにこそ、本来の覚悟はあるのである。
食える食えない関係ない、生きるか死ぬか知ったことか。
自分はどうしてもこれがしたい、これしかできない、だからこれをするのだ。
 このような構えをこそ正当に「覚悟」と、私は呼んでいる。それで食えているのは、
たまたまの結果、たまさかの僥倖である。自分の仕事と心中する覚悟のない者に、
どうして本物の仕事が可能だろう。「食うこと」、すなわち他人や世間を横目に見ながら為される仕事は、
それがいかに巧みに工夫された技なのであれ、最初から堕落していると言っていい。
 別の言い方をすれば、それは自分の仕事に対する尊敬である。仕事は手段ではない、目的だ。
よりよい仕事、よりよい作品のために、さらなる精進を重ねるその人は、自らの内面しか見ていない。
あるいは自らの内なる「神」を見ている。仕事は神への捧げ物なのだ。
自分の仕事に対する尊敬だけで、一生精進を続ける「職人」という種類の人々に、
私は「プロフェッショナル」の本来を見る。きょうびはほとんど絶滅している。
 なるほど人は食わなければ生きてゆけないが、これをするのでなければ生きていても意味がない。
そのような覚悟にのみ、その人の神は宿るのだという逆説を、あまりにも人は理解しない。
それで食っていることをもって「プロの誇り」だなど、片腹痛い。
正当な衿持がどこから来るか、説いたところで、それを知るものにしかわからない。

 〜〜〜以上〜〜

まさに文章の一目惚れだ。

これを読んだ時、湧き上がる高揚感を抑えるのに一苦労だった。
人間を揺さぶるのは、やはり「言葉」だ。

情熱や気持ちもさることながら、
心の深い所にすっと入ってくる言葉は勇気をくれる。

読んだ後で彼女の事を知ったのだが、
今年の2月に腎臓ガンで他界されたとの事。

謹んでご冥福をお祈りします。



7月23日(月)

実は昨日の夜メガネが壊れた(涙)
ちょうど二つに折れちゃったんだけど。

メガネがないと何にも出来ないわ…

今までそんな危機意識もなく生活してきたけど、
メガネがないだけでホントに何にも出来ないんだな。
ご飯も作れないし、テレビも見えないし、本も読みづらい。

よく考えたらわかる事だったんだけれども。

まあでも、副え木して
接着剤でベチョベチョくっつくけて凌げたんだけど。

しかし、いくらなんでもそんなメガネでは困るので、
会社の帰りに買いに行くことに。

おれにとってメガネというのは
<家の中にいるときに掛けるもの>
なので、安かろうがなんだろうが関係ないわけです。

で。

安さがウリの店に行き、
一つだけ作ってまた何かあったとき困るので、二つ作ることに。

今回は、安かった。
おれのメガネ人生で一番安かったね、今回は。

だって2つで9800円だもの(苦笑)

安い…
いったいどうやってこの店は儲けてんだろうか…

なんか。

どこかの国で幼い子供が学校にも行けず
働かされてやしないかドキドキしちゃうわ(涙)



7月22日(日)

一人で留守番の一日だった。
本を読んで撮り貯めたHDDを見てたら
あっという間なんだけど。

でも、この一人になれる数時間がとても大切だわ…。

思えば子供の頃からそうだった。
友達との遊ぶ約束が続かない子供だった。

一人になりたいとか思ってたもの。
小学生の頃から。

ユウマの友達付き合いを見ていて、
ふとおれはどうだったろうとか考えたりする。

見てて思うのは…
少なくともおれよりは社交的だな(苦笑)

いや、ホント良かったわ(涙)

おれはもう、早く大人になりたい子供だったもの。

そして今は、
早く団塊の世代になりたい(謎)



7月21日(土)

ユウマと口喧嘩になり、
「いわしー、いわしー」
とか言われる。

「なにそれ?」
「フン!」
「なんだよ、言えよ」
「いわしー」
「何言ってんだ…」
「いわしー、いわしー」
「もしかして、それ『モヤシ』のこと?」
「しらない」
「お前間違えてんだよ、それ」
「いわしー」
「だっておれ『いわし』って言われても何とも思わないもん」
「そうなの?」
「そうだよ」
「モヤシだったら?」
「それだったら…」
「モヤシー、モヤシー」
「…」

