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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
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第1夜 ラマダン
第2夜 ラマダン外観
第3夜 ラマダン内観
第4夜 ラマダンの長い一日
第5夜 イード・ムバーラク
第6夜 元旦と犠牲祭
第7夜 ムスリム夫婦の義務と権利
第8夜 インシャーアッラー
第9夜 ハサド(邪視)
第10夜 ハサド(邪視)2
第11夜 アラブ人の寛大さ
第12夜 拡大するテロ脅威の中で思う
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第1夜 ラマダン 2002.11.9
配信
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今年は11月6日からラマダンが始まった。私が初めてラマダンに遭遇した
のは95年の春休み、旅先のシリアだった。イスラムの暦は太陰暦なので、
年々11日前後早まっていき、32年前後で一周するようになっている。
冬至の前の今の時期だと、日を追うごとに日没時間が短くなるので、
昨日より今日、今日より明日と、約1分ずつ日没が早くなっていくのが励みだ。
ラマダンとは、イスラム暦の9番目の月の名。次の新月が見えるまでの
一ヶ月間、日の出から日没まで、飲食だけでなく、あらゆる欲が禁止され、
厳格な人はツバも飲み込まない。
イスラムの国では第8の月、シャアバーンも終わりに近づくと、もう街は
そわそわ、落ち着いていられなくなってくる。ファヌースというランタンが
店頭に並び始め、赤地に紋様の入った布地を巻きつけた門のようなものが
街中に立ち始める。イフタール(断食明けの食事)を無料で提供するテントと
なるのだ。スーパーや食料品店に、ラマダン用のお菓子のための様々なナッツ
類、イフタールの前に飲むジュースにする、オレンジ色のセロファンに包まれ
た、あんずのペースト等のコーナーができるのもこの頃だ。
そしてカイロは、買い物をする人々で街中がごった返してくる。中には電車
に乗って、上エジプトから一家総出で買出しに来る家族も見うけ、ラムセス
中央駅付近などは、地区一帯が暮れのアメ横になったようだ。そう、まさに
日本でいう年の瀬の状況だ。
ラマダンが始まると、役所は2時半に終わり、一斉に帰途につく勤め人で
道路という道路は大渋滞となる。日没が近づこうものなら、道路をうかうか
歩いてもいられない。我先に、という車が猛スピードで走り抜けるのだ。
断食しているからとイライラして、歩行者に不親切な車などを見ると、いったい
なんのための斎戒か、などという怒りが出てくるときでもある。
日中は一切の飲食をしないものの、日没後の、親戚みんなが集まってとる
イフタールは、日ごろより皿数がぐんと増えた食卓となる。大きなテーブル
いっぱいの料理の山を片付けた後には、まだお茶と、甘〜いお菓子の山が
待っている。
それが一ヶ月続くのだから、そのために買い込む食料の量を想像してみて
ほしい。ラマダン月は、年間で一番食費がかさむ月というのは本当だ。また、
主婦にとっては、食料品の甚大な備蓄だけでなく、台所用品から家具から服
から、何から何まで新調したくなる季節でもあるらしい。お客が集まる機会が
増えるのだから、それも当然の思いなのだろう。
私はといえば、去年のラマダンは妊娠中でつわりがひどかったため、断食
どころではなかったのだが(子ども、病人、妊婦などはしなくてよい)、今年は
息子に、電気が点いてラマダンの歌が流れるファヌースももらってしまったし、
イフタールの誘いも既に何軒も受けてしまっている。ラマダンムード満開だ。
これはやらずにすまされまい。
正直なところ、去年の経験から、自分は少ししか食べられないで、みんなが
いつもより気分的に断然おいしいに違いない食事をしているのをただ見ている
だけの方が、断食するよりずっとつらいと思う。村八分にあったような疎外感
を受けるのだ。’みんなと一緒’が何より好きなのが一般的なエジプト人、彼ら
にはとても耐えられないにちがいない。
この感覚はきっと小さな子どもにも分かるのだろう。まだ小学校に上がった
ばかりのような子でも、断食したの?と大人に聞かれると、できなかった、という
その表情が非常に残念そう、かつ恥ずかしそうにみえるのだ。逆にできた!
という子の得意満面な顔。誉められることがわかってのことだろうが、こうして
ムスリムの伝統は代々絶えることなく続いていくのだ。
この原稿を書いている今の時刻は、午前4時を回ったところ(エジプト時間)。
スフール(断食を始める前に食べる軽い食事)の時間を寝ている人々に伝えて
くれる太鼓の音が聞こえている。もうあと30分ほどで、日の出のお祈りを告げる
アザーン(礼拝への誘い)が聞こえてくるはずだ。
そろそろ私もヨーグルトを食べて、断食に備えることとしよう。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第2夜 ラマダン外観 2002.11.16配信
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今年のラマダンも、ようやく半分にさしかかろうとしている。
ラマダン前夜の落ち着きのなさもさほど気にならなくなってきたのは、
みんなの身体もラマダンにこなれてきたからだろうか。
私が初めてラマダンに遭遇したのは、旅行中、シリアの街でだった。
トルコのカッパドキアからバスを乗り継ぎ、国境を渡ってアレッポに着いた
のはもう日も暮れかかっている頃だった。ターミナル広場にバスが着いたら、
運転席横のドアが開く前から、私たちたった二人の乗客のために、タクシー
が呼び込み合戦をしているのが見えている。憧れのアラブに始めてやって
きた女子大生の私たち二人の表情は、きっとずいぶん硬いものだったに
違いない。
ドアが開き、タクシー?タクシー?と繰り返し続けるその群れを押し分け
ながらラー・シュクラン(ノー・サンキュー)と言ってみたら、急にざわざわ、
アラビア語しゃべってるぞ、タクシーは要らないらしいぞ、と(思われた)
何かを口々に言いながら、意外に皆あっさりと、その場を去っていった。
それからその日の寝床を求めて歩き出したのだが、まもなくみつけた
星一つの安宿。受付で部屋を尋ねているまではよかったが、では部屋を
見せてくれ、といったら急に面倒になったようで、今日は部屋はない!と
言う。そのときはその変貌振りの原因がわからず怒って外に出たのだが、
そう、ちょうどイフタールの時間になってしまったのだのだろう。タクシー
の運転手も、昼間だったらきっともうちょっとねばっていたのかもしれない。
アレッポからデリ・ル・ゾールへ向かうバスは家族連れで満員御礼。
隣になったアレッポで商売をしているという上品なおじさんとその家族は、
ラマダンももう明日で終わるから、これから故郷へ戻り、親戚と一緒に
お祭りの期間を過ごすんだよ、この街で何か困ったことがあったら、どうか
遠慮なくここに電話してきてくれ、勇敢なgirlsよ、と言って、安宿を見つけ、
値段の交渉までしてくれた後に去っていった。
どこに行っても地元の人たちでどこもいっぱいだったのを憶えているが、
これが他の時期に行っていれば、全く違う様子だったのだろう。だが
旅行者の私の眼には、ラマダン=食べないという、もともとあった乏しい
知識以上のものは何も見えてこなかった。
カイロに留学中。小学生の3人姉妹に日本語を教えるアルバイトをしていた。
バハレーン出身のお母さんはやはりエジプトの女性とはどこか異なる雰囲気
を持っていたが、明るく、気さくな話しやすい人だった。初めてのラマダン中の
授業のときのこと、毎回2時間の授業の真ん中あたりで、いつもお茶と、手作り
のお菓子をご馳走になっていたのだが、その日も当然のようにそれが出てきた。
でもティーカップは私の分だけ。
「ありがとうございます、でもいいですよ、ラマダンですから。」
「あなたも断食しているの?」
「・・・、いいえ。」
「ではお食べなさい、気にしなくていいのよ」
そうは言われても、朝から何も食べてない小さな子どもたちの前でむしゃ
むしゃ食べられるほど無神経な人もなかろう。私が困っていると、子どもたち
の方が私に聞いてきた。あなたは断食しないの?あなたのお父さんとお母
さんは?学校の友達は、先生は???
ラマダンには断食をするのが当然という環境にいて、断食しない大人に
初めて出会った子どもの素朴な疑問だったのだろう。違う宗教があるということ
をがんばって伝えてみたつもりだが、小さな子たちにどこまで伝わったことか。
だが私にとってはこの母親の、断食をする、しないは個人の問題、という徹底
した態度に出会ったことは、なにか私が初めてこのラマダン、そしてイスラムと
いうものの実態に初めて触れた気がした、大きなできごとだった。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第3夜 ラマダン内観 2002.11.23配信
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ラマダンの断食を始めて、そろそろ3週間がたつ。
経験する前は、さぞおなかが空いて大変だろうと思っていたのだが、
実際にやってみると、空腹よりものどの渇きの方が断然つらい。
今のカイロでは、5時前後がイフタールの時間だ。モカッタムの丘の上で
撃たれる大砲の音が合図となる。
「マドラブイフタール、イドラブ!(イフタールの大砲、撃て!)」
という掛け声の後に放たれる大砲の音は、空港に近い我が家でも日によって
聞こえることもあるが、大抵はテレビで知ることになる。
アザーンが鳴り響き、お祈りをしてから食事を始める人もいるが、まずは
食事、という人も多い。ご馳走に取り掛かる前には、メインテーブルとは
別に用意されたスタンドで、アマルッディーン(信仰の月)というあんず
ジュースをはじめ、カルカデ(ハイビスカスの花)やその他のジュースを
飲んで、まずのどをうるおす。急に重いものを食べることで胃にかかる
負担を少なくするためだそうだが、普段の私は避けるような、どろっとした、
甘味の強いジュースが、とてもとてもおいしい。
そうしていざ攻撃、とばかりにごちそうにとりかかるのだが、始めのうちは、
おなかは空いているはずなのに、少し食べただけですぐに満腹になり、なぜか
いつもより量が食べられない。断食に身体が慣れてくるにつれ、それもなく
なってくるのだが、どうみても子どもには厳しそうだ。これが成長の妨げに
ならなければいいが、などと心配するのはやはり不謹慎だろうか。
大人が食べるのに専心できるようにだろう、テレビでは上エジプトの子ども
が主人公のアニメ、「バッカ−ル」が流れている。人気歌手のムハンマド・
ムニールが歌う主題歌を去年も聞いたのを覚えているから、これも恒例なの
だろう。それが終わり、大人の食事も済んだ頃になると、この時期お決まりの
番組、街の人を相手にしたドッキリテレビや、クイズ、1ヶ月続く連続ドラマ
などがある。家族揃ってテレビの前にいるのは、日本のお正月と変わらない。
だがお正月のおせち料理のように、ラマダンに特別に食べる料理という
のはない。上記のアマルッディーンのほか、クシャーフというドライフルーツの
シロップまたは牛乳漬けがあるくらいだ。バラハ(デーツ・なつめやしの実)や
いちじく、あんず、干しぶどうなどの干し果物と、アーモンドや松の実などを
シロップや牛乳に漬けたものである。
デザートには、アターイフ、コナーファ、バスブーサ・・・、とアラビック・
スウィートの目白押し。油分たっぷりの肉料理の後に、ミントティーと一緒に
いただくこの甘い甘いお菓子。これで太らないわけがない。
未だにムスリムの考え方、行動様式には新たに気付くことが多いのだが、
このラマダンを一緒に経験することで、またいくつか気付いたことがあった。
例えば、イフタール前のジュースを飲みながら、おかげさまで今日も断食が
できました、と感謝をすること。今日の私はがんばったなぁ、と自分を誉める
のではないのだ。
また、断食してる?との問いに、している場合の答えは、アルハムドリッラー。
アッラーのおかげさまでと言う。
断食している者同士の挨拶は、ラマダーン・カリーム、アッラーフ・アクラム。
ひもじい思いをしてるのだから、お互いつらいね、厳しいね、と言うかと思いきや、
ラマダンは寛大ですね、アッラーはもっと寛大ですね、と言うのだ。
イスラムについてはまだまだ勉強中の我が身だが、イスラムは行動の宗教、
と言われる所以が少し分かったような、初めてのラマダン、断食体験である。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第4夜 ラマダンの一番長い日 2002.12.7配信
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男の子が生まれると2匹、女の子だと一匹家畜を屠り、その肉を人々に
配る。ラマダン中に、まだ済んでいない2匹目をとうとうやることになった。
それはいい。だが今回は家で。これはたいへんだ。
ラマダン月27日(12月2日)はライラトゥル・カドゥル。コーランが下ったと
される日で、この夜に願ったことはアッラーが叶えてくれるといううれしい夜だ。
その日を選んだ。 夫が出張でいないかわり、義姉のモナが助っ人に来て
くれることになった。
モナ姉さんが家に来てくれてすぐの朝10時半、時間通りに羊がやってきた。
その日のイフタールに食されるようにと、早い時間で頼んでおいた。
家からそう遠くない肉屋だったので、肉屋と共に歩いてきて、エレベーター
に乗ってきたのだろう、10階の我が家の玄関を開けたら、前にいた。
本当はお風呂場でやるそうなのだが、血や匂いなどなど後が大変なので
屋上を使う。バッワーブ(門番、ビルの管理人)には、ちゃんと言付けて
ある。お肉を受け取る権利が一番にある彼、今日は何でも気持ちよく手伝っ
てくれる。
やるよ?