俄然、イラっとしたり。 ←おいおい

といった、
そんな梅雨明け直前の今日この頃だが(謎)



7月20日(金)

例の彼が明日、九州に帰る事に。

なんだかんだ色々あったけど、彼には彼の言い分があり、
おれも至らないこともあったと思う。

仕事をしていて時々思うんだけど。

こいつ、やな奴だなー。大嫌いだな!
とか思っていても、毎日毎日顔は見なきゃいけないし、
話しもしないといけない。

話すうちに、思ってたのと違う人間だな、とか、
おれのこと誤解してるな、とか、
段々と身近に感じられるようになってきたりする。

好き嫌い関係なく毎日顔をあわせる、
というのはやろうとしてやれる事じゃないし、
何気にすごい事なんじゃないかと思う。

彼は最後に
「本当に御迷惑かけて申し訳ありませんでした」
と深く頭を下げていた。

「いやいや、いいから」
「いや、ホント、色んな事してもらって」
「そういう事もあるよ」
「助かりました」
「うん」
「どうなるかと思ってましたから」
「良かったね、帰れて」
「ほんとですよ」
「じゃあ、また」
「はい」

あの時こそ、
まさに<絆される瞬間>だったのかもしれない。

あんなにたっぷり、脳内で責めてゴメンねー
とか言いたい。

つか。
脳内て(苦笑)



7月18日(水)

 「おおきなかぶ」を読んで、
 最後におじいさんは何て言うと思いますか?

という質問に、ユウマは
<おばあさんまごいぬねこねずみみんなありがとう>
と書いていた。

「どうしてそう言うと思った?」
「わかんない」
「おじいさんがさ『みんなありがとう』って言うなーって思ったんだろ」
「そう」
「どうして?」
「だってさ、みんなで力をあわせたからとれたでしょ」

当たり前なんだけどさ。

みんなで力をあわせて、みんなの力に感謝して。
わかってんだけど忘れちゃうな、大人って。

合理的に、機能的に、目的のため排他的に。

おれはきっと、ユウマがいなかったら、
もっともっと人間嫌いだったろうなあと思う。

おれ一人でやれちゃうだろうとか、
おれが沢山いたほうが良かったわいとか。

言わないと伝わらないんだよな、言われると嬉しいもの。

そうそう。
単純な事なのだ。

言われた嬉しい事を言うだけなのだ。



7月17日(火)

会社に手作り和菓子を持っていく。
実は昨日作ったんだけど。

そしたら。
頗る好評だった(涙)

よかった。
頑張った甲斐があったわ。

でも、アレね。

粒あん派でもある47歳妻のためにアンコを粒あんにした、
とはちょっと言い出せなかったわけだが(謎)



7月12日(木)

例の彼の仕事も大詰めを迎えているためか、
職場はなかなか殺気立っている。

言った言わないとか、誰のせいかとか、
そんな話しも出始めていたり。

  これのせいで躓いてんだよ!
  誰のせいだ、いったい!

とか、なにかあるたびみんな思ってるんだと思う。

この湧き上がる<何か>というのが、
今までには起こらなかったようなことばかりだったりするのが厄介なんだけど。

で。

おれがやっている仕事の範疇については、
なぜか全部おれに文句が来るわけだが(涙)

およそ10年、一緒に仕事をしているヒトがいて、彼がちょっと前に、
「○○の研修に行って、言いたい事を言ってもいいんだなあって思うようになったよ」
みたいな事を言っていた。

で、その彼が、おれの所に来て、
言いたい事をバンバン言ったり(涙)

正直、ちょっと凹んだわ…
凹んだというか腹たった。

状況も何も確認しないで、
言いたいことだけ言うっていうのはどうなんだと。

我を通すのがデキる人間だというのは違うだろ…

なにか揉め事が起こったとき、
「もしかしておれが…」
と考えてしまう。

整理してそれから、と思っていても、
言いたいことだけ言う人間は、その頃はもうそこにはいなくて、
結局こっちが言われ損みたいになることがよくある。

だからといって、テキトーに言い訳めいた正論でやり込めて、
とりあえずねじ伏せた、みたいなのはどうにもカッコ悪い。

やっぱりこれは美学の問題なんだな。



7月11日(水)