ビスミッラーヒ ラフマーニッラヒーム (慈悲あまねく神の御名において)
横にして、二人がかりで押さえつけた羊の首の動脈を一気に掻っ切ると、
その血が床に流れた。ばたつく羊からどんどん血は流れ出て、文字通り
一面、血の海となる。しかし不思議なことに羊は、運命は運命と、まるで
受け入れることしかないのを悟っているかのように、最初から最後まで
物音を一切立てなかった。
全ての血が流れ出るまでの少しの間をおき、あとは解体作業。手馴れた
肉屋の手によってバッサバッサと捌かれていく。さっきまでの羊が、いつも
の「お肉」となるのに、ものの十分も要しなかった。
留学中、これも勉強と鶏を買って解体する場面をがんばって見物したが、羊
は大きさが大きさだけに血の量も相当で、さすがに今回はショックも大きかった。
それに比べて一緒に全工程を見守っていた2,3歳のバッワーブの子ども。
しかし情操教育上、大丈夫なのだろうか、などと心配するのは、パックに入った
スーパーの肉しか知らない者のいらぬお世話なのかもしれない。
各部位ごとに解体された、バケツいっぱいのお肉を台所に持ち込んで、
今度は姉さんの活躍だ。包丁でさっさと切り分けていき、透明のビニール
にほいほいと入れていく。これ洗ってねと、ひょいと渡されたレバー一式。
私の掌にある、まだ脈を打っていそうな暖かい心臓・・・!
18の袋に収まったお肉たち。試しに計りに乗せてみたら、なんとどれも
ぴったり600g。こんな職人芸をさらりとやってのけるのが、エジプトの
お母さんなのだ。これらを外から見えないように新聞紙で包んで、紙袋に
入れて外に出た。家から歩いて10分ほどのところにある孤児院に届けに
行くのだ。そして途中、普段お肉を買えないような人々に配って歩いてく。
ベビーカーに乗った息子と3人でエレベーターで下に下りた。建物を出た
ところで、どこから聞きつけたのか、バッワーブ連中が群れをなしている。
一つずつ新聞紙の包みを渡すと、特に何も言わないか、マーシー(OK)と
言って去っていく。
半分はもうはけた。歩きながら、外に座って繕い物をしているおばさんに
一つ、車を洗っている(おそらくバッワーブの)おじさんに一つ。日本では
棚からぼたもち、なんていうけれど、ここでは空からお肉、が当然なのだ。
そうしてしばらく、家からずいぶん来たところで、ふいに腕を後ろから
捉まれた。どこかで聞いたのだろう、黒づくめのおばさんが何やらブツブツ、
アッラーのご加護がありますように…、とか言っている。
一包み渡すと、なんと、今度はうちには子どもがたくさんいるから、もっと
大きい包みを、とのたまう。姉さんがどれも同じだと言って、それきりだった
のだが、お肉を渡しても感謝の言葉が一つも聞けないで、今ひとつ充実感が
なかった未熟者の私は、もらえるものなのに!と言って、姉さんに不満を
ぶつけた。
すると姉さんは、マアレイシュ(気にしないことよ)、これはアッラーに
あげてるものなのだからね、もらってもらったらそれでいいのよ。
言われたことを反芻しながら道を進み、孤児院に着いて、最後の3つを
を渡して、タクシーで帰ったらもう2時半。食事の準備を始める時間だ。
持つ者は持たざる者へ惜しみなく喜捨をするもの、その教えは分かる。
だが、年に数回にしても、空から降ってくるお肉があるなら、働かなくても
いいか、なんて思ってしまう者がいないだろうか。持たざる者はただ喜捨
を待っているだけで、努力を怠るようになったりはしないのだろうか。
よそ者のお節介と知りつつも、ずっとそんなことを考えていた。だが、
一億総中流意識、などという言葉がある国から来た者には計り知れない
ほどの、貧富の差がこの地にはあるのだと、改めて感じたのも本当だ。
働きたくとも働けない理由、努力したくとも、その目標が見えない環境。
天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず。
日本人がどこかに忘れてきてしまった、見知らぬ人への暖かさ、家族愛、
いろんなものをいまだに一番大事なものとして残しているエジプトだが、
日本には昔、こんなことを言った人がいて、そして今の発展があるという
ことをとても誇らしく思った、ラマダンの長い一日だった。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第5夜 イード・ムバーラク 2002.12.14配信
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イスラムには大きなお祭りが2回ある。ラマダン月のすぐ後のイード・
ル・フィトルと、これから約2ヵ月後、イスラム暦12番目の月、ズール・
ル・ヒッジャ(ハッジ訪問)にあるイード・ル・アドハーだ。
イード・ル・フィトルの”フィトル”とは、”イフタール(断食明けの
食事)”と同じ語源から来ている単語で、文字通り断食明けのお祭り、
という意味だ。3日間のお祭りで、イード・サギール(エジプト方言では
イード・ソガイヤル/小さなお祭りの意)とも呼ばれる。
また一方の”アドハー”とは、いけにえを奉納するの意味で、犠牲祭と
訳される。何かしら動物を屠る日なのでこの名がついている。こちらの
お祭りは4日間あるので、イード・カビール(エジプト方言ではイード・
キビール/大きなお祭り)と呼ばれ、この後イスラム新年を迎えることになる。
イードが近づくと、エジプトのお母さんたちはまたそわそわし始める。
カハクというクッキーを食べるのが慣わしになっている今回のイード、
今年はどこのお店のにしようか、と楽しい相談をしているのだ。今でも
家で作っている家庭もあるのだろうが、カイロに数あるお菓子屋さんの
宣伝合戦をみると、買って済ます家庭も多いとみえる。
また、イードには新しい服を着るというのも慣わしだそうで、ラマダンも
後半になると、どこのショッピング・モールも昼夜問わず、服を求める人
たちでいっぱいになる。私は、新しい、というのにそんなにこだわりが
なかったから、息子には日本の母がくれた、まだ着てない服がたくさん
あるから、と用意していなかった。
12月4日、モナ姉さん一家を我が家に招いて、今年のラマダン最後の
イフタールを一緒にとった。ラマダン中出張でいなかった夫も戻ってきて、
久しぶりの我が家で団らんだったが、普通ならゆっくりお茶を、という食後、
イードの服を買いに行くため、大混雑になる前にと早めに家を出た。
食事中、息子の新しい服を用意していないと言ったら、モナ姉さん、
それじゃイードが迎えられない!とびっくり仰天、私がついていながら、
と大慌てである。でもまだ着ていない新しいのがあるから、と言ったのだが、
”イードのために”あれこれ見て用意するのが楽しい行事なのだそうである。
姉さんはまた、来年のイードにはこんな服を、などと子どもの成長を
イードに合わせて楽しみにしたりもしてきたのだそうだ。別に普段、服を
買わないわけでもないのだが、やはりこのイードが、彼女たちにとっては
どうしても特別なものであるらしいのを感じる。
夫まで、自分が子どもの頃、イード前夜には新しい服一式を抱いて寝た
ものだなどと言うので、それなら今から買いに行こうということになった。
息子が迎える初めてのイードだ。きっと夫にとっては、親になった喜びを
改めて感じられるときでもあるのだろうと思ったのだ。
車でモールに向かう途中、ラジオでモフティ(宗教権威者)が、新月が
見えたのでラマダン月は終わり、今日からイードです、と言うのを聞いた。
もし今日新月が見えなかったら、もう一日ラマダンが続いたのだそうだ。
近所にある大きなショッピング・モール。まだ人出はそれほどでもないが、
私も含めてやはり皆、ウキウキしているように見える。こういうとき、人が
集まっている所にひかれて出てくるのは、お正月の浅草も然り、日本人も
エジプト人もないのだなぁと思う。
今まで何度もカイロで迎えたラマダン、イードだが、参加したのは今回が
初めてだ。お祭りのためのクッキーなんて、新しい服なんて、と思っていた
以前の私だが、楽しいこと、うれしいことは嫌なはずがない。
また、ラマダンが楽しみだなんて言うエジプト人、外人相手だからって
また建前を言って、などと冷めて見ていた私だが、確かに断食はつらいが、
その後にお楽しみがたくさんあるということを体験して、この神聖な月を
みんなが楽しみにしているのは本当なのだと身をもって知った。
初めてのラマダンの、こんなに大きな収穫に大満足の私である。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第6夜 元旦と犠牲祭 2003.2.22配信
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我が家での2003年の年明けは、日本から私の父を迎えての
賑やかなものだったが、前回はまったく寂しいものだった。
一昨年はラマダン明けの休暇の後、一ヶ月も空けずに年末年始休暇に
入った。まだ勤めに出ていた私も休みだったが、夫は普通に仕事に出かけて
行く。周りの日本人が次々と旅行に出かけるのを横目に見ながら、鬱々と
一人つわりに苦しんでベッドに寝ていたのだ。
大晦日、エジプト国営放送では、背景にHappy
New Yearなどの文句は
あれど、特に年末特別番組があるというわけでもない。紅白歌合戦の
代わりでもないが、ヒット曲特集を何となく見ていた。そのうち、レバノンの
放送局だったか、賑やかなトーク番組でカウントダウンをして、その後に
もうすでに新年を迎えている日本や、その他の国々のお正月の様子が
少し映像で流れたが、その程度だった。
外の様子はといえば、10時頃からか、ところどころで爆竹が聞こえてくる
ようになり、年が変わると、車がクラクションをプーププ・プップーと鳴らして、
多少賑やかになる。エジプトのテレビでは特に何もなかったような気がする。
元旦の朝も、夫はいつもと同じ朝食を取り、同じ時間に家を出て行った。
この日に特別にすることもなければ、特別に飲食するものもない、ごくごく、
普通の一日なのだ。
それが、こちらのイードでは。
ラマダン明けのイードと違って、今回は犠牲祭。初日に何かしら動物を屠る
ので、そのお肉を食すための期間と言ってもいいだろう。これがあと一週間後
にも迫ってきた頃になると、普段は決して聞こえることのない、たくさんの動物
の鳴き声が、そこらじゅうから聞こえてくるようになる。
高層ビル群と車の渋滞の街の中に、突然羊や牛が現れるのだ。
ギザやもっと遠くのサッカーラの方にあるカルヤ(村)から、牛や羊を連れて
くるのだが、まさに「ドナドナ」で荷馬車や、ピックアップカーの場合もあるが、
数人の羊飼いで、20〜30頭もの羊を歩いて連れてくることもある。
以前、いつも渋滞しているカイロの中心地、考古学博物館前の大広場を
このご一行が横切って行くのに出会ったことがある。秩序がない、というのが
秩序になっているカイロの道路状況、ポンコツメルセデスやBMWの新車に
混じって、野菜や鳥を満載した馬車が走っているのには、もう抵抗もないが、
さすがにこのときはカメラを持っていなかったのが悔やまれた。
今年の犠牲祭は2月11日から14日までの4日間だった。11日朝5時の、
日の出前のお祈りの後から、7時に始まるイードのお祈りの前までに、
例の動物を屠る。ただ肉屋がうまく予約できず、もう幾日か寿命を延ばされた
動物の切なげな声が聞こえているというのが現代のイード期間のようだ。
街中の屋上や、建物の出入り口などで一連の作業が行われるため、
水で血は流してあるとはいえ、生臭さは残るし、そればかりかしばらくは、
牛のものらしき足が一本とか、尻尾とかが、突然落ちている状態が続く。
昼間には、トラックにその日剥いだばかりの牛と羊の毛皮を乗せて売って
いる人もいた。
イードのお祈りを終えた後、午前中には親戚同士の電話が多い。新年
おめでとうの挨拶を、とりあえずはまず電話で済ませておくようだ。新年に
限らず、兄弟間のご機嫌伺いの電話は、年下の方からかけるのが礼儀
なのだそうだが、このようなことを聞くと、日本の古い「しきたり」などという
言葉が思い出されてくる。
そして遅めの昼食には、新鮮なお肉で作ったファッタ(酸味のある柔らか
めのご飯の上に、牛肉を煮たのを乗せた料理)を食べる。公園やショッピング
モールなど、どこも着飾った人でいっぱいだが、心なしか街自体も少しきれい
になったようにみえる。いつもはない屋台のおもちゃ屋、移動遊園地なども
突如現れたりして、お年玉をもらった子どもたちでどこも大繁盛だ。
テレビでもイードの歌が始終流れ、家でごろ寝の寝正月、ならぬ寝イード
でも、充分にお祭気分に浸れるのをみると、ここでのお正月はこの犠牲祭と