ユウマが自由帳に
「ともだちらんきんぐ」
というのを書いていた。

そこに1位から順に友達の名前が書いてあり、
10位に「ふつう たかゆき」
とか書かれていたり(涙)

「お前、普通ってなんだよ!」
「ふつうはふつうってこと」
「おれ10位かよ〜」
「そうだよ」
「なんでだよ」
「だってー」
「もっと上だろ、おれは。なんだ、この7位の女は」
「いいの」
「せめて、おれを3位くらいに入れろよ」
「だめ」
「おれが、消して書いてやるから」
「だめだめ」

と、そこへ嫁が。

「ユウマさ」
「うん」
「この人、友達じゃないんだよ」
などと(苦笑)

すっかり忘れてたわ。 ←おいおい



7月9日(月)

土曜の夜の話しなんだけど。

先月結婚した友人らと飲むために水道橋へ。
もともとは二次会の幹事をしていたヒトが言いだしっぺらしく、
なんつうか、まあ顔を会わせるのは2回目なんだけど、仲良しに。

で。

その人が、
「(気の合う)友達の友達だったら、いい奴なんじゃないかと思ってたよ」
みたいな事を言ってくれた。

友人にはバレてたかもしれないけど、その時とても気を遣っていた。
その人が気に入るであろう親しげな人間になりすましていた。

実はこの前のマイミク飲み会の時はあんまり気を遣わなかった。

なんか、今書いた『気を遣う』という言葉の意味が、
本来のものとはちがうかも知れない。

なんだろ。

たとえば、会話をする時は相手の出方を見たうえで話す癖があって、
自分がどういう人間か、どうしたいのか、何を言いたいのか、
なんてことは普段、あまり表に出さない。

なので、人付き合いもとてもしんどく、
放っておいて欲しいという毎日なんだけど。

<ぶんいち>として書き物をしている時は、
放って置かれていることが前提の、俗な比喩で言うマスターベーション作業であるので、
本来の自分に一番近いのかもしれない。

土曜日に飲んだ彼はとてもいいヒトだったし、好きな人間なんだけど。
その人に対して、どう自分を出していいのかわからない。

好きな人間に嫌われまいとして、ちょっぴり違うヒトになりすます事に疲れて、
またいつもみたく、人間好きの人間嫌いになってしまうのだ。

だから、この前みたく、
「あー、こいつがぶんいちかー」
とか勝手に思ってもらうのってなんだかとってもラクチンだ、
と帰りの電車でふと思った。



7月8日(日)

朝からユウマの空手道場主催の
「自然塾」
というイベントへ。

簡単に説明すると。

ユウマの空手の先生が、
空手と仕事を両立できなくて困っている、
という自身と弟子達のために立ち上げた会社があって、
その会社が持っている田んぼやら原っぱで
自然を感じながら稽古したり遊んだり、というもの。

何回か書いた気もするけど。

この空手の先生は、ホントに儲けじゃないというか、
尽くしてるなあというのが伝わってくる。

いい指導者というのは、総じて褒め上手だ。
ただ褒めるだけじゃなくて上手なのだ。

この団体には内弟子という、
いわば先生の会社で働きつつ空手の修行を続けているヒト
が6人(たぶん)いて、みんな30代後半から半ばくらいなんだけど、
どのヒトもこう、清いというか、
先生の放つ求心力を素直に受け入れて結びついているような、
なんだろう、ああいうのは。

少なくともおれは見た事ないわ…

おれは相変わらず引っ込み思案なので(謎)
フレンドリーに喋った事ないんだけど。
見てるだけで凛となるというか。

  人間はぱったり死ぬかもしれない。
  だったらどう生きるか。

と言っていた。そして、

  先生はいつでもお前達を守ってやる。
  なんかあったら、言ってこい。
  絶対に、どうにかしてやるから。

とも。

本当にこの先生に言ったらどうにかなりそうだもの…

たぶん、なんかあったんだろう。
わかんないけど、助けを求められるような事があって、
それが脳裏に浮かんで口に出たのかもしれない。

人から慕われる人というのは、
まず心があって、そしてそれを映す言葉を持っているんだな、きっと。

心だけじゃ伝わらないし、
心のない言葉は届かないのだ。



7月5日(木)