言ってよさそうだ。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第7夜 ムスリム夫婦の義務と権利 2003.6.21配信
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とにかく親戚同士、いつも連絡を取り合っているのがこちらの家族。3日も
電話をしなければ、何ごとかと騒ぎになるほどだ。日本では相手の時間も
気にせず、特に用もない電話をするのは失礼にあたるのではと思うが、
こちらは相手を想うなら電話、なのである。
そんなだから、元気?どうしてる?変わりない?といった挨拶言葉が豊富に
あって当然、と納得がいくのだが、モナ姉さんと私との間では、合言葉が
できた。今日はシーツ替えた、というのである。
そのこころは、スエズ出身で通関の仕事をしている彼女の旦那が、仕事で
スエズに泊まりになった、出張に出かけたということだ。モナ姉さん曰く、
旦那がいるとシーツを替えても替えてもすぐくしゃくしゃになり、家も
片付かないから、いなくなったら即、掃除を兼ねてシーツを取り替える、
とのこと。
彼女の旦那の仕事柄、シーツ替えたわよ、が月に数回あり、だから遊びに
いらっしゃいと言われて遊びに行くのだが、彼女といて、エジプト人の
妻としての義務、権利の捉え方に、日本人とは大きな違いがあることに
気付いた。
例えば、旦那が泊まりと言ったのに突然帰って来たりすると、大慌てで
食事の準備をしながら、ポロリとこぼしたりする。せめて電話一本くらい
入れられないの、いつもこれなんだから。でも旦那に聞こえるようには
言わない。
人一倍よくしゃべり、誰と口げんかしても負けることは絶対になさそうな
彼女だし、現に旦那ともめて、夜中に夫が仲裁に呼び出されたことだって
1回や2回ではない。だから、もっと大きい声で言えばいいのに。そうで
なかったら、今日は泊まりって言ったからご飯もう済ませてしまったのよ
とか…、と私が言ったら、そういうわけにはいかないのよ、いつでも旦那が
仕事から帰ったら、妻としての仕事をしないとね、と答えた。
これを聞いたときには、彼女は専業主婦だし、食べさせてもらっている
という経済的なこともあるのかなと思い、これでは外で仕事を持たない
イスラムの奥さんたちは、夫と対等な関係にはなれないなとさえ思った。
しかし別の機会、私の夫が出張で長期海外に行っている間、給料を私に
送金できないということを、モナ姉さんに伝えたときのこと。私は夫が
戻るまでの間くらい、自分で何とかできるから心配しないで、と夫にも
姉さんにも言ったのだが、姉さんは、自分のお金は自分のことに使いなさい、
生活に必要なお金は夫が持ってくるものなのだから、と言い切った。
それでなるほど、貰うものは大威張りで貰らう代わりに、仕事は仕事として
まっとうするという考えが、家庭の中でまで貫かれているのだなと納得。
確かに買い物は夫の担当だ。今では妻も買い物に出かけるが、やはり大量に
肉やチーズなどを買い込んでいるのは男性だ。あれが欲しい、これも必要と
言う妻に、夫はNOを言えないのだ。
共働きの家庭でも、家計は全て夫が持つのが当然で、よりよい生活を妻が
したいと思うから、彼女が望んで、自分の給料を足しにする、と皆考える
ようだ。イスラムが合理的、または全てにおいて契約の概念がある、と
言われるその理由の一つを見た気がしたできごとだった。
我が家はどうかって?
私は言いたいことはためません。病気になっちゃうもん。
…でもやることもやってると思うよ、一応はね。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第8夜 インシャーアッラー 2003.7.26配信
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私が初めて、教室以外でこの言葉を聞いたのは、ダマスカスからイスタン
ブールへ向かうトルコ航空機が離陸した直後だった。まずトルコ語、それから
英語で機長の機内放送があったのだが、トルコ語の放送が「……インシャー
アッラー」で終わり、それから英語で、飛行距離や予定飛行時間、到着時間
などが聞こえてきた。そのときは正直少し驚いて、インシャーアッラーなんて
言わないで、確実に私をイスタンブールまで届けてよ!と思った。
インシャーアッラー、もしアッラーが欲し給うならば、という意味のこの言葉は、
それならアッラーがお思いにならなかったらそれは起こらないことも有り得る
のか、と慣れない外国人には否定的な意味合いがどうしても強くイメージ
されて、アラブ人をアラブ人たらしめている言葉だなんて言われることもある。
息子が初めて日本へ行くために作ったパスポートを日本大使館に受け取りに
行く日のことだ。受け取るには確認とサインが必要なので、どうしても私が
9時から11時半までの間に行かなければならず、我が家から大使館までは、
車で小1時間かかる。
その頃の息子の生活リズムでは、朝いったん起きて、ミルクの後また正午
頃までよく寝ていたので、慣れない時間に起こして連れまわすのもかわいそう
だし、誰か家にいれば、まだ眠っているうちに戻れるのだがと思い、出張で
夫がいないので、前日の夜モナ姉さんに言ってみた。
姉さんは、じゃあ今日から家に泊まりに来なさいよ、明日は私が見てるから
と快く了解してくれ、さっそく大荷物を持って泊まりに行った。私が息子から
いっときでも離れて出かけるのは初めてだったし、預かる方の姉さんも
気がかりだろうと思って、寝るときになって言った。
明日は8時に出て、9時前に大使館に着いて、多分10分もかからないで
用事は済むから、遅くとも10時半には戻って来れると思う、だからそれまで
お願いします。その間たぶん息子は起きないけど、もし起きたらミルクを
作っておくのでそれを飲ませてください、、、とこまごまと言ったら、そんな
明日のことを予定立てて言うもんじゃないわよ、インシャーアッラーと
お言いなさい、と言われた。
「何事においても『私は明日何々をする』などと言ってはならない。ただし、
『神の御心ならば』といい足せばよい」とコーランにあるのだ。
この教えにより、ムスリムというのは、未来に起こるどんなに些細な予定や
約束に対しても、インシャーアッラーを言うことで、それは自分の一存でできる
ことではなく、全て、アッラーの許しがあってできるのだという「信仰」を表明
しているのである。
だから、仕事上で契約を結ぶ場合、支払や納入期限を決める場合、もしくは、
友人同士、来週食事をしましょう、などという場合、はたまた移動中の飛行機
のような乗り物が到着する予定を言う場合でも、全て未来の予定のことを
言ってるのだから、総じてインシャーアッラー、で何も問題はないのである。
考えてみても、自分の操縦する飛行機が落ちることもありますよ、なんて
わざわざ言外に言い含めるパイロットなど、いるわけがないだろう。
だがしかし、アラブ人というと、約束を守らない、というイメージができて
しまっているのも残念ながら確かだろう。それは、インシャーアッラーという
言葉で我々が納得できるものではないし、かといってイスラムが約束不履行を
認めている宗教だと言うものおかしい。なぜならイスラムこそ、契約の宗教と
さえ言われているのだから。ならばそれは何なのか。
日本や欧米では、仕事第一、能率的、効率的でないものは排除、時には
家族も自分の健康も二の次にして、日々邁進することが普通になってしまって
いて、これにうまく自分を巻き込んでいければ快適に生活していける。
しかしエジプトで働く人たちを見ていると、ちょっと様子が違う。明日仕事の
締め切りがあるんだよ、なんて焦っているような仕事人同士の会話なんて
あんまり聞いたことがないし、食事会なんかも、行くといったはずの人が
連絡もなしに来ない、なんてことも珍しくない。
おそらく、彼らひとりひとりの約束事に対するプライオリティが、我々の
考える順位付けとはずいぶん異なるのが大きな原因だと思う。そこには、
この世に起こる全てのことは、アッラーの許しがあって初めて有り得ること、
というインシャーアッラーの教えが根本にあり、更に、仕事より自分や家族の
ことの方が間違いなく大事と考えることもあるのだろう。
こういうわけだから、もしイスラム教徒と何であれ行動を共にすることになったら、
まず心がけるのは、相手にとって自分という個人を彼らのプライオリティ
の上位に置いてもらえるよう、友情を先に築くことだろうと思うに至った。
そう悟ってからエジプト人たちを振り返って見て、仕事でも私用でも、用件に
入る前に長い挨拶が必ずあるのは、まず相手を気遣う友情を見せるためか、
ということに気付いたのだ。
のらりくらりと期日を延ばす相手に向かって、仕事なんだから頼むよ、と
怒れることも未だにしばしばだが、ちょっと考えてみれば、これこそ今の
日本人が見直してみてもいい、人間らしい習慣だと言うこともできるのでは
ないかと考えた。
日本で自殺者が5年連続、3万人以上も出ているという暗いニュースを見た日に。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第9夜 ハサド(邪視) 2003.7.5配信
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アラブにはハサドというものがある。日本語で邪視と訳されているが、
実際どういうものなのか分かるのにはずいぶん時間がかかった。また
時間がたてば、もっと違った解釈が自分の中でできるのかもしれないが、
とりあえず今理解している範囲で説明を試みてみようと思う。
人間の嫉妬というのはとても強く、恐ろしいもので、その力は石をも砕く
との記述がクルアーンにある。その嫉妬の心は眼に現れ、他人の財産、
幸運、健康などを羨む心が、本人の意思に関わらず、その眼を通して
相手に影響を及ぼし、何かしらを害するのである。
私が結婚して数ヶ月の頃、義兄の娘から電話があった。結婚して3年、
まだ子どもがない彼女は、いつも、遊びにいらっしゃいよ、と言うのだが、
その日は、今日からしばらくアレキサンドリアに行くの。帰って来たら
遊びにいらっしゃいよ、と言った。その晩彼女の父、義兄が急遽入院
することになって、夫と見舞ったのだが、彼女の旦那とその母親だけが
来ていた。
看護婦が来て病室が手狭になったので、他人同士、彼女の旦那親子
と私と廊下に出たとき、他に話すこともないので、アレキサンドリアへは
彼女は友達と行ったのね、と話しかけたら、このアラビア語の教師を
している旦那は、何を訳のわからないことを、という感じで、彼女は
妊娠したの、に・ん・し・ん。旅行なんて行けるわけがないだろうと、
私の大嫌いな例の教師口調で言ってきた。
帰り道、夫に、いったい何なのこれは、と責め立てた。
ハサドという言葉は知っていたが、実際に体験したのは初めてである。
私が嫉妬すると思って、わざわざ嘘を言うために電話してきたと思う
と、なんだかばかにされたような気持ちにもなったものだ。
嘘はどろぼうの始まりと言われて育つ日本人には甚だ理解に苦しむ
ところで、私は非常に不愉快な思いをしたのだが、きっとエジプト人に
とっては、このようなことは日常茶飯事なのだろう、郷に入らば郷に従え、
怒ることではない、と納得できないながらも自分に言い聞かせた。
ところが先日、犬猿の仲の実姉モナと兄嫁サハル。モナは自分のことを
私の母代わりだと言い、サハルは姉だと言ってくれている。どちらも私の
ことを大事にしてくれるので私も好きだが、当人同士は本当に仲が悪い。
サハルは身体があまり丈夫でなく、体調のよくないことがしばしばある
のだが、そんなときに小学2年生の息子が追試になってしまった。
電話口でも相当がっかりした様子なのが分かったので、次は大丈夫よ、
と言おうとしたところ、私たちハサドに合ってるのよ、あなたや子どもにも
悪いことが起こらないか心配だわ、と言ってきた。
何と返したらいいものか甚だ迷ったが、こういうときに使うのか、と
アッラーが何とかしてくれるでしょう(ラッベナユサッヘル)と答えておいた。
そこへモナ。サハルには双子の2歳児がいるので、何かあると一人息子
にもう手のかからなくなったモナが助っ人に行くのだが、一日サハルの
ところにいて帰って来てからの電話で、サハルは何でもハサドだって言う
のよ。ハサドっていうのは、いい人が合うものでしょう、、、(サハルなんか
妬む人はいないわよ)、それを、ねぇ。
うわぁ、言っちゃってるよ。私でもそこまで言わなかったのに。
なんだ、エジプト人だって思ってること一緒じゃない。
人の目を気にしない、自分らしく生きる・・・。
日本では何の問題もなく受け入れられる言葉だが、アラブにこのハサド