例の彼の事だが。

今やっている仕事というのはもともと彼がやっていたもので、
それを締め切りに間に合わないという事で一人手伝い(まずはおれ)、
それでも足りないから更に一人、でもやっぱり足りなくてもう一人…
なんつう流れで、今ではかなりの人数が手伝っているわけだが。

元々のスケジュールに問題があるのはともかくとして。

やっぱり彼の人間性にも問題がある気がしてならない(涙)

だいたいだな、会議とかで今更な問題が発覚して、
「今までやってなかったの?」
「はい」
「じゃあ、他のエリアは?」
「もちろんやってませんよ」
とか開き直る神経はどうなんだ(涙)

30歳OLも、かなり頭にきているらしく、
「もう、これ終わったら『被害者の会』で飲みに行きましょう」
などと、酒を飲めないのに飲みたがる始末。

そうそう。
密かに「被害者の会」が結成されているわけです(苦笑)

密かにといいつつ、本人も知ってるんだけど。

「てことは、おれが加害者っすかー。ひどいなー」
などと、こちら側との温度差が、
またグツグツとなにかを煮えたぎらせるわけです(涙)

またね、これはもう、妬みなのかもしれないけど、
部長とか実務に直接関係ないヒトたちに
気に入られてるのがなんだか解せない(涙)



7月4日(水)

なんでも宇宙っていうのは目に見えないものが殆どで、
目に見えているのはわずか数パーセントしかないらしい。

そのわずか数パーセントで出来上がっているうちの、
さらにわずかの、ちょっとが自分なのかと。

そう考えると、
いろんなことがどうでもよくなる。

自分はなんて小さい存在なのかと。

宇宙はどんどこ広いと思っていたけど、
その目に見えるものは宇宙を構成しているうちの数パーセントしかないのだ。

そうそう。
小さい、小さい。

46歳妻の生え際にみつけた白髪染めの境界線なんて小さい小さい(謎)

つか。
その割には細かくこだわっている気が(苦笑)



7月3日(火)

想われているのじゃないか、と思う。

些細な事が積み重なってそう感じるのだ。
そしてそれは、過剰なほどに敏感にアンテナを張っているから感じられる。

手を繋ぐように目を合わせて、体温がわかるほど体を近づける。

いくら近づいても触れられない。
それは伝えられない言葉と同じだ。

見つめられると目をそらせない。

それはきっと、踏み込めない事への苛立ちと、触れないという意思の揺らぎ、
そして、掴まえられない手の代わりに視線を掴まえたいのだ。

掴まえて欲しい、という祈りも込めて。



7月2日(月)

DSを買ったおかげでポイントが貯まっていたので、
「もっとえいご漬け」
を買う。

数百円で買えたから、
なんだかちょっと得した気持ちね(謎)

これで、どんどこ英語を覚える寸法だな…

最終目標はアレだ。
金髪娘の濡れ煎餅を(謎)

つか。
だから何が濡れ煎餅なのかと(苦笑)

何がって、その、ほら、あのさ、まあ、いわゆる…

ウェットスナックよ(謎)


なんだそりゃ(苦笑)



7月1日(日)

昨日、ついにマイDSを買う。

買っちゃったわ…
DS献立全集と一緒に買っちゃったわ。

これでアレだ。
レパートリーが増えそうな…
横ばいのままのような。 ←おいおい

で。
ちょっとくらいやってみるか、という気持ちで
ユウマのマリオカートを借りてやってみたり。

きゃー!
たのしー!

いかんいかん。
ゲームするつもりで買ったわけじゃないのだ。
と思いつつも、通信対戦で戦ってみたり。

きゃー!
おもしれー!

なんか。
ゲームのソフトも欲しくなってきちゃったわ(涙)