がある限り、なかなかこれは理解されがたいだろうと思う。そのように生きる
には、日本以上の重圧がきっとかかるに違いないから。
<<付記>>
ちなみに義兄の娘はあの事件以来、一切私に電話をかけてくることは
なくなった。会うときには普通に話すが、さすがにきまりが悪かったのだろう。
日本人とエジプト人、といって物事を見るとき、人間どれしもみんな一緒と
思っていると、全く違うことがあって都度面食らうのだが、やはり人間は人間、
そう違いはないのだな、という方が、今のところ私の中で勝っている。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第10夜 ハサド(邪視)2 2003.8.9配信
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子どもが生まれてから、当然のことだが電話で話していると必ず子どもの
様子を聞かれる。それを聞くために電話してきているとも言える。元気に
してる、何してる、大きくなったか、などなど。
おかげさまで大きくなりました、もう10キロになるし、良くミルクも飲むし、
夜寝たら朝までぐっすり眠るし、、、
日本の両親に言うように、子どもの日々の成長を喜んで伝えると、一瞬
顔が曇る様子が電話から伝わってきて、今の、人に言うんじゃないわよ、
と言われる。どうだって聞くからこうだって答えてるのに、それなら何て
言えばいいわけ、といつも思ってしまうのだが、そういう良いことを人に言う
とハサドに合うから、だまっていた方がいいよ、とこちらを案じて言って
くれているわけだ。
親戚の中でも、特にハサドを気にする人とそうでもない人がいる。
子どもが熱を出した、火傷した、椅子から落ちた、果ては虫にさされた
まで、口を開けば不幸な話題ばかり話し続ける人がいる。試験前には
息子(それも大学受験生の)が一人で勉強できない、友達と遊んで
ばっかりなどなど、よくもまあ出てくるものだというほどに不幸ネタ
満載である。
楽観的な意見を言ってなだめたりもしていたが、なんとか不幸なまま
話を終えたいようだと気付いてから、今では早くこの災難が私から
去らないかと、フンフンと聞き流すことにしている。本人はハサドという
言葉を一切使わないのだが、うちはこれだけ不幸ですよ、ですから
妬まれるものなど何一つないですよ、という信号を送っているわけである。
夫にこの私のどうしようもなく不快な思いを話してみても、なんと不快
なのは彼も同じようで、でもこれはハサドを恐れてるからなのだから、
聞いてあげていればいいんでしょうと言ったら、その通りだけど毎回それ
だからね、彼女からの電話を受けるとうんざりするよ、と本音を言った。
いつまでたってもこれには馴染めない私だが、これでもあまり刺激を
与えてはいけないと思って、親戚連中から息子の様子を聞かれたら、
適当に、おかげさまで、と言うに留めているが、その夫でさえ、息子の
体重がもう何キロになったとか、息子を抱き上げるときに重い重い、
なんて私がいうと、顔を曇らせるのだ。
一番一緒に喜び合いたい相手なのに、これではあんまりじゃない、と
私が言ってから、それほど嫌な顔はしなくなったが、そういうとき決まって
無表情になるのは、頭の中でコーランを必死に唱えているからだと分かって
から、さすがに気の毒に思って、今ではあまり言わないようにしている。
(私の虫の居所が悪いときを除いては)
こういうとき、日本人の私とアラブ人の夫との間に大きな隔たりを感じて、
夫婦なのにずいぶんと距離があるのをふと寂しく思うのである。
・・・わが息子が初めて熱を出したとき、親戚中に電話してこの不幸を
伝え、母親に代わってハサド祓いをしてくれたのはモナ姉さんである。
感謝をしなければなるまい・・・。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第11夜 アラブ人の寛大さ 2003.8.24配信
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アラブ人と初めて会う日本人なら、誰しもまず彼らの寛大さに驚くと思う。
貧富に関わらず、自分の持ち物である金品を惜しげもなくプレゼントして
くれようとしたりするのはもちろん、何より彼らのこちらを思う「こころ」
を、身をもって渡してくれようとするその姿には、逆の立場だったらまず
ここまではできない、といつも悲しくなるほどである。
そんなアラブ人の寛大さはいったいどこから来るのか、と常々思って
いたが、ここ最近ハサドについて考えてきて、ハサドと寛大さ、この二つ
には大きな繋がりがあるのではと思い、ちょっと想像してみた。
初対面のアラブ人とレセプションなどで話をするとき、相手の持ち物や
特に同席している奥方を誉めてはいけない、なぜなら寛大な彼らは、
誉められたものはどうぞ、と相手に勧めなければならないから、という
意味のことを、まだ実際にアラブ人と接するようになる前に何かで見た。
自分の奥さんをどうぞと言うのは冗談にしても、明らかなお世辞は別と
して、相手の持ち物などを誉めないというのは本当だ。
ずっと頭にはあるものの、初対面の相手に話題などなかなか作れないし、
相手からも話題を振ってもらえないと、素敵なお召し物ですねとか、特に
赤ちゃんを抱いていたりする人には、かわいい赤ちゃんですねとついつい
言ってしまう。すると相手は身に付けているものだと、「タファッダル(どうぞ)」、
親しい人だと冗談で、「ここで脱ぐ?(あなたにあげるために)」と聞いてきたりする。
赤ちゃんの場合にはあいまいに黙っていることが多い。
息子の誕生祝にはいろんな人が来てくれたが、子どものない夫婦は特に、
決して息子を誉めるような言葉は決して口にしなかった。多くの日本人が
するように、人の子だし、とりあえずかわいいと言っておけば間違いない
というのは、ここでは大間違いなのである。
返事にどうぞと言われても、もちろん丁重にお断りするのが礼儀なのだが、
これは京都のお宅で、お茶漬け食べていきなさいと言われても、それは
断るのが礼儀というのに良く似た習慣にように思う。(以前日本人が、
どうぞと言われて、ありがとうとネックレスを貰ってしまったら、翌日
遠まわしに返して欲しい旨、別の人から依頼があったという話もあったが、
ここではこれは例外である)。
本人も気付かないうちにいいな、と思う気持ちが眼に現れて、それが
相手を害するのがハサドである。だから何か誉められたらそれをどうぞと
言うのは、自分の持ち物に対していいな、と思う羨望の眼を注がれて
しまったのだから、それを相手に与えて自分をハサドから守ろうという
心の動きが、こういう習慣を身に付けさせたのではなかろうか。
これと同じく、もとから他人に妬まれることなどのないように、また誰からも
好意的に見られているように、平素から次から次へと飲食をすすめたり、
何かおめでたいことがあったときに気前良く屠った動物の肉を配ったりするのだ。
もちろん現代では、どの文化でもそうであるように、誰ももとにあった心の
動きなど気にせずに、「タファッダル」という言葉を使っているのだろうし、
代々受け継がれてきたこの美徳は、もてなす側の名誉欲を大いに満たし、
それによって自分が大きくなれるものなので、アラブ人が寛大だということ
に変わりはなく、このような邪推をする方が間違っているのかもしれないが。
一昔前にはエコノミック・アニマルと揶揄された極東の島国育ちの人間の
ケチな想像である。
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気ままにアラビアン・ナイト イスラム生活編
第12夜 拡大するテロ脅威の中で思う 2003.11.23配信
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イラクで、トルコで、テロの規模、被害が日々増している。トルコの新聞は、
なぜ我々が、という見出しでこの悲劇を報じたと言う。次なる「我々」は、
今度こそ本当に我々かもしれない。アラブ国家であるエジプトであれ、
アメリカに歩調を合わせ続ける日本であれ。
私は現在日本の新聞は、見出しはメルマガで見ているが、詳細は一部
をウェブで読むだけだから、やはり充分でない気は否めない。そんな状況
なので、今の現状での日本のメディアのテロ報道がどんなものであるか
曖昧なところもあるが、エジプトと日本の両側からの報道を見られる者
として思うところを述べてみたい。
同時多発テロ、全世界にその脅威を顕わにさせた9.11を、私はエジプトで
体験した。一瞬にして罪なき多くの人々の命を奪い、世界中を恐怖の
どん底に陥れたこの行為は、決して許されるものではない。
その後CNNで私が見たような、犠牲者への祈り、その家族の悲しみ、
鎮火にあたった地元消防団の勇姿などはきっと日本のメディアにも大きく
取り上げられたことだろう。そしてテロへの怒り、憤りを感じたことだろう。
しかしこのテロがなぜ起こったか、という所まで追求したものはどれほど
あったのだろうか。こちらでは、もちろん犠牲者への哀悼の意は表す、でも
アメリカもこれで、自分以外にもこれだけのことをやってのけられる者が
いるのだと分かっただろうという見方によく触れた。これは後ほど、アラブ
だけでなく、他の第3世界の国々でも同じような見方であったことを知った。
エジプトでは、テロや殺戮による残酷な被害は、毎日パレスチナから届く。
だからアメリカが初めて同じ被害にあったからと、奪われた人命のことで
大騒ぎすることはなかったのである。パレスチナでのイスラエルによる殺戮
を見て見ぬふりをし続けているアメリカも、やっとその痛みを思い知った
だろうというところだ。
それでも、アルカーイダとの結びつきが深そうだという予想から攻撃された
アフガニスタン、サダム・フセインが大量破壊兵器を持っていることにして
攻撃されたイラクの市囲の人々の命の価値は、9.11の犠牲者の命の価値と、
まだまだ同じようには受け取られないのだ。
そしてアルカーイダ、オサーマ・ビンラーディンへの言及からイスラム脅威
となり、「文明の対立」論が聞こえてくる。エルサレムが今まで三宗教の
聖地として1000年以上も君臨してこれたのに、なぜ今になって文明の対立が
起き得るのか。
私は宗教とは、人間が、個人の限りある能力を越えた大きな存在に守られ
ていると信じることで、その心の平安を得られる手段であると考えている。
だからどの宗教であっても、人としての原則に大きな違いはなく、真に
宗教に篤い人間が、違う宗教だからといって他人を攻撃すること、殺める
ことはあり得ないと思うのだ。
しかし歴史を見ると、残念なことに宗教の名を冠した戦争が多く起きている。
けれども戦争というのは、どんなものも発端は政治紛争でしかなかったはずだ。
パレスチナ・イスラエルの泥沼の現状も、源は単純な政治の問題である。
ある人が住んでいた家に、突然立ち退き要求が来た。理由は、2000年前に
彼らが住んでいた家だから。受け入れれば今日から家族もろとも寝場所がない。
断れば戦車でつぶされるのは、隣人が見せしめにあったから知っている。
しかしイスラム教徒には侵入者から家族の安全を守るために戦う義務がある。
それがジハード(聖戦)だ。
そうして家族を目前で殺され、憎悪の鬼と化した人々がすがるものは何か。
投石以外になす術もない個人の考えが及ぶ先はいったい何か。
これが、日本の報道では、パレスチナ自爆テロの「犯行」と言われるもので
ある。反対に巨大な戦車で立ち退き要求をし、従わない者を撃ち砕く側の
行動は「攻撃」と呼ばれる。何か平等でないと感じるのは私だけだろうか。
西洋は中世の頃から、イスラムを常に脅威として見てきた。ギリシア人の
友人が、オマーン人も交えた討論で、アラブ人は悪い人だと私たちは学校で
習っているとまで言っていたのを思い出す。例え失言だったにしろ、対テロ
戦争を始めようと意気込む大国の大統領が「十字軍」発言をするのには、
そういう経緯があるのだろうが、日本は違う。
そういう過去がない日本人なら、固定観念にとらわれずにアラブ人と付き
合えるはずなのだ。「文明の対立」が現実になりかねない今、日本は、
第三者の立場でそれを調停する役に徹していいと思うのだ。
無差別テロ行為は断じて許されない。しかし、このテロ以外に訴える手段が
ないという状況が無くならない限り、この脅威は増大することはあっても、
決して消えることはない。
世界各地のテロで犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りします。
これが最後になることを切に願いながら。
